~第42話 困惑~
夜の帳が落ちて焚火の光だけが頼りの闇の中で、二つの影が静寂が支配する場所にたたずんでいる。
「晴美さ・・は座っててください」
一つの影がもう一つの小さな影にそう声をかけると、もう一つの影が不満そうな声をあげる。
「いま、さんをつけようとしましたね」
その言葉にもう一つの影は、闇の中でもはっきりわかるくらい狼狽えてみせる。
「う、いや、だって・・」
「ダメです、ちゃんと呼び捨てにしましょう」
「いやいや、もういいじゃないですか、無理に呼び捨てにしなくても・・」
「ダメです、私のほうが年下なのですから、そうしてください。・・そうだ、どうせ時間もあることだし練習しましょう」
「え、い、いつ、ど、どこでですか?」
「いまここで」
きっぱりはっきり断言してくる小さな影、晴美の言葉に、もう一つの影、士郎は頭を抱えて見せた。
現在夜中の二十二時。
一番最初の見張りに選ばれたのは年小組の士郎と晴美で、理由は時間的に一番安全と思われる時間だったからで、次の二十三時から二時がスカサハとアルテミスとクリス、二時から五時が連夜とロスタムということになっている。
ちなみに、現在の寝床は連夜、ロスタム、クリスの男性陣は焚き火のすぐ近くのテント、アルテミスとスカサハの女性陣はトレーラーの居住室で寝ている。
眠る前に連夜、ロスタム、クリス、アルテミスの四人で十分偵察を行っていたので、今のところ何かが起こる気配は全くない。
しかし、『外区』では何が起こっても不思議ではないので、油断はできない。
士郎は、先のほうが幅が広くなっている独特な形状をした片刃の片手剣ファルシオンを油断なく構え、もう片方の手には小型のバックラー・・相手の攻撃を弾き返すための盾をいつでも構えられるようにしている。
晴美は、異界力遮断の緑色のマントと連射式のライトボーガンを構えている。
ちなみにその矢弾は連夜特製の特殊効果を持つ鏃が装備されており、決してお飾りの武器ではないことを示している。
二人とも決して油断しているわけではないが、ずっと緊張しているわけにもいかず、適度にそれを紛らわせるためと眠ってしまわないために話をしていたのだが、それがいつのまにかこういう流れになってしまっていた。
士郎はなんとかこの話の流れを変えたかったが、晴美は頑として応じようとはしない。
「士郎さん、諦めてちゃんと呼んでください。今なら誰も聞いていませんから」
「「「・・」」」
「で、でも誰かに聞かれているような気がするんですよねえ・・」
「気のせいですってば、もう!! 士郎さん!!」
「うう・・」
晴美のほうを見て、物凄く恥ずかしそうにしばらく口をぱくぱくさせていた士郎だったが、期待に満ち満ちた晴美の表情を見ているとどうにも追い詰められた気分になり、仕方なく口を開いた。
「は・・晴美・・」
「はい」
「「「・・」」」
嬉しそうに答える晴美の表情をしばらく見ていた士郎だったが、がっくりと両膝と両手を地面について崩れ落ちる。
「だ、だめだああああ、恥ずかしくて、死にます!! も、もういいですよね? ね?」
「ダメです、もう一回です。照れずに言えるようになるまで練習です」
非情にもきっぱりと士郎の申し出を切り捨てる晴美に、涙目になってきた視線を向ける士郎。
「い、いや、そのまえに恥ずかしくて死にます、死んでしまいます!!」
「大袈裟です、士郎さん!!・・あ、それよりもひょっとすると士郎さんは、私のことが嫌いなんですか?」
物凄く悲しい表情を浮かべた晴美は、いかにも我慢しますみたいな苦しい笑顔を作ってわざと焚火の光で士郎に見せようとする。
「ご、ごめんなさい、私、そんなことにも気がつかないで・・そ、そうですよね、今日会ったばかりの私が図々しいですよね・・」
「あああああ、いや、そんなことありません、嫌いじゃないですから、そんな顔しないでください!!」
「・・本当ですか?」
ちょっと潤んだ瞳を見せながら上目づかいで士郎のほうを見つめると、士郎はこくこくと頷いて見せる。
「じゃあ、ちゃんと呼んでください」
その様子を見ていた晴美は、先程までの潤んだ瞳はどこへやら、花のようににっこりとほほ笑む。
「ええええええ〜〜、結局そこに行きつくんですかあああ!?」
「あ・・やっぱり駄目なんですね・・」
「いやいやいや、そんなことはないです・・ないですけど・・」
「士郎さん・・お願い」
「あう〜〜〜」
弱りきった表情で固まっていた士郎だったが、半分諦めたような表情で晴美のほうを見た。
「は、晴美・・」
「はい、士郎さん」
「・・」「・・けっ」「・・(まあまあ)」
名前を呼ばれた晴美は、なんだかとても嬉しそうに返事を返すのだったが、士郎はなぜか誰かの声が聞こえた気がして辺りをきょろきょろと見渡す。
「い、今誰か『けっ』とかいいませんでしたか?」
「いえ、何も聞こえませんでしたけど? それよりも、もう一回呼んでください」
「も、もういいじゃないですか・・」
「ダメです」
「・・そ、そんな〜〜」
がっくりと肩を落とす士郎を見つめる晴美の表情は、どこか嬉しそうであった。
晴美は、今日会ったばかりのこの少しだけ年上の少年のことをかなり気に入ってしまっていた。
彼女にとってやはり憧れの人は、自分の大恩人である連夜その人なのだが、どこか彼は自分からは遠い所にいるような気がするのに対し、この目の前の少年は連夜と同じ匂いや雰囲気を感じさせていながら、かなり自分に近いところにいる感じがするのである。
そんなに年上ではないにも関わらず、どこかその視線は遠くを見つめている連夜に対し、士郎の視線はかなり近くを見つめている。
しかも、その視線の先には自分と同じ人物がいて、その背中を追いかけているという点においてはほとんど変わらないような気がする。
あと何よりも、連夜はほとんど誰かを必要としていない感じがしているのに対し、士郎はどこか危なっかしくて放っておけないというか、とにかく目を離せない気がするのだ。
そんなこんなで、自分にとても親近感を抱かせるこの少年のことがもっと知りたくて、もっと側にいたい気がしてどうしても他の人とは区別してほしくて、呼び捨てにしてほしかったのである。
きっとこの少年はどこか他人を寄せ付けないようにするために、他の人に対しては必ず敬称をつけて呼んでいるに違いない。
でも、自分にはそうしてほしくなかった。
なぜだかわからないけれど、そうしてほしくなかったので、晴美にしては物凄く珍しいことに他人に自分の考えを押し付けるようなことをしてしまっているのだった。
きっと、目の前の少年にとっては迷惑極まりないとはわかっていたが、なんとなく『晴美さん』と呼ばれたくなかった晴美は、どうしてもこれだけは押し通すつもりだった。
やがて、何度も繰り返しているうちに、完全に開き直ってしまったのか、士郎は晴美に敬称をつけて呼ばなくなっていた。
「晴美・・」
「はい、士郎さん」
「も、もういいかな? なんかもう慣れちゃったし・・」
「はい、これからもその呼び方を変えちゃだめですよ」
「うん、しかも、なんか敬語まで使わなくなって異様になれなれしくなってしまっている自分が怖いけど・・」
あははは、と乾いた笑いを浮かべる士郎を、何とも言えない嬉しそうな顔で見つめる晴美。
そんな晴美を見つめていると、なんだかもう、いいかと思ってしまう士郎であった。
ちなみに、今まで士郎に関わってきた女の子達で、ここまで強引に士郎のやり方に変更を求めてきたのは、晴美が最初である。
しかもそれを押し切られたのも初めての士郎であった。
(なんで、僕折れちゃったんだろ・・)
自分で自分がわからない士郎であったが、やっぱり嬉しそうな顔をしている晴美を見ていると、それくらいいいかと思ってしまうのだった。
やがて、時間は二十二時三十分を過ぎ、あと三十分で交代の時間となったとき、晴美がなんだか聞きづらそうな表情を浮かべて士郎に話しかけてきた。
「あの・・士郎さん?」
「ん? 何、晴美?」
怪訝そうに見つめ返してくる士郎に、何度か口を開けたり閉めたりして言葉を飲み込もうとした晴美だったが、意を決して自分の聞きたいことを口に上らせる。
「怪我は・・もういいですか?」
「あ〜、うん、大丈夫だよ。僕って結構頑丈だからね」
「そ、そうですか」
「心配させちゃってごめんね。あと黙っててくれてありがとう。・・まあ、結局連夜さん達にはばれちゃったんだけどね」
気まずそうに頭をぽりぽり掻きながら苦笑する士郎に、晴美はなんとも言えない心配そうな表情を向ける。
「お、怒られちゃったんですか?」
「いや、怒られはしなかったけど・・理由は聞かれたかな・・はぐらかしちゃったけど、きっと連夜さんのことだから、それもバレちゃってるだろうなあ」
たははと、ますます苦笑が深くなる士郎。
「あの、言わなかった理由って、やっぱり会長の・・」
「うん、まあね。余計な心配かけたくなかったから」
「「「・・(やっぱりな)」」」
そう呟く士郎を、なんだか面白くない聞きたくないという表情を浮かべてみていた晴美だったが、どうしてだか自分の意思を無視するかのような問いかけが出てしまっていた。
「士郎さんて・・会長のことが好きなんですか?」
思いもよらぬ言葉に、狼狽するだろうと予想して見ていた晴美だったが、その予想に反して士郎は腕組みをして唸りながら考え込む。
そして、しばらく考えた後に出た結論は・・
「『人』としては好きだよ、上に立つ『人』にしてはよくできた『人』だと思うから。でも晴美が言ってるのは女性としてってことだよね? そういう感情はないかなぁ」
「え、そうなんですか?」
「「・・」」「・・(がっくり)」
士郎の意外な言葉を聞いて、なぜだかほっとしている自分がいることに気がつく晴美。
「連夜さんはね、僕の容姿は関係ないって言ってくれていたけど、それも『人』によると思うんだよね。別にその人そのものが僕の姿形をどうとも思ってなかったとしても周りが許さない場合もあると思うんだ。それを考えると、これから『人』の上に立って上流階級の世界に飛び込んでいくことになるであろうスカサハ生徒会長に僕が釣り合うとは思えないし、何よりも、僕自身がそんな世界とは関わり合いになりたくないんだ。連夜さんと一緒に土いじりしているほうがいいんだよね、やっぱり」
そう言うと、照れたようなそれでいてどこか真剣な表情を浮かべて士郎は呟くように自分の思いを口にする。
「だから、そんな僕と一緒にのんびり土いじりしてくれるような人がいいかな。まあ、そんな人が現れるかどうか、わからないんだけどね。」
それを聞いていた晴美は、なんだか考え込むように俯いていたが、やがて顔をあげて口を開いた。
「わかりました、がんばります」
「うん、わかってもらえたか・・って、がんばるって、何を?」
一瞬晴美の言葉に満足気に頷きかけた士郎だったが、なんだか聞き捨てならない言葉を聞いた気がして慌てて問い掛け直すが、晴美はなんだか複雑な笑みを浮かべてあははと手を振る。
「あ、いえ、こっちのことです。気にしてほしいですけど、今は気にしないでください」
「え、何それ、どっち?」
「えっと・・じゃあ、考えてください。士郎さん自身が、ちゃんと自分で考えてください。あ、それについては今度聞きますから、そのときに答えてくださいね」
「うそん!!・・じゃ、じゃあ、今のは聞かなかったってことにしてもいい?」
「・・泣きますよ」
「すいません、ちゃんと考えさせていただきます」
涙目で訴えられてしまってはどうすることもできず、士郎は冷汗を流しながら真面目な表情を浮かべて約束するのだった。
そんな士郎の様子がおかしくて、晴美はくすくすと笑いだし、士郎もたははと参ったように笑みを浮かべるのだった。
やがて、何事もなく時間は過ぎ、晴美はアルテミスとスカサハを起こすためにトレーラーのほうへと去っていき、士郎もまたクリスを起こすためにすぐ側の簡易テントへと近づいて行った。
そして、中で眠っているはずのクリスを起こそうと天幕を開けようとしたのだが、開ける前に中からひょこっとクリス本人が出てきた。
よく見るとレザーアーマーに黒い防刃コートを身につけて完全武装しており、目はギラギラと光っている。
そんなクリスは士郎の姿を見つけると、童顔には似つかわしくない男臭い笑みを浮かべて見せる。
「よう、見張りお疲れ。あとはこっちに任せてよく寝とけ」
「は、はい、お願いします」
と、おっかなびっくりな顔を浮かべている士郎の横をすり抜けながら、片手に持った折りたたみ式の槍をジャキンと伸ばし、肩にかけて焚火のほうにゆっくりと歩いていく。
そんなクリスを見送っていた士郎だったが、見ていても仕方ないと眠ろうと思ってテントの中に入ろうとしたのだが、不意に名前を呼ばれて振り向くと、トレーラーの扉の隙間から晴美が顔だけを出していた。
怪訝そうに見つめ返すと、晴美はなんだか照れ臭そうな笑顔を浮かべて見せた。
「士郎さん、あの・・」
「な、なにかな、晴美?」
「おやすみなさい・・」
その言葉にほんの一瞬呆気に取られる表情を作る士郎だったが、すぐになんだか優しい気持ちになってきて、同じような笑顔を晴美に向けるのだった。
「おやすみ、また明日ね」
「はい」
そう言って晴美はトレーラーの中に引っ込んでいった。
そんな晴美が消えて行ったトレーラーの扉をしばらく見つめていた士郎だったが、やがて首を一つ横に振って今度こそテントの中に入ろうとする。
しかし、またもや自分を呼ぶ声が。
今度は焚き火の前に座るクリスからであったが、晴美と違いクリスはこちらを見てはいなかった。
「な、なんですか、クリスさん?」
「うん、まあ、なんていうか・・仕事とか、勉強とかも大事だけどよ・・今、おまえ達が交わしていたちょっとした会話とか、気持ちとかってのも大事なんだぜ」
「・・え」
「いや、まあ俺の柄じゃないから、いいや。早く寝ろ」
「は、はい」
顔を伏せたまま、片手でしっしと追い払うようなジェスチャーをするクリスに怪訝な表情を向けながらも、今度こそ士郎はテントの中に入っていった。
しかし、クリスが言った言葉は、何故か士郎の心に深く残りそれが気になって結局明け方の出発近くまで眠れなかった士郎だった。
〜〜〜第42話 困惑〜〜〜
城砦都市『嶺斬泊』を出発してから一日目の夜は何事もなく終わることができた。
元々この交易路は、他の交易路と比べても格段に安全であることで知られており、滅多なことで襲われたりすることはない、と、いうか、過去の事例でもこの交易路で山賊や盗賊が出たという記録は十件に満たないほどである。
それというのも、交易路に並行して存在するうっそうと生い茂る森の存在が大きい。
ここは未だに『害獣』達が支配する空間であり、中には『兵士』クラスは勿論、下手をすると『騎士』クラスの『害獣』ですら跋扈している危険地帯である。
確かに身を潜めるには絶好の場所ではあるが、危険な『害獣』達がうろつくこの場所をわざわざ隠れ場所に選ぶような賊はいないのである。
よしんば連夜やロスタムのように異界の力を持たない種族の者達だけで構成された賊集団であったとしても、丸腰でいるわけにはいかないはずで、また日々生活していくことも考えると、全く異界の力に頼らずに生きていくことは、今の技術では不可能である。
そういうわけで、非常に皮肉なことであるが、この交易路の安全は『害獣』達そのものによって守られているわけである。
ただ、中には商人の振りをして街道そのもので待ち伏せている賊もいないとは言い切れないため、全く警戒しないわけにもいかない。
今日も連夜は、自らの運転席に頼れる片腕の士郎を座らせて、前方や側面の警戒をさせていたのだったが。
ちらっと横に視線を走らせてみると、横にいる二つ年下の合成種族の少年 瀧川 士郎は、いつもの元気ハツラツとした表情と違い、ぼんやりと外を眺めている。
なんとなくその理由に心当たりがあったが、もうしばらく様子をみようかと敢えて何も言わないでいることにする。
今日も街道には誰の姿もなく、また行き来する他の『馬車』の姿もなく、連夜達が乗る『馬車』は十二頭の逞しくも頼もしい大牙犬狼の群れに牽引されて、素晴らしいスピードで一路、目的地である城砦都市『アルカディア』に向かって爆走中だ。
この分で行けば昼過ぎには向こうに到着できそうである。
まだ油断はできないが、それでも当初考えていた最悪の事態に至るようなことは今のところ起こっていないし、順調であるといえた。
このまま無事に終わってほしいと切に願う連夜。
その想いに応えるかのように今日も空は快晴、あとはこのペースを保ったまま『アルカディア』の中に滑り込むだけである。
そんな風に連夜が考えていると、不意に横の少年が自分に呼びかけてきた。
運転中は気を使って、こちらから話しかけない限り話しかけてきたりはしない士郎少年からすると、珍しいことだった。
連夜は目だけを動かして横の士郎を見る。
「どうしたの?」
「いや、あの、ちょっとお聞きしたいことが・・」
「うんうん、何?」
なんだか非常に言い辛そうにしている士郎に、連夜は遠慮なく口に出すように促す。
するとしばらく迷っていたようだったが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。
「あの、連夜さんなら答えがわかるんじゃないかって思って・・」
「何の?」
「気にしてほしいけど、気にしないでほしいって・・どういう意味なんですかね?」
その言葉を聞いた連夜は、あろうことか顔を士郎の方に向けて呆然としていたが、はっと気が付いて前方に慌てて顔をもどし、噴き出しそうになるのをなんとか飲みこんで誤魔化す。
さっきから悩んでいたのはやはり昨日の夜、テント横で少年達が話していた内容だったかと得心し、連夜は士郎に気がつかれないように顔を背けてくっくっくと笑みを浮かべる。
士郎は連夜の反応が今一つよくわかっていないのか、物凄く途方に暮れた表情でこっちを見ている。
連夜は咳払いを一つして真面目な表情を浮かべると、ちらっと士郎のほうを見て口を開いた。
「士郎はどう思う?」
「え、いや・・それが全くわからなくて・・」
「ふ〜〜ん」
「ふ〜〜んって、連夜さん、お願いしますよ、教えてくださいってば!!」
「いや、僕が教えるまでもないじゃない。君が自分で答えを出しているんだから」
「はあ!?」
もう何が何やらさっぱりわからんという表情を浮かべている士郎に、なんだかひどく温かい笑顔を向ける連夜。
「じゃあ、言い方を変えようか? 君は気にしたいのか、それとも気にしたくないのか? どっち?」
「ええええ!? う〜〜ん、う〜〜ん・・それはわかりません、わかりませんけど・・」
連夜の言葉にしばらく腕組みをしてうんうん唸りながら考え込んでいた士郎だったが、やがて困ったように顔をあげて口を開いた。
「どっちかはわかりません、でも・・気になります」
もうほんとにどうしたらいいんだろうといわんばかりの士郎の困り果てた表情が面白くて、連夜は顔を背けたがやがて自分の後方に感じる気配の主に声をかけた。
「ところで何か用事があるんじゃないの、スカサハ?」
ヘっ、という間抜けな声を上げて士郎が後ろに顔を向けると、そこには顔を青ざめさせたスカサハの姿が。
「ど、どうしたんですか、会長!? 顔色が悪いですよ!? 体調が悪いのでは・・」
心配そうな表情をスカサハに向ける士郎に、スカサハは震える手で何かを差し出す。
怪訝そうにそれを見て、その手に持っているものが何か悟った士郎の顔が、一瞬しまったという風になるのをスカサハは見逃さなかった。
『アルカディア』についたら始末しようと思って、空き箱にいれて隠しておいたはずなのだが・・
「お茶の道具を取りに行こうと思って最後尾の車両にいったら、使ってないはずの道具箱からはみ出していて・・こ、この血まみれの雑巾は・・やっぱり瀧川くんの血を拭き取ったものなんですね?・・どうして!? どうしてなんですか!?」
「あ、あ〜、違います、誤解です、それはその、擬態用の血糊をぶちまけちゃったので床を拭いて・・」
「嘘を言わないで!!」
しどろもどろで言い訳しようとする士郎だったが、スカサハは何か確信めいたものがあるのか全く誤魔化される気配がない。
それどころか、みるみるその美しい紅い瞳から涙があふれて落ちていく。
「わ、わたし・・あのとき、私をかばってくれた瀧川くんが怪我をしていたことは知っていましたわ・・でも!! 瀧川くんは・・だって、私がいたら・・なんで? なぜなのですか? あなたは・・あのくらいの怪我だったら・・瀧川くんにはどんな怪我だって一瞬で治せる能力が!!」
スカサハの悲痛な叫びを聞いた連夜と士郎だったが、その最後の言葉の内容に一瞬愕然とした表情を作る。
しばらく硬直したようになっていた連夜と士郎だったが、先に我に返った連夜が振り返ることなくスカサハに問いかける。
「スカサハ・・君、ひょっとすると、士郎のもう一つの姿のことを知っているのかい?」
「あ・・わ、私・・」
「・・知っているんだね。そうか、だからか。だから君は士郎をその場に残して立ち去り、そして、気にしなかったのか・・。そういうことだったのか・・」
連夜は妹がどうして仲間に怪我をさせておきながら、それほど心配していなかったかの理由を悟り、なんともやりきれない溜息を吐きだした。
そして、妹に自分の横に座るように言い、妹が素直にそれに従って座るのを確認した後、連夜は妹に語り始めた。
「スカサハ、君がどうして士郎の秘密を知ったかについては後で聞くことにするとして、いくつか誤解を解いておかなければならない。今から僕が言うことをよく聞きなさい」
「は、はい」
「士郎はあの能力を使うことはできない。いや、あの能力を使うことは僕が許さない。だから、決して士郎は無敵でも不死身でもない」
「な、なんで? なんでそうなるんですか!? 私、知ってます、あの姿になった士郎くんがどれだけ強いか・・私なんかよりもはるかに強いのを・・」
納得できないという表情で詰め寄ってくる妹に、連夜は厳しい表情で首を横に振る。
「あの姿になり続ければ・・いつか、士郎が『害獣』になってしまうとしても、君はあの能力を使うべきだというのかい?」
「・・え」
一瞬兄の言った言葉の意味が理解できず、茫然と兄を見つめるスカサハ。
しかし、いつも優しい笑みを絶やさない兄の表情は強張ったまま変わることはない。
スカサハは兄の言葉の意味がわかってくると、その恐ろしい宣告が信じられず、自分のすぐ横で黙って話を聞いている士郎のほうに顔を向けた。
そこには、穏やかな表情の中にどこか何かを諦め悟ったような士郎の顔があった。
「ほ、本当ですの?」
恐る恐る問いかけてくるスカサハに士郎は困ったような笑顔を浮かべて頷いた。
「ごめんなさい、会長。まさか会長が僕の秘密を知っていたとは思わなくて・・もっと早くにこのことを打ち明けるべきでしたね。ええ、連夜さんが今言ったことは全て本当です。僕は戦闘モードに変わることで、いくつかの能力を使うことができますが、その代償として、『害獣』になるかもしれないリスクを背負います」
淡々と答える士郎の言葉に、スカサハは声もでない。
そんなスカサハの表情をどう受け取ったのか、士郎は心からの優しい、しかし、やり切れないくらい寂しい笑顔を浮かべてスカサハを見た。
「大丈夫です、もし僕が『害獣』になったとしても、そのときには連夜さんが僕を殺してくれることになっています」
「な、何を言っているんですの?」
「僕の心臓には遠隔操作式の念動小型爆弾が埋め込まれています。仮に僕が『害獣』になり自我を失って暴れ出しても、そのときには・・」
「そんな・・そんな、話は聞きたくありません!! 聞きたくない!!」
士郎の話を途中で遮ったスカサハは、士郎の両腕に掴みかかりかみつかんばかりに言いつのる。
「あなたは・・あなたは、どうしてそんな平気な顔をして、そんな恐ろしい運命を話すの!? わ、私はあなたのそんな話が聞きたかったわけじゃないし、そんなさびしい笑顔がみたかったわけじゃない!!」
「会長?」
「いや、いやよ!! どうして? あなたは正義の味方じゃないの!? 学校が火事になったときも、新校舎の崩落事故のときも、遠足での『害獣』騒ぎのときだって・・いつだってあなたが駆け付けてくれて、みんなを助けてくれたことを私は知ってる!! でも、それは・・それはあなたを地獄に突き落とすことだったっていうの!?」
「ご・・御存じだったんですか・・」
自分が学校でひた隠しにしているある事実を、この目の前の少女にはバレていたことを知り、暗然とする士郎。
「なんで? なんで言ってくれなかったの?」
「誰にも・・誰にも迷惑をかけたくないんです。それに、僕、人が笑ってる姿を見るのが好きだから、人が泣いている姿を見るのは嫌いだから。だから・・」
「それで・・それで、自分はどうなってもいいんですの!?・・ふざけないで!!」
士郎は目の前の同い年の少女がなぜここまで激昂しているのか理解できず、きょとんとした表情を浮かべる。
助けを求めるように少女の向こうに座っている尊敬すべき主に視線を向けると、その主自身も同じように責めるような視線を自分に向けていることに気づく。
そして、自分の表情を見て何かを悟ったかのように深々と溜息を吐きだすのだった。
「まあ、こういう奴だからさ、放っておくとほいほいその能力を人の為に使って自分の寿命を平気で削るような真似をするからね。僕は彼に能力を使うことを禁止してその能力を使うことなく生きて行く道を選択させた。だから、いま、士郎はその能力を使うことはできない。従って怪我をしてもすぐに直すことはできない。・・まあ、そうはいってもそのベースになってるポテンシャルが凄まじいからね、ある程度の傷はすぐ回復してしまうけど、それでもバグベア族の超回復力並かな」
呆れたように言う連夜だったが、士郎はてへへと笑うばかり。
そんな士郎をじっと見つめていたスカサハは不意にその身体を引きよせて抱きしめる。
「え、あ、あの、会長?」
「ごめんなさい、瀧川くん・・私、いつのまにか、あなたに頼っていたのね。何かあってもきっとあなたがどうにかしてくれる、なんとかしてくれるって・・あやうく、あなたを犠牲にするところだった。ほんとにごめんなさい・・ごめ・・んなさい・・許して・・」
「か、会長、あの、う〜〜ん、な、泣かないでくださいよう」
自分に抱きついたまま子供のようにしくしく泣き出したスカサハをどうしたらいいかわからず、おどおどする士郎。
助けを求めて連夜のほうを見るが、面白そうに見ているだけで、全く助けてくれようとしない。
しょうがないので、士郎はおずおずとスカサハの身体をそっと抱きしめかえし、その美しい銀髪を不器用だけど優しさをこめてなぜてやるのだった。
そうしてしばらくするとスカサハは泣きやみ、士郎の身体を押して離れる。
その様子にほっとした表情を浮かべる士郎だったが、何やら真剣な表情でこちらを見つめるスカサハの視線をまともに受けてなんだか心がざわつき意味もなく視線を泳がせてしまうのだった。
「あ、あの、会長? 何か?」
「決めましたわ」
「へ? 何をですか?」
何か決然とした表情を浮かべるスカサハに、物凄くいやな予感を感じる士郎。
「これからは、私が、瀧川くんを・・ううん、士郎を守ります!!」
「え!?」
「今までずっと私は・・ううん、私だけじゃない、学校のみんなは士郎に守られてきましたわ。だけど、今度は私が士郎を守ります、守ってみせます!!」
「いやいやいや、ちょっと待ってください、生徒会長!!」
とんでもない宣言をぶちかますスカサハを慌てふためいて止めようとする士郎。
「いや、あの、僕を守ってくださるというお気持ちは非常に嬉しいですけど、学校の生徒達の日々の生活を守るという崇高な使命が、生徒会長にはあるじゃないですか!! ですから、それはなんというか、是非考えなおしていただきたいというか・・」
そんな士郎に、スカサハは花のような美しい笑みを浮かべてみせる。
「そのことなら大丈夫。もうすぐ私の生徒会長としての任期は終わります。と、いうか、この旅が終わって『嶺斬泊』にもどってころには、私の任期は終了しているはずです。だから、これからは士郎のことだけを見ていきますね」
「ええええええええっ!!」
「安心してください、もう、あなたに危険なことはさせませんから。あなたを『害獣』になんか絶対にさせない。絶対守って見せる」
そう言って、混乱している士郎を優しく抱きしめる。
あまりの急展開にどうしたらいいのかわからず、助けを求めて連夜のほうに顔を向けるとなぜか必死になって顔を背けて身体を震わせている連夜の姿が。
「ち、ちょっと、連夜さん!? た、助けてくださいよ!!」
「だ、だって・・ぷ・・」
「『ぷ』? いま、『ぷ』って噴き出しませんでしたか!?」
もう何が何だか大騒ぎになってしまっている運転席の中だったが、そのとき更なる混乱を巻き起こす音が響き渡る。
ガシャンという音が鳴り響き、運転席の面々がその音のした後部を見てみると、お盆から飲み物の入ったコップを全部落としてしまった状態で、茫然とこちらを・・具体的に言うと、抱きあっている士郎とスカサハの姿を見つめている晴美の姿が。
「は、晴美?」
「ど、どういうことですか、士郎さん・・スカサハ会長のことはなんとも思ってないって言っていたのに・・」
「ち、違う違う、これは違う!!」
見る見る涙目になってくる晴美に、スカサハに抱きつかれた状態でわたわたと両手を振り回しながら弁明しようとする士郎だったが、晴美の言葉の中に無視できない文脈をみつけたスカサハが、両手で士郎の顔をはさんで自分のほうに向けてくる。
「し、士郎? 私のことはなんとも思ってないってなんの話ですの?」
「いや、だから、それはつまり・・」
「士郎さん、いつまで、会長とくっついているんですか!!」
「あ、いや、これは僕がやってるわけじゃなく・・」
「士郎、私に抱きつかれるのは迷惑ということですか!?」
「いやいやいや、そうじゃなくてですね・・」
本気で大変な修羅場になってきた運転席の中で、唯一状況を打破できそうな人物に目を向けた士郎だったが、いつも頼れるはずの連夜は、なんと運転席で身体を折り曲げて必死に何かに耐えるようにぷるぷる震えている。
その様子を見ていた士郎は、まさかと思いつつも尋ねずにはいられなかった。
「れ、連夜さん、まさか・・笑い転げていらっしゃるんじゃないですよね・・」
その問い掛けに、まさかそんなわけないじゃないかといわんばかりに、片手だけをぶんぶん振りまわして否定する連夜だったが、どうみてもその姿は笑いすぎでお腹が痛くなっているようにしか見えない。
「れ、連夜さん、ほんとに助けてくださいってば!!」
「士郎!!」「士郎さん!!」
「は、はいい!!」
二人の少女に怒りに満ちた涙目で見られ、だらだらと冷や汗を流し続ける士郎。
そうして、さらに修羅場はエスカレートしていく様子を見せていたが、不意に連夜が笑いの発作から立ち直り、年少組に声をかける。
「はいはい、もう『アルカディア』が見えてきたからね、続きは向こうに着いてからにしてね」
「「「え!?」」」
連夜の言葉に三人が一斉に前を見ると、まだもう少し遠くのほうだが確かにはっきりと『嶺斬泊』に似た無骨で大きな外壁がそびえたっているのが見えた。
とうとう、一行は城砦都市『アルカディア』に辿りついたのだった。