恋する狐は止まらない そのじゅうろく
オレンジ色の錬気外灯が昼間でも薄暗いトンネルの中を照らし出し、そのどこまでも続いている道を私の乗る小型『馬車』が風を切るようにして走り抜けて行く。
運転席の後ろにある小さな客室スペースのソファーに座り、すぐ横にある窓を覗き込んだ私は、次々と近付いては現れ、遠ざかっては消えていく外灯の列をぼんやりと眺め続ける。
『馬車』が向かっている行先は城砦都市『嶺斬泊』。
「た、玉藻さん、ちょっと!!」
現存するあまたの『回復薬』の中でも最高峰に位置すると思われる2つの薬、『神秘薬』と『快方薬』。
その薬の原材料である稀少な2つの材料のうちの1つが『イドウィンのリンゴ』。
栽培方法が非常に難しく、何の知識もないままに栽培することはほぼ不可能と言われているこの稀少果実。
「や、やめてください、玉藻さん・・」
南の一大交易都市として近隣諸都市にその名を轟かす城砦都市『アルカディア』から、危険を顧みずにこの『嶺斬泊』にやってきてくれた薬品材料作りの名匠カダ老師の御好意により、この稀少果実の栽培方法を極秘裏に伝授していただくことになったのが私の愛する旦那様 宿難 連夜。
しかし、その際、これらの貴重な栽培方法の情報が外部に漏れないようにするために、修行場は普段住んでいる城砦都市『嶺斬泊』ではなく、大河『黄帝江』の上に存在している島の上に作られた『特別保護地域』が選ばれて旦那様とはじめとするプロジェクト関係者は一時的にそこに移り住むことに。
機密性を徹底するために修行が全て完了するまでの3カ月は、『特別保護地域』から出ることは許されず、半ば南京状態で生活しなくてはならなかったのだが・・。
私と旦那様はある事情により、その規則を一時的に免除してもらい、住み慣れた我が街である『嶺斬泊』に再び帰還しようとしている。
「あ、ああんっ!! もうっ、すぐ目の前の運転席にはお父さんが乗っているんですよ!!」
その重要な事情とは他でもない、この稀少材料の修得事業と同時期に進行中である中央庁のもう一つの重要プロジェクト、対『人造勇神』作戦に関わるものだった。
人間族以外の全ての種族からすれば『害獣』に匹敵する凶悪極まりない化け物といっていい大量殺『人』兵器『勇者』。
その『勇者』の劣化版であり人為的に生み出された量産型兵器『人造勇者』に、あろうことか『害獣』の能力を付与して改良を加えて作り出したのが狂気の上位種である『人造勇神』。
中央庁の特殊部隊は人間の秘密結社『FEDA』が作り出し、世に放った彼らの行方を追い続け、時には説得して帰順させ、時には捕縛し、そして、時には殲滅してその都度危機を回避してきた。
そして、それも残すところあと1体となり、今、中央庁の専門部隊や旦那様の知人友人達がその対処にあたっているはずだった。
「・・あ・・あ・・ダメ・・」
勿論、私や旦那様が今からそこに飛び込んで行くわけではない、そこは私達の役目ではない、その役目は選ばれしプロ達が命をかけて行っているはずで、私達のような素人が訳知り顔で横から首を突っ込むべきではない。
私達が行くべき場所は全く別の場所。
対『人造勇神』作戦の総責任者とも言うべき旦那様の御母上であるドナ・スクナーさんから、今晩行われるある重要な儀式の立会見届け人になるよう言われ、旦那様と私はある上位種族の本家へと向かっているのだ。
詳しくは語っていただけなかったが、どうやらその上位種族が『人造勇神』を生み出した秘密結社『FEDA』の後ろ盾となっていたというはっきりした証拠があがったらしく、それを問い質すべく彼らの総本山に乗り込むことになるようなのだが・・
いくら中央庁の検閲であるといっても、恐らく彼らの気質からして黙ってそれを受け入れたりはしないだろう、事と次第によっては。
私は絶対に旦那様を守らなくてはならない、例えどんなことがあっても、誰が相手であっても、いつどこにあろうともだ。
これから起こるであろう事態を想定すると、私の身体は緊張で震えて硬直し、他の何もできないほどぼんやりとしてしまっていた。
いつになくシリアスだ。
「玉藻さん・・玉藻さんの、ばかああああああっ!!」
物凄く恥ずかしそうな、それでいて怒ったような大声に私がその声のしたほうに視線を走らせると、そこには顔を真っ赤にして涙目になり、ぷるぷると身体を震わせる旦那様の姿が。
いつになく顔は上気しており、物凄く色っぽい息をはぁはぁと荒く吐きだしていて、切なそうな悔しそうな、もうあまりのかわいさに今すぐ丸のみしてしまいたいような表情を浮かべて私を睨みつけている。
え、何? 何がどうかしましたか?
「ど、ど、どうかしましたかじゃありません!! 何、考えているんですか!? しゃ、車内でこんな・・しかも、前にはお父さんもいるのにぃ!!」
どうやら旦那様は私に掴みかかってきたいと思われる気配なのだが、全身の力が入らないのか横がけのソファーにぐったりとその身体を横たえたまま、ぷるぷると身体を震わせるだけで動こうとしない。
私はもうその姿が愛おしくて愛おしくてたまらず、『狐』の姿から『人』の姿に変化すると横たわる旦那様の横に自分もその身体を横たえる。
そして、若干抵抗する素振りを見せる旦那様の身体を強引に引き寄せて抱きしめると、その脹れっ面を優しくぺろぺろと舐める。
怒りました?
「・・知りません、もう!!」
いたずらっぽい笑顔を浮かべて顔色を伺うと、旦那様はぷいっと顔を横に背けてしまう。
もう、ほんとにかわいらしいんだから。
ちなみに私と旦那様は今、一糸纏わぬ素っ裸。
いや、まだ一線は越えてないのよ、流石にそれは車内ではマズイものね、マズイんだけど、それ以外のことではちょっといろいろと、やってしまったというか、なんというか・・
とりあえず現在の状況を改めて説明させていただくことにするわね。
あ、時間を少しばかり戻し、旦那様と一線を越えようとして未遂に終わってしまったあのときからね。
『特別保護地域』のカダ老師の家の一室で、私と旦那様はお互いの強い愛情を確認しあい、今以上の関係に進むために一線を越えようとしたんだけど、結局カダ老師やその他のデバガメ御一同様のおかげで呆気なく断念。
もう、どうしようもないからそのデバガメ連中としばらくの間、のんびりうだうだ過ごしていたわ。
で、陽がそろそろ落ちようとする夕方頃までお茶したり世間話したりしていたんだけど、そんな私達のところに突然お義父様が迎えにいらっしゃって、私と旦那様はお義父様のご用意された『馬車』に飛び乗ることになってしまったの。
いや、一応旦那様から事前に今日城砦都市『嶺斬泊』に戻ることになるってことについては知らされてはいたんだけど、あまりにも急だったものだから、流石の旦那様も予想外だったらしく、身支度ができていない状態で出発になっちゃった。
ただ、それでも旦那様は出かける用意だけはしっかりしていらっしゃって、向こうで着用することになる私達の衣服や必要になる物品を持って来ていた大きなボストンバッグに全部入れていらっしゃったんだけどね。
で、まあ、ここからが問題なんだけど、そういうわけで旦那様は『馬車』が動きだし、『嶺斬泊』へと続く河底トンネルに入ったところでボストンバッグを開けて中から着替えを取り出し、私に断って狭い車内で先に着替えを始めたの。
最初は別になんとも思ってなかったの、本当に旦那様が着替え終わるまで大人しく見守っているつもりだったの。
だけど、急に脳裏に壮絶に嫌な予感が走ったのよ、メスとしての本能に訴えかけるめちゃくちゃ嫌な予感。
その時点で私の覚悟は完了したわ。
前々からやろうやろうとは思っていたあることをね、だけど旦那様が強烈に嫌がるだろうなあって思ったし、これからの旦那様の『人』生でいくつも広がっているはずのある選択肢の道を全て、そう、たった1つ以外の全部丸ごと全てを断ち切ってしまうことになるものだから、躊躇していたんだけど・
ここまで来たらもう後戻りできない、そもそも旦那様は今後の『人』生において私だけしか、私というメス以外は他のメスを求めないと言ってくださった、私だけしか愛さないと断言してくださったし、間違いなく約束もしてくださったわ、例えそれがその場限りの口約束だったとしても・・
いや、あの、口約束なんかじゃないってことはちゃんとわかってるのよ。
あれが口約束で私がまんまと騙されていたのだとしたら、世の中の全てが信じられないわよ。
ないわ、それだけはない、あくまでも例え話ね。
ともかくその言質をとっている以上、もう迷っている場合じゃない、私はほんの一瞬だけ躊躇したけれど、すぐに心を決め私の為すべきことを為す為に行動を起こしたわ。
私にとって都合のいいことに、全身を覆う特殊な防御スーツを着用するために、完全に全裸になっていた旦那様。
まさか自分の身に不測の事態が起こるとは夢にも思っておらず、全くの無防備であった旦那様に躍りかかった私は、旦那様の小柄な体を組み伏せてあることを実行に移す。
それは霊狐族に伝わるある秘術。
基本的に一夫一妻制を生涯貫くという気風を代々受け継いでいるのが私達霊狐族。
その気風は男女ともに強く根付いているけれど、特に女性はその気風が強く、伴侶とした男性に対する独占欲は間違いなく他の種族と比べ物にならないくらい猛烈に強い。
そして、そんな嫉妬深い私達のあるご先祖様が、意中の男性を生涯独占しておくために作りあげ霊狐族の女性達に今尚代々伝えられている秘伝の術、それが今私が行っている秘術である。
それは・・私の体液を伴侶の全身に擦り付けるというもの。
あますところなく全身全てに私の体液、この場合唾液に己の魂そのものを媒体とした『呪』を練りこんで擦り付ける、つまり、私は旦那様の身体を舐め回したわけである。
勿論、全身であるわけだからそこに例外はない、旦那様以外の他の『人』であれば絶対に舐めたくない場所だって、舐める。
場所が場所だけにエッチな気分にならなかったと言えば嘘になるが、今回ばかりはどうしても必要に迫られてのことだったから、大部分は大真面目にやった。
だって、やられている旦那様にとっては相当に屈辱的なことをされているわけでしょ、それを考えれば絶対にふざけてはできないもの。
って、ふざけてはいないけれど、愛する気持ちはもちろんあるから、その、いろいろなところをその、舐めるだけでは済ませなかったりというか、愛しちゃったというか・・いや、だって本当は男女の契りを交わしてから行う儀式なのよね、そのほうがより効果が大きいわけだけど、緊急事態というか、すぐに行動に移さないとマズイという予感が走っちゃったものだからさあ、やらないとまずかったわけで、だけど、その旦那様の反応が愛おしくてたまらなかったわけで、切ない声を聞いていると燃えてしまったというか、ちょっぴり暴走しちゃったというか、私的には大満足になったけど、旦那様的には『あっ!!』みたいな感じになっちゃったというか、ともかく大人な事情の状態にしてしまったりしてしまったりで・・
まあ、そういうことがあって、旦那様は物凄く不機嫌な様子でぐったりしているわけ。
本当に申し訳ないことをしたとは思うんだけど、こればっかりはやらないわけにはいかなかったし、やっていなければ間違いなくこの後もっとひどい後悔をすることになると思う。
そういう予感があるの、そして、今までそういう予感が外れたことがない私としては、申し訳ないとは思っても後悔は微塵もしていないわ。
あとは旦那様にきっちりわかってもらうだけ。
私は相変わらず私に背を向けて不貞腐れている旦那様の身体を強引にひっくり返して私のほうに向けさせると、真正面から旦那様と見詰め合えるように位置を調整する。
旦那様は若干抵抗する素振りを見せたけど、まあ、私と違って物凄く優しくて素直で優しい性格をしているものだから、私の目論見通りしぶしぶとだけど私のほうに視線を向けてくださる。
私だったら絶対しばらく目も合わせないだろうし、物凄くわだかまりが残るだろうなあ。
それだけ旦那様が私のことを愛してくださっているし信頼もしてくださっているから、これだけひどいことをしても決してむやみやたらに心を閉ざしたりはしないのよね。
って、そこに付け込んでやりたい放題しちゃう私も大概なんだけど・・ともかく、私のことを頭ごなしに否定したりせず話を聞く態勢に入ってくださっていることを確認して、私は旦那様に説明を始めた。
喧嘩して仲直りする時にいつもそうするように、私は旦那様の目を真っ直ぐに見詰めたまま、正直に私のしたことの意味を説明した。
包み隠さず、いったいどういう効果を及ぼすのか、どんな影響があるのかについて詳しく説明したわ。
最初は呆気に取られて聞いていらっしゃった旦那様だったけど、結局最後には。
「そういうことだったんですね、よくわかりました。『獣』系種族のいくつかでは、自分が選んだ伴侶に対して所有権を示す証をつける風習があることは知っていました。『狼』系なら歯型をつけるらしいですし、『虎』や『猫』系なら伴侶となる相手の後ろの首筋に牙を一本埋め込む部族もあるとも聞きました。そうですか『狐』系は匂いつけなんですね。抵抗しちゃってごめんなさい。と、いうか、まだまだ玉藻さんのことを理解していない証拠ですよね」
ううん、そんなことないですよお、受け入れてくださっただけで私は満足ですよお。
というか、他にもいろいろと私的に大満足なところもあるけれど・・旦那様かわいかった・・夜に黙ってもう一回しよ。
「まあ、あの、事前にちゃんと調べておけばよかったというか、よくわかってなかった僕が悪いんですけど、その、できればその一言説明していただきたかったというか・・」
愛ゆえになので、そこはもう許してください!!
「愛があるのはわかりますけど、なんか、最近の玉藻さんってば、いろいろと吹っ切れちゃったというか、あの、いいんですけど、できれば、その優しくしてほしいです・・」
そう言って真っ赤になった顔を伏せ、物凄く恥ずかしそうに、そして、居心地悪そうにモジモジしている旦那様。
な・・なんでこの『人』という『人』はいつもいつも私的にドストライクな反応ばかりする『人』なんだろう。
もう食う、この場で食ってしまおう、食ってしまうしかない、と、いうか、一刻も早く自分の、自分だけのものにしたい、いや、すでにそうかもしれないけど、もっと全部丸ごと何もかも全てを私のものにしたい、全て覆い隠して誰の目にも止まらないように、誰かの目に止まったとしても誰が見ても一目で私の物だとわかるようにしておきたい。
いやダメだ、ダメ駄目、こんな雰囲気のない場所で初めては絶対駄目、何よりも何の理由もなく無理矢理はダメ、例え許してくださることがわかっているとしても、あとで絶対に後悔することになるからダメだ。
心の底からわき上がってくる2つの大きな感情の流れがぶつかり合って弾けている。
目の前の狂おしい程に愛おしい『人』を自分の色で塗り潰してしまいたいという思いと、傷つけたくないもっと大事に大切にしたいという思い。
どちらも紛れもない私の本心。
最近、日に日にこの2つの感情が生み出す葛藤が大きくなっているのを感じるのだけど、私ってやっぱり独占欲強いわよねえ、いや、旦那様以外のことに関してはかなり淡泊だと思うんだけど、旦那様のことだけはなんかもう瞬間的に頭に血が上っちゃうというか。
旦那様と付き合う出す前の自分を思い返してみると、かなりクールというか冷たい奴だった気がするんだけどなあ、自分で言うのもなんだけど大概のことに無感動で、ほとんどのことに興味をもたなかったしねえ。
なんて、葛藤している間に、体力がすっかり回復した旦那様は、さっさと防御スーツを身に着け、ミネルヴァが起こした誘拐騒動の時に着用していらっしゃったグレーのフード付きコートを羽織り身支度を完了させてしまっていた。
う〜ん、これでよかったような、でも、押し倒したかったような。
なんとも複雑な心境で、旦那様の後ろ姿、主にその引き締まってぷりっとしたお尻をガン見していた私だったけど、やがて、その視線に気がついた旦那様が私のほうに振り返り困ったような表情で私を見つめる。
「あの、玉藻さん。玉藻さんのありのままのその美しい姿をずっと見続けていたいのは山々なんですけど、他の誰かに見られたくないという気持ちもあるので、できればそろそろ着替えていただきたいなあと、思うのですが」
え、ああ、そうだった!!
『狐』の姿のままで『馬車』に飛び乗ったものだから、私素っ裸のままなのよね。
旦那様がボストンバッグから出して用意してくださった下着や衣服を受け取って、私はそそくさと着替え始める。
旦那様とお揃いで全身を隈なく覆う黒い防御スーツに、真っ白で金色の見事な刺繍が施された滅茶苦茶高そうな戦闘用コート、いったいなんの素材でできているのかわからないけれど、やたら軽くて動きやすい黒いブーツに、コートと同じ真っ白なレガース、そしてそのレガースと同じ材質でできていると思われる軽くて丈夫そうな白い指抜きの籠手。
これ、どう考えてもなんかあるってことよね?
まるで『害獣』とでも戦うことを前提とした装備だもの。
そう思って目の前のソファーに座ってなにやらしきりに考え込んでいる旦那様のほうにちらりと視線を走らせると、旦那様はなんともいえない苦笑を浮かべて見つめ返してくる。
「あくまでも念の為なんですけどね。でも、何かあってからでは遅いですから」
私は無言でこくりと頷くと素早くそれらの衣服を身に着け、軽く体を動かして衣服を身体に馴染ませる。
そして、一通りそれが終わると、旦那様の横に座りその身体に自分の腕を回して抱き寄せる。
旦那様はいつもの通り嫌がる素振りを全く見せず、力を抜いて私の身体に身を任せてくれたので、そのまま両腕に力を込めて一層強く抱き締める。
そんな状態で私と旦那様はしばらく寄り添いながら、『馬車』の窓から見える河底トンネルの風景をぼんやりと眺め続けていたわ。
当たり前だけど、トンネルの中だから風景は全く変わることもなく、ただトンネルに等間隔で配置された外灯の光が遠ざかっては近づき、遠ざかっては近づきを繰り返すだけ。
旦那様は物思いに耽っていらっしゃったし、私は私でしばらくなんにも考えずにぼけ〜〜っとその風景を見つめ続けていたんだけど、流石に沈黙の時間が長くてあきてきたものだから、私は旦那様と何か話をしようと話題を考える。
あれこれといろいろと話の種はあったのだが、ふとそういえば前々から聞こうと思っていたあることを思い出し、私はそれをこの機会に聞いてみようと口に出して問いかけてみた。
ねぇねぇ、旦那様。
「え・・あ、はい? なんですか?」
私が呼びかけると、旦那様は一瞬ぼんやりとした顔で私のほうに顔を向けたけど、すぐに意識を思考の海から引っ張り出してきたようで、目に生気を宿らせながら私のほうを見つめ返す。
私が抱き寄せているせいで、すぐにキスできそうなくらい顔は間近にあるけど、全体が見えないほどではない。
一瞬そのかわいらしい顔に吸い込まれるように唇を重ねた私だったけど、自分が発しようとした問いかけを思いだし、そっと唇を離して旦那様に改めて問いかけてみる。
旦那様は、やっぱり一夫多妻制とかに興味あるんですか?
突拍子もない問いかけ?
ううん、実はこれから私達はある上位種族の総本山に赴こうとしているのだけど、その上位種族の王族達は、一夫多妻制、あるいは一妻多夫制を普通に是としている種族なのよね。
まあ、『一夫一妻制しかいかん!!』っていう風習を叩きこまれて育てられてきた私のような生粋の霊狐族からしたら、完全に対極に位置する風習を持つ種族で非常に複雑な思いがあって、頭では理解できるけど、心では全く納得できないというか、ともかくそういう感じなわけなんだけど。
で、うちの旦那様は人間族なわけなんだけどね、私ちらっと人間族の歴史を昔調べてみたことがあって多少知っているんだけど、人間族って一夫一妻制も一夫多妻制、一妻多夫制も、多夫多妻制もあるっていう珍しい種族なのよね。
旦那様のご両親は間違いなく一夫一妻制なのよ、普通に考えれば旦那様もそれと同じ考え方だと思うんだけど、ところがよ、旦那様の実兄である大治郎さんって、複数の女性と付き合いる気配があるみたいなのよね。
と、なると旦那様も必ずしも一夫一妻制とは限らないわけで、そのあたり実際どう考えていらっしゃるんだろうって、凄く気になっていたのよねえ。
で? どうなんでしょう、旦那様?
「考えたことないですね、未だに玉藻さんお1人の心も満足にさせることができないですのに、他の『人』に構っていられるほど余裕なんかないです、むしろマイナスですよ」
物凄く嫌そうな表情で呟く旦那様、勿論その言葉は信じられるんだけど、一応念の為にその瞳を覗き込み真偽を確かめる。
きっぱり本音だった。
でもねえ、もし、余裕があったら、やっぱり他の『人』も囲っておきたくなったりしませんか? それが物凄く美人だったり優しかったり旦那様以上に家事ができたりすような『女』だったら、どうですか?
「余裕のある状態がどういうものなのかわからないから、なんとも答えようがありません。と、いうか、複数の奥さんや旦那さんを持った『人』って、本当にその全員を愛しているんでしょうか? いや、漫画やアニメや小説にでてくる超人的な主人公ならそうなのかもしれませんけど、少なくとも僕には無理だなあ。いい夫婦になればなるほど、傍から見たら相手に気をほとんど使ってないように見えるんですよね、でも、実際は気を使ってないわけじゃなくて、ずっと一緒にいるうちに自然と相手に神経を配るようになっていて、意識しないでもちゃんと気を使ってあげることができる状態になっているんだと思うんですよ。そうなるためにはやっぱり少しでも一緒に過ごす時間が多くないといけないだろうし、複数人になると当然その時間は分散するでしょうから、1人で複数の方に気を配るとなると、相当でないと無理なんじゃないですかねえ。少なくとも僕にはきっぱり無理ですね」
じゃあ、肉体関係だけならありですか?
「それ快楽の為だけってことですよね? う〜ん、そのときはそれでいいかもしれないですけど、そのあとが全く想像できないんですよ。それでその方とはどういう関係になっていくんでしょう? ただ肉体関係結ぶ為だけの方なんですかね? 愛情はないけど快楽だけでずっと付き合っていけるほど『人』の感情ってそんなに奇麗に割り切れるものなのかなあ。ごめんなさい、それこそ僕にはわからない世界ですね。もっといろいろな『人』に出会っていろいろな『人』生を見ることができれば返答できるかもしれませんけど、今の僕には全くわかりません」
と、心底困り果てた表情を浮かべて唸る旦那様。
結論、旦那様は私とあまり変わらない倫理感の持ち主だったみたい、ちょっと、ううん、かなりほっとした。
私のことも好きだけど、実は他に同じくらい大事な『人』がいるんだ、みたいな告白されたらどうしようとか思ったけど、それはなさそうだし。
あ、勿論、私はないわよ、絶対ない。
と、いうか、さっき行った秘術のせいで、私も旦那様も既にお互い以外の伴侶を持つことはほぼ絶望的なんだけどね。
「あの、ところで玉藻さん」
え、あ、はい、なんですか?
旦那様の呼びかけに応えて、改めてその御顔を見つめ返すと、なんだか表情に困り果てたみたいな顔をしていらっしゃるんだけど。
何度か口を開きかけては閉じ、また閉じた口を開いてはやっぱり閉じるみたいなことをしばらく繰り返していらしたけれど、やがて意を決したような表情を浮かべ今度こそ言葉を紡ぎ出す。
「恋愛関係で玉藻さん以外に相手を作ることはありません、それについてはきっぱり断言できます。玉藻さんのみを生涯ただ1人の伴侶することと、他に相手を作らないことを誓います」
え、あ、は、はい!! 私も誓いますよ、そのためにさっきの秘術をかけたんですし。
ってか、どうしたんですか急に、すっごい真剣なお顔されていらっしゃいますけど?
「いえ、基本的に僕の中で一番大事なのは玉藻さんだってことを言いたかったのです。もし玉藻さんに何かあれば何をおいても玉藻さんを優先します。ただ、恋愛関係ではないですが、僕には他にも大事なものがあるので」
嫌です、理解できません!!
苦しそうに言う旦那様に、追い討ちをかけるように怒ったような表情で宣言してみせる私。
それを見て旦那様のお顔が悲痛に歪む。
あ、やり過ぎた、と思った私はすぐに表情を緩めると旦那様の唇にそっとまた口付け、自分の今の言葉がウソですよ、ちゃんとわかっていますよという想いを込めてしばらくそうしたあと唇を離し、できるだけ優しい笑みを作ってみせる。
嘘ですよ、ちゃんとわかっていますよ。
旦那様の周りにいらっしゃる旦那様が自分の身内だと、『家族』だと認めた方々のことでしょ?
大丈夫、旦那様の『家族』は私の『家族』です、だから旦那様がその『人』達の為に何かしてあげたいからって行動されても文句いいませんし、嫉妬したりしませんよ。
ああ、でも全然文句言ったり嫉妬しないっていうのは無理かな、なのでちょびっとは許してください、こういう『女』なんで。
でも、基本的には認めます、友達や家族を大事にしない旦那様は、もう私の好きな旦那様じゃないですからね、もし仮にその行先に危険が待ち受けていたとしても、止めません、行ってください。
ただし。
どんなときにも私を連れて行くこと。
私を連れて行けないとき、あるいは私に行き先を告げられないような時は絶対行かないこと。
旦那様仰いましたよね、最後の時は私に看取ってほしいって、だったら私の知らない場所で死んだり絶対しないでください、そんな可能性のあることは絶対しないでください。
危険な真似をするななんて言いません、その代り私を常に側に置いておくこと。
どこにだってついていきます、そして、私はあなたを守ります。
私の愛するあなたを害する奴らは、みなすべからく『狐』に蹴られて地獄に落ちるのです。
私は体内から湧き上がってくる、凄まじい怨念を発しながら目の前の旦那様を見つめる。
誰かを守りたいという善意の時にも、憎い敵を倒したいという敵意の時にも、内に秘めた闘志を燃え上がらせると、それと同時噴き上がってくるのが私自身でもおぞましいと感じるこの怨念としかいいようがないドス黒いオーラ。
このオーラを見て知って、そして、実際に肌で感じても私の元から去らなかったのは、長年の親友であるミネルヴァと、そして、私が幼き頃に世話をしてやった実妹の晴美のみ。
他の者でこれを見た者はそれ以降一様に私を化け物として見るようになり、二度と近づくものはいなかった。
が。
全然平気どころか、この状態の私に近づいてあまつさえその黒いオーラを逆に愛おしそうに平然と吸いこむ『人』がいるのよねえ。
夜の闇にも似た真っ黒い瞳で私と、私の発するオーラを見つめ、その『人』物それら全てを包み込むようにぎゅっと抱きしめてくる。
そうされると、私の中の怨念があっというまに大人しくなってその『人』物のほうに流れ込んでいくのがわかる、まるで私の意思と共にその『人』を守るんだといわんばかりに流れ込んで包みこんでいく。
ミネルヴァや晴美ですら、この状態の私を恐れることはないとはいえ、決して近づこうとはしなかったのに、この『人』は全然平気の平左で、むしろ、この怨念がまるで自分の一部のように自然に受け入れてしまうのだ。
本当にこの『人』って、全種族最弱の種族って言われてる人間族なの?
絶対違うような気がするんだけどなあ、そう思ってこの『人』の闇のように黒い眼を探るように見つめ返す。
すると、全くの闇と思われる黒い部分に、いくつもの小さな光が見えて、それが美しく光っていることに気がつくの、それはまるで雲ひとつない夜の大空に輝いている満点の星々みたいで、吸い込まれそうなくらい美しい。
そうしてしばらくの間私達はお互い強く抱き合って見つめあっていたけれど、やがて旦那様が若干力を抜いて私の胸に顔を埋める。
「『真友』や『戦友』や『家族』や『弟子』や、そして、『幼馴染』達にかっこつけるために、いろいろとご迷惑をおかけしちゃうと思いますけど。愛想をついたりしないで側にいてくださいね」
当り前です、心配しないで旦那様はど〜んと私に頼ってくれたらいいんです!!
そう言って私は旦那様の小柄な体をぎゅっと抱きしめ、改めて心から誓う。
旦那様は、私が守る!!
と
そして、このあと、私は本当に久しぶりに己の『武』を振うことになる、他でもない旦那様を守るために。