~第40話 交易路(後編)~
朝、肌寒くて目が覚めそうになったリンは、蒲団の中で生きた暖房にしがみつこうと両手をぱたぱたしてみるが、そこにあるはずの感触がないことに気が付きむくりと起き上がる。
蒲団の中から起き上がったリンは普通の嗜好を持つ同年代の一般男子が見たら鼻血を吹きだすか、前屈みになってしまうこと間違いなしの恐ろしいほどに魅惑的な肢体を惜しげもなくさらしながら、きょろきょろと周囲を見渡す。
「ろ、ロム? どこ〜?」
甘えた声を出し、最愛の人の姿を探すが、全く見当たらず部屋の中は静寂が支配するばかり。
本気で不安になってきたリンは、慌てて立ち上がり他の部屋やトイレ、風呂場まで探すが、やはり愛するロスタムの姿が見つからず途方に暮れる。
一緒に暮らすようになってから、こんなことは一度としてなかっただけに、何か事件に巻き込まれてしまったのでは!? と真剣に悩み始めたその時、キッチンのテーブルの上に一枚の紙が乗っていることに気づく。
なんだこれ? と思いつつそれを取って見て見ると何やら手紙のようで、その達筆な文字にリンははっきりと見覚えがあった。
どうやら最愛の人が残していった置手紙らしい。
何事かと思って読んでみると、物凄く簡潔に内容が書いてあった。
『連夜の仕事に付き合うので、四、五日留守にします。ロスタム。 追伸:ちゃんと学校には行くように。あと料理教室は連夜のお父さんが教えてくれるそうなので、そっちにもちゃんと行くように』
その手紙の内容を何度も読み返していたリンだったが、やがて、その手紙をぐしゃりと握りつぶすと、慌てて携帯念話を持ってきて急いで目的のルーン文字を押す。
するとほどなくして通信音がなり、すぐに目的の相手が念話口に出た。
『おう、俺だ』
「・・いま、どこ?」
もうすっごい冷た〜い口調で尋ねてくるリンに、念話口の向こうで明らかに怯んでいる様子が伝わってくる。
『いや、どこって、もうすぐ『外区』出発口に出る、通信がつながらなくなるから、要件があるなら早く言ってくれ』
「は!? 『外区』出発口って、どういうこと!? ロム、あなたどこに行こうとしているの!?」
全然予想外だったロスタムの答えに、今度はリンのほうが怯み悲鳴に似た声をあげる、その声を聞いたロムは明らかにバツが悪そうな声で答えてくるのだった。
『すまん、行先は言えんのだ、誰に聞かれているかわからんからな。帰ってきたら何もかも包み隠さず説明するから、今は我慢してくれ』
「ちょ、ちょっと待って、それなら尚更、なんで私を連れて行かないのよ!? 連夜の頼み事なら私にも無関係じゃないでしょうが!!」
『あ〜、それについては連夜に直接聞いてくれ、今代わる。おい、連夜、リンだ』
念話口の向こうで最愛の人と、一番信頼している友人とのやりとりが聞こえ、すぐにその友人の声が念話口に出てきた。
『リン、ごめん、ロムをちょっと僕に貸して。四、五日で必ず君に返すから』
「いや、だからそれはいいけど、なんで私には相談がなかったのかって聞いてるのよ!!」
『理由は二つ。一つ、話したら絶対ついてきたでしょ? そして、もう一つ、君に話すと絶対ついて来てほしくない人までついて来ちゃうから話せなかったのよ』
連夜の答えを聞くまでは自分は信頼されていなかったのかと泣きそうになっていたリンだったが、連夜の答えを聞いて別の意味で泣きそうになってしまったリンだった。
そして、その理由で納得できてしまう自分の新しい友人の存在がちょっぴり・・いやほんとは大分恨めしいリンだった。
それにしても頭では理解することはできるが、感情がどうしても納得できない。
自分でもわかっているが、自分は重度の『ロスタム依存症』である。
確かに一年以上も我慢してきた実績があるし、我慢できないことはないだろうが、それにしても考えただけで寂しくて死にそうになる。
そんな自分の考えを知ってか知らずか、一番信頼できる親友は断り切れないことを頼みこんでくるのだった。
『リン、多分、君ならもうわかってくれていると思うけど、姫子ちゃんのことをお願いしたかったんだ。今日から姫子ちゃんは学校に行かなきゃいけない。そのときに、君が姫子ちゃんの力になってやってほしいんだ。君も聞いたと思うけど、もう、あの学校に姫子ちゃんのお付きをしていたはるかちゃんとミナホちゃんはいない。本当に姫子ちゃんは一人でやっていかなきゃいけない。それはそれでいいことだと思うけど、やっぱり一人は不安だと思うから・・お願い』
そう、昨日姫子から打ち明けられた衝撃的な内容。
ずっと姫子のお付きをやっていた水池 はるかと、東雲 ミナホは転校してしまったのだ。
姫子の話によると、彼女達は姫子本人に仕えていたわけではなく、次代の『乙姫』に仕えるお付きであり、『乙姫』を降りてしまった姫子にはついていられなくなったのだそうだ。
現在彼女達は、姫子の同い年で三か月遅れの生まれである腹違いの妹、次代の『乙姫』に新たに任命された、龍乃宮 瑞姫に仕えるために御稜高校とは別の地域にある女子高に転校していったらしい。
リンそのものは特別彼女達に思い入れはなかったが、姫子自身は寂しく思っているかもしれないことは容易に想像できたし、姫子の力には最初からなるつもりでいたので、連夜の頼みは快く引き受けることにする。
「わかった、それについては頼まれたわ。それよりももう一度、ロムに代って」
『ありがと、リン。姫子ちゃんのことよろしく頼むね。じゃあ、ロムに代わる』
と、再び念話口の向こうで人が代わる様子が伝わってきて、愛しい人の声が聞こえてくる。
『代わった、俺だ』
「ロム・・やっぱり寂しいんだけど・・」
本気で悲しくなってきたリンの声は意識したわけではないが、涙声になってその心とともに念話口から相手の耳に届く。
念話口の向こうでロスタムは心が非常に痛んだが、自分の相棒で妻となる人物は絶対大丈夫と思い直し、強い信頼を込めて声を出す。
『わかってる、でもな、俺達は連夜に借りが多すぎるとおもわんか?』
「・・うん、そうね」
『お前は連夜の幼馴染を助けてやれ、俺は連夜を助ける。この機会に多少なりと夫婦で借りを返しておこう』
「・・わかった、私にとっても連夜は大事な友達だからね、今だけあなたを貸し出してあげることにするわ」
ロスタムの信頼に満ちた声が届いたのか、少しだけ元気を取り戻したリンが強がり半分で返答する。
その声を聞いたロスタムは殊更に明るい口調でリンに話しかけるのだった。
『うむ、頑張ってくるさ。帰ったらちゃんと詳細を話するから、ちょっとだけ待っててくれ。留守の間しっかり家を守ってくれよ、奥さん』
「うんうん、早く帰ってきてね、あなた」
『じゃあ、そろそろ出発口から出るから切るな』
「あ、ロム・・」
『うん、リン、俺もお前のこと愛している。絶対浮気しない。絶対生きて帰る』
リンが言いたいことを先に察したロスタムが、リンの不安を吹き飛ばすように強い口調で断言する。
その言葉を聞いたリンは涙交じりに笑顔を浮かべるのだった。
「もう、人の言いたいこと先に言っちゃってさ・・いってらっしゃい。気をつけてね」
『うん、おまえもな』
そう言って念話は切れてしまった。
どうやら本当に『外区』に出発してしまったようだ。
リンは自分の携帯念話をその豊満な胸に抱きかかえるようにして両手で押し抱くと、最愛の人の旅の無事を心から祈るのだった。
一方そのころ、巨大な城砦都市『嶺斬泊』の外門から外へと出発した馬車の中、大きな運転席で馬車を運転している連夜の横で自分の携帯念話を閉じたロスタムは、苦笑交じりに連夜のほうを見た。
「おまえのおかげで、あやうく夫婦喧嘩勃発だぞ連夜」
「悪い、それについてはほんとに悪いと思っているけどさ・・君達ほんとに喧嘩することってあるの? 想像できないんだけど・・」
「あるって・・なんせ、物凄い火種が俺達にはあるからな、多分一生それについての喧嘩はおさまらないだろうよ」
不思議そうに聞いてくる連夜に、ロスタムはがっくりと肩を落として呟くのだった。
「そうなのか、やっぱ外から仲良く見えてもいろいろとあるもんなんだね」
「そりゃそうだ。でもまあ、それはそれできっと幸せなことなんだろうよ。さて、俺はトレーラーに戻って後ろの警戒をしてくるわ」
「うん、お願い。あと、士郎にこっちに来るように言っておいて」
「わかった」
ロスタムが運転席後部のトレーラー内に消えていくのを見送った後、連夜は眼前に広がる街道に目を向けながら、なんとなくここにはいない最愛の恋人のことを思い浮かべた。
心配をかけてはいけないので、今回のことについて全てを語ることはしなかった連夜であるが、仕事で『嶺斬泊』を離れることはすでに事前に伝えてある。
まさか、『害獣』騒ぎで封鎖されている交易路を通って『アルカディア』に向かっているとは予想だにしていないだろうが、それでも四、五日いないことを伝えた時はかなりの抵抗を受けた。
自分も連れて行けという玉藻を必死に説得し倒した連夜であったが、正直切り札である”ブエル教授の前期中間試験”の話をミネルヴァから聞いていなかったら押し切られていたこと間違いなかった。
流石の玉藻もその科目の単位だけは落としたくないということはミネルヴァから聞いていて知っていたため、最後の最後で持ち出したわけだが、効き目は抜群で完全に涙目になりながら玉藻は泣く泣くあきらめたのだった。
「あれはかわいそうなことをしたなあ・・でも、ほんとに僕のことで単位は落としてほしくなかったし、仕方ないよね」
と自分を納得させ、心の中で置き去りにしてしまったことを何度も謝る連夜。
しかし、今回のことを成功させることができたら、ある程度のまとまった金を手に入れることができ、将来的にある程度の展望が開けてくるので連夜としては玉藻との関係を次のステップに進めてしまっても構わないかなと思っている。
まああくまでも成功した場合だが。
「ここのところ僕の立てた策が結構裏目裏目に出てるからなあ・・気をつけないと」
と、どこまでも心配性な連夜であったが、まさかそれがすぐ現実となって自分の目の前に突きつけられることになるとは・・人生とはつくづく思うように行かないと思う連夜であった。
〜〜〜第40話 交易路(後編)〜〜〜
『馬車』の運転席から見える『外区』の風景を眺めながら、二人の少女は嬉しそうにほほ笑んだ。
「スカサハ会長、私、実は『外区』に出るの生まれて初めてなんです」
「あら奇偶ね、実は私もなの。それにしても『外区』って当たり前だけど広くて何もないのね〜」
「そうですね〜、左手には『黄帝江』、右手には森が広がってるだけなんですねえ・・」
と、しみじみとのんびり語り合う実妹と義妹の会話を聞きながら、連夜は深い溜息をもらす。
どうしてこうなってしまったのか?
今回『外区』での仕事とあってメンバーはかなり厳選したはずであった。
特に気にしたのはメンバーの異界の潜在能力の低さである。
まず、人間である連夜とバグベアのロスタムは全く問題ない、種族的に異界の力はほとんどゼロ、まず『貴族』以上の『害獣』にでも出会わない限り無視されて安全であるし、出会ったとしても無視される可能性は非常に高い(実際つい最近出会った『金色の王獣』は完璧に自分達のことを無視してくれたのだ。)。
次にエルフ族のクリスであるが、彼には精霊力というものが存在しているものの、実はこれ使役するための精霊を呼び出さなければ全く無害な力であり、呼び出していない状態では人間、バグベアと同じくゼロに近いといってよい(エルフ族の多くがこの世界に生き残っている理由の一つがこれ)。
さらに次に狼獣人族のアルテミスであるが、彼女には若干魔力が存在している、ただし、その力には強弱があって月の満ち引きに思いきり関係してくる、新月のときはほぼゼロに近いが、満月が近づくに連れてその魔力は大きく変貌していくわけだが、幸い今は新月の期間に入っているため、彼女も問題なし。
そして、最後合成種族の士郎についてだが、彼はある理由により異界の力は全くない、人間である連夜よりもない、むしろ、メンバーの中で一番連夜が気にしなくていい人物が彼であるといえる。
あと、連夜を除く四名は非常に実戦慣れしており、『外区』で万が一有事があったとしても十分に対応できるメンツであるということ、さらにさらにクリス、アルテミスは『アルカディア』で連夜と同じくらい顔が利くし、ロスタム、士郎は連夜のボディガードにうってつけと厳選にも厳選しつくした非常に贅沢なメンバー構成であったはずなのに・・
なぜ、この二人がいるのか?
と、運転席から無邪気に外の世界を観光している二人の実妹、義妹を恨めしそうに連夜は見つめる。
まず、実妹のスカサハであるが、もうまず間違いなく『害獣』から直接ご指名受けてしまうようなトップクラスの大型大量魔力保持者である。
なんせ母親の後継者的存在であることはもう自他共に認めるほどで、種族は一応魔族として中央庁に提出してあるもののその実態は大きく違い、その魔族を統べるために生まれてきたあるとんでもない種族であることを連夜は知っている。
しかも、ある事件により別の力も引き継ぐ形となってしまっており、潜在能力だけなら宿難家では事実上最強の人物と言ってまず間違いない。
間違いないけど、それはあくまでも『人』のコミュニティの中でのみの話で、場所が『外区』となると話が全然別である。
むしろ爆弾抱えて走っていくようなもので、絶対に異界力遮断マントは外すことはできないし、外してもらっては困るのである。
次に連夜の恋人にして婚約者である玉藻の妹、つまり連夜にとっては事実上の義妹、晴美であるが、彼女もまたスカサハ程ではないが『害獣』から十分標的にされうる霊力保持者なのである。
霊狐族の長老たる彼女の祖父母達から秘伝の丸薬作りの伝承者に指名された姉の玉藻同様に、晴美も堂々たる霊力を誇る。
しかし、それはスカサハと同じく『外区』で『害獣』を呼び寄せる禍の元。
彼女にも異界力遮断マントは必須。
「ってことが、わかってますか? 二人とも?」
横にいる二人に少しでも危機感を持たせようと、ちょっと怒り気味に顔を向けると、修学旅行にやってきた女子中学生そのものみたいに、のんきにチョコレート菓子をぽりぽり食べている二人の姿が。
もうなんか何も言う気がなくなった連夜はがっくりと肩を落とす。
「あ〜、なんかもう、いいや」
「お兄様? 何を怒っていらっしゃるんですか? あ、そうか、『チョッキー』食べます? おいしいですよ」
「いや、いらないから。ちょっと運転に集中するから、君達はもう観光でも談笑でも好きにしていなさい」
なんでこんなことになっちゃったのかなあ・・とぶつぶつ呟きながら正面を向いて運転に集中し始めた連夜の横顔をしばらくきょとんとして見つめていたスカサハだったが、結局兄に言われた通りに、生まれて初めて見る『外区』の世界に視線を移した。
城砦都市『嶺斬泊』の整地され舗装された道路や、ビルが乱立する都会の景色しか知らないスカサハや晴美にとって、目にする光景全てが珍しいと言っても過言ではない。
向こう岸が見えない大河『黄帝江』の壮大な河の流れや、『馬車』が通るためだけの幅しか舗装されておらず、すぐ横は雑草の草原が広がっていたり、岩場が広がっていたりする長大な交易路や、さらに右手を見るとうっそうと生い茂り中まで見通すことはできない薄暗く空間が広がっている大森林など、見るものすべてが新鮮であり、スカサハと晴美はすっかり『外区』に魅せられていた。
「ここが私達にとっての過酷な地獄の世界だなんて、とても信じられませんわ・・」
スカサハが嘆息すると、晴美もその意見に同調して大きく頷く。
「そうですね、こんなに平和に見えるのに・・」
ふと横を見ると、野生の一角野牛の群れが森の横にある平原を通り過ぎていく光景が目に映る。
よく見るとそこには『害獣』の一種である『労働者』クラスの大型のいもむし害獣があちこちに存在していた・・
スカサハと晴美は惨劇を予感して身を縮ませるが、自分達のすぐ側を通り抜けていく野牛達にいもむしは見向きもせず、平原にある何かを一生懸命食べるばかり。
その様子にほっと胸を撫で下ろす二人だったが、なぜいもむしの『害獣』がバッファロー達を見逃したのかわからず怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんで、あの『害獣』は野牛を見逃したのかしら?」
「ですよね、『害獣』って外にいる人を無差別に襲いかかるんじゃないんですかね?」
「あれは『労働者』クラスの『害獣』です、生き物には襲いかかりません、植物とか石とか岩とか土とか、異界の力に侵食されたそれらを食べて浄化するのが彼らの役目ですね」
スカサハ達の問いに答えたのは、一番はしっこに座って外を警戒している士郎だった。
「私達に襲いかかってきませんの?」
「ええ、大丈夫ですよ。我々に害を成すタイプは『労働者』よりも上のクラスになるんです。具体的にいえば『労働者』の上には次の四つのクラスが存在しています。『兵士』、『騎士』、『貴族』、『王』、あと一つ本当はあるんですが、それは一匹だけに与えられている称号ですし、あいつは今、西の大陸にいるはずですからとりあえず関係ないですね」
スカサハの問いかけに丁寧に答える士郎に、スカサハと晴美はふむふむといちいち頷いてみせる。
「『兵士』以上のクラスになると、結構問答無用で襲いかかってきますけど、それでも異界の力の有無によっては全く無視ということも少なくないですね。いや、ゼロに近い僕や連夜さんみたいな種族になると、ほぼ完全に無視ですね、目が合っても恐らく素通りされます」
「え、そうなんですか?」
「と、言ってもそのときの持ち物によっては異界の力に知らない間に侵食されていて、それを感知されちゃって・・ってこともあるから油断できないんですけどね」
士郎の言葉に、スカサハは少しびっくりした表情を浮かべるが、晴美は何かに気がついたように士郎に問いかける。
「ひょっとしてそういうことが以前あったんですか?」
「はい、かなり前になりますけど・・いや、あのときは参りましたね、連夜さん」
そう運転している連夜に話しかけると、連夜は視線を前からは動かさずに苦笑を浮かべて答えた。
「あったねぇ・・城砦都市『ゴールデンハーベスト』に向かう街道沿いにあった森の中に霊草を探しに士郎と二人でいったんだけど、肝心の霊草をみつけることはできたものの、その帰り道でばったり『兵士』クラスの二足恐竜型『害獣』に出くわしちゃってさ、二人して追いかけまわされてね。いや、あれは死んだと思ったなあ・・」
あっさりととんでもない自分の過去を話す兄に、卒倒しそうな表情を浮かべるスカサハ。
「お、お兄様、な、なんてことを!!」
「そ、それでどうなったんですか?」
「さんざん追い回されたんですけど、最後、こうなったら荷物全部捨てて全力で逃げるしかないって!! 二人して全部荷物を放り出して破れかぶれ逃げ出したんですけど、そしたら一行に追いかけてこなくて、あれ〜?って戻ってみて様子みたら、なんだか連夜さんの荷物をあさっているじゃないですか。そしたらカバンから出てきたのは大量の『精霊珠』だったんですよねえ」
「『精霊珠』? あの精霊力がなくても呼び出して簡単なことなら使役させることができる、あれですか?」
「そそ、そうです」
「あのときは、あんなものが引き寄せることになるなんて思ってなかったんだよねえ・・いや、『精霊珠』ってね、正確に言うと呼び出すんじゃないんだよ、すでに呼び出した精霊を珠の中に封じ込めたものなんだよね。つまり僕は大量の精霊達を背負って逃げていたわけ。そら追いかけられるよね」
連夜さんったらもう、お茶目なんだから〜と、笑い合う連夜と士郎の二人の姿を絶句して見つめるスカサハと晴美。
「よ、よくそんな目にあわされながら瀧川くんはお兄様についてきていますね?」
「そりゃどこまでもついて行きますよ。連夜さんは、僕のことを必要だって言ってくださったんですもの」
スカサハの呆れたような問いかけに、なぜか士郎は胸を張って誇らしげに断言するのだった。
そんな士郎に、連夜はわざわざ顔を横に向けると、スカサハにも見せたことのないような優しくて信頼に満ちた笑みを浮かべて見せるのだった。
「うんうん、頑張ってついてきてよね、そして、偉くなって僕に楽をさせてください」
「わかりました!! がんばります!!」
連夜の言葉にビシッと敬礼を返す士郎。
そんな二人の様子を見ていたスカサハと晴美は、なんだか物凄く面白くなくなってきて、自分達でもよくわからないまま、連夜の脇腹に手を伸ばすのだった。
「いたたたたたたた!! ちょ、ちょっと二人とも何してるの!? 今、僕運転中だって、わかってる!? ってか、なんで僕のことつねるの!?」
「「・・」」
二人とも連夜の言葉に渋々手を放すが、もうすっごい恨めしそうな表情を連夜に向ける。
「え、何、その視線・・僕何か悪いことした?」
「「・・別に」」
二人して不貞腐れたように顔を背けるが、視線は相変わらず連夜のほうに向けっぱなしで、やっぱり恨めしそうに見つめている。
「・・わかってますよ、どうせ私は連夜さんにとってはお荷物ですよ。でもでも、ちょっとくらい私にも期待してくれてもいいじゃないですか。私だってもっと優しくされたいし信頼されたいのに・・連夜さんのバカバカ・・」
「・・瀧川くんは実の妹よりも信頼があるってことですか? 瀧川くんも瀧川くんです・・連夜さん、連夜さんて・・同じ中学校なんだから、もうちょっと別のところに視線を向けてくれてもいいじゃないですか。私は空気ですか。それともお兄様の飾りですか」
晴美の独り言はいつものこととして、スカサハの独り言には少し連夜は兄として言っておかなければと口を開く。
「スカサハ、黙って待っていたって結果はやってこないと僕は思うよ。自分がどうしたいのかはっきりわかっているんなら、はっきり言えばいいんじゃないかな」
「な、な、何をですか!? わ、私には別に何もわかってることなんかないですわ!! 変なこと言わないでくださいませ」
兄の思いもかけない言葉に、これ以上ないくらいわかりやすく狼狽するスカサハ、そして、そんな二人のやりとりをきょとんとした表情で見つめる士郎と晴美。
そんな年下の者達の心の内を知ってか知らずか、連夜はさらに追い打ちをかける。
「ふ〜〜ん、そう? 言っておくけど、士郎って、結構もてるよ。僕が知ってるだけで、士郎のこと狙ってる女の子って三人はいるからね」
「えええっ!?」
「れ、連夜さん、やめてくださいよ。そんなわけないじゃないですか」
いきなり自分のことを暴露されて慌てふためく士郎に、物凄いショックを受けた表情でその士郎を見つめるスカサハ。
「あ、あれは彼女達が僕のことをからかっているだけです。本気のわけないじゃないですか。そもそも、僕は女性から愛されるような容姿をしていませんし」
「そうかな、彼女達は本当に容姿で選ぶような『人』だと思う? 僕は逆だと思うよ。彼女達は君の本質を知って好きになったんじゃないかな」
スカサハから今度は標的が自分になったことに気づき、士郎は困ったように顔を赤くさせて俯き両手を組み合わせてもじもじしながらごにょごにょと返答を返す。
「で、で、でも、僕には連夜さんがいますし」
「おいおい、僕は君のお嫁さんにはなれないからね。君は僕以外でちゃんとお嫁さんを見つけて幸せになって、その上で僕のことを助けてもらわなくちゃ困るよ。わかる?」
「あ・・あ・・あの、はい・・」
「そこは『わかりました!! がんばります!!』でしょ?」
「あ・・はい・・わかりました、がんばります・・多分」
もう完全に顔をゆでだこのようにしてしまい、恥ずかしくて声もだせなくなってしまった士郎の姿に、連夜はくすっと優しい笑みを浮かべてみていたが、ふと横を見ると物凄く怖い表情になってしまったスカサハの姿が。
その怒りを象徴するかのように髪の毛がどんどん蛇になってしまっている。
「スカサハ、何を怒っているんだい? あれだけ生徒会に君目当てのいい男が集まっているんだから、寄り取りみどりだろ? みんないい奴じゃないか。僕は彼らの誰かと君が一緒になっても全然構わないと思っているよ。ただね・・」
連夜は怒りまくっている実妹の目を臆することもなく見つめ返す。
「後悔だけはしないようにね」
そして、もう話すことはないとばかりに視線を前に向けて、連夜は運転に集中しはじめた。
スカサハはしばらく怒ったような表情を浮かべていたが、やがて急速にその力を失い、しばらく途方に暮れたような顔で兄の顔を見つめ、その後今度は士郎に物言いたげな表情を向けていたが、やがて顔を俯かせて席を立った。
「・・私、ちょっと疲れたのでトレーラーにもどってきますね」
「あ、スカサハさん!!」
呼びとめる晴美のほうにちょっとだけ振り向いて力なく笑って見せた後、スカサハはトレーラー内部にもどっていってしまった。
しばし、気まずい雰囲気が運転席に流れるが、その中で連夜は困り果てた表情を浮かべて嘆息するのだった。
「自分からそういうこと言ったことないんだよねえ、あのこ。自分から行動しないものに、結果は絶対ついてこないのに・・」
しかし、突き離してはみたものの、どうにも妹に甘い兄はいらんお世話だとわかっていても布石を打たずにはいられないのだった。
連夜は運転席のはしっこで、どうしようどうしようとおろおろしたままの士郎のほうに視線を向ける。
「士郎、悪いけど、トレーラーに行って夜営の準備してきてほしいんだ。ちょっと早いけど、思ったよりも中間ポイントに早くつけそうだからね。本当は無理してもう少し先まで行けないことはないんだけど、何があるかわからないからさ、ここは安全に都市指定の夜営ポイントで泊まることにしよう」
「あ、わかりました」
「それで、その手伝いをスカサハにさせてね。働かない者はついてきてもらっては困るって僕が言っていたって言えばわかるから」
連夜から仕事を与えられて、気を紛らわせることができると一瞬喜色満面になる士郎だったが、あとから付け加えられたミッションの重さに顔を赤らめるやら青ざめるやら。
「使いにくいだろうけど、頼むよ。まあ、たまには生徒会長殿にも舞台裏の仕事をしてもらわないとね」
と、自分でもあからさまですごいいい加減な言い訳だなあと思ってはいたが、妹のためにここは道化になろうと決心し士郎を送りだす。
士郎は、困ったような表情を浮かべていたが、溜息を一つついて連夜に了解しましたと苦笑してみせると運転席を出て後部トレーラーへと消えて行った。
その士郎を見送った連夜は、晴美が自分をじっとみつめていることに気づきやれやれと肩をすくめてみせる。
「なんだかんだいって、やっぱり連夜さんは優しいお兄さんですね」
「甘いって言いたいんでしょ? まあ、僕もわかっているんだけどね。そろそろ兄離れしてもらいたいし。僕も妹離れしないとね」
「どうでしょうか? だって、その甘いところが連夜さんですし」
そうしてすっかり大人びた表情で笑う晴美を見ていると、ありし日の玉藻の姿がオーバーラップして見えて、非常に複雑な連夜だった。
(そういえば小学校六年生の頃の玉藻さんも、こういう大人びた笑顔をしていたよなあ・・)
日々ますます玉藻に似てくる晴美の姿を見ていると、妙な気持ちになってきて困った顔を浮かべる連夜。
そんな連夜の心境を知ってか知らずか、晴美はそっとその身体を連夜にもたれかからせる。
「は、晴美ちゃん、何してるの!? 運転中だから、離れてくれないかな?」
「いやです」
「いやですって・・」
「あの、連夜さん?」
「え、なに?」
「お姉ちゃんほどじゃないんですけど、ちょっと胸も大きくなったと思いませんか?」
と、連夜の腕に自分の腕をからませてわざと胸を押しつけてくる晴美の行動に、思わず運転を誤りかける連夜。
「う、うわ、何やってるの、晴美ちゃん!!」
「どきどきしました?」
「お願いだから、運転中はやめてよね・・」
「えへ」
可愛らしく下から自分の顔を覗き込んでくる義妹に強く怒ることができず、やっぱり自分は『妹』というものに非常に甘い性格らしいと悟って暗澹たる気持ちになる連夜だった。