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Act 2 『姫子 迷走』

最近、よく夢を見る。


それはいい夢なのか、それとも悪夢なのか判断が非常につきにくい夢で、わかっていることはその夢を見たくないわけではないということだ。


普通悪夢であれば見たいはずはないのだが、どういうわけか悪夢であったとしても見続けていたい願望を抑えられないのだった。


夢に出てくる登場人物はたった二人しかいない。


自分と、そして、自分の掛け替えのない幼馴染で友達である少年だ。


夢の最初はいつも美しい花畑で二人が遊んでいたり話をしていたりするところから始まる、


少年はいつもにこにこと自分を優しい表情と瞳で見詰め続けていて、自分もしばらくはずっと少年のことを見詰め続けているのだが、だんだんと奇妙な気持ちになってくるのだ。


あの瞳は今は自分に向けられているけれども、いつ別の誰かの方を向いてしまうかわからない。


少年は優しい。


自分だけでなく、不器用で人付き合いの仕方を知らない他の友人達のことをそれとなくいつも見守ってくれている。


そして、危機になると自分の身を省みることなく助けるために飛び込んできてくれるのだ。


彼は諦めない、最後の最後まで諦めることなく本当に最後に道がないとわかってもそれでもあがき続ける。


わずかでも光がある限り、その可能性に懸けて力の限り命の限りあがき続けるのだ。


自分もそんな彼に何度助けられたであろう。


助けられたのは身体や命ばかりではない、その心までも助けられた。


間違いなく彼は自分の恩人である、そして、その彼にあるのは借りばかりで貸したことは一度としてない。


自分が彼に対して何かを要求したり、ましてや何かを強要する権利などこれっぽちもないのだ。


しかし・・


夢の中の自分は、彼を見詰め続けているうちに抑えきれない怒りに支配されて、決まっていつも怒鳴り始めるのだ。


余所見をするな!


わらわだけを見ろ!!


夢の中の彼は余所見などしていないし、常に自分だけを見てくれているのに、それでも自分は怒鳴り続ける。


怒鳴り続けて怒鳴り続けて、最後にはすがり付いて子供のように泣き喚きながら懇願するのだ。


他の誰も見ないで!


他の誰にも優しい顔しないで!


すると彼は物凄く困った顔をして自分を見詰めるのだ。


わかっている、わかってはいるのだ。


優しい彼が一度自分の身内だと決めた『人』を突き放すことができない人物であることは。


それをよくわかっていて彼を困らせてしまう自分が物凄く嫌だったが、夢の中の自分はそれをやめようとしない。


困り続けている彼の身体を激しく揺らして尚も懇願し続ける。


人間である彼と龍族である自分とでは身体能力がまるで違う。


力一杯身体を揺らされた彼の身体は面白いように前後に揺らめき、そして、ついには自分の力に抗し切れずに花畑の中に仰向けに倒れこみ、自分はその上にのしかかる形になる。


そこで自分は更に彼に懇願を続けるのかと思えばそうではない。


その体勢になると自分の目はいつも彼の血色のよい唇や、首筋や、そして、Tシャツから見える思ったよりも筋肉のついた厚い胸元に視線がいくのだ。


そうして見詰めていると、やがて、あろうことか自分は彼の上半身の衣服を力任せに引き裂き始める。


勿論、人間である彼を龍族である自分が押さえ込んでいるわけであるから逃げられるわけもなく、彼は抵抗らしい抵抗もできないままにあっというまに上半身裸になってしまう。


その彼の上半身は、小柄な体格で細身であるにも関わらず随分と鍛え上げられており、鞭のように引き締められたしなやかな筋肉がみっしりとついているのがわかる。


しかし、その肉体には同時にいくつもの切り傷、打撲、火傷のあと、そればかりではない、何かの生き物の爪あとのようなものまである。


夢の中の自分はそれを見詰めると、その傷跡の一つ一つをその指先でなぞりはじめる。


恐る恐る、自分の強過ぎる力で傷つけたりしないように。


この傷跡の中には自分のためについてしまったものもある、彼が自分を庇ったためについたものもあれば、自分自身が傷つけてしまったものもある。


それは彼のものであると同時に自分のものでもあるのだ。


大切な掛け替えのない思い出が詰まった傷跡なのだ。


そう思うとたまらなくなってきて、彼の身体の上に自分の身体ごと覆いかぶさり、そのいくつもの傷のある彼の思ったよりも厚い胸元に頬ずりする。


すると、彼は決まってこういうのだ。


『いいよ。』


いつもの優しい笑顔を自分に向けて。


いや自分にだけ向けてこういうのだ。


『僕を姫子ちゃんの好きにしていいよ。』


仰向けの体勢から両手を差し出して来る彼の顔に、自分の顔を近付けて、そして・・



「うわああああああああああああっ!!」


絶叫し布団を跳ね除けて飛び起きる。


まただ・・


またあの夢だ。


全身汗でびっしょり、荒い息を吐き出し、無意識のうちに自分の豊満な胸を両手で鷲づかみしていて、そこからは自分の激しい心臓の鼓動が伝わってくる。


「わ、わらわは・・」


激しい動揺に襲われながら、直前まで見ていた夢を思い出す。


いったいあのあと自分は何をするつもりだったのか。


掛け替えのない友達にいったい何をしようとしていたのか。


だが、結局何かをする直前で夢は途切れて消えてしまい何をしようとしていたかはいつも闇の中。


その続きが見れなくてほっとしている自分がいるのだが、それ以上に見れなかったことに物凄く後悔している自分がいることに愕然とさせられる。


いったい自分は何を見たがっているのだ。


あの掛け替えのない友達の彼と・・宿難 連夜とどうしたかったというのだ。


「連夜・・わらわは・・わらわはそなたを・・」


そう呟くがその先が言えない、わからない。


龍乃宮 姫子は頭を一つ振ってベッドから降りると、汗でベトベトになったパジャマを脱ぎ、ブルーのブラジャーも取って、パンティーだけの姿になり、壁にかけてある白いガウンを取って風呂場へシャワーを浴びに行こうとする。


ガウンを取ったときに、すぐ側にある全身大鏡に、自分の全裸姿が映し出されるのが視界に入りそちらに思わず目を向ける。


十年近く前の肉達磨であったような姿とは違い、いまの自分は完全に女性としてわかるプロポーションになっているはずだ。


しかし、それは誰のためにそういう姿になろうと思ったのか・・


本当の自分の友人となってくれたリンは以前自分に問いかけたことがある、『姫子ちゃんはなんのためにそこまでがんばったの?』と・・


勉強も、スポーツも、武芸も、社交界での礼儀作法も、全ては一族の為であったような気がする


一族の長である父や、その側近達、あるいは世話役の幼馴染達から言われ続け、その言われるままにがんばってきた。


だが、この容姿や、家事全般はそうではない。


誰かのために・・遠い昔にその誰かの心の中に住むためにと誓い、その誰かに認められたくて、振り向いてほしくてがんばってきたのだ。


その誰かは・・


ふと机の上にある写真立てに目がいく。


そこには高校入学時に撮った掛け替えのない友人との写真が飾られていた。


本来であれば、ほかの友人達とも一緒に写したはずの写真であったが、姫子はそれをわざわざ切り抜いて二人きりだけの写真にして飾っているのだ。


震える手でその写真立てに手を伸ばす。


「わ、わらわは・・わらわは・・」


と、姫子の中で自分の本当の気持ちがはっきりとしようとしたそのとき、ダダダダダダダダダッという何者かが階段を駆け上がってくる足音が聞こえたかと思うと、姫子の部屋の扉がバンッと開き、木刀を持った黒髪の自分とよく似た龍族の少年が飛び込んできた。


「姫子、いまの悲鳴はなんだ!? 泥棒か!? ストーカーか!? それとも連夜の夜這いか!?」


「にゃあっ!?」


あまりにも突然のことで、反応することが出来なかった上、しかもその少年の言葉の最後の部分が微妙に姫子の心を打ち抜き、全裸に近い姿のまま思わずかたまってしまう姫子。


そんな妹の様子に最初気がつかない少年は、とんでもないことを口走りながらも、真剣な表情で妹の身を案じて飛び込んできたわけであったが、目の前の妹が兄の自分からみても素晴らしすぎる立派な身体を晒しているのに気がつくと、思わずまじまじとみつめ、腕組みをしてさらに真剣な表情を浮かべこういうのだった。


「うん、腰回りや尻は申し分ないな・・あとおっぱいがもう少し大きく育てばフレイヤに勝てる。よし、今度、連夜に揉んでもらえ。俺が頼んでおいてやる。そうすればすぐおいつ・・」


姫子はその言葉を最後まで言わせなかった。


恐ろしいまでの神速の踏み込みで少年との間合いを一気に詰めると、己が知る最強の奥義をその身体にたたき込むのだった。


「地獄に落ちろおおおおおおおおおおおおお!!」


「しゃぎゃああああああああああああ!!」


形意黄龍拳(けいいこうりゅうけん)』最強にして、最大の奥義、『落鵬破通背拳らくほうはつうはいけん』の一撃をまともにくらって悶絶した少年を鬼の形相で見下ろした姫子は、ガウンを羽織ってその屍を踏みつけてずんずんと階段を下に降りていったのであった。



Act2 『姫子 迷走』



「あぶないところだった・・まともに受けていたら死んでいたぞ、俺。」


シャワーを浴びたあと、高校の制服に着替えて一階のキッチンに降りてきた姫子は、さっき全殺しにしたと思った相手がけろっと食パンを食べている様子を目撃して思わずずっこけそうになる。


「お、お主、どんだけヒットポイントが高いのじゃ。」


「馬鹿野郎、とんでもない技だしやがって。ちょっと裸みられたくらいが、なんだっていうんだ。どうせ、連夜を襲う夢でも見・・」


ガスッ!! ガスッガスッガスッ!!


容赦ない連続鉄拳制裁で少年を滅多打ちにした姫子は、はぁはぁと荒い息をついてテーブルにつく。


「あ、あがががが・・」


「はぁはぁ・・もう、ほんとにどこまでも果てしなくデリカシーのない奴じゃのう、お主は・・はぁはぁ・・部屋に入ってくるときはノックしろと言っておるのに、毎回破って入ってくるし、乙女が気にしていることを平気で口にするし、スケベでバカでどうしようもないとはまさにお主のことじゃ。連夜と同じ男なのになんでこんなに違うのか・・」


片手で顔を押さえながらぴくぴくと仰向けでひっくり返っている自分の異母兄、剣児の姿を呆れ果てた表情で見つめていた姫子は、はあぁ〜っと溜息を吐きだす。


姫子は今、住みなれた龍族の館を出て、この異母兄の家に厄介になっている。


自分の掛け替えのない友達、宿難 連夜との確執を引き起こすことになったあの事件の時に、優等生を演じ続ける自分自身に疲れ果てた姫子は彼女の実母の親友であり、そして、幼き頃の自分の養母であった女性に助けを求めた。


その女性は姫子の助けを求める声に頼もしく応えてくれた。


『すぐに引越してきなさい。これからはお母さんがあなたを守ってあげる。』


涙がでるほどうれしかった。


本来であれば自分を助ける義理などないはずなのに、この女性ははっきりと自分を実の娘であると言ってくれ、優しく迎え入れてくれたのだ。


まだ一緒に住み始めてからたった数日であるが、姫子は龍族の館では決して味わえなかった安らぎに満ちた生活を送ることができるようになっていた。


確かに、今までのように使用人に傅かれ、贅沢極まりない生活を送ることはできなくなった。


しかし、それがなんだというのだ。


自分を心から愛してくれる人と一緒に住むことが、いかに素晴らしいことか、姫子はようやく何か大事なものを取り戻したことを実感し、ここに来てよかったと心の底からそう思ったものだ。


たった一つの懸念を除いては・・


姫子は間抜けな顔でフローリングの上に転がる、自分によく似た異母兄の姿に視線をやり、片手で顔を覆って深々とため息を吐き出す。


龍乃宮 剣児


この家の主の一人息子で、自分と同い年、同じクラスメイトの異母兄妹。


若干十七歳でありながら、その剣術、その格闘術、その体術の技量、技術のレベルは師範代クラスに匹敵する凄腕の実力者、土日になるとフリーの『害獣』ハンターとなって『嶺斬泊』の周辺の『害獣』を狩りまくっており、その凄まじい戦いぶりからすでに傭兵旅団の間ではかなり有名なルーキーとして知られている。


成績はそれほどよくないが、明るく義侠心に満ちた人物であるため、クラスでも人気が高く人望も厚い。


のだが・・


この異母兄、姫子がどうしても許容できないあるとてつもない欠点がある。


それは・・


女好きなのだ。


もう、凄まじい女好きなのだ。


学校側には決して言えない秘密であるが、共通の友人である連夜からぽつりと漏れ聞いたところによると、この異母兄、最初の女性経験は小学校六年生の卒業式の日、相手は小学校の担任の先生だったいう。(なんでそんなことを連夜が知っていたかというと、なんとこの異母兄、自分がそういう行為をしている間、母親に悟られないようにと、連夜にアリバイ工作をさせていたらしい。勿論、このことを知ったときにはこの異母兄を本気で全殺しにしてやった。)


それ以来、ず〜〜っとこの異母兄から女性の噂が絶えたことがない。


絶えないどころか、すでに十七歳にして『ルートタウン』の色街ではすでに顔が知られているというし、クラスの中には彼の愛人と思われるクラスメイトがすでに三人もいる。


温室育ちのお嬢様で、そういう方面には非常に潔癖な思考の持ち主である姫子にすればこの異母兄の性格は非常に許容しがたく、日々悩まされている。


実は、姫子がなかなかこの家の主に助けを求めることができなかった大きな原因が、この異母兄の存在だったのだ。


この家の主が前々から自分を引き取りたがっていたことについてはよく知っていたし、自分も飛び込んで行きたかったのだが、そうすると必然的にこの破廉恥極まりない異母兄と暮らさなければならなくなり、それがどうしても許容できずにずるずると今日まできてしまったのだが・・


幸いこの異母兄、自分には全く女性としての興味がないようで、襲われる気配は微塵もないのだが、その代りに自分を女性としてみていない節が見受けられ、先程のように平気で乙女の部屋にずかずか入ってきたり、風呂場に入ってこようとしたり、実に無神経極まりないのである。


(本当になんとかならんのか、こやつ・・)


そう思って頭を抱えていた姫子だったが、そんな姫子の葛藤を知ってか知らずか剣児は、あれだけ姫子にやられていたにも関わらずいきなり復活を果たし、物凄い剣幕で抗議の声をあげる。


「ざけんな、連夜だってスケベだぞ!! このまえ『爆乳女教師 悶絶四P責め』とか、『いけないリカちゃん スクール水着乱交パーティ編』とかその他もろもろ巨乳美乳美尻女優総出演の再生専用錬気水晶持っていって、あいつと一緒に見たもんね!! 最初は嫌がっていたけど、結構ちらちら見ていたからあいつは間違いなくむっつり・・」


ボコボコボコボコボコボコボコボコボコッ!!


先程よりもさらにヒートアップした姫子の連続鉄拳制裁が、しつこく、かなりしつこく剣児に襲いかかり、今度こそボロボロのズタボロになってフローリングの上に投げ出される。


「ぐげげげげげ・・」


「はぁはぁはぁ・・お主、本気で殺すぞ。貴様がスケベなのはこの際いいとしても、連夜まで巻き込むでないわ!! 連夜が変な趣味に走るようになったら、ただですまさんからな・・はぁはぁ・・しかし、なんで朝からこんな疲れないといかんのじゃ・・」


ぐったりとして霊蔵庫から牛乳を取りだしてきてキッチンの自分の席についた姫子は、自分のコップに注ぎこむ。


そして、その牛乳を飲もうとしたのだが、そのとき再び剣児が復活してきてとんでもないことを言い出した。


「くっそ〜、実の兄貴をサンドバッグ代わりにしやがって・・みてろよ、こうなったら連夜におまえが小学校のときにつけていた『ズタボロのボロのいじめ日記』を読ませてやるぜ。いひひ、それを読んだ連夜がおまえのことをどう思うかな。」


『ぶばっ!!』


剣児の恐ろしい計画を耳にした姫子の口と鼻から口に含んでいた牛乳が噴出する。


その姫子の様子を物凄い悪党面で満足気に眺める剣児に、姫子はあわわわと、かなり焦った表情を浮かべる。


『ズタボロのボロのいじめ日記』とは、連夜と仲良くなる前、連夜のことを壮絶にいじめ抜いていた当時の姫子が毎日どうやって連夜のことをいじめていたかという内容を詳細につけて

いた日記で、はるか昔に処分したはずだったのだが・・


「な、な、なんでそれを・・」


「くっくっく、おまえがゴミ箱に捨てていたのを見つけ出し、俺が大事に保管しておいたのさ・・こんなこともあろうかと思ってなあ!!」


勝ち誇ったような表情で上から目線で見下す剣児に、いやいやと首を振りながら涙目になる姫子。


「や、やめて、それだけはやめてくれ・・あんなものを連夜にみられたら・・わらわは、わらわは・・」


恐らく今の連夜なら苦笑して、『ああ、まあ当時の姫子ちゃんならやりそうだよね』とか言って特に気にもしないであろうが、いくら許してもらえる、気にしないでいてくれるといっても、それでもそんなことを連夜に知られるくらいならいっそ死んだほうがましだった。


しかし、そんな微妙な乙女心がわからないことに関しては自他共に認める超おこちゃま男の剣児である。


物凄い憎たらしい笑みを浮かべてどうしようかなあっとかいいながら、存分に今までの欝憤を晴らすかのように不安気な表情を浮かべる姫子をねめつける。


流石の姫子も、現物が目の前にない今、剣児を襲ったとしてもあとで連夜のところに持って行かれてしまってはどうしようもないので、どうすることもできず本気で泣きだしそうであった。


だが、そんな姫子にとって救いの主が、そして、剣児にとっては最悪の天敵が、キッチンに姿を現す。


「あらあら、姫子。だめよ、女の子がそんな顔していたら。女の子はね、いつも笑顔が一番似合うのよ。」


黒髪黒眼、そして、頭から突き出た二本の鹿のような角、穏やかな美しい表情の中にも、その瞳に宿るのは強い意志、薄い紺色のスーツ姿の上からでも抜群のプロポーションであることがわかる二十代半ばに見えるその女性は、剣児にも、そして、姫子にも似ている容姿の人物だった。


龍乃宮 詩織


剣児の実母にして、姫子の養母。


城砦都市『嶺斬泊』中央庁の頭脳の一人である、連夜の母親ドナ・スクナーの右腕としてその辣腕を振い続けているバリバリのキャリアウーマンであるにも関わらず、家庭的な専業主婦にも見える不思議な雰囲気の人物で、事実家事は非常に得意である。


性格は一見ぼんやりしているように見えるが、実際はしっかりしており、厳しい一面もあるものの基本的に温かい心の持ち主。


少々お茶目でいたずら好きな子供のようなところがあるものの、それも含めて姫子はこの養母が大好きで、非常に頼りにしていた。


そんな大好きなお母さんの詩織が自分に近づいてきてくることに気がついた姫子は思わずその胸にすがりつき、目にいっぱい涙をためながらその女性に訴える。


「お、おかあさん・・だって・・だって剣児が。」


「まあまあ、また、剣児なのね? もう、ほんとにしょうがない子ね。どうせ、あれでしょ、姫子の昔の日記かなんか持ち出してきて『うへへへ、誰かに見せてやるぜ〜』とか言っていたんでしょ。」


「げ・・」


すっかり見抜かれている剣児は、一瞬たじろぐ様子を見せたが、明後日の方向を向いて口笛を吹く真似をして誤魔化そうとする。


すると、その様子をふ〜んと見ていた女性は、胸の中にいる愛する娘のほうに視線を移しにっこり笑ってみせると、突然自分の懐に手を突っ込みすぽっと何かを取り出した。


その行動を呆気に取られて見ていた二人だったが、詩織の手に握られているものを目にした姫子と剣児は思わず目をみはる。


「「あ、それは!!」」


仰天の声を上げる二人の視線の先、そこには『ズタボロのボロのいじめ日記』という表紙の古ぼけた一冊のノートが。


詩織は二人ににっこりと笑いかけると、すっとそれを空中に放り投げたあとに姫子の身体をそっと離すと、そのノートに向けてとんでもない気合いとともに拳を突き出した。


「ハアッ!!」


バシュッ!!


乾いた破裂音とともにノートは破裂して跡形もなく消し飛び、埃だけがパラパラと舞い落ちてくる。


それを見届けた姫子は、その意味を知って歓喜の表情を浮かべあらためて詩織の胸に飛び込んで行くのだった。


「おかあさん!! おかあさん!! おかあさん、ありがとう!!」


「あらあら、本当に姫子は甘えん坊さんね。」


愛する娘の身体をしっかりと抱きしめた詩織は、優しい笑顔でよしよしと姫子の背中をなぜてやるが、やがて、自分の策が破れて茫然としている不肖の息子のほうに視線をやる。


「剣児、あんた、あんまりセコイ真似ばっかりやってると・・引きちぎるわよ。」


「ひいいいいい!!」


にっこりと笑っていう詩織であったが、その目が全然笑っていないし、自分の母親がやるといったら本気でやることをよ〜く知っている剣児は悲鳴をあげてあとずさる。


「それにあんた、最近、また『ルートタウン』のほうに出入りしている情報が流れてきているんだけど、まさかまた愛人増やしたりしてないでしょうね?」


「あ、俺そろそろ学校行かなくちゃ。連夜も今日から復帰するわけだしね。じゃあ、母さん、姫子、御先に。」


話がかなりやばい方向に流れ始めたことを察した剣児は、三十六計逃げるが勝ちとばかりに脱兎の如き勢いで玄関に走っていき、靴をひっかけた状態で外へと逃げ出して行く。


そんな剣児の姿を見送った、詩織と姫子はお互いの顔を見合せてふ〜〜っとため息を吐き出す。


「あれが、おかあさんの息子だっていうことが、わらわにはいまだに信じられん・・」


「そうねえ・・ただあれでも私に似ているところはあるから否定しにくい意見ではあるわね。」


「あの・・余計なこと言ったかな?」


苦笑を浮かべる詩織の姿に、姫子は自分の失言を悟り、顔をちょっと俯かせて上目づかいで詩織を見つめると、詩織はかわいい愛娘に首を横に振ってみせる。


「もう、姫子はそんな気を使うような娘じゃなかったでしょ。いつになったら昔の姫子にもどってくれるのかしらね。」


「そ、そんなことないもん、昔から姫子だって・・わらわだって、気を使えるいい子だったもん。」


「そうそう、そんな感じよ。わらわなんて姫子のイメージじゃないもの。そんな言葉使いだと好きな男の子にもひかれちゃうわよ。」


キッチンに入った詩織は白いエプロンを身につけながら、霊蔵庫から卵を数個取り出してボウルの中に割ると、手早く割ってかき混ぜ調味料をささっと降りかけて、フライパンを温め始める。


そうしてフライパンが温まるのを待っている間にちょっと振り返って愛娘の姿を見るとなにやら真剣な表情で考え込んでいる。


「え!? そ、そうかな!? ・・じ、じゃあ、わたし・・わたしって突然言い出して変じゃないかな・・」


「変じゃないわよ、とっても柔らかい感じがするわよ。姫子はかわいいんだから、全然大丈夫。」


「そ、そうかな。連夜・・変に思わないかな・・」


顔を赤らめなにやらモジモジしながら考え込んでいる愛娘の呟きを聞きつけた詩織の表情が曇る、しかし、それを気付かせないように無理に笑顔を作って見せた詩織は冗談っぽく愛娘に探りを入れてみる。


「あらあら、姫子は連夜くんの反応が気になってるの?」


「え、ああ、だって、一番の友達だし・・」


「友達なの?」


「・・と、友達・・だと・・思う・・」


非常に困惑している様子で自信なさげに呟く姫子に、詩織の表情はますます曇るが、幸いちょうどフライパンが温まっていてスクランブルエッグを作り始めたところだったのでその表情を姫子に見られることはなかった。


詩織は姫子に悟られないように、そっと溜息を吐きだす。


まさか、間違いであればいいけど、と一縷の望みに願いを託そうとする詩織に不意に姫子が声をかけてくる。


「あ、あの、おかあさん・・ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど・・」


「あら、何かしら?」


「わ、わら・・ううん、わたしね、最近よく夢をみるの・・」


「夢? それがどうかしたの?」


スクランブルエッグを素早く作り上げた詩織がテーブルの上の皿に盛りつけながら、姫子の方に表情を向けると、姫子は最近よく見る夢について語り始め、その内容を聞いた詩織はみるみる表情を曇らせ、最後には絶望的な表情を浮かべて片手で顔を覆ってしまった。


その姿を見た姫子は、とてつもなく不安になり詩織に声をかける。


「わ、わたしやっぱりおかしいかな? 何かの病気なのかな?」


「あのね、姫子・・あ〜、もう、どうしようかな・・」


娘を安心させてやりたいが、つい一昨日ある事実を上司から聞かされていた詩織は、いくら姫子に安心するように言葉をかけても全てが後の祭りであることをよくわかっていた。


それだけに、どういう言葉をかけてやればいいのか、さっぱりわからないのだ。


しかし、目の前にいるかわいい我が娘を放置することもできない。


詩織は厄介なことになったと感じながらも、慎重に言葉を選ぶ。


「あのね、姫子、それは別におかしくもなんともないの、普通よ。年頃の女の子なら、そういう夢を見ても全然おかしくないの。病気でもなんでもないのよ。」


「そうなんだ・・じゃあ、おかあさんもそういう夢は見るの?」


「見るわよ、っていうか、特に今はしょっちゅう見てる・・って、何言わせるのよ、この子は!?」


突然の娘の問いかけに思わず普通に答えてしまった詩織だったが、自分が答えた内容に気が付いて顔を真っ赤にして慌てる。


しかし、姫子はそんな母親の反応の意味がわからずきょとんとするばかり。


そんな姫子の反応を見ていた詩織は、娘が本格的にそういう方面の成長が全然ないことがわかってしまい、さらに深い溜息を吐きだす。


「とりあえず、夢については気にしなくても大丈夫だけど・・姫子、あなた連夜くん以外で気になる男の子っていないの?」


「? 男って、みんな剣児みたいなやつばっかりであまり好きじゃない・・でも、連夜は違うから。」


「それでも友達はいるでしょ? その友達と連夜くんは違うの?」


「まるっきり違うよ!! 一緒になんてできないよ!! 連夜は・・連夜は特別なんだもん!!」


そう、絶叫する姫子の姿を見た詩織はもう姫子が後戻りできない段階まで来ていることを察して天を仰いで諦めることにする。


「だめだ・・これはもう、一回砕け散るしかないわね・・」


「へ? 何言ってるのおかあさん?」


母親の言ってることがまるっきりわかっていない姫子はきょとんとしたまま、はむはむと食パンを食べる。


まあ、こういう経験もきっと姫子のこれからの人生の糧になると思えば、無駄ではないはず、砕け散ったあとはきちんと自分がフォローしてやればいいのだ。


そう思って詩織はこれから負け戦を経験するであろう娘に、万感の思いを込めて声をかける。


「ごめんね、姫子、おかあさんが助けてあげられる段階はもう過ぎちゃったの。あとは自分でなんとかするしかないわ。自分の気持ちと向き合って思いきりぶつかってきなさい。骨はおかあさんが拾ってあげる。」


「え? へ? えっと?」


真っすぐに自分を見つめてくる母親の言葉に戸惑う姫子だったが、その言葉には自分にこれから必要になる不可欠な何かがあることだけはわかった。


だからその言葉をゆっくりと心の中で反芻し、再び決然と顔をあげた姫子は頼れる母親に頷いてみせる。


「わかった、おかあさん、何かわからないけど、わたし、自分にできることを精一杯やってくる。」


「そうよ、それでいいの。きっとそれで砕け散ったとしてもあなたには必ず何かが残るから、がんばってきなさい。いいわね。」


「うん、じゃあ、行ってくる!!」


そう言って横に置いてあったカバンを持つと姫子はいつものように元気よく家を飛び出していった。


詩織はその姿を見送っていたが、やがて自分の朝食をすませてしまうべく、スクランブルエッグに手を伸ばす。


「あの、姫子が恋に悩むようになったのねえ・・男を見る目はあるんだけど、連夜くんはもう・・」


はあぁ〜っとどうにもやりきれない溜息を吐きだす詩織。


せめてもう少し、あと一カ月も早ければ、娘の為にあらゆる手段を講じて応援してやることができたものを・・


今の彼は・・今の彼はもう・・


と、考えたところで、詩織は何かに気が付いてはっとなる。


「あ、あれ? ちょっと待てよ、いま姫子が連夜くんに想いをぶつけてもしょうがないのでは・・」


しばらく両腕を組んでうんうん唸りながらいろいろな可能性について考えこんでいた詩織だったが、ある可能性に思い至りパアッと表情を輝かせる。


「うんうん、悪くない結末よね。みんな幸せになるわけだし。まあ、あとは二人の気持ち次第か・・誤解から始まる恋があってもいいわよね、それはそれでロマンチックだし。」


などと、自分勝手な想像を膨らませていた詩織だったが、出勤時間が迫っていることに気が付いて慌ててエプロンを外し、パタパタとキッチンを去っていく。


様々な『人』々にとって、忙しい一日が始まろうとしていた。


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