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~第16話 飛翔~

 『特別指定区域』というものが、城砦都市『嶺斬泊』には存在している。


 と、いっても、外壁で取り囲まれた中にある都市主要部にあるわけではない。


 『嶺斬泊』は大河『黄帝江(こうていこう)』の中にこぶのように突き出た陸地に存在するわけであるが、さらにその周囲には、いくつもの島が並んで存在している。


 島というからには当然陸地とつながってはおらず、広大な『黄帝江』の緩やかとはいえ大きな流れの中に存在し、一応船でも渡ることができるが、少ないとはいえ『害獣』の危険性がないわけではないので今では船を使って行き来するものはほとんどいない。


 そんなこの島のそれぞれが、『嶺斬泊』の中央行政部が指定した『特別指定区域』となっており、そこには都市が重要で保護すべきと指定した技術や文化を守っている特殊な守人の一族が住んでいる。

とはいえ、別に外界と接触を絶って住んでいるわけではない。

ちゃんと交通機関は存在している。


 『害獣』から命からがら逃れてきた『人』達は、ここを新たな『人』々の新天地とするにあたって、少しでも居住区域を広げようとした。


 そこで長年地下や鉱山を住処として生活してきた地下道工事のエキスパートであるドワーフ族の全面的協力を仰ぎ、大河『黄帝江』の川底の下に大規模な地下道ネットワークを作りだすことに成功。

そこから周辺の島々へと通じる道を作り出し、地下を走る念車を通すことで、実に快適な生活空間を生み出すことに成功したのである。


 以来、島から都市へはもちろん、都市から島へ行き来する人もそれなりに多い。


 とはいえ、ある程度治安維持の為に、行き来する人々は都市で審査を受けて通った渡島許可証を発行してもらうことのできる人々に限られ、そのため、平日の交通量の少ない時のダイヤは、極端な話通勤通学ラッシュ時の朝と夜だけみたいな時もあり、都市内ほど便利というわけでもない。


 それでもなかなか『外』に出ていくことができない『人』々にとって、これらの島は観光目的にはもってこいの場所であるため、土日はもちろん、大型連休や盆休み、正月など、多くの人でにぎわうことになる。


 さて、そんな島々の中の一つに、玉藻の故郷でもある霊狐の里がある。


 他の島と比べると大きくもなければ小さくもない。


 住んでいるのはほぼ霊狐の一族だけで、島にはいまはほぼ廃れてしまっている東方の狐の神『稲荷』を祭った大きな神社と、広大な薬草、霊草が所狭しと栽培されている畑、そして、様々な丸薬、液状薬が作られている工場がある。


 それ以外に商店らしきものはなく、娯楽施設もなければコンビニもないため、ある意味治安はすこぶるよい。


 いい意味でも悪い意味でも、ど田舎そのものの場所がこの霊狐の里なのだが・・


 玉藻は、実に七年ぶりに、この故郷の地を踏もうとしていた。


 酒盛りのあった翌日の土曜日は二日酔いで動けなかったため、翌日の日曜の午前中に市営地下鉄に飛び乗って、約二時間念車の旅を無事終えて目的の駅『フォックストロット』へ。


 念車の中にいる間、この七年間のことやそれ以前のことをつらつらと思いだし、辛いやら緊張するやら懐かしいやら、とにかく複雑な心境で駅に降り立ったが、変わらぬ故郷を見るとどこかほっとしている自分も感じてる自分がおかしかった。


 あれほど帰るのがいやだったのに、いざ帰ってきてみると目に映る光景が非常に懐かしく、修行をすることになる前の楽しかった日々が思い出せて目頭が熱くなるとは。


「あ〜あ、ほんと私ってなんなんだろうねぇ・・やっぱ連夜くんと一緒に帰ってくればよかったかなぁ・・」


 最近気がついたことだが、心が弱くなってくると、自分はすぐに最愛の恋人である連夜にすがりつきたくなるらしい。


 それだけ連夜を頼りにしているということなのだろうが、頼りっぱなしというのはどうだろうか?


 年上の恋人としても、いずれ姉さん女房へステップアップしないといけない自分としても、もうちょっとしっかりしなくては・・と、思いつつも、なぜか携帯念話の番号を押している自分。


 コール一回で目的の人物は出てくれた。


『はい、連夜です。玉藻さんですか?』


「うん、わたし〜・・」


『どうしました? 何かありましたか?』


「ううん、大丈夫、何もないよ。・・えへへ、連夜くんが心配してくれる声が聞きたかっただけ〜」


 角砂糖十個にメープルシロップ山盛りかけていそうな、年下の恋人の甘い声にもう幸せいっぱいで顔面土砂崩れ状態の玉藻。


 だが、すぐに携帯から雑音が聞こえ始め、自分がどこにいるか思い出して舌打ちをする。


「ごめん、連夜くん、ここ携帯ほとんどつながらないんだった、また帰りに連絡するね」


『ちょ、玉藻さん、僕ちょうどお話したいこと・・い・・ま・どこ・ザ・・ザザーーー・・』


 折角もうちょっと元気づけてもらおうと思ったのに、すぐに念波が悪くなって回復しないこの島の念波状況の悪さに、強烈な舌打ちをして顔をしかめる玉藻。


「ったく・・いい加減ここにもアンテナ立てなさいよねぇ・・」


 そう一人呟いて大きく溜息をつくと、玉藻はプラットホームの階段を上がって二階にある改札口を通り、そこからさらに下に降りる階段を通って外にでると、実家がある稲荷神社に向かって歩きだした。


 休日と言えど、この神社にお参りにくる人はほとんどいないので、人通りはほとんどない。


 ここに来るのは薬草や霊草、あるいはそれらを使って生成された薬品の買いつけに来る業者や企業の関係者ばかりだ。


 昔ながらの田舎道をとぼとぼと歩いて行く。


 修行を開始する前は、よくこの田舎道を走りまわって遊んだもので、今も変わらぬこの道を歩いているとその在りし日の思い出がよみがえってきて、我知らず目頭が熱くなる。


 と、感慨に浸っていると、途中、明らかに他種族と思われるカップルとすれ違った。


 まあ、企業の関係者が来るわけなので、サラリーマン、あるいはキャリアウーマン風の姿の他種族の人達が通ることは珍しくないが、今すれ違ったカップルは明らかにここら辺ではみかけない服装をしていた。


 一人は背の高い女性で、美しく流れるようなロングの銀髪を持ち、グラスの大きなサングラスで隠した顔ははっきりと判別できなかったが、ビシッと決めた漆黒のビジネススーツの上からでもはっきりわかるめちゃくちゃメリハリの効いたダイナマイトボディで、恐らく相当な美女であると思われた。


 と、いうかどこかで見たような感じもするのだが・・


 もう一人は、薄いブルーのジージャンを肘の上まで袖まくりし、下は洗いざらしのジーパン、中肉中背、短めの髪に、温和な表情の青年で、どこから見ても普通の一般人だったが、唯一玉藻が気になったのはその腕で、肘から掌のあたりまですっぽりと覆う、真っ黒な何かの金属でできていると思われる手甲をはめていた。


 二人は和やかに談笑しつつ、玉藻の横を通り過ぎ、駅へと去って行ったが、いったい神社になんのようだったのか。


 実家の稲荷神社はかなりマイナーな神社であるし、カップルに関係あるようなご利益はなかったはずだが・・


 なんだか、物凄く嫌な予感がした玉藻は、いつの間にか神社に向かって走り出していた。


 大きな鳥居をくぐりぬけ、神社に続く石段を一段ぬかしで駆け上がり、瞬く間に頂上にある本殿前までたどり着いた玉藻は、そこに、ありえない光景を見てわが目を疑った。


「あ・あうう・・」


「ぐああ・う、うでがああ・・」


「足が・・足が折れて動けない・・」


 本殿前の広場には、神社を警護していたはずの屈強な霊狐族の警護士達が、明らかに半殺しにされた状態であちこちに転がされていた。


「こ、これはいったい・・」


 茫然とする玉藻だったが、とりあえず家族の安否を確認するために、警護士達の合間をぬって本殿へと直行する。


 荘厳な桧造りの本殿前の階段を駆け上がり、賽銭箱を境に向こう側に入れないようにしてある策を飛び越えて、その向こうにある本殿内部に靴も脱がずに上がり込んだ玉藻は、さらにそこでありえない光景を目にする。


「おじい様!? おばあ様!? お父様!? お母様まで!?」


 本殿本間の祈祷の部屋では、外見だけは自分と大差ない、自分の祖父母と両親が、めっためたのぼっろぼろのふるぼっこにされて失神しており、それを兄や姉達が必死に介抱しているところだった。


「いったいこれは何事なの!?」


 自分の見ている光景がどうしても現実のものと思えずに、自分の両目をなんどもこする玉藻。


 それもそのはずで、玉藻の祖父母は齢二百年近く生きる大狐で、その剣術は凄まじく、『騎士』クラスの『害獣』をたった二人で倒すことができるほどの腕前。


 玉藻の両親も祖父母ほどではないものの、十分トップクラスの『害獣』ハンターと渡り合えるほどで、その四人をここまでめったくそにやっつけるとは、いったい何があったのか。


 『騎士』クラスの更に上位、『貴族』クラスの『害獣』でも現れたというのか?


 しばらく困惑の表情で事態を見つめていた玉藻だったが、祖父母両親を介抱している兄姉達の中に、里を離れた自分の連絡係になっている四つ年上の姉、珠樹(たまき)をみつけて駆け寄る。


「珠樹姉さん、いったいこれは何事なの?」


 回復薬をお盆の上に載せて運んで来て上の兄や姉達に忙しそうに渡していた珠樹は、自分の腕を掴む玉藻のことをきょとんとした表情でみつめていたが、しばらくして自分がみつめている人物が誰かわかり驚愕の表情を浮かべた。


「あああっ!! た、玉藻ちゃんなの!? い、いつ帰ってきたの!?」


「今よ、たった今!! それよりもこれは何!? 『貴族』クラスの『害獣』の襲撃でもあったの!?」


 怒鳴るように聞いてくる玉藻の質問に、しばらくバツが悪そうに顔を下に向けていた珠樹だったが、何度もしつこく聞いているうちに、とうとう観念して口を開いた。


「『害獣』じゃないわ・・都市の中央庁の粛清を受けたの・・」


「は、はあっ!? ってことは、これをやったのはお役人ってわけ!? いったい何をやったの!?」


「・・脱税や、裏帳簿や、独占禁止法にひっかかる行為や、とにかくいろいろあった違法行為の数々がとうとう中央庁にばれたの・・それに・・あなたと同じ・・晴美に修行と称しておじい様やおばあ様や、お父様やお母様がやっていた、児童虐行為もね・・」


「ええええええええっ!!」


 珠樹の言葉に、驚きを隠せない玉藻。


 まさか、自分が一番あってほしくないと思っていた予想通りになっていたとは。


 とはいえ、これだけではまだまださっぱりわからない。


 玉藻は、珠樹に一から詳しく話せと詰め寄ると、珠樹は苦しそうに顔を背けていたが、どうせ知れてしまうだろうと諦めて再び口を開く。


「あなたが修行を放棄したあと、晴美がその代わりになって修行を受けていたんだけど、とうとう限界が来たみたいで一昨日の金曜日逃げ出したの。おじい様達はどこにも行き場がないから、どうせ帰ってくるってタカをくくっていたのだけど、土曜日も帰ってこなくて、今日の朝そろそろ神社の者を捜しに行かせようかと相談していたときに中央庁の人達が現れたの。その人達は、こういったわ」



(家出した御宅の晴美さんを都市中央庁の福祉課で保護させてもらいましたが、そのときに怪我などがあればいけないと思い身体検査をさせていただいたところ。お嬢さんの身体には深刻な虐待の事実があることを確認しました。お嬢さんの身体に刻まれている木刀の跡を念射スキャンで詳しく調べ、その独特なその斬り方を過去のデータに照合してみたところ、誰がやったかはっきり特定することができました。もうおわかりだと思いますが、みなさんがやっていたことはすでに調べがついているということです。そういうわけで、ここに晴美さんを御返しするわけにはいきませんので、我々のほうでしかるべき手続きの後にお預かりさせていただきますのでご了承ください。)


「今から思うと、ちょっと変だなって思うけど・・だってそうでしょ?昨日の今日でそんなすぐに検査の結果って出ると思う?まあ、それがこっちを挑発するつもりだったってことはあとでわかったんだけど。どうも、この言葉でとりあえず、こっちの出方を伺うつもりだったみたい」


「それで? おじい様達は納得したの?」


 珠樹の言葉に困惑の表情で尋ねると、珠樹は玉藻の予想通り首を横に振って答えた。


「・・するわけないでしょ」


「そうよねえ・・自分たちこそ正義、正義だからこそ力押しが押し通ると思っている人たちだもんねえ・・」


 珠樹の答えに深い溜息を吐きだし、いまだに横で動けずに大の字になって呻き声をあげている祖父母達の姿を見る玉藻。


「・・でもね、結局はそれが裏目に出て、向こうの思う通りの展開になっちゃったみたいなの。ここに来た人たちね、それを狙っていたみたい」


「え、まさか、わざとおじい様達を焚きつけたの?」


「うん・・どうやら、行政執行の妨げになる行為をしてくるように仕向けたみたい。言いたいこと言って帰ろうとした中央庁の人達を、警護士の人達に命じて捕縛させようとしたんだけど・・多分、おじい様達としてはこのお役人さん達を人質か何かにして晴美と交換するつもりだったんじゃないかな」


「あ〜、おじい様達ならやりそう・・」


「ところが、このお役人さん達むちゃくちゃに強かったの。二人いたお役人のうち、女性のほうが襲いかかったうちの警護士さん達をあっというまに半殺しにして、こう言ったわ」


(そちらから先に攻撃を仕掛けていらしたので、この行為は正当防衛になります。当方と致しましては甚だ遺憾ではありますが、こちらの身の安全を守るために迎撃させていただきますので予めご了承ください)


「それで警護士の人達を女性のお役人さんが残らず蹴散らしたあとで、ずっとその女の人の横で黙っていた男の人が女の人と交代するように前に出てきたの。それで、おじい様達にまとめてかかってこいって」


「そう、まとめてねえ・・って、え?・・」


 珠樹を言葉を危うくそのまま聞き流してしまうところだったが、玉藻は珠樹の言葉の意味を測りかねてもう一度珠樹を見直すが、珠樹は沈痛な面持ちで頷く。


「そうよ、そういったの、あのおじい様達に、まとめてかかってこいって。私達もまさかと思ったわ・・だけど、結果だけ言うと、わかるでしょ? あの女の人もすごかったけど、男の人はもっとすごかった。

なんかわからないけど、無茶苦茶怒っていてね、『子供を己の欲望の道具にするような奴に、一切手加減するつもりなし!!』って。それでご覧の通り、たった一人でおじい様達を全員ここまでにしちゃったの、しかも自分は無傷で一方的に」


「いったいどんな魔人よ、それ・・」


 姉から話を聞いてもどうしても納得できない玉藻。


 それはそうだ。


 玉藻だって、本当ならばこの祖父母両親には恨み骨髄で己の手でいつかめためたのぎったぎたにしてやりたいと思ったことは一度や二度どころか百度だって足りやしないほどである。


 だが、恐らく百年修行しても到底敵うことはないと思わせ、復讐を諦めさせるほど、この祖父母両親の腕前はとんでもないものであったのだ。


 それを一方的に叩き伏せてしまうとは・・しかも一人で。


「しかもね、それで終わりじゃなかったの。とんでもない置き土産が待っていたの」


「置き土産?」


「ぼっこぼこのめっためたのぎったぎたのふるぼっこにされてしまった祖父母両親を唖然として私達が見ていると、お役人の女の人が、一番上の芳一お兄様のところに行ってこう言ったわ」


(すいません、すいません、いい忘れていることがありました。このあと、すぐ、都市税局のものが来て詳しい内容についてはご説明申し上げると思いますが、こちらの特別指定区域内で脱税と思われる行為が行われていることが発覚いたしまして、強制調査が入ることが決定いたしました。まことに申しあげにくいことで恐縮なのですが、そちらで横になっておられるご当主の方や副当主、その他主要な方々がその行為に関わっていらっしゃったことはもう調査が済んでおりまして、くれぐれも調査の妨げとなるような行為は慎んでいただきますよう、よろしくお願いいたします。って、あ、そっか、そのご様子では妨げになるような行為はできませんよね。あっはっは、失礼失礼)


「そ、そうか・・本命はそっちだったんだ・・」


 役人の真意を知って愕然となる玉藻。


 もし先に脱税行為の査察が来るとわかってしまったら、祖父母は本気で都市と事を構えることを考えて一族全員に戦争の用意でもさせていたかもしれない。


 それを見越して頭となる者を先に叩きのめしてつぶしてしまったのだ。


 これで、この霊狐一族の薬品関係シェアNo.1を誇ってきた栄華は終焉を迎えることは間違いない。


 恐らく、ここは都市の直轄地になるに違いない。


 なんとも言えない複雑な表情で玉藻がたたずんでいると、思いだしたように珠樹が付け足した。


「そうだ、まだあったわ。そのお役人二人が去り際にこんなこと言ってた」


(そうそう、晴美さんの居場所につきましては御教えすることはできませんが、こちらで大事に何不自由なく『人』としての人生を保障させていただきますので、ご心配なく。あと、行方を追って無理矢理連れ戻そうとしても無駄ですし、もしそういう行為を行おうとしたら・・わかっていただけますよね?)


「え、ちょっと待って、じゃあ、晴美はどこに行ったかわからないの!?」


 愕然とする玉藻に、複雑な表情で頷く珠樹。


 しかし、珠樹は苦笑しながらもこう呟くのだった。


「だけど、きっとここに戻ってくるよりはマシだわ・・それに・・」


「ん? それにどうしたの?」


「あの二人のお役人さん・・なんだか晴美のことを本気で心配してここに来たみたいな感じだった。うまく言えないけど・・あの二人が大丈夫っていうなら、本当に大丈夫なのかも・・だって、あのおじい様達を一瞬で叩きのめしてしまった人達だもん・・」


 どこか安心したようなうらやましそうな遠い目をする珠樹を、何とも言えない表情で見つめていた玉藻は、はっとして珠樹に口を開いた。


 「姉さん! ひょっとして、そのお役人の二人って、黒いビジネススーツにサングラスのグラマラス美女と、ジージャン、ジーパン姿の男の人のカップル?」


「え、ええ、そうよ、なんで?」


「あれかぁ・・」


 玉藻は、途中すれ違ったあのカップルがそうだったことを知り歯噛みした。


 もしそうとわかっていたら、晴美の居場所を聞き出すことができたのにと。


 しかし、もう後の祭りで、今頃は地下鉄で都市へと向かっていることだろう。


 溜息を一つついて、空を見上げた玉藻は、結局会えなかった下の妹が、せめて無事でいてくれますようにと祈らずにはいられなかった。


 やがて、本殿の広場のほうからたくさんの人があがってくる気配がして、玉藻の耳に男性と思われる人の声が聞こえてきた。


「都市税局査察部のものです。これより強制調査に入ります。くれぐれも・・」



〜〜〜第16話 飛翔〜〜〜



 日曜の昼過ぎ、たくさんの人でごった返す地下鉄の『サードテンプル』駅改札口出たところで、連夜達は両親と合流しちょっと遅い昼食を取るために、シャンファ料理専門店『皇軍』に入った。


 『皇軍』は各城砦都市にチェーン店を持つ、かなり有名な大衆料理店で、値段が安い割に、そこそこ料理もうまく、各店舗オリジナル料理についてはかなり点数が高いと連夜は思っている。


 そんな店だから、日曜ということもあってほとんど満席に近い状態だったが、タイミングがよかったのかなんとかほとんど待つこともなく六人掛けの座敷席を確保することができた。


 とりあえず、店員さんに適当に料理を頼んでおいて、みなそれぞれにくつろぐ。


「お母さん、ここの味噌だれジャンボ餃子大好きなのよねぇ」


 と、熱いおしぼりで手を拭きながらほくほく顔の連夜達の母親を、横に座る父親が嬉しそうに見ている。


「ほんと、うちの奥さんの嬉しそうな顔はいつみても心が和みます」


「やだ、旦那様ったら・・」


 顔を赤らめて嬉しそうに横にいる連夜達の父親を見つめ返し、二人の間にいつものいちゃつきムードが流れだす。


 それを、対面に座って三者三様の表情でみつめる連夜達。


 まず、右端の席で何やら物凄いカルチャーショックを受けているらしい表情を浮かべているのは、金髪金眼の霊狐族の少女晴美。


 スカサハのお古である、緑色のワンピースを借りて着ているが、元がいいのでなかなか似あっている。

肩のあたりできれいに切りそろえられた金髪の頭から飛び出ている狐耳は驚きを表しているのかぴんと立っていて、腰から見える二本のしっぽはゆらゆらと落ち着きなくゆれている。


 次に、左端の席で何やらいやそうな顔を浮かべているのは、銀髪紅眼の魔族の少女スカサハ。


 白いワンピースの上に濃い青の半袖のジージャンを羽織っていて、これもまたよく似あっていた。


 自分の両親の周囲を全く気にしないいちゃつきぶりがいやなのか、その顔は少し赤らんでいて細くて形のいいまゆげはぴくぴくとひくついている。


 そして、二人の少女に挟まれて座り、苦笑している、というか、苦笑するしかないといった表情の連夜。


 いつものジージャンとジーパンの上下姿に、下に着ているTシャツには東方文字で大きく”絆”と書かれている。


 連夜はもうなれてしまっているのだが、しばらく夫婦のいちゃつきラブラブモードを見ていたのだが、流石に横のスカサハが限界そうなのと、中学一年生の晴美にはかなり刺激が強い内容になっていきそうな雰囲気だったので、そろそろ中断させるべく夫婦の間に水を向ける。


「で、お母さんどうだったの?」


 具体的な内容については触れていない連夜の言葉だったが、それだけですぐに察した目の前の母親は、横にいるスカサハが大人になったらこうなるだろうという美しい顔を薔薇のようなあでやかな笑みで染めて口を開いた。


「全部終わったから、もう大丈夫よ。先方の親御さんにはきちんと話し合ってわかっていただいたから、もう、なんの心配もいらないから。それで、正式に晴美ちゃんは、我が家で預かることになったけど、いいわね?」


 その言葉に頷きかけた連夜だったが、長年の付き合いでこの夫婦のことがいやというほどわかっているだけに、何やら物凄い嫌な予感がしてとりあえず聞いてみる。


「お母さん・・」


「なぁに? レンちゃん?」


「ちゃんと話し合ってくれたんだよね? 拳を交えてわかりあったわけじゃないよね?」


「・・」


「・・」


 若干顔に一粒か二粒の汗をにじませながらも笑顔で尋ねてくる息子の顔を、しばらく無邪気な笑顔を表情を張りつかせたまま黙りこむ母親。


 なんともいえない静寂がその場を包み込み、その後。


「・・そんなわけないじゃない、やぁねぇ、レンちゃんったら」


「いや、ちょっと待って、いますっごい間があったよね!? もう明らかに即答できる内容なのに、すっごい考えてから答えていたよね!?」


 あきらかに作っていますといわんばかりの爽やかな笑顔で言い切る母親に、流石にごまかされるわけもなく連夜が物凄い不安そうな表情で詰め寄る。


 そんな息子の態度にぷうっと子供のようにかわいらしく頬をふくらませて膨れて見せる母親。


「もう、レンちゃん、細かいこと気にしすぎ!! お母さんのこと信じてないの?」


「お母さんのことは信じているし、愛しているよ、心から。でもお母さんの今の言動に限っては全然信用できないし、信じてないから!!」


 と、きっぱりはっきり言う連夜の言葉に、わざとらしくヨヨヨと泣き崩れた母親は、横にいる父親にここぞとばかりに抱きつく。


「ひどい!!・・旦那様、あの素直だったレンちゃんがこんなこと言います!! 私の育て方が悪かったのかしら・・こんなに大事に育ててきたのに・・」


「大丈夫ですよ、奥さん。奥さんの愛情あふれた教育のおかげで連夜くんは、こんなに立派に育ったじゃないですか。むしろ喜ばないと」


「旦那さまぁぁぁぁぁ!!」


「もう〜〜〜、ほんと話が進まないなあ・・」


 対面で夫婦漫才を延々と続ける万年バカップルの姿に、げんなりした表情を隠そうともせずに溜息をつく連夜。


 そんな連夜の姿を見て、なぜか勝ち誇った表情になった母親は、急に表情を真剣なものに変えて連夜の横にいる晴美の方に向きなおった。


「晴美ちゃん、今、レンちゃんにも言ったけど、今朝晴美ちゃんのお家のほうにはきちんと話をつけてきたの。晴美ちゃんをこのままお家にお返しすると、晴美ちゃんのためにも、お家の方のためにもならないってね。だからこれから、晴美ちゃんは都市中央庁の福祉課の保護観察を受けるということになります。

で、そこで一応、晴美ちゃんの意思を確認しておきたいの。さっきはうちで預かるって言ったけど・・晴美ちゃんはそれでいい? おばさんや、おじさんや、レンちゃんやスカサハちゃん達と一緒に暮らすことになるけど、ほんとにそれでいい?」


 真剣な、しかし、温かみのあるどこか優しい視線で見つめられて、晴美はすぐに答えを返すことができず、むしろ不安そうに聞き返す。


「あ、あの・・そ、その前に、ちょっとお聞きしていいですか?」


「なあに? なんでも聞いてちょうだいね。」


「ほんとにうちの祖父母や両親を説得できたんですか? 身内の自分が言うのもなんですけど、あの人達は自分勝手で傍若無人で唯我独尊で傲岸不遜を絵にかいたような人たちなんです。とてもとても人の言うことを素直にきくなんて、信じられませんし、ありえないと思います。最悪の場合、みなさんに危害を加えてでも私を連れ戻そうとするかもしれません。そんな人達を、ほんとに説得できるものなんでしょうか?」


「・・」


「・・」


 まるでどこかで天変地異が発生したんですか?みたいに超不安な感じで聞いてくる晴美を、しばらく笑顔を張りつかせたまま見つめている母親。


 物凄い微妙な空気がしばらく流れたあと、不自然に爽やかな笑顔を再び作って母親は頷いた。


「大丈夫よ。ちゃんとわかってくれたから。」


「え・・あの・・はあ・・」


 全然納得できてない顔で頷く晴美の横では、恐ろしく白い眼で自分の母親をみつめる連夜とスカサハの姿があった。


 連夜達の母親はその後も、二人の視線を黙殺して話を進めようと何度か口を開きかけたが、次第に顔に汗が何筋も流れ始め、結局それを誤魔化すように横の夫にすがりつくのだった。


「旦那さまぁぁぁぁぁ!! レンちゃんと、スゥちゃんが、いじめるぅぅぅぅぅ!!」


「・・僕達何も言ってないのに・・」


「・・ほんとにもう、話が前に進まないから、話をお父様に任せたほうが早いのに」


 子供みたいに夫に告げ口する母親に、兄妹そろってげんなりした表情を浮かべる。


「うわぁぁぁぁぁん!! 旦那様、あんなこと言ってますぅぅぅ!!」


「よしよし、奥さんが頑張って説明していることは、僕にはちゃんとわかっていますからね」


「えへへ、旦那様、もっと撫でて。もっと褒めて」


 よしよしと最愛の夫に慰めてもらって復活したのか、連夜達の母親は豊満な胸の谷間に手を突っ込むと何やら一枚の紙を取り出した。


 そして、それを晴美の前に広げて見せる。


「じゃ〜〜〜ん、晴美ちゃんの保護養育委任状で〜〜す!! ちゃんと、如月さんの実印も押してもらってありま〜す!!」


 それをしげしげと眺めた晴美は、本物であることを確認し、驚愕の表情を浮かべた。


「ほ、本物だ!! でも、あれ? 印鑑は本物だけど、書いてある字が・・おじい様やお父様の字じゃない」


「あ〜、それね、ちょっと書いてもらえる状態じゃなくてね、お兄さんの・・芳一さんだっけ?」


「あ、はい、うちの長兄で、確かに都市側の窓口をやっています」


「に、書いてもらったの」


 にこっと笑う連夜達の母親の顔と、委任状を交互に眺める晴美。


「・・連夜兄様、お聞きになられました? 今確かに、書いてもらえる状態じゃなかったっておっしゃっていましたね?」


「うん・・もう絶対、書いてもらえる状態じゃないようにしたんだろうなあ・・恐らく力づくで・・」


「もう、そこ、うるさい!! レンちゃんとスゥちゃんはなんか文句あるの?」


「「いえ、ありません」」


 全然文句ないという表情ではなかったが、とりあえず澄ました顔でとぼける二人。


 二人を黙らせることに成功した母親は、再び晴美のほうに向きなおった。


「さてと、これでわかっていただけたかしら? とにかく、如月さんのお家の方からの承諾はいただいているの。あとは晴美ちゃんの気持ちだけ。どうかしら? 私達と一緒に暮らすのはいや?」


 穏やかな表情で聞いてくる母親に、戸惑っているような恥ずかしいような、それでいて今にも泣きそうな表情で晴美は連夜達の母親を見た。


「あ、あの、むしろ、私がお聞きしたいです・・ほんとに御厄介になっていいんですか?」


「いいわよ〜、そんなの。ねぇ、旦那様」


「うんうん、おじさんは大歓迎だよ。大治郎くんが『外区』で働くようになってから、一人家族が減ったようになってしまったからね。娘が増えたみたいでうれしいよ」


 目の前の夫婦は屈託なく笑い合って、晴美に優しく頷いて見せた。


 晴美はそんな夫婦の姿をぼんやりと眺めながら、自分は夢を見ているのではないかと思い、だとすれば、なんと長く幸せな夢であろうかと、昨日から続いている夢のような出来事を思い出す。


 昨日、ドワーフ族のケーキ職人ギッドガッドの店を出た後、晴美は連夜に連れられて、彼の家へと向かい、そこで、晴美は連夜の両親に信じられないくらい温かく迎えられて家に入った。


 あとで聞いた話だが、晴美がケーキを食べている間に、携帯念話であらかたの話を連夜の両親にしてくれていたらしい。


 連夜の父親は、晴美のために今まで食べたことのないような心のこもった温かい食事を作って出してくれた。


 連夜の母親は、晴美の話を黙って最後まで聞いてくれて、最後に『よくがんばったわね』と優しく抱きしめてくれた。


 その後、なぜか母親が一緒にお風呂に入ろうといいだして、断り切れずに結局一緒に入ってしまったのだが、そのときに祖父母や両親につけられた体中の厳しい折檻によってできた痣をみられてしまいちょっと恥ずかしかった。


 しかし、そんな晴美の微妙な心情を知ってか知らずか、その風呂から上がったあと、連夜の両親の雰囲気が物凄く怖くなり、少なからず動揺している晴美に連夜の母親は心からの優しい表情で、しかし、まるでここにはいない何者かに向けて凄まじい怒気を放つような表情でこういった。


 『ほんとは晴美ちゃんのためにゆっくり時間をかけて解決していこうと思ったけど、気が変わったわ、明日すぐに解決してあげるわね。年頃のしかも純真な女の子の心と体に傷をつけるような真似をすると、どういうことになるか、じっくりたっぷり教えてあげないとね』


と。


 その言葉に、連夜の父親も真剣な表情で頷いていたが、後ろでその言葉を聞いた連夜はなぜか真っ青になって、なにやら自分の両親に言っていたようだが、やがて力なく肩を落として晴美のところに戻ってきてこういった。


『あ〜〜・・多分、うちの母が言っていたように、明日中に決着がつくと思います・・少なくとももう晴美さんが虐待されることはもうないと思いますよ。あは・・あはははは。はぁ〜〜〜・・穏便にすませてほしかったのに・・しくしくしく・・』


 その後、夜遅くになって連夜の妹であるという少女が家に帰ってきた。


 なんと、驚いたことに自分の中学校の現生徒会長である、スカサハ・スクナー先輩だった。


 生徒会長である連夜の妹は、連夜から晴美の事情を聞くと、眼に涙をにじませて抱きしめてくれた。


 そして、結局その日は、スカサハの部屋で一緒に眠った。


 全く知らない赤の他人であるスカサハと一緒に眠ったというのに、なぜか晴美は久しぶりにぐっすりと安心して眠ることができた。


 いつもなら、夢にまで厳しい修行の光景が現れて、うなされて何度も起きては寝るを繰り返すというのに、その日は全くそういうこともなかった。


 翌日、いつもでは考えられないくらい遅い時間に眼が覚めて、台所に降りていくと、先に起きていた連夜とスカサハに優しい笑顔で出迎えられた。


 そのとき、二人から連夜の両親がすでにでかけていて、なんと、自分の実家である霊狐の里に行ってしまったという事実を告げられて仰天する。


 祖父母の性格をよく知る晴美は物凄く慌てた。


 自分はともかく、せっかくこれだけ自分によくしてくれたあの夫婦に何かあってはいけないと、連夜に半泣きですがりついて、いまからでも止めるように言ったのだが、連夜はとてつもなく複雑な思いをこめた苦笑を浮かべ、こう言って晴美をなだめたのだった。


『多分ね、心配しなくても全然大丈夫だと思いますよ。あの人達はちょっと・・普通と違うから・・いろいろと。とりあえず、落ち着いて信じてみてください。世の中確かにいいことばかりじゃないけど、あなたが思っているよりね、世の中はそれほど悪くもないし狭くもないんですよ。少なくとも自分が最強と思っている馬鹿がのさばることができるほどね、甘くも狭くもありませんから』


 その後、きょとんとする晴美を促して連夜達は一緒に朝食を食べた。


 連夜が作ったという朝食は、昨日食べた連夜の父親にはほんの少し及ばないものの、それでも十分おいしくて、晴美は三杯もおかわりしてしまった。


 やがて、そろそろ昼になろうとする頃に家に連夜の両親から念話があり、話がついたからお祝いにお昼は外で食べよう、ついでに晴美の服や生活用品も一式買い物してしまおうと、都市中央の『サードテンプル』駅前に呼び出されたのだった。


 そして、今に至る。


 金曜の夜からまだ二日もたっていない。


 なのにこの急展開はなんだろう。


 本当は、今はまだ金曜日の夜で、あの公園のペンチで眠りながら、自分の都合のいい夢を見ているのではないかと思ってしまう。


 自分が返事をすると、夢は弾けて終わり、あの寒空の下で眠る現実の自分を突きつけられるだけではないかと。


 そう思うと、ますます口が重くなり返事ができなくなってしまうのだった。


 それでも前を見ると、そんな晴美の気持ちを連夜の両親はわかってくれているのか優しい表情を浮かべたまま、ただ黙って待っていてくれている。


 そんな優しさが嬉しくて切なくて、でも、これが夢だったらと思うと恐ろしくて、晴美は横にいる自分をこの夢の世界に連れてきてくれた人物に助けを求めるように視線を向ける。


 すると、横の少年は優しい表情の中にも、どこか厳しい視線で自分を見つめ返していた。


「夢で終わるか、それともこれを現実とするかは、あなた次第ですよ」


「え!?」


「僕らは僕らのできる範囲であなたに手を差し伸べることはできます。でも結局、あなたを救うことができるのはあなた自身でしかいない。今回、あなたは自分で自分を救うために、鳥かごから一歩外にでる勇気を見せました。そして、あなたは今すでに外の世界にいます。どこにでも飛んでいくことができるし、どこで何をしようと自由です。でも、そこで生きていくとなると、生きていくための術を学ばなければなりません。僕達はそれをあなたに喜んで教えましょう。でも、僕達は教えてあげることしかできません。

僕らが教える生きるための術を、実際に使って生きていくのは、あなた自身であり、それを誰も手助けできないのです。今までは誰かの言う通りにすればよかったかもしれない。でもこれからは違う。自分で考えて、自分で選択し、自分の道を歩まなくてはならないのです。自分の力でね。さて、早速ですがここで、人生の選択です。鳥かごから飛び出したあなたの勇気をもう一度みせてください。あなたは我々の手を取りますか? それとも取りませんか? もしかすると、我々は人身売買の密売人で、あなたを売り飛ばそうとしているのかもしれない。もしかすると、我々は霊狐一族のまわしもので、あなたをからかっているだけかもしれない。もしかすると、我々はあなたが見ている夢かもしれない」


 物凄く困惑して混乱する表情を浮かべる晴美を面白そうにみつめながら、しかし、最後に一番優しい笑顔と誠実な光を宿した瞳で連夜は晴美を見つめるのだった。


「だけど、ひょっとして、もしかすると・・我々は自分でいっているようにあなたを家族の一員として受け入れようとしているのかもしれない。ただただ、あなたが知らない家族のぬくもりをちょっとでもいいから教えてあげたいだけなのかもしれない。さて、どうします? 狐のお嬢さん?」


 すっと差し出された連夜の手を見つめる晴美。


 しばらくそれを見つめていたが、やがて視線を一度上にあげて、連夜の父親、母親、スカサハ、そして連夜の顔をぐるっと見つめなおしたあと、しがみつくように涙を流しながら連夜の手を小さな両手で取ってぎゅっと握りしめた。


「うううううう・・夢なら・・夢なら覚めないで・・お願い・・」


「大丈夫ですよ。もう大丈夫。よくがんばりましたね」


 と、連夜は晴美の体を引き寄せて、抱きしめるとその小さな背中を撫でてやる。


 いつまでも泣きやみそうにない晴美だったが、連夜は黙っていつまでも抱きしめてやって・・いるわけにはいかなかった。


「これでなんとか一件落着ですね、おかあさ・・って、ちょっ、お母さん!! 何先に食べているんですか!!」


 自分自身も感動の面持ちになって母親のほうに視線を向けた連夜だったが、眼の前ですっかり不貞腐れてしまった様子になってしまった母親が、いつのまにかテーブルに並べられていた料理をむしゃむしゃ食べている姿をみて唖然とする。


「なによ、なによ。レンちゃんたら全部おいしいところもっていっちゃって・・お母さんだって、がんばったのに!! ふんだふんだふんふ〜〜んだ。もう全部お母さんが食べちゃうもんね!!」


「って、何言ってるんですか、子供ですか!! ちょっと、スカサハもお母さんを止め・・うわ!! なんでスカサハも一緒になって食べているの!!」


 暴走し始めた母親に連夜は、妹に助けを求めて横をみたのだったが、なぜか半泣きになったスカサハが同じように料理をヤケ食いしている。


「お兄様のバカバカ!! 晴美さんばっかり!! わたしだって、ぎゅっとしてよしよししてほしいのに!! 『スカサハ、がんばったね、いっぱい撫でてあげるね』って言ってほしいのに!! なによなによなによ〜〜〜!! もう全部食べてやるんだから〜〜〜!!」


「うわ〜〜、ちょっとまってスカサハ、待ちなさいって!! ちょっとお父さんも、お母さんをうっとり見つめてないで、止めてください!! だめだ、この人達、情緒の欠片もないよ!! 晴美さん、早く食べましょう、食べないと僕らの昼ごはんなくなってしまいます!!」


「ええええええええっ!!」


 その日の昼食は、晴美の短い人生の中でも類がないくらい騒がしい昼食となったが、なぜか一番楽しく嬉しい昼食として記憶に残ることになる。



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