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~第51話 父と子~

 各都市の中央庁が誇る腕利きエージェント達がその持てる力の全てを注いでも発見することはできず、滅することができなかった人間の秘密結社『FEDA(フェーダ)』の秘密基地は、今まるで砂上の楼閣のように呆気なく崩れ去ろうとしていた。


 基地の内部はすでにあらかた破壊され尽し、広がるのは鮮血の海と、屍の山。


 末端の戦闘員から研究所員は勿論、絶大な魔力霊力戦闘力を誇っていた幹部に至るまで、全て狩りつくされてしまった。


 たった一匹の『害獣』によって。


 その『害獣』は通常のものとは全く違う形状をしていた。


 黒い濡れ濡れと光る漆黒の外骨格はまるで昆虫を思わせるものの、そのシルエットは『人』の形をしており、その大きさも『人』とほとんどかわりはしない。


 だが、その力は明らかに上位の『騎士』か下位の『貴族』クラスの『害獣』に匹敵し、いくら強化しているとはいえ、人間の力で勝てる相手ではなかった。


 残るは目の前の幼い二つの命だけ。


 だが、『害獣』はその姿を見て声なき叫びを上げる。


 頼む、誰か俺を殺してくれ!! 誰でもいい、それが神でも悪魔でも、勇者でも魔王でも構わない!! 頼む!! 俺を殺して子供達を守ってくれ!!


 己の中に僅かに残る『人』の心の力で必死になって殺戮に走ろうとする自分をつなぎとめる。


 せめて己の子供達が逃げる間だけでもと己の心と戦い続けるが、子供達は愛する父親から離れまいとして、変わり果てた父親の前からいつまでたっても立ち去ろうとしない。


 逃げてくれ、我が愛する子供達よ、せめてお前達だけでも逃げてくれ!!


 その必死の願いも空しく、徐々に心は『害獣』へと変わっていく。


 その『害獣』は元々人間であった。


 人間が造り出した、最強の戦士の血族に連なる彼はある組織に誘われ『人』の世を『害獣』達から取り戻す為にという言葉に従いその身を犠牲にして戦い続けた。


 しかし、それは幻想でしかなかった。


 彼らの真の目的は『人』の世ではなく、人間という一種族が支配する世界を作り出すこと。


 そして、其の為に男の身体が必要であった。


 その昔、人間よりもはるかに優れた異種族を倒すために、ありとあらゆる力を埋め込まれて生み出されしその異形の力を利用して、組織は男と同じ力を持つ生体兵器を大量に生産しようとした。


 だが、すんでのところでそれに気がついた男によって、すでに造り出されていたそれらのほとんどは倒されこの世から葬り去ることができたのだったが、組織は男自身にも改造を施していた。


 この世界最強の生物の遺伝子を組み込み、男をさらに強力な生物兵器にするという狂気の計画。


 男が組織に反旗を翻したときに、組織の科学者達はその禁断のスイッチを入れてしまう。

 

 それにより確かに男はより強力な生物として生まれ変わった。


 そして、あとは男に埋め込んだ遠隔制御装置で操るだけであった。


 それで組織最強の生物兵器が完成するはずだったのだ。


 だが、『害獣』となった男の身体からは全ての異界の力が食らい尽くされ、その中には異界の力で動作していた遠隔制御装置も含まれていた。


 『害獣』となった男の暴走が始まり、組織の秘密基地の中は阿鼻叫喚の地獄と化し、瞬く間に物言わぬ死体の山が積み上げられた。


 最強の生物兵器となった男を止めるすべなどあるわけがない。


 最早そこで息をしているのは、たまたまその場に居合わせた男の幼い二人の子供達だけ。


 その命さえも今や風前の灯であった。


 誰か!! 誰か・・


 心の中で男は悲鳴をあげ続けるが、その声も徐々に聞こえなくなり、あとには破壊衝動に駆られる無慈悲な『害獣』が残るだけ。


 その恐るべき『害獣』を見詰めながらも動こうとしない子供達は、最後まで自分達の親を信じようとしつつも、どこかで自分達がここで朽ち果てることを受け入れようとしていた。


 母親はすでにこの世になく、父親まで失ってしまっては幼い子供達に頼るべきものはもういない。


 誰かが天国で親子仲良く暮らせるよと囁いた気がして、子供達は、目の前で振り上げられる黒い獣の腕を見上げそして静かに目をつぶった。


 だが、その腕が振り下ろされる寸前で、何者かに手を引かれ横っ飛びに床の上を転がっていく。


 自分達と同じくらいの小さな手が二人の片手をそれぞれしっかりと握っているのがわかった。


 子供達が驚いて目を開けてみると、そこには灰色のパーカーに、フードを目深にかぶった少年と思われる子供の姿が。


 その子供はフードで表情は見えないものの、怒ったような声で叫ぶ。


「あきらめちゃだめだ!! 最後まであきらめちゃだめなんだ!! 君達があきらめたら誰がお父さんを助けてあげるんだ!!」


 その少年の言葉に、二人の子供達は涙を浮かべて顔を歪ませる。


「子供の僕達に何ができるんだよ。父さんは本当に強いんだぞ、誰よりも強いんだぞ。そんな父さんを止めることなんかできるわけないだろ」


 ぐずぐずと子供の一人が言うが、フードの少年は首を横に振ってそれをきっぱり否定する。


「ここで戦う必要なんてない!! 大事なのはなんとしても生き残ることなんだ。生き残ることさえできたら、お父さんを助けるためにどうすればいいか、何をすればいいか考えることができる。死んでしまったらそれもできないんだよ!!」


 そんな少年の言葉に、もう一人の言葉がまた涙声で呟く。


「無理よ・・お父さんから逃げられるわけないもん。ここで私達死ぬのよ」


 だが、その言葉も少年はきっぱり否定してみせる。


「やってもいないのに諦めちゃ駄目だ。最後の最後の最後まで力を尽くしてあがくんだ」


「「でも・・」」


「君達が諦めても僕は君達を助けることを諦めない、そして、それは・・」


 二人の子供達を後ろにかばうように仁王立ちしたフードの少年は、黒光りする『人』のシルエットをした恐るべき破壊の化身を睨みつける。


 その破壊の化身である『害獣』はゆっくりとフードの少年に近寄ってその丸太のような腕を叩きつけようとするが、少年は決して引こうとしない。


 子供達は少年が無残に引き裂かれることを予感してぎゅっと目をつぶる。


 そして、次の瞬間。


『ギャアアアアアッ!!』


 獣の絶叫が響き渡り、子供達が思わず目を開けると、フードの少年のさらに前に、一つの人影が子供達や少年を守るように立っているのが見えた。


 身長は170c,m前後、バランスはいいが細身の身体に純白の戦闘用コート、そして手には一本の直剣。


 よく見ると直剣の表面には東方の文字で『天冥仙剣 和光同塵』と書いてあるのがわかる。


 呆気に取られて子供達が見守っていると、弾き飛ばされたと思われる人型の『害獣』が立ち上がり人影のほうを見る。


 その瞳には理性の色が見え、身体を震わせながらも禍々しい牙が立ち並ぶ真っ赤な口を開き、人とは思えぬくぐもった声で話しかけてくる。


「すまぬ、ジン・・お、まえの言うとおりであった・・俺はだま、されていた。もう、ひと、にはもどれ、ぬ・・頼む、人が、生み出せし、最後にして最強の人造勇者独孤求敗(D-セイバー)よ、俺を殺し、こども、たちを・・」


 理性が戻った父親の言葉に子供達は声なき悲鳴を上げるが、話しかけられた人影は首を横に振ると、若い男の声で話しかける。


「ガイ、君は勘違いしている。僕も、そして僕の息子も最早人造勇者ではない。僕はその力をはるか昔に、僕の息子は五歳のときにそれを捨て去った。今の僕らはただの人間でしかない。この世界に生きる『人』類最弱の生き物でしかないんだ」


 その人影の言葉を聞いた人型の『害獣』の目に絶望の色が浮かび上がる。


「なんてこ、とだ。では、誰が、俺をとめ、られると、いうのだ、ただの、にん、げんに、俺がとめ、られることなど、できるわけな・・」


 悲痛な声で呟く人型の『害獣』であったが、人影は更に首を横に振って応える。


 力強い希望と勇気と慈愛のこもった言葉で。


「君はやっぱり勘違いしているね。僕は君を殺しに来たわけじゃない、僕は・・僕は人間として人間の我が友ガイに取り付いて離れぬ『人造勇者』という化け物を倒し、人間としての我が友ガイを救い出す、ただそのためにここに来た」


「ジン・・おまえは・・おまえは、こんな、すがたになった・・おれを、たすけ、ると、いうのか・・」


 人影は人型の『害獣』となった掛け替えのない友にこっくりと頷くと、振り返って後ろに立つ彼の息子のほうに視線を向ける。


「連夜、ガイの子供達を頼むよ」


「うん。お父さん、絶対助けてあげてね」


「ああ、約束だ」


 そのあとその更にその後ろで抱き合って事態を見守っている友の子供達のほうに視線を向けると、優しい笑顔を浮かべて見せる。


「すぐに君達のお父さんを返してあげるからね。そして、そのあと君達はお父さんと一緒に幸せになるんだ」


 その力強い言葉に一瞬子供達の顔が希望に輝きかけるが、獣の咆哮と共に迫る狂気が人影を飲み込もうとしていることに気づき恐怖に顔を引きつらせる。


 再び『害獣』の意識に飲み込まれ、漆黒の破壊の獣と化した父親が、優しい人影に狂気の爪を振り下ろそうとしたその瞬間、振り返りもせずに無造作に突き出した人影の剣が、『害獣』の爪を苦もなく弾き飛ばす。


 そして、ゆっくりと漆黒の人型をした『害獣』に向き直った白い戦闘用コートをまとった人影は、勇気に満ちた瞳を向けて立つ。


「ガイ、そこは君がいる場所じゃない。僕は君を僕達や君の子供達が生きていく場所に連れ戻す」


 その若き父親の言葉に大きく頷いた少年は、後ろにいる子供達のところに駆け寄って二人の手を取ると、安全な場所へ引っ張っていく。


 二人は不安そうな顔をフードの少年に向けるが、少年はその不安を吹き飛ばすように確信に満ちた声をあげるのだった。


「大丈夫、僕のお父さんはただの人間だけど、それでも決して負けはしない。お父さんがいつも言っているんだ。守るべき大事なものがあるかぎり、人はどこまでも強くなれるって、人造勇者の力よりも、魔王の力よりも、そして『害獣』の力よりも、そういう想いの力のほうが遥かに強く、そしてそれがある限り、人は決して負けやしないんだって」


 少年の言葉に二人の子供達は顔を見合わせる。


「大事な人を守る・・」


「強い想いの力・・」


 子供達の呟きに強く頷いた少年は、二人に指差して見せる。


 その指先の方向に目を向けた二人は、そこで信じられないものを見て絶句する。


 ただでさえ凄まじい強さを持つ人造勇者である上に、『害獣』の力まで併せ持つ文字通りの『怪物』となった父親の攻撃は苛烈を極め、一撃毎にその衝撃波だけで強化ブロックできた床や壁がえぐれてどんどん無くなっていっているというのに、それと対峙している少年の若き父親は、右手に持つ剣一本をゆらゆらと揺らし舞い振り続けるだけで、捌き続けているではないか。


 そればかりではない、攻撃しているはずの人型の『害獣』の身体に、いくつもの斬撃の跡がどんどん刻まれていく。


 そして、そのスピードは見る見るうちにあがっていく。


「今こそ見せよう、己が命を懸けて大事な人達の命と幸せを守り抜く為に生み出されし、敗北を求めても決して敗れることのない最強の破邪の剣」


 変幻自在の九つの剣筋が、あらゆる角度から襲い来る『害獣』の攻撃のことごとくを弾き飛ばし、徐々に徐々に一つに収束していく。


 永遠とも一瞬とも思える剣戟の嵐の中、若き人間の剣士はついに友を助けだすための一筋の光明を見出す。


 それは針の穴を通すかの如くか細い光ではあったけれども、剣士は決して臆することなく、真っ向からそれを見詰め覚悟を決める。


 そんな父親の激闘を瞬きもせずに見守り続けていた少年は自分の父親が勝負にでようとしていることを察してその場から思わず一歩踏み出して叫ぶ。


「お父さん!! いっけええええ!!」


「オオオオオオオオオオオッ!!」


 雄叫びを上げて振るう剣士の直剣が、ついに神速のスピードで繰り出されていた『害獣』の攻撃をはるかに上回り、一瞬の間に繰り出された九つの斬撃の軌跡が宙に描かれ、その残像全てを打ち消して走る一筋の彗星の如き剣士の体当たりにも似た一撃が人型の『害獣』の身体の横をすり抜けるように打ち抜いていき、その背後数メートルのところで止まる。


 時が止まったかのように両者ともしばらく動かなかったが、やがて若き剣士は姿勢を戻すと、己の手に持つ剣を腰に佩く鞘に静かに収めた。


 キンッという鍔鳴りの音が静寂を支配する部屋の中に鳴り響くと同時に、漆黒の人型をした『害獣』の外装が全てはがれて下に落ち、人間と思われる種族の裸の男性が崩れて床の上に倒れこもうとする。


 それをいつの間にか移動してきた若き剣士が支えてやり、そっと床の上に寝かせる。


 『害獣』の中から出てきた男は、うっすらと目を開けて優しい表情で自分を見下ろしている若き剣士に視線を向けた。


「ジン・・今の技は宿難の剣じゃないな・・あれはいったい・・」


 その言葉に、若き剣士はなんともいえない穏やかな表情を浮かべて口を開く。


「あれこそはただの人間のままで、最強に昇り詰めた一人の剣侠が生み出せし絶対不敗の究極剣」


「まさか・・『独孤九剣』か?」


 思わず驚愕の声を上げて問いかけると、若き剣士は静かに頷いてみせ、男はそれを確認して溜め息混じりに嘆息するのだった。


「なるほど、ただの人間となることでそれを修得したのか・・しかし、その高みにたどり着くとは・・ジン、おまえはそれを得るために一体どれほどの研鑽をつんだというのだ・・」


 若き剣士はその問い掛けには答えようとせず、代わりに部屋の片隅で一部始終を見守っていた子供達を手招きする。


 その剣士の優しい笑顔を見た子供達は父親が救われたことを悟り、転がるように走ってやってくる。


「「父さん!!」」


 床の上に力なく横たわる傷だらけの自分の身体に、ぶつかるようにやってきて、泣きながらすがり付いてくる子供達の小さな身体を武骨ではあるが優しさのこもった腕で抱きしめてやる男。


「お前達、心配をかけたな・・」


「父さん、死ななくてよかった、よかったよ〜」


「置いていっちゃやだよ〜」


 泣きじゃくる二人の身体をしばらく両腕で抱きしめていた男だったが、再び男のほうに視線を向ける。


「ジン、聞いてくれ、己の無能を晒すばかりで申し開きのしようもないのだが・・ここの研究所で行われていた新たな人造勇者の製造については止めることができたのだが、俺の身体を元に作り上げられた新しい新世代の人造勇者である『人造勇神』のうちの数体がすでに世に出てしまっているらしいのだ。奴らの身体には俺と同じく『害獣』の種が埋め込まれていて、放って置くと大変なことになってしまう・・」


 苦しげに語る男の言葉を黙って聞いていた若き剣士であったが、優しい笑みを浮かべて首を縦に振る。


「それについては大丈夫。僕なんかよりもよっぽど強くて優しくて頼りになるうちの奥さんが、すでに彼らの消息のほとんどを掴んでいるからね。それよりも、今は、君自身のことのほうが大事だよ。もう君はただの人間になってしまったんだから、これまで通りにすぐに回復したりはしない。その衰弱しきった身体をゆっくりと直さないとね。大丈夫、君が子供達と一緒に静かに暮らせるところに案内するから、今はそこでゆっくりと休息するといい。さ、君達ちょっとだけ離れてくれるかな、お父さんをちゃんとしたところで寝かせてあげなきゃね」


 と、言って優しく子供達を父親から離れさせた若き剣士は、その細身の身体のいったいどこにそんな力があるのかというほど、軽々と男の身体を抱き上げる。


 そして、自分のすぐ後ろにいるフードを目深にかぶった少年のほうを振り返ってみて口を開く。


「お父さんはこの男の人を連れて行くから、連夜くんは、その子達を『馬車』に連れて行ってあげてほしいんだけど、頼めるかい?」


 そう問いかけてくる誰よりも尊敬し大好きな父親に頷いてみせた少年は、若き剣士に抱き上げられた自分達の父親を心配そうにみつめている二人の子供の側にいって、小さな両手を使ってその片手ずつを優しく握り締める。


 そして、不安気な表情を浮かべたままの二人に力強く頷いてみせるのだった。


「君達のお父さんなら大丈夫。僕のお父さんがついているからね。君達は僕と一緒に行こうよ」


 二人は顔を見合わせると、この小さな命の恩人にこっくりと頷いて見せ、そして、尊敬するような眼差しでフードの少年を見つめる。


「すごいんだね、君。僕達と同じ歳くらいなのに、すごく勇気があって・・」


「そうね、私達のこと助けてくれてありがとう」


 三人仲良く歩きだしてからしばらくして、二人に話しかけられたフードの少年は、照れくさそうにえへへと笑ってみせる。


「そんなことないよ、ほんとは僕だって怖かったよ。でも、二人のこと助けたかったんだ」


「え、なんで?」


「どうして、私達のこと助けようと思ったの?」


「う〜ん・・うまくいえないけど・・大好きなお父さんに殺されるなんて、絶対だめだって思ったんだ。だからかな・・」


 そう呟くように言うフードの少年に、ますます尊敬の視線を向ける二人。


 二人は、この真ん中を歩く少年のことをもっと知りたいと思った。


 そう思ったとき、二人はどちらともなく少年にあることをお願いしていた。


「あのさ・・顔を見せてよ」


「え・・」


「うん、あの、いやだったらいいけど、命の恩人の顔を覚えておきたいの」


「「お願い!!」」


 二人からお願いされてしまった少年はしばらく考え込んでいたが、やがて二人から手を放すと、ゆっくりとそのフードを取り去った。


 いったいどんな顔が出てくるのだろうと、どきどきしていた二人は、その少年の顔を見て驚愕の表情を浮かべる。


 なぜなら少年は・・




〜〜〜第50話 父と子と〜〜〜




 二人の驚愕の表情を面白そうに見ていた連夜だったが、やがて、急速にその二人の顔が歪み朧となって消えていく。


 そして、意識が覚醒していくのを感じた連夜は、自分がトラックの運転席で居眠りをこいていたことに気がついた。


 しかも、しっかり涎まで出ているではないか。


 慌てて作業着の袖でぐしぐしと拭いていると、運転席のほうから優しい声が聞こえてくる。


「連夜くん、もう少し寝ててもよかったのに」


 そっちに目を向けると、そこには自分によく似た二十代後半に見える青年がトラックを運転しながら優しい眼差しをこちらに向けて笑っているのが見えた。


 連夜は恥ずかしそうに頭をかきながら、その人物になんとも言えない深い愛情のこもった声で話かける。


「もう、お父さん、起こしてくれたらよかったのに。僕完全に眠ちゃっていたよ」


 そんな連夜のことを、同じくらいに愛情のこもった視線を向けるのは彼の実父、宿難(すくな) (ひとし)




 『アルカディア』から『嶺斬泊』へとなんとか無事帰ってきた連夜達は、途中四腕黒色熊(アシュラベアー)の襲撃から救い出した傭兵の怪我人達を、事前に待機させていた救急車に引き渡し、それに同行することになった老師カダやその孫娘アンヌ、そして、傭兵の生き残りで連夜の幼馴染であるレン達と別れを告げる。


 その後、残った仲間達は、兄大治郎が乗ってきたトラックに土産物をはじめとする荷物と、ついでに熟睡しているスカサハと晴美も積み込んで乗り込み、兄大治郎の手で各自の家へと送られていった。


 それと行き違いでやってきたのが連夜の父、(ひとし)であった。


 大型トラックでやってきた仁は、トラックから降りて息子である連夜の姿を見つけると、しばし万感の思いで息子の姿を見つめたあと、駆け寄ってまだ自分よりも若干小さいその身体を抱きしめた。


「無事でよく帰って来たね、連夜くん。それに立派にやり遂げてくれたみたいじゃないか、よくやったね」


「へへ・・お父さんに褒められるの久しぶりだなあ」


 短いが万感の想いを込めて自分を褒めてくれる父の言葉に、連夜は嬉しくて思わず涙を流していた。


 恥ずかしいなあと思って笑ってごまかそうとした連夜だったが、ふと父の顔を見ると父も自分と同じように涙を流しているのを見てしまい、止まらなくなってしまった。


 この父の前ではどうしても子供に戻ってしまう自分が情けなかったが、それでも父の温かくて優しい身体が嬉しくてしがみついて声を上げて泣いてしまう連夜。


 そんな連夜の背中を優しく父は撫ぜてくれるのだった。


 家族の中で、連夜が特に強い絆で結ばれていると感じるのがこの父であった。


 自分の尊敬すべき父であると同時に、偉大なる師匠であり、越えるべき目標でもある存在で、他の家族に対する愛情とも、最愛の恋人である玉藻に対する愛情とも違う、特別に深い愛情を連夜が抱いている存在でもあった。


 父と連夜は、幼い頃から二人で行動を共にすることが多かった。


 恐らく父は、同じ脆弱な人間としての道を歩むことを決めた自分に、人間として生きていくことの大切ないろいろな何かを連夜の小さな体そのものに教えたかったからに違いない。


 その教えのことごとくを連夜はいちいち覚えているし、これからも忘れることはないであろう。


 父と共に歩み進んだ道、そして、その想い出は、連夜にとってどんな宝にも代え難いもので、それが指し示す道を連夜は迷うことなく進んでいくことができると思っている。


 それほどの愛情と大切な何かをいつもくれるこの父に、何万分の一かでもいいから親孝行できる日が来るようにと、連夜はいつも自分を叱咤激励し走り続けている。


 いつかこの偉大な父に辿りつけるといいなと思いながら、辿りついてみせると思いながら。


 そんなことを考えながら、『馬車』預かり所の広い空間の中わんわん泣いていた連夜であったが、やがてちょっと落ち着いてきて顔を上げると、なんとか笑顔を作って父親の顔を見る。


「ご、ごめんね、お父さん。荷物をトラックに載せ変えなきゃね」


「そうだね、連夜手伝ってくれるかな?」


「うん、勿論だよ!!」


 相変わらず優しい笑顔を向けてくる父に連夜はてへへと笑って見せると、『馬車』の中央車両にあるサイドハッチを開き、ほぼ満タンに積載している荷物の山を父親に見せる。


「これは驚いた、よくこれだけの量を確保できたね・・」


「うんカダ老師が、自分ところの保有在庫だけじゃなくて、『アルカディア』の中で特に信頼できる知り合いの商人の人達にもお願いしてかき集めてくれたんだ」


「そうか、カダ老師には本当に世話になってしまったねえ・・」


 そう言って二人の親子は何と言えない表情で顔を見合せていたが、自分達の作業に入ることにする。

 

 父親は、トラックから数体のクモ型の作業用ゴーレムを連れ出してくると何やらその背中にあるルーン文字をいじって命令をインプットし、積み込み作業を開始させる。


 連夜はそのゴーレム達をアシストする形で誘導していき、クモ型のゴーレム達はその八本ある手足を自在に動かし次々と大量の荷物の山を車両からトラックに積み込みなおす。


 そして、あらかた作業が終わりに近づいたころ、連夜はもしもの場合にと持ってきておいたサイドカーと、自分の荷物をトラックに積み込んでしまい、作業は十五分程度で終了することができた。


 とりあえず、『馬車』は一週間は預かってもらうことができるので、ここに置いておくことにしておきあとで返しに行くことにするとして、二人はトラックに乗り込むと、その場所をあとにしたのだった。


 一応、この後の当初の予定としては、まず、父親の依頼で購入してきた分を中央庁倉庫に運びこみ、次に大治郎の所属する『暁の咆哮』の事務所に、次の遠征で必要になるであろう分を搬入する、そして、最後に残った分を『嶺斬泊』の東部にある卸売市場に持っていって売捌くことになっていた。


 連夜はトラックの助手席の中で、自分が持って帰ってきた荷物の仕分けが書かれた台帳をトラックの薄暗い室内ライトの下で確認していたが、運転中の父親が不意に何かを手渡してきたのに気づき、何かわからなかったがとりあえず受け取ってそれを確認する。


 すると、それは小さな冊子らしきもので、表紙を見ると『黄帝江銀行大型預金通帳:ゴールドタイプ』と書かれており、仰天した連夜が恐る恐る中を見ると、とんでもない金額が振り込まれており、しかもその通帳の名義が自分になっていることを確認してさらに驚愕の表情を浮かべる。


「お、お、お父さん、これなに!?」


「何って、今回の代金」


「多すぎるよ!! 桁がかなり違うよ!!」


 悲鳴を上げる息子の姿を面白そうに見つめていた父親だったが、やがてむしろ済まなさそうな表情を浮かべて口を開く。


「いや、ごめん、連夜くん。それでもかなり値切っている金額なんだ。本当ならね、もう一つか二つ桁が増えないとおかしいんだよね」


「えええええええ!! うそでしょ!?」


「あのね、連夜くん、よく考えてみてよ。今回君達は『王』クラスの『害獣』がいないってわかっていたかもしれないけど、もし違う人がこの任務を受けていたとしたらどう思う? 絶対行かないと思うし、もし行くとなったとしても莫大な報酬を要求されていたと思うよ。しかも、『王』クラスの『害獣』対策でとんでもない数の傭兵旅団が繰り出されていただろうし、それの維持費やらなんやら考えると、事は中央庁の軍事作戦並の金額になってしまっていたはずなんだよね。そう考えると非常に申し訳ないんだけど、今回の報酬は微々たるものなんだよ」


「こ、これで微々たるものなんだ・・」


 預金通帳にずらりとならぶ0の数を眺めながら、唖然とした表情を浮かべる連夜。


「奥さんがかなり中央庁の上に噛み付いてくれたみたいなんだけど、これでなんとか手を打ってくれないかって逆に泣きつかれてしまったらしくてね、納得できないかもしれないけど、今回はそれで勘弁してあげてほしいんだ」


「いやいやいや、全然僕としては問題ないよ。むしろ額が大きすぎて吃驚してるけど・・」


「物わかりのいい息子をもって僕は幸せだよ、ありがとうね。それでね、その金額の中には君が卸売市場に持っていく予定になっている荷物の分も入っているからそこは了承してね、今からいく中央庁の倉庫に一緒に入れてしまうから」


「あ、はい、それは全然構いません」


 こっくりと頷いて見せる息子の了承を確認した父親は、トラックを飛ばして中央庁の倉庫群へと向かい、そこで先に連絡を受けて待ちうけていたと思われる中央庁のスタッフの皆さんに

荷物を引き渡したわけであるが、その後、次の目的地である大治郎の所属する『暁の咆哮』の事務所に向かう途中で連夜は居眠りをこいてしまったのであった。


 起き上がった息子が必死になって涎を拭いている姿を見ていると、幼き頃の息子の姿がオーバーラップして見え、なんとも言えない懐かしくも優しい気持ちになって見てしまう父。


「いや、そんなに寝てないよ。三十分くらいかな。なんだかしきりにうわ言を言っていたけど、夢でも見ていたのかい?」


 そう優しく問い掛けると、愛しい息子はえへへと可愛らしく笑いながら口を開いた。


「お父さん、覚えてない? ガイおじさんを助けに行ったときのこと」


「あ〜、あのときのことを思いだしていたのか。確か、連夜が十歳のときだっけ、冬休みだったね」


「うん、そのときにほら、一緒に助けることになったガイおじさんの子供の・・」


「ああ、あの二人ね。たまに連夜が遊びにいって一緒に遊んであげていたよね」


「あれからどうしているかな〜って・・」


 助手席で遠い目をする息子を、見つめている父親の目に、いたずらっぽい光が宿る。


 しかし、それと気がつかれないようにわざと素気なく聞いてみるのだった。


「連夜はあの二人に会いたい?」


「うん、それはね。人間の友達ってあの二人しか僕いないもの・・でも、二人の旅はそう簡単には終わらないでしょ」


 連夜は、二人の子供達が選んだ過酷な道をよく知っており、それが終わりを告げない限り自分と再び出会うことはできないこともまたよく知っていたのであった。


 だが、そんな息子の寂しそうな横顔を見ながら、父親はわざとすねたような口調で言うのだった。


「連夜くんは、どうもお父さんとお母さんをみくびっているなあ・・あんな年端もいかない子供達に全てを押し付けて知らん顔するような大人じゃないつもりなんだけどなあ・・」


「え・・お、お父さんまさか・・」


「もうすぐ会えるよ。本当にすぐにね」


 みるみる表情を輝かせていく息子の顔を見た父親は、これ以上ないくらいの会心の笑みを浮かべるのだったが、すぐにちょっとだけ顔を曇らせて息子の方を見る。


「だけどそのために、連夜くんにはちょっと協力してもらわないといけないんだよね」


「僕に?」


「ああ、いや、直接君にあの二人のことを手伝ってくれと言っているわけじゃないんだ。それについてもまた詳しく説明するんだけど・・君にやってほしいことは、もうカダ老師から聞いていると思うけど、『イドウィンのリンゴ』の栽培方法と、『神酒』の製造方法の修得についての話なんだ」


 父親から突然出た話に、連夜は一瞬表情を強張らせたが、真剣な表情になってこっくりと頷く。


 その息子の表情を見た父親は、こちらも真剣な表情になって語り始める。


「あらかたカダ老師から詳細を聞いているかもしれないけど、恐らくその通りになると思う。三か月間の限定期間だけど、『黄帝江』に浮かぶ島の一つにある『特別保護地域』一つを丸々一つ中央庁自身が借りきってそこに籠って修行となると思うんだ。で、そのときに、僕も一緒に講師役としてついていってカダ老師のお孫さんや、カダ老師が経営されている商会の人達に薬草、霊草の栽培方法について伝授することになっているんだけどね・・」


 と、一旦そこで話を切り、大きく息を吐きだした父親はさらに真剣な表情を浮かべて連夜を見つめて口を開いた。


「『嶺斬泊』がその修行を受けるに値する選抜者の選考を行う前に、君には先に行ってカダ老師の教えを受けておいてほしいんだよ」


「え、それはいつの話ですか?」


「明後日、つまり火曜日、君の停学が解ける日だね」


「あ、明後日ですか!?」


 流石の連夜も唖然として父親のほうを見つめる。


 父親が連夜の表情を見ると、明らかに急過ぎると書かれているのがわかったが、大きく一つ嘆息して言葉を紡ぐ。


「いや、実はこれカダ老師の要求の一つなんだ・・連夜くんを選考の中にいれないなら教えない、しかもそれについては他の者とは一緒にせず特別扱いさせてもらうって」


 その言葉を聞いた連夜は、しばらく腕組みをしてうんうん唸っていたが、やがて、父親のほうに顔を向ける。


「老師からお聞きしたんですけど・・一人だけ同行してもらって三か月の間、一緒に『特別保護地域』で住んでも構わないんですよね?」


「え、ああ、それは勿論、構わないよ。どうせ、君のことだから士郎くんか、晴美ちゃんを連れて行こうと思っているんだろうけど、ちゃんとその場合は、その二人の学校での出席日数とか単位とかは免除する方向で調整するから大丈夫」


「それは・・大学とかでもですか?」


 てっきり連夜が自分の右腕と頼む合成種族(キマイラ)の少年か、料理の道の弟子である晴美を連れて行くと思っていた父親は、思いもかけない質問に戸惑いの表情を浮かべる。


「大学? ミネルヴァくんでも連れていくのかい? いや、まあ、それは構わないけど、そっちのほうがむしろ話をつけるのは簡単だから、安心していいよ」


「そうですか」


 その言葉を聞いてちょっと安心した顔をした連夜だったが、やがて見たこともない真剣な表情を浮かべて父親の顔を見つめ、父親はその息子の表情を見ていったい何事かと緊張した面持ちになる。


「ど、どうしたの連夜くん、やっぱり高校生活を三カ月も中断するのはつらいかな?」


「いえ、そうじゃなくて・・あの、お父さん・・今日、日曜日だからお母さんもいますよね」


「う、うん、多分、今頃はスカサハくんと晴美ちゃんにお説教している頃だと思うけど・・」


 そう、実は眠っていた二人は預かり知らぬことであるが、連夜が実家に連絡したとき連夜はある事実を父親から知らされていた。


 実は黙って連夜について行ったスカサハと晴美の無謀な行動に対して母親がカンカンに怒っているようなのだ。


 連夜達が『アルカディア』に行っている間相当に心配していたらしく、その怒り具合は尋常ではないらしい。


 二人が帰ったらまず間違いなく地獄の長時間正座、あんど、お説教をすると本人自身が断言していたので、恐らくいまはその真っ最中であろう。


 父と子はそうなった母親がいかに怖いか身にしみてよ〜くわかっていたので、一瞬ぶるっと身体を震わせたが、すぐに連夜のほうは再び真剣な表情にもどって父親のほうを見る。


「あの、お父さんとお母さんに、会ってもらいたい人がいるんだ・・」


「僕と奥さんに? また何か事件でもあったのかい?」


 連夜が二人同時に用事があるという場合、大概は何か大きな事件に巻き込まれて自分の力で解決できない場合が多いため、父親は息子の身を案じて真剣な表情を浮かべて見直すが、なぜか息子は慌てて手を振ってそうじゃないというと、非常にいいにくそうに顔を赤らめて下を向いてしまった。


「あの、その、とりあえず、外食しながら話がしたいので、夜時間を空けておいてほしいんだけど・・だめかな?」


「いや、勿論ほかならぬ連夜くんの為だから、奥さんも最優先で時間を空けると思うけど・・そんなに大事な話なのかい?」


「うん、かなり大事な話が・・あ!! そうだ!! くれぐれも他のみんなには言っちゃだめだよ!! 特にダイ兄さんや、スカサハや、み〜ちゃんや、晴美ちゃんにも!!」


「つまり、僕と奥さんだけの秘密にしないといけないってことだね」


 その言葉にこっくりと頷く息子の姿を見ながら、いったいこの自分達夫婦には出来すぎた息子が何を話し誰と会わせようとしているのか全く見当もつかなかったが、相当なにか思いつめていることははっきりとわかっていたので、できるだけ力になってやろうと心に誓うのだった。


「詳しい時間はあとで・・そうだね、午前中の十時までには念話するから、お母さんにも話を通しておいて、お願い!!」


「いや、そこまでお願いしなくてもちゃんと聞くよ。他でもない君の頼みなんだから。と、いうか、珍しいね、君がそこまで頼み込むことって初めて見た気がするよ」


「うん、今回ばかりは僕も必死だから・・」


 そう言って大きく溜息を吐きだす連夜は、助手席からどこかにいる誰かを見つめているようだったが、再び父親のほうに顔を向ける。


「あの、お父さん、『暁の咆哮』の事務所で荷物搬入が終わったらサイドカーでちょっと抜けてしまってもいいかな?」


「あ、ああ、いいけど、急ぐのかい?」


「うん・・」


「わかった、じゃあ、そうするといい。お父さんも多分、団長の坪井(つぼい)さんと話があるし。・・連絡はいつでも受けられるようにしておくから、時間が決まったら連絡しなさい。いいね」


「ありがとう」


 その後すぐに、目的地である事務所に到着したわけであるが、荷物の搬入が終わったあと予告通り息子の連夜は慌ただしくサイドカーに乗っていずこかへと消えて行ってしまった。


 街中に消えていく息子の後ろ姿をしばらく見つめ続けていた父親であったが、ずいぶんと大きくなってしまった息子に一抹の寂しさを感じながらもそろそろ太陽が昇ろうとしているぼんやりと明るい朝の薄闇の中、旧友であるドワーフ族の剣豪に会うために事務所の中へと消えて行った。


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