~第19話 新しい道~
昼休みが終了するまであと十分足らずとなり、食堂や運動場から教室に戻り始めた生徒達がちらほらと戻り始めた中、一人ナイトハルトは運動場を横切ってその先にある校門へと向かって行く。
運動場では、教室に戻り始めた生徒達とは逆に、ぎりぎりまで遊ぶつもりと思われる生徒達がサッカーやバレーボールなどで元気に遊んでいる姿が見える。
そんな中、ふとナイトハルトが運動場を何気なく見渡しながら歩いていると、端っこのほうに植えてある大きな桜の木の下に奇妙な姿の人影があることに気づく。
その人物は確かにこの学校のものと思われる紺色のブレザーとスラックスを着用しているが、顔や、あるいは袖から見える手は包帯で完全にぐるぐる巻きになっており、まるではるか昔に存在したというアンデッドモンスターのミイラ男のようだ。
いくらこの学校に通う生徒達が雑多な他種族の寄せ集めと言っても、流石にこの姿は珍奇なものに映る。
しばし、立ち止まり、そのミイラ男をナイトハルトが見つめていると、じっと自分を見つめているナイトハルトに気がついたようで、ミイラ男はこちらを見ると、なんと片手をあげて挨拶してきた。
ナイトハルトは怪訝そうな顔を浮かべるものの、その人物に興味がわいてゆっくりと近づいていく。
近づいていくにつれて、相変わらずその顔は隠れているため判別できないが、その人物のシルエットに自分が見覚えがあることに気づく。
いったい誰なのか、聞いたほうがはやいと思って声をあげかけるナイトハルトだったが、それよりも若干早くミイラ男が声をかけてきた。
「珍しいのではないか?ナイトハルト・フォン・アルトティーゲル。あんたが学校に来るということは」
幾分おもしろそうな口調で話しかけてくるその声に、ナイトハルトは確かに聞き覚えがあった。
それを確かめるべく、ナイトハルトは口を開く。
「おまえロスタム・オースティンか?」
明らかに困惑の色を浮かべて聞いてくるナイトハルトの表情に、今度ははっきりわかるような笑い声を含んだ声でミイラ男が答える。
「はっはっは、そうだよ。まあ、こんな姿じゃわからないのも無理はない。流石のバグベアの自然回復力を以てしても、土日で回復するのは無理だったんだ。一応、連夜には回復薬をもらっていたんだがな。
勿体ないからほとんど飲まなかった。まあ壊れていた足と、腕を直すための分だけは飲んでしまったがな。そうそう、俺を呼ぶときはロムでいい」
と、なんだかやけに嬉しそうに話すミイラ男に、ナイトハルトは複雑そうな表情を向ける。
「すまん、そういえば俺に神秘薬を使ってくれたそうだな。本来なら敗者であるはずの俺に。こんなことを言うのはおかしいと思うかもしれないが、礼を言わせてくれ。助かった、ありがとう」
そう言って、頭を下げようとするナイトハルトだったが、ロスタムは慌てて止める。
「よせ、そもそも、喧嘩を売ったのは俺のほうだし、神秘薬を使わなければならないほどの深刻なダメージをあんたに与えたのも俺だ、そして、当然の結果としてこういう姿になったに過ぎないだけ。あんたが頭を下げる必要はどこにもない」
その言葉にしばらく何とも言えない表情を浮かべていたナイトハルトだったが、何か通じるものがあったのか最後には黙って頷いた。
「それにしても、流石に銃拳武匠の拳だ。いまだに身体の隅々までダメージが残っていてなかなか消えてくれない。あんたみたいな拳をもった奴は通転核じゃあみかけたことがない、いったいどれくらい修練を積めばあんな拳が出来上がるんだ?」
暗くなりそうな話題を変えるべく、ダメージが残る肩を重そうにぐるぐると回しながらロスタムが言うと、ナイトハルトが苦笑しながら答える。
「俺を倒した奴にそんなこと言われてもな。そもそも、おまえのほうこそどうなんだ?いったいどれくらいの経験を積めば、あれだけの動きができるようになる?」
「物心ついたときにはすでに差別の対象で、同年代の子供からチンピラレベルの大人まで幅広くいじめられたからな。いじめといっても動けなければ下手すると死ぬようなレベルだったし、生き残るために必死だったさ」
「すまん、いらぬことを聞いてしまったようだ」
「おいおい、だから謝るなって。そういう過去もあり今の俺があるということが言いたかっただけだ。で、そういうあんたはいつから武術の修行をしてるんだ?」
暗い過去を感じさせることなく明るい口調を崩さない眼の前のミイラ男を、眩しそうにしばらく見つめていたナイトハルトだったが、苦笑とは違う今度は本当の笑みを見せて口を開く。
「小学生になってからだ、三年生くらいだったか。幼馴染に恐ろしく強いやつがいてな、そいつに負けたくない一心で始めて、中学生の時に追いついたと自分では思っていたんだが・・おまえに負けて自分のレベルがはっきりわかったよ。恐らく俺はそいつに全然勝てないくらい弱い。今ならわかる、恐らくそいつは俺に気を使ってくれていたんだろうなってことが」
「そうか、そりゃ複雑だ。あんたが認めるその相手が闘う姿を是非見てみたかったが」
ロスタムがなんとも言えない口調で呟くと、ナイトハルトはニヤリと笑ってロスタムを見る。
「やりたかったらいつでもできると思うぞ。この学校にいるんだからな」
しかし、意外にもロスタムは首を横にふる。
「いや、それはもういい。俺はただ強い相手とやりたかったわけじゃない。あんたと拳を交えてみたかったんだ」
「俺と?」
包帯のせいで全く表情が読めないが、顔を自分のほうに向けて視線をまっすぐにとばしてくるロスタムを怪訝そうに見つめるナイトハルト。
きょとんとする表情を浮かべるナイトハルトをしばらく見ていたロスタムだったが、不意に視線をはずし運動場でボールを追いかけている女子生徒達のほうに視線を向ける。
「去年のちょうど今頃だったかなぁ・・あんたを初めて見たのは。あんたさ、毎日のように今の連夜のクラス担任とスラム街に顔を出していたよな」
「!?」
「いや、俺が所属してるギルドに都市治安警察から依頼があってな、その依頼を受けたギルドメンバーの中に俺もいて、あのころ同じ事件を調べまわっていたのさ」
「・・そうだったのか・・」
「そのときにあんたの戦ってる姿を見た。正直、衝撃的だったよ。俺が知ってる強い奴って言うのは、大概自分よりも弱い奴にしか向かっていかない、しかも人数に頼る、自分の信念もなにもないクズばかりだったからな。俺があんたをみかけたとき、あんたはあの先生や連れさらわれそうになっていた女子生徒達を一人で守って、必死になって戦っていた。そこには圧倒的な人数の差があったし、なかには明らかにあんたよりも強そうな奴もいた。けどあんたは全く絶望する様子もなく自暴自棄になることもなく冷静に戦い続け、そして、ついには守りきった」
女子生徒が投げたバレーボールがロスタムの足元に転がってきて、それをロスタムは拾って投げ返してやる。
投げ返してもらった女子生徒は一瞬ロスタムの姿を見てぎょっとした顔をするが、すぐにありがとうと言って駆け戻っていった。
そんなロスタムの様子を横からじっと見つめるナイトハルトの表情は、なんとも複雑なものになっていた。
「よしてくれ、巻き込まれていやいや戦っていただけだ。しかも自分が生き残るために」
「そうかい? そういう風には見えなかったけどな」
「・・」
「まあ、いいさ、とにかく、俺はそんなあんたと戦ってみたかった。今まで俺がふるっていた、ただの『暴力』とは違う何かが見たかった」
ロスタムは運動場から再び視線をナイトハルトに移す。
ナイトハルトは困ったような表情を浮かべてロスタムを見返した。
「俺が振っているのも『暴力』にすぎん」
「そうかい? だが、少なくとも俺はそうは思わなかったし、今まで見えていなかったものがはっきり見えるようになった気がしたよ。おかげでいろいろと眼が覚めた。こういう風に代償は払ったが、それ以上に得たものは大きかった」
おどけたように、包帯だらけの自分の身体を見せるロスタム。
そんなロスタムの姿を、なぜか羨ましそうにみつめ、顔を背けるナイトハルト。
「なあ、ロム、あの戦いのあと、新しい道に進めると言っていたが・・それはみつかったのか?」
「いや、これからだ。これからゆっくりと見つけていく。今までは金や名声や地位が一刻も早くほしくて、危険な仕事でも命を顧みることなく引き受けていたが、それももうやめだ。違う何かを見つけるよ。時間はたっぷりあるし、金じゃ買えないものを、自分が結構たくさん持ってることもわかったしな」
「・・新しい道かあ・・うらやましい限りだ・・」
ロスタムの言葉に、さらに羨望と寂寥の色を強めていくナイトハルト。
そんなナイトハルトを見たロスタムは、しばし何かを考えるように口を閉ざしていたが、やがて思いだしたように口を開いた。
「なあ、ナイトハルト」
「む、なんだロム?」
「俺と一緒に来るか?」
そんなナイトハルトに、ロスタムは笑みを含んだ口調で言う。
まるで一緒に遊ぼうぜといわんばかりに。
ナイトハルトはしばし言葉を失って目の前の包帯男を見た。
相手の言葉の真意を探りたかったが、顔は包帯でぐるぐる巻きなので、表情が見えない。
しかし、なぜか本心で言っているのがわかった。
「実はクリスに案内を頼んでいてな。今日から城塞都市の中や周囲の『特別指定区域』でまだ自分が知らないところを見て周ることになっているんだ。その中に、自分が進みたい道があるかどうかはわからんが、少なくとも今まで見もしなかった知ろうともしなかったことに出会えるのは間違いない。放課後、学校が終わってからになるが、どうだ、暇つぶしに一緒にいってみないか?」
ロスタムの言葉に、しばらく目を白黒させていたナイトハルトだったが、なんともバツの悪そうな顔でロスタムを見る。
「俺が行って迷惑にならんのか? 俺はお前をそんな姿にした奴だぞ」
「お互い様だ。というか、そこにこだわるくらいなら、最初から話もしてないだろ。う〜む、このまま話を続けると平行線になりそうだ。よし、ナイトハルト、とりあえず、今日は付き合え。今日付き合って、あんたがおもしろくないと感じたら、明日以降無理してつきあわなくていい。おもしろかったら、明日以降もついて来い。それでどうだ?」
その言葉にしばらく考え込んでいたナイトハルトだったが、やがてゆっくりと頷いた。
「わかった」
「よし、じゃあ放課後、16時くらいに学校からすぐ近くの『ゴッドドア』駅に集合だ」
と、言うとロスタムは自分の包帯でぐるぐる巻きになった拳をナイトハルトの眼の前にかざす。
ナイトハルトはその拳に自分の拳を軽くぶつけて、苦笑して見せた。
そんなナイトハルトにロスタムは片手をあげて見せると、校舎に向かって歩きだした。
「じゃあ、またあとでな、ナイトハルト」
「ああ、あとで会おう」
しばらく運動場を去っていく新しい友の後ろ姿を見送っていたナイトハルトだったが、やがて自分自身も背を向けると校門へと向かって歩きだした。
〜〜〜第19話 新しい道〜〜〜
城砦都市『嶺斬泊』の建設当初、一番最初の繁華街となった場所がこの『ゴッドドア』の駅周辺であった。
今でこそ最大の繁華街としての地位は『サードテンプル』に移ってしまったが、二駅手前のこの場所も決して人通りが途絶えてしまったわけではない。
大河『黄帝江』から流れ込んできた支流の一つが駅のすぐ西側を通っており、その河沿いにはカップルをターゲットにしたお洒落な飲食店やブティックなどが軒を並べ一大デートスポットになっているし、駅のすぐ東側周辺には『嶺斬泊』で事業を展開している大企業の本社ビルがいくつも密集して建っており『嶺斬泊』最大のオフィス街にもなっている。
そんな場所であるから、帰宅ラッシュがはじまる16時以降は駅の構内は物凄い状態になってしまうのだが、幸い集合時間は二時間手前であったため、ロスタム達は、無事ナイトハルト達と合流することができた。
できたのではあるが。
ロスタムは、自ら拳を交えることで新しく友となった人物に、視線を向ける。
相変わらず包帯でぐるぐる巻きの顔からは表情がうかがえなかったが、それでも十分困惑していることだけはわかった。
「ナイトハルト・・いや、確かにあんたは誘ったが・・」
「すまん。本当にすまん」
ナイトハルトは苦渋に満ちた表情で、ロスタム達に頭を下げる。
そんなナイトハルトを慌てて押しとどめるロスタム。
「いやいや、ついてきてはいかんとは言ってない。ただ、あまりにも予想外で驚いただけだ。
人数が多いほうが賑やかで楽しかろう」
「一度部屋に帰って用意をしてから出てこようと思った俺がバカだった。部屋に帰ったらこいつらが待ち受けていて、今日は用事があるから帰れというのに帰らないばかりか、勝手にここまでついてきてしまったのだ」
苦渋の表情を浮かべたままナイトハルトは、自分の横に立つ二つの人影を見る。
二つの人影はそんなナイトハルトの表情を心外だと言う顔で見返す。
「別にこっちだって遊びで兄貴に会いに来たんじゃないぜ、大事な用があって会いに来たんじゃねぇかよ。それを顔を見るなり『とっとと帰れ』って言われても、帰れるわけねぇだろが!!」
と、隣に立つ二つの人影の一つがナイトハルトに食ってかかる。
ロスタムはそれを見ながら、ナイトハルトが紹介してくれたその人物の情報を頭の中で整理する。
彼の名はジークハルト・アルトティーゲル。
ナイトハルトの四つ年下の実弟で、まるでナイトハルトをそのまま小さくしたような姿をしている。
黒い学ランは若干大きいようだが、それでもよく似あっていた。
ナイトハルトと同じ武術を修行中ということらしいが、その気配からはまだまだこれから発展途上の最中であることがわかる。
しかし、ナイトハルトいわく、彼はナイトハルトよりも武術の神に愛されているためいずれは彼を追い抜くであろうとのこと。
勝気そうで見るからに生意気そうな少年であるが、不思議と嫌な感じはしない。
みんなに愛されるガキ大将というのがロスタムから見たジークハルトの印象であった。
「おまえと話すことなどないから帰れと言ったのだ」
「なんでだ!? 白虎の総領を勝手に俺に譲っておいて話すことがないなんてことがあるわけねぇだろ!!」
「その話なら現総領にお話ししろ。それを現総領がお決めになったのなら、その決定に従うのが一族として生まれた者の定め。これからおまえは次期総領として恥じぬことのないよう、精進すればよいだけのこと」
「だあぁぁぁぁぁ、だから納得できんと言うとるんじゃ!!」
激昂する少年版ナイトハルトであるジークハルトを、もう一つの影がそっと抑えて慰める。
「いけません、ジーク様。ここで怒ってしまってはナイト様の思うつぼにございます。ここはこのブリュンヒルデにお任せを」
ずっと今まで黙っていたもう一つの人影がナイトハルトの前に出る。
そして、傲然と胸を張りナイトハルトの方を睨みつけた。
「ナイト様。ナイト様がたった今ご自身でお認めになられた通り、今やジーク様は次期総領のお立場にあらせられます。その次期総領のお言葉に耳を傾けねばならないのは、一族に生まれた者としてあたり前のことではありませんか!? っていうか、聞け!! 聞きやがれ、ナイトハルト!! ジーク様の前で膝をついて頭を垂れて許しを乞いながら無様に聞きやがれ、この汚らしいブ 『ゴンッ!!』 ふぎゃっ!!」
その人影が全てを言い終わる前に、ナイトハルトのゲンコツがその人物の頭に無言のうちに振り降ろされる。
つぶれたカエルのような顔でナイトハルトを見つめていたその人物だったが、みるみる目から涙をあふれさせると、横にいるジークハルトのほうに振りかえった。
「な、ナイト・・様・・が、あ、あた・・あたし・・ぶ、・・った」
「あ〜〜、よしよし、ブリュンヒルデ、痛かった、痛かったなあ」
「うわあぁぁぁぁぁぁん、ジーク様ぁぁぁぁぁぁ!!」
と、その人物を優しく抱きしめたジークハルトは、よしよしとその頭を撫でてやる。
ロスタムは呆れ果てた表情で少年の腕の中で泣きじゃくる人物を見た。
ブリュンヒルデ・ランツェリッター。
ナイトハルトからの紹介によると、ジークハルトの侍従というか小姓のような存在で、年齢はジークハルトと同じ・・らしい。
らしいというのは、いくら中学一年生とはいえ、目の前の人物があまりにも中学生に見えない・・というか、どう見ても小学生低学年くらいにしか見えないからだった。
他種族の中には身体の小さな種族もいる。
例えばドワーフ族や、その遠い親戚といわれているノーム族、あるいは草原妖精族のグラススプライト族や、小鬼のゴブリン族など、様々な種族がいるため一概に小さいといえど小学生と判断するということは普通はありえない。
しかし、ロスタムがそういう感想を抱くに至った最大の原因は、ナイトハルトからの情報に起因する。
ナイトハルトははっきりとこういったのだ。
同族であると。
白虎族は、三つの形態を取ることができる種族である。
人型形態、半獣人形態、そして、その本来の姿とも言うべき完全獣化形態。
一般の獣人族はそれらを使い分けることはできない。
大概の場合、人型に獣の象徴である獣の耳や尻尾が出ているタイプの半獣人型か、その逆で獣が二足歩行しているように見えるが、頭以外のシルエットが人に近い半獣人型のどちらか。
とはいえ、いずれの場合も、身体が小さいとか、大人になっても子供の姿のままとかいうことはない。
しかし、目の前の人物は明らかにそういう特徴が備わっているような気がしてロスタムは驚きを隠せないでいたのだ。
柔らかそうな若干ウェーブのかかった蜂蜜色の髪に、大きな目は蒼く、鼻はすっとしているが高すぎず低すぎず、口は若干小さいようだが、唇の色は血色よく桜色をしている。
身体はあきらかに小学校低学年レベルの身長しかなく、当然ながら胸はぺったんこだが、色白で全体的にバランスのいい体系をしているため、人形のようなかわいらしさのある少女だった。
ただし、口を開かなければの話であるが。
ロスタムが眼の前で繰り広げられている兄弟コントを呆れたような視線で見ていると、ロスタムの横にいる人物が溜息をつきながら口をはさんだ。
「まあ、だいたいいつもこんな感じだ。慣れたら結構おもしろい」
「そうなのか?」
ロスタムが横にいる人物・・今回の案内人である、友人のクリスのほうに向きなおると、クリスはおどけたように両手を広げて見せた。
「あれでも結構仲がいいのさ。口ではなんだかんだいいながら、ナイトハルトはジークの武術の修行に付き合ってやってるし、突っかかっているけどジークはナイトハルトの事を内心では相当尊敬してるからな。今回の次期総領の譲渡についても、ジークにしてみれば未熟者の自分が尊敬する兄を差し置いて受けるなんて到底できないし、納得できないからここにきちまったんだろうよ。本当はこういう行為も厳禁なんだぜ。だってそうだろ、絶対服従のはずの現総領が決めた決定事項に対して異議を唱える行為なわけだからな」
「なるほどな・・喧嘩するほど仲がいいわけか」
「そそ、白虎族くらい強い力の一族だと、ちょっとの喧嘩が死合になりかねないから、普通は面と向かって意見をぶつけ合うことはないんだ。誰か話のわかる仲介人が間にたって、できるだけ穏便に事を済ませることになる。それがここの兄弟はそれをすっとばしてやれるんだからな。まあ、どれだけ激しくやりあっても、そこまでいきつかないって誰もがわかってるから止めないんだろうけどさ」
「おい、クリス、人の眼の前で、そういう恥ずかしいことを言うな」
アルトティーゲル兄弟の仲の良さを力説するクリスに、ナイトハルト、ジークハルトともに顔を赤らめて嫌そうな視線を向ける。
そんな白虎兄弟をおもしろそうに見たあと、クリスは再びロスタムのほうに視線を移す。
「さて、それじゃあ、そろそろ行こうか。あまり遅くなるといけないしよ」
「そうだな、すまないが、とりあえず兄弟喧嘩はまたあとにしてくれ。移動してしまおう」
ロスタムはそう言うと、一行を出発するように促す。
その言葉にクリスは頷いて一行の先頭に立つと、ぼちぼち増え始めてきた人ごみの中を器用にすり抜けながら移動していく。
「おい、包帯男、俺達をどこに連れて行く気だよ」
「む、それは俺のことだな」
不機嫌そうに、しかし、素直に後ろからついてくるジークの問いかけに、足を止めることなく器用に首だけを回して後ろを振り返るロスタム。
そんなロスタムを不気味そうに見つめるジーク。
「他に誰も包帯なんかしてやしねぇだろ。それにクリスはともかくあんたの名前をこっちは聞いてないしな」
「ああ、それはすまなかった。俺はロスタム、ロスタム・オースティン。ロムと呼んでくれ。友人はみんなそう呼んでる。お主が尊敬している兄上殿の元敵で今は友人だ」
と、少し歩幅を緩めて後ろにいたジークの横に来ると、すっと手を出しだすロスタム。
そのロスタムの手をしばらく見つめていたジークだったが、皮肉げな表情を浮かべてロスタムを見て、手を握ろうとはしない。
「あんたのその傷、兄貴にやられたものだろ? ってことは残念ながら敗者であるあんたと交わす手はもってねぇ」
「そうか、それは残念だ。まあ、すべての『人』とわかり合えるのは難しいことだしな」
と、気を悪くした様子もなくあっさりと手を戻すロスタムに、拍子抜けしたように見つめるジーク。
しかし、今のジークの言動に圧倒的に気を悪くした人物は他にいた。
「おい、ジーク、今口から出した言葉の全てを取り消し、俺の友に土下座して詫びろ。さもなくば、おまえが泣いて許しを乞うまで叩きつぶし、無理矢理にでもそうさせてやる」
ずっと弟とロスタムの会話を黙って聞いていたナイトハルトだったが、ついに我慢できなくなったのか圧倒的なまでの怒気を膨れ上がらせ、横にいるジークを睨みつける。
軽い冗談だったと言おうとしたジークだったが、横から噴き出してくる怒気と闘気に兄が真剣に本気で言ってる事を悟り、口を動かすことができずにみるみる表情を青ざめさせていく。
そんな兄弟の様子を見かねたロスタムが割って入る。
「待て待て、ナイトハルト。あんたの今の言葉で十分だ。弟を責めてやるな、この姿だ、誰がどう見てもそう思うのは仕方ない。それにあんたと俺の間でそんなどっちが勝った負けたの優劣に何か価値があるか? あのときの勝負そのものに俺は価値があったと思う。人がどう思うと構わん、あんたは俺の拳を受け止めてくれた。その事実があるだけだ。頼むからそう怒らないでくれ。友人として俺を認めてくれているなら、今日は俺の顔をたててくれないか、頼む」
流石のナイトハルトもそこまでロスタムに言われては拳を収めざるを得ない。
物凄く不満そうではあったが、ジークに向けていた怒気と闘気を一旦収める。
ジークはジークでロスタムの侠気に気づいて、さっきまでとは違い、敗者を見下す勝者の目から、年長者に対する尊敬の視線へと変えていた。
そして、小走りに走ってロスタムの前に回り込むと、潔く深々と頭を下げて見せた。
「悪かった・・いや、申し訳ありませんでした、ロスタム先輩。俺は大きな勘違いをしていたようです」
「おいおい、やめてくれって。そんな風に気にされるとかえって困る。頼むから普通に接してくれ」
と、頭を下げ続けるジークの側によって、優しく頭を上げさせると、先に行って待っているクリスのところに早く行こうと促す。
そうして、足早にクリスのところに急ぐ最中、ナイトハルトが横を並走する弟に視線を向けて、口を開いた。
「ジーク一応訂正しておくが、負けたのは俺だ。それに本来なら包帯だらけで目も当てられなかった俺が五体満足無事でいられるのは、ロムが自分に使うはずだったたった一つしかない神秘薬を敗者である俺に使ってくれたからだ。知らなかったのは仕方ない、ロムに免じてそれについては問わない。しかし、二度と俺の友を辱めるようなことは言うな」
兄の言葉に驚愕して、兄とは反対側を走っている包帯姿のロスタムの方を見ると、ぽりぽりと頬をかいて明後日のほうを向いている。
ジークはさらに尊敬に満ちた視線をロスタムに送ったあと、兄の方に顔を向けて神妙な表情で力強く頷いた。
「わかった。二度と言わないし、これからは白虎族に連なるものとして、ロスタム・オースティンに最大級の礼節を以て接すると約束する」
「うむ、それでいい」
「いや、兄弟そろって大袈裟過ぎる、やめてくれ」
兄弟二人の堅すぎる内容の会話に、悲鳴を上げるロスタム。
「おいおい、遊んでないで早く来いよ、おまえら」
三人のやりとりを聞いていたわけではないだろうが、駅の出口で待っていたクリスが呆れたような表情で三人を迎える。
「すまない、クリス、ちょっと弟と話していて離れてしまった。ロスタムは悪くない。ところでさっきジークも聞いていたが、これからどこへ行く?」
「あ〜、そうか、説明してなかったな。これから行くのはカワラザキ重工だ」
クリスの返答に、ナイトハルト、ジークハルトの表情が驚愕のそれに変わる。
「おい、そこに行って何をするんだ?」
「決まってる、工場内の見学だ。カワラザキ重工と言えば、念動船舶とか、念動バイクとかで有名だけどさ、『害獣』ハンター用の武器防具の製造元でもあるだろ? 俺はそっちのほうにちょっと知り合いがいるからさ、ちょっと見せてくれって頼んだんだよ。なんかロスタムがさ、物作りに興味があるから、そういう物を実際に作ってるところを見せてくれる場所に心当たりがあったら連れて行ってくれっていってたから。まあ、一応他にもいろいろとあるけど、今日はまずここにしたんだ。結構おもしろいぜ」
ニヤッと笑うクリスに、ロスタムはうむと大きく頷いて見せた。
ナイトハルトとジークハルトを見ると、二人とも最初はポカンとしていたが、なんだか嬉しそうな興奮しているような表情を浮かべている。
「すげぇ・・俺一回、対『害獣』用の大剣とか、太刀とか作られているとこを見てみたかったんだ!」
「うむ、『害獣』ハンターを目指していた俺にとっても実に興味深い。早く案内してくれ、クリス」
と、さっきと打って変わってかなり乗り気になってクリスをせっつく二人。
ではと、再び案内を始めようとするクリスだったが、そのクリスをロスタムが引きとめる。
「待て、クリス」
「なんだよ、ロスタム。早く行こうぜ。早くしないと、日が暮れちまうよ」
「そうですよ、ロスタム先輩。俺も早く対『害獣』装備の製造模様が見てみたいです」
クリスとジークが口を尖らせていうが、何やらロスタムはきょろきょろと周囲を見渡して何かを探している様子を見せた。
そんなロスタムを様子を見て、原因に逸早く気がついたのはナイトハルトだった。
ナイトハルトははっとした表情を浮かべると、横にいる弟に視線を向ける。
「おい、ジーク」
「なんだよ、兄貴」
「ブリュンヒルデはどうした」
「・・あ」
ジークは完璧に忘れていましたという表情で固まる。
「多分、待ち合わせの改札口からこの出口に移動するまでの間に人ごみに呑まれたんだな。あいつちっこいから」
「あ〜、確かにありえるありえる」
クリスの言葉に、うんうんと頷くジーク。
「ってこらこら、おまえ達、納得してないで探さないか。いくらなんでも置き去りはひどいだろ」
「あ〜、そうだった」
呆れたような声を上げるロスタムに、クリス、ナイトハルト、ジークハルトははぐれてしまったブリュンヒルデを探すべく戻ろうとした。
しかし、そのとき、人ごみの中から見知った顔がこちらに向かってきているのを、ロスタムが発見する。
「む、あれは」
高校生の黒髪の少年に手を引かれた蜂蜜色の髪をした少女が目をこすりながらこちらにやってきて、恨めしそうにロスタム達を見つめた。
「じ、ジーク様、ひどいですぅ・・ひっくひっく・・お、置き去りにするなんて・・」
「よしよし、一人でよくがんばったね、ブリュンヒルデ。ほんとにしょうがない、お兄ちゃん達だね」
「うわぁぁぁぁん!!」
と、わざとらしく黒髪の少年に抱きついて、上目遣いでちらっとこっちを見ている少女の姿にジークの顔が引きつる。
そして、黒髪の少年は自分の幼馴染達に、怒った表情を浮かべて見つめるのだった。
「もう、だめでしょ、ブリュンヒルデを置き去りにしたら!!」
「れ、連夜・・なんでここに」
「はいはい、説明はあとあと、とりあえず、移動しよう。僕もカワラザキ重工に用事があるから一緒に行くよ。さ、ブリュンヒルデ、晴美ちゃんも、ついてきて」
と、連れてきたブリュンヒルデと、ブリュンヒルデやジークと同じ中学校の制服に身を包んだ狐耳の少女を促して、すたすたと歩いていく連夜。
しばらくそれを茫然と見ていたロスタム達だったが、慌ててその後を追いかけるのだった。