~第20話 繋がる手~
対『害獣』装備の製造元であるカワラザキ重工の歴史は意外と長い。
元々はこの城砦都市『嶺斬泊』を建設したという三十六氏族長の一人で海坊主一族の族長、河原崎 権三郎によって創設されたと言われるこのカワラザキ重工は、創設以来、その事業の三本柱といわれる、念動船舶、念動バイク、そして、対『害獣』装備の製造を続けてきた。
その繁栄ぶりはこの会社が所有している広大な工場地帯を見てもわかる。
『ゴッドドア』駅の直近周辺はともかくとして、そこから一歩外れると、カワラザキ重工の工場地帯が次の駅である『ソルジャーバンク』駅、さらにその次の駅である『ホークキャッチャー』駅にまで広がっている。
そのため、この会社で働いている従業員も非常に多く、城塞都市『嶺斬泊』の金融経済の非常に重要な位置に存在している企業であると言って間違いない。
そんな一流大企業であるカワラザキ重工であるが、実は他の二つの事業に比べ、対『害獣』装備の製造に関しては、他のメーカーに比べるとそれほど突出してはいない。
しかし、数ある装備の中から、一部に特化して開発生産を行っていたため、その武器、あるいは防具に関しては他の追随を許さないほど優れている。
「その突出して特化開発生産している武器のほうが太刀ってわけなんだけどね、今日は、そこの開発主任であるラブレスさんに以前からお願いして作ってもらっていたものを取りに来たってわけ」
と、連夜は、後ろからついてくる面々に温和な表情を浮かべて説明した。
「連夜もクリスと同じくカワラザキ重工に知り合いがいたとはな。連夜の場合、農耕関係とか薬品関係とかのイメージが強い気がするから、こういう重工業関係というのは全く予想外だった」
意外そうにつぶやくロスタムに連夜は、てへへと笑いながら答える。
「まあ、そうは言っても僕もクリスから紹介されてお知り合いになったんだけどね。クリスがこれから行くのは生産工房の方?」
「ああ、おまえの予想通り生産ライン責任者のギムロード爺さんだ。変わり者で偏屈で扱いにくいんだけどなあ・・でも腕は確かだし、あのじいさんの仕事を見てるだけで結構勉強になることも多いし」
「確かにギムおじさんは武具職人としては一流だもんね。だけどクリス、あまり失礼なこと言わないでよね。誰かに聞かれて、ギムおじさんの耳に入っても知らないよ」
「ああ、こりゃ、いかん。気をつけるとしよう」
顔をしかめて注意する連夜に、あまり反省してない様子で頭をかくクリス。
そんなクリスを見ていた連夜はふと思いついたことを口にしてみた。
「そういえば、クリス、いつも一緒の奥さんはどうしたの?」
連夜の言葉に、肩をすくめて見せるクリス。
「カラオケなんだってさ。龍乃宮達と女の子だけで行くって言ってた」
すると、今まで黙っていたロスタムが自分の顎をさすりながら思い出したように付け足す。
「そういえばリンも行くって言っていたな。なんか最初しぶっていたみたいだけど、俺のクラスの林や、ウッドヴィルも行くことになったら、途端に行く気になっていたから」
「ええええっ!? ちょ、ちょっと待て、いまなんつった、ロスタム!?」
ロスタムの言葉をいい加減に聞き流していたらしいクリスだったが、あるキーワードを聞いて慌ててロスタムに聞きなおす。
「む、どこのところだ?」
「いや、いま林や、ウッドヴィルとか言ってなかったか!?」
「うむ、そこか。確かに言った」
「待て待て待て!! 念のために聞くけど、それは林 小蘭と、マーガレット・ウッドヴィルのことか?」
「うむ、間違いない」
「なんてこったあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
力強く肯定するロスタムに、絶望的で悲痛極まりない声を上げるクリス。
そんなクリスの様子をしばらく見ていた連夜は、いま話題に上った人物を思い出して、そのクリスの落胆ぶりに納得した顔を浮かべた。
「あ〜、そっか、豹型獣人の林さんと、フェレット型獣人のマーガレットさんか。確かに彼女たちってモロにクリスのタイプだよねえ。美型かどうかの判断は人間種である僕には難しいけど、スタイルは間違いなく抜群だもんね」
「くっそ〜、アルテミスの奴、今日はやけに『クリスは今日は付き合わなくていい、というか絶対来るな』とか言っていたのはそういうことかぁぁぁ!!」
「はいはい、どのみちアルテミスが一緒にいるんだから、例えついていったとしてもよそ見したら鉄拳制裁食らわせられるだけだってば」
「うううう・・それでも一緒に行きたかった」
「はいはい」
諦めきれない様子の友人の肩をぽんぽんと叩いて慰めてやる連夜。
『ゴッドドア』の駅の南出口から出た一行は、城砦都市の中を南北に突っ切る大河『黄帝江』の支流『二郎真君川』沿いに進んでいく。
六車線の大きな道路をはさんで川側にはお洒落な飲食店やブティックといった若者向けの店が立ち並んでいて非常に賑やかかつ華やかであるのに対し、逆に連夜達が歩いている道路側には歩行者用の道路以外には、一番背の高いナイトハルトよりもはるかに高いドワーブン加工石でできていると思われる赤銅色の塀が眼に見える範囲はるか先まで続いていっているのみ。
そんなどこまでも続いて行きそうな道をひたすら連夜達が歩いていると、何やら先程から聞きたそうにしているジークが連夜の横に来て、ちらちらと盗み見るように視線を送る。
流石に連夜もそれに気づき、優しい表情を浮かべて知己の少年の方を見た。
「そういえば、ジークやブリュンヒルデとは久し振りだっていうのに、ちゃんと挨拶してなかったね。
ごめんね、気がつかなくて」
「いえ、俺こそブリュンヒルデを助けていただいたのにお礼も言わずに失礼しました。連夜さん、改めてお久しぶりです」
「うん、久しぶり。4年ぶりかな、しばらく見ない間にすっかり逞しくなったし、ずいぶん背も伸びた。
なにより子供っぽさが抜けて男の顔になってきたね」
「そ、そんなことないです。自分なんてまだまだです」
眩しそうに、しかし暖かい表情で自分を見つめる連夜に、照れくさそうに顔を赤くするジークハルト。
そんなジークハルトの横でこちらを見ている少女にも顔を向ける連夜。
「ブリュンヒルデも以前よりずっと女の子らしくなってきたよね。ますます可愛くなって、男の子達にずいぶん声をかけられたりするんじゃない?」
「いやですわ、連夜様ったら。私はその・・心に決めた方がいらっしゃるので、そういうことはその・・」
連夜の言葉に赤くなりながら、ちらちらと隣にいるジークの顔に視線を送るブリュンヒルデ。
しかし、当のジークはその視線に気が付きながらも微妙な表情だった。
そんな二人の様子を微笑ましい表情で見つめる連夜に、ジークが何やら当惑したような表情で口を開く。
「あの連夜さん、それでさっきから気になっていたことがあるんですが」
「ん? どうしたの?」
ジークの言葉に表情を改めると、どうやら二人の少年少女は自分のすぐ横というか、二人からみれば自分達の反対側、連夜の影に隠れるように歩いている人物に視線がいってることに、連夜は気づいた。
あ〜、そういうことかと気づいて口を開こうとするよりも早く、ジークのほうが先に疑問を口にした。
「なんで、連夜さんが、如月と一緒にいるんですか?」
「あれ? ジークは晴美ちゃんのこと知ってるの?」
質問に質問を返された形のジークは何やら、居心地悪そうな困惑したような表情を浮かべて視線を宙に泳がし、言いにくそうに返事をする。
「いや、まあ、一応同じクラスなもので」
「あ〜〜、そうだったんだ」
純粋に驚いて、交互にジーク達と晴美を見る。
そして、再びジークに向きなおる連夜。
「ということは、名前の紹介はいいよね。それじゃあ、とりあえず僕と彼女の関係を説明すればいいよね。今、如月 晴美ちゃんは訳あって僕の家に下宿しているんだ。まあ、僕の妹と思ってもらったらいいかな。晴美ちゃん、そこにいる僕の幼馴染で親友のナイトハルトの弟にあたるのがジーク。そして、そのジークと一緒に住んでいる家族同然の付き合いがあるブリュンヒルデ。2人とも小学生のころからよく知ってる知り合いなんだ」
連夜の言葉に、ジーク、ブリュンヒルデ、晴美、それぞれがそれぞれに驚きの表情を浮かべてお互いを見る。
「れ、連夜さん、妹って・・」
「うん、ほんとにそう思ってるから。晴美ちゃんは僕にとってはそういう立場の人だって思っておいて。
それと、できれば仲良くしてあげてほしい」
「いや、それならそうとわかっていれば・・如月、おまえは知らんかもしれないが、俺達は小さい頃からずいぶん連夜さんに世話になっていてな。忙しい両親に代わって、俺達の面倒を見てくれた連夜さんは、兄というか母親みたいな存在なんだ。そんな連夜さんがおまえを妹というからには、俺にとってもおまえは兄弟同然。学校が始まってずいぶん経ってからこういうのもなんだが、改めてよろしく」
そういうと、ジークは兄に似た男臭い笑顔を晴美に向けて手を差し出した。
晴美は連夜の背中に隠れるようにして、その手と連夜を交互に見つめた。
そんな晴美に、優しい表情で連夜が頷いて見せて、ようやく晴美はおずおずとその手を握るのだった。
「あ、あの・・よろしく、アルトティーゲルくん」
「おう、これからよろしくな。それから俺のことはジークでいいぜ」
心なしかほわっとした笑顔を浮かべて握手する晴美を、ジークはガキ大将そのものといった顔で見返す。
すると今度は横にいるブリュンヒルデが出てきて晴美にちっちゃい小学生のような手を差し出す。
「連夜様の妹ということは、私にとっても如月さんは他人ではありませんわ。そういうわけで、よろしくお願いいたします。あ、でもジーク様に惚れたりなさらないでくださいね」
「う、うん・・ランツェリッターさんもよろしくね」
「あら、私のこともブリュンヒルデでいいですわ」
ブリュンヒルデの小さな手を、握りつぶさないようにおっかなびっくり握る晴美に、ブリュンヒルデはにっこりほほ笑む。
そんな三人の様子をどこかほっとしたような優しい表情で見つめる連夜。
「しかし、連夜はほんと・・お母さんだよなあ・・」
「全くだ。将来はいい母親になるだろう」
心和む様子で後ろからその様子を見ていたクリスとナイトハルトがしみじみと呟くと、連夜は怖いくらいににっこり笑って二人に振り帰った。
「二人ともいい加減にしとかないと・・バラすよ」
「「調子に乗ってすいませんでした」」
二人揃って一斉に頭を下げるクリスとナイトハルトの姿に、ジークとブリュンヒルデが物凄い白い目で見つめる。
「いったい、どんなことしたんだ・・」
「あのお二方がやることですもの・・絶対エロイことですわ」
「だまれ、小学生」
「そんなことだから、ぺったんこのままなのだ」
「うわぁぁぁぁぁぁん!! ジーク様、連夜様、エロ猿2匹がいじめますぅぅぅぅぅ!!」
「「誰が、エロ猿か!!」」
「もう、なっちゃんも、クリスもブリュンヒルデをいじめないでよね、大人げない」
よしよしと頭を撫ぜられて気持ちよさそうに眼を細める一方で、連夜に怒られるクリスとナイトハルトを明らかにざまあみろという表情で見つめるブリュンヒルデ。
「な、殴ってやりたい・・」
「連夜、ブリュンヒルデを甘やかすんじゃない!! 見た目は小学生でも、中身はもう中学生なんだぞ!!」
「何言ってるの、ブリュンヒルデは女の子なんだから、優しくしないとだめでしょ!!」
「そうだそうだ!!」
「くっそ〜、あとで覚えていろよ・・」
ぶるぶると拳を震わせる高校生2人に、優越感に満ち満ちた表情でぺったんこの胸をそらす見た目小学生の中学生少女。
そんな友人知人の様子を呆れ果てた様子で見ていたロスタムが、全員に声をかける。
「おい、どうやらカワラザキ重工の正門についたみたいだぞ」
〜〜〜第20話 繋がる手〜〜〜
カワラザキ重工の正門にある警備員の詰め所で工場見学許可の手続きを踏んだあと、連夜達は広大な工場を移動するために会社が運営している社内巡回大トカゲバスに乗り込んで、目的地である対『害獣』装備製作所エリアに向かう。
連夜とクリスで話し合った結果、まずは連夜の目的地である開発室に向かうことに。
大トカゲバスに揺られること十分弱、様々な種類の工場やビルが立ち並ぶ中を通り抜け、会社の敷地内とは思えないほどの交通量の中を走り抜けると、やがて壁一面が雑草で覆われて緑色になってしまっているビルが見えてくる。
連夜達はそこで降車すると、そのビルの一階で唯一緑に覆われていない場所である、ガラス戸の入口を開けて中に入って行った。
中に入ると、そこには小さな守衛室があって、その前に念動エレベーターと、階段があるちょっと薄暗いフロアとなっている。
慣れた様子で守衛室にいる初老の守衛さんに連夜は挨拶して、エレベーターのスイッチを押す。
連夜の横に立つ晴美がなんとはなしに、エレベータースイッチの横の各階の案内表札を見ると、そこに[ 3F 対『害獣』第三武装開発室 ]と表示されているのが見えた。
やがてやってきたエレベーターに乗りこんで上にあがり、三階で降りると小さな踊り場になっていて、すぐ目の前に[ 対『害獣』第三武装開発室 ]と書かれた両開きのガラスの扉が。
連夜は、片方の扉を軽くノックしてから扉を開けて覗き込むようにして中に入って行った。
「こんにちは〜、御邪魔します。連夜です」
「お〜〜〜、連夜くん、久しぶり。遠慮せず入って入って」
扉の外にいる晴美達には見えないが、挨拶する連夜に応えている女性と思わしき声が聞こえてくる。
「いや、あのちょっと今日は大人数で押しかけてきているんですが、構いませんか?」
「いいっていいって、どうせ、今日は暇だし。ようやく、太刀の新シリーズの開発も終了して、次の企画が始動するまでここには誰も来ないよ。遠慮せず入ってきたらいいよ」
「そうですか。ではお言葉に甘えまして」
と、連夜は扉から出していた半身を戻し、後ろにいるメンバーに御許しを得たことを告げて中に入るように促す。
そうして一行がぞろぞろと部屋の中に入って行くと、思ったよりもそこは広い空間になっており、天井もかなり高いところにあることに気づく。
部屋の中のあちこちを走る支柱には様々な大剣や太刀が飾られたり、吊るされたりされており、部屋の到る所にある机の上には作りかけの状態で放置された大剣、太刀が転がっている。
また、見たこともない道具も数多く置いてあって、この部屋に初めて入ることになったメンバーは最初から圧倒されてしまっていた。
そうして、メンバーが思い思いに部屋の中を見学している間、連夜はこの部屋の主達に改めて挨拶をしていた。
「ラブレス主任、パンジー副主任お久しぶりです。今日はお二人だけなんですね」
「しばらくはみんなリフレッシュ休暇中で、有休消化してるから出勤してこないよ。なんせ、ついこの間終わった新シリーズが思った以上に難産だったからさ、ほとんど休みなかったからね〜」
「そうですか、残念です。折角、『ルーツタウン』の『鵬王軒』で小籠包人数分買ってきたのに」
「やった〜〜〜!! 連夜くん、好き好き大好き〜〜〜!! ってか、みんないなくてよかった!! ラブちゃん、あとで2人で温めてゆっくり食べよう!!」
と、嬉々として連夜からおみやげを受け取っているのは、連夜の身長の半分以下の背丈しかない女性。
一見するとブリュンヒルデと同じように見えるが、ブリュンヒルデよりは明らかに大人びた表情で、尚且つ小学生というには少々身体の各所の丸みがはっきりしすぎていた。
歳をとっても一定の若さのままの外見で一生を終えるという、草原妖精族グラススプライト族の女性であり、この開発室副主任の立場にある人物。
それがこのパンジー・フラワーヒルだった。
焦げ茶色の髪の毛はぼさぼさで、目には大きな丸眼鏡、そばかすだらけのほっぺたに、大きな口。
小さな体に白い研究衣を着ており、まるで子供が無理して御医者さんごっこをしているようにも見えなくもない。
しかし、愛嬌たっぷりで誰からも愛されそうな人物であった。
そんなパンジーが振り返って見る視線の先には、顔の半分以上を占めるような黒い大きなサングラスをかけた無表情な女性が、ぬぼ〜〜っと立っている。
燃えるような赤毛は無造作に頭の後ろで束ねられ、髪の間から飛び出た耳はエルフ族に似てとがって長い。
表情はほとんどサングラスでわからないが、化粧は薄いようで、唇の血色はあまりよくない。
身長は連夜よりも弱冠高く、薄汚れた大きな白衣に身を包んでいるためスタイルはわからないが、あきらかに女性であることだけはわかった。
彼女こそ、この開発室の最高責任者であるラブレス・ビゼンマサムネ・アイアンスミス。
パンジーと違って、感情の起伏というものが極端にない人物らしく、どうもしゃべっているのかいないのか、あるいは喜んでいるのか悲しんでいるのか怒っているのか非常に判断しにくい。
しかし、どうやら連夜やパンジー副主任にはわかっているようで、傍から見てると不思議なコミュニケーションが成立しているように見えた。
「・・」
「そうですか、ラブレスさんも小籠包お好きでしたか。よかった、買ってきて」
「・・」
「ああ、豚まんもお好きなんですね。わかりました、今度はそっちを買ってきますね」
「ラブちゃん、『ルーツタウン』の『シャンファ街』で食べ歩きするの好きだもんねぇ」
「・・」
「いや、そんなことないですって、全然太ってないじゃないですか。むしろもうちょっと太ってもいいんじゃないですか? あまり無理に痩せると身体によくないですよ。」
「・・」
「え、いや、すいません、それは無理です。って、いうかラブレスさんには、ダイ兄さんがいるでしょ?」
「!!」
「ちょ、待ってください!! わかりました!!今度帰ってきたら、絶対こっちに顔を出すように言いますから!!」
「・・」
「もう〜〜〜、自分の恋愛くらい自分でなんとかしてくださいよね・・いや、そんな睨まないでくださいよ、ちゃんと協力してるじゃないですか・・」
「あはははは、ラブちゃん奥手だから、いまだに大治郎さんとキス以上進めないでいる・・いたたたたた!! ラブちゃん、つねらないで!! 痛い痛い!! ちょ、本気でつねってるでしょ!? 照れくさいからってやつ当たりしないで!!」
と、無表情で感情はわかりにくいながらも、外見通りにクールな人物というわけではなさそうだった。
そうして一騒動落ち着いたあと、ラブレスが部屋の一番奥にある自分の机と思われるところまでとことこと戻り、そこでごそごそと何かやっていたかと思うとまた戻ってきた。
よく見ると手には何かを持っており、やがて連夜の前まで来るとそれを差し出す。
「・・」
「これがそうですか。では、失礼して拝見させていただきますね」
白い布に包まれたそれをラブレスから受け取った連夜は、丁寧に白い布を取って右手に巻きつけると中から取り出したものを目の前にかざし、真剣な表情を浮かべて見始めた。
それはどこからどう見ても包丁だった。
どこの家庭にもあるであろう一般的な出刃包丁。
連夜は黒光りする峰の部分から、白銀の美しい刃の部分、木製の握り手の感触など、あらゆるところを丹念に確認していく。
そして最後にどこから取り出したのか、新しい懐紙をすっと切って見てその感触を確かめるように目を細めていた連夜だったが、やがて、にっこりと笑ってラブレスのほうを見た。
「流石です、備前正宗の名に恥じない逸品ですね。すいません、専門外なのに無理を言いまして」
「・・」
「いやいや、片手間でこれは作れないでしょ。さすが百八代目継承者。本当にありがとうございました」
と、深々とラブレスに一礼し、真心がこもっていると思える真剣な声で礼を述べる連夜。
その姿にどこか照れくさそうにちょっと顔を赤らめてそっぽを向くラブレスだったが、横でそれを興味深そうに見ていたパンジーが覗き込んできた。
「ねぇねぇ、連夜くん、それ自分で使うの?」
「いえ、違います。僕のは以前ラブレスさんに作って頂いたものがありますから。大切に今でも使っていますよ。晴美ちゃ〜〜ん、ちょっとこっちに来てくれる?」
連夜が呼びかけると、ジークやブリュンヒルデと一緒に、分解された太刀を興味深そうに見ていた晴美が顔をあげて連夜のほうを見る。
そして、彼らと一緒にぽてぽてと連夜の元にやってきた。
「な、なんでしょう、連夜さん」
「はい、これ」
「え?」
先程ラブレスに渡されたばかりの包丁が再び包まれた白い布包みを晴美に渡す連夜。
晴美はそれをおっかなびっくりで受け取る。
「あの、これは?」
「晴美ちゃんの包丁」
「ほ、包丁ですか?」
困惑の表情を浮かべて聞いてくる晴美に、にっこり笑って断言する連夜。
「これから一緒に暮らしていくことになるわけだけど、我が家の家訓が一つだけあって、それには絶対従ってもらわないとね」
「家訓ですか?」
「そそ、”働かざる者食うべからず”ていう家訓。御客様のままなら別に今のままでもいいんだけどね。晴美ちゃんは、これからうちの家族の一員として扱わせてもらうから、今日から働いてもらいます。とりあえず、僕かお父さんが夕飯の準備をすることになると思うので、一緒に手伝ってください。いいですか?」
厳しい表情を浮かべながらも、目は優しさに溢れている連夜と、自分の手の中の物を交互にみつめながら目を白黒させて戸惑う晴美。
「あ、あの、私、料理とかしたことないんですけど」
「大丈夫。僕がちゃんと教えますよ。そういうことで、これから夕御飯のお手伝いを毎日手伝っていただくことになりますので、がんばって覚えてくださいね」
「は、はい」
ちょっと緊張しながらも健気に返事する晴美に向かって、一つ大きく頷く連夜。
そんな連夜達を見ていたジークが声をかける。
「連夜さんの用事って、これのこと?」
「そそ、以前からラブレスさんに包丁を作ってくれるように無理を言ってお願いしていたの」
「はぁ!? 店で売ってるものはダメなんですか?」
「あははは、ラブちゃんが作ったのはただの包丁じゃないよ。『害獣』の骨で作った特別製のスーパー万能包丁。手入れがほとんど無用で、なんでもスパスパきれちゃうのよん」
「「「が、『害獣』の骨!?」」」
あっけらかんと言い放つパンジーの言葉を聞いたあと、晴美達は手の上にある物体をあらためて見て怖れ慄く。
「しかもね、その使われている骨っていうのが『貴族』クラスのものだから、困ったことにその辺の武器よりも強力なのよねぇ・・だから絶対に振り回しちゃだめよ。当たったら、本気で洒落にならないことになるから」
あははははと無邪気に笑うパンジーの言葉に、晴美達の顔から一気に血の気が引いていく。
「いや、そんなに引かなくても、使い方を間違わなければ大丈夫ですよ。晴美ちゃんは、そういう風に使いたいの?」
連夜が聞くと、ぶんぶんと力いっぱい首を横に振ってこたえる晴美。
「じゃあ、大丈夫だよ。人を傷つけるためじゃなくて、人に喜んでもらえる料理をたくさん作れるようにがんばって使ってね」
「で、できるでしょうか・・わたしに・・」
物凄く不安そうにしている晴美に近づくと、連夜はそっとその身体を抱きしめて頭を撫ぜてやる。
「勿論できるよ。誰だって最初は不安だよ。僕もお父さんに最初に料理を教えてもらったときは不安だったし、包丁を初めて持ったときは手が震えたもん。でもね、きっと大丈夫。晴美ちゃんは、きっとできるよ」
「・・連夜さん。わ、わたし、がんばってみます」
「うんうん、一緒にがんばろうね」
と、実の兄妹みたいに頷きあう連夜と晴美の姿を、遠目から見ていたクリスとナイトハルトが、またもや腕組みをしながらしみじみと頷く。
「やっぱ、連夜ってお母さんだよなあ・・」
「兄と妹というよりも、どう見ても母と娘にしか見えん・・」
「物凄い母性愛を感じるよなあ・・あいつほんとに男なのか、時々疑いたくなるもん」
「あいつが女だったら、とっくの昔に俺は手を出している。と、いうか恋愛で悩むことはなかっただろうなあ・・」
「だよなあ・・」
はあぁと、意味深な溜息をついて項垂れる二人に、連夜が顔はにっこり笑いながらも背中からはドス黒いオーラを放って視線を向ける。
「2人とも、ほんとにいい加減にしないと・・・本当に全部バラすよ」
「「二度と言いませんからお許しください」」
2人揃って見事なタイミングで深々と頭を下げる二人に、ジーク達ばかりでなく、ロスタム、パンジー、ラブレスまでもから白い視線が浴びせられる。
「ねぇねぇ。あの二人いったい何をしたのかな?」
「勿論、エロいことですわ」
すぐ隣にいたブリュンヒルデにこそこそと聞いてくるパンジーに、間髪入れることなく即答するブリュンヒルデ。
「エロい、エロい言うな! 小学生!」
「うむ、まあ、おまえには一生エロいことは縁がないだろうがな」
「う、うわあああああぁぁぁぁん!! じ、ジーク様、あ、あんなこと言ってます!! そんなことないですよね、ジーク様!! ジーク様は私にエロいことしたいですよね!?」
「ちょ、いや、それは・・」
一緒になって兄達を白い目で見ていたジークだったが、思わぬところから爆弾が飛んできてうまくかわすことができずに非常に微妙な表情で顔を背けてしまう。
「え、なんで顔を背けるんですか!? ジーク様、こっちを見てください!!」
「おい、おまえの弟かなり追い詰められているが助けなくていいのか?」
「うむ、確かに危ないな。よし助けよう。おい、ジーク」
絶対絶命のピンチに兄から救いの手が差し伸べられたと思ったジークが兄の方に一縷の望みをかけて視線を向ける。
そんなジークに兄の慈愛に満ちた言葉が紡ぎだされるのだった。
「次期総領と言えど、一人の男、一人の『人』であるにすぎない。恋愛なんてみな、人それぞれ違っていていいじゃないか・・胸を張って主張すればいいんだ・・ロリコンですと!!」
ドーンと男らしく言い放つ兄の言葉に、みるみる顔を紅潮させたジークが絶叫する。
「ちがうわぁぁぁぁぁぁぁ!!」