~第45話 戦場~
朝目が覚めた男達を待っていたのは、恐るべき死の行軍であった。
昨日の昼間に城砦都市『アルカディア』につき、その後連夜の父親の依頼をこなすためにこの都市の中央庁に物資を届けたロスタム達であったが、とりあえずリーダー連夜の勧めに従って、この日は早々に宿を取り、身体を休めることになった。
連夜の知り合い・・正確には連夜の父親の知り合いが切り盛りしているなかなか奇麗で大きな民宿に宿を取った連夜達は、宿で出された新鮮な魚介類の夕食を味わい、また露天風呂に浸かって身体の疲れもだいぶとれたわけであるが(メンバー内の若干二名の男女が、なぜか一緒に風呂からあがってきて物凄い疲れた表情をしていたが、女性のほうがやけに機嫌がよかったので深くは追求しなかった。)、夜の見張りなどで十分な睡眠がとれていないこともあってすぐに皆就寝することに。
結構タフなつもりでいたロスタム達であったが、思った以上に精神的に疲れていたようですぐに泥の中に沈み込むように深い眠りについてしまった。
そして、翌日の朝。
八時頃にすっきり目が覚めて、宿で出された朝食を食べた後に民宿のロビーに集まってみると、そこには帰り仕度を整えた連夜の姿が。
大事な商談はどうするのかと聞くと、なんとロスタム達が寝ている間にもう終わってしまったという連夜。
そこで、昼過ぎにはこの都市を出発して帰路につくので、それまでに土産物をはじめとする買い物全般を全員で行うと言い出した。
まあ、荷物持ちなのだろうなと思って軽い気持ちで男性陣は頷いたのだが、連夜と女性陣はなにやら民宿の新聞に挟まっているチラシを念話帳一冊分もあるくらい持ち出して来て、真剣な表情で確認し始めた。
しかも、宿の女将から借りたらしい『アルカディア』の地図を広げて今日回る場所まで入念にチェックしているのだ。
何やらそれらを見ている連夜や女性陣の表情は鬼気迫るものがあり、男性陣にはさっぱりなんかよくわからない言葉が飛び交う作戦会議が行われ、かなり白熱していたようだったが、結局地図と照らし合わせながら、これなら最短でこういう具合に回れるとか説明する連夜の説得に女性陣三人が納得する形で会議は終息し、すぐさま荷物をまとめた一行は買い物めぐりの旅に出発することになったのだった。
『嶺斬泊』と違い『アルカディア』の普通免許取得可能年齢は十六歳であるため、連夜はこちらで免許を取ったらしいのだが、なんだかやけに運転が巧みなのは気のせいだろうかと、一抹の不安を感じながらも、まず連夜が向かったのは城砦都市『アルカディア』の海沿い側近くに存在する『世界都市群トレードセンター』。
『アルカディア』周辺にある城砦都市群のいろいろな企業がイベントを行うときに使用する有名な場所らしいのだが、いったいなんのイベントだとそのドーム状の建物周辺にいる人達を見ていると、見事なまでに女性ばかり。
センター建物の上部をみると大きな横断幕が張られていて、そこにはでかでかと『夏先取り、女性用ファッション製品各種新商品大特売フェアー (有名企業多数協賛)』と書かれているではないか。
なんだか嫌な予感がするロスタムが、もう一度ドーム周辺に群がっている女性達を見ると、まるで『害獣』と戦う直前の傭兵達のように殺気立ってギラギラした目をしているものばかり。
どういうことかと車内の女性達のほうに目をやったロスタムだったが、外の女性達以上に洒落にならない殺し屋みたいな視線を宿しているのを見て、とても声をかけることができない。
やがて、センターの専用駐車場にトラックを止めて降り立った一行に、連夜は今まで見たこともないような超真剣な表情で命令を下す。
時間は限られているので、絶対に目当ての商品以外には手を出さないこと、また男性陣は女性陣から受け取った荷物を速やか受け取って取られないように死守すること。
呆気に取られる男性陣をよそに、やたら気合いの入った掛け声をあげて連夜と女性陣は全速力でセンターの中に突撃していった。
一瞬呆然としたまま連夜達を見送ってしまった男性陣であったが、すぐに慌てて追いかけてなんとかはぐれずについていく。
やれやれ、どうせ女の買物だから長いこと待たされるのだろうなあ・・なんて考えていたロスタム達だったが、その考えが極上チョコレートパフェよりも甘いものであったことを思い知らされることになる。
センターの中に突入した彼らを待っていたのは、女性達の意地と欲望と闘志がぶつかり合う、無制限一本勝負の恐るべき買い物という仁義なき戦いの始まりだった。
各有名ブランドのブースには軍隊アリの群れのように女性達が群がっており、特売になっている新商品を一つでも手に入れようと大変な状態になっている。
そんな中に恐れを知らない連夜特攻部隊が突撃していき、いったいどうやって強奪してきたのか、次々と男性陣に自分達が購入した商品を手渡しあっという間にまたその戦場へと舞い戻っていく。
それを繰り返しているうちに、男性陣の両手はみるみるうちに買い物袋でいっぱいになっていき、センターに突入してから三十分もたたないうちに三人の男達の積載能力をオーバーしようとしていた。
その様子を見ていたリーダー連夜は、すぐに愛弟子士郎にそれらの戦利品をトラックに運んで行くように、ロスタム達は休憩所で待機しておくようにとテキパキと指示を出しておいて自らはまたもや戦場に舞い戻って行った。
そうして一時間が経過しようとしていた時、それぞれの戦場に散って行き激戦を繰り広げていたメンバーが誰一人欠けることなくぴったり時間通りに休憩所に集合し、速やかに撤収、次の戦場への移動を開始するのだった。
空だったトラックの荷台の中には相当な荷物が積載されていたが、リーダー曰く、『まだまだこんなものじゃない』とのことで、それを肯定するかのように女性陣の戦意は全く衰える様子を見せない。
次に向かったのは、安くて良質な服飾品を販売していることで有名な『一黒』の大型店舗で、ここでも今日特売があるらしくやはり女性客の数がとてつもなく多い。
専用駐車場にトラックを止めた連夜は、女性陣達に『一黒』のチラシを見せて、それぞれにどこで何を買うかの分担を説明。
アルテミスにはクリスを、スカサハ、晴美には士郎を、そして連夜自身にはロスタムを専属で同行させるように指示しておいて、再び突撃開始。
先程の『世界都市群トレードセンター』と違い、今度は男性客も結構交じっているため男性陣に露払いをさせながら突き進んで行く連夜と女性陣。
荷物持ちから生きる盾と化した男性陣はみるみるうちに被弾して憔悴していくが、連夜と女性陣はその屍を乗り越えるようにして目的の商品をゲットしていく。
そして、またもやぴったり一時間で撤収したメンバーは、次の戦場へと向かう。
しかし・・
「ちょ、ちょっと待ってくれ、連夜・・」
トラックの乗車席で、民宿を出発してからまだたった二時間とちょっとしか経ってないというのにすでに疲労困憊している様子のロスタムが、運転席の連夜に声をかける。
その声をかけられた連夜は、ほんの少し疲れた様子を見せてはいるものの、まだまだ戦えるという闘志をみなぎらせながら、後部座席に座るロスタムのほうを見ないで何事かと問いかけた。
「何、どうしたの? ロム?」
「い、いや、ちょっと休憩させてくれないか・・クリスも、士郎もすでに限界に近いのだが・・」
ロスタムの言葉通り、すでにクリスも士郎も二つの戦場を潜り抜けて来たおかげで肉体的にもだが、何よりも精神的にダウン寸前に追い込まれてぐったりしていた。
このままでは自分達はちぬ、ちんでしまうと珍しく弱音を吐いたロスタムだったが、今日の連夜は非常に厳しかった。
「買い物をなめるんじゃない!! 気を抜いたら最後、安くて良質な商品は手をすり抜けて、どこでも手に入るようなどこで買っても同じかそれ以下のレベルの低いものしか買えないんだぞ!! あと一軒回るだけなんだから、気合いをいれろ!!」
その言葉に異様に熱心に首を縦に振る女性陣。
主夫魂を爆裂させている連夜に、今何を言っても無駄だということをよく知っているクリスが、絶望に天を仰いでいるロスタムの肩を慰めるように叩く。
「あきらめろ、ロム。今の連夜に何を言っても無駄だ。むしろ今日はまだましなほうだ。タイムリミットがあるおかげで三つ梯子するだけで済む」
「え、ちょっと待てクリス・・これでマシってどういうことだ?」
クリスの言葉の中に聞き捨てならないセリフがあったことに慌てて問いただすと、クリスはひきつった笑いを浮かべてロスタムを見た。
「いつもだったら一日中付き合わされて、何度も同じところを往復することもざらなんだぜ」
「な、なんで何度も同じところを往復する?」
「いろんな店の値段と商品を実際に見比べて、一番安いところを徹底的に調査してから購入するんだよ。勿論特売で絶対安くていいってわかってる商品は今日みたいにその場で突撃していくんだけどな。スカサハと晴美がどうかは知らんが、少なくともうちのアルテミスは主夫としての連夜を崇拝しているからな。これまでも何度も連夜と行動を共にして、その買い物術を徹底的に教え込まれているから休日に買い物に行くとなったら大変なことになるのさ・・」
あはははは・・と乾いた笑い声をあげるクリスをぞっとした表情で見つめるロスタムと士郎。
やがて、トラックは最終目的地である城砦都市『アルカディア』の最大級ショッピングセンター『愛音』に到着。
流石の女性陣も若干憔悴した顔をしてはいるものの、闘志だけは衰えておらず連夜の号令の元、最後の戦場に突撃していく。
ロスタム達男性陣も、半ばやけくそ気味にあとに続き、激闘一時間。
『アルカディア』最大の目玉と言える新鮮な魚介類をはじめとする生鮮食品、ご近所様あるいは学校の友達先生に配るご当地特産品のお土産の山、『アルカディア』の銘酒各種、あと家で食べるための有名洋菓子メーカーが作ったシュークリームやらエクレアやらチーズケーキやらを山のように(実際にトラックの中は限界ぎりぎりまでいっており、一部の荷物は乗車席のほうにいれざるをえなかった)買い込んだ一行は、ふらふらになりながらも、どこか何かをやりきった表情を浮かべながら激闘を終えたのだった。
「も、もういいだろ、連夜。早く、『嶺斬泊』に帰ろう」
ふらっふらになりながらトラックの荷物をすべて『馬車』のトレーラーに積み込んだロスタムが、憔悴しきった表情でリーダーの顔を見る。
すると連夜は、満足気な中にもどこか物足りないような顔を一瞬してみせたのだったが、やがて頭をひとつ振っていつもの穏やかな表情にもどると、『馬車』の運転席に乗り込みながらロスタムに頷いて見せるのだった。
「そうだね、我が家に帰るとしようか」
〜〜〜第45話 戦場〜〜〜
なぜ!? どうしてこうなってしまったのか!?
恐慌状態に陥り、乗り手の言うことを聞くことなくひたすら恐怖の森の中を疾走する快速鳥の上で、少女は必死に自らが陥っている状況について判断しようとした。
自分の何が間違っていたというのか?
自分はただ強くなりたかっただけだ。
そのために、傭兵達に交じりこの世界の強者である『害獣』達と渡り合うことによって自分の腕を磨こうとしていただけなのに。
少女は、中学卒業後、高校に進学する道に進まず、傭兵となり『害獣』ハンターになる道を選んだ。
その就職先となったのは中学時代にバイトで世話になっていた『梟の目』という小規模な傭兵旅団で、構成メンバーは全部で八人と少ないが、みなそれなりにいい腕を持ち城砦都市『アルカディア』ではそこそこ名の知れたチームであった。
仲間達は中学時代の自分を知っていたため、快く少女を迎え入れてくれ、少女はそんな仲間達に鍛えられ、励まされてめきめきとその実力を伸ばしていった。
『梟の目』は少人数による狩りを主としているため、あまり手強い相手とはやらない。
ほとんどが『害獣』の『兵士』クラスがほとんどで、ごく稀に弱い『騎士』クラスを相手にするくらいである。
で、あるからそれほど危険があるわけではなく、比較的安全に戦うことができるので、初心者に近い少女にとってはまさに絶好の修行になったといえるだろう。
しかも、『梟の目』はどれほど目的の獲物が弱いとしても、下準備を決して怠らないため、もしもの場合の対処方法や逃走手段などもきっちり用意されており、少女がこのチームに入ってから一年以上経過した今までに、チームが全壊してしまうような事態に陥ったことが一度としてなかった。
なのに・・
少女は先程自分を襲った悪夢のような出来事を思い出して身を震わせる。
今回、彼女達『梟の目』は、城砦都市『アルカディア』の北に延びる交易路『ウォーターロード』に獲物を求めて遠征してきていた。
これまではずっと『アルカディア』の南方周辺を中心に狩りを行ってきたのだが、今日の朝、傭兵ギルドに現在封鎖されている北方の交易路『ウォーターロード』に出没している手負いの古代ゴーレムを退治したものに、『騎士』クラス並の報奨金とそれとは別にボーナスも出るということが告知がされて、とりあえずちょうど出発の準備を整えていた彼らは、南に出発するのをとりやめ、慌てて北へと進路を変更したのだった。
北の交易路に出没し暴れまわっている古代ゴーレムの話は、少女も噂で聞き及んでいた。
初めてそのゴーレムと遭遇した傭兵旅団が見たときは、身の丈が十メートル近くもある恐ろしいほど巨大な姿をしていて、全身にびっちり物騒な武器弾薬を積んでいたそうなのだが、『アルカディア』と北の城砦都市『嶺斬泊』のいくつもの傭兵旅団が、幾度となく死闘を繰り広げたことにより、外装をほとんど失い、最後に目撃されたときにはその全長は半分以下になっていて、ほぼその武装も失われていたという。
ただ、厄介なことにまだ油断できない武装として強烈な全方位型の魔導レーザーを搭載しているということがわかっており、その点が非常に気になるところであったが、それでももう今までの戦いで相当なダメージを負っているらしく、団長はこの人数でも倒せると決断したようだった。
実際、うちのメンツは『兵士』クラスを相手にしてはいるが、その実力は決して低いというわけではない。
確実に安全に少しでも相手の戦力を減らすという方針を掲げているのでそうしているだけであって、他のチームとの合同作戦の時などにはその実力を遺憾なく発揮することも少なくない。
そんな自分達であるから、滅多なことで大変な事態に陥るわけはないと思っていたのだが・・
『アルカディア』から出発した一行は、まず『アルカディア』と『嶺斬泊』の中間地点にある夜営ポイントに陣を張って森の中を探索してみることにした。
夜営ポイントに到着した一行は、つい最近このポイントを何者かが使用したと思われる形跡が残っていたことに驚いたが、よくよく考えてみればこの封鎖を一刻も早く解きたい『アルカディア』『嶺斬泊』の両中央庁が強攻偵察部隊を送り込んでいたとしても何ら不思議な状況ではないので、他に傭兵旅団がいるのだろうということで納得し、手早く陣を張る。
そして、昼過ぎから三人ずつのチームに分けて交互に森の中を慎重に探索し、古代ゴーレムの形跡を追跡する。
しかし、陽が沈むぎりぎりまで探索を行ってみたが、ゴーレムの姿はどこにもなく、また『労働者』クラスの『害獣』すらいない静かな森の様子に一同は落胆し、とりあえず夜を迎えるための準備をするために一旦探索を中断するのだった。
チームメンバーその後、夕食を作る女性陣と、夜に襲撃された場合のもしものときに備えてキャンプ周辺に罠を設置する男性陣とにわかれて作業を行い、十九時までにはすべて終了することができ、車座になって夕食を取ることに。
焚火の周辺を囲んでのいつもと同じ顔、いつもと同じ光景。
少女はこの気心の知れた仲間達と過ごすこの和やかな雰囲気とひとときが大好きだった。
だが、そのやすらぎの時間は、一瞬にして地獄に変わる。
バイソンビーフシチューが入った皿を地面に置いて立ちあがったダークエルフ族の中年の団長は、メンバーに見えるように地図を片手に明日の探索エリアについて話をしていた。
が、話の途中で突如その姿が消える。
残ったメンバーはいったい何が起こったのかさっぱりわからず、呆気に取られて団長が先程までいた空間を見つめていたが、はるか遠くで何かが落ちる異様な音を聞きつけてそちらに一斉に視線を向ける。
すると、暗闇の中ではっきりとはわからないが、焚き火から少し離れた所に、何やら人影らしきものが倒れているのが見え、それはぴくりとも動かないでいた。
壮絶な悪寒が走る中もう一度団長が立っていたところに目を向け直すと、焚き火の光で照らされているはずのその場所に異様に濃く深い闇が広がっているのが見えた。
最初は闇そのものが現れたかと思った面々だったが、よくみるとその闇は黒い体毛で覆われた巨大な何かで、ゆっくりと視線を上にあげたメンバーが見たものは、夜の闇に仁王立ちしてこちらを睨みつけている四本腕の巨大な黒色熊であった。
「あ、四腕黒色熊!!・・ぜ、全員、散会!!」
とんでもない襲撃者の襲来に、メンバーは一斉に足もとに置いていた自分の武器を持って一斉に襲撃者から距離を置こうと走り出す。
しかし、少女はあまりの恐怖で身がすくんでしまい、咄嗟に副団長の命令に反応することができず、茫然と目の前の襲撃者を見上げるばかり。
喰われると思った少女だったが、不幸中の幸いというべきなのだろうか、動かなかったことが少女の命を救うことになった。
襲撃者である四腕黒色熊は、散会した他のメンバーの動きに反応し襲いかかっていった。
まず、チームの要ともいえる副団長のドワーフ族の女性が餌食になった。
彼女は強固な強化ミスリル製の防具に身を包み、同じ材質でできたヒーターシールドで完全武装していて、打撃、斬撃、突撃や遠隔攻撃に対しては鉄壁の構えで迎え撃ったものの、四腕黒色熊はあろうことか、彼女をその四つの腕で捕まえると、逆さに向けて地面に叩きつけて、動けなくなったところを踏み潰してしまった。
流石のミスリル製防具もそんな攻撃は想定外である。
本来であればチームの盾である彼女に相手を引きつけておいてもらい、彼女を援護しながら他のアタッカー達が相手の体力を削っていくというのがセオリーである。
ところがいきなりその重要な盾がつぶされてしまった。
そうなってしまうと、あとは攻撃力はあるものの防御力はまったくないアタッカーと、前衛がいなければ大して役に立たない援護役の後衛だけ。
そんな彼らの戦いをまるで熟知しているかのように四腕黒色熊は的確にチームの重要ポストにあるメンバーを沈めていく。
ドワーフの副団長の次に狙われたのはチーム全体の能力を底上げする特殊能力に長けた猫型獣人族の男性で、この世界に元々あった原初の言葉を歌にして歌いあげることでチームのメンバーの力を何倍にも引き出すことができ、しかもこれは異界の術ではないため『害獣』に察知されることもない誠に便利な技能であるわけだが、まるでそれをわかっていたかの如く、彼に近づいた四腕黒色熊は彼をその剛腕でなぎ倒そうとする。
しかし、一瞬早くそれに気がついた彼の恋人である山猫型獣人族の女性ハンターがそこに割って入り、その巨大な斧で熊の一撃を防御し彼を守ろうとする。
とはいえ、彼女は防御を得意としているわけではない、勿論他のメンバーに比べればはるかにマシな防御力を持つ人物であるのだが、専門の副団長にはとても及ぶレベルではなく、熊の一撃に踏ん張りきれずに、恋人もろとも吹き飛ばされてしまう。
この時点でチームとしては完全に瓦解してしまったといっても過言ではない。
頭となる団長、盾である副団長、全体をフォローする重要な後衛の柱と、三人の前衛アタッカーの一人が、すでに戦闘不能になって地面に転がっており、残ったメンバーといえば、回復と援護が役割の後衛二人に、遠隔攻撃専門の中衛が二人、そして、今だ恐怖で動けないでいる少女が一人。
(なんとかしなくちゃ、私がなんとかしなくちゃ!!)
少女はこのチームで三人いる前衛アタッカーの一角を任されていた。
最大の攻撃力を誇る太刀使いの団長、攻守双方にバランスのとれた山猫型獣人のハンターの偉大な先輩二人にフォローされつつ、今までは大きな失敗をすることも大きな危険に晒されることもなくやってきた。
だが、今日はそういうわけにはいかない。
前衛四人のうちすでに三人までもが戦闘不能にされてしまい、残った前衛は自分一人しかいないのだ。
少女は震える自分の足を何度も殴りつけて立ち上がり、両手に鋭い刃が装備されたカイザーナックル・・カタールと呼ばれる武器を装着する。
暴れまわる四腕黒色熊のほうにきっと鋭い視線を向けると、熊はすでに自分達が乗って来ていた『ワゴン』クラスの『馬車』を破壊しており、今度はその影に隠れていた自分が実の姉と慕うほど親しくしている回復役の魔族の女性に襲いかかろうとしている姿が目に映る。
少女は雄叫びをあげて凄まじい勢いでダッシュし、その距離を一気に詰めるとがら空きの熊のどてっ腹にその拳を突き込む。
拳の先から生える刃が熊の剛毛を突きぬけてその分厚い皮膚に突き刺さるが、拳に伝わってくる感触から貫通していないことを悟り、少女は絶望的な表情を浮かべる。
熊はそんな少女をうるさそうに四つの腕の腹からつきでているほうの下腕で薙ぎ払う。
少女は咄嗟に十字ブロックでその攻撃を受けるものの、その軽い身体ごとふっ飛ばされて再び焚き火の近くまで転がっていってしまう。
地面を何度かバウンドしたせいで身体のあちこちが痛んだが、そんなことは言っていられず必死になって立ち上がると、熊は再び魔族の女性に襲いかかろうとしているのが見えた。
前衛の自分と違い、後衛の彼女があんな攻撃をまともに食らったらただではすまない。
なんとか熊の気をそらさなければと、周囲を見渡すと、油が満タンに入ったランタンが目に入る。
外で念気を使用できない今、ランタンは旧式とはいっても欠かせないアイテムである。
それが自分のすぐ側にあったことに少女は自分が信仰している大地の女神に感謝しながら素早く拾うと、それを熊の顔面めがけて投げつける。
ランタンは放物線を描きながら見事にその頭の上に落下してガラスの割れる音ともに、熊の頭を燃え上がらせる。
流石の四腕黒色熊も動物であるから火の恐怖からは逃れられない。
必死で四つの腕を駆使して火を消したのだが、その注意と敵意は今度こそ少女のほうに向かう。
少女は熊をさらにここから引き離すことを決意する。
『馬車』を破壊され牽引用の綱が切れてうろうろしている快速鳥の一匹に駆け寄ってそれに飛び乗った少女は、わざと熊の前を横切るようにして移動し、森の中にめがけて一直線に走り出した。
ちらっと後ろを振り返ると、熊が物凄い雄叫びをあげながら追いかけてくるのが見えた。
(私についてこい!!)
少しでもキャンプ場から引き離すために必死で森の中を突き進んでいく少女。
チームを守らなければという必死の思いからとった行動であったが、突き進んでいくうちに、少女ははっと気が付いてしまった。
この森がどういう場所であったかということを。
いったいこの森を支配しているのがどんな生き物であるかということを。
だが、もう後戻りはできない、振り返れば後ろには襲撃者である四腕黒色熊が追いかけてきているはずなのだ。
しかも、先程熊の前を横切ったせいか、自分が騎乗している快速鳥の制御ができなくなってしまっていた。
どうやらあまりの恐怖で恐慌状態に陥っており闇雲に全力疾走しているようのだ。
(まずい、まずいまずいまずい!!)
混乱する頭でなんとか現状を把握しようとする少女であったが、何も思い浮かんではこず、むしろ焦りは募るばかり。
せめてこの快速鳥の制御だけでもできればと思うのだが、それもできず、それどころか必死にしがみついていたはずの少女は森の木々の間を縫うようにして生える蔦に身体を絡み取られて手を放してしまい鳥の上から振り落とされることになってしまった。
幸いうっそうと茂る雑草のクッションの上に落ちたせいで怪我をすることはなかったが、『害獣』が支配するこの暗黒の森の中に一人取り残されることに。
恐る恐る後ろを振り返ると、まだ熊は追いついてこない様子。
一瞬ほっとした表情を見せた少女だったが、危険であることに変わりがなく、絶望した様子で周囲を見渡す。
幸い『害獣』どころか生き物の姿らしきものは見えないが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
少女は重い足取りを引きづるように森の出口目指して歩き始める。
「どうして・・どうしてこうなっちゃったんだろ」
自分は強くなりたかっただけなのだ。
幼き頃、自分は友人にかばわれてばかりだった。
友人もいじめられっこだったにも関わらず、自分をいつもかばってくれて、自分のかわりにボロボロになるまで殴られていたのだ。
それでも友人は自分の友人であることをやめなかった。
その表情はいつもフードの下に隠れてわからなかったけど、それでも決して自分を嫌ったり見下したりしてはいないことだけはわかっていた。
いつも温かい口調で話しかけてきてくれて一緒にいてくれた掛け替えのない友人。
その友人とは小学校四年生の時に転校してしまって会えなくなってしまったが、彼との思い出は少女の掛け替えのない大事な宝物として今でも色あせることなく彼女の心の中に残っている。
その思い出こそが彼女を傭兵の道へと突き進ませることになった最大の要因であった。
強くなりたい。
強くなって弱い人達の盾になりたい・・あの彼のように。
いつも自分をかばってくれた幼き頃の友人のようになりたくて、少女は必死にここまで強くなってきたのだ。
しかし、今、自分はその夢を果たすどころか自分の命すら守ることができずに散って行こうとしている。
「会いたい・・会いたいよ、ボロくん・・」
いつしかその黒い瞳は涙であふれて、視界がどんどんぼんやりとしてきて周囲がみずらくなってきた。
そのせいか、地面を這う蔦に気がつかずに足を取られて転倒してしまう少女。
だが、その転倒しバランスを崩して身体を投げ出したその直後に頭上を、強烈な風が吹き抜けていくのを感じた。
少女は涙でぬれる瞳を迷わず頭上に向ける。
すると、自分のすぐ横にある大木の太い枝に、逆さにぶら下がった巨大な黒い影の姿が。
いつのまに追いついたというのだろうか?
あれほど距離を稼いでいたというのに。
愕然とすぐ自分の真上にいる四腕黒色熊の見つめた少女は、死を覚悟した。
そのとき、なぜか脳裏に友人の懐かしい声が聞こえた。
『つよいものはさらにつよいものにまける』
「じゃ、じゃあどうればよかったの? わたしはボロくんみたいになりたかったのに・・」
恐怖で動くことができない少女の瞳に、死神の鎌にも似た熊の大きな腕が振りあげられていくの見える。
『いい気になって『人』のこと殴る蹴るしてる僕が、本当に好き?』
「え・・それは・・」
少女の脳裏に困ったようにこちらを見つめている少年の姿が見えた。
そして、少女は自分がほしかったものがここにはないことを悟り、悲しい笑みを浮かべる。
「そっか、ここには私のほしい強さはなかったんだね・・ボロくん、ごめんね、やっぱりそんなボロくんは好きじゃないし、こんな私も好きじゃないよね・・ごめん、ごめんね・・」
誰にともなく謝り続ける少女に死神の鎌が振り下ろされる。
少女は自分に下される死の衝撃に備え静かに目を閉じた。
(もう一度だけ、会いたかったよ、ボロくん)
静かに自分の死を受け入れようとした少女に物凄い風と、横に引っ張られる衝撃が走る。
一瞬自分に何が起こったかわからず、恐る恐る眼を開けた少女は、自分が何か生暖かいものの上に座っていて、さらに誰かに抱きかかえられていることに気づいた。
混乱しつつも現状を把握しようとしていると、自分を抱きかかえている人物が声をかけてきた。
「ごめん、座り直してもらってる余裕はないんだ、悪いけどしばらく横座りで我慢してほしい」
「え、あ、あの・・」
「それと、僕にしっかりしがみついておいて、結構飛ばすから振り落とされないでね」
少女がその言葉を聞いて、ようやく自分が何かの生き物の上に乗って走っていることに気がつき、自分の下を見下ろすと灰色の毛並みの大牙犬狼の背中が見えた。
そして声の人物のほうに目をやると、そこには自分と同じ黒髪黒眼の同じくらいの年齢と思われる少年の姿が。
どうやらこの人物が間一髪のところで四腕黒色熊の剛腕から救ってくれたのだと悟る。
しかし、なぜだろう、ひどく懐かしいこの声この姿。
初めて会ったはずなのに、まるで昔から見知っているような気がする。
だれだ?
混乱する表情を浮かべる自分に気がついたのか、少年はなぜかひどく怒った表情を浮かべて真剣に自分を見つめてくる。
なんだかその視線を受けていると、非常にいたたまれない気持ちになってきて、少女は思わず顔を伏せ上目づかいで彼のことを見ていると少年はやはり怒ったような声で口を開いた。
「きっと聞きたいこと、言いたいことがいっぱいあると思うけど、先に言わせてもらうよ・・」
「あ、あの・・」
「この馬鹿!! ちょっとは成長したかと思ったら、相変わらず後先考えずに行動して!! 死にたいの? そんなに死にたい?」
「いや、あの・・ごめんなさい」
この怒られ方に非常に懐かしいものを感じつつも、とても悲しい気持ちになってきてしゅ〜んとして謝る少女。
本当ならもっと言ってやろうと思っていた少年だったが、その姿を見ていてこういう姿も全く変わってないと嘆息しこれ以上怒るのをやめるのだった。
「もういいや・・それよりもとりあえず、現状をなんとかしないとね」
と、少年は着用している濃緑色のポケットから何かをつかみだすと、それを後方に向けて放り投げる。
すると、後方であの熊のものと思われる悲痛な叫び声が。
どうやら恐ろしいスピードで自分達を追いかけて来ていたようだったが、少年が投げた何かのせいでその動きを止められてしまったようで、どんどんその悲鳴は遠ざかっていく。
「え、何? 何投げたの?」
「捲き菱。まあ、どうせ一時しのぎにすぎないけどね。ちょっとは時間が稼げる。とりあえず、しっかり僕にしがみついて、いい?」
「え、う、うん」
少女がしっかり自分にしがみついたのを確認した少年は、狼の手綱を握る手に力を込めてスピードをあげさせる。
「振り落とされないでね、レン」
「う、うん、わかった・・あ、あれ?」
少女・・地妖族の少女、本名レヴェリエントリエス・ホーリーヘイムダル、通称レンは、名乗ってもいない自分の名前を少年が呼んだことに気づいて眼を見開いた。
この少年は自分のことを知っている、そして、自分もこの少年を知っている。
いや、知らないはずがない、思い出せないだけなのだ、だって、自分は・・
自分はこの見知らぬはずのこの少年をこんなにも信頼しているのだから。