恋する狐は止まらない そのご
この『特別保護地域』に来てから、一週間以上が過ぎた。
旦那様と過ごすとても静かで穏やかで幸せな日々はあっという間に過ぎて行き、相変わらず『幸せな』な日々は続いているが、『静か』で『穏やか』な日々については終わりを告げた。
まあ、最大の原因は旦那様の騒がしい姉で、遺憾ながら私の親友でもあるあの馬鹿女がここにやってきたことにあるのだが、来てしまったものは仕方がない。
姉としての分別をつけるなら来てもいいよとも言ってしまったので、それについて咎めることもできないわけだが、まあ、騒がしくてうるさくて賑やかで仕方がない。
おかげで私と旦那様の『静か』な生活と『穏やかな』な時間はどこかへ飛んで行ってしまった・・とほほ。
でもまあ、相変わらず幸せな日々を送っている。
全ては旦那様のおかげであるのだが、旦那様に言わせると、私が側にいるからということになるらしい。
ところで全然関係ない話になってしまうのだけど、最近気がついたのよね、旦那様も欲情する時がどうもあるようだってことを。
いや、そりゃあるとは思っていたわよ、普通そうよね『人』としてないほうがおかしいし、なかったら私としても困るんだけど、あまりにも泰然自若としていてそういうのとは縁がない様子で毎日暮らしているから私もしばらく気がつかなかったんだけど、どうもそうじゃないということがわかってきたのよねえ。
旦那様は時折意味もなく私に抱きついてくるときがある。
いや、どちらかというと意味もなく旦那様に抱きつく頻度は圧倒的に私のほうが多いんだけど、たま〜にそういう時があるのよね。
そういうとき旦那様は私に抱きついたままじっと眼を閉じて私の身体を優しく撫ぜているんだけど、しばらくするとす〜っと離れてまた自分の仕事に戻っていくの。
最初は何かの儀式か何かかな〜って思っていたんだけど、このまえ、私から離れていくときに旦那様の目を見たの。
物凄く潤んでいて艶っぽい目をしてた・・
あれは絶対欲情していたんだと思う。
でも私が『狐』の姿ではダメって言いきっているから、こういう手段だと断定はできないけど私の身体に密着しながらマインドコントロールで自分の欲情を抑えつけているんじゃないかと私は見ている。
もうね、『狐』でもいいかなあなんて最近思い出しているのよね。
だって旦那様があまりにもかわいそうじゃない?
はっきり言って今の旦那様生殺し状態だもん。
いや、実はこの前『嶺斬泊』に行った時に、一線を越えてしまおうと思って旦那様に空き時間で二人だけになれるところに行きましょうって誘ったんだけど、頑として聞かなかったの。
いくつか理由を旦那様があげたんだけど、今、一線越えてしまうとあとまだ二カ月半以上ある長丁場を絶対我慢できなくなるからという理由と、もう一つは子供ができることを物凄く恐れているからという理由が大きな二つの理由。
特に後者がねえ・・
いや、私子供好きだし、旦那様の子供は是非とも欲しい。
え、私が子供好きなのが意外?
う〜ん、まあ子供がキライに見えるかもしれないけど、本当に好きよ、多分、小さい頃の晴美を見てきたからかもしれないけど・・
そのせいで私の将来の希望職種は小児科専門の『療術師』だしね。
旦那様も私の子供を欲しくないわけじゃない、本当は欲しいって言ってくださってるのよ。
ただねえ、やはり無責任なことはしたくないって仰っているの・・どうも旦那様、以前誰かの赤ん坊の面倒を見ていた経験があるみたいなのよ。
そのときの経験から、やっぱり赤ん坊を育てるためには始終張りついてないといけないから、今の状態だと面倒を満足に見てあげることができないって・・
ほんといろいろな経験してるのよねえ、うちの旦那様。
そのせいで、今からもし作って私が産んだとしても、私は大学、旦那様は高校で面倒をきちんと見ることができないからって。
でも、ちょっと待ってね。
私全く家事ができないわけじゃないのよ!!
これでも一人暮らししていたわけだから、少なくともミネルヴァみたいに壊滅的にダメってわけじゃないの!!
一年間くらい大学を休学して子育てしたっていいわ、というか、する!!
だって、せめて赤ちゃんの時くらい一緒にいてあげて母親らしいことしてあげたいじゃない。
いくら私がダメ主婦でもそのくらいの覚悟はできているわよ!!
と、旦那様に言ってみたら、すごい嬉しそうな顔をしてた。
あ〜、やっぱり子供ほしいのね・・私もほしいけど・・
え、妊娠したミネルヴァを見ているから欲しくなったんじゃないかって?
いや、そうじゃあ、ないのよね。
私が最近子供ほしいなあって、特に感じるようになったのには別のところに原因があるのよ。
ここのところ『特別保護地域』に『人』が増えてきたの。
今までは私、旦那様、お義父様、旦那様の現在の師匠であるカダ老師、そのお孫さんで旦那様の姉弟弟子にあたるアンヌちゃん、そして、ミネルヴァの六人しかいなかったんだけど、中央庁が『人』選しカダ老師の技術技能を会得するにふさわしいであろう有能な『人』材の『人』達が少しずつやってきているのよ。
まあ、ほとんどが私よりも年上のすでに働いている社会人の『人』達ばかりだったんだけど、その中に一人、もうすっごい強烈な『人』物の姿があったの。
最初、その『人』物が私と旦那様のほうに走ってきたときは熊か何かかと思ったわ。
もうね、とにかく大きいのよ。
二メートル前後ある巨体のその『人』は、何か叫びながら物凄いスピードで一直線にこちらに向かって走ってくるの。
何を言ってるのかなあと思って耳を澄ませていると、やがて近づいてくるにつれて聞き取れるようになって、それが・・
「れ〜ん〜や〜おにぃ〜ちゃ〜〜ん!!」
だったんだけど、一瞬その意味がわからないで、私きょとんとしちゃったわ。
連夜お兄ちゃん?
って、声だけ聞いていると確かに物凄いかわいらしい女の子の声をしているのよ。
それではっとなって横にいる旦那様を見ると、なんだかうれしそうな顔をして両手を広げて待ってるわけ。
え〜〜、どういうこと〜〜!?
って、思っていると、その近づいてきた巨体の持ち主は、ひょいと旦那様の身体を両手で持ち上げてその巨大な胸の中に埋めてしまったの。
ちょ、ちょっとおおおおおおおお!!
もうどうしていいかわからないで半分パニック状態の私だったんだけど、なんだかのんびりした様子の旦那様の声が上から聞こえてきたわ。
「リリー、久しぶりだね、元気そうでなによりだ。」
「うん、リリーはいつも元気元気!! 連夜お兄ちゃん、またちっちゃくなっちゃった?」
「あはは、違う違う、リリーが大きくなったんだよ。」
「え〜、そっかなあ、リリーの通ってる中学校だと、リリーは一番ちっちゃいんだけどなぁ・・」
ちゅ、中学校!?
ちょっとまって、この『人』・・ううん、この娘まだ中学生なの!?
「さあ、リリーおろしてくれる。君のことを紹介したい『人』がいるから。」
「うん、わかった。」
と、旦那様の言葉でそっと旦那様の身体を地面に下ろす、その巨体の持ち主。
旦那様は事態が把握できずにびっくりして固まったままの私のほうに、その『人』物を紹介してくれたわ。
「玉藻さん、紹介しますね。この娘はリリー・スクナー。血がつながってはいないのですが僕の妹で、今回『神酒』の製造法を学びにいらっしゃってるバルドル・センチネル氏のお弟子さんです。訳があって一年前までは『通転核』で僕と一緒に住んでいたんですけどね、ちょっとまあいろいろとありまして、現在は城砦都市『ストーンタワー』のほうに住んでいるんですが、急遽このために召集されてここに来たんです。」
血のつながりのない妹って・・
っていうか、旦那様の一族って、旦那様とお義父様、スカサハちゃんとお義母様の組み合わせは確かに親子って感じだけど、ほとんどみんなバラバラの容姿しているから血がつながっているように見えないんだけどなあ・・
とにかく、私はこの巨体の人物を改めてみたわ。
赤いパーカーに、中にはTシャツ、ジーンズのミニスカートの下には黒いスパッツ、そして、大きなバスケットシューズといういでたちで、なんだか服装だけ並びたててみるとどこにでもいそうな女の子の姿に聞こえるかもしれないけど・・よく考えてみて。
それが2メートル前後もある巨体なのよ。
いや、スタイルが悪いわけじゃないわ、足はスラッと長いし、腰はくびれている、何よりも胸もお尻も大きいからそれはもう大迫力なんだけど、袖をまくりあげたパーカーの先から見えている腕は物凄い筋肉しているし、スパッツから伸びている太ももや足の筋肉も尋常じゃないのよ。
昔の伝説にでてくる女戦士の一族アマゾネスが今いるとしたらこんな感じなのかしら。
ところがね、その身体の上、首の上に乗っかっている顔はもうどうみても中学生の女の子のものなのよ。
それもつい最近まで小学生でした〜、っていわんばかりに幼い顔。
旦那様と同じ黒い艶やかな髪をポニーテールにしてくくり、大きな黒眼は全く邪気がなく輝いていて、真赤なリンゴみたいなほっぺに、よく笑う口。
もうね、ほんとかわいいの。
なんていうのかな、嫌味が全くない顔なのよ、心から笑ってる笑顔がほんと眩しいの。
顔だけみてれば、頭をなぜなぜしたくなるんだけど、その下にはとんでもない超重量級の身体があるわけで・・なに、この生き物。
私が呆気に取られてみているうちに、旦那様の話は進む。
「リリー、この『人』は僕の奥さん。僕にとって世界で一番大事な『人』。名前は宿難 玉藻。」
「え、この『狐』さんが、お兄ちゃんのお嫁さんなの?」
「そうだよ〜。僕の命と同じくらい大事な『人』なんだ。でもね、僕よりずっとずっと優しい『人』だから、リリーとは仲良くなれると思うよ。」
そんなことないです、私は旦那様のような優しさは持ちあわせていません。
でもまあ、別に仲良くしたくないわけじゃないのよ。
よろしくね、リリーちゃん。
「うん、玉藻お姉ちゃん、よろしくね。」
え、ち、ちょっと。
吃驚する私の身体を持ち上げて、私の身体にそのほっぺを押し付けてすりすりしてくるのよね。
まあ、ちゃんと苦しくないように抱きあげてくれているし、力加減もちゃんとしてくれているからいいんだけど・・あれ? ひょっとしてこの娘、私に甘えてる?
「お姉ちゃん、いい匂い・・なんか、お兄ちゃんと同じ石鹸の匂いがする〜。」
う、うん、まあ、旦那様と同じ石鹸使っているからね・・
なんだろ、この娘を見てると、こう胸の奥底にある何かが刺激されるというか、なんか、無性にかわいがってあげたいというか、守ってあげたいというか、妙な気持ちになるのよ。
ふと下を見ると旦那様が私達を見つめているのが見えたわ。
なんだか、物凄く優しくて温かくてどこか感動しているような潤んだ目でこっちを見ているの。
な、なんですか、旦那様!?
「いや・・なんていうか・・うまくいえないんですけど、はるか先の未来で、妻と娘が仲良くしている姿をみることができたようで・・なんか、ちょっと胸にきちゃって・・」
ちょ、ちょっと旦那様、そんなどこかのゲームの死亡フラグが立ちそうなセリフを言わないでくださいよ!!
「そ、そうだよ、お兄ちゃん、死んじゃいやだ!!」
「あ〜、大丈夫ですよ、二人とも。僕、一応自分の孫の行く末を見るまでは、玉藻さんと一緒にきっちりこの世に残ってるつもりなので。それよりも玉藻さん、よかったらこれから暇なときにリリーの相手をしてやってはいただけませんか? リリーと同年代の子供はもちろんいませんし、僕やアンヌは修行がありますしね、かといってみ〜ちゃんには任せられないし。」
う〜ん、そうね、ミネルヴァには絶対無理ね。
あ、そういえば旦那様、この娘っていくつなんですか?
なんか中学生みたいなこと仰っていましたけど。
そういうと、なんだか旦那様は腕組みをして複雑な表情を浮かべてみせたの。
「難しい質問ですね・・一応そうですね、実際の肉体年齢と精神年齢は中学一年生の十三歳です。従って、今、中学校一年生として『ストーンタワー』の中学校に通っています。実は僕と一緒に暮らすことができなくなった理由の一つがこの体格でして、最初はすっごいちっちゃかったんですよ、この娘が僕と一緒に暮らすようになったのはこの娘の肉体年齢が九歳の時からなんですけど、たった二年でみるみる大きくなってしまって・・流石にこのまま他の種族の子供達と一緒に過ごさせるのはどうかと思いまして、巨人達の学校がある『ストーンタワー』に行かせることにしたんです。まだまだ子供のこの娘を一人で行かせたくなかったんですが・・」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。バルドルおじちゃんのお家の人達すっごい優しいもん。リリーは元気でやってるよ。」
って、この娘は巨人族なんですね・・なるほど、それでこの身体ですか・・
「いえ、あの、違います、玉藻さん。」
へ? 違うの? じゃあ、トロール族? ・・っていうには全然不細工じゃないしなあ。
「あ・・その・・僕と同じなんです・・」
は? 同じって何が?
「いやだから、種族が同じなんです。・・人間なんです、この娘。」
あ〜、そうなんだ、人間かあ・・って、人間!?
う、うそおおおおおおおおおおっ!?
「本当だよ、リリーは人間なんだもん。だから、学校では一番ちびっちゃいんだ。」
これでちびっちゃいって・・巨人族専門の学校の生徒ってどんだけでかいんだか・・『害獣』とタイマンはれるんじゃないの?
ところで実際の肉体年齢と精神年齢がどうのこうのって・・どういうことですか?
「それは・・ちょっと長くなる話になるんですけど・・こういうことなんです。」
私の言葉になんだか凄く悲しい表情を浮かべた旦那様だったけど、リリーちゃんが辿ってきた数奇な人生について私に包み隠さず話してくれたわ。
・・もうね、ダメ。
聞いてる最中に涙が止まらなくなっちゃってダメよ、何、その残酷な話。
はっきり言ってひどい、ひどすぎる、この娘が生きてきた人生、旦那様に救われるまでの九年間があまりにもひど過ぎて号泣しちゃったわ、私。
でも、よかったわ、本当によかった、旦那様がいてくれて本当によかった。
もう大丈夫、今のリリーちゃんには旦那様とかいろいろな『人』がついているもの、もう二度と悲しい思いをさせたりしないはず。
あ〜、ごめんなさい、リリーちゃんの過去についてよね・・う〜ん、それはちょっと今回は勘弁してちょうだい。
私自身落ち着いたら必ず話して聞かせるから・・っていうか、私が改めて話す必要がなくなるかもなんだけどね。
ともかく、いろいろ様々な事情がわかった以上、ええ、引きうけるわ。
リリーちゃんの遊び相手くらい、どうってことないのよ!!
「よかった、それじゃあ、よろしくお願いします。リリー、玉藻お姉ちゃんの言うことちゃんと聞かないとだめだよ。」
「もう〜、お兄ちゃんったら、リリーももう中学生なんだよ!! いつまでも子供扱いして〜!!」
いや、リリーちゃん、体はともかく性格はどうみても子供だから。
こうして、私とリリーちゃんは日中、旦那様が修行している間、一緒に過ごすようになったんだけど・・
ほんと、かわいいの、この娘。
どこかのひねくれたバカ女と違って素直だし。
「ちょっと・・」
どこかの未練たらしいアホ女と違って『人』の言うことちゃんと聞くし。
「をい!!」
どこかのすぐ落ち込んで酒飲んで寝ようとするどうしようもないグータラ女と違って明るくて側にいてくれるだけでこっちも笑顔になるし。
「待てや、コラ!!なに、言いたい放題いってくれちゃってるのよ、たまちゃん!!」
あれ、ミネルヴァ来てたの?
「来てたのじゃないわよ!! さっきからなんども呼びかけているのに、無視しちゃってさ。それになに、そのでかい女? あんたの知り合い?」
あれ? ひょっとしてミネルヴァこの娘にあったことないの?
あ、そうか、そういえばこの娘と旦那様が一緒に暮らしていたのって、旦那様が『通転核』にいるときだったのよね。
そのときの私とミネルヴァって『嶺斬泊』にいたもんなあ。
そっかそっか。
「ねえねえ、玉藻お姉ちゃん、このおばちゃん誰?」
「お、おば、おばちゃんだとおおおおお!?」
あ〜、このおばちゃんのことは忘れちゃっていいわよ。
さあさあ、今日は向こうの小川にでも行ってみましょうか、水がきれいでお魚もたくさん泳いでいるのよ。
「ちょ、ちょっと、たまちゃん、冷たい!! めっさ、冷たくない!? ねえ、ちょっと、聞きなさいよ!!」
もう〜、うるさいなあ、リリーちゃんと過ごす癒しの一時を邪魔しないでよね。
でもねえ、ほんとリリーちゃん見てると子供ほしくなるわあ・・こういう風に私も子供と過ごしてみたい。
無邪気に遊んでいるリリーちゃんを見ているとほんと心が和むというか・・そう言えば昔の晴美もあんな感じだったなあ・・晴美元気でやってるかしら。
「うう・・ぐすんぐすん、ひどいよひどいよ、みんなで無視して・・あたしだって・・あたしだってさびしいのに・・」
「よしよし、泣いちゃだめよ。」
「うん、ありがと。」
をいをい、いい大人が子供に慰められてんじゃないわよ。