Act.45 『激闘開始』
そのときそこにいた者達ははたして幸運だったのか、それとも不運だったのか。
城砦都市『嶺斬泊』の『特別保護地域』の1つで、大河『黄帝江』に浮かぶ巨大な島、植物系種族の一大居住地区『ランブルローズ』。
その北側にある森林エリアのあちこちで今尚続く死闘それは、大河から次々と上陸してくる大山椒魚型の『害獣』達の群れと中央庁が誇る最精鋭部隊との間で行われているもの。
そもそもこの戦いの当初の相手は『人造勇神』最後の一体であるタイプゼロツーだけだったはず。
人間族以外のすべての種族の共通の敵『勇者』。
その『勇者』の力からは程遠いものではあるものの、それを目指して人間の秘密結社『FEDA』が作り出した10体の大量殺『人』兵器『人造勇神』。
その最後の1体を殲滅する為の作戦であったはずであった。
だが、その目標たる『人造勇神』タイプゼロツーは、あろうことか自らに埋め込まれた高位の『害獣』の能力を解放し、その力を行使して大量の『害獣』の群れを召喚。
幸いにも戦いの舞台となった森林エリアは居住地域が離れていたことと、予め先行して埋伏していた中央庁の精鋭部隊によって森林エリア一帯はいち早く封鎖されていたので、民間人の被害は今のところほぼ0といっていい状態ではあるのだが、あまりにも圧倒的な数で次から次に攻めてくる『害獣』の群れの対処に、中央庁側は苦戦を強いられていた。
全部で8つの精鋭部隊からなる中央庁側は、森林エリアの各要所に散らばり、『害獣』の侵攻を食い止めていたのであるが・・その中の1つ、森林エリアの最北端であり、同時にこの『ランブルローズ』がある島の最北端でもある場所である変化が起こり始めていた。
ここは、中央庁直轄部隊の第5、第6部隊が防衛任務につき、他の場所同様にすぐ側を流れる大河『黄帝江』から上陸してくる大山椒魚型の『害獣』達を食い止めていたのであるが・・
最初に異変に気がついたのは、第5部隊の副隊長である草原妖精族の男性『療術師』のピノピート・エストレンジスであった。
全部隊の中でも屈指の『回復術』を誇る彼は、前線で戦い続ける第5、第6の前衛隊員達を隙なく、そして、危なげなく援護しながらも、そのみるからにおっとりした外見からは想像できないような鋭い観察眼を発揮して自分の目に見える範囲で秒単位で変化している戦場の様子を観察していた。
11人以下の小規模な傭兵部隊での基本的な戦術でいうと、全員が一まとまりとなって行動するのがセオリーであるが、12人以上の人員を有する中規模以上の傭兵部隊になると、また別の戦術を取ることになる。
部隊の中で2つ、あるいは3つ以上の小隊にわけてそれぞれ行動したり、小規模な偵察部隊と本隊にわけたり、前衛と後衛それぞれで一まとまりとしたりと実に様々な戦術が存在し部隊によって特色が異なるものであるが、中央庁直轄部隊の場合、そのいずれとも違う形態を取っている。
1つの部隊の中で、前線で戦う1st攻撃隊、2nd攻撃隊と、前線から少し離れたところにキャンプを陣取り、そこで前線から後退してきた攻撃部隊をサポートするバックアップ部隊に分かれ、1st攻撃隊が戦っている間は2nd攻撃隊はキャンプ地で待機、その後、1st攻撃隊に疲れや被害が大きくなってくる前に2nd攻撃隊と1st攻撃隊が交代し、2nd攻撃隊が戦っている間に、バックアップ部隊が1st攻撃隊を回復したり補給したりするわけである。
そのバックアップ部隊のリーダーがピノである。
ピノは自分の管轄であるバックアップ部隊を、若干距離はあるものの前線の様子がはっきり視認できる程度の場所に待機させ、傷ついて後退してきた2nd攻撃隊を回復、補給しながらも、手の空いている隊員達と共に前線ギリギリまで近づいて大山椒魚型『害獣』の群れと戦闘中の前線部隊を援護する。
前線部隊とバックアップ部隊のちょうど中間に位置する絶妙な位置にその身を置きながら、前線部隊への援護、あるいは自分の管轄であるバックアップ部隊への指示を的確に出しながら、その素晴らしい手腕で所属部隊を背後から守っていたのであるが、突如、彼の脳裏を違和感が走る。
最初、違和感を感じているのは、前線に近づきすぎているせいだと思って気にしないようにしていたのであるが、前線から若干離れて距離を置いてみても、また、無理矢理今感じている違和感を忘れようとしても拭うことができない。
どうにもその違和感の正体が気になってならず、彼はその違和感の原因を確かめるために、援護にさいている自分の意識の何割かを観察へとまわして、注意力を高める。
ピノは、数分前の情景と、今見た情景との差にすぐさま気がついて、顔を青ざめさせる。
「・・増えてる・・増えているよ、さっきよりも間違いなく増えてる!!」
相変わらず自分が所属している中央庁の直轄部隊側は素晴らしい速度で『害獣』の群れを殲滅しており、その勢いはむしろ押し気味になっていて、大河から上陸してくる『害獣』は今や水際で完全に食い止められている。
・・にも関わらず『害獣』の群れが増えているということは、大河からの増援ということではなく。
「別のエリアから流れ込んできてるってこと!? じょ、冗談きついってば、ただでさえエンドレスで大河から増援が続いているっていうのに、なんで!? 他のエリアの防衛網が突破されたってこと!?」
脳裏をよぎる不吉な予感に思わず身震いするピノであったが、硬直している場合ではないとすぐさま決断すると、自分の部隊の頼れる隊長に報告するために通信用宝珠を取り出して前線にいる彼女を呼びかける。
「エルっち、聞こえる? 忙しい最中悪いけどすぐに応答して、大至急応答して、それか、こっちに一旦もどってきて、お願い!!」
かなり焦った口調で通信用宝珠に話しかけると、ほどなくして不機嫌そうな声が返ってくる。
『ピノたん、戦闘中は隊長って、呼んでっていってるでしょぉ。詩織さんはともかく石頭の時田のおっさんに知られたらまたお小言なんだからねぇ』
「あ、そっか、ごめん、エルっち。・・って、エルっちだって、おいらのこと副隊長って呼んでないじゃんよ!! しかも、司令官のこと詩織さん呼ばわりだし!!」
『いいのよぉ、私は。それよりも何ぃ? なんかあったぁ? ってか、ひょっとして敵の数増えてるぅ?』
のんびりとした口調でわかりづらいが長年の付き合いで、通信用宝珠の向こう側にいる盟友にして部隊長であるムーンエルフ族の女性戦士がかなり焦っている様子を察し、ピノは慌てて話し始める。
「そそ、そうなんだよ!! 大河側じゃなくて、森のほうから増援が増えてると思う。このままだと挟まれるから、前線崩さないようにいったん西か東に後退したほうがいいと思う!!」
『あぁ、そりゃそうよねえぇ、そうなんだけどさぁ。簡単に言わないでよねぇ。やっと、奴らの群れを苦労して川岸まで押し込んだところなのよぉ。今下手に後退するとせっかく押し込んだこっちが先に崩れちゃうわよぉ』
「ううう、わかってるってば、こっちからでもエルっち達の活躍はちゃんと見えているんだけどさあ、なんていうか、急いだほうがいい気がするんだよ。すっごい嫌な予感がするんだよ。もうなんかさっきから背筋にバシバシ冷たい何かが走っているんだよ。ねえ、エルっち、ほんとに一度後退したほうがいいって!!」
相変わらずののんびりした口調ではあるが、かなり憂いを帯びて苦しげに語る盟友の声を聞いて、ピノもまた表情を曇らせる。
盟友の言っていることは勿論、きっぱりわかっている、ピノだって伊達に副隊長をやっているわけではないし、後方から援護という役割のおかげで落ち着いて全体を見渡すことができるので、どちらかといえば前線で戦っている盟友よりも全体の状況についてはより詳しく把握しているつもりだった。
だから、今、前線で戦っている前衛部隊の戦況が大事な局面を迎えていることも重々承知してはいるのだ。
しかし、どうにも身体を駆け巡る悪寒がおさまらないのである、非常に悪い何かが起こる、それももう間もなく起こるに違いない。
十代前半で『害獣』ハンターの仕事をするようになってから十年、所属していた傭兵旅団がこの都市の中央庁に抱えられてから数年、幾多の危険を乗り越えてきた経験を持つ彼であるが、こういう風に悪寒が身体を走るときは、一度として外れたことがなく必ず悪いことが起こってきた。
だからこそ、ピノは確信していた、絶対何かが起こると、そして、それは間違いなく自分達にとってろくでもないことであると。
それが起こるのが半日先なのか、それとも数時間先なのか、それとも1時間以内なのか、それともすぐなのかはわからなかったが、ともかく災いがやってくるとピノは確信していたのであった。
「エルっちだって知ってるでしょ? おいらの悪い予感がただの一度も外れたがことがないってこと」
『わかってるわよぉ、だから、後退の準備始めてるわよぉ。ちょうどすぐ横にバッチいたからぁ、あんたの予感のこと話したら、『マジかよ!? ヤバいじゃねぇか!! 【厄災予知】のピノ副隊長の予感は洒落にならんからなあ、速攻で逃げようぜ!! ・・ってか、先に撤退するわ』って、第6部隊集めてさっさとそっちに向かったぁ。あいつがそっちに着いたら、私の代わりに言っておいて、バッチのあほぉ、薄情者ぉって』
「あ、あははは、バッチ第6部隊長は引き際をほんと心得ているよね」
『逃げ足が速いだけぇ』
通信機の向こうで憤然とした口調でしゃべり続ける盟友に、苦笑を洩らすピノ。
しかし、自分達の第5部隊だけでなく、合同で戦線を維持していた第6部隊も自分の言葉を信じて速やかに後退してくれたようなので、とりあえず一安心。
あとは彼らが自分達後衛部隊に合流してくれれば、やってくる災いがいかなるものであれ、かなり対処しやすくなるのだが。
『とりあえずぅ、全員集めることが出来次第撤収するぅ。第6部隊の後衛部隊と一塊りになっておいてねぇ。あんたの予感の正体が何かわからない以上、戦力を分散させたくないからぁ』
「うん、わかってる、急いで第6部隊の後衛部隊責任者の如月さんと合流することにする」
『そうしてぇ。私達もすぐにそっちに行くぅ。5分以内になんとかしてそっちに向かうからぁ』
「了解、後退する時はくれぐれも気をつけてよ」
『そっちもねぇ』
通信を切った後、ピノは自分の後方に展開している自分直属の部下達に視線を向ける。
傷ついた戦士達の治療に当たっている『療術師』グループや、彼らの武器防具や装備品をチェックし場合によっては修理あるいは補充し直している『工術師』グループ、前衛部隊と入れ替わるため出撃しようとしている戦士達に能力増強の術をかけている『能術師』グループ。
誰一人休むことなく忙しく働き続けている部下達をほんの一瞬目を細めて満足そうに眺めていたピノであったが、すぐに表情を引き締めると、後方のキャンプ地に急いで移動し、各グループのリーダーを呼び出して、前線から引き上げてきた前衛部隊と合流した後、速やかにこの場から後退することを告げる。
各グループのリーダー達は、長年ピノと一緒に戦ってきた間柄であるので、くどくどと理由を言わずともピノの指示に黙って頷きを返し、後退の為の準備を行う為にすぐに自分達のグループの元へと帰って行った。
足早に去っていく彼らの姿をほっとした表情で見送った後、ピノはすぐ近くにいたエルフ族の女性を呼び寄せ、ほんの少し離れたところにキャンプを張っている第6部隊のバックアップグループの元に、急いで伝言を書き記したメモを渡して走らせる。
内容は勿論陣地の後退を伝えるもので、向こうの責任者である霊狐族の男性『工術師』とは古馴染みであるから、きっとピノの言葉を信じてくれるはずであった。
ともかく、一旦後方にひき、現在の『害獣』の群れの流れを知る必要がある。
本来であれば司令本部に連絡して指示を仰ぐのが絶対のセオリーであるが、本部の場所から遠く離れ過ぎてしまっているため、現在通信をすることができなくなってしまっている。
配置された場所が場所だっただけに、本部からは『『害獣』の群れを大河に押し戻し、居住地域への侵入をなんとしても防げ!! やり方については各部隊の裁量に任す』とのありがたいお言葉を頂戴しているので、最終的に『害獣』を居住地域に入れなければ、どのように動いてもいいはずではあるのだが。
今まで経験したことのない、あまりにも膨大な数の『害獣』の群れを相手にしている為か、どうにも勝手が掴めない。
群れを構成している『害獣』の種類が、『害獣』の中でも最弱中の最弱である大山椒魚型であることだけが不幸中の幸いであった。
ピノはどうにもすっと晴れない重い心を抱えたまま、前線部隊がいる大河方面とは逆の、森の奥のほうになんとはなしに視線を走らせる。
たくさんの針葉植物が鬱蒼と生茂る森の奥は、闇が支配する空間と化しており、ほんの数十メトル先すら見通すことができない。
その闇の中から鈍重な足取りでのっそりと無数の大山椒魚型の『害獣』達が染み出るようにこちこちらに向かって来ているのが見え、ピノは大きく深い溜息を吐き出す。
「どんだけの数いるんだよ、もう。これじゃあいくら倒してもキリがないよ」
誰に聞かせるでもなく疲れ果てたように呟いて、ピノはその場を立ち去ろうとしたのだったが、ふとあることに気がついて足を止める。
大したことではないと言えば、大したことではない、どちらかといえばたまたま目について気になっただけで、ピノ本人はそれほど重要視してそちらに視線を向けたわけではなかった。
森のある一部分だけが妙に闇が深い気がしたのである。
改めて注視してみると、大山椒魚型の『害獣』の群れがのそのそとこちらに向かってきているのが見える中、確かにたくさんの木々の間から見える闇が明らかに他の部分と異なっている個所があることに気がつく。
しかもそこからは、大山椒魚型の『害獣』達が染み出してきていない。
他の森の部分とは違い妙に黒々としており、なんだか少しばかりてかっているようにも見えるし、しかもゆらゆらと闇そのものが不気味に揺れているようにも見える。
目の錯覚か? あるいはそうではなく別の何かがそこで起こっているのか?
ピノは何かに取り付かれた様にふらふらとその場所に向かって歩いて行く。
幸いそこにたどり着くまでの道に、『害獣』達の姿はなく、またそこに至るまでの道に何故か彼らは入って行こうとしない。
本来であればすぐにも戻ってくるであろう前線部隊と合流し後退の為の準備を速やかに行わなければならないはずだったのだが、何故かどうしてだかわからないのだが、行って確かめなくてはならない、すぐにも行ってそうしなくてはならない気がして、ピノは闇に向かって歩き続ける。
まるで遠くのほうに見えていたと思われる森の闇であったが、大して歩くこともなくピノは目的地へとたどり着く。
そして、そこでピノは全く予想だにしていなかった光景を見せつけられることになり凍りつく。
「な、な、な、なんだこりゃあ・・」
Act.45 『激闘開始』
生い茂るたくさんの木々故に陽の射さぬ場所となり生まれた闇、と思っていたピノであったが、彼の目の前にあるのは実体のない闇ではなかった。
てらてらと不気味に黒光する巨大な壁、しかもその壁はゆらゆらと絶えず揺れている、まるで生きているように。
いや、『ように』ではない、間違いなくその壁は生きていた。
その事実に戦慄しつつも、巨大な壁の全体像を掴もうと、ピノはゆっくり首をめぐらしその異形の何かを観察する。
「が・・が・・『害獣』? いや、『害獣』だあっ!!」
巨大な壁の全てを見渡した時、それがなんであるかを理解して悲鳴に近い上ずった声をあげるピノ。
黒光りする壁・・いや黒光りする身体を持つそれは、巨大なウナギのような身体に4つの太い足を持ったとんでもない大きさの『害獣』であった。
決して『兵士』クラスの大きさではない、紛れもなく目の前にいるそれは『騎士』クラス以上、下手をすれば『貴族』クラスかもしれない相手であった。
恐らく森の方からやってきている『害獣』の群れはこいつが呼び寄せているに違いなかった。
ピノは自分の死を覚悟したが、かなり近づいているにも関わらず相手が動こうとしない様子に、まだ相手が自分を気がついていないと判断する。
「と、ともかく一旦戻ってみんなに合流だ・・こんなとんでもない奴が近くに現れるなんて・・」
そう小さく呟き、足音をたてないようにそろそろと後退を始めるピノ。
元々そういう隠密技術に優れた種族である草原妖精族の彼にとって、気配を消して後退することはそれほど難しいことではない、息を殺し、気配を限りなく消し、滑るような足取りで後退していく。
だが、ふと何かに気がついてピノは足を止め、再びそろそろとウナギ型『害獣』の側へと近づいて行く。
「なんだ? あいついったい何をやってるんだ?」
後退していく途中、巨大ウナギ型『害獣』の上半身と思われる部分がしきりに動いていることに気がついたのだ。
恐らく自分という存在に気がついていないのは、その何かを行っているからだと思うのだが。
ピノは気配を消したまま巨大ウナギ型『害獣』のやや前方へと移動し、その様子を大木の影からそっと窺う。
そして、彼がその目に見たものは・・
「げ、げえっ!! うそだろ? ・・食ってる、あいつ共食いしてやがる!!」
先程まで、自分達が倒し放置したままにしていた大山椒魚型の『害獣』の死骸の山の前に陣取った巨大ウナギ型『害獣』は、一心不乱にその死骸を掴み上げては自分の口の中へと放り込むという作業を延々と繰り返し続けていた。
もう十年以上にわたって『害獣』ハンターを生業とし、様々な『害獣』達と渡り合い、その異質な生態をその目にしてきたピノであったが、同じ種族であるはずの『害獣』を食らう『害獣』など流石に見たことはない。
食事の為なのかなんなのかわからないが、ともかく吐き気を催す異様な光景であった。
しばし呆気に取られてその光景を見続けてしまったピノも、やがてたまらず目を背けてしゃがみ込み、腹の底から込み上げてくるすっぱいものをかろうじて我慢する。
何度か深呼吸を繰り返し、急いで気持ちを落ち着けると再び気配を消してその場を立ち去ろうとする。
「なんにせよ、今がチャンスには違いない。ああやって食事をしてくれている間は安全みたいだし、急いで戻ってくれば不意打ちすることもできるもんな。早くみんなに知らせなくっちゃ」
巨大ウナギ型『害獣』に背を向けて、その場から立ち去ろうとするピノ。
木々の間の影を巧みに利用して見事な穏行を発揮し、流石の『害獣』でも姿を見つけることは難しいであろう動きで足早に去っていくピノであったが、少しばかり距離が離れたところで、ピノの耳に異様な音が聞こえてきたのだった。
『ゴボッ・・ゴボゴボッ・・ゴボボッ』
立ち止まっている場合ではない、急いでこのことを部隊メンバー達に知らせなくてはならない、そう頭では理解していたピノであったが、それを打ち消すほど大きな悪い予感が自身の胸の内をよぎる。
ピノはその予感を振り切ることができずに立ち止まると、恐る恐るその音がした方向に視線を走らせる。
音は巨大ウナギ型『害獣』の下半身のほうからしていて、今もなお途切れることなく続いていた。
目を凝らし何が起こっているかを確かめようとする。
最初は排泄行為かと思っていたのだ、巨大なウナギ型『害獣』が下半身から垂れ流している長い透明のチューブのようなものは、同族を貪り食って消化した結果であろうと思い、すぐに興味を無くして立ち去ろうとしたピノであったが、ふとチューブ状の排泄物の中に、小学生くらいの大きさの球のようなものがいくつも入っていることに気がついて、もう一度よく目を凝らす。
緩い楕円形をした球はやはり透明になっているのだが、更に目を凝らしてみると中に何かが入っているのがわかる。
地面に落ちたチューブの中で、いくつもの球はそれぞれもぞもぞと動き出しており、やがて、チューブの先のほうにある球がチューブの中で割れて中から何かがのっそりと外に出てくるのが見えた。
それは先程ピノ達が倒したはずの大山椒魚型の『害獣』によく似ていた。
しかし、それらとは全く別物であることがピノにははっきりとわかり、ピノは自身の身体を恐怖で震わせる。
大山椒魚型の『害獣』達よりもはるかに大きく鋭く尖った牙、背中から生えた無数の凶悪な針、そして、何よりもピノを驚愕させたのはその一匹一匹が、身体から電光らしきものを発しており、周囲の木々や草花が、その電光に触れただけで『バシッ』という音を立てて煙となって消えていっていることからかなりの威力であるとわかる。
「おいおいおい、そんな出鱈目な繁殖方法ありですかっ!? それはないでしょう、それは!! しかも再生するだけならともかく全然違う生き物に変えちまうなんてありなのぉっ!?」
目の前で起こっているとんでもない現象に、思わず頭を抱えてうずくまるピノ。
少し離れたところから観察する限りでは、産み落とされた卵が孵る速度はそれほど早いものではないが、放っておくとどんどん数が増えていくのは間違いないし、その生まれてきた新種の『害獣』はどうみても、今までの大山椒魚型の『害獣』よりも弱いとは思えない。
むしろ、かなり危険な相手とみていいだろう。
ピノは冷や汗をだらだらと流しながらもなんとか心を静めると、そっと立ち上がり今度こそその場を後にしようと気配を消し、徐々に巨大ウナギ型『害獣』から距離を取って行く。
「気がつかれませんように。気がつかれませんように」
小さくそう呟きながら滑るような足取りで距離を取って行くピノ。
前方に見えている巨大な壁にしか見えない、黒くてらてらと不気味に光るウナギ型『害獣』の動向から目を放さないように、注意深く撤退していく。
だが、あまりにもウナギ型『害獣』に神経を集中しすぎていたせいか、ピノは横合いから迫る脅威の姿を完全に見逃してしまっていた。
禍々しい電光を放ちながら急速に接近してくる3つの影。
それにピノが気がついた時には、もう逃亡はおろか、回避することすら間に合わない距離となっていた。
「!!」
先程目撃したばかりの新種の『害獣』、牛ほどの大きさもあるヤマアラシ型の『害獣』3匹が、野生のチーター並みの凄まじいスピードで自分に接近してくるのを知覚し、ピノは思わず身体を硬直させてしまい、悲鳴にすらならぬ呻き声をあげてその場に立ち尽くす。
自分を目がけて突進してくる彼らの真っ赤に光る目が、ピノの身体を恐怖で呪縛し思うように身体を動かすことができない。
くわっと開いた口にはサメを思わせる鋸状の歯がズラリと並んで見え、ピノはその牙の前には自分の身体などいとも簡単に引き裂かれるであろうと悟り覚悟を決める。
「迂闊だった・・ごめん、エルっち。ごめんなさい、司令官。あれほど単独行動するなって言われていたのに、約束破ってヘマしちゃったよ。みんな、ごめん!!」
そう言って目を瞑り、すぐに自分に訪れるであろう最後の瞬間を想像して身を固くする。
だが・・
ピノが着ているコートの襟首を、誰かがムンズと掴んだかと思うと、力任せに引っ張られてそのの小柄な身体は宙を舞う。
「うわわわわわわっ!!」
悲鳴を挙げながら数秒間滞空した後、雑草が生い茂る柔らかい地面の上をゴロゴロと転がっていき、ピノはぐるぐると目を回しながらもなんとか顔を上げ、いったい自分の身に何が起こったのかを把握しようと周囲を見渡す。
すると、先程自分がいたと思わしき場所に、青と黒の2色で塗りつぶされた鎧甲冑を身に着けた戦士の一団が、新種のヤマアラシ型『害獣』と激しくやりあっている姿が見えた。
激しい放電で苦しめられながらも、戦士達は怯むことなく手にした巨大な大剣を振い『害獣』達を葬っていく。
中でも先頭で大剣を振っている豹型獣人族の男性の活躍は目覚ましく、自分自身を一番危険な場所に置いて『害獣』達と真っ向からぶつかりながらも、部下と思われる他の戦士達に的確に指示を出し、あるいはそのフォローに回り、次から次に現れる『害獣』の増援を減らしていっている。
ピノはその隊長格の戦士に、喜色満面で声をかける。
「バッヂ部隊長!!」
ちょうど一匹のヤマアラシ型『害獣』を蹴り飛ばした直後に声を掛けられる形になったその豹型獣人族の男は、ピノのほうに顔を向ける。
無数の刀傷が走った厳つい顔、中でも一番大きな傷は左目の上を縦一文字に走っており、その左目は使い物にならなくなっているのか、黒い刀の鍔で作られた眼帯で隠されている。
しかし、それだけ威圧的な顔でありながらその精悍な表情にはどことなく人を惹きつけずにおけない奇妙な愛嬌のようなものがあり、ピノは自分を見てニヤリと笑って見せるその片目の豹型獣人族の男の顔に思わず見惚れてしまうのであった。
「おう、ピノ副部隊長殿、あんたの悪い予感、バッチリあたったみたいだな。って、そうだ!! 偵察に行くなら護衛くらい連れて行けよ。あんたがぱっくりやられそうになったときは肝が冷えたぜ」
「え、ひょっとしておいらのこと助けてくれたの、バッヂ部隊長?」
「おうよ、俺だぜ、大いに感謝してくれよな。ったく、あんたの予知のことをエルっちに聞いて慌ててキャンプに戻ってきてみたら、その予知した当人であるあんたが、危険な森の奥にふらふら歩いていっちまったっていうじゃないかよ」
なんとも苦い表情で大きなため息を吐きだしてみせるバッヂに、ピノはえへへと誤魔化し笑いをしてみせる。
「て、てへへ、ご、ごめんなさい。ところでそれを誰から聞いたの?」
「伝令の女の子からだよ。あんた、うちの如月あてに伝言を走らせていただろ? その子が如月に伝言伝えたあと、あんたの姿を見たらしくてな。どうしたものかと途方に暮れていたところにちょうど俺達が戻ってきたってわけだ。それでその子から話を聞いて慌ててあんたが向かったっていう方向にやってきてみたら馬鹿でかいウナギみたいな『害獣』がいて、うんうん唸りながらハリネズミかヤマアラシかわからないような化け物をガンガン産み落としているじゃねえか。こりゃ、こいつが本命に違いねえとおもって援軍連れてこようと思ったんだけどよ、一応他にも厄介なことが起こってないか探っとこうと思って周囲を見てみるとあんたが、めちゃくちゃやばい距離まで近づいているのがみえたわけよ。しかも、狙われているのに全然気がついていないしよ・・声かける暇もなかったから、とりあえず全速力であんたに近づいて化け物に噛みつかれる寸前で投げ飛ばしたってわけよ。あんた、軽いからいいけどさ、そういう問題じゃなくて・・あ〜、もう、ともかく頼むぜ」
何とも言えない苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてピノに文句をいうバッヂ部隊長であったが、横合いから突っ込んできた別の『害獣』の鼻面に、慌てた素振りもなく剣の柄頭を力いっぱいぶつけて怯ませると、見事な旋風脚で顔面を蹴り砕く。
砕かれた顔を押さえて地面を這いずるヤマアラシ型『害獣』に周囲の戦士達がすかさず駆け寄り、トドメの刃を次々と立てて絶命させるのを無表情で確認したあと、バッヂ部隊長は再びピノに視線を向ける。
「とりあえずよ、あんたの部隊の隊長殿のところにはこっちの手の者を廻しておいたから、おっつけやってくると思うぜ。で、それまでは悪いが、俺のほうの部隊のサポート頼む。慌ててやってきたものだからよ、補給も回復もやってねえんだわ、これが」
「ああああ、そっか、ごめんよう!! おいらの為に!! すぐに『能術』と『療術』を発動させるよう!!」
バッヂの言葉を聞いたピノは慌てて自分の背中から折りたたみ式の杖を取り出すと、コートの内ポケットから薬品の入ったビンをいくつか取り出して、杖の回転式になっている装填装置にビンをセットしていく。
そして、手馴れた様子で杖を元の状態に組み立て直して掲げてみせると、薬品の力を増大させる力ある言葉【古代言語】を次々と唱えて、バッヂ達前衛メンバーの能力を増強させていく。
従来の『異界の力』を使った魔法ではなく、太古からこの世界に存在し、『世界』そのものが使用することを許可している原初の力の一つ。
『道具使い』が扱うことのできる術の一つ、『能術』と呼ばれる力で、腕力や瞬発力を増加させる薬品を触媒にして、本来その薬品を飲んだ『人』だけが一定の限られた能力を増加させるところを、『能術』を駆使することで多人数に、しかも薬品単体で使う以上の能力を増加させることを可能とする。
『能術』ばかりではない、『療術師』であるピノの最も得意とする分野である『療術』も続けて行使し、傷ついた戦士達の傷を瞬く間に治療していく。
「おいら本職の『能術師』じゃないし、『能術』技能ほとんど磨いてないからそれほど大きな強化できないんだ、ごめんね。その代わり、回復は任せてね」
「オーケイオーケイ。無問題。『硬化巨鎧 参式』、『属性大盾 弐式』、おまけに『範囲加速 壱式』か、上出来上出来。全く何も強化がかかってないことに比べれば雲泥の差だし、こんな場所でこれ以上は贅沢ってもんだぜ。ってか、俺のとこの『療術師』なんて、みんな『能術』使えないっていう奴ばっかりだぜ。エルが自慢するだけあって高性能な奴だよなあ・・こいつ、マジでうちに引っこ抜くことにしよっかな」
不穏な視線をピノの方に向けながらブツブツととんでもないことを呟くバッヂ隊長であったが、ピノが怪訝そうに自分を見つめていることに気がつくと、慌てて取り繕うように笑顔を浮かべて見せる。
「え、バッヂ部隊長今何か言った?」
「ああ、いや、その・・あ、そ、そうだ!! 援軍連れてくるように伝令走らせたんだった。すぐにうちやそっちの部隊の全軍がここに集まってくるはずだからよ、それまでサポートバッチリ頼むぜ!!」
「おお、流石、音に聞こえた第6部隊指揮官ガウェイン・バッヂ隊長!! 『独眼豹』の名は伊達じゃないね!! それじゃあ、おいらはみんなが無傷で合流できるように、張り切ってサポートするよう!!」
バッヂ達の真後ろまで小走りに駆け寄ってきたピノは、そのかわいらしい顔を精一杯引き締めて杖を構え、襲い来る『害獣』達を迎え撃っている戦士達を援護し始める。
その姿を満足にそうに見詰めていたバッヂだったが、肩をぐるぐる回し首をゴキゴキと鳴らして見せると、再びその手に持つ大剣を構え不敵な笑みを浮かべる。
「さてと、目の前の大ウナギは十中八九間違いなく、『人造勇神』とかいう馬鹿が暴走したなれの果てって奴だろう、で、そいつは我らが司令官殿の獲物ってことになるんだろうが・・こういうのは早いもの勝ちだよな? 行くぜ、『害獣』!! 『独眼豹』ガウェイン・バッヂ、推して参る!!」
中央庁が抱える最精鋭部隊の一つ、直轄第6部隊の長バッヂの雄叫びに応え、周囲を展開している戦士達も勇ましい怒号をあげる。
「さあさあ、本日のメインイベントだ!! 戦鐘を鳴らせ!!」
激闘開始