~第1話 朝の風景~ おまけつき
〜〜〜第1話「朝の風景」〜〜〜
肌に冷たさを感じることがなくなり、ようやくぼんやりとした暖かさが広がるようになってきたゴールデンウィーク前の月曜日の朝。
一人の戦士の一日が始まる。
パリッとした白いカッターシャツに、紅色のネクタイ、紺色のスラックスという典型的な学生服。
さらさらの黒髪に、大きくくりくりとした瞳が特徴的な、かっこいいというよりも圧倒的にかわいい感じの顔に、平均的な高校生にしては若干小柄で華奢な体格の持ち主。
見るからに優しそうだが、優しいばかりでなくどこか意志の強さを感じさせるオーラをまとっており、平凡な姿ながらどこか人の目を惹きつけるような魅力を持っている。
戦士の名前は宿難 連夜。
自宅からすぐ近くにある国立御稜高等学校に通う高校2年生であり、宿難家の家庭の平和を一手に引き受けている人物でもある。
「さあ、今日も一日がんばるぞ!!」
空気の入れ替えの為に全開にしたサッシから庭に出て大きく伸びをすると、一度深呼吸してから日課にしているストレッチ体操を行なう。
念入りに体をほぐし、ごきごきと首を曲げて肩をならす。
「よし、準備体操終わり!」
そう呟くと、再びサッシを通って家の中へともどり、まずは洗面所に向かう。
顔を洗って歯を磨くためではない。
洗面所についた連夜は、洗面所のすぐ横に置いてある、洗濯かごを手に取った。
洗濯かごは連夜が両手で抱えるようにしないと持てないくらい大きいが、それにもまして今洗濯かごにつまれている洗濯物は倍以上の体積で山積みになっていた。
男物女物子供物に、作業着やら下着やら制服やら実に様々なものが雑多に入れられている。
それらをよいしょと抱えて、洗面所からちょっと離れた場所にある魔道洗濯機のところまで移動すると、手なれた様子で洗濯機の中に洗濯物を放り込んでいく。
一見無造作に放り込んでいるように見えるが、よく見るときちんと種類を選別して洗濯機に放り込んでいるのがわかるだろう。
ある程度まで洗濯物を放り込んだところで、自家製の洗剤と漂白剤を入れてスイッチを押す。
「やっぱり、白霧草と分解石の組み合わせが一番妥当なのかなあ・・あんまりやりすぎると色が落ちちゃうしなあ・・」
と、洗剤のブレンドについてちょっと考えてみたりするが、あまり時間もないので、とりあえずここは置いておいてキッチンに向かう。
パタパタとキッチンに入ってきた連夜は、壁にかけてあったかわいいひよこのアップリケがしてあるエプロンを身につけると、昨日のうちに研いで水につけておいた米が入った理力炊飯器のスイッチを押す。
そして、氷太刀製の大型冷凍霊蔵庫から食材を取り出すと、手際よく調理しはじめた。
愛用の包丁をなれた手さばきでふるい、長ネギや豆腐をちょうどいい大きさに切って鍋の中に放り込んでいく。
ちょっと大きめのサンマは三つに切って魚焼き用のコンロへと。
魔法のスモーククリーナーのスイッチをいれて、コンロからでている煙の処理も忘れない。
サンマが焼き上がるまでの時間を利用して、大根おろしを用意する。
大根おろしができあがるころには、サンマがいい具合に焼け上がっており、これ以上焼くと焦げてしまうと寸前の絶妙なタイミングで引き上げて皿に盛る。
もちろん大根おろしを添えることは忘れない。
これだけだとおかずとして寂しいので、霊蔵庫から卵を取り出し、卵焼きを作ることにする。
素早くボウルに卵を割ると、あらかじめ作っておいてある秘伝のだしと砂糖を少量混ぜて軽くかき混ぜる。
そして、熱しておいた卵焼き用の長方形のフライパンに卵を流し込み、ちょっと焦げ目がつくかつかないか程度に焼き上がった卵を見事な腕でくるくると巻いてしまう。
出来上がった卵焼きはきれいに包丁で一口サイズにきられて皿に盛りつけられる。
このままだと野菜が少ないので、あと一品ホウレンソウのおひたしを作ってしまう。
これで朝食は完成したが、家族のみんなの弁当ができていない。
今日はどうしようかなあと、考えながら、とりあえず様子を見るために一度洗濯機のところにもどると案の定第一回目の洗濯は終了していた。
洗濯物が入っているものとは別の空の洗濯かごをもってきて、洗濯機から洗ったばかりの洗濯物を取り入れて、代わりにまだ洗濯していない洗濯物を洗濯機の中に放り込む。
そして、それを抱えてもどってくると、いつのまにかキッチンに別の人物が立って何やら調理していた。
「あ、お父さん、おはよう」
「やあ、連夜くん、おはようございます。今日も早いね」
人好きのする笑顔を向けてくる自分とよく似た容姿の父親にうれしそうに朝の挨拶をする連夜。
他の兄弟とは全く似ていない自分が正直あまり好きではない連夜だったが、父親と似ていることは素直にうれしかった。
自分がもう少し歳をとったら、きっとこうになるに違いないと思わせる目の前の人物は、連夜にとっていろいろな意味で憧れであり目標でもあった。
「今日は僕がみんなのお弁当作るよ。連夜くんは、悪いけど洗濯物ほしちゃってくれるかな」
「了解しました、師匠!」
父親の言葉にふざけて敬礼をしながら了承の言葉を言うと、父親はすっと近づいてきてわしゃわしゃと連夜の頭を撫ぜた。
「ほんと連夜くんはかわいいなあ・・」
「・・男がかわいいっていわれても嬉しくないです!」
父親の言葉にちょっと反発してみるが、父親に頭を撫ぜられるのは嫌いじゃないので、されるままになっておく。
「じゃあ、洗濯物お願いしますね」
「は〜い」
とてとてと父親からはなれて洗濯物をまたよっこいしょと担いだ連夜は、それを持って庭にでる。
そして、庭に置いてある物干しざおに一つずつ、しかし、素早く次々と手際よく洗濯物を干してしまう。
そのあと再び洗濯機のところにもどって、残りの洗濯物を取り出した連夜はそれも干してしまい、次の作業に移ることにする。
再びキッチンにもどってくると、そこにはまた別の人物の姿が。
「ダイ兄さん、おはよう」
「うむ、連夜お早う」
キッチンのダイニングテーブルに座って旭新聞を読んでいた人物は、連夜の姿を見つけると新聞を折りたたみ、重厚な仕草で朝の挨拶をしてくる。
椅子に座ってる状態でもわかる長身に筋肉質で見るからに頑健な肉体、不言実行、泰然自若をモットーとする、まだ若いのにいやに老成した野武士のような人物。
特徴的なのはその首から上で、本来人の顔がある場所には、大型肉食獣である獅子の顔が乗っかっていた。
危険な仕事をするもの特有の鋭く意志の強い眼差しに、口からのぞくのは獰猛な牙、そして長い金褐色の髪は後ろでポニーテールにまとめられ、額には黒い鉢がねがまかれている。
彼こそ宿難家の長兄。
連夜の7つ年上の兄、宿難 大治郎 宣似。
去年大学を卒業し、『害獣』ハンターというとてつもなく危険な仕事についた彼は、1年のほとんどを『外区』と呼ばれる都市の外で過ごす。
そのため連夜も最近は滅多に会えないでいたのだが、久しぶりに昨日の夜のうちに帰ってきていたらしい。
事情を知らない人間が見れば、彼こそがこの家の主と間違えてしまいそうなほど貫禄があり、落ち着いた雰囲気を醸し出している・・のだが。
「なにやってるの、ダイ兄さん」
呆れたような連夜の視線の先には、両手を大きく広げた兄の姿が。
「え、何って・・お早うの抱擁は?」
「・・ご飯いれるね・・」
「ちょ、待つのだ連夜!!兄弟のふれあいは!?ずっとしてくれていたじゃないか!!久しぶりに我が家に帰ってきた兄に対してその仕打ちはあんまりだ!!」
「何言ってるのさ、それって僕が小学生のころ話でしょ・・僕ももう高校生なんだけど・・」
「いや、関係ないではないか!!それともあれか?反抗期か?それとも、もう兄はいらんということか!?」
すごい悲しそうな目でこちらを見る兄の姿を、しばらく眺めていた連夜だったが、溜息をひとつつくとあきらめたように兄の分厚くて広い胸に抱きついた。
「はいはい、もう・・これでいいの?」
「連夜ぁぁぁぁぁぁぁぁ」
やたらと感激した声をあげて、大治郎は自分よりも小さな連夜を抱きしめた。
滅多に家に帰らなくなってきた兄は、危険極まりない日々を送り続けている反動か、帰還するたびにそのブラコンぶりを悪化させていた。
「ほんとに大治郎くんは連夜くんのことが大好きなんですねえ・・」
にこにこと兄弟の触れ合いをみつめる父親。
「パパ上、連夜は我が命、我が人生そのものなのです!」
「うんうん、そうですか、そうですか」
「ちょっと、ダイ兄さん、苦しい・・」
「れんやぁぁぁぁぁぁぁぁ、かわいいぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
尚もヒートアップする大治郎に、さすがに苦しくなってきたのか、連夜がばたばたと身をよじって逃げようとする。
しかし、スキンシップに相当飢えていたのか大治郎は連夜をがっちりホールドしたまま放そうとしない。
「ダイ兄さん、そろそろ放してって・・」
「れんやぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ、すぅぅきぃぃだぁぁぁぁぁぁぁ!」」
「あさっぱらから、やかましいわぁぁぁぁぁこの筋肉だるまぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
キッチンに走りこんできた何者かが、左手に持った真・ナニワハリセンカリバーを大治郎の後頭部に一閃する。
スパーーーーーーーンと、めちゃくちゃナイスな快音を響かせて着地したその人影の後ろを、頭を抱えた大治郎の巨体がごろごろと転がっていく。
「あいたたたたたたたたた」
「あいたたたぢゃないわよ!!連夜を殺す気なの、ダイ!?」
激痛から立ち直れずにいまだ転がり続ける大治郎を睨みつけるのは、美しい金髪をショートカットにした、海のように碧い色をした碧眼の女性。
やや細身ではあるが女性にしては長身で、モデルのようなスタイル、そして、額には大きな第3の美しい目が輝いていた。
そんなわけで十人中十人が振り返るであろう美人であるが、美しいお姫様というよりは麗しい王子様というほうがしっくりくるようなところがあるのは、その漢前な性格のせいなのであろう。
「あ〜、助かった。ありがとう、み〜ちゃん。そして、おはよう」
「おはよう、連夜。無事でよかった」
苦笑しながら礼を言う連夜に、外では見せない女性としてのというか、優しい姉としての表情を向ける彼女こそ、宿難家の長姉 ミネルヴァ・スクナー。
連夜の3つ年上で、家からちょっと離れた都心近くにある都市立大学の2年生。
「大丈夫?けがとかしなかった?」
「うん、大丈夫、大丈夫」
「そう、それはよかった・・じゃあ、はい」
「はいって・・・なに、やってるのみ〜ちゃん・・」
呆れたような連夜の視線の先には、両手を広げた姉の姿が。
「え、何って・・お早うのハグは?」
「・・・お味噌汁いれるね・・」
「ちょ、待って、連夜!!姉弟の愛のスキンシップは!?最近ずっとしてくれないじゃない!!それともなに、もう姉とは汚らしくてハグできないっていうことなの!?」
「もう・・それ、ダイ兄さんがさっき言ってたこととほとんど同じなんだけど・・」
「そんなの関係ないわよ!!ってか、こんなゴミの言うことは聞かなくていいのよ!!それともあれ?反
抗期なの?お姉ちゃんなんか大っきらいってやつ!?」
すごい哀しそうな目でこちらを見る姉の姿を、あんたもあんたがゴミ呼ばわりしてる人とおんなじじゃんみたいな目で眺めていた連夜だったが、溜息ひとつつくと、あきらめたように姉の緩やかに膨らんだ胸に抱きついた。
「はいはい、もう・・これでいいの?」
「連夜・・ほんとかわいい・・」
胸の中の小柄な弟をうっとりと見つめるミネルヴァ。
しばらくよしよしと弟の頭を撫ぜていたミネルヴァだったが、だんだんその碧眼に妖しい光が宿ってくる。
「かわいい・・かわいすぎる・・ってか、血がつながってさえいなければ・・」
「え、ちょ、み〜ちゃん?もしもし?」
「連夜・・」
「なに?ってか、顔近い!もう、すっごい近い!!」
「ちゅ〜していい?」
「へ、ちょ、ちょっとぉぉぉ、だめだめだめだめ!!」
タコのように唇をすぼめて顔を近づけてくる姉を必死で押しのけようとする連夜だったが、女性とは思えぬ予想以上の力でホールドされてしまっており逃げるに逃げれない。
無念、ここまでかと連夜が覚悟を決めた、そのとき、猛然とミネルヴァに迫る一つの影が。
「ちぇすとぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ダメージからようやく回復した大治郎が、両手に正眼に構えたエメラルドハリセンフロウジョンをミネルヴァの横っ面に叩き込む。
バシーーーーンと、もう聞くだけですっごい痛くてたまらない打撃音を響かせてバシッとポーズを決める大治郎の後ろを、右頬を抑えたミネルヴァの細身がごろごろと転がっていく。
「いたたたたたたたたたたたた!!」
「いたたたたぢゃないわ!!ミネルヴァ 貴様、実の弟に懸想するとは何事か!!恥を知れ、恥を!!」
雪山の頂上から下界を見下ろすかのような厳しい眼差しで、床を転げまわる妹を睨みつける大治郎。
そんな上の兄姉の様子を、呆れ果てたように見つめていた連夜は、大きく大きく深く深くため息をつくのだった。
「もう、ご飯入れるから、二人ともいい加減で席についてね・・」
「「は〜い」」
連夜は、棚から兄と姉のお椀を出してくると、まず長ネギと豆腐の味噌汁を入れてわたし、ついで、茶碗にごはんをよそって二人の目の前に置くのだった。
「サンマは塩焼きにしてるけど一応ポン酢かけて大根おろしと一緒に食べてね」
「うむ・・いただきます」
「相変わらず、連夜は料理が上手いなあ・・血がつながってなければ絶対お婿さんにして大事にするのに・・」
「まだ言うか、この色情狂め・・いや、しかし、ほんとに旨い。連夜、いつもありがとうな」
「ううん、二人ともご飯おかわりしてね」
もりもりと自分が作った朝食をたいらげていく二人の姿をうれしそうに見つめながら、連夜は横で弁当を作っている父親のほうに目線を向けた。
するとそこには、目にも鮮やかな色とりどりのサンドイッチとクラブサンドが。
「うわ、久しぶりにお父さんのミックスサンドですね」
「うん、まあね、簡単なものでごめんね」
「いやいやいや、サンドイッチといってもお父さんが作ると中身が豪華だもん。僕が作ると、レタスとかハムとかありきたりなんだもんなあ」
連夜の言葉通り、小さなバスケットケースに詰められたサンドイッチの具は、タンドリーチキンやら、トンカツやら、アボガドやら、フルーツ各種やら、かなり華やかになっていた。
「これならスカサハも喜ぶなあ・・って、あれ、そういえばまだスカサハまだ起きてきてないよね・・」
時間を見ると現在7時30分。
まだ余裕はあるが、そろそろ起こしにいかないといけないかもしれない。
おかわりと、同時に空の茶碗を差し出してきて、俺が先だ、とか、ひっこめ肉だるまとか醜い争いをしている兄姉の相手を父親に任せて呼びに行こうかと連夜が体を動かしかけたそのとき、チェックのブレザーにスカート、赤い棒ネクタイの都立中学の制服を着た美少女がキッチンに入ってきた。
「おはようございます、連夜お兄様」
流れるようなロングヘアーの銀髪、ルビーのように輝く赤い瞳、抜けるような白い肌。
音楽のような涼やかな声と、お姫様のような奇麗な一礼で、連夜に朝の挨拶をしたその少女は、そのまま、連夜の体に飛び込んだ。
「おっとと、お早う、スカサハ。今日も吃驚するくらいかわいいね」
「えへへ、そうですか。お兄様にほめられるとうれしいです」
まるで仔猫のように連夜にじゃれつくこの人物は、連夜の二つ下の妹で、宿難家の末妹 スカサハ・M・スクナー。
血がつながってるとは到底思えないような、儚くも美しい姿をしたこの妹は、美しいだけでなく、スポーツ万能、成績優秀、中学校では生徒会長まで務めている超エリート。
かっこいいという言葉が似合う美しさを持つ姉とは対照的に、かわいいという言葉が素直に似合うお姫様のような少女。
それがスカサハという少女だった。
ある一面をのぞけばだが・・
「お兄様・・スカサハは・・お兄様とずっとこうしていたい・・」
「いや、でもね、そろそろご飯食べて、学校行く用意しないといけないと思うんだけど」
連夜にしっかりと抱きついた状態から上目づかいで熱っぽく兄を見つめ続ける妹に、困惑しつつも強くでれない兄バカの連夜。
そんな二人の様子を物凄く面白くなさそうに見つめていた上の二人は・・
「をい、連夜、そこの二重人格はほっといて、飯いれてくれ」
「そうそう、何がお兄様だ・・気持ち悪いっての」
「あ、いや、ちょっと二人とも・・」
実の妹に向かって暴言を垂れ流す上の二人をたしなめようとした連夜だったが、凄まじい殺気を近くから感じておもわずびくっと身体をすくませる。
殺気の発生源をきょろきょろと探してみると、さっきまで自分をみつめていた妹が、目の前で朝食を食べている二人の兄姉に視線を移しているのがわかった。
完全に視線だけで人を殺せそうなオーラをにじませながら・・
「す、スカサハ?あの、と、とりあえず、ご飯にしよっか、いまお味噌汁とご飯いれるし、ね?」
「あ〜、悪い、俺、間違えてスカサハのサンマ食っちゃった。」
「あら、卵焼きなくなっちゃったわ。ごめんごめん。あ、ホウレンソウならあるから」
なんとか場の空気を変えようとする連夜の努力をぶち壊しにする反省の欠片もない、誰が聞いても上辺だけとわかる謝罪の言葉をいけしゃ〜しゃ〜とのたまった上二人。
そのとき、連夜の耳に『ぶちっ』という誰かの堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた。
連夜からふらりと離れたスカサハは幽鬼のように兄姉のほうに一歩踏み出した。
「おまえらなにさらしてくれとんじゃ〜・・おお?わしに喧嘩うっとるんかのう〜? わしのことなめとったらのう・・ぶち地獄みせたるさかいのぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
さっきまでのフランス人形のような美しく気高い表情から一変、まるで『仁義なき戦○い 広島激○編』の菅原 文○のようなキレた狂犬のような表情で啖呵を切ったスカサハの銀髪が、みるまに無数の蛇の群れへと変わる。
そして、のんびりと椅子にすわってお茶をすすっていた二人に襲いかかった。
「ふむ・・この長兄に喧嘩を挑むその心意気はよし・・しかし!!まだまだ甘い!!」
「やれやれ、精神修行がなってないねえ・・生徒会長様だなんだと持ち上げられている割に、おこちゃまということかな」
妹の攻撃を余裕を持ってかわした二人はすかさず態勢を整えて戦闘モードに入り、壮絶な兄妹喧嘩が幕をあげる。
「ちょ、みんな、やめてやめて!!ダイ兄さん茶碗投げちゃだめ!!み〜ちゃん、お箸を武器にしちゃだめ!!スカサハ、学生服汚れちゃうよ、やめなさい!!」
慌てながらも3人の間に入って喧嘩を止めようとするのだが、連夜以外のメンツはみな武芸の達人。
連夜だけは傷つけないように無駄に超絶的な技術をふるって喧嘩を続行し続ける。
そんな茶碗やお箸や湯飲みや皿がばんばん飛び交う中を、あっちにおろおろ〜、こっちにおろおろ〜と、頼りなくふらふらする連夜。
「喧嘩しちゃだめだよ〜・・みんな仲良くしようよ〜・・あれ?」
連夜がふらふら、ふらふらしているうちにいつのまにか、3人とも喧嘩をやめていることに気がついた。
それどころか、なんだか居た堪れなくなるくらい暖かい眼差しで見つめられていたりして非常に居心地が悪くなっていたりする。
「あ、あの・・みんな?」
「連夜のおろおろする姿はいつ見てもかわいいなあ・・」
「ほんとあれは凶悪にかわいいわよねえ・・」
「お兄様、かわいすぎます・・なんか生まれたばかりの子犬がぷるぷるしている姿みたいで抱きしめたくなります。」
連夜を除く兄弟達の中に妙な連帯感が生まれていた。
そんな兄弟たちをジト目で見つめて、なんとなく釈然としない気持ちを残しながらも、連夜はため息一つついて部屋の後片付けをはじめた。
「もう、ほんとに・・暴れるだけ暴れて、結局後片付けは僕なんだから」
「はいはい、お母さんも手伝ってあげますよ」
飛び散らかった皿や茶碗を拾っていると、妙齢の女性と思われる声が聞こえてきて、連夜が声のしたほうに目を向けるとそこには妹スカサハを成長させたような人物が。
「あ、お母さん。おはよう、今日ははやいね」
「おはよう、レンちゃん。今日はちょっと中央庁で早朝会議があるのですよ」
あでやかな薔薇のような大人の笑みを連夜に向ける連夜の母親は、深い紅色のビジネススーツの上からでもわかる、抜群のスタイルの持ち主。
はっきりいって、出るところは物凄いでてるのに、しまってるところはむちゃくちゃしまってて、あふれ出ている色気が尋常ではない。
しかし、そのなんとも言えない気高いオーラのようなものがそれを淫らなものではなく、女性の清廉な魅力へと昇華させていて不思議と見る者をいやらしい気分にさせない雰囲気をまとっていた。
そんな母親は連夜と一緒にテキパキと後片付けをしてしまうと、茶碗や湯飲みを洗い出した連夜の横に立って、彼の父親と同じように連夜の頭をわしゃわしゃと撫ぜた。
「ほんと、レンちゃんはいい子ね〜。若いころの旦那様そっくり」
「いやいや、僕は連夜くんほどかわいくなかったですよ。奥さん、おはようございます」
「あら、旦那様、おはようございます」
連夜の背後で自然と当り前のように抱き合って、おはようのキスをするバカップル二人。
「すいません、人が働いている背後でらぶし〜ん演じるのはやめてください」
「あらやだ、レンちゃんもお母さんと朝のキッスする?」
「謹んでご遠慮させていただきます。それよりもお母さん、ご飯食べちゃってくださいね、スカサハも食べてね、サンマは僕の分あげるから」
息子のそっけない返事に、少なからず傷ついた表情を浮かべた母親を、父親がよしよしと慰めて、ダイニングテーブルへ座らせる。
母親の座った対面の席では、早くも味噌汁に手をつけていたスカサハが、サンマをめぐって兄とちょっとした問答を繰り広げている。
「そんな、それはお兄様の分ではないですか」
「ううん、僕はお父さんが作ってくれていたサンドイッチの材料のあまりものとかつまんでいたからそれほどお腹すいてないんだよね。それよりも、スカサハは今日は午前中体育の授業がある日でしょ、食べておかないと」
「お兄様・・」
上のガサツな二人と違い、細やかな配慮を忘れない連夜のことが大好きでたまらないスカサハは、結局素直に連夜の言うことを聞いてサンマをもらって食べるのだった。
「さてと、ダイ兄さん」
「なんだ? 連夜」
キッチンから南に位置するリビングにあるソファで新聞を広げている兄に声をかけた連夜は、パタパタと手に鞄らしきものを持って兄の側に行く。
「これ、渡しておくね」
「む、これは」
「畑で採れた薬草をお父さんに手伝ってもらって調合しておいたの。兄さんに説明は必要ないかもしれないけど、一応バッグの中身の説明しておくね」
そういって連夜は鞄の中から手のひらに乗るくらいの小さな薬瓶を次々と取り出し、リビングのテーブルの上に大治郎に見えるように並べていく。
「中身が緑色の薬が『回復薬』簡単な切り傷の回復とか用ね、かなり深い傷になると一本じゃ治らないかもしれないし、骨折とかには効かないから注意して。これが10本。中身が青色の薬が『治療薬』主に病気とか身体の部分的な麻痺とかを回復できるよ。ただし、病気よりも恐ろしい疫病や、身体全体を麻痺させる石化になると回復できないから注意してね。これも10本。中身が赤色の薬が『快方薬』主に疲労を回復してくれるから強行軍のあととかに飲むといいよ。ただし、連続で服用しないでね、飲みすぎると逆に反動で3日くらい疲労が回復しなくなったりするから。1日2本くらいが限界だと思っておいて。これも10本ね。中身が白色に光ってる薬、これは『神秘薬』かなり深い傷でも骨折でも治る強力な『回復薬』。死ぬ寸前でもなければ大概の傷は治せると思ってもらっていいよ。ただしこれ2本しかないから気をつけて使ってね。本当はもっと作りたいのだけど、材料になるイドウィンのリンゴって物凄い栽培が難しくて・・ごめんね。中身が黒色にくすんでいる薬が『特効薬』、色はひどいけど疫病でも石化でも治せるよ。この薬のすごいところは飲む必要はないってこと。身体のどこでもいいから振りかけるだけで効果でるから。ただし、これは1本だけ。実はこれ『神酒』がないと調合できないんだけど、最近ほら、アルカディアとの交易が『害獣』のせいで断絶してるじゃない。『神酒』ってあそこの特産品だから、手に入らなくて・・なんとか一本分だけ確保したんだよね。だからこれも使いどころには注意してね。ほんとにごめんね、もっと用意できたらよかったんだけど」
申し訳なさそうに謝ってくる出来すぎた弟に、ダイは無言で首を横に振る。
「連夜、十分だ。十分すぎるほどだ。いつも苦労かけてすまんな、ありがとう」
いつも傷だらけで帰ってくる自分を心配して、恐らく寝る間もおしんで作ってくれたに違いない。
そう思うと不覚にも目頭が熱くなってしまって、これ以上何も言えなくなってしまう大治郎だった。
そんな大治郎の心境を知ってか知らずか、出した薬瓶を再び丁寧に鞄になおすと、その鞄をそっと兄の膝の上に載せる。
「僕、これくらいしかできないけど・・なるべく気をつけていってきてね」
「連夜・・」
本当に真剣に自分のことを心配してくれる家族がいるというものが、どれだけ大事で大切かということをあらためて噛みしめながら手渡された鞄を握りしめる大治郎であった。
ただ、さっきから真剣に殺してやると見つめてくる2つの殺意の視線の主も、自分の家族であるという事実だけは考えないようにしてはいたが。
「・・死ねばいいのに・・筋肉だるまめ・・」
「・・お兄様に憐れまれてるだけとそろそろ気づいてほしいですわ・・」
連夜には聞こえないように、だが、大治郎にはしっかり聞こえるような声でささやく2匹の鬼。
「・・貴様ら、そんなに三途の川が見たいか・・」
温まる兄弟の絆の場面が、いつのまにか空気すら凍らせそうな冷たい修羅場の様相に・・
またもや一触即発の空気になっていることを察した連夜が、あわわと止めるべく慌て始めたが。
「はいはい、みんな、レンちゃん早朝争奪バトルロイヤルの時間はありませんよ〜、もう学校に行く時間ですからね〜」
いつのまにか朝食を終えていた母親が、絶妙なタイミングでぱんぱんと手をうって第二次兄弟大戦に移るのをやめさせる。
「あ、もうそんな時間なのか」
「連夜くん、洗い物は僕がやっておきますから、学校にいってください」
「ありがとう、お父さん。じゃあ、スカサハ途中まで一緒に行こうか」
「はい、お供いたしますわ」
弁当を手渡してくる父親に礼を言いながら、すでに学校に行く用意をしている妹のほうに振り替える。
愛用のひよこのエプロンを外し、あらかじめ持ってきておいた紺色のブレザーを着こんで学校の教科書などが入ったリュックを背負うと、連夜は元気よく玄関へと向かった。
「じゃあ、お父さん、お母さん、ダイ兄さん、み〜ちゃん、行ってきます!!」
「「「「いってらっしゃ〜い」」」」
家族に見送られて、今日も高校生連夜の一日が始まる。
※ここより掲載しているのは本編のメインヒロインである霊狐族の女性 玉藻を主人公とした番外編で、本編の第1話から2年後のお話となります。
特に読み飛ばしてもらっても作品を読んで頂く上で支障は全くございません。
あくまでも『おまけ』ということで一つよろしくお願いいたします。
おまけ劇場
【恋する狐の華麗なる日常】
その2
うちの旦那様は、家族や友達といったものを非常に大事にする性格をしている。
中でも家族に対する思い入れはとても強く特別なものがあり、お義父様やお義母様に対しては勿論のこと、兄姉妹に対して寄せるその愛情も深く、私は何度もその絆の深さをこの目で目撃している。
いや、旦那様が一番愛情を注いでくれているのは紛れもなく私であることはよ~くわかっている。
私と結婚して籍を入れるまえ、まだ恋人同士でしかなかったころから旦那様は非常に私を大事にしてくれている。
正直、もし仮に旦那様が私を今ここで裏切ったとしても文句が言えないくらい私は旦那様から有形無形問わず様々なものを与えられてきた。
一生かけても返し切れるかどうか、非常に微妙なところであるが、ともかく、ただでさえ大事にしている友人、家族以上に、私のことは更に特別大事にしてくださっている。
が!!
それでも満足できない私がいる。
いや、全然旦那様は悪くないのよ、旦那様の方に私からこんな文句言われるような理由はこれっぽっちもないの、むしろ間違いなく一方的に私が悪いの。
よ~くわかっているのよ、自分でも。
でもね、満足できないの、旦那様の愛情がちょっとでも他に向けられるのが嫌なの、むちゃくちゃ嫌なのよ、一人占めしておきたいのよ、誰にも渡したくないのよ。
当たり前だけど、私浮気は許さないわよ、そんなことになったら相手の『女』はありとあらゆる手段を使って地獄に落とすし、愛する旦那様だってただでは済まさない。
と、言ってもうちの旦那様は、ほんとにほんとに私一筋なので、浮気とか愛人とかそういう方面に関しては全然心配してないの。
そこに関してだけは私、世界でただ1人の『女』として認められて愛されているという絶大な自信があるからね。
え、なんでそんなに自信満々なのかって?
いや、だってその、毎日毎日その・・もうこっちが恥ずかしくなるくらいストレートに自分の気持ちとかいろいろとぶつけてきてくださるから、愛おしくて愛おしくて。
あの調子で他に『女』作っているっていうんだったら、流石の私も諦めるけど、それはないわよ、いくらなんでも。
ともかく、『女』として『恋人』として『妻』として愛されているという実感は、完全に掴んでいるのでそこはいいの、そこじゃないのよ。
で、冒頭にもどるんだけど、問題は『家族』とか『友人』の類。
うちの旦那様、あのかわいらしい外見からは信じられないくらい、一旦敵と認定した相手には恐ろしいくらいに冷徹で無情な性格になるんだけど、その逆に、一旦味方、身内と定めてしまうと、もうめちゃくちゃ甘いの、優しいの。
そこまで優しくしないでいいのに、っていうくらい極甘な性格なのよねえ。
旦那様のそういうところ、嫌いじゃないのよ、むしろ好き、大好き。
優しい旦那様がほんとにほんとに大好きで愛している私なんだけど、その優しさをほんのちょっとも他の誰かに渡したくなくてついつい暴走しちゃうのよ。
今日もやっちゃったのよねえ・・
大学での授業を終えて、都市中心部から少し離れたところ、普通念車で5駅目、快速念車で1駅目の場所にある閑静な住宅街の一角にある平屋の一軒家、私達夫婦のスイートホームに戻ってきた私は、玄関の扉を開けて家の中に入って行ったんだけどちょっといつもと様子が違うことに気がついた。
いつもだったら、先に家に帰っていていろいろと家の用事をしている旦那様が、私の帰宅に気がついて温かい笑みを浮かべながら『おかえりなさい』と声をかけてくれるのだけど、今日はなぜだがそれがない。
まだ畑仕事から戻ってないのかなと思って玄関を改めて確認してみると、旦那様愛用の蒼い防水スニーカーがきちんと揃えて置かれていた。
と、いうことは家には戻っておられるはずなんだけど・・
そう思って中に入っていくと、何やら嬉しそうな旦那様の声が。
当たり前だけどその優しさにあふれた声は私以外の誰かに向けられていて、それに気がついた私の怒りと苛立ちのボルテージが一気に跳ね上がっていく。
声が聞こえてくる台所のほうに足音を忍ばせてそっと近寄って行って、扉の影から中を覗き込む。
すると旦那様はテーブルの上にコードレス念話の子機をテーブルの中央に置きスピーカーホンの状態にしておいて、自分は台所周りを忙しく掃除しながら、念話機の向こうの誰かと話をしているようだった。
「そう・・今回は怪我人がそれほど出なかったんだね。よかった。でも、兄さんは怪我とかしてない? 大丈夫?」
『ああ、まあ多少やられたが、おまえに作ってもらった『神秘薬』をはじめとする『回復薬』一式があるしな。そう簡単にはやられはせんよ』
「あまり無理しないでね。重傷であっても治すことができる『神秘薬』だけど、即死になるような傷は治せないし、そうでなくても欠損した肉体も治せないんだから・・腕や足がもげた兄さんの姿は見たくないよ・・」
『うむ、気をつける。いつも心配かけてしまって、ごめんな、連夜』
心の底から心配しているという不安そうな表情を浮かべながらも、聞いているだけで癒されるような温かい言葉を紡ぐ旦那様に、念話口の向こうにいる『人』物の口調が益々甘くなっていく。
どうやら、旦那様の話相手は、旦那様の実兄でこの城砦都市『嶺斬泊』どころか、近隣の都市群にその名を轟かしている屈指の剣豪 宿難 大治郎さんのようだった。
大治郎さんは、人間族の旦那様とは全く違った容姿をしている。
雄々しい獅子の頭に、190cmを越える堂々たる肉体、獣人には違いないのだが、その種族は正確には不明。
実年齢以上に若くかわいらしく見える旦那様と対照的に、まだ26歳という若さでありながら異形な容姿に異様な貫禄を持つ野武士のような大治郎さん。
血がつながっているというのにお2人の姿、種族がなぜ全く違うのかというと、その秘密はお義母様にある。
お義母様は現在ほぼ絶滅に近い状態にある『魔王』という特殊な種族でいらっしゃるわけだけど、中でもお義母様のタイプである『エキドナ』の名を持つ『魔王』は自分とは姿形が違うものの、自分以上に強力な力を持つ次代の『魔王』を生み出す力を持っていらっしゃるらしいのよね。
そのせいか宿難家の兄弟姉妹は全員外見がバラバラ。
いや、みんな、お義父様とお義母様の血のつながった子供なのよ、間違いなく。
でもねえ、かくいう私もそうだったから大きな声で言えないんだけど、兄弟にみられないらしいのよねえ・・まあ、お義母様も自分の素性隠していらっしゃるから、あれだけ外見違ったら兄弟ってわからないわよねえ。
大治郎さんは城砦都市『嶺斬泊』が存在している北部地域周辺の都市群の中では最強と目されている『害獣』狩り専門の傭兵旅団『暁の咆哮』の副団長を務めていらっしゃる方。
数年前に『人』の力で倒すのは至難の業と言われていた『貴族』クラスの『害獣』を討伐して見せたことで一躍その名を広めた超実力者で、『害獣』ハンターを目指す者達にとってはまさに雲の上の憧れの『人』。
質実剛健、豪放磊落、公明正大、強いばかりではなく『人』としても非常に優れている・・のだが。
私はこの『人』がど~しても好きになれないのである。
え、なんでだって? 愛する旦那様のお義兄様なんだから、大事じゃないのかって?
確かにそうなのよ、そうなんだけどさあ・・だって・・だって大治郎さんて・・
めちゃくちゃ重症なブラコンなんだもん!!
もうね、旦那様のことを小さい頃から舐めるように可愛がっていたらしいんだけど・・旦那様って来年には成人式なのよ!? それどころか結婚までしているっていうのに!!
大治郎さんて、別に同性愛者じゃないし、旦那様のことを恋愛対象としてみているわけじゃないってことはわかっているのよ。
ちゃんと婚約者がいるし、しかもそれ以外にも怪しいと思われる関係の女性の姿もちらほらといらっしゃったりするんだけど・・まあ、英雄色を好むだから仕方ないわよね・・それなのに、遠征からもどってくると必ずうちの旦那様を呼び出して一緒に過ごそうとするのよ!!
なんでよ!? 恋人とか、婚約者とか、愛人とか、他にいろいろいるんだから、そっちに目を向けてね!!
うちの旦那様は私のモノなのよ、ううん、私だけのモノなのよ、少なくともこのスイートホームの中でくらいは私だけのモノでいてほしいのよ!!
なのに、なのに、私の聖域に土足で入って来るような真似をするとは・・
悔しさにギリギリと歯ぎしりをしていると、私の目の前で賊の要求はさらにエスカレートしていく。
『ところで連夜、たまには家に帰って来いよ。声だけというのもなんだか寂しくてな・・』
「結構小まめに顔は出しているんだけどね。まあ、兄さんは留守のことが多いから入れ違いになることが多いのは確かだけど」
『次の遠征までにはしばらく時間があってな、今月いっぱいは『嶺斬泊』にいることになるから、できるだけ暇を見つけて顔を出してくれ。たまにはおまえの手料理が食いたいし、マッサージもしてほしい』
な、なんだとおおおおおっ!?
イケシャアシャアと何ぬかしとんじゃ、このブラコンライオンめ!!
「もう~、兄さんたら。ラヴレスさんのところにちゃんと顔を出しているの? 家には帰るけどラヴレスさんのところにも行かなきゃだめだよ。婚約してるんでしょ? もっと大事にしてほしいって、ラヴレスさん泣いていたよ」
そうだ、そうだ!! うちの旦那様に甘えてないであんたの恋人に甘えればいいじゃないか!!
『うん、まあそうなんだけどな。だけどさ、どうも『嶺斬泊』に戻ってくるとおまえの顔を見ないうちは落ち着かなくてさ。そう言わずに来てくれると嬉しい』
「はあ~~・・じゃあ、近いうちに行くから、そのあとちゃんとラヴレスさんのところに行ってね。約束だよ?」
『やった~~、じゃあ、早速明日にでも・・』
ブチッ!!
堪忍袋の限界点を越えてしまった私は、台所にズンズンと入っていくと、テーブルの上に置かれたコードレス念話の子機をむんずと掴み、呆気に取られて固まっている旦那様の目の前で、力一杯壁にめがけて投げつける。
コードレス子機から何やら大治郎さんの声が聞こえてきたようだったけど、次の瞬間には壁に激突して粉々に砕けて散り、台所をしばし重苦しい静寂が支配する。
私は未だに呆然としている旦那様のほうにくるりと身体を向けると、無言のまま近づいていく。
「た、玉藻さん、帰っていらしたんですね、おかえりなさい。あの・・何か怒っていらっしゃ・・むぐっ!?」
近づいてくる私に気がついて、心配しているようなそれでいてどこか不安そうな表情で声をかけていらした旦那様だったけど、私はそれを完璧に無視して強引に旦那様の華奢な身体を抱き寄せると、その男性とは思えない柔らかい唇に自分の唇を重ねて何もしゃべれないように塞いでしまう。
だってだって、今口を開くと涙がこぼれて喚き散らしてしまいそうだったんだもの。
自分でもくだらなくてみっともないやきもちだってことはよくわかってるの。
相手は旦那様の実のお兄様で、別に取って食われるとか、私から旦那様を奪うつもりだとか、そういうことは一切ないってことはよくわかっているのよ。
旦那様がお兄様に優しい表情を浮かべたり声をかけるのも、いつも危険な場所に身を置いているお兄様の身を案じてのことで他意はないってこともよくわかってる。
頭ではわかってるの。
でも気持はどうしても納得できないのよ!!
もう自分ではどうすることもできないし、止まらない、私は旦那様の身体を強引にフローリングの上に押し倒す。
旦那様はほんの少し抵抗する素振りを見せたけど、すぐにその力を抜いて私のされるがままになった。
私はそれをいいことに旦那様の身体をしたい放題に蹂躙し始める。
冷静な時の自分自身だったら絶対にしないような乱暴極まりない最低な扱いだったけど、それでも旦那様は怒りだしたりせず、ただ優しい瞳でじっと私を見つめ、私の荒れ狂う想いを静かに受け止め続けてくれた。
陽がすっかり暮れてしまい、台所の窓からはぼんやりとした月の光が差し込むようになったころ、ようやく気持ちがすっきりした私。
でも気持はすっきりしたけれど、冷静になってくると自分が行ったあまりにも破廉恥な所業の数々に、自己嫌悪の底なし沼にずぶずぶと沈みこんでいく。
「あ~、ほんと最低・・私、本当に最低だわ」
自分でも涙声になっているとわかっているんだけど、呟かずにいられなくて甘ったれた泣き声をついつい声出してしまう。
これだけ理不尽なことをしたんだもの、当然旦那様だって激怒してるはず・・流石の私も覚悟を決めて甘んじて怒りを受けようと思ったけど、やっぱり旦那様は旦那様なのよねえ。
あれだけ私に責め抜かれてかなり疲れているはずなのにむっくりと起き上がった旦那様は、落ち込んで体育座りしている私の身体をその華奢な身体に似合わない腕力で軽々と、でも乱暴にならないように壊れ物を扱うようにそっとお姫様抱っこすると、私をお風呂場に連れていって風呂場の洗い場に静かに下ろす。
そして、汗とか涙とか、あとまあいろいろと汚れてしまっている私の身体を黙って、でも物凄く優しい手つきで丁寧に洗いはじめたわ。
その間、何も言わないの、ただ優しい瞳でじっと私のことを見つめて洗い続けてくれる。
「・・本当は、怒っているんでしょ?」
旦那様に背中を見せたまま、半分すねてそう聞いてみる。
でも、旦那様は私の身体を石鹸をよく泡立てたタオルでごしごしと洗いながら、穏やかな表情でゆっくりと首を横に振って見せる。
「怒ってないですよ」
「本当は怒ってるくせに・・我慢せずに気が済むまで怒鳴ってなじればいいじゃないですか」
もう、自分でも本当に本当にかわいくないったら、自分が完全に悪いのにまるで旦那様が悪いみたいな言い方しちゃって最悪よね、私。
あ~、でもほんとに嫌われたらどうしよう。
それだけは嫌だ、怒られるのは仕方ないけど、嫌われるのは絶対嫌だ!!
そう思ってちょっと振り返り、背中を流してくれている旦那様の顔を盗み見る。
だけど、やっぱり怒ったような感じは全くなくて、いつも以上に優しさの溢れる穏やかな表情を浮かべて私を見返してくる。
その顔を見ているとなんだか本当に心から申し訳なくなってきて、更にしおしおと項垂れた私は聞こえるか聞こえないかくらいの声で謝る。
「・・ごめんなさい」
「玉藻さん、お願いだからそんなに落ち込まないでください。僕、本当に怒ってないですよ。確かにいきなりだったから、ちょっとびっくりはしましたけどね」
シャワーを使って泡だらけになった私の身体を奇麗に流してくれながら、困ったように私を見つめる旦那様。
「本当に怒ってませんか?」
「怒ってないですよ。それよりも僕は、玉藻さんが悲しそうな顔をされていたのがずっと気になっていました。僕、何か玉藻さんを傷つけるようなことをやっちゃったんですね。本当にごめんなさい玉藻さん」
おどおどともう一度問いかけてみた私だったけど、旦那様はやっぱり包み込むような穏やかで優しい雰囲気のまま私を見つめ返してくれる。
それどころか自分のせいだと言って、頭すら下げてくるのだ。
私は慌てて旦那様の顔をあげさせる。
「や、やめてください、悪いのは私なんですから!! その・・ちょっと旦那様をお兄様に取られたみたいでくやしくて・・八つ当たりしちゃったんです・・」
「そうでしたか・・でも、僕が愛しているのは玉藻さんだけですよ」
「うん・・知ってます」
「僕は玉藻さんのモノでしょ?」
「うん・・それも知ってます」
「確認できましたか?」
「うん・・さっき、しっかり確認しました」
「玉藻さん」
「はい」
「愛しています。ずっと愛していていいですよね?」
話しながら風呂場の外に私を連れ出した旦那様は、ふかふかのタオルを取り出して私の身体を丁寧に拭きつつ、まっすぐに私の目を見つめて問いかけてくる。
真剣だけど優しくてあったかくて心地よい黒い瞳の光。
その瞳と優しい声が紡ぎ出す真摯な言葉の響きに、物凄く切なくなってきて顔をふにゃと歪ませた私は、旦那様にむしゃぶりつくように抱きついてわんわん泣きじゃくった。
「ごめ・・ごめんなさい、旦那様。私も愛してますから、ずっとずっと愛し続けてください!!」
「はい」
外見は小柄で華奢なんだけど、中身は鍛え抜かれて鞭のようなしなやかな筋肉で包まれているその男らしい身体で私をしっかり抱きしめてくれながら、旦那様は優しく私の背中を撫ぜ続けてくれた。
本当に旦那様って優しい!!
そろそろいい加減本気で反省しなきゃ。
私がやきもちやくたびに、ボロボロになっていっちゃうんじゃ、旦那様がいくらなんでもかわいそうすぎる・・って、でも、やっぱり他の『人』にこの優しさをあげたくない!!
まだまだ『人』ができてない私、やっぱりこれからもやきもちやいて困らせちゃうんだろうなあ。
ごめんね、旦那様。
しばらくはこんな我儘な私だけど、いつか必ず落ち着いて寛容な妻になるから、許してね、捨てたりしないでね。
その想いを口に出してみると、旦那様はやっぱり優しい笑顔で頷いてくれた。
「大丈夫。だって、僕はそんな玉藻さんも大好きですもの」
ありがと、旦那様。
私も・・私も大好き。
あ、そうだ、言い忘れていたことがあった。
大治郎さんのことだけど・・結局、旦那様は翌日実家にもどられたわ。
言いたくないけど、あのブラコンのお兄様に会うためにね。
え? よく私が我慢できたなって?
できるわけないじゃない!! できないから私も一緒について行ったのよ!!
そうそう勝手にさせてたまるもんですか!! 旦那様は私のモノなのよ!! 以前は違ったかもしれないけど、今は完全に私の、私だけのモノなの!!
何がマッサージよ、何が手料理よ!!
うっふっふ、『人』の甘い結婚生活を邪魔する奴がどうなるか思い知らせてやるべく、私は旦那様と旦那様の実家に行くにあたって最終兵器を持参したの。
それは・・
大治郎さんの婚約者 ラヴレス・備前正宗・アイアンスミスさんよ!!
普段からないがしろにされまくってるラヴレスさんに、私は旦那様との念話の内容を全部密告してやったわ。
それを知らない大治郎さんは、目の中に入れても痛くないほどかわいがってる旦那様がやってきたことに無邪気に喜んでいたけど、その旦那様の背後に立ち怒れる『大魔人』になっているラヴレスさんにすぐに気がつくと表情を一気に強張らせ青ざめさせたわ。
しばらく何やら聞き苦しいし見苦しい言い訳をしていたみたいだけど、すぐにラヴレスさんに捕獲されていずこかへと連れていかれてしまった。
おかげでその後お義父様とお義母様が帰っていらっしゃるまで、夫婦水入らずでのんびりいちゃいちゃさせていただきました。
マッサージも、手料理も私のものなんだから、旦那様に関わる全てのモノは私のものなんだから!!
だから、絶対絶対誰にも渡さないんだからね!!