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~第13話 新生(後編)~ おまけつき

 教室の影からよろよろと出てきた連夜は、窓から顔を出すサバイバル術の兄弟弟子で仲の良い友人でもあるエルフ族の少年を、弱々しいながらも笑顔で迎える。


「あ〜〜、クリス・・久しぶり〜」


「お、連夜いたか・・って、なんでそんなボロボロなんだ!?」


「いや、これは世の中の不条理そのものってやつだよ」


 なんとか復活してきた連夜のボロボロな姿に、顔をしかめるクリス。


 そんなクリスにもう苦虫を十匹以上かみつぶしたような顔で応じた連夜は、かなり遠いクラスにいるはずでここに来ることが滅多にないクリスの訪問の理由を尋ねる。


「どうしたの? 珍しいね、ここにクリスがくるなんて」


「いや、転校生の噂の凄い美少女を拝みにきたのよ」


と、嬉々として言うクリスに、連夜は苦笑を浮かべる。


「あ〜、そういうことかぁ、そりゃ残念だったねぇ」


「え、もう帰っちゃったのか?」


「いや、いるけどさ・・まあ、折角だから紹介するよ。お〜い、リン・・じゃなかった、シャーウッドさん、ちょっとこっち来て」


 修羅と化した姫子から逃れられる口実ができて、ほっとしながら、リンは連夜のほうに近づいて行った。


「ほら、彼女が噂の凄い美少女、リン・シャーウッドさん。リン・・じゃなくて、シャーウッドさん、こっち僕の友達で、サバイバル術の兄弟弟子のクリス・クリストル・クリサリス・ヨルムンガルド」


「リン・シャーウッドです。よろしくお願いいたします・・って、何か私の顔についていますか?」


「あ、あ〜いや、そうじゃないんだけど・・クリスだ、よろしくな」


 リンの顔を凄まじく落胆した顔で見つめていたクリスに気づいて、リンが小首を傾げると、クリスは苦笑交じりながらも屈託ない笑顔で挨拶を返した。


 そんなクリスの様子を見ていた連夜がくすくすと笑い、そんな連夜にクリスはバツの悪そうな表情を向けるのだった。


「なんだよ、そんな笑うことね〜だろ」


「あっはっは、いや、ごめんごめん」


 そんな連夜とクリスのやりとりを見ていたリンが、無言で連夜を見つめ説明するように促す。


「あ〜、実はね、クリスって、獣人の夫婦に育てられたせいで同族のエルフとか人間みたいな『人』型種族系の女性に全く興味がないんだよね。ところが逆に、『獣人』種族系の女性にはすっごい弱くて、まあ、クリスの彼女というか奥さんのアルテミスもそうなんだけど、そういうタイプの美少女を見るのが大好きなだよねえ。多分、リン・・いやシャーウッドさんが、『獣人』種族系かもしれないって思ってきてみれば『人』型種族系だったものだからがっかりしてたてわけ」


「なるほど〜〜!! いや、そういうことならわかりました!!」


「え、わかるの?」


「わかりますわかります!!」


 なぜか、意気投合する二人。


「『獣人』型種族の女性って、体の線が物凄い奇麗ですよねぇ、なんていうか『人』型種族系の女性には絶対出せない流線型というか・・」

「おおおおおおお!! わかってるぅう!! あんた、見る目があるなぁ!!そうなんだよ、自然が生み出した機能的なフォルムっていうかさ」


「うんうん、あと体毛とかもポイントですよねえ、『人』型種族系には体毛なんてほとんどないし、それに比べて『獣人』型種族の人の体毛って自然界で生き残るために進化したものだから、独特で美しいというか」


「そうなんだよ・・あれはほんと一種の奇跡だよなあ・・」


 異様な盛り上がりを見せる二人を、呆れたように観察していた連夜だったが、そういえば、この女性になった親友はそういう趣味の人だったと、今更ながらに思い出していた。


 恋愛に関しては昔も今もロム一筋のところがあるが、観賞用としては昔から『獣人』型種族の女性に興味を持っていたように思える。


「クリスさんは、どういう『獣人』型種族のタイプが好みなんですか?私は、結構ウルフ系が好きなんですよね、一見荒々しい感じの体毛に覆われている感じですけど、触ってみると意外と柔らかくてふかふかしているところとか・・」


「あ〜確かにな。俺も基本的にはそうなんだけど、パンサー系も好きかなあ・・」


「ほほお、クリスはパンサー系が好きだったのか」


「おう、あの豹柄がなんとも言えないセクシーさを醸し出しているというか・・尻尾がほらほとんど体毛に覆われてなくて付け根のところがまた色っぽいんだよなあ・・」


「ほほお、そんな尻のところを見ていたわけだな」


「ばっか、尻ばっかりじゃねぇよ、胸とかだって、すごいんだぜ、胸筋がすごいから多少胸が小さくても大きく見えるんだよ・・」


「ほほお、胸もいやらしく見ていたわけか」


「く、クリス・・」


「しかも胸の谷間のところがだんだんうっすら毛が薄くなっていて・・」


「クリスってば・・」


「もう、あれ見てるだけでたまらんというか・・って、さっきからなんだよ連夜!! 人が力説してるところ邪魔すんじゃねぇよ!!」


「さっきから、受け答えしてるのシャーウッドさんじゃなくなってるって、わかってる?」


「へ?」


 間抜けな顔で目の前にいる連夜とリンを見つめるクリス。


 よく見ると、二人の表情は真っ青になり、その視線はクリスの頭の上を通って背後へと向かっていた。


 クリスが今になって気がつくと、妙に背中が寒くなっていた。


 しかも背後から、自分がいやというほどよく知ってる人物の気配がする。


 しかも明らかに怒っているというか、激怒しているというか、殺意すら感じる。


 しかもこの展開からして、このあとクリスを待ち受けるのは決して楽しい出来事ではないことも容易に想像できた。


 クリスは、笑顔を張りつかせたまま、だらだらと滝のように冷や汗を流していたが、突如身をひるがえして逃げようとする。


 しかし、後ろから迫る何者かの手が、クリスの襟首を目にもとまらぬ早業で、ガシッと掴んで逃走を防いでしまった。


 そして、その捕縛者は怯えるクリスを無理矢理自分のほうに向かせるのだった。


「貴様何かいい残すことはあるか・・」


「ちょ、ま・・奥さん許して!! 勘弁して!!」


「それが遺言か、いいだろう、ちょっとこっちに来い!!」


「ぎゃああああ、連夜、たあぁすぅけええぇてくりぃぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 フェンリル族の奥さんに、教室の影に連れて行かれるクリスを、連夜とリンは合掌して見送るのだった。


「まあ、最愛の奥さんの手にかかるのならクリスも本望だよね」


「おまえ、意外と厳しいな」


「男言葉にもどってるよ」


「・・」



〜〜〜第13話 新生(後編)〜〜〜



「げほ、ごほ・・リンに改めて紹介するけど・・ごほごほ・・こっちがうちの奥さんのアルテミス・・げほ」


 顔中ぼこぼこにえげつなく腫れあがり、もうあらかじめ誰かわかっていなければ判別できないような顔になったクリスが、隣に立つ狼獣人(フェンリル)族の大柄な少女を紹介すると、紹介された少女はうっすらと涙目になって赤くなった瞳でリンを見つめ、口を開いた。


「心底不本意ではあるが、この浮気者の婚約者のアルテミス・ヨルムンガルドだ。それから、まだ夫婦ではないから間違えないように」


「よ、よろしくね、アルテミス」


「う、浮気者って・・浮気はしてないのに・・」


「黙れ!! 私がいるのに・・私がいるのに・・そんなに豹柄が大事か!? ・・それとも私が豹柄になれば満足なの!?」


「ち、ちがうって、そんなことないって、泣くなよ、ほんとごめん、悪かった、許してください!! この通り、もう二度とそんなこと言いませんから!」


 またクリスが殴られるのかなと思ってはらはらしながら見ていた連夜の目の前で、予想外なことに両手で顔を覆って少女は泣き出してしまった。


 流石のクリスもそれには大慌てで謝り、最後には土下座までしてなんとか泣きやんでもらっていた。


「ぐす・・ぐす・・今度、そんなこと言ったら・・ぐす・・ほんとに・・許さない・・んだからね・・ぐす・・」


「うんうん、ごめんな、調子に乗ってた俺が悪かった。アルテミスの毛並みが一番きれいだよ」


 手をつないで、優しく背中をなでてアルテミスをなだめるクリスの必死の謝罪で、ようやく落ち着いてきたアルテミスの姿を見て、ほっとする連夜とリン。


「もう〜〜、クリス、奥さん泣かせちゃだめでしょ〜」


「うっせ〜な、涼しい顔してるけど、絶対おまえもこうなるぞ、賭けてもいい!!」


「(どきっ!!)」


 少なからず心当たりがある連夜は、そのクリスの言葉に思わず顔を背ける。


 その連夜の様子を見ていたクリスが何かに気づいてさらに声をかけようとしたが、別の声がそれを止める。


「ぐす・・そういえば、クリス今日はどこに行っていたの?朝は学校に来てたのに、そのあと姿をくらまして・・まさか・・ほんとに私にあきちゃって・・豹柄女のところに・・」


「ち、ちがうちがうちがうっ!! 絶対そんなことはない!! 確かに、他の女のこと話題にして悪かったけど、おまえのこと裏切ったことは一度だってない!! おまえのこと愛してるっていう言葉は本当だし、そこだけはマジで信じてくれ!!」


「じ、じゃあ、どこにいってたの?」


 いつもの堅物武人モードではなく、もう完全に気弱な乙女モードに入ってしまっている最愛の女性のうるうる目線に押されまくってるクリスは、物凄い言いにくそうにしていたが、観念したように口を開いた。


「ちょっと・・頼まれたラブレターを届けに行っていたんだよ」


『ら、ラブレター!?』


 連夜、リン、アルテミスに加え、いつのまにか側に来て成り行きを見守っていた姫子達三人までもがその意外な事実に驚愕の叫び声をあげる。


 その様子にクリスはバツが悪そうに顔を背ける。


「そ、そういうわけだから、ちょっとこれ以上は言えない」


「クリス・・誰に持って行ったの?」


「い、いえねぇ、それだけは勘弁してくれ、アルテミス」


「誰に持って行ったの?」


「いや、だからね・・」


「クリス・・泣くわよ・・」


 その言葉を裏付けるように、アルテミスの瞳から涙がこぼれそうなくらい貯まってきていた。


 だが、そこで口を割ると思われたクリスが、意外にもそのまま苦しそうに表情を曇らせて黙ってしまったのは誰の目にも意外だった。


 しかし、連夜だけは、そのときのクリスの一瞬の動作を見逃さなかった。


 クリスは、アルテミスの説得に心動かされ口を開こうとしたそのほんの一瞬、一人の人物の姿を確認して口をつぐんでしまったことを。


 それは姫子だった。


 その事実が連夜にクリスがそのラブレターを誰に渡しに行ったかを悟らせる。


 だが、さっきからどうにも納得できない違和感のようなものを感じていた。


 クリスはこんな感じだが、かなり硬派な少年である。


 その少年が普通のラブレターを届けるような真似をするだろうか。


 それにさっきから引っかかっていたのは掃除の時にリンと姫子のあの会話の内容


『・・私・・好きな人がいて・・わ、私のことも、す、好きだって言ってくれて・・わ、私その人のことすごい好きだったから、すごくうれしくて・・』


『うん』


『でも、その人が、ラブレターを・・』


『うん』


『私以外の人にあげるって・・』


 リンが言ってる人物がもしも自分のよく知る人物と同一の存在であるなら、間違っても普通のラブレターなんか書くことはしない。


 だが、もしも、それが普通のラブレターではなかったとしたら・・


 アウトロー達が隠語として使ってるラブレターで、その通りの意味としてクリスにそれを渡すよう依頼していたのだとしたら・・


 そう思ってもう一度渡しに行った相手のことを考えた時、天啓のように連夜の脳裏に一つの答えが閃いた。


 先ほどリンと姫子が話していた内容、クリスが秘密を守ろうとするラブレター、そして、渡した相手の人物。


 全然つながってないようなこの話題が実は一つにつながっていたとしたら。


 連夜は急に身をひるがえすと、教室の中の自分のロッカーをひっくり返し、常備しておいたありったけの回復薬を自分のカバンに詰め込み始めた。


「れ、れん・・いや、宿難くん、どうしたの?」


 その連夜の様子に怪訝な表情を浮かべて見守るリン。


 その声に、連夜は振り返ると、リンではなくクリスのほうを睨みつけた。


「クリスのバカッ!! なんで、僕には言っておかないんだよ!! ラブレターなんだな!! そういうことなんだな!!」


「あ・・やっぱ・・わかっちまったか・・」


 連夜の非難の言葉に、ぽりぽりと頬をかくクリス。


「ラブレターって・・ラブレター(果たし合い状)って、もう!! どこまで馬鹿なんだか、二人とも!!」


 そういって怒りに任せて回復薬を詰め込んだ鞄を乱暴に担ぎあげた連夜は、バツが悪そうにしているクリスを引っ張って走り出した。


「お、おい連夜・・邪魔は・・」


「しないって!! しないけど、絶対ただで済むわけないでしょ!! あの二人が激突してるんだよ!?

もしものことだってありえるんだよ!! そのときは何がなんでも助けないと!! クリス、早く、案内して!! 早く!!」


「わ、わかった・・」


 連夜のこれ以上ないくらいの真剣な言葉にようやく事態を悟ったクリスが、顔を青くしてそれでも表情を引き締めると、連夜の前を走って誘導しはじめる。


 そんな二人の走りさって行く姿を呆気に取られて最初見送っていたリンと姫子だったが、何か感じるところがあったのか、二人とも自分のカバンを担ぐと急いで二人を追いかけはじめた。


 そして、それをさらに遅れて、はるか、ミナホ、アルテミスも走り出していた。


 今まさに夕日が、遠くに見える城砦都市『嶺斬泊』の高い高い城壁の向こうに消えようとしている中。


 クリスの案内で、市営念車の整備工場跡地に入り込んだ連夜達は、さんざん探し回った末に、元整備工場の倉庫であったと思われる今にも崩れそうな古びた無人倉庫の前で、満身創痍の二匹の獣が、重なり合うようにして立っているのを見つけた。


 一匹は片腕が肩から外れているのかぶらぶらと力なく垂れ下がり、片足が不自然な方向にねじ曲がっている。


 もう一匹は片腕から白い骨が飛び出して曲がっており、片足はくるぶしから下が、折れ曲がってしまっていた。


 二匹は、残った片腕を突き出した状態で固まっており、ぼこぼこにはれ上がってもはやどこが目でどこが鼻か判別できないようになった顔は、それでも肉食獣の笑みを失っていなかった。


 全身をみれば、体中のほとんどすべてに血が付いており、相手の返り血なのか自ら流した血なのか、どこに傷がいってるのか、どこが無事なのかもはや判別は不能。


 そして、連夜達が見守る中、一匹の獣がゆっくりと崩れるように膝をついた。


 誰がどうみても、決着がついたあとに見えた。


 その二匹を見て、二人の美少女が口を押さえて息を呑み、両目からみるみる涙をあふれさせる。


「ロム!!」


「ナイトハルト!!」


 叫んだのは二人同時だったが、二匹に向かって駆け出したのは、白髪の少女一人。


 だが、そんな少女を、一匹が叫んで止めさせる。


「来るな!! 来るんじゃねぇっ!!」


 膝を屈した獣から、振り絞るような叫びが響く。


 その言葉に絶句して立ち止まる白髪の少女。


「頼む・・俺に恥をかかせないでくれ・・もう少しだけ頼む」


 滝のように流れる涙を隠そうともせず悲痛な表情でこちらを見つめる白髪の少女のほうをちょっと向いて、無理に作った笑顔ともいえないぎこちない笑い顔を見せたあと、獣は自分の前に立つもう一匹のほうに向きなおった。


「約束通り、もうあんたに構うことはしない・・それと全力で戦ってくれたことに礼を言う・・ありがとう」


 その言葉を聞いていたもう一匹の獣は、ジロリと自分の下に目線を移す。


「それは俺のセリフだ・・なんだあの力は・・俺の渾身の力を込めた必殺の一撃を全部避けてくれたな?」


「バグベア族の種族特性でな、『月光眼(グラムサイト)』というんだ。一定時間のみ相手の動きを予測できる」


「・・そうか、だから全て避けられてしまったのか・・まだまだ俺も修行が足りないということか・・」


「あんたはまだ上に行くんだな・・俺はもうここまででいい。さっきも言ったが、俺はもう付き合わないぜ。見ろ、結局泣かせてしまった・・もうあいつの泣き顔は見たくないっていうのにな」


「それは耳に痛い・・俺も同じだ・・」


 二匹の獣はお互いをみつめ、もう一度肉食獣の笑みを交わし合う。


 そして、次の瞬間、膝を屈した獣の喉が奇妙な音を立て、その口から真っ赤な花が咲く。


「がはっ!!」


 宙に真紅の花が咲く・・血の花が。


「ロムッ? ロムゥゥゥゥッ!! イヤダァァァァァァッ!!」


 最愛の人のあまりの姿に最悪の結末が見えた白髪の少女は恐怖のあまり今度は駆け寄ることができず、ただただ泣き叫ぶだけ。


 それをさらに遠くから見守る連夜達もあまりに壮絶な様子に硬直して動けないでいた。


「・・おい、聞こえていたら最後に教えてくれ・・おまえはここで立ち止まってどこに行くんだ?」


 血を吐いて、上を見上げた状態のままうつろな表情を見せる獣に、問いかける。


 もう答えはないかと思われたが、ゆっくりと獣の口が開いた。


「・・立ち止まるわけじゃねぇよ。あいつと・・あそこにいるあいつと新しく歩き出すためにここに置いて行くんだ。もうこの力は俺にはいらないし、必要ない。ただ、全力で使いきって捨てたかった・・それだけだ・・」


「そうか・・」


 その答えを聞いた獣は静かに目を瞑った。


「うらやましいな・・おまえには新しい道があるんだな・・俺には・・だから・・」


 そう呟いて、獣は宙を見上げた。


「だから・・おまえに・・まけ・・たのか・・」


 次の瞬間、獣の口から溢れるように赤いものが吹き出し続けて下に流れ落ち、そして、その巨体はゆっくりと前のめりに倒れていった。


 今度は黒髪の少女が声なき悲鳴を上げる。


 だが、地面に激突する寸前、膝をついていた獣がその体を片腕で受け止めて支えると、そっとその体をこれ以上傷つけないように地面に横たえた。


 そして、その後獣は白髪の少女のほうを見て、そして、無事な片腕をあげて、自分の向こうの草むらを指さした。


「来るなと言ったり、来いと言ったりで本当に悪いと思っているんだが・・すまん、そこに落ちている俺のブレザーを取ってきてくれないか?」


 その言葉に一瞬キョトンとしていた白髪の少女だったが、すぐにその言葉を実行実現すべく獣が指さす草むらに走って行く。


 そして、自分の着ている服が泥だらけになるのも構わず、四つん這いで草むら中を這いずりまわる。


 しばらくそうしていると、見つけたブレザーを両胸に抱えるようにして獣の元に走っていくと、ブレザーを手渡すのだった。


「こ、これか!? これでいいのか!?」


「ああ、すまん・・やれやれ、俺が負けたときに使おうと思っていたんだがなぁ・・」


 と、苦笑しながら片手でブレザーのポケットをまさぐると、中から筆箱のようなものを取り出す。


 白髪の少女が見守っていると、その筆箱のようなものを開けて中から注射器を取り出すと、手慣れた様子で準備をしてその注射器を横で眠るもう一匹の獣の体に突き刺して、中に入っている液体を残さず全て注入する。


 すると、見る間に倒れている獣の怪我や骨折が治っていき、最後には返り血が残るだけの姿となっていた。


 先ほどまで苦痛に満ちた表情だった獣の顔が、今は穏やかな表情になった状態で眠りについていた。


 それを見て安堵のため息をついた結果的に勝者となった獣は、白髪の少女の方に視線を移す。


「あ〜〜、非常に勝手なことばかり言ってることは自覚してはいるのだが・・できれば、肩を貸してもらえると助かるんだが」


「・・」


 その獣の言葉を聞いた白髪の少女は一瞬、ぶるぶると震えながら握り拳を顔の前まで持っていき、何か物凄い心の中で葛藤していたようだが、結局、目の前の満身創痍の獣に振り下ろすことを断念して溜息を一つ大きく深く吐きだすと、獣に近寄って無事なほうの腕を取って自分の肩に回すと、ゆっくりと立ち上がらせた。


「こんな・・こんな大バカ・・もう見捨てようかな・・」


「できれば、考えなおしてほしいが、見捨てられても仕方あるまいな・・まあでも・・」


 ちょっと立ち止まって振り返った獣は、後ろで横たわって眠るもう一匹の獣を見つめると、なんとも言えない清々しい笑顔を浮かべた。


「もう、過去に捉われることもない・・俺は俺の道を進める・・どういう道かはわからんが、それでもやっとこれで踏みだせる」


 そう言うと、横でなんとも言えない複雑な表情をしている最愛の相棒を見つめ、ぼこぼこにはれ上がった愉快な顔にいたずらっぽい笑顔を浮かべて口を開いた。


「そういうことで、見捨てるにしろ、見捨てないにしろとりあえず、家までは送ってくれ、頼むから。

ここで死んだら、あまりにもかっこ悪い」


「見捨てようかなって言っただけで、見捨てるって言ってない!! 馬鹿!!」


 真っ赤になって言い放つ相棒の姿を見て朗らかな笑い声を一度上げると、二人は茫然と見ている連夜達の横をゆっくりと通り過ぎて歩き去っていこうとする。


 最初茫然とそれを見送っていた連夜だったが、慌てて二人に近づいて、持ってきていた鞄を肩を貸している白髪の少女に押し付けた。


「回復薬が入っているから、飲ませてあげて」


「すまんな、連夜。いつも世話をかける」


 その様子を横で見ていた獣がぎこちない動作で頭を下げるが、連夜は首を横に振った。


「ううん、さっきなっちゃんに使ったの、この前あげた神秘薬でしょ?ほんと、相変わらずとことんお人好しだね、ロムは」


「俺の真友はもっとお人好しでな、そいつと一緒にツルむとお人好しが伝染るのさ」


 そう言って二人は苦笑を交わす。


 しかし、獣のほうはすぐに表情を硬くして連夜のほうを見た。


「俺のことはいいから、あっちのほうを見てやれ・・あいつの体、何かおかしい・・」


「おかしい?」


「巧妙に隠しているようだったがな・・余計なお節介だとは思うが、起きていると絶対に見せないだろうから、眠っている間にちょっと調べておいたほうがいい」


 そう言って二人が振り返ると、横たわる獣・・ナイトハルトの周りには姫子達やクリス達が心配そうに取り囲み、何やら話しこんでいるのが見えた。


「俺があいつを抱きとめた時、腹や背中に、妙なこぶの感触があった」


「・・わかった、ありがとう」


「さてと・・それじゃあ、俺は行く。いつもすまんが、あとは任せた」


「ああ、ロム、また学校で会おう・・リン、この人ほんとに馬鹿だから、見捨てずに一緒にいてあげてね。どれだけ大人になっても根本的にお人好しだからすぐ騙されちゃうだろうし、リンがうまく操縦してあげて」


「わかってるし、もうそれは覚悟してる。ほら、行くぞ、ロム」


「できれば本人には聞こえないように相談してほしかったんだがなあ・・」


 と、満身創痍ながらもどこか幸せそうなカップルが宵闇の中に消えていくのを見送っていた連夜だったが、やがて、その表情を厳しいものに変えて、その視線を横たわるもう一人の友へと向ける。


「さて、こっちをめでたしめでたしにするにはどうしたものかな・・」

 

 そう一人呟くと、ゆっくりと友人達の元へと歩きだした。


 すぐそこに見える場所にたどり着くことが、まるで、はるか遠い場所であるかのように。



※ここより掲載しているのは本編のメインヒロインである霊狐族の女性 玉藻を主人公とした番外編で、本編の第1話から2年後のお話となります。

特に読み飛ばしてもらっても作品を読んで頂く上で支障は全くございません。

あくまでも『おまけ』ということで一つよろしくお願いいたします。



おまけ劇場



【恋する狐の華麗なる日常】



 その14



 テストというものは誰だって憂鬱になるものだと思う。


 誰だって『人』に試されるということは気持ちのいいことではないし、やらなくて済むならばやりたくはないはず。


 しかし、だからといって避けて通ることはできないし、避けて通るわけにはいかないのよね。

 

 他の『人』がどうかはともかく私は憂鬱だとかなんとか言えるような立場ではない。


 私よりも3つも年下なのに早くから社会に出て、こんな私を力いっぱい支えてくれている旦那様を思うと、胸がいっぱいになって怠けてなんかいられないのだ。


 一刻も早く大学を卒業し、一人前の小児科専門の『療術師』になり、バリバリ働いて稼ぎまくって、旦那様に楽をさせてあげるのだ。


 其の為にはまずは全てのテストを高得点で突破しなくてはならない。


 当たり前なことだけど優秀な成績を残した者ほど就職先は多くなり、その条件も優遇される。


 だからこそ手を抜くわけにはいかない、我が魂の全力をかけてテストに臨まなければならない。


 この都市で2番目に大きいといわれる大学構内の大図書館が閉館時間を迎えるのは午後17時30分。


 そのタイムリミットまでのあと3時間をそこに篭って集中して勉強し、一週間後にせまった中間テストを完全勝利するのだ。


 が、しかし。


 その前に私は枯渇しかかっているエネルギーを補給すべく、懐からレモン色の携帯念話を取り出すと、アドレスの0番に登録しているルーン番号へと念話をかける。


 2回ほど通信音が鳴り響いた後、私の大事で大切でかけがえのないエネルギー源の声が私の耳に聞こえてくる。


『もしもし玉藻さん?』


 成熟した男性の落ち着いた感じ、だけどその声の質は若いと幼いのちょうど中間にあるまさに『少年』そのものといった甘い声。


 私はその声に一瞬ぼ~~っとしてしまったけど、慌てて我に返るとどもりながらも返事を返す。


「は、はい、あの・・今、お忙しいですか?」


『いいえ、いま『ジャスト』で買い物しているところです。玉藻さん、今晩食べたいものありますか?」


「え、あ、その・・旦那様のチャーハンが食べたいかな」


 チャーハンは稲荷寿司の次に私が大好きな料理、特に旦那様が作るチャーハンは絶品なのよ。


 具そのものはほとんど入ってないんだけど、御店で出てくるようなパラッパラに炒められたご飯と小さく角切りにされた焼き豚、みじん切りのネギ、そして、卵のシンプルな組み合わせがほんとにおいしいのよねえ。


『わかりました、じゃあ、おかずにレバニラ炒めと餃子も作りますね。ビールはあったはずだけど、一応買っておきます。弁天ビールでいいですよね?』


「おおおおっ!!」


 やった~!! 私的にほぼ最高に近い組み合わせ!! 東方料理って基本的に私大概のものが大好きなんだけど、特にこの組み合わせはかなり私の大好物の上位に食い込むわ。


 おいしいものを作ってくれる旦那様がいるってほんと幸せ~~!! って、これだけでもかなりエネルギー補給になるけど、メインはこれではなく。


 私はちょっと咳払いして口調を変えると、できるだけ真剣な声音に聞こえるようにして旦那様に話しかける。


「あの、旦那様・・一応今日の講義は終わったんですけど、もうちょっと勉強してから帰ろうと思います」


『そうですか・・』


「それであの、これから17時30分まで図書館に籠って全力で集中しようと思うので、だからその・・」


 励ましてほしいなあ、なんて言おうとした私だったけど、旦那様はそんな私の言葉を遮ると、私の期待する言葉とは真逆の方向の言葉を紡ぎ出すのだった。


『あまり、無理しないでください、お願いですから、頑張り過ぎないでください』


「え?」

 

 旦那様の言葉の意味がすぐには理解できず、思わず聞き返してしまった私。


 そんな私の戸惑いの声に一瞬言葉を詰まらせた旦那様だったけど、念話の向こう側で深い溜息を吐きだす音が聞こえたあと、静かに旦那様は自分の想いを語り始めた。


『玉藻さんがご自身の夢である小児科専門の『療術師』になる為にがんばっていることに関しては心から応援していますし、これからも応援させてもらいます。雁字搦めに縛られて、来る日も来る日も虐待そのものの丸薬通作りの修行を押し付けられてきて、『回復術』そのものに嫌気がさしていた玉藻さんが、小児科専門の『療術師』になるという夢は捨てなかった。それは、幼い頃に致死率の高い病気にかかった玉藻さんを助けてくれた、歳若い『療術師』さんみたいになるんだっていう目標があったから。その話をみ~ちゃんから何度も聞かされて、僕は知っています。だから、そのことに関しては応援していますし、がんばってほしいです」


 み、ミネルヴァの奴、何をしゃべってるのよ、もう!! あれだけ秘密にしてね、しゃべらないでねって言ったのに!!


 そうなの、私が小児科専門の『療術師』を目指している理由は今旦那様が仰った通りなの。


 私が子供の頃、丸薬作りの修行が本格的に始まる直前だったから小学1年生くらいのときだと思うんだけど、私、『欠核(けっかく)』っていう病気にかかっちゃったのよ。


 『人』の精神体の核を壊してしまい廃人にしてしまう恐ろしい病気でね、発症したら最後、もう治すことはほぼ絶望的っていわれてる。


 そんな病気なもんだから家族はみんな私が助かることはないって早々に諦めちゃって、むしろ、他の誰かにうつらないようにって離れの部屋に隔離されちゃったわ。


 辛くて寂しくて悲しくて、毎日泣いていたんだけど、ある日、霊狐の里にふらりと若い『療術師』のお兄さんがやってきたの。


 その『人』はうちの里で作ってる珍しい丸薬の買い付けにたまたまやって来ていたんだけど、私が『欠核(けっかく)』だとわかると、自分がうつる危険も顧みずに私がいる離れの部屋にやってきて、一週間泊まり込みのつきっきりで治療してくれて、私は見事に完治。


 名前も告げずにその『人』は去っていってしまったし、おまけに昔のこと過ぎて顔もほとんど覚えていないだけど、物凄く優しい男の『人』だった。


 『人』型種族の方だったはずなんだけど・・あれ? そういえば、なんか雰囲気が旦那様と似ていたような気が・・あれ? あれれ? しかもよくよく思いだしてみるとどこかで最近会った誰かによ~く似ている気が・・   

 

 ちょっと自分の記憶に混乱し始めた私だったけど、旦那様がちょっと強い口調で話しを再開し始めたことに気がついて慌てて記憶をたどることを中断する。


『でも・・でもね、玉藻さん、もし、それだけが理由じゃなくて・・その、僕の勝手な想像で妄想かもしれないですけど・・僕を楽にするためにお金を稼がなきゃとか、借りを返さないととか思っていらっしゃるのであれば、がんばらないでほしいんです。無理をしないでほしいんです。本当だったら犠牲にしなくてもいい何かを犠牲にしないでほしいんです。お友達と遊んでくださっていいんです、気にいった趣味があるなら没頭してもらっても構いません、どこか行きたいところがあるなら、その・・できれば、あまり長い間離れていたくないですけど、ご旅行にだって行ってくださっていいです。その代わり、身体を壊したりしないでください、心に重たい何かを背負わないでください、僕はいつも元気でにこにこ笑ってる玉藻さんが側にいてくれることが一番うれしいし、それが一番の望みです』


「旦那様・・」


 念話の向こうから聞こえてくるのは心から私を心配しているとわかる声。


 上っ面の心にもない言葉をさんざん聞いてきた私にははっきりとわかる嘘偽りのない言葉。


『僕は今の生活を全然苦痛に思っていません。むしろ今まで自分が貯めこんで身につけてきた技術技能知識の全てをフル活用できる今の生活が・・大好きで愛している『人』の為に役立てることができる日々が、充実してて充実しててとても幸せです。だから、玉藻さんは、自分のペースで勉強してくださって構わないんです、別に今年無理に卒業しなくてもいいんです。玉藻さんが必要であれば、尊敬していらっしゃるブエル教授の元についてもっと勉強を続けてもらっても構いません、それこそ一生かけて勉強していくことになったとしても、大丈夫。玉藻さんは、玉藻さんの思うように、一番合った方法で、無理しないように・・」


 あ~~~~。


 本当にこの『人』という『人』は底なしのお人好しというか、今世紀最大の大バカ者ね。


 今の内容でいうと、私がとことんヒモになっても構わないという意味になるんだけど、わかってるのかしら?

 

 底なしここに極まれりというか、私がどれだけ利用しつくしてもこの『人』のことだからきっと最後まで笑っているんだろうなあ。


 馬鹿ね、ほんとバカ、大馬鹿だわ。


 一回ビシッと言ってやろうと思って声を出そうと思ったけど、目と鼻から大量の汗が流れ出ているものだからうまくしゃべれないのよ、さっき、疲れ目用の目薬差し過ぎたのが原因ね、きっと。


 それどころか口を必死に抑えてないと、なんかわけのわからない唸り声みたいなのが大声で出てしまいそう。


 私は急いで校舎の裏側に走って行くと、うずくまって視線を地面に向け必死に心を落ち着かせようとする。


『玉藻さん? あの、玉藻さん、怒っちゃいました? な、生意気なこと言ってしまってごめんなさい。その、玉藻さんにとって勉強することはそんなに大変なことじゃないのかもしれないですけど、ここ最近、玉藻さんがあまりよく眠れていないようでしたから・・』


 バレてたのかああ!!


 そうなのよ、実はここのところ中間テストのことが気になって、よく眠れてなかったの。


 ほとんどの教授のテストに対しては別にそれほど気にしてないんだけどね、私の恩師ブエル教授、コイバナ好きのラファエル教授、そして、採点がめっちゃくちゃに厳しいことで有名なカズヤ・リバースルー教授の3『人』のテストに対しては、あまり自信がなくて、夢の中でまであ~でもないこ~でもないってテストのこと考えちゃってるわ。


 私、ほんとダメだあああ!! こんなに心配かけさせてどうするのよ、ひょっとして仕事のサイクル変えてくれたのも、私を心配するが故だったのかしら!?


 うわ~、嬉しい・・もう、すっごい嬉しいことだけど、すっごい自己嫌悪だわ。


 旦那様、ごめん、ごめんなさい!! ほんとに弱い妻で申し訳ない。


 念話の向こうから聞こえてくる悲しげで心配そうな声にすぐにでも応えたかったけど、嗚咽がもれないようにするだけで精一杯でとてもとても声なんて出せやしない。


 旦那様の『無償の愛』が嬉しくて切なくて、それに比べて自分があまり情けなくてもうほんとにダメ。


 ってか、ほんとにダメだわ、このままだと旦那様が誤解しちゃうし、もっと心配かけてしまう、それだけはダメ、絶対にダメったらダメ!!


 私は即座に覚悟を決めると、腹に力を入れ、奥歯を力一杯噛み締める。


 そして、携帯念話を持つ手とは逆の手で握り拳を作ると、自分の頬めがけて力一杯それを叩きつけた。


(ガンッ!!)


『え、ちょ、玉藻さん、今の音なんですか!? 物凄い打撃音が聞こえたんですけど!! 玉藻さん、玉藻さん、無事ですか!? 玉藻さ~~ん!!』


 旦那様の悲鳴が遠くに聞こえる、目からはチカチカと火花が散って見えるし、あまりの衝撃で頭の中はぐわんぐわん言ってるけど、なんとか自分を取り戻した私は、痛む頬を押さえながらも携帯を耳に当て直す。


「な、なんでもありませんわ、旦那様・・(いてててて)・・ち、近くで拳術部が部活しているからその音が聞こえてしまったんですよ」


『あ、ああ、そうなんですか。でも、なんか物凄く近くで聞こえた気がしたんですが・・』


「気のせいです!!」


『は、はい・・』


「それよりも旦那様、私を心配してくださるのは嬉しいですけど、私を舐めすぎです。私はそんなにヤワな『女』じゃありません。旦那様だってご存じでしょ? 私は自分の身内からさんざん虐待をされる『人』生を送ってきました。でも、私は生きています、心も体も死んでいません。あれを乗り越えられた私にとって、この程度危機でも苦痛でもないんです。大丈夫、決して無理なことはしていませんから」


 私はきっぱりはっきりと旦那様に断言する、でも勿論それは突き放すような口調でではないわ、旦那様が私のことを心から心配してくだっさっているのに生意気な口調で話すなんてもってのほかだもの、あくまでも真摯な口調で自分の今の気持ちを正直に話す。


 確かに勉強するのは苦しいことだわ、大して役に立ちそうもないことや興味ないことや余計なことまで覚えないといけないこともあるからね。


 でも、それ以上に自分の身になることも多い、そして、それを身に着けたときの達成感もまた格別なものがある、だから、決して苦痛なだけじゃない。


「無理を全然してないわけでもないし、がんばってもいないわけじゃないんですけどね。でも、自分がほしい力を得るために自分の実力を高め、自分のそのときどきの実力を知るために、多少無理をしてがんばることは私にとって必要なこと。だから・・私は大丈夫!!」


『・・』


 できるだけ力強く断言してみせたつもりなんだけど、旦那様はしばらく無言だったわ。


 ダメかしら、やっぱり心配してるのかなあ・・なんて思っていたけど、念話の向こう側でなんだかほっとしたような安堵の溜息が聞こえて、旦那様が再びしゃべり始めた。


『玉藻さんは・・やっぱり強くてかっこいいですね』


「えええっ!?」


『僕は勉強が大っキライですから、テスト勉強なんて苦痛で苦痛で仕方なかったですけど、玉藻さんはそうじゃないんですね。そういうところやっぱり敵わないなあ。何の迷いもなく大丈夫って言える玉藻さん、ほんとにかっこいいです。・・でもちょっと寂しいかな、僕の力はこういうときなんの役にも立たないから。戦場に1人で突き進んでいく玉藻さんの背中を見送るだけみたいで。でも、しょうがないですよね』


 声だけでもしょぼんとしてしまったとわかる旦那様の声。


 いやいやいや、ちょっと待って旦那様、そうじゃないのよ!!


「いや、あの旦那様、私が『大丈夫!!』って断言できるのは、旦那様が側にいてくださるからですよ。一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、寝て、そして、愛し合って。いつも一緒にいてくれる自分以外の誰かの為の何かを成し遂げるためにがんばるんじゃないですか。旦那様だってさっきそう仰っていたでしょ? 私の為にって。同じことじゃないですか。自分ができない何かをお互いやっているけど、それはお互いの為に。旦那様は私の為に、私は旦那様の為に。それは結局自分の為でもある。でしょ?」


『玉藻さん・・そうですね、そうですよね』


「だから私は頑張ります、だから旦那様も私を応援してください」


 私が静かにそう言うと、しばらくの間旦那様は黙っていらっしゃったけど、それでも最後には万感の思いを込めて・・勿論マイナスの口調でではないわよ、心から応援しているって口調ではっきり言ってくださったわ。


『・・はい、頑張ってください』


 ってね。


 いつもいつもいろいろあるけど、理解しあえるっていいよね。


 喧嘩じゃなくても意志の疎通が難しいときってあるけど、それでも私のことをいつも理解しようと努力してくれている旦那様が側にいてくれる私は、最高の幸せ者なんだろうなあ。


 その後私達はちょっとの間雑談を続けたわ、まあ、本当に大した話じゃないしそれほど意味のない話なんだけど、そういう話ほど面白くて楽しかったりで・・だけど、いつまでも雑談しているわけにはいかない、勉強の時間なくなっちゃうからね。


 私達は17時45分くらいに学校近くにあるコンビニの駐車場で待ち合わせを決めると念話を切り上げようとしたんだけど・・


『あ、あの玉藻さん?』


「え、あ、はい、なんですか?」


『あ、その、全力で勉強していただこうとしているのに、こんなこと言うのなんなんですけど・・』


 念話を切ろうとした私に、旦那様が慌てたような、それでいておずおずとした口調で話しかけてきた。


 珍しくその様子は恥ずかしそうだったんだけど。


『ちょっとだけ、力を残しておいてほしいなあ・・』  


「えっと、何かあるんですか?」


『朝はそのダメって言っちゃったんですけど・・帰ってからちょっとだけ僕の相手してほしいです・・』


「・・」


 旦那様の言ってることが一瞬理解できなかった私だったけど、その意味が脳味噌に浸透してくると、凄まじい歓喜のエネルギーが自分の体内を駆け巡るのを感じたわ。


 キターーーーーーーーーーーーーーーーッ!!


 もうね、旦那様が自分から私を求めてくることって、ほんとに年に数回あるかないかなのよ。


 基本的に受け身な『人』ってこともあるし、この『人』自身がそういう欲求がいまいち希薄ということもあるし、私が旦那様に四六時中ひっついていたいから先に押し倒してしまうことがほとんどっていうのもあるし、まあ理由はいろいろとあるんだけど、ともかく、こういうこと言ってくるってことがめちゃくちゃ珍しいのよね。


 で、こういうこと言ってきた場合、絶対ちょっとでは終わらないのよ。


 無茶苦茶律儀というか、きっちり最初から最後までやる『人』なの、メインの愛の営みだけじゃなくて、する前はする前でいろいろと・・終わったあとは終わったあとで身体を奇麗にしてくれたりマッサージしてくれたり、ともかく、私が気持ちいいと思うこと一通り全てやってくれてしまうわけ。


 身体を張って『心から愛しています』って言い続けてくれるわけなのよ。


 え、普段は違うのかって?


 いや、その、普段は私がその、好き勝手絶頂にしたいようにしてるというか・・すいません、なんかいろいろとすいません。


 だからその、今日は久しぶりに思いきり旦那様の能動的な愛を確認できるというか、って、考えると、おおおおおおおお、なんか、すっごい燃えてきた。

    

『あ、あの、玉藻さん、やっぱり駄目ですか?』


 あまりの感激にしばらくぼ~~っとしてしまい私が肝心の返事を返さなかったものだから、旦那様が不安気な様子でたまらず聞き直してくる。


 私は慌てて我に返ると、携帯念話に噛みつくように絶叫する。

 

「ダメじゃない!! ダメじゃないっていうか、もう変更しちゃダメです!! 他に予定入れたりしたらダメ!! 絶対ダメ!! 17時45分以降は誰の予定も入れないでください!! 全部断ってください!! たとえそれがお義父様やお義母様でも、『真友』のロムくんや『戦友』のクリスくんの頼みでもダメです!! 今日の夕方からは旦那様は私の相手をすることだけに集中してください、でないと泣きます!!」


『わ、わかりました。・・あ、あ、あの、玉藻さん・・』


「なんですか?」


『・・早く夕方になるといいなあ・・えへへ』


 いつになく嬉しそうな旦那様。


 どうしたんだろ、旦那様、今日はなんか反応が滅茶苦茶かわいいなあ、私旦那様が押し倒してくれるまで我慢できるかな、やばい、事と次第によっては私が先に手を出してしまうかもしれん。


 そうだ、勉強だ、押し倒す気力がなくなるくらいまで集中して勉強するんだ!!


 よ~~し、よしよしよ~~し!!


「では、旦那様、また夕方に!!」


『はい、勉強がんばってください』


「がんばります、いろいろな意味でがんばります!!」


 念話器の通信を切った私は、ふつふつと身体の奥底から湧き上がってくる膨大なエロ・・いやエネルギーを感じ、両手を握りしめて気合いを入れ直す。


 なんか当初の予想とは大幅に違った形で元気を注入された形になったけど、とりあえず、これはこれでよし、ってか、予想以上によしということで、夕方までの時間を全力で勉強すべく、私は雄叫びをあげながら図書館へと駆け出すのであった。


 しかし・・私は全く気がついていなかった。


 このときばかりは旦那様と夕方から繰り広げられることになるであろうあっは~んやうっふ~んな甘い逢瀬を妄想しまくっていたため、全く気がつくことができなかったのだ。


 そう、中間テストに喘ぎ悩む後輩達(ゾンビのむれ)が鋭い視線を私に向けていたことに・・


 ってことで、今日はここまで。


 またね!!

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