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~第28話 橋を渡す者~

 夢を見ていた。


 恐ろしい夢だ。


 自分の数少ない大切な友人を見下すようなことを言ったあげくに、身勝手な理由で殺そうとした夢だった。


 しかし、あれが現実であるはずがない。


 なぜなら、自分が夢の中で使っていた技、あれは、相手を確実に殺すために使われる必殺の拳。


 姫子が会得している『形意黄龍拳(けいいこうりゅうけん)』の中でも特に恐ろしい技。


 その名を『落鵬破通背拳らくほうはつうはいけん』。


 まだ未熟だったころに、師匠相手に数回使っただけで、実戦では使ったことすらない。


 それを現実に使うとは、とてもではないが考えられるわけがなかった、ましてや、相手が相手だというのに。


 姫子は意識が次第に覚醒していくのを感じ、瞼の上からでも光が感じられるようになると、ゆっくりとその目を開けた。


 目に入るのは白い天井。


 そして、心配そうにこちらを見つめている自分のお付きを務める二人の姿だった。


「「姫様!!」」


 姫子が目を覚ましたことに気づき、二人は同時に歓喜の声を上げる。


 二人のうちの一人、太ったほうの少女が姫子が横たわるベッドの横に座りこんで、姫子の顔のすぐ側に自分の顔をよせてくる。


 その目にはうっすらと涙も浮かんでいるようだった。


「姫様、ああ、よかった!! 本当によかった!!」


「はるか、ここは? 学校の保健室か?」


 心底嬉しそうな笑顔を浮かべるはるかに、大げさだなと言っておいて、周囲を見渡した姫子は自分が保健室のベッドの上に寝ていたことに気づいて怪訝そうな表情を浮かべた。


 なぜ自分は、こんなところで寝ていたのだろうか?


 姫子は今日の出来事を必死に思い返す。


 確か、朝登校してきて、連夜と転校生のリン・シャーウッドが話しているのを見ていて、それが終わったあとに・・


「姫様、頭大丈夫? 痛いことあらへん?」


「頭?」


 回想の途中でお付きのうちのもう一人であるミナホが話しかけてきたため、それを中断して頭に手を当ててみる。


 特に怪我らしい怪我をしているような感じはしないが、と、自分の頭を触って確認していた姫子は自分の頭部に生えている角を触ったときに、いつもと感触が違うことに気がついた。


 角は確かについてはいるが、少し長さが足りないような感じがするし、しかも、角の先っぽが思ったよりも細くなってない気がする。


 姫子は、妙な感触の原因を確かめるべく、横にいるはるかのほうを見た。


「はるか、鏡を貸してくれぬか」


「え・・」


 一瞬ぎょっとした表情を浮かべ、隣にいるミナホに助けを求めるように視線を走らせるが、ミナホは首を横に振って、無言で鏡をわたすように促す。


 はるかは無念そうな表情を浮かべたが、結局諦めて姫子に鏡を渡した。


 姫子は、二人の表情が非常に気になったが、とりあえず鏡の中の自分を見る。


 特に顔に傷らしい傷はないし、髪の毛の長さも変わったとは思えない。


 しかし、その鏡で肝心の角を映し出したとき、姫子はその変わり果てた姿に絶句した。


「な、な、なんじゃこれは!?」


 角はそれほど短くなっていたわけではないが、その先端が明らかに刃物で切り取られたようになってしまっていた。


 思わずベッドの上に跳ねるように上半身を起き上がらせて、まじまじと鏡の中の自分の角を見るが、見間違いではない。


 呆然と鏡を降ろして前方に視線を走らせると、部屋の隅っこに妙なものが目に入ってきた。


 まるで北方に住むという牡鹿の角のような巨大な角が二本、ごろりと放置してあるのだ。


 壁にでも飾っておくのだろうか?などと、考えていた姫子だったが、その角の形状はやけに見覚えのあるものだった。


 ギギギとゴーレムのように顔を横に向けると、二人のお付きは慌てて顔を横に逸らす。


 明らかにお願いですから我々に聞かないでくださいと表情は語っていたが、そんなことは構っていられない。


 姫子は二人の想いを黙殺して質問を紡ぎ出す。


「はるか、ミナホ・・あそこに転がっておるあれは、まさか、わらわの・・」


「「・・はい」」


 もう、なんとも言えない苦しそうな表情で頷く二人に、愕然として声も出ない姫子。


 いったいなぜこうなったのか、いったい何が起こったのか。


 姫子は再び先程中断していた、回想を再開する。


(わらわは連夜とリン・シャーウッドの会話が終わった後、ナイトハルトのことを連夜に聞こうとして・・聞こうとして・・)


 そこまで思いだしたとき、あとに起こった・・いや、自らが引き起こした惨事を思い出し、そして、それこそが唯一の真実であることを悟った。


 姫子はあまりにもひどい自分の凶行の数々に、頭を抱える。


 罪悪感と後悔とで押しつぶされそうになり、目からは自然と涙が溢れてこぼれる。


 なんとひどいことをしてしまったのか、よりによって数少ない友人を殺そうとしてしまうとは。


 そこで、姫子ははたと気がついた。


 自分は本当に殺さなかったのか?


 もしかするとすでに自分の手は友の生き血で染まっているのではないか?


 恐ろしい予感を感じながらも、確かめなければならなかった。


 姫子は横にいる二人のお付きに顔を向け、必死の形相で問い正す。


「連夜は!! 連夜はいかがした!?」


 姫子は連夜の安否を気遣うつもりで言ったつもりだった。


 しかし、二人のお付きが返した答えは姫子にはとても信じられない内容だった。


「申し訳ありません、姫様。宿難 連夜は取り逃がしました」


「あとちょっとやったんやけど、トドメは刺されへんかった。はるかの特殊警棒の横なぎの一撃であばらを持っていったし、うちのアッパーで頭の骨砕いてやるところやったんやけど、あいつ全部耐えきりよった」


 お付き達のあまりにもひどい内容の答えに、咄嗟に答えを返すことができず、茫然とする姫子の様子を見て何を勘違いしたのか、二人はさらにとんでもないことを言い出した。


「でも、ご安心ください、姫様。おじい様にお願いして、腕利きの隠密特殊部隊を差し向けることになっております。今夜にも姫様に無体を働いた連夜に償いをさせるつもりです。何、殺しはしません、如何に自分が愚かな行為を行ったか思い知ってもらうだけです」


「しかし、連夜があんな奴やったとは、思いもよらへんかったなぁ・・うち友達やおもてたのに・・せやけど、姫様、安心してや。その隠密部隊にはうちも参加させてもらうことになっておるから、もうあんな真似はさせへんからな」


 にこやかに話す二人のお付きの言葉に、ぶるぶると体を震わせる姫子。


 そんな姫子を見た二人は身体の調子がまだよくないのだと判断して、その身体を横にさせようと近寄ろうとする。


「・・こ・・・」


「え、姫様?」


「いま、なんていったん?」


「・・こ・・の・・馬鹿ものどもがあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 完全に油断して姫子に顔を寄せていた二人のお付きは、思いもよらぬ姫子の鉄拳制裁を顔面にくらってもんどりうって後ろに倒れる。


 鼻の骨を砕かれ、鼻血をだらだらと流しながら、呆気にとられて自分達の主の方を見た二人は、そこに今まで見たことのないくらい激昂し憤怒の表情を浮かべて仁王立ちする姫子を目撃する。


 その姿から放たれる闘気は尋常ではなく、姫子の怒気が全て自分達に向いていることに気づき、二人は恐怖で身を震わせるのだった。


「己らはいったい何を見ておったのだ!? 連夜は・・連夜はな、身勝手な理由でキレて暴走したわらわを止めてくれたのだぞ!! 本来であれば、殺されても仕方のないわらわを、できるだけ傷つけない方法で止めてくれたのだ!! それを貴様らは、こともあろうに・・こともあろうにその恩人を手にかけようとしたのか!? あまつさえ、己らの手にあまるとわかったから、今度はその意趣返しまでしようというのか!!」


 大声というわけでもない声であったが、二人のお付きを打ちのめすには十分すぎるほどの威圧感で放たれる姫子の言葉に、二人はがっくりと肩を落とすのだった。


「はるか・・今すぐ、隠密部隊を引き戻させろ・・今すぐにだ。もし、間に合わなかったそのときは、己の命で償ってもらうぞ・・」


「は、はい・・」


「ミナホ、連夜はどうなったのだ? こうなってしまった以上生徒指導室に呼ばれたのではないのか?」


「い、いや、姫様のことが心配やったから、わたしらいってへんねん」


「いますぐいけ!! そして、連夜が不利にならないようにしてこい!! ただでさえ、連夜は人間ということで差別されているのだぞ!! このことでもし何かあったら、わらわは・・わらわは・・」


 無念そうに唇をかみしめる姫子を、心配そうに見つめる二人。


 しかし、そんな二人に気づいた姫子は、涙が浮かぶ瞳にまたもや怒りの炎を燃え上がらせて睨みつける。


「何を、ぼけっと見ておるか!! さっさといかんか、このたわけえええええぇぇぇぇぇぇ!!」


「「はいいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」」


 姫子の怒声に、二人は鼻血を止めることも忘れて、どたどたと保健室を飛び出していった。


 二人を見送り、しばらくベッドの横に仁王立ちしていた姫子だったが、やがて膝から崩れ落ちて床の上に顔を伏せると、あたりをはばかることもなく号泣しはじめた。


「すまぬ・・すまぬ、連夜、すまぬ・・」


 自分だけの凶行でも大概だというのに、まさかお付きの二人までもかけがえのない友人に対して理不尽な暴力を振っていたとは。


 あまりにも最悪な事態に胸が張り裂けそうになる。


 それにしても、なんと自分の周りには自分を理解しないものばかりであることか。


 長年付き合いがあり、姉妹同然と思っていたはるかやミナホですら、こうなのだ。


 自分が求めているものは、それほどまでに手が届かないものなのか?


 これまでずっと感じてきた孤独感がより一層強く感じられて寒くてたまらず、姫子は自分で自分の身体を抱きしめる。


 恋人であったナイトハルトが去り、親友と思っていた連夜も自らの手でその手を振り払ってしまった。


 誰もいない・・姫子の周りには人はいっぱいいたが、彼女を真に理解してくれるものはもう誰もいなかった。


 姫子の心をとてつもない空虚が襲う。


 ふと横を見ると、保険医の先生が使っていたのか、机の上に大きな裁断用のはさみが置いてあるのが見えた。


 あれで喉をさせば、いくら龍の体とはいえ、簡単に死ぬことができるだろう。


 姫子は無意識にそのはさみを取ろうと虚ろな瞳でそのはさみを見て手を伸ばした。


 あと少しで届く、そのとき。


「あ、ごめん、これ危ないからしまっとくわね」


 と、いつのまにか部屋に入って来ていた白髪の少女が机の上のはさみを姫子よりも先にひょいと取り上げると、それを部屋の棚のほうに持って行って引き出しの中に直してしまい、そのあとくるっと振り返って姫子のほうを見た。


「姫子ちゃん、そんな床に座っていたら身体冷えるわよ。せめて椅子に座ったら?」


 呆然としたまま、床に座り続けている姫子の姿を、眉間にしわをよせて見た白髪の少女リンは、優しく姫子の側に近寄ると、そっと身体を支えて近くにある椅子に座らせる。


「ど、どうして、ここへ?」


「どうしてって・・友達があんな風に倒れたら、誰だって心配すると思うけど、あなたは違うの?」


 さも当然という顔で逆に聞いてくるリンに、姫子は戸惑う表情を浮かべてみる。


「わ、わらわは友達なのか?」


「少なくとも私はそう思っているわ、この学校で最初に声をかけてくれたのはあなただったし、あなたの目は嘘をつかない人の目だったからね」


 にっこりと笑って見つめてくるリンの不思議な笑顔に、引きこまれそうになる姫子。


 しかし、首を横に振って顔を背けると、苦い表情を浮かべて悲しそうに呟くのだった。


「わらわの側にはおらぬほうがいい。お主も見たであろう? 連夜はわらわにとって掛け替えのない友人で幼馴染じゃった。なのに、わらわはその掛け替えのない友人を見下し、あまつさえその命をも踏みにじろうとしたのじゃ。こんな奴に友達ができると思うか? こんな奴を誰が友達と認めてくれるというのじゃ?」


 しゃべってる間にも、姫子の目からは涙がぽろぽろと流れて落ちていく。


 しかし、リンは全く意に介せずという口調で告げる。


「私は気にしないけど」


「嘘だ!!」


 リンの言葉に間髪いれずに悲痛な表情で叫ぶ姫子。


「そんなのは嘘だ、嘘っぱちだ!! みんなわらわから離れていくんだ。最初はそうやって近づいてくるけど、ちょっとわらわが力を込めただけで壊れてしまうんだ。わらわはみんなと遊びたいだけなのに、力を見せると途端にみんなわらわを化け物としてみるようになる。ああ、そうだ、わらわは化け物だ!! ならば近づいてくるな、優しい顔で近づいてこないでくれ!! 期待させるな、これ以上夢をみさせないでくれ。頼むから、ほっておいてくれ」


 叫ぶだけ叫んだあと、姫子は再び両手で顔を覆って号泣し始めた。


 そんな姫子を、ぽりぽりと頭をかきながら見ていたリンだったが、何かを思いついたように姫子に声をかける。


「あ〜、つまりあれでしょ? あなたの多少の遊びにも耐えうるような友達ならいいわけよね?」


「む?」


 リンの言葉の意味がわからず、思わず顔をあげてきょとんとした表情を浮かべる姫子。


 そんな姫子を、リンは女の子らしくない不敵な笑みを浮かべて見つめ返す。


「正直ね、ここに来てみたのはいいけど、女の子らしい会話で説得なんてできっこないと思っていたのよね。ごめんね、私、まだまだ女の子としては修行中だから。でもね、姫子ちゃんの話を聞いていたら、私にも説得できそうで、ちょっと自信がわいてきたわ」


「な、何を言っておるのだお主?」


「だからね、友達になるのをやり直しましょうって言ってるの。私があなたの友達をやっていけるかどうか、あなたの得意分野で試してみたらわかるでしょ?」


「わ、わらわの得意分野って・・ま、まさかお主」


 目の前の白髪の少女が言いたいことの意味を察して、姫子は慄くが、肝心のリンは茶目っけたっぷりの表情で人差し指を立てて軽やかに告げるのだった。


「そそ、拳を交えてみるのよ。ね?」



〜〜〜第28話 橋を渡す者〜〜〜



 研究室での作業をきっちりしっかり終えた玉藻は、このあとみんなで飲みに行こうぜという仲間達の誘いをきっぱり断って家路を急いだ。


 何せ、今日自分の家には愛しい人がいて、自分の帰りを今や遅しと待っているはずだから。


 いつもより道する本屋やコンビニの誘惑をはねのけて、軽やかな足取りで我が家に帰って来た玉藻は、勢いよくドアを開けようとして失敗しあやうく後ろにひっくり返るところだった。


「あ、あれ? あれ?」


 恋人がいる以上、鍵はかかってないと思ったのに、ドアには鍵がかかっており、まさか、今日来ると言っていたはずの恋人が来ていないのではないかと、強烈な不安にかられ慌ててポケットから鍵を取り出そうとする玉藻。


 しかし、それよりも早く家の中から鍵をあける音がして、中からドアが開いた。


 開いたドアの向こうには、嬉しそうにこちらを見つめる最愛の恋人の姿が。


「おかえりなさい、玉藻さん」


「れ、れ、連夜く〜〜ん!!」


 三日以上会えなくて寂しい思いをしていたため、久しぶりに出会えた恋人を見て感極まった玉藻は連夜を抱きしめて、かなり濃厚に唇を重ねる。


 いつもだったら、照れてされるままの連夜なのに、今日はなぜか結構積極的に応えてくれる。


 まあ、それ自体に不満があるわけもなく、しばらくそうしてお互いを確かめあっていたわけだが、そっと唇を放して連夜を見ると、ちょっと目が潤んでいるようにも見える。


 確かに久しぶりに会うことができて感激もひとしおともとれるが、なんとなく元気がなさそうに見えて、玉藻は急に心配になって連夜の顔を覗き込むのだった。


「連夜くん、何かあった?」


 覗き込んでくる玉藻に、力のない笑顔を向けて連夜は頷いた。


「はい・・ちょっと。玉藻さん、もうちょっとだけ、このままでもいいですか?」


「う、うん、いいよいいよ」


 玉藻よりも少し身長の低い連夜は、玉藻の肩に顔を埋めるように抱きついてくる。


 なんだか、ひどく連夜が小さく見えてたまらない玉藻は、その身体を強く、でも優しく抱きしめるのだった。


「玉藻さんが・・」


「うん」


「いてくれてよかった・・」


「うん、私も連夜くんがいてくれてよかったと思ってるよ」


 何があったのか知らないが、連夜は相当に傷ついているようだった。


 詳しい事情を聞きだしたいが、それよりもまず先に、連夜の心を癒してやりたかった。


 玉藻には残念ながら美味しい料理を作ることも、足つぼマッサージをしてあげることもできなかったが、恋人としての務めを果たすことはできる。


 事と次第によっては、今夜連夜に身体を預けてもいいと思っていたし、むしろ、それで連夜の心が癒されるなら喜んで預けよう。


 そう、密かに覚悟を決めた玉藻だったが、連夜はしばらくしてそっと身体を離すと、てへへと照れ笑いを浮かべて玉藻を見た。


 その瞳には先程までの憂いはなくなっていた。


「すいません、玉藻さん、みっともないところ見せちゃって。しかも、玄関でとおせんぼするように」


「ううん、いいよ、そんなことは。それよりもいいの、もう? 連夜くんが望むなら、すぐシャワー浴びてくるけど」


「あわわわわ、いやいや、そこまではストップです、玉藻さん。十分今ので復活しましたから」


 と、玉藻に向かって見せる連夜の笑顔は、作り笑いでも愛想笑いでもないいつもどおりの優しい笑顔だった。


 どうやら強がりで言っているわけではないらしいとわかって、ほっとする反面、残念なような気もする玉藻だった。


 そう思って苦笑していると、連夜は玉藻が家の中に通れるように先に家の中にもどって道を空ける。


 その後に続いて靴を脱ぎ家の中に入ろうとする玉藻に、連夜が声をかけてきた。


「玉藻さん、早速ご飯の用意しますねって、言いたいところなんですけど、ちょっと、僕の話に付きあってもらっていいですか?」


「うん、いいけど、それって、今のことに関係する?」


 ちょっと目を細め、心なしか物騒な気配を漂わせる玉藻に、連夜は慌てて手を振ってそれを打ち消す。


「いえいえ、それとは全く別です」


「そう・・わかった。リビングで聞けばいい?」


 連夜の言葉に嘘がないとわかった玉藻は物騒な気配を消すと、持っていた『刃連IQ』の黒いバッグをソファの上におろして、テーブルの前に座る。


 その姿を見て安堵した連夜は、あらかじめ用意していたと思われる、香りのいいコーヒーが入ったカップを二つ持ってきて、テーブルの上に置いて自分は玉藻の対面にくるように座る。


「なんだかこうして対面で座るのって、あの日以来ね」


 玉藻が意味ありげな笑みを浮かべて連夜を見ると、連夜は玉藻が言ってる日のことがわからず最初きょとんとしていたが、やがてすぐにそれに気がついて顔を赤らめる。


「あの日・・って、やめてくださいよ。もう、あんな無謀なことはしてませんて、あんな風に玉藻さんを泣かせて怒らせるのはこりごりです」


「そうね〜、ほんとあれで最後にしてほしいわ〜」


「すいません、気をつけます」


 どんどん赤くなって小さくなっていく連夜を愛おしそうに見つめる玉藻。


 そんな優しい玉藻の視線に気づいて、連夜もてへへと嬉しそうに笑い返すと、表情を改めて玉藻のほうに向きなおった。


「あの、玉藻さんに、お聞きしたいことがあるっていいましたけど、土曜日の晩のこと覚えていらっしゃいます?」


「土曜日の晩って・・ああ、ミネルヴァと酒盛りしたときのことね。あの醜態だけは連夜くんに見られたくなかったわ・・」


 ず〜〜んと見る見る落ち込んでいく玉藻に、慌ててフォローを入れる連夜。


「いやいや、み〜ちゃんのほうがひどかったですし、玉藻さんは酔っぱらう前に寝ちゃったから、全然大丈夫だと思いますよ」


「連夜くんよりも先に寝ちゃうわたしって・・」


「いやいやいや、そこは寝てくださって大丈夫なところですから。それよりも、僕が気になっていたのは、あのときみ〜ちゃんと玉藻さんが話していたことについてなんです」


 連夜の言葉に、玉藻は不思議そうな表情を浮かべる。


「私とミネルヴァがしていた話題? なんだったっけ?」


「ほら、妹の晴美さんとかいう方の話題ですよ」


「あ、そうだ!!」


 玉藻が連夜の言葉にはっとして大声を出すのと同時に、なぜか連夜の後方にある寝室のほうからガタッという音が聞こえたような気がしたが、目の前にいる連夜は別段気づいた様子もなかったので、とりあえず気のせいだと思うことにする。


 霊狐族特有の気配を察知する能力を使用しても、自分と連夜の気配しか感じられないし、恐らく気のせいだろう。


「思い出していただけましたか」


「うん、そういえばそれが発端だったのよねえ・・」


 そう言うと玉藻は、はぁ〜〜っと溜息を吐きだした。


「ねえ、連夜くん、連夜くんの話の途中で腰を折ってなんなんだけど、連夜くんの知り合いで中央庁に顔の利く人っていない?」


「え、どうしてですか?」


「実はさ・・」


 玉藻は日曜日に実家である霊狐の里に帰ったときに起こった、里を震撼させる驚きの出来事をできるだけ詳しく連夜に話した。


 連夜はずっと黙って聞いていたが、なぜか目が涙目になっていて、表情にはやけくそ気味の笑みが張り付いている。


「あはははは・・もう、お母さんったら、やっぱり拳に物を言わせていたんじゃないか! しかもお父さんまで一緒になって・・もうもう!!」


「え、何? 連夜くん、どうしたの? 今の話に何か引っかかることでもあった?」


「いえ、全然全く完璧にありません。それよりも、どうして里に急に帰省されようと思われたんですか?」


 何か勘付かれる前に、素早く話題を変える連夜に気づくこともなく、玉藻は連夜の質問に対してしばらく考え込んでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「妹の晴美に会いにいったのよ」


「!!」


 誰かが息を呑む音が聞こえた気がして、ふと玉藻は前をみるが、目の前には連夜が穏やかな表情を浮かべてこちらを見ているばかり。


 どうも、この話題に敏感になってしまっているのかもしれない。


「それが結局、中央庁の人達に保護されちゃって会えなくなっちゃったから、私、月曜日には中央庁舎にも出かけていって向こうの役人の人に掛け合ったみたんだけど・・」


「だめだったんですね」


「うん・・」


 見るからに沈んでいく玉藻だったが、そういえばと連夜のほうに顔をあげた。


「そういえば連夜くん、なんで晴美のこと聞いてきたの?」


 不可解そうな玉藻の表情に、連夜は困ったような表情を浮かべてぽりぽりと頬をかきながら玉藻の顔を見返す。


「あのとき・・み〜ちゃんと話をしているとき、玉藻さんが妹さんの名前を出したとき、すごい哀しそうな顔をしていたのがずっと気になっていたんですよ。その理由が知りたくて。すいません、踏み込んだこと聞いているのはわかっているんですけど・・」


「そっか・・私そんな顔してたのか」


 連夜の言葉を聞いてから玉藻はコーヒーのカップで顔を隠すようにしながら飲んでいたが、やがて、それをテーブルの上に置いて連夜のほうを見つめると、あのとき連夜が見たのと同じ哀しい表情を浮かべて口を開いた。


「私ね、会って晴美に謝りたかった。あの娘に全部押し付けて、あの娘を身代りに自分だけあそこから逃げ出して、あの娘のことを忘れたふりをしてずっと知らん顔して生きてきて、ごめんねって、会って謝りたかったの」


「玉藻さん・・」


「ほんと、身勝手よね・・今更ってわかってはいるのよ。あの頃ね、祖父母も両親も忙しくて、兄弟姉妹はお互いのことなんとも思ってないし、あの娘の面倒なんて誰も見てなかったの。たまたま私が空いていたから面倒みていたんだけど、よくなついてくれてね。おねえちゃん、おねえちゃんってよく後ろをついてきてくれていたのを覚えているわ。やがて、私は祖父母に認められて厳しい修行にさらされたけど、あの娘がいてくれたおかげでずいぶんと救われたわ。それが、とうとう祖父母の目に止まっちゃってね、今度はあの娘まで私から離してしまったわ。あのじじいとばばあ、あの娘がまだ年端もいかない子供で言葉の意味もよくわかってないのに、私にひどいこと言わせようとしてね。あのときは悔し涙が止まらなくてどうしようもなかった」


 苦々しげに言葉を吐き出す玉藻に、連夜はぽつりと呟くように聞いてみた。


「ひどいこと言った妹さんのことは、恨まなかったんですか?」


 連夜の言葉を聞いた玉藻は、きょとんとして連夜を見返す。


「ううん、どうして? あの娘は何も悪くないじゃない。悪いのはあのじじいとばばあだし。むしろね、私、あの娘にはほんとに悪いことしたと思ってる・・」


「どうしてですか?」


 不思議そうに聞いてくる連夜に、玉藻は本当に悲しそうに後悔の色を瞳に浮かべて呟いた。


「あの娘にとって、私は母親代わりだったと思う。自惚れだと思ってくれてもいいよ。でも本当にそうだったと思うの、その私があの娘を捨てて自分だけあの地獄を抜け出したのよ。自分がかわいいばっかりに」


 玉藻は遠い日を思い出しているのか、しばらく視点の定まらない瞳で宙を見ていた。


 連夜は黙ってその姿を見続けていたが、やがて玉藻は視線を連夜にもどし言葉を紡ぐ。


「この前里に帰ったときに姉さん達から聞きだしたんだけど、私の身代わりになった晴美は、やっぱり想像通りのひどいことをされていたらしいわ。それでたまらず逃げ出して、中央庁の人達に保護されたみたい。今はもうそこで幸せに暮らしているのかもしれないけど・・でも・・」


 玉藻は、連夜を強い意志の宿る視線で見つめた。


「お願い連夜くん、もし、ほんとに中央庁に勤める知り合いがいるなら紹介して!! 私、どうしてももう一度、晴美に会いたい!! 会って、一言でいい、謝りたい!! 許してくれないだろうけど、それでも謝りたいの!! 見捨てて逃げだしてごめんねって、辛い思いをさせてしまってごめんねって!! ・・れ、連夜くん? 聞いてる?」


 玉藻が気がつくと、連夜はなぜか横向きになって座っており、ひどく優しい表情で自分の寝室の襖を見つめ続けている。


 不審に思った玉藻がそちらに注意を向けると、そこから誰かのすすり泣く声が聞こえてくるのだった。


「れ、連夜くん?」


 もう一度恋人に声をかけると、恋人は玉藻のほうに向きなおりなんともいえないいい笑顔を見せた。


「ねえ、玉藻さん、その言葉をもう一度ご本人に聞かせてあげてもらえませんか?」


「え? 本人?」


「はい、晴美ちゃん、本人に」


 呆気に取られている玉藻にもう一度笑顔を向けると、連夜は立ち上がって襖をすっと開けた。


 すると、そこには緑色の特殊魔力気配遮断ハインドマントを中学校の制服の上に羽織った、中学時代の自分そっくりの少女が、涙をぼろぼろと流しながら座っている姿が見えた。


「お、おねえちゃ・・わ、わたし・・」


 溢れる涙と込み上げてくる思いでうまく言葉が出せないでいる少女を、しばらく呆然と見つめ続ける玉藻。


 そうして、銅像のように固まっていた玉藻だったが、すぐ横にいる連夜のほうに視線を移すと力強く頷いている姿を見て、ようやく夢ではないことを悟る。


「は、晴美? 晴美なの!?」


 そう言ってよろよろと立ち上がった玉藻は、少女に近づいていきその前に座ってその小さな手を握る。


「お、おねえちゃ・・わ、わたしも・・ずっと、あやま・・りたかった・・ひどいこと・・いっちゃった・・」


「晴美・・」


 しゃくりあげながら必死で謝ろうとしている小さな妹を、自分自身も涙を溢れさせながら見つめていた玉藻は、そっと妹の小さな体を万感の思いを込めて引きよせて抱きしめた。


「馬鹿ね、そんなこと気にしてないわよ。ずっと、ずっと会いたかったわ、晴美」


「お、おねえちゃあ〜〜〜〜〜ん!!」


 ひしっと抱き合って涙を流して号泣する二人をしばらく眺めていた連夜だったが、そっとその場を離れようとした。


 それに気づいた玉藻が慌てて声をかける。


「れ、連夜くん、どこに行くの?」


 いたずらを見つかった子供のような表情で振り返った連夜は、バツが悪そうに言い訳するのだった。


「飲み物買ってきます。買っておくの忘れていたもので、えへへ」


 自分達姉妹を二人きりにするために言ってくれていることはわかっていたが、なんとなく悔しくてちょっとすねたような顔と口調になる玉藻。


「連夜くん、ちゃんと帰ってくるのよね?」


「勿論です。夕御飯一緒に食べるって約束したでしょ?」


「わかった。でもそのときにこのことについてちゃんと説明してもらいますからね。いいわね」


「・・はい、わかりました」


 物凄く怖い顔でそう言ってくる恋人に、神妙な顔で返事した連夜はそそくさとそこから離れ本当に飲み物を買うために玄関に向かう。


 そのとき、再び自分を呼ぶ声がして、連夜は怪訝そうに振り返った。


 すると、そこにはなんとも言えない幸せそうな優しい笑顔を自分に向けてくる玉藻の姿があり、そして、連夜の耳に恋人の甘い声が聞こえてきたのだった。


「連夜くん・・ありがとうね」


 連夜は本当に嬉しそうな笑顔を恋人に返し、今度こそ玄関から出かけて行った。

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