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~第23話 決別と誓いと~

 とてつもない悪臭のするどぶ川の横に、ほとんど芝生がはげて土がむき出しになってしまった河原がある。


 どぶ川の上みれば、私鉄念車が通る古びた鉄橋が掛かっており、その向こうを眺めると、真赤に熟したトマトのような夕日が沈んでいくのが見えた。


『ああ、ここはあれだ・・小筑中学校しょうちくちゅうがっこうのバカ達とよくやりあった河原だ』


 懐かしい光景に目を奪われながら、ロスタムは自分が今どこにいるか気がついた。


 かつて自分達がバカバカしくも忘れ難い、いくつもの楽しい思い出を作った、城塞都市『通転核(つうてんかく)』にある一番大きな川である『澱川(よどがわ)』の河原。


 赤い夕陽に照らされたこの場所で、いったいどれだけの修羅場を親友達と潜り抜けたことか。


 あまりにもたくさんの思い出がありすぎて、胸がいっぱいになりそうになったそのとき、ロスタムは人の視線を感じて河原の斜面のほうを振り向いた。


 すると、そこには忘れられない、忘れるはずのない人影が、こちらを見ているのに気がついた。


 全然手入れしてないのが丸わかりの白いざんばらの髪、ださい黒眼鏡、ちょっと殴っただけでぽきっと折れそうな華奢でガリガリな体に、大きすぎて身体にあってないぶかぶかな長ラン姿の一人の少年。


 掛け替えのない親友にして、自分が背中を預けられるたった二人の内の一人。


 何物にもかえがたい思い出という宝物の中心となる人物。


 ロスタムは万感の思いを込めて親友にして戦友の少年を呼んだ。


「リン・・」


 どれほどの感情を込めれば、声にそんな深い優しさと悲しさと切なさが入り混じるのか。


 呼ばれた少年は心の底から嬉しそうな顔を浮かべると、斜面を降りてロスタムに近づいて来た。


 自分の身長よりもはるかに低く、身体の小さい友を見つめたロスタムの目から見る見る涙がこぼれて落ちる。


 そんな親友の姿を見た少年は、嬉しそうな表情を一転させて、ひどく辛そうに親友を見る。


「そんなに泣くなよ、ロム・・」


「泣いて・・ない・・」


 声を震わせるロスタムに、白髪の少年は顔を伏せてぽりぽりと頭をかいた。


「あのさ・・おまえのせいじゃねぇって。俺が望んだことだって」


「うん・・」


「おまえが殺したわけじゃないよ。俺が自分で消えることにしたんだ」


「うん・・」


「だからさ・・だから・・」


「うん・・」


 お互い胸に込み上げてくるものがあまりにも多すぎて、声が出せないし、うまく言葉になって口から出ない、頭の中でも考えがまとまらず、ただ、しばらく二人は己の半身ともいうべきお互いを見つめ続けた。


 何も言わなくても伝わるものもある。


 二人には言葉はなくとも、お互いの想いがいやというほどわかっていた。


 親友のために男の自分を消して去ろうとするものと。


 親友のために男として生きた相手の思い出を忘れまいとするものと。


 お互いの想いはほとんどわかっていた。


 しかし、それでも言葉にしなくては伝わらないものもある。


 白髪の少年は、それを伝えるためにあふれそうになる涙をこらえてまっすぐに親友を見据え、口を開いた。


「あのさ・・」


「うん・・」


「本当は、あのとき・・女になって、おまえを最初にここを訪ねたときに、俺は消えるはずだったんだ。

俺はあのときに消えて、女の俺だけが残るはずだったんだ」


「うん・・」


「俺、ずいぶん覚悟しておまえのところに行ったんだぜ? おまえに、気持ち悪いとか、化け物とかいわれるのも覚悟してた・・そしたら、おまえときたら・・『スカート似あってるな』って・・女の俺も、男の俺も、受け入れようとしてくれているおまえの心が嬉しかった・・」


「うん・・」


「優しすぎるぜ、おまえ・・そんなこと聞いたら、消えたくなくなるじゃん・・俺だって、おまえの側にいたいじゃん・・あいつだけ側にいるのって不公平じゃん・・同じ俺なのに・・」


「リン!!」


 リンの告白はロスタムの心を残酷に抉る。


 心から血を流してロスタムはたまらず膝をつき、額を地面に押しつけた。


「すまない・・すまない、リン!! 俺は・・俺はどうすればいい!?」


 そんなロスタムの姿に、意外にも慌てたのは心を抉った少年のほうだった。


「ち、ちがう、ロスタム!! そうじゃない!!そうじゃないんだ!! 本当は消えなくちゃならなかったんだ!! おまえの手で消えるのではなく、自分で消えなくちゃならなかったんだ。これは俺の未練なんだ、おまえのせいじゃない!! おまえを恨んでいるわけじゃない、本当だ!!」


 少年は膝をつき地面に額を押し付けて男泣きに泣く親友の大きな肩にそっと手を置いた。


「おまえの優しさがいつも俺を救ってくれていた。いつもいつも俺の側にいてくれたよな。ありがとな、ロム。俺さ、男のままおまえの側にいることも考えたよ。もしおまえが望むなら、男のままおまえに抱かれてもよかったんだぜ?」


 驚いて顔をあげる大きな親友に、いたずらっぽく笑う少年。


「でもさ、おまえ呆れるほどにノーマルだし、男の俺に迫られても迷惑だろ? それにさ、おまえに家族を作ってやりたかったんだ、俺。それには男のままじゃ無理だし、こうするしかなかったんだよな」


「そして、おまえは消えるのか・・俺を残していくんだな・・」


 空虚な表情と言葉でぽつりと呟くロスタムに、少年は苦笑を浮かべる。


「なんでだよ、俺はいるじゃねぇかよ。あいつだって俺なんだぜ」


「わかってる・・わかってるんだ・・わかってはいるんだが・・リン・・俺は・・」


 少年を見上げて言うロスタムに、少年は静かに首を横に振った。


「それ以上言うなよ。俺がおまえを幸せにできるならとっくにやってる。でもさ、俺には無理なんだよ、男である俺には無理なんだよ。おまえの背中を守ることはできても、おまえを受け入れることも、肌を重ねることも、ましてや子供を作ることもできないんだ。だけど、あいつは違う。俺と同じでありながら、あいつにはそれができる。だから俺はあいつにこれからのこと全てを任せるよ」


「リン・・」


 そう言いきると、少年はロスタムに背を向けて斜面を登り始めた。


 そして、途中振り返ってもう一度ロスタムを見る。


「もうそろそろ行くわ。さっきからあいつがうるさくてうるさくてさ。あいつ俺が自分自身だって、わかってるのかねぇ・・ほんと嫉妬深いというか執念深いというか執着心が強いっていうか・・って、俺ジャン、俺のことジャン・・」


 と、自分で言っておいてず〜〜んと暗くなる少年。


 しかし、頭を二、三回ぷるぷると振ると、今度は心からの笑顔を見せてロスタムを見た。


「ほんとあいつには振り回されると思うけど、結局俺だからさ。そのつもりで愛してやってくれよ。

・・頼むぜ相棒。んじゃ、またな」


 そう言うと、今度は振り返らずに斜面を登って、向こう側へと消えて行った。


 その姿を茫然と見つめていたロスタムはのろのろと立ち上がると、少し考えて少年が消えて行ったほうに走りだそうとした。


 ところがそのときその行動を制するかのように、斜面の向こうから、少年が顔だけひょこっと出してロスタムを見た。


 その顔にはいたずらをする直前の子供のような楽しそうな笑顔が。


「言い忘れていたけどさ、ロム」


「む、な、なんだ、リン?」


 怪訝そうな表情を浮かべるロスタムに、リンは天使の微笑みとも悪魔の邪笑ともとれる表情を浮かべてとんでもないことを言った。


「今度会うときは男か女かわからないけど・・多分三年後くらいに、また会おうね」


 少年の言葉の意味を測りかねて、呆気に取られて絶句しているロスタムを尻目に、『じゃあ、また』と物凄い軽い挨拶をして今度こそ姿を消す少年。


 少年が姿を消してからようやく我に返ったロスタムが慌てて少年を追いかけるが、もうその姿はなかった。


 呆然と斜面の上のあぜ道に立ち尽くすロスタム。


「な、な、なんなんだ、どういう意味なんだ!? ちゃんと答えていけよ!! リーーーーーーーーーン!!」



〜〜〜第23話 決別と誓いと〜〜〜



 力の限り絶叫しながら蒲団をはねのけて起き上がったロスタムは、しばらくの間、自分がどこにいるのかわからず茫然としていた。


 やがて心が落ち着いてくると、自分がいまいる薄暗い空間が、先程までの『通転核』の河原ではなく自分の家の自分の部屋であることに気づいて大きく息を吐きだした。


 それにしてもとロスタムは思う。


 夢とは思えぬほどリアルな夢だった。


 懐かしい自分の掛け替えのない相棒は、昔と少しも変わらぬ姿と昔と少しも変わらぬ性格で確かにあそこにいた。


 あの少年との再会はこんなにも自分の胸を温かくするのに、もう二度と会うことはかなわない。


 そう思うと、不覚にも再び涙が零れて落ちた。


 あれだけ夢の中でも泣いたのに、まだ流れる涙が残っているのかと、自分で自分が情けなくなる。


「はい、これ」


「ああ、すまん・・」


 横から差し出された白いタオルで涙を拭くロスタム。


 と、そこで、自分が持つタオルを不思議そうに見つめるロスタム。


『あ、あれ? 俺、誰からタオルもらったんだろ?』


 そう思って首をかしげたロスタムだったが、先程から物凄いドス黒いオーラに包まれた何者かの視線が、自分に注がれていることに今になってようやく気がついた。


 ロスタムはそちらを見たくなかったが、なんとなくその視線の主が『はやくこっち見ろや、コルァ!』と言っているような気がして、見ないで済ませることができなかった。


 生唾を飲み込み、覚悟を決めて恐る恐る横をみると、そこには素っ裸の状態であぐらをかき、物凄い嫉妬に燃える瞳でこちらを見つめる白髪の美少女の姿があった。


「うおおおおぉっ!!」


 あまりの恐さに思わずビビって悲鳴をあげるロスタムに、美少女は思いっきり頬を膨らませてロスタムを見るのだった。


「ちょっと〜〜〜〜〜!! なんで私の顔を見て悲鳴を上げるのよ!! あいつと顔を合わせたときと、全然態度も扱いも違うじゃない!! 同じ人間なのよ!? なんで片方は感動の再会で、片方は恐怖の悲鳴なのよ!!」


 バンバンと座っている蒲団を叩きながら怒り続ける美少女が、リンであることに気づきロスタムは素直に頭を下げる。


「す、すまん、悪気はなかったのだ」


「あってたまるもんですか!! そんなことよりももっと重要なことがあるわ。さっきのあれはなに!?」


「あ、あれ?」


 リンの言ってる意味がわからず、きょとんとするロスタムに苛立たしくさらにばんばんと蒲団を叩くリン。


「なによ、あの嬉しそうな顔は!! ああいう顔をしていいのは私だけのはずでしょ!! あんなガリガリの中学生のどこがいいっていうの!? そんなにもあいつのことが好きなの? 涙ぼろぼろ流して別れたくないって誰が見たってはっきりわかるくらい好きなの!?」


「ちょ、ちょっと待て!! ま、まさかさっきの夢・・おまえも・・」


 慄くロスタムに、何当り前のこと言ってるのこの人は?みたいな表情で冷たい視線を送ってくるリン。


「当たり前でしょ。あいつは私なのよ。あいつが見てるものは私だって見てるの。それよりもあなた・・あいつを引きとめようとしたわね? あいつを引きとめるってことは、私が消えるってことなのよ!?

 それでいいの? それがあなたの望みなの? やっぱり・・やっぱりあいつのほうがいいの?」


 喚き散らすリンだったが、それ以上にその言葉がロスタムの心を深く抉る。


 ロスタムは悲痛な表情で正面に座るリンを見つめた。


「ま、待ってくれ、リン。俺がしていることはやっぱりお前たちを傷つけるだけなのか? どっちみち、俺はお前たちにとって、害悪でしかないのか?」


 悲痛な表情と、明らかに途方に暮れた声を出すロスタムの姿を見て、ようやく我に返ったリンは、慌ててロスタムの側によりその腕をつかむとふるふると泣きそうな表情で首をふる。


「ち、ちがう・・ごめんなさい、ロム。あなたを追い詰めたかったわけじゃないの。わかってる・・相手は自分なのに、やきもちやいているのは不毛だって、わかってるのよ・・でも、頭ではわかっていても、あなた達のあんな姿見せられたら平静ではいられないもん。あれは自分だっていくら自分に言い聞かせても、いつあいつがあなたを連れ去ってしまうかって、不安で仕方なかったもん」


「リン・・」


 不安そうに自分を見つめながら腕を掴む少女の手は、その言葉が嘘ではないことを証明するかのように、実際に小刻みに震えているのがわかる。


 溜息を一つ大きくついて、少女を自分の腕の中に引き寄せ、そして、なんとも言えない複雑な表情入り混じる目を、少女に向ける。


「なぁ、リン、俺があいつを嫌いになることは一生ないぞ。だって、そうだろ? あいつを嫌いになるってことは、おまえを嫌いになるってことで、おまえを愛することは、あいつを愛することだ」


「うん、わかってる・・わかってるのよ。あなたが、私を最後には裏切らないってこともね。だけどね・・」


 と、愛する男の腕の中で嬉しそうに愛する男の顔を見上げながらも、なんともいえない困った表情を浮かべるリン。


「知ってる? 白澤族(はくたくぞく)はね、愛する伴侶のために性別を変えるときに、できるだけ相手の望む容姿に近づけて変わるって」


「・・え?」


「だから、私のこの顔とかは、元のあいつがベースになってはいるけど、あなたの好みがかなり入って修正されているはずだし、この大きな胸の割に小さい身体とか、くびれた腰とか、ある程度太い太ももとか・・全部できるだけあなたの好みに、あなたの望みにかなうように変わってるはずなの・・」


「ちょ、ちょっと待て・・おまえ、今、物凄い重要なこと言ってるって、わかってるか?」


 あまりの驚愕に今度はロスタムが己の手を震わせる番だった。


 しかし、それを気が付いていないふりでリンは話を進めていく。


「あなたの望む姿になっているはずなのに、あなたにとってはあいつのあの姿と同等なわけでしょ? これで複雑な心境にならないわけないじゃない・・私、あとどれだけがんばれば、あいつに勝てるのかしら・・」


「お〜い・・そのまえにもっと重要なことがあるだろ。おまえの言う通りだとすると、おまえの姿は俺の欲望を忠実に映し出したことになってるって言ってるんだが・・」


 そう言って、もう一度自分の腕の中にいる美少女を見たロスタムは、自分の内なる欲望が作りだしたというその姿に、頭を抱えてしまった。


「俺って、どれだけ最低な男だよ・・」


「なんで? あの・・私の身体・・よくなかった?」


「よくなかったとは?」


 ロスタムはリンの言葉の意味がわからず怪訝そうな表情を浮かべると、リンは恥ずかしそうに顔を赤らめてちょっと横を向く。


「だって、初めてだったから結構痛かったし・・うまくできなかったし・・いくら外見がロスタムの望み通りっていっても、中身はこんなんだから・・ひょっとして満足できなかったのかなって・・わ、私、あの、今回はうまくできなかったかもしれないけど、次はちゃんとがんばるから!! いや、あの、もし、こうしてほしいってことがあったら、言っておいてくれれば・・あの、裸エプロンとか、スクール水着とかでも・・」


「ちょ!! 待て待て待て!!」


 あまりにもあれな方向にどんどん進んでいく恋人に本気で慌てふためくロスタム。


「そんなことない!! っていうか、いや、そうじゃなくて、その・・あ〜、もう!! 俺だってお前が初めての女で、初めてだったのに・・俺自身が、へ、下手だったかもしれんし・・と、とにかく、おまえが思っているようなことは思ってない!! 断じて思ってない!!」


「本当に?」


「思ってないって・・違う、そうじゃなくて」


 上目づかいで聞いてくるリンに改めて否定の言葉を口にし、ロスタムはがしがしと頭をかいた。


「親友のおまえに、無意識にとはいえそういう姿をさせてまで手元に置こうと思っていた自分自身が情けなくなってきただけだ・・」


「どうして? 私は・・ううん、私だけでなくあいつも嬉しかったんだよ」


 リンの言葉にどういうことかと目線で尋ねてくる恋人に、いたずらっぽく笑う。


「身体の変化ってね、相手が自分に好意を持ってないと現れないものなの。しかも、その変化が激しいほど、無意識に相手は自分を求めているってことなのよね。つまり、あなたは心のどこかで女としての私に側にいてほしいと願ってくれていたってことなの。あなた自身は気がつかなかったことかもしれないし、それは『あ〜、リンが女だったらなぁ、俺の彼女にするのに』程度の想いだったかもしれない。でも、こうして今は強い変化で現れてしっかりと固定されている。ごめん、だから、ほんとは私がやきもちやくっていうのはおかしいのよね・・あなたは無意識に私のことも愛してるって言ってくれてるってわかってるの」


「なんか、俺の気持ちはおまえらに全部筒抜けなわけだな・・」


「ごめんね・・」


 申し訳なさそうに謝ってくるリンの姿を見ていると、怒る気力がみるみるしぼんでしまう。


 どうやら自分は男のリンでも女のリンでも関係なく、この人物に対して自分の想像以上に惚れてしまっているらしいとわかり、諦めにも似た表情を浮かべ一つ溜息を吐きだすのだった。


 そして、しばらくそうしていたあと、どこか遠くを見つめるような表情を浮かべ、ロスタムは口を開いた。


「なぁ・・あいつは、本当に行ってしまったんだろ?」


 その問いかけに、何か、物凄いいやそうな顔を浮かべるリン。


「・・うん、まあね・・まあ、そうなんだけど」


「なんだ?」


「いや、いいの。もう、あなたの横にいる権利は私に譲るって言ってくれたから。(だけどね・・そういう戻り方って、卑怯だと思うのよねぇ・・そういう方法でこの人の側にいようとするか、しかし・・)」


 と、呟く後半はロスタムには聞こえないようにするリン。


 恋人の表情を伺っているロスタムの前で、みるみる機嫌が悪くなっていくリン。


「あ〜、もう、やっぱ腹が立つ!! あいつって、ほんと嫉妬深いというか執念深いというか執着心が強いっていうか・・って、私ジャン・・私のことジャン・・」


 と、自分で言っておいてず〜〜んと暗くなるリン。


「と、とにかく、もうあいつの話題は禁止!! なによ、すぐにあいつの話しようとするんだから、ロムは!! 私のこともっとかまってくれてもいいんじゃないの!? それとも・・ほんとは私のことキライ? あいつの代わりに残った私が・・ほ、ほんとは・・き、キライにな・・な・・った・・」


 普通にやきもちをやいて甘えようと思っただけなのに、口から出してみた言葉が想像以上に重くて、自分で自爆してしまうリン。


 みるみる涙がこぼれて落ちる。


 ロスタムが絶対自分のことは嫌いになったりしないとわかっていても、口に出して想像してみただけでかなり堪えてしまったのだ。


 もうそうなるとネガティブな想像は止まらない、男に戻れといわれている自分とか、別れてくれと言われている自分とかが次々と浮かんできて、とうとう号泣してしまうのだった。


 そんな微妙な女心がロスタムにわかるはずもなく、ただおろおろとするばかり。


「ちょ、り、リン。なんか知らんが、そんなことないって!! 嫌いになったりするわけないだろ。」


「だ、だって・・いっつもあいつの話ばっかりじゃない・・私だって・・私だってもっとかまってほしいもん・・それなのに・・」


「ああああああ、わかった、わかりました!! どうしたらいい?なんでも言ってみろよ。俺にできることならなんでもしてやる、いますぐに!!」


 キレたように一気に言ったロスタムに、一瞬で泣きやんだリンは、しばらく何かを考え込んでいたよう

 

 だが、急にもじもじと身体をくねらせて顔を真っ赤にして俯いた。


 そんなリンの様子をしばらく怪訝そうに見守っていたロスタムだったが、不意にリンが口を開く。


「なんでもいいの?」


「おう、俺にできることならな」


「いますぐしてくれるの?」


「いますぐできることならな」


「じゃ、じゃあ・・」


 ロスタムの言葉にしばらくためらっていたリンだったが、覚悟を決めたようにその言葉を紡ぎ出した。


「ぷ・・」


「ぷ?」


「ぷ・・プロポーズして・・」


「ああ、なんだ、プロポーズか・・って、なにいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃっ!!」


 今日いったい何度目かわからない絶叫を上げて恋人を見ると、自分で言っておいて物凄い恥ずかしそうな顔をしてはいるものの、完全に本気とわかる目でこちらを見ているリンの姿が。その視線に眩暈を起こしながらも、なんとか踏みとどまるロスタム。


「あ、あのなあ、リン。たしかに他の城砦都市だと結婚許可年齢が十六歳とか十五歳とか、下手すると十三歳とかいうところもあるけれど、ここでは十八歳なんだぞ。まだ一年以上あるのにだな・・」


「・・してくれないの?」


 一転して悲しそうな表情を浮かべるリン。


 ロスタムが見ている前でみるみる目に涙がたまり、はらはらと零れ落ちていく。


 しばらくそれを見つめるロスタムの表情が、困惑、苦悩、焦燥、疲労とくるくると浮かんでは消え、消えてはまた浮かぶを繰り返す。


「そうよね・・今の私じゃ、そんなことしてもらう資格なんてないよね・・ごめんね、ロスタム、無理言って・・」


 と、リンはそう言って無理矢理笑顔を作ってロスタムにその顔を見せる。


 しかし、長年の付き合いで、それはリンが一生のお願いだから・・と言ってるのと同じことだとロスタムにはちゃんとわかっていた。


 深く深くため息をついたロスタムは、おもむろに立ち上がると呆気に取られるリンを置いて、自分の机に向かう。


 そして、机の上の並べてあるいくつもの参考書の中から一冊の分厚い『城砦都市法令辞典』というハードカバーの本を取り上げた。


「本当は、高校卒業の時に渡すつもりだったんだがなぁ・・俺はほんとおまえに甘いよなぁ・・」


 と、リンに聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いたロスタムは、その本を開く。


 すると、その中のページは真四角に切り取られて、本としての機能を全く果たすことができなくなっている代わりに、何か小さな青い箱が収納されていた。


 ロスタムはその小さな箱を取り出してあけると、中から何かを取り出してそれを拳の中に握りしめ、リンの前に戻って座る。


 そして、何事がおこるのかと呆気に取られているリンの目をまっすぐに見つめ、覚悟を決めてロスタムはその言葉を口にした。


「おまえが俺に言った言葉をそっくりそのままおまえに返すよ。俺の妻になり、俺の子供を産み、俺が死ぬそのときまで俺の側にいてくれ、リン」


 ロスタムの言葉を聞いた瞬間、リンは自分の口に両手をあてて、歓喜の表情を浮かべる。


 あまりの嬉しさに卒倒しそうになるが、まだ目の前の恋人が何かを言いたそうにしているのを見て、ぐっとそれを耐える。


 そう、まだロスタムのプロポーズは終わってはいなかった。


 ロスタムは、リンの小さく華奢な白く美しい左手をそっと取ると、その薬指に一つの指輪をはめる。


 それは彼が二度命を落としかけたあのときに、手に入れた『念素石』をはめ込んで作った指輪だった。


 いろいろな想いが詰まったこの『念素石』。


 思えば、この『念素石』に関わるあの出来事がなければ、今、自分はこうして愛する人に面と向かっていることはできなかったに違いない。


 いまもどこかで命をどぶに捨てるような仕事をつづけ、下手をすれば本当にこの場にいなかったかもしれない。


 それを大事な人に託す。


 そういう思いで指輪にしておいたのだが、まさか、こんな早くに渡すことになろうとは。


 ロスタムは、早めに作っておいてよかったと苦笑しながら、指輪をはめた人物のほうを改めて見る。

すると、目の前の恋人は、ゼンマイ仕掛けのゼンマイが止まったかのように、ぽかんと口を開けて自分の指にはまっている指輪を凝視したまま身体を硬直させていた。


 その様子を怪訝そうに見つめるロスタム。


 彼女の顔の前に掌をかざして二、三回ふってみるが、まるで反応がない。


 しばらく黙って様子を見ていたが、まるで反応がないので、流石に心配になってきてその華奢な肩を掴んでゆすりながら声をかける。


「お、おい、リン!! しっかりしろ、リン!!」


「ふ・・ふぇ? あ、ああ、ロム」


「ああ、じゃないぞ。心配するじゃないか、何かたまってるんだよ」


 間抜けな声を出して動き出した恋人の姿に、ほっと安堵の吐息を吐きだすロスタム。


「いや、それよりも、これ!? こ、こ、これって、何?」


「何って、指輪だ。プロポーズにはつきものだろ?」


 当り前のようにあっさりと言うロスタムに、ますます顔を赤らめて混乱の表情を浮かべるリン。


「ふぇええ!! え、え、いいの? 私もらっていいの?」


「いや、もらってくれて勿論かまわんが、おまえ・・人にプロポーズさせておいて、返事しないのはどうなのだ」


「へ、返事? あ、ああああああああ!! ご、ご、ごめんなさい、私、あの、!!」


「いや、いいから、謝らなくてもいいから。それよりも、受けてくれるのか?一年以上も待たせることになるし、結局は学校を卒業するまでは隠さないといけなくなるが・・」


 申し訳なさそうにいうロスタムに、首が取れるのではないかと思うくらい力いっぱいぶんぶんと首を縦に振るリン。


「うける、うけるよぉぉぉっ!! 学校卒業するくらいまで待つ!! う、うれしいよぉぉぉぉぉ・・ロム、大好き、愛してる!! 愛してるからね!!」


 と、感極まってロスタムにむしゃぶりついてくるリンを、照れくさそうに抱きしめるロスタム。


「ああ、俺も愛してるよ。お前に愛想尽かされないよう、がんばって仕事探して、早く一人前になれるようにするからな」


「うんうん、でも無理しないでね。あ、そうだ、連夜に頼んで妻としての技術を磨かないと・・」


 ロスタムの言葉を嬉しそうに聞いていたリンだったが、不意に真剣な表情で呟く。


 そんな自分の腕の中の恋人の姿を優しい瞳で見つめ続けるロスタム。


(大事にしよう、あいつと同じように大事にしていこう。それでいいよな、相棒?)


 ロスタムの問いかけにどこかで相棒が頷いたような気がして、ロスタムはようやく自分の中の大切なものがあるべきところに収まったことを感じていた。


 あとはゆっくり休んでもう一度すっきり目が覚めた時には本当になにもかもを受け入れている・・そんな気がしていたロスタムだったのだが・・


「あの・・」


「ん?」


 と、感慨に耽った状態のロスタムに、リンが顔を赤らめながら最後のいい雰囲気をぶち壊しになる一言を口にする。


「・・する?」


「ぶほっ!!」


 無邪気な顔で問いかけられて、思わずつっぷすロスタム。


 しかし、すぐに立ち直りちょっと怒り気味に恋人のほうを見る。


「しない!! ってか、つけない状態でしちゃいかん!!」


「もうしちゃったじゃない」


「あああああ、それについては反省してる!! 勢いとは言え、ほんとだめなやつだと思っているさ!!

しかし、これ以上はだめ!! だめだったらだめ!!」


「大丈夫、今日安全日だから。それに・・」


 断固として拒否しようとする恋人の身体を、その華奢な身体のどこにそんな力があるのか、ゆっくりと力を込めて押し倒していく。


「私がしたいの・・だって、こんな風に言われたら・・ねぇ? それでもだめなの?」


 妖しい光をその眼に宿して迫ってくる恋人を、愛しきっているロスタムにこれ以上の抵抗などできるはずもなく。


「お、おまえずるいぞ!!」


「ずるいわよ。あなたを手に入れるためならなんだってするわって言ったでしょ?・・こんなに愛しているんだもの、自分でも抑えられないくらいに。だから、あなたも愛し続けてね・・お願い・・」


 哀しいような嬉しいような複雑な光が入り乱れた顔が自分の上に覆いかぶさり、そして、ロスタムは結局それを受け入れるしかできないのだった。


 でもまあ、それはそれで幸せなのだとわかってはいた。


 この我儘な恋人と生きられるところまで生きてみようと、あらためてロスタムは思った。

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