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Act.15 『手の温もりを』

 色とりどりのなかなか鮮やかな料理がきちんと並べられた四角い弁当箱の中から、中身が見えるように半分に切って収められている春巻きを一つ箸でつまんで口の中に放り込んでみる。


 もぐもぐとよく噛んで味わうと、冷めているとはいえ具の肉と野菜がなかなかよいハーモニーを口の中で奏でる。


 士郎はやがてそれを飲み込んでしまうと、心配そうに隣で自分の反応を見つめている霊狐族の少女のほうに顔を向け、嬉しそうな、しかし、若干悔しそうな顔をしてみせる。


「とうとう、シャンファ料理では晴美に勝てなくなっちゃったなぁ・・おいしいけど、なんだか悔しいよ」


「ええええっ!? そ、そんなことないですよ!! 私なんてまだまだだし・・」


 と、士郎の言葉に慌てて首を横に振ってみせると、顔を真っ赤にして俯いてしまう晴美。


 そんな晴美の様子を、物凄く優しい瞳で見つめていた士郎だったが、再び弁当に目を移し箸を動かすと次はシューマイを口に入れてゆっくりと味わいながら視線を目の前のグラウンドへと向ける。


 梅雨真っただ中の六月にあって、久しぶりに晴天に恵まれた昼休みのグラウンドには、多くの生徒達の姿が見られあちらこちらで運動を楽しむ姿が見られる。


 グラウンドから少し離れた所にある校庭の隅っこ、大きな樫の木の下にあるベンチに二人仲良く座っり晴美が朝早くに起きて作ってきた弁当を食べながら、士郎はゆっくりとグラウンドを見渡していく。


 そんな楽しげな生徒達の姿を見つめている士郎を隣にいる晴美はじっと見つめる。


 晴美は士郎の穏やかで楽しそうな視線の中に、それとは全く対照的な焦りの色が含まれていることを看破していた。


「士郎さん・・『人造勇神』のことが気になっているんですね」


「あ・・うん・・わかる?」


 晴美の声にはっと我に返った士郎は、心配そうにこちらを見詰めている少女にバツの悪そうな顔を向ける。


「わかりますよ。私、祖父や両親に怒られないように人の顔色ばっかり見て育ってきたから、そういうのすぐわかるんです」


 悲しそうな苦笑を浮かべる晴美の表情を見て、士郎は自分が彼女にそんな顔をさせてしまったことにひどく後悔し深々と溜息を吐きだす。


「ごめん、折角久しぶりに一緒に昼休み一緒に過ごせるのに・・辛気臭いところ見せちゃって」


「ううん、そんなことないですよ。この一カ月士郎さんがずっと私のこと守ってくださってるの・・わかってますから。ただ、早くこの事件が解決して士郎さんが私のことに気を使くことなく、またいつもの生活を送れるようになればいいのになって・・」


 優しい、しかし、どこか悲しい笑顔を浮かべてしばらく士郎を見つめていた晴美はまた自分の弁当のほうに視線を移し、箸を動かし始める。


 そんな晴美をしばらく見つめていた士郎だったが、怒ったような表情を浮かべて口を開く。


「この事件が終わったって、僕は晴美を守ることはやめない・・少なくとも僕がこの学校を卒業していくその日まで、僕は晴美を守るし、卒業した後だってできる限りのことは続ける。晴美が迷惑だと言ったって続けるよ」


 その言葉にはっとして士郎のほうに再び視線を向けると、士郎はなんだか照れたように真っ赤になって晴美から視線を外すと何かを誤魔化すように自分の弁当をがつがつ食べ始めた。


 晴美はそんな士郎の姿に、心から嬉しそうな表情を浮かべるとはにかみながらも囁くように口を開く。


「あの・・士郎さん・・ありがとう」


「ぼ、僕が好きでやってることだから、別にお礼なんていいよ・・」


「はい」


 わざとぶっきらぼうに答えて見せる士郎だったが、ちらっと横目で晴美が浮かべている華のような笑顔を確認すると、なんだかひどく安心したような穏やかな表情を浮かべて晴美を見詰め返す。


 そして、心の中で絶対誰にもこの笑顔を汚させやしない、全力でこの笑顔を守って見せると再度固く誓い直す。


 連夜が『特別保護地域』へと修行に旅立ち、対『人造勇神』の作戦が開始されてからすでに一カ月以上の時間が流れてしまっていた。


 作戦開始直後の二週間で五体の『人造勇神』のうち、二体までも早々に撃破することに成功したものの、残りの三体についての行方は依然として分かっておらず、時間だけがいたずらに過ぎて行ってしまっている。


 どちらかといえばこの作戦の補助的な役割である自分ですらこれだけ焦りを感じているのだ、この作戦の主役であり囮という重要任務についている蒼樹や、それをバックアップしている紗羅達メインメンバーが焦っていないはずがなかった。


 しかし、彼らはそれを見せることなく今も任務をこなしている。


 そんな彼らに比べれば自分はまだまだ未熟だと思いはするが、やはりそう簡単に焦る心が収まるわけもなく、士郎は心の中で盛大に溜息を吐きだすのだった。


 日差しの眩しさに空を見上げると雲ひとつない晴天は自分の心の中とは反対にどこまでも蒼く澄み切っている。


 黒い学生服やブレザーを着ていた生徒達は、すでにその上着を着なくなってしまっており、暑い夏がその姿をすぐそこまで現わしていた。


 何気なく横にいる晴美に視線を向けると、彼女もまた半袖のブラウス姿になっていることに今更ながらに気がついた。


 それだけ自分に余裕がない証拠なのであろうが、改めてその姿を見ているとわずか一カ月前に彼女と初めて出会った時と違うことに気がつく。


 口に出して言うと怒られそうだが、彼女の体は非常に丸くなったと思う。


 ガリガリに近い細い針金のような身体だった彼女の身体は、一カ月近くでかなり丸身を帯びてきたとわかる。


 彼女が実家で受けていた厳しい修行については、連夜からある程度聞いて知っていた。


 それはほとんど虐待に近いもので、家の中には誰一人味方がおらず、自殺すら晴美は考えていたという。


 士郎が彼女と出会った時には、ほとんど暗い表情を見ることはなかったが、それ以前の彼女は悲しい顔をすることが多かったという。


『士郎が晴美ちゃんとしゃべるようになってから、一気に明るくなった気がするよ。それまでは無理して大人の仮面を被っていたような気がするけどね・・今は、年齢相応の顔をしていると思う。本来の彼女の顔にね』


 自分としゃべるようになったからかはともかくとして、今の彼女の笑顔が士郎は大好きだった。


 穏やかで優しさにあふれ真っすぐに自分を見詰めて浮かべる晴美の笑顔は、何ものにも代えがたいと士郎は思っている。


 と、同時に、そういう晴美を見ているとドス黒い感情も湧き上がってくることを感じているのも自覚していた。


 あの笑顔を自分だけのものにしておきたいと、思ってしまうのだ。


 誰にも見せたくないし、できれば、どこか誰も知らない場所に連れて行って誰の目にも止まらせたくない。


 しかも、それは晴美の笑顔だけではない、士郎が独占したいと思っている笑顔がもう一つある。


 いったい、自分はどうしたいのか、そんなとき士郎は自分がわからなくなってひどく混乱してしまう。


 守りたいのか、傷つけたいのか、選びたいのか、選びたくないのか、それとも、全部投げ捨てて逃げ出してしまいたいのか。


 わからない、本当に自分がわからない、わからないけれど、わかっているのはひどく自分が強欲であるということだ。


 連夜に拾われる前、自暴自棄になって『害獣』を相手に暴れまわり、『人造勇者』としての力を使いまくって死の時を待ち続けたあの頃は、そんなことを考えることすらなかったのに。


 彼が尊敬してやまない・・いや、尊敬という言葉すらまだ軽い、もっと重い意味で大切で重要な人である連夜に、『人造勇神』の件をどうするか指示を仰ぎにいったときに、そのことについて聞いてみた。


 それに対して連夜は、大笑いしながらこう言った。


『そんなの僕だってそうだよ。君だけじゃない。誰だって、自分のことはわからないものさ。でもねえ、わからないならわからないなりに進むしかないんだよね。できるだけ相手を傷つけたくないって思っていても、裏目裏目に出てしまうことなんてしょっちゅうだし、自分では良かれと思ってしたことも、実はとんでもない結果になって帰ってくることだってある。それでも、自分なりの答えを出して進んで行くしかないんだよ。後悔しないように。』


『連夜さんは後悔しないんですか?』


『するする、めちゃくちゃする。それはもう、失敗だらけ、後悔だらけだよ。だけど、ほら、僕はずるいからね。そうなったときにすぐにフォローできるように布石をうって誤魔化そうとするわけさ。いや〜、ほんと往生際が悪いよね、我ながら』


 と、言っていたが、士郎は知っている。


 連夜は自分が後悔しないために全力であらゆることを『布石』として事前にやっているのだ。


 それは往生際が悪いというよりも、絶対に自分が定めた目標を諦めないという確固たる信念に基づいて行われている。


 そんな連夜が自分がわからないなんていうことがあるのだろうか?


『あるある。すっごいあるよ。あるから、僕は自分がしたいことをできるだけはっきりさせるために、余分なことを全部忘れることにしているし、余計なものを見ないようにしている。世の中のほとんどは唯一無二のもので、それぞれにいいところも悪いところもある。二つものがあれば、それぞれに魅力的なところがあるのは当然なんだよね。そうすると、どうしてもその二つを比べてしまって迷うことになるでしょ? だから、僕は自分が最初に気に入ったものを全力で見るんだ。その気に入ったもののいいところを全力で探し続ける。結構ね探してみるといくらでもでてくるんだよね。そうして見続けていると、やがて他のものが見えなくなってくるんだ。僕はそうして選ぶかな。いろいろとね。そうすれば、自分がわからなくても意外と後悔することは少ないんだよね。だって、自分がこれと決めて選んだもの、道、方法、あるいは・・『人』だからね』


 とそう言ったあと、士郎を指さしてにやりと笑ってみせる連夜に、士郎は照れ臭いやら誇らしいやら嬉しいやら非常に複雑な思いを抱いたものだが・・結局、連夜はそれ以上のアドバイスはくれなかった。


 連夜いわく『ご期待に添えなくて申し訳ないけど、君よりたった二年しか長く生きていない僕がアドバイスできることなんて、たかが知れてるってことなんだよね。特に色恋沙汰なんて僕の不得意中の不得意分野だしねえ。僕の言う通りにして君がふられたりしたら、大変だからね。当たり障りのないことしか言えません。君のいいように、思うようにしなさい』


 連夜のいうところの、自分のいいように、思うようにが非常に難しいのであるが・・


 士郎はまとまらぬ自分の考えに、顔を俯かせて晴美に気がつかれぬようにそっと溜息を吐き出したが、そういえば連夜が非常に気になる言葉を呟いていたことを思い出した。


『『人』の手はたくさんのものを掴めるようにできていないから・・士郎、絶対に掴んでおかないといけない自分にとって大切なものと、別の誰かに託すためにその手を放すものを間違うなよ』




Act 16 『手の温もりを』




 掴むための手、託すための手。


 その意味を考えて何気なく視線を彷徨わせていると、ふと晴美が膝の上に置いている小さく白い手が目に映る。


 初めてあったとき、晴美の白い手はガリガリでその指先までまるで死人の手のようであったが、今はふっくらと丸みを帯びており、相変わらずの白い肌ではあるが以前のような病的なものではなく明らかに自然な美しい白さをしていた。


 士郎は弁当を置いてそっとその手を取ると、両手で包んでそっと優しく撫ぜる。


 一カ月前の彼女の手は、固くて少しひんやりとしていたが今は温かさと柔らかさをもってそこに存在している。


 彼女が過ごしてきた辛く長い過去が、たった一カ月で取り戻せるとは到底思えないが、少しでも幸せになってくれたらいいなと、この手がいつか幸せを掴んでくれるといいなと士郎は思うのだ。


「あ・・あ・・あの、あの・・その・・し、士郎さん?」


「ん? なに? 晴美?」


 物凄く焦った声で自分に呼び掛けてくる晴美の声にはっとなって、声のしたほうに顔を向けると、今にも湯気を吹きだしそうなくらい真っ赤になった晴美があうあうと口を開いたり閉じたりしている。


 その様子をきょとんとして見つめていた士郎だったが、晴美はなんとか口を開いて言葉を紡ぐ。


「あの・・その・・い、嫌というわけじゃないんですけど・・」


「え?」


「手・・手を・・」


「手?」


 その言葉に思わず視線を下に向けて自分の両手を見てみると、今まで無意識に晴美の手を両手で撫ぜ回していたことに気が付き、士郎は慌てて手を放す。


「うわわわわわわっ!! ご、ごめん、晴美!! その、あの、一カ月前と違って奇麗な手になったなあって・・ああああ、その言い方だと、一カ月前が奇麗じゃなかったみたいに聞こえるじゃないか、バカバカ、僕のバカ!! ち、ちがうんだ、そうじゃなくて、その、あの!! せ、セクハラだったよね、ごめん!!」


「あ、あ、あの、そんな、別に嫌じゃなかったですよ!! ただ、あの、びっくりしちゃって、その!!」


「そ、そっか、驚かせちゃったんだね・・ともかく、ごめん。どうも、僕はデリカシーがなくてその、ほんと申し訳ない」


「謝らないでくださいってば!! き、気にしてないです、私。そ、それよりも何を考えていらっしゃったんですか?」


 お互い真っ赤になりながら、焦ってわたわたとしてしまう二人であったが、しばらくして落ち着いてきた晴美が問い掛けると、士郎は困ったような笑顔を浮かべてみる。


「いや、その・・実はこの前、連夜さんに会って来たんだけど」


「え、連夜さんに!? ど、どこでですか?」


「中央庁で。たまたまそのとき帰っていらしていたみたいで、偶然お会いすることができたんだ」


「あ〜、そうだったんだあ・・いいなあ、私も会いたかったなあ・・」


 本気でがっかりしている晴美の姿を見て、自分だけ連夜に会ってしまって申し訳ないという気持ちと、なんだか自分以外の男性に会えなくて残念という晴美にちょっと苛立つようなもやもやした気持ちとで、再び混乱しそうになる士郎であったが、なんとかそれを飲み込んで平静を装うと言葉を続ける。


「そのときにね、連夜さんが、『人』が掴めるものはそんなに多くないから、自分が掴んでおかないといけないもの、誰かに託して自分は手放すものを間違わないようにって・・言われたんだ・・」


「自分が掴んでおくものと、誰かに託すものですか・・」


 自分達が尊敬してやまない連夜の意味深で不可解な言葉に、二人は揃って首をかしげて見せる。


「士郎さんはそれがわかったんですか?」


「わかるわけないじゃない・・ただ、晴美のその手が・・幸せを・・ううん、いや、その、何を掴んで、何を誰かに託すんだろうって・・あはは、『人』の手を見たってわかるわけないのにね」


 その小さく白い手を握っていた本当の理由を口にしかけた士郎であったが、急に照れくさくなって別のことを口にする。


 すると、晴美は自分の手をしばらくじっと見つめていたが、そのあとその小さな手を伸ばして士郎の緑色の鱗に覆われた爬虫類の手を両手で掴む。


「士郎さんは・・士郎さんの手は何を掴んで、何を託すんですか?」


 自分の手を握ったまま真摯な瞳で見つめてくる晴美に、士郎は困った顔を浮かべていたが、やがてそれは苦笑に変わる。


「さあ・・わからない。わからないから、悩んでいる・・でも、本当は僕が掴もうと思っているものはすべて、誰かに託すべきものなのかもしれない。でも、それができないんだよね、僕ってさあ、自分では連夜さん以外に執着なんてな〜んにもないって思っていたんだけど、違っていたんだって最近特に思い知らされている。結構僕は強欲みたいだ」


「それ、私もですよ」


 自嘲気味に笑って見せる士郎であったが、そんな士郎を見ながら晴美はいたずらっぽく笑って返す。


 そんな晴美を見て士郎は戸惑った表情を浮かべるが、晴美は士郎の悩みをズバリと言い当てる。


「士郎さん、私とアンヌさんのことで悩んでいらっしゃるでしょ?」


「え・・ええええええええっ!? な、なんで!? なんで、それを!? ・・ああっ!! し、しまったあ!!」


 晴美の言葉に物凄く狼狽して思わずぽろっと本心を吐露してしまい、真っ青になっていく士郎であったが、晴美はそんな士郎を見ても不快感を現すこともなくくすくすと楽しげに笑っている。


「さっきも言ったでしょ? 私、人の顔色ばかり伺って生きてきたから、そういうの見抜くの得意なんです。・・でも、士郎さんてほんと正直ですよね。まっすぐで純粋で・・」


「・・どうせバカ正直って、言いたいんだろ? あ〜、もう、なんかいやになっちゃうなあ・・」


 がっくりと肩を落として落ち込む士郎を楽しそうに見ていた晴美だったが、急に寂しげな表情を浮かべ、そして、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


「私も・・私もなんですよ」


「え、何が?」


「私も、士郎さんと・・連夜さんのことで悩んでいます。私がお二人のことを想うこの気持ちはなんなんだろうって・・」


 晴美の告白をぽかんとして聞いていた士郎であったが、やがてその意味するところを理解すると、なんとも言えない複雑な表情になって晴美を見返す。


「あ・・そうだったんだ。晴美は、連夜さんのことを・・」


 士郎の言葉に最初、こっくりと頷いてみせた晴美だったが、すぐに顔を士郎のほうに向けると何か慌ててそれを訂正し始める。


「いや、あの、ちょっと待ってください!! そ、それだと、なんか断定してるみたいです!! 私、士郎さんのことも嫌いなわけじゃなくて、大切な人だと思っています!! でも、その、私を助けてくれた連夜さんに対する気持も嘘じゃなくて・・あ〜、なんか難しいです、うまく言えません!!」


 と、混乱する晴美の姿を見て逆にすっかり落ち着いてしまった士郎は、うんうんと物凄く共感して頷いてみせる。


「わかる、すっごいわかるよ晴美。どちらも大切で、選べないんだよね。僕もそうなんだけど、でも、多分その気持ちは同じものじゃなくて、それぞれが違う何かだと思うんだけど、それが何かわからないんだ。僕ってほら、そういうのとは無縁のまま暮らしてきたから・・ほとんど毎日一人だったし。」


「私もです、修行、修行で・・家族は私と接触をほとんどしてきませんでしたし、友達も作ることも禁じられていましたから・・本当に一人ぼっちでした・・」


 二人は自分達のつい最近までの孤独で寂しい毎日を思い出し、顔を見合せて苦笑を浮かべる。


「なんか・・一人に慣れ過ぎて、寂しいっていう感覚も麻痺してね・・それが当たり前になっていって・・早く自分は死ねばいいのにって思ってた」


「毎日が辛くて、死ねば楽になれるかなあって・・私も考えていました。 ・・怖くて無理でしたけど」


 そう言って悲しい表情を浮かべかけた二人だったが、ふとお互いが握り合っている手に視線が行く。


 晴美の白い小さな手は温かく、士郎の緑色の鱗に覆われた右手は固くはあったが十分温かみを持っていた。


「『人』の手って、あったかいよね」


「そうですね。一人じゃないって、感じられるのっていいですね」


 二人は顔を見合せてほわっと笑い合うと、そのお互いが発している温もりの中心となっている握り合った手に視線を移す。


 そういえば、隣にいる相手がずっと一緒にいるこの一カ月間、自分は一度も孤独を感じたことはない。


 寂しいなあと思いそうになったら、すぐ隣を見るだけでよかった。


 そこには自分を心から気遣って向けられている顔があり、温かさがある。


 でも、あと二カ月が過ぎればまた、元の日常がもどってくる・・そうなったときに、この相手がいなくなって空席となった隣に誰かが座って、果たしてそれが埋まるのだろうか?


 折角掴んだこの手を放していいのか?


 そう思った時、二人は何か同時にはっと気がついたような顔をする。


 残った片手でぽりぽりと頬を掻き、士郎は晴美を想いのこもった瞳で見つめる。


「あ〜、僕なんとなく答えがわかった気がする。・・多分、あってるとかあってないとかじゃなくて、自分がどう思い、どう決めるのかなのかも・・」


 そう呟く士郎に、晴美もなんだかはにかむような笑顔を浮かべて口を開く。


「わ、私も・・わかったような気がします。・・なんとなくですけど・・やっぱり自分の気持ちははっきり今でもわからないけど・・でも、少なくともこの温もりは・・なくしたくないです・・誰にもわたしたくないです・・」


 ぼりぼりぼりぼり


「・・晴美」


 むしゃむしゃむしゃ。


「・・士郎さん」


 潤んだ瞳で見つめ合い自然と近づいていく二人。


 特に士郎は、ようやく何かがはっきりして、その自分の心の霧の中にあった想いが確認できたこの温かい空気を壊したくない思いでいっぱいではあったが、どうにも自分の背後から聞こえてくる壮絶にいやな異音の正体が気になって仕方がなく、折角何かを期待して自分を見つめてくれている晴美を振り切って後ろを振り返る。


 すると、そこにはクラスメイトの女子生徒キットが、さっき自分が置いておいた弁当を勝手に食い散らかしている姿が。


 しかも、物凄く興味津々にこっちを見ている。


「・・なに、やってるの、キット?」


 つめた〜い声音で尋ねてみる士郎であったが、キットは全然堪えた様子もなく、士郎の弁当をばくばく食べて口一杯に食べ物を入れた状態で答えてくる。


「何って、昼飯食ってる。・・あ、こっちには構わず続けて。今から『ちゅ〜』するんでしょ? 見てるだけで邪魔しないから、続けて続けて。・・しかし、この弁当やたらうまいなあ・・なにこのチャーハン、うちのか〜ちゃんがどんだけ頑張ってもこれだけの味出せないよ。ギョーザもうま!! しかし、誰だろうね、こんなうまい中身の弁当ほったらかしにするなんてさ。食べ物を粗末にするなっての。ほんと、罰があたるぞ。あ〜、しかし、餃子もうまいね。・・ん? 士郎ちゃん、『ちゅ〜』続けて『ちゅ〜』。大丈夫、オレ様、クラスのメンバーにしかしゃべらないから。・・そっちの一年生の娘、醤油もってない? 持ってない、あ、そう」


 もぐもぐと口を動かしながらも器用にしゃべり続けるキットをしばらく見続けていた士郎であったが、次第にその額に青筋が浮かびあがってくる。


 そして、仮面のような笑顔を浮かび上がらせ、怒りの炎を宿らせた瞳でキットを見つめると、無言でキットの後頭部を全力ではたく。


 べしっという音共に弁当の中に顔を突っ込んだキットは、しばし弁当の枠がちょうど顔にフィットして抜けれなくなっていたが、しばらくじたばたともがいたあとガバッと顔をあげる。


「ぐべっ!! ぎゃ、ぎゃあ、弁当に顔突っ込んだ!! ぎょ、餃子が鼻に入った!!」


 盛大に喚き散らすキットの顔にはチャーハンのご飯粒があちこちについており、しかも両方の鼻の穴には餃子が一本ずつ詰まっている。


 士郎は無言でその餃子をすぽっと引き抜くと、鼻水と鼻く○のついたその餃子をさらにキットの口の中に押し込んで無理矢理口を閉ざさせる。


 すると、しばらくその餃子をもぐもぐと食べて飲みこんだあと、キットはきょとんとした表情で士郎に問い掛けるのだった。


「ねえ、士郎ちゃん、今の餃子、変わった味がしていたんだけど、あれ何餃子?」


「キットの『鼻水鼻く○つき餃子』」


「な〜んだ、そっかあ・・お、おえええええええええ・・な、なにするんだよ、士郎ちゃん!! 飲み込んじゃったよ!! オレ、鼻水と鼻○そ食べちゃったじゃないか!!」


「大丈夫、心配しないで、キット。だって、両方ともキットの身体の中のものだから。自分の身体の中にもどっていっただけだって」


「そっかあ、じゃあ、大丈夫だ・・って、そんなわけあるかああああああ!!」


 怒りで顔を真っ赤にしながら詰め寄ってくるキットに、士郎はポケットから醤油の入ったスポイトのような小さな入れ物を取り出すと、ふたを開けてにこやかにほほ笑み、それをキットのほうに向けた。


「わかったわかった、じゃあ、醤油あげるから、はいどうぞ」


「ありがとう・・ぎゃあああああああっ!! な、なんで目に醤油をさすの!? 目が!! 目が見えない〜〜〜〜!!」


 スポイト状の入れ物から飛び出した醤油は見事キットの目に直撃し、キットは目を押さえながらごろごろと芝生の上を転がって行く。


「ごめんごめん、わざとだから、許して」


「なるほど、わざとじゃあ、しょうがないね。わざとかあ、まいったな、こりゃ。・・って、ダメじゃん!! 悪意てんこもりじゃん!! 水道!! 水道はどこ〜〜〜!?」


 と、よろよろと眼を押さえながら去って行った。


 その後ろ姿を呆れ果てた表情で見送ったあと、士郎は振り返って心から申し訳なさそうな表情を浮かべ晴美のほうを見た。


「ごめんね、晴美。折角晴美が作ってくれたのに、あの『超特大馬鹿』キットのせいで台無しになっちゃった」


「え、あ、あはは・・お、おもしろい人ですね・・」


 口をあんぐりとあけて呆然と遠くに見えるキットの後ろ姿を見ていた晴美だったが、士郎の言葉にのろのろと視線をもどすとひきつった笑みを浮かべて見せる。


 そんな晴美に、士郎自身も苦笑を返し、しばし微妙な空気が流れるが、やがてどちらともなく噴き出してひとしきり笑いあうと再び心からの穏やかな笑みを浮かべて見つめあう。


 そして、その後、士郎はグラウンドのほうに視線を向けると、晴美にというよりも自分自身に向けるように呟く。


「う〜〜ん・・せっかくだから、僕、連夜さんと勝負してみようかな」


「え?」


「自分が選ぶよりも、まず『人』から選んでもらえる『人』になってみようかと思って。よくよく考えてみたら僕、『人』を選べるような偉そうな立場にないしね。だったら、まず胸をはって選んでもらえるような『人』になってみるよ。僕の中でそんな『人』の代表といえば連夜さんだからね。今までもそうだったけど、改めて連夜さんが目標だ。いろいろな『人』が連夜さんを求めて選ぼうとするけど、それは連夜さんがそれだけの『人』だからだと思う。だから、僕もそうあるように努力してみる。たとえば、僕のすぐ隣にいる『人』が選んでくれるような『人』になれるようにね」


 と、言って不意に顔を晴美のほうに顔を向けた士郎は、にかっと笑って見せる。


 すると、晴美は顔を真っ赤にしながらも一瞬ひどく幸せそうな顔をしたが、すぐにそれを引っ込めると珍しく『女』を思わせるような艶やかな笑みを浮かべて士郎を見返す。


「じゃあ、私はアンヌさんに負けないような『女』を目指します。私の隣にいる『人』の心がふらふらしたりしないくらい、いい『女』になってみせますから」


「ええっ!? は、晴美がいい『女』になるのは喜ばしいことなんだろうけど・・そ、それはそれで心配だなあ・・なんか、複雑だなあ・・」


「うふふ、心配で堪らないくらいの『女』になったら、地味な私でもモテル・・かもしれないですけど、やっぱりいいです」


 途中まで物凄く調子よく士郎にしゃべっていた晴美だったが、急に声を潜めなんともいえない悲しそうな表情を浮かべる。


 その視線はどこかを見つめていたようだが、すぐに士郎のほうに視線を戻し、優しく穏やかな笑顔で言葉を紡ぐのだった。


「やっぱり・・士郎さんの目だけ釘付けにできるようにします。今のところは、不特定多数の『人』は・・私には必要ないです」


「そ、そう? あの、晴美、なんかあった? 僕、何かしたかな?」


 晴美が自分に向けてくる真摯な視線が逆に気になって問い掛ける士郎であったが、晴美は黙って首を横に振ってなんでもないですと答える。


 そして、逆に士郎の手を取ると、昼休みの残った時間は士郎が園芸部で育てている草花が見たいといい出し、ずんずんと第二校舎の横にある学校菜園に向かって歩き出した。


「ちょ、ちょっと、晴美。・・あ〜、もうわかったってば。そんな引っ張らなくても行きますよ」


「士郎さん、早く早く」


 晴美に急かされて慌ててその隣にやってきた士郎は、苦笑しながらもその白くて小さい手を痛くないように、だけど離さないように握り直す。


 その様子を嬉しそうに見つめていた晴美は、もう一度士郎のほうへと視線を向ける。


「・・離しちゃダメですよ」


「そうだね・・やっぱり誰かには託せないかな」


「えへへ」


 そう言って二人は歩き始めたが、晴美は士郎が前を見ている隙にそっと後ろを振り返ってみる。


 そこにはたくさんの取り巻き達に囲まれて賑やかで華やかな雰囲気を振り撒く元生徒会長の少女の姿があった。


 地味で目立たず、なんの才能も持たない自分とは違い、華やかで美人で明るくて、勉強もスポーツもできる彼女の周りはいつも『人』で溢れていて、彼女がグラウンドに出てくると、途端に『人』が集まって来てそこだけ光り輝いているように見える。


 そんな彼女と比べられるのが嫌な晴美は、学校に来るといつのまにか彼女を避けるようになってしまっていた。


 一応一緒に同居してはいるものの、彼女とは時間帯が違うせいかこの一カ月ほとんど顔を合わせていない。


 別に彼女が自分に意地悪をしてくるというわけでは決してない。


 むしろ実の妹同然に接してくれるのだが、劣等感の塊である自分はどうしても彼女の側にいることができなかった。


 そして、今日も士郎が気がつくよりも先に、彼女がグラウンドに出てきたことに気がついた晴美は、彼女の姿を見せたくない一心で士郎を別の所に引っ張って行こうとしている。


(嫌な奴だな・・私・・)


 自分がやっていることが後ろ暗くて、ふにゃっと顔を曇らせる晴美だったが・・


「・・あそこは僕には眩しすぎるかな」


 その声に顔を上げて声がした隣に晴美が視線を向けると、いつのまにか振り返っていた士郎が、グラウンドに固まる『人』の群れの中心にいる知己の少女を見て苦笑気味に呟いた。


 そして、しばらく何とも言えない複雑な表情で少女とそこに広がる『人』の和を見つめていた士郎であったが、首を横に振って何かをふっ切ると、横できょとんと自分を見つめている晴美に視線を移す。


「誰かに必要とされるようにはなりたいけど、僕が目指しているものとはちょっと違うんだよね。少なくとも僕が目標としている連夜さんが『人』から必要とされている姿はあれじゃあないと思う。・・それに・・」


「それに?・・なんですか?」


 小首を傾げて聞いてくる晴美に、士郎は優しい笑顔を浮かべて見詰め返す。


「なんて言えばいいんだろう、僕はスカサハの横に立ちたいとは思っている、連夜さん以外で僕の背中を任せられるって思える『人』だから・・でも同時に心の底から負けたくないって思う『人』でもあるんだよね。う〜ん、なんなのかな、晴美やアンヌさんに対する気持ちとは全く違うんだな」


「それってライバルとか、親友とかって意味ですか?」


「う〜ん、そうなのかなあ。スカサハとは刃を交えてみたいとも思うし、でも轡も並べてみたいとも思うんだなあ。晴美のことは守りたい、側にいてほしいってはっきりそう思うんだけど・・なんなんだろうね」


 そういって晴美のほうに苦笑を浮かべてみせると、晴美は最後の自分の言葉を聞いてぱあっと表情を明るくする、その笑顔を見た士郎は今度は苦笑ではなく心からの笑みを浮かべてみせ、今度は自分が晴美の手を引っ張って自分が育てた草花のある学校菜園に向かおうとする。


「まあ、いいや、難しい話は終わり。行こ、早くしないと昼休みの時間終わっちゃうよ」


「はい!!」


 

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