Act 11 『異変』
日曜日の早朝、都市営地下鉄『サイドテール』駅から、少し北に歩いたところにある大きな市民公園である、フラワーバレー公園は北側の斜面側に高校のグラウンドよりも大きく広いグラウンドが、そして、南側には森の中を螺旋状に緩やかに駅へと向かう散策道と小さな子供向けの遊具場がある構成となっているが、その北側のグラウンドの西の端に、小さな休憩場のようになった広場が作られている。
そこのベンチに一組のカップルが仲良く座って念動販売機で買ってきた温かい東方ブレンド茶を飲みながら、早朝の公園の静かな光景を楽しんでいる。
一人はグレーのパーカーにフードを目深にかぶった人物で、表情は全く見えないがスタイルからはっきり男性とわかる。
もう一人は狐の耳に美しい金髪の霊狐族の女性で、黒いタンクトップの上に青いジージャンの上下を身に着けた非常にスタイル抜群の美女。
普段の日であれば、駅に続く道でもあるため、この時間であってもサラリーマンや学生の人通りの絶えない場所であるが、流石に日曜だけあってほとんど人通りはない。
グラウンドのほうに目を向ければ、何人かの小学生達が武術の鍛練をしている姿が見えていたり、年配の方々がウォーキングしている姿が見えてしたりしている。
こちらに目を向けると、ちょうど住宅街のほうからやってきたカップルが・・いや、多分カップルと思われるエルフ族の男性と魔族の少年が仲良く腕を組んで歩いて行く姿が見えた。
別に聞こうと思って聞いていたわけではないが、楽しげに話をする二人の会話が嫌でも聞こえてきて、「・・ごめん、ちょっと激しすぎた?痛くないかい?」とか・・「ううん、いいの。でも、ちゃんと満足できた? まだ残ってるんじゃない? 今からでももどってする?」とか・・「ううん、それは今度の楽しみに取っておくから、あまり無理しちゃだめだよ。」とか・・「無理はしてないから・・だって、あなたのことが・・」とか・・、いや、これが男女の会話だったらまだ、『あ〜、初々しいなあ』、みたいな感じで聞くことができたのだろうけど、男同志のいちゃいちゃを見せつけられても非常に複雑な気分になるというか、いったいどういう会話の内容なんだそれはとか、考えたくないことまで考えてしまいそうで、だらだらと冷や汗を流しながらも姿が見えなくなるまでついつい見送ってしまった二人であった。
意味もなく喉がからからになってしまった二人は一気にお茶を飲み干したのであるが、足りない気がしてもう一度販売機に買いに行くことに。
グレーのパーカーの男性が先に立って買いに行こうとすると、霊狐族の女性がすぐに後に続き、短いやりとりのあと結局仲良く一緒に買いに行くことに。
グラウンドと広場のちょうど中間地点にある公衆トイレから、ほんの三メートルほど離れた場所にその販売機はあるのだが、二人がそこにいってみると先客がいて、お金を入れはしたものの、何を買うのか迷っているようだった。
その人物は黒いスウェットスーツの上下に首にはタオルを巻いた明らかにジョギングが何かのトレーニングの為の姿をしており、すでにその顔にいくつかの汗の玉が見えることから運動をした後であるようだった。
販売機の前で二人に気がつかず、延々と迷い続けるそのトレーニング姿の黒髪に黒眼、十七歳の地妖族の少女を見つめていたグレーのパーカーの人物は、呆れたような口調で話しかける。
「ねぇ、どうせ君のことだからさ、それだけ迷っても最後には『やっぱりいつも通り、『ごくうま紅玉アップルジュース』にしよう!!』って言うんでしょ? 早く押してよ。君が押さないんだったら僕が押すけど。」
その聞きなれた声に、少女は振り向きもせずにイライラと答え返す。
「も、もう、うるさいなあ、私だってたまには別のを飲もうかなあなんていう時もあるのよ!! もうちょっと考えたらきっと迷いが晴れるはず!!」
「いっつもいっつもそう言っては、結局、考え変えないじゃない。わかった、じゃあ、レンの迷いを晴らすために、ここは一つ『こってりあつあつお汁粉ジュース』にしよう。」
「ちょ、や、やめてよ、ボロくん!! なんで、いっつもそういうわけわからないジュースを私に飲ませようとするのよ!!」
流石の黒髪の少女、レンも、グレーのパーカーの少年の行動に気が付いて慌てて止めにかかるが、グレーのパーカーの人物は表情こそ見えなかったものの、さも心外だといわんばかりの口調で言い返す。
「だって、気になるじゃない、こういうあんまり出回ってないジュースみると、どんな味してるのかなあって・・」
「自分で買って飲みなさいよ!! もう!! いっつもそうなんだから!! 『にがさ爆発ゴーヤジュース』とか、『げきくさドリアンジュース』とか、あと『100倍濃縮緑黄色野菜ジュース糖分ゼロ』とか!! 飲まなきゃいけない私の身にもなってよね!!」
「レンって記憶力いいなあ、そんな昔のことよく覚えているね・・あの頃は僕も若かったなあ・・」
「今でもボロくん若いでしょ!! もう、とにかく勝手に押したらダメなんだからね!!」
と、グレーのパーカーの人物を押し戻して販売機に近寄らせようとしないにして、再び腕組みをして何を買うか悩み始める。
「ほんとにボロくんは勝手なんだから・・いっつもいっつも私の気持ちなんか考えないで・・ん? あれ?」
何か違う、何か違和感がある、そう思ってレンが振り返ってみると、そこには自分がよく知るグレーのパーカーにフードを目深にかぶった少年の姿と、どこかで見たことがある霊狐族の女性が自分を見つめている姿がある。
既視感を感じる、遠い昔にこれと同じ光景を自分は見ていた。
あれはいつの頃の話だったろうか?
「どうしたの、レン? 買わないの?」
強烈な勢いで胸の内に湧き上がってくる何かと葛藤しているレンに気が付いていないのか、グレーのパーカーの少年が小首をかしげて聞いてくる。
「え、いや・・買うけど・・あの、ボロくんだよね?」
「そうだよ。なんで? わかってて返事してたんじゃないの?」
「あ、い、いや、その・・ちょっと待って・・気持ちが整理・・できない・・」
そう言って両手で口元を押さえたレンの両目にみるみる涙がたまっていく。
その様子を黙って見ていたボロと呼ばれた少年は、バツが悪そうにポリポリと頭をかいてみせると、片手ですっとレンに差し出してみせる。
「あ〜、改めて久しぶりというべきかな。いや、僕からしたら全然久しぶりでもなんでもないんだけど、この前あったばかりだし。でも君からしたらこの姿では久しぶりなんだろうね、レン。」
「え、は? この前会ったばかりって・・」
わけがわからないままではあったが、旧知の少年が差し出した手を思わず掴んで握り返すレン。
そのレンの様子をしばらく見つめていたボロは、少し振り返って霊狐族の女性のほうを見る。
すると、その女性は困ったような表情を浮かべて少年を見返し、口を開いた。
「旦那様ったら、ほんとに悪趣味なんだから。いくらなんでもやりすぎです。レンちゃん泣きそうじゃないですか。早く事情を説明してあげてくださいね。」
「あ〜、うん、そうですね・・奥さんに怒られちゃった。ごめんね、レン。」
二人のやりとりをボケっと見つめていたレンだったが、二人がお互いを呼び合う言葉を耳にして、大きく眼を見開く。
「え、だ、旦那様に、奥さんって・・ボロくんって結婚してるの!?」
「いや、籍はまだ入れてない。一応来年の僕の誕生日に籍を入れて式を挙げるつもりなんだけどね。いまは婚約だけで事実婚みたいなもんかな・・っていう、説明でいいですか、奥さん?」
「そうねえ、ここの都市の条例だと旦那様が十八歳にならないと籍を入れられないから。まあ、書類上で正式な妻ですって言えないのは業腹だけど、しょうがないわね。」
「ということなんだ。」
あっさりと事実を認める二人を呆気に見つめるレンであったが、なんだか拍子ぬけしたような表情を浮かべる。
「そっかあ・・そうだったんだ。」
何かが始まる前に、その随分手前で終わりを告げられたような・・そんな複雑な気持ちを持て余して何を話せばいいのかまだ混乱しているレン。
しかし、穏やかな表情でこっちを見つめている霊狐族の女性を見ていてハッと何かに気づき、おずおずと問い掛けてみる。
「あ、あの、間違っていたらごめんなさい・・ひょっとしてお姉さんは・・あの、『イワゴリラ』とかをぶっとばしていた・・」
「『イワゴリラ』?・・あ〜、あのいじめっこのことかあ、そうそう。よく覚えていたわね。」
「たしか・・『きさらぎ たまも』さんでしたっけ?」
「そうそう、まあ、一年後には『宿難 玉藻』になるから、如月の苗字は忘れちゃってもいいわよ。」
いたずらっぽく笑って見せる玉藻の表情をしばし見つめていたレンは、この三人が最後に顔を合わせたあのときのことを鮮やかに思い出していた。
この公園の一角で交わされたグレーのパーカーの少年と、霊狐族の少女との間のある約束をレンは間近で見ていてそれを覚えていた。
「じゃ、じゃあ、やっぱりあのときのボロくんのプロポーズを・・」
「う、う〜ん、それはちょっと違うんだけど・・結果的にはそうなっちゃったかな。」
「ぷ・・」
「ちょ、旦那様!! 笑わないの!!」
レンの問い掛けになんとも言えない苦笑を浮かべる玉藻だったが、その玉藻の言葉を聞いた少年が噴き出してしまい、玉藻は真っ赤になってその少年の背中をぽかぽかと叩く。
その二人の仲の良い姿を見ていたレンは、二人が本当に夫婦なのだと実感させられることになり、なんだかもやもやしていた心の中がなんとなく落ち着いて行く気がしていた。
何か大切なものが本当の意味で想い出に変わって行き、素直にというわけではないが、二人の姿を受け止められる気持ちになっている自分がいる。
レンは一つ大きく溜息を吐きだすと、苦笑を浮かべながら二人に視線を向ける。
「それで、ボロくん達はその結婚報告をしに私に会いに来たわけ?」
「うん、まあ、それもあるんだけどさ、とりあえず、レン。もう一つあるんだよね。言わなきゃいけないことが。」
「・・うん、何? まだあるの?」
「ある。」
そう言ってボロは自分の被ってるフードを掴むと、一気に後ろにおろして素顔を見せる。
レンはもう何を言われても驚かないだろうなあと思っていたが、ボロの素顔をいきなり見せられて結婚の事実よりもはるかに驚くことになった。
「な、なに? なんなの? これ、どういうこと? す、宿難くん? なんで? いったいなんの冗談なのよ!!」
激しく混乱して絶叫するレンに、素顔を現したボロ・・いや、宿難 連夜は、後ろに立つ玉藻と真剣な表情で顔を見合わせると、大きく一つ頷き合いもう一度レンのほうに向ける。
「落ち着いてレン。何もかも話すから、とりあえず、あっちの広場に移動しよう。立ち話で済ませるにはかなり長くなる話しなんだ。きっと、今の君は、小学校三年生まで一緒に過ごしたボロとしての僕、小学校四年生から六年生まで一緒に過ごした宿難の姓を持つ少年、四腕黒色熊と一緒に戦った僕、そして、高校で再び一緒に過ごすことになった宿難 連夜が頭の中で一致しなくて混乱しているんだと思う。それについてもきちんと全て話すよ。そして、その話を聞いてからでいいから、僕に力を貸してほしいんだ。」
真摯な表情と視線で語りかけてくる連夜のことをじっと見つめ返していたレンであったが、その彼が纏う雰囲気は紛れもなく彼女がよく知る幼き日自分をかばってくれた『ボロくん』のものであることを再確認すると、溜息を一つ吐き出してなんともいえない厳しい表情を浮かべて頷いた。
「わかった、聞くわ。全部話してちょうだい。あなたには借りが山ほどあるから力も貸す。それでいい?」
「助かるよ。・・じゃあ、『こってりあつあつお汁粉ジュース』押すよ。」
「「それはもういい!!」」
さりげなく販売機の『こってりあつあつお汁粉ジュース』を押そうとしていた連夜は、レンと玉藻の二人からツッコミを入れられて心底悲しそうな表情で振り返るのだった。
Act 11 『異変』
何年ぶりであろうか、蒼樹は今、彼の今はいない大切な想い人だった人の弟と共に並び街の中を歩いていた。
彼女がこの世からいなくなった日、彼女の弟はその悲しみに耐えきれず絶叫しながら『FEDA』の研究室を脱走し、自分はその後間もなく父親と双子の姉と共にこの『嶺斬泊』の中央庁に保護されたわけだが・・
あれから自分はずっとこの弟のことを探し続けた、非常に目立つ姿の弟を探し出すことはそれほど困難なことではないと思っていたが、その浅はかな考えをあざ笑うかのようにその消息は一向につかめず、蒼樹はもう彼はこの世にはいないのかもしれないとまで思っていたのだ。
それなのに、この弟はあっさりと自分の目の前に姿を現した。
それも自分達家族を助けてくれた大恩人のすぐ側にずっといたというのだ。
まさか同じ恩人に助けられ、その側にいたとは。
城砦都市『嶺斬泊』最大の繁華街である『サードテンプル』の中にある、都市最大の商店街『サードテンプル中央街』のアーケード下の大通り、休日の人ごみでごった返す中を、器用にひょいひょいとそれをかき分けながら進む二人。
隣を歩く人物よりもほんの少しだけ高い蒼樹は、そうやって進みながらも顔を横に立つ人物に向けてすねたような口調で話しかけた。
「もう〜、連夜義兄者のとこにいるならいるっていってくれればよかったのに・・僕、本当に心配したんだよ。」
その言葉に、ツギハギだらけの顔にバツが悪そうな表情を浮かべたその人物は困ったように口を開く。
「いや、連夜さんから蒼樹さんや紗羅さん、それに凱さんのことは聞いてはいたんです。でも、やっぱりなかなか心の整理がつかなくて・・」
「でも、君が無事で本当によかった。これで百合に悲しい報告をしなくて済む・・士郎が死んだなんて、百合に言うのはいやだもん。」
「蒼樹さん・・やっぱりいまでも・・」
隣を歩きながら自分を見つめてくる蒼樹の瞳の中に、今でも自分の大好きだった姉が住んでいることを見てとった士郎はなんとも言えない悲しい表情を浮かべて見返す。
しかし、蒼樹の気持ちが痛いほどわかるだけに、なんとも言葉が見つからずに目を反らした士郎は別のことを口にする。
「もう・・七年になりますか・・」
「そうだね・・なんだかあっというまの七年だったよ・・今でも百合が後ろから声をかけてくるんじゃないかって錯覚することが度々ある、『そうくん、実はあたし死んでいなかったんだあ、びっくりした?』ってさ。そんなことあるわけないのに。」
「蒼樹さん・・」
自分も傷ついた、あの明るくて優しかった姉がこの世を去ったとき、いや、あの研究室の連中の手にかけられて殺されてしまったとき、自分の心が死んでしまったことを感じていた。
それから何年も死に場所を探して彷徨い歩いた、その間に非業の死を遂げた姉のことを想って泣きもしたし、秘密結社『FEDA』に復讐してやろうとも思った。
しかし、宿難 連夜という姉と同じ匂いと魂を持つ人に助けられ、今、自分は再び心を取り戻し、心安らかな日々を送ることができるようになったのだ。
だが、隣に立つ人物は違う。
未だにその心の傷から血を流したまま無理をしながら前を進み続けている。
死者の魂はそんなこと望んではいないはずなのに、それこそが鎮魂の聖なる儀式であるかのように痛々しい姿でひたすら進み続けている。
なぜこうなってしまったのか・・
自分達姉弟と、この蒼樹達姉弟が過ごしたあの秘密結社『FEDA』の研究室での思い出がよみがえる。
秘密結社『FEDA』で行われていた非合法の人体実験は、基本的に『人造勇神』という超人兵器を生み出す目的のみに絞られていたが、その方法は大きくわけて二つあった、
一つは優秀な身体能力を持つ人間の身体を改造し、様々な薬品や異界の力で人間を超える、いや全ての『人』類の種族を超えるものを生み出すというもの。
もう一つは、異界の力全盛期に生み出された『人造勇者』、あるいは自然発生によって生まれてきた『勇者』の精子、あるいは卵子を、優れた他種族のものと掛け合わせて受精させ、人工的に自然発生の『勇者』を生み出すというもの。
蒼樹、紗羅、士郎、そして、士郎の姉である百合はこうして生み出された人工発生の『勇者』であった。
そういう境遇であったため、四人は特に仲がよく、特に蒼樹と百合は幼いながらも心を通い合わせ、いつも一緒にいるような間柄になっていった。
『勇者』としての能力の片鱗を確認された、蒼樹、紗羅、百合の三人は、この後、六歳になるや『害獣』との実戦での実験を余儀なくされるようになり、凄まじい訓練を施されて子供ながらも『勇者』としての力を磨いていった。
蒼樹、紗羅は、『人造勇者』宿難 凱の精子が使われていることがわかっているが、士郎、百合に関しては二人の父親が同じ人物であるという以外のことは結局わからず終いで士郎も百合も自分の父親が誰なのか知らないままなのであるが、凄まじい力の持ち主であったことだけはわかっていた。
なぜなら、生まれながらにして百合はとてつもない超人としての能力をもっており、六歳の時点ですでに『兵士』クラスの『害獣』と渡り合うだけの力を備え付けていたからである。
当初、研究所員達の方針としては百合の能力をどんどん飛躍させることに向いていたのだが、百合の体内に貯め込まれた勇者としてのエネルギーを他の『人造勇者』に分け与えることで、その者の能力を大幅にアップさせることがわかると、研究の内容はそちらにどんどん変わっていってしまった。
なぜそんなことがわかったかというと、皮肉なことであるのだが、それは士郎のせいであった。
百合とは逆に、弱い身体を持って生まれてきた士郎は、『勇者』とは真逆にちょっとした病気でも寝込んで動けなくなるほどで、研究者達からは処分の対象とされていたのだが、自らの弟を守ろうとした百合が、その体内のエネルギーを士郎に分け与えたところ、士郎の身体はみるみる内に健康体へと変化した。
そればかりではない、他種族の身体の一部を移植するとその能力までも自分の力として士郎は吸収できるようになっていた。
そして、このことが悪魔の研究に手を染める引き金となってしまう。
他種族の能力を吸収できるというのならば、ひょっとすると『害獣』の能力も吸収できるのではないか?
そう考える科学者が現れるのに時間はかからなかった。
百合のエネルギーを移植された『人造勇者』や士郎の身体で実験は繰り返され、そして、ついに悪魔の産物ともいうべき『害獣』の能力を持つ勇者、『人造勇神』が完成してしまう。
そして、そのことによりエネルギーを供給しすぎた百合は息絶えることになってしまった。
百合は研究室の中で生まれた子供達全員にとっての姉であった。
研究対象として処分されようとする他の子供達をかばっていつも無茶ばかりしていた百合。
勿論士郎とて例外ではない、いつも彼女に庇われていた彼が、彼女のことを想っていなかったわけがない。
彼女の死の理由を悟った士郎は、その感情と秘めたる力を爆発させた。
『勇者』として覚醒した彼は研究室の大半を吹き飛ばし、秘密結社『FEDA』の秘密基地から逃走、このときに、調整途中であった『人造勇神』十体も逃げ出すことになってしまったわけだが・・
ともかく、こうして士郎は、蒼樹の前から姿を消してしまった。
愛する少女と、その少女の弟の両方を一度に失うことになった蒼樹の傷心はいかばかりのものであったか。
そのときの士郎には、想像することもできなかったし、今でもその心の傷の深さを想像することは難しい。
ただ、当時と違い、蒼樹が傷ついているとわかるようになったということに関していえば、自分は成長したといえるのかもしれなかった。
そんな悲しい成長の仕方を実感したくはなかったが・・
士郎は、頭を一つ振ってその考えを振り払うと、殊更に明るい表情を作ってみせる。
「それにしても、今日はありがとうございます。まさか、蒼樹さんに手伝ってもらえるとは思っていませんでしたよ。」
「まあ、連夜義兄者ほどじゃないけど、一応僕も料理できるからね。どう、女の子二人も増えると家の中が華やかになったんじゃない?」
そういたずらっぽく笑って自分を見つめてくる蒼樹に、士郎は疲れたような表情を浮かべて見せる。
「大変なんですよ、毎日。お風呂入ったりするのも、トイレ使うのも気を使うし・・」
そう言うと、はああ〜と盛大に溜息を吐きだす士郎。
実は今、士郎はスカサハ、晴美と共に生活しているのだった。
いや、そうはいっても三人だけではない、士郎がお世話になっている養蜂家のある人物の家にスカサハと晴美が三カ月だけ同居することになったのだ。
この養蜂家の人物、名前をタスク・セイバーファングという。
彼の父親はカワラザキ重工業で、刀匠達の親方をやっているギムロード・セイバーファングなのだが、父親に反旗を翻し何を思ったのか養蜂家になってしまう。
頑固一徹のところと人情家であるところは父親そっくりなのであるが、ともかく現在士郎の後見人になっていて、実は連夜の数多くいる師匠のうちの一人でもある。
連夜とその父親が『嶺斬泊』を離れることになり、宿難家に家事ができるものがいなくなってしまったため、スカサハと晴美は急遽セイバーファング家にお世話になることになったのである。
セイバーファング家は大きな屋敷であるにも関わらず、家の主であるタスクと、その同居人で恋人である(タスクは認めていないが)黒豹獣人の女性バステト、それに士郎の三人だけしか住んでおらず、部屋もいっぱいあるため構わないとバステトが二つ返事で(勿論タスクの了承は得ていない)引き受けてくれた。
実はバステトとしては女の子二人も来るからには、家事をやってもらえるという下心があったわけであるが、勿論スカサハは全くできるわけがなく、晴美はスカサハに比べればはるかにましとはいえまだまだ未熟。
結局バステトが全部やらなければならなくなり、その落胆ぶりがあまりにもかわいそうであったため、土日くらいは僕がやりますよと士郎が引き受けたのである。
で、昨日の土曜日は士郎が一人で家事全般をやったわけであるが、それの話を聞きつけた蒼樹が僕も手伝おうと今日やってきてくれたという次第なのである。
いったい蒼樹がどこからこの話を聞きつけたかというと、情報の発信源はロムであった。
ロムは自分が進む道を現在探している最中であるのだが、その自分探しの途中でこの養蜂家のところにも訪れていた。
で、その際にこの養蜂家と意気投合したわけであるが、珍しくこの養蜂の仕事に興味をもったロムはここのところずっとこの養蜂家の仕事場に足を運んでいるらしくずっとその仕事を手伝っているらしい。
そのときに、タスクがポロリとバステトの落胆の様子を話したようで、それがロムからリンへ、リンから紗羅へ、そして、紗羅から蒼樹に伝わったというわけである。
それで、その話を聞いた蒼樹は他でもない士郎の為にと、セイバーファング家にやってきて一通りの家事をすませ、晩御飯に得意の『シャンファ料理』を振舞うために食材を買いにやってきたというわけなのである。
士郎、蒼樹ともに連夜の薫陶を受けているだけあって、男といえども家事全般をそこそこできるように教え込まれている。
全般的に押し並べてどれも同じくらいできる二人であるが、士郎は裁縫が、蒼樹は料理が(『シャンファ料理』だけだが)特に得意だった。
まあ、そういうわけで蒼樹が今日の晩御飯を作ることになったわけだが、折角作るのだから多少凝ったものを作りたいと蒼樹が言いだし、ちょうどスカサハと晴美の構って頂戴攻撃から逃げ出したかった士郎が乗っかる形で二人で買い出しに行くことが決まり、ここにやってきたというわけなのである。
勿論、食材だけなら近所のスーパーで十分間に合うのであったが、蒼樹が使いたい『シャンファ料理』独特の調味料が売っていないため、『サードテンプル』までやってきたのである。
「ごめんね、士郎。こんなところまで付き合わせちゃってさ。」
「いえいえ、僕もあまりここには来たことなかったので、結構楽しいです。」
流石に遠出しすぎたかなと思った蒼樹が横にいる士郎に済まなさそうに謝ると、士郎は慌てて手を振ってそれをやめさせる。
そんな士郎の陰りのない笑顔を眩しそうに見つめていた蒼樹は、なんとなく思っていたことを口にしてみた。
「士郎は・・今、好きな人いるの?」
「えっ!? な、な、なんですか、いきなり!!」
「いや、もしそうなんだったら、今度百合の墓参りに行った時に、一緒に報告しようかなって思ったんだけど・・やっぱりいるんだ。あの二人のうちのどちらか?」
「ち、ちが、違います!! いや、違わないかもしれませんけど、その何と言ったらいいか・・そもそも、僕、好きとか嫌いとかよくわかりませんし・・女性を好きになるってどういう感じなんですかねえ・・」
物凄く慌てる士郎の様子で多分、気になる異性がいるんだろうなということはわかったのだが、困惑している士郎の様子からどうやらわからないというのはウソではなく本心のようだ。
「気になって目を離せないこととかない? 自然と目で追いかけてしまうような・・」
「え・・そ、それは・・」
「やっぱりあるんだ? どんなところを追いかけてしまうの?」
「どんなって・・あったかくて、柔らかくて、とてもいい匂いがするところ・・って、僕のことはどうでもいいんです!! そういう蒼樹さんはどうなんですか?」
「僕? 僕がモテルわけないでしょ。僕を連夜義兄者と勘違いして好意を寄せてくれた女の子ならいたけどね・・それももうバレちゃったし。」
「あ・・す、すいません・・無神経なこと言いました・・」
照れ隠しで口走ってしまったことが、今の蒼樹に言うべきことではなかったことに気が付いて、物凄く後悔した表情を浮かべる士郎。
そんな士郎に苦笑を浮かべて蒼樹は首を横に振ってみせる。
「いいってば。君だって知ってるでしょ? 僕が本当に好きなのが誰か。」
「でも、それは・・」
「いいんだ。僕はずっと彼女と一緒に生きていく。そう決めたから。」
そんなこと絶対姉は望んでいない!! そう言いたかった士郎だったが、あまりにも寂しげに笑う蒼樹の顔を見つめていると何も言えなくなってしまって、ただ深く大きく溜息を吐きだすのだった。
蒼樹は士郎が飲みこんでしまった言葉をいやというほど理解していたが、気がつかない振りをすると別のことを口にした。
「じゃあ、ちょっと調味料買ってくるから、三十分後にここに集合しよう。士郎は、頼んでおいた豚肉買ってきてね。」
「わかりました、じゃあ、またあとで。」
そう言って蒼樹は『サードテンプル中央街』でも特に大きな調味料専門店の中へと消えていき、士郎は蒼樹指定の豚肉を買うために近くの百貨店『S−王号』地下にある肉専門店に向かったのであるが・・
三十分後、豚肉を買って待ち合わせの場所に辿り着いた士郎だったが、そこに蒼樹の姿はなかった。
まだ探しているのかなとさらに三十分待ってみたが蒼樹が来ない。
携帯念話で蒼樹が持っている携帯のルーン文字にかけてみるが、念源を切っているのかいくらかけてもおなじみの、『おかけになったルーン文字は現在・・』というメッセージが返ってくるだけ。
先に帰ったのかと思って携帯念話でセイバーファング家にかけてみるが、帰っていないというし、まさか、自宅に帰ったのかと思った蒼樹の自宅にもかけてみるが、念話口にでた紗羅は帰ってないという。
流石の士郎もこれが普通の事態ではないと考え、とりあえず蒼樹が消えた店の中へと向かう。
そして、何人かいる店員を捕まえて蒼樹らしき人物を見かけなかったとダメ元で聞き込みをしてみると、なんとすぐにその目撃情報が。
人間の少年が、店内で天魔族の物凄い美女と話をしているのを見たというのだ。
そして、やがて少年と美女は裏口から消えていったというのだが・・
士郎は、最初自分達がいま関わっている『人造勇神』を蒼樹が見つけて追いかけていったのではないかと思っていたのだが、まさか天魔族の女性とは。
いったいそれが蒼樹とどういう関係があるのかわからないが、とりあえず士郎は、頼りになる龍族の作戦実行リーダーへ携帯をかける。
「詩織さんですか? 士郎です。実は蒼樹さんが・・」
この日、ついに蒼樹は帰ってはこなかった。