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Act 7 『偽りの笑顔』


なんでこんなことになってしまったのか。


夕日はすでに落ち、夜の闇が支配する家の近くの公園のブランコに座り、キコキコとそれをこぎながら姫子は深い溜息を一つ吐き出した。


もう四日・・もう四日も姫子は蒼樹と話をしていなかった。


幼馴染と全く同じ顔をした別の人間、ある目的のために幼馴染の振りをして学校に通うその少年のことを、姫子は決して嫌っているわけではなかった。


確かに黙って幼馴染の振りをされていたことに関しては多少思うところはあったが、事情が事情だけにやむを得ないことであったこともわかっているし、またそれを本人が望んでそうしているわけではないこともわかっている。


それに危ない所を助けてくれたことに関しても感謝しているし、それに・・


姫子はあの蒼樹という少年のことが非常に気にかかっていた。


彼女の長年の幼馴染である宿難 連夜という少年は、脆弱な身体の持ち主ではあったが、それとは裏腹に鋼のように強固な意志の持ち主で外見と違って非常に頼りになる人物であった。


しかし、蒼樹という少年は凄まじい剣術と体術の使い手であり、激しい炎のような気性ではあったが、同時に何かの拍子にその炎は消えてしまうのではないかと思わせる危うく脆いところが見え隠れしていた。


今日も明日も大事に生きようという意思が見えてはいるものの、その挟間挟間でまるで生き急いでいるかのような節が感じられるときもある。


いつも泰然自若としていて安心して側にいることができる連夜と逆に、蒼樹はいつも見ていないと油断した隙に消えてしまうような感じがするのだ。


そんな蒼樹を見ているとイライラして、わけもわからず傷つけるようなことを口走ってしまう。


決してそんなことを言いたいわけではないのに、ここ四日ばかり姫子は蒼樹に対してそんな態度を取り続けてしまっていた。


「最低だ・・ほんと最低だよ、私・・」


落ち込みすぎて涙も出ない状態で俯いてキコキコと無意味にブランコを漕ぐ。


もうどうしたらいいかわからない。


あれほど自分との仲を改善しようと話しかけてくれていた蒼樹も、とうとう四日目の今日に至っては諦めてしまったのか、話しかけてくることはなかった。


事態は絶望的だった、明らかにもう修復するのが困難な溝が二人の間に出来上がってしまっているように思えた。


このまま蒼樹と絶縁したまま三カ月を過ごすことになるのだろうか?


蒼樹の言葉を信じるのであれば、三カ月後には本物の連夜がもどってくる。


そうなったら当然連夜はクラスに復帰することになるだろうが、そのあと蒼樹はどうするのだろうか?


クラスのみんなを騙していることになるわけだから、そのままクラスに留まるのは相当に勇気がいるはずだ。


下手をするとそのまま連夜と交代で高校を去ってしまうのかもしれない。


そんなことになってしまったら、きっともう蒼樹との間にできてしまった溝が埋められることは一生ないであろう。


「いやだ・・そんなのはいやだよう・・」


仲直りをして、改めて連夜ではなく蒼樹として友達になり、宿難 連夜ではなく、宿難 蒼樹として心から笑っている蒼樹の笑顔が見てみたかった。


あんな悲しい気持ちで作られた笑顔を見続けることは姫子には耐えられないのだ。


なんとかしたい、でも、なんともならない。


「どうしたらいいんだろ・・誰か教えて・・」


「決まっていますわ、お姉さま、龍族の館にもどってもう一度『乙姫』を継げばいいのです。」


「はあ?」


突然かけられたわけのわからない言葉に、姫子がのろのろと顔をあげると、そこには自分がよく知る三人の人物が立っていた。


その内の二人はつい最近まで自分と一緒に行動を共にしていた幼馴染だった。


「お久しぶりです、姫様。お会いしたかったですよ!!」


「なんか、元気ないなあ、姫様。でも、ほんまに会えてよかった、うれしいわ!!」


元姫子の世話役である水池 はるかは、以前よりもちょっと太った身体に、護衛役である東雲 ミナホは若干やせてしまった身体にそれぞれ、転校先であるエルム女学園の制服であるセーラー服を身に着けてこちらを見つめて立っている。


その二人を胡乱な表情で見つめていた姫子だったが、ふぅ〜っとアンニュイな溜息をついて視線をそらす。


「・・なんだ、はるかとミナホか。」


「「リアクションうすっ!!」」


久しぶりに会った元主の姿に、歓喜の表情を浮かべるはるかとミナホだったが、その二人を見た姫子は物凄くどうでもいいという表情を作って見せ、二人を落胆させるのだった。


「ちょ、姫様、その態度はあんまりじゃないですか!?」


「そうやそうや!! わたしらほんまに寂しかったのに、なに、そのどうでもいい感は!?」


「あ〜、そう、じゃあ、ワタシモアエテウレシイヨ。」


「「棒読みじゃん!!」」


あまりに姫子がどうでもよさげな態度を取るので、とうとうしくしく泣きだしてしまう二人。


そんな二人を呆れた様子で眺めていたもう一人の人物は、気を取り直したように表情を改めると、ブランコに乗ったままの姫子の前に一歩進み出る。


「改めてお久しぶりですわね、姫子お姉さま。」


「・・瑞姫か。」


姫子とよく似た顔の美少女だが、漆黒の髪の姫子に比べその髪は深い碧い色をしており、姫子のそれよりも長く腰のあたりまで伸びている。


身長は姫子と同じくらいで、またスタイルもまた姫子とよく似ていて抜群であるが、若干姫子よりはボリュームがなく、その分すっきりしている感じがする。


ともかく細かいところにいろいろと差はあるものの、間違いなくかなりレベルの高い美少女であった。


龍乃宮(りゅうのみや) 瑞姫(みずき)



姫子の三カ月遅れで生まれてきた腹違いの妹で、彼女もまた紛れもない龍族の王家の一員である。


龍族の中で、王を補佐する地位にあたる『乙姫』をいずれ継承するはずであった姫子が、それを辞退して降りてしまったため、繰り上げられて現在次代の『乙姫』に任命されているのがこの瑞姫である。


このセーラー服姿の少女は姫子と違い、本当に生まれながらのエリートであり、生れながらのお姫様で、姫子のように無理して高貴な存在となっているわけではない。


姫子からすれば、最初から彼女が『乙姫』になるべきだったと思っているのだが・・


「私に何の用? もう、私は本家とは縁を切っていることになってるはずだけど。」


正直、蒼樹のことで頭がいっぱいでそれどころではない姫子からしたら、あまり相手をしていたくなかったのだが、目の前の人物はそうではないらしく、物凄く顔をしかめてこちらを見つめ口を開いて言葉を紡ぐ。


「そのことですが、縁を切ったことを撤回してくださいまし、お姉さま。どう考えても『乙姫』はお姉さまのほうが適任ですわ。私のようになんの才能もないものがお姉さまを差し置いて『乙姫』を継ぐなど、到底許されることではございません。」


物凄く熱っぽく語る腹違いの妹だったが、その言葉に何の感銘も受けなかった姫子は、むしろ煩わしげに首を横に振る。


「もうお願いだから私のことは放っておいてちょうだい。『乙姫』には何の未練もないし、龍族の為に自分を殺して優等生を演じて生きることにも疲れてしまったわ。それに『乙姫』はあなたが継いだほうがよっぽどあってると思うしね。あなたは私と違って上流階級で自然と生きることができるでしょう、でも、私は違う。私には今の生活があってる、だから、私のことはそっとしておいてちょうだい。」


そう言って姫子はブランコから立ち上がると、三人の横を通り抜けてまた一人になれる場所を探しに行こうとする。


その姫子の姿を見て溜息をついた瑞姫は、公園の周囲に向けて片手を上げて何かの合図を送ってみせる。


すると、その合図に応じて姫子を取り囲むように、黒服の男達がわらわらと姿を現すのだった。


「なんの真似かしら、瑞姫?」


ただでさえ気が滅入っているところにこんな真似をされた姫子は、みるみる怒気を露にして自分の腹違いの妹のほうを見る。


だが、瑞姫は済まなさそうな表情を浮かべながらもその怒りの視線を真っ向から受けるのだった。


「ごめんなさい、お姉さま。でも、こうでもしないとお姉さまを連れ戻すことができないと思っていました。少々手荒になってしまいますが、どうかご容赦ください。」


「ふざけるなよ、瑞姫・・こんな真似をしても人の心は変わらないんだぞ・・」


「いいえ、変えてみせますわ。本家に戻っていただいて正面からもう一度話し合えばお姉さまもきっとわかってくれると信じております。」


「あなたには一生わからないと思うわ・・私の気持ちは・・」


「お姉さま・・とりあえず、そのお気持ちについては本家でお聞きします・・皆さん、お姉さまを丁重にお連れしてください。」


その瑞姫の言葉に、黒服達が一斉に姫子に飛びかかっていく。


姫子は腰を低く構えて、黒服達の攻撃を迎撃していく、あまりにも理不尽な行動にかなり怒っていたので、手加減はほとんどしない。


当たるを幸いに、その凶悪な拳を黒服達に叩きつけていく。


だが、その拳は何人かの黒服にダメージを与えはしたものの、次第に姫子の攻撃は捌かれて徐々に追い込まれていく。


明らかにこの黒服達は武術の手練れが集められているようだった。


「くそっ!!」


一対一ならともかく、これだけの人数で押し込まれては流石の姫子もどうすることもできない、やがて、姫子の逃げ場はふさがれて、もう捕らえられるのは時間の問題であった。


捕まったとしても傷つけられたり殺されたりするわけではない、もし連れて行かれたとしても今の姫子には中央庁に勤めている頼もしい母親がついている、すぐに助け出してくれるであろうが、それでもできればそんな心配はかけたくなかった。


どうにか自分の力で切り抜けたかったのだが・・そう弱気になった姫子の隙を逃さず、黒服の何人かが姫子に躍りかかる。


姫子は自分の身柄が拘束されるのを覚悟した・・のだが。


ひょいと横合いから現れた何者かが姫子の身体を横抱きにしてかっさらうと、一瞬にして公園の出口まで移動し、そっとその姫子の身体を下ろす。


その今起こった光景が信じられず、黒服の男達はもちろん、瑞姫、はるか、ミナホ、そして、姫子自身が驚いた表情を浮かべ、その一連の行動を起こした人物を見つめると、その人物は照れたような困ったような表情を浮かべて頭をぽりぽりとかき、口を開くのだった。


「あ〜、姫子ちゃん、お取り込み中ごめん。その・・道がわからないから、駅まで案内してくれないかな?」


その間抜けな言葉に呆気に取られてしまう姫子は二の句が継げず、その代りにその人物を見たはるかとミナホが驚愕の声をあげる。


「す、宿難(すくな) 連夜(れんや)!?」




Act 7 『偽りの笑顔』




「な、なにやってるのよ? 道がわからないって、なんで?」


呆れ果てたような表情で口を開く姫子に、蒼樹は本当に申し訳ないという表情を浮かべる。


「いや、それがその、詩織さんに用があって、さっきまで姫子ちゃんの家に行っていたんだけど・・。詩織さんがてっきり送ってくれるものだと思っていたんだけど、僕のお父さんとまだ用事があるから先に帰ってくれって。それでこのあたりの道がわからないんだけどって言ったら、公園に姫子ちゃんがいるはずだから案内してもらえって・・」


バツが悪そうな顔をする蒼樹は、姫子の顔がみるみる強張っていくのを見て、さらに慌てて言葉を付け加える。


「あ、あ、その、姫子ちゃんが僕と話をしたがっていないことはわかっているんだよ。ごめん、ほんと迷惑だってわかっているんだけど、その、実は僕方向音痴でさ、一度行ったことがある場所なら大丈夫なんだけど、一回も行ったことがない場所にはなかなか辿りつけないんだよね。それで、迷惑だとは思ったんだけど、助けてもらえると助かるかなあ、なんて・・」


そう言って、顔を俯かせ上目遣いで姫子のことを見ていた蒼樹だったが、姫子の反応がないことを見て溜息を大きく吐きだすとがっくりと肩を落とすのだった。


「やっぱり無理だよね、ごめん。もどって、詩織さんに地図でも貸してもらうよ。」


「い、いいわよ、それぐらい。」


みるからに意気消沈してすごすごと公園を出て行こうとする蒼樹に、姫子は怒ったような顔をしながらも早口で了承する。


「え? いいの?」


その言葉にびっくりしたように振り返った蒼樹に、姫子はぷいっとすねた表情で顔を背ける。


「い、いいって言ってるでしょ!! しょうがないから案内してあげるわよ、い、委員長としてクラスメイトが困ってるなら仕方ないからだけどね。」


「あ、う、うん、ありがと。」


「ほ、ほら、ボケっとしてるんじゃないわよ、早く行くわよ。」


そう言って蒼樹の手を掴んでずんずんと公園を出て行こうとする姫子。


蒼樹はされるがままに連れて行かれるが、一応顔だけ公園内でまだ呆気に取られている瑞姫達のほうに向けてぺこりと頭を下げておく。


「すいません、そういうことで姫子ちゃんとの話はまた今度にしてください・・あ、そうそう。」


そう言って、一度姫子の手を引っ張って止めると、蒼樹は凄まじい怒りの炎を噴出させた異様な笑顔を浮かべて黒服達のほうを見た。


「次はこれでは済まないと思っておいてください。僕、人に無理矢理何かをさせようという輩が死ぬほど嫌いなんです。・・では、さようなら。」


そう言って蒼樹は姫子を促してスタスタと公園を出て行く。


しばらくの間呆気に取られてそれを見送っていた瑞姫だったが、はっと我に返ると黒服達に慌てて指示を送る。


「あ、あなた達なにボケっとしてるのですか、早く追いかけなさい!! 早く!!」


『御意!!』


そう言って姫子の後を追いかけようとする黒服達だったが、走り出した途端に自分の身体から何かがはがれて落ちていく感覚に気づき思わずみな一様に動きを止める。


そして、自分の身体を確認したときには、黒服達一人残らず着ていた衣服は全てバラバラになって地面に落ちてしまっていた。


生まれた時の姿そのままになってしまった自分達の姿をしばし呆然と見つめる黒服達であったが・・


『ぎゃあああああっ!!』


我に返ると慌てて自分の大事なところを隠してしゃがみこみ動けなくなってしまうのだった。


あまりにも悲惨な光景にはるかとミナホは思わず顔を真っ赤にして顔を背け、瑞姫はというと・・


「それにしても、連夜っていつのまにあんなに強くなったんや? 衣服だけ切り裂くなんてよっぽどの達人でもないとできへん技やし、いつのまに切り裂いたのかもみえへんかった。」


「そうね、でも、連夜って自分の身につけている技術や技能を結構いろいろ隠していたみたいだから、これもその一つなのかも・・とりあえず、連夜が張り付いているときは力づくっていうわけにもいかなさそうね・・とりあえず撤退しますか、瑞姫様? 」


「おろ、瑞姫様? どないしたん、瑞姫様?」


そう言って二人が問い掛けるが、二人の新しい主の反応が全くない。


不思議に思って二人が瑞姫の顔を見ると顔を真っ赤にして固まってしまっている、その顔の前にひらひらと掌をかざしてみるがそれでも反応がない。


「き、気絶しとるで、はるか!!」


「あ〜、きっとあれだわ、瑞姫様ってほら、温室育ちのお嬢様で男性のシンボルを見たことないから・・」


「ああ、まともにみてしもたショックで気絶したってことかいな・・難儀なこっちゃなあ・・こら、あかんわ、はるか、携帯で車まわしてもらお、黒服のみなさんも回収してもらわなあかんし。」


「そうねえ。」


そう言って同時に溜息を吐きだす二人だった。


一方その頃、別の二人もまたそれぞれの思いから溜息を吐きだしていた。


「あ、あの姫子ちゃん・・」


「駅まで案内するけど、話しかけてこないで。」


「あ、う、うん、ごめん。」


取りつく島もなくばっさりと切られてしゅ〜んと意気消沈してしまう蒼樹。


だが、そう言ってしまった姫子も心の中では盛大に悲鳴を上げていた。


(あ〜ん、私のバカバカ、なんで、そんなこと言っちゃうのよ!! 違うでしょ、ここで仲直りしなかったら、もう仲直りできないかもしれないのに!!)


公園から駅までは結構距離があったが、それでも若い二人の脚力であればそんなに時間はかからない、そのわずかな時間にきっかけを掴まなければ本当に仲直りできずに終わってしまうというのに、この期に及んでまだ意固地な態度をとり続けてしまう自分に絶望しそうになる姫子。


横目で蒼樹を見ると、ほんとに悲しそうな顔でこちらを見つめていて、余計に罪悪感が増すのだが、どうしてもこちらから話しかけることができない。


早くなんとかしないと、せめて謝ってこの前と今日助けてもらったお礼くらいは言わないと。


そう思って気持は焦るのだが、だめなのだ、全然身体が言うことを聞いてくれない。


(私だめだ・・本当にダメなやつだ・・)


ず〜んとどんどん気持ちが落ち込んでいく、しかし、なんの行動を起こすこともできないままに道のりは半分を越えてしまい、もう駅に着くまで本当にわずかな時間しかなかった。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう!!)


そのまま二人は沈黙を保ったままてくてくと歩いていく。


静かな夜の道で、誰も通るものもいない住宅街のはずれの道。


二人だけがてくてくと、黙々と歩いていく。


もう、だめだ、私やっぱり仲直りできないんだと、姫子が心の中でやけになりかけていると、ぽつりと蒼樹が口を開いた。


「あ〜、いまからぶつぶつ何かいうけど、それは話しかけるのじゃないよ、独り言を言うだけだからね。」


そう先に宣言した蒼樹は、横に立つ姫子の顔を見ないようにしながら口を開いた。


「僕ね、本当は今のクラスの連中一人残らず全員ぶっとばすつもりでいたんだ。」


何を言うつもりだろうと思って聞いていた姫子は、いきなりの爆弾発言に吃驚して驚愕の声を上げそうになったが、なんとかそれを飲み込んで蒼樹の次の言葉を待つ。


「この作戦の為に『嶺斬泊』に呼ばれてさ、連夜義兄者(れんやあにじゃ)の影武者として教室に入ることを聞かされた時に、最初僕は反対したんだ。あの義兄者の身代わりは僕には荷が重すぎるって、姫子ちゃんは知ってると思うけど、連夜義兄者は本当にすごい人だ。脆弱な人間として生きる道を選んだのに、全く卑屈になることもなく、人間としてできる最大限の力を利用して、そのもてる全ての技術技能を駆使して、どんな事態に陥っても諦めないし負けないんだ。友達にためなら自分の命を危険にさらしても必死で助けようとする。強いだけじゃなくて本当に優しくて、家族や友達のことを心から大切にしている。そんな心から強い人の身代わりが僕になんかつとまるわけないってね。」


そう言って一つ大きく溜息をついて顔を俯かせた蒼樹だったが、再び顔をあげたときにはその表情には怒りの色が浮かんでいた。


「だけど、そんな連夜義兄者が通っている学校で物凄い差別といじめを受けて無実の罪で停学に追い込まれたって聞いた時には、流石の僕も頭にきた。義兄者が学校を去ろうとしたときには、義兄者のロッカーにあるものをめちゃくちゃにしようとするものもいたっていうしね・・その原因になった姫子ちゃんはきちんと義兄者に心から謝ったことは聞いたけど、他の連中は誰もそうしようとしなかったって・・」


悔しそうな表情でその拳を持ち上げてギリリと握り締めて見せる。


「そうか、そういう態度でいる連中が溢れているなら、学校が戦場になったとしても文句は言わせない、盛大に巻き込んでやる、そのために影武者でもなんでも引き受けてやろうと思った。義兄者を見下した奴ら全てに自分達がしてきたことを後悔させてやるって・・そう思っていたよ、あの日初めて登校したその日の朝までは。」


蒼樹はその後ふっと握っていた拳の力を抜いて、穏やかな笑みを浮かべる。


「あの日、登校する途中でマリーちゃん達に出会って、素直に頭を下げてくる姿を見たときに、自分の考えが間違っていることに気がついたんだ。あ〜、僕の思った通りじゃなかったんだって、本当は連夜義兄者のことをちゃんと想ってくれている『人』もいたんだなあって。でも、それはやっぱり一部の人でしかないんだろうなあって悲しくなっていたんだけど、教室に入ったら、クラスのほとんど全員が謝ってきて・・それに義兄者の机やロッカーも奇麗にしてあってさ。」


そして、ふ〜〜っと大きく息を吐きだして顔を俯かせる。


「やっぱり義兄者はすごいよね。『人』の意識を変えるって物凄い難しいことなのに・・義兄者にはそれができるんだ。僕のように肉体的に優れていたり武術ができたりするんじゃない、うまくは言えないけどもっと『人』が生きていくうえで大事なことをすることができるんだ。そして、その義兄者が作った大事なものがあの教室にはあるってわかった。だから、本当はあの教室から・・ううん、あの学校から去りたかった。今日はそれを詩織さんに頼みにいったんだ。」


その言葉を聞いた姫子は流石にもう黙っていられなくなって、蒼樹のほうを向いて問い質そうとする。


「おかあさんに!? なんで!?」


姫子の言葉にちょっと顔を向けかけた蒼樹だったが、結局顔を向けようとはせずに正面を向いたまま話を続ける。


「あくまでも僕の独り言だよ。本当は誰にも言っちゃいけないことなんだってことを忘れないでね・・この計画の実行リーダーは詩織さんなんだ。」


「ええええ!?」


「お父さんが『FEDA』から抜けたあと、いろいろと詩織さんには助けてもらっていたんだけど、その手助けの内容の中には逃げ出した『人造勇神』に対する追跡と対策も入っていてね、詩織さんの尽力のおかげで五体の『人造勇神』の無力化に成功したんだ。で、本当はもっと時間をかけてできるだけ危険の少ない方法を取るべきだったんだけど、この前説明したような内容で時間的にいろいろと問題がでてきてね、一気に片をつけるためにこういうことになったんだ。でもまあ、やっぱり一般人である生徒達を巻き込むべきではないと思ってそれを言いにいったんだけど・・あまりにも囮である連夜義兄者の行動が不審なものになってしまうと、警戒してターゲットが出てこない可能性がでてくる、何よりも怖いのは時間切れが迫ってきたときにターゲットである『人造勇神』達がやけになって暴れ出してしまうことで、それを防ぐためにも彼らに行動の方向性を定めておいてやる必要性があるから、今更やめることはできないんだって、言われちゃったよ。ただね、学校の周囲も中もちゃんと中央庁のエージェントの人が監視してくれているらしいから、むしろ危ないのは登下校中とか、休日とか・・あるいは、今みたいに人通りの少ない道を出歩いているときとかね。」


蒼樹の驚かすような言葉に、思わず姫子はバッと振り返り周囲を見渡す。


しかし、蒼樹はくすくすと笑いながら首を横に振ってみせる。


「大丈夫、この付近に奴らの気配はないよ。あいつらの気配は独特なんだ。『害獣』と同じ、『死』と『破壊』と、そして、『恐怖』の気を発しているからね。勿論それを奴らは隠そうとしているけど、僕ら訓練されたものにははっきりとわかる。だから、そんな警戒しなくても大丈夫だよ。」


「う〜〜、そういうことは早く言いなさいっての!!」


「ごめんごめん、とにかく、学校の中はできるだけ対策はしているからって・・でもさ、やっぱり完全ってものは何事もないよね。いくらエージェントの人がいても危険が全くないとはいいきれないと思うんだ。でも、計画は止められない。止めたら止めたで今度は別のところに迷惑がかかる可能性がある。なら・・それならば、もしものときは僕が、みんなを守ってみせる。どんなことがあっても、学校の中で、連夜義兄者が守っていたものを傷つけさせやしない。」


そう言った蒼樹はちらっと横にいる姫子のほうに目を向ける。


「僕はクラスのみんなからしたら嘘付きの裏切り者の卑怯者だと思う。本当のことをしゃべらず、嘘をつきとおしたままみんなを騙して事態を収束させようとしているんだからね。姫子ちゃんの言う通りなんだ。でも・・みんなを守りたいっていう気持ちだけは本当なんだ。どんなことをしても守ってみせると誓うよ。・・あ〜、でも、信じてほしいっていうわけじゃないんだ。僕が勝手に決めたことで、僕が勝手に宣言していることなんだ。信じる信じないは『人』それぞれだ、僕にそれを強要する資格はないし、するつもりもないよ。ただ、自分の気持ちを口に出しておきたかっただけ。」


そこまで蒼樹が言いきったところで、目の前に最寄駅の建物の姿が見えてきて、蒼樹は立ち止まり横にいる姫子のほうに顔を向ける。


「ここまで来たらもう駅が見えているから大丈夫。ありがとうね、姫子ちゃん。それにべらべらと独り言を聞かせちゃってごめん。じゃ、僕は帰るよ。」


そう言ってまたあの悲しい感じのする笑顔を向ける蒼樹。


姫子はその表情を見ていると、またあのイライラが胸の中に込み上がってきてひどいことを口にしそうになってしまうが、それよりも早く蒼樹は背を向けてすたすたと姫子から遠ざかっていってしまう。


あの表情が見えなくなった途端、姫子の胸からす〜っとイライラが消えてなくなって冷静に考えられるようになると、姫子は走り出して蒼樹の背中のシャツを掴んでその動きを止める。


「え?」


「振りかえらないで!!」


自分が止められたことに気がついた蒼樹が振り返ろうとするが、それよりも早く姫子が叫んでその動きを止めさせる。


「振りかえらないまま、聞いて。顔みちゃうと、また私あなたにひどいこと言いそうだから。」


姫子の口調にひどく辛そうなものを感じとった蒼樹は、わけがわからないもののとりあえず素直に前を向いて姫子のほうに顔を向けないようにする。


その様子にちょっとほっとした姫子だったが、それでも顔を上げないように俯かせたままで口を開いた。


「今までひどいこと言っちゃて本当にごめんなさい。それからこの前も、今日も助けてくれてありがとう。あと、クラスのみんなをだましているとか裏切っているとか、本当はそんなこと思ってないから!!」


早口でまくしたてる姫子の言葉を黙って聞いていた蒼樹だったが、やがて困ったような表情を浮かべた。


「いや、あの・・無理してそういうこと言わせたかったわけじゃないんだ。僕はただ、謝りたかっただけなんだ・・」


「ちがう!! 本当に無理して言っているわけじゃない!! あなたが謝らないといけないことなんてない!!」


なんとも言えない沈黙が二人の間に流れる。


片方は片方の真意を測りかねて、もう片方は自分の真意を気づかせたくて。


しかし・・


「わかった。ありがとう、姫子ちゃん、そう言ってもらえるとちょっと気が楽になったよ・・」


「ちがうちがう!! 絶対わかってない!! 蒼樹は、そうやってなんでも自分が悪いことにして飲みこんでしまうんだ!! そうやってできた笑顔なんて私みたくない!! そんな無理してできた笑顔を向けられてもちっともうれしくないよ!!」


「じゃあ・・じゃあ、僕はどうすればいいんだ!! 僕にできることは笑っていることだけだ!! 泣いていたって、悲しんでいたって、誰も救われない!! だったら・・だったらせめて笑っているしかないじゃないか!! そうすることで誰かの負担を少しでも減らすことができるのなら、僕は喜んで飲みこむよ!!」


姫子の言葉に、つい蒼樹は心のままに絶叫してしまっていたが、それに気が付いて慌てて言葉を紡ごうとする。


「ご、ごめ、姫子ちゃん、僕、怒鳴るつもりでは・・」


「そんなの・・そんなの辛すぎるよ・・なんで、そこまでしないといけないの? それはいったい誰のためなの?」


明らかに泣いているとわかる姫子の泣き声に、蒼樹は動揺していたが姫子の問い掛けには心の中で即答していた。


誰かのため? そんなの決まっている、それは今はもういないあの娘に誓ったから、笑って日々を過ごすって誓ったから・・


でもそれは口には出さない、でもウソはつきたくない、だから、蒼樹は別のことを口にする。


「僕のことを心配してくれてありがとう、姫子ちゃん。でも、僕は大丈夫。僕は自分ができることをしているだけ、無理をしているわけじゃないよ。それから、姫子ちゃんの気持ちもわかったから。・・できれば、また明日から普通に話しかけてくれると嬉しいかな。」


「・・努力はする。だけど、私にはその笑顔を向けないで、見たくない。」


「・・わかった、僕もそれについては努力するよ。」


そう言って二人はそれぞれの想いから溜息を吐きだし、そのあと姫子がシャツから手を放して、蒼樹はそれを感じるとゆっくりと再び歩き始め駅の中へと消えていった。


姫子はその蒼樹の背中が見えなくなるまで見送っていたが、やがて踵を返すと自分自身も家に帰ることにする。


しかし、その表情はついさっきまで浮かべていた弱々しいものではない、何かを固く決意したものの決然とした表情が浮かんでいた。


とりあえず姫子はあることを実行するために足早に家へ急ぐ。


あの石頭のわからんちんのバカの朴念仁の過去にいったい何があったのか、それを知っていると思われる人物である母親に残らずそれを聞き出すために。


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