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~第11話 転校生~ おまけつき

 長期の休みが明けた後、学校に登校して来るとだるく感じたりやる気がなかったりするものだが、この休みの間に起きたイベントの密度が逆に普段よりも濃すぎて、なんだか学校がそのまま休みではなく、そのまま続いていたような錯覚すら覚え普段とあまり感じが変わらない気分の連夜。


 そんな状態であったから、別になんの違和感もなく朝の一時間目の授業の用意をしていると、横の席に人が座る気配がしたので視線を移すと、いつもの幼馴染三人組が登校してきていた。


「おはよう、姫子ちゃん、はるかちゃん、ミナホちゃん」


 いつもどおりに朝の挨拶をしておいて、授業の準備を進める。


 確か、連休前に小テストをすると予告をされていたはずなので、もう一度予習をしておこうと教科書をめくる。


「えっと、たしか『念素』開発による工業革命のところだったよな・・」


「・・って、待て待て待て〜〜〜〜〜!!」


 声のした斜め後ろを振り返ると、真赤な顔をしたミナホが物凄い不満そうな顔でこちらを睨みつけている。


「え、なに? どうしたの、ミナホちゃん?」


「どうしたのや、あらへんやん!! 気づけ!! このなんとも言えへん、微妙な空気に気づけ!!」


「ええ!?」


「ちょ、おま、ほんまに気づいてなかったんかい!?」


 呆れたように絶望的な表情で叫ぶミナホに、本気でわけがわからない連夜はきょとんとした表情を返す。


「いや、さっき、連夜はんが『おはよう』って挨拶してるのに、うちら誰一人挨拶返さへんかったやん!!」


「あ、そうだっけ!?」


「お〜〜〜い!! そこ大事やから!! めっちゃ大事やから、スルーしたらあかん!! そこで、うちらの顔を見て『みんな暗いけど、何かあったの?』って、言うてくれへんかったら、うちらいつまでも無言貫かなあかんやん!! 読んで!! お願いやから空気読んで!!」


 かなり切実な表情で力説してくる銀ブチ眼鏡の少女に、なんとなく頷いた連夜はリアクションをやり直すことに。


「ああ、わかった・・じゃあ、やってみるね・・『ミンナ暗イケド、何カアッタノ?』」


「遅いわ〜〜〜〜!! ってか、棒読みやん!! 全然心こもってないやん!! ちょっと、連夜はん、姫様の顔を見て、もっとちゃんと見て!!」


 ミナホに言われて横に座る幼馴染の顔をじっと見つめる。


 ただでさえ絶世の美女寸前の超絶美少女なのに、今日は若干憂いのあるところがさらに美しさに磨きをかけていた。


「いつも以上に美しいとかわいいの言葉を独り占めできそうな顔してるけど・・」


 連夜のお世辞抜きの讃辞の言葉を聞いていた姫子の顔が、若干赤くなって背けられる。そんな姫子の姿と連夜の言葉に思わず頷くミナホとはるか。


「うんうん、姫様の美貌はこの学校どころか、城塞都市の中でも一.二位を争うほどやからなあ・・って、ちっが〜〜〜〜う!! そこちゃうやん!! そういう見た目のこと言うてるんとちゃうやん、ちゃうやん!!」


 連夜の壮絶なニブチンぶりに腹が立ってきたのか、とうとう立ち上がって足をふみならし始めるミナホ。


「もう、ミナホちゃん落ち着いて、わかった、今度ちゃんと、聞くから・・ね。」


「うん、今度はちゃんと聞いてな・・うちがんばってわかるように説明するし・・って、今度にするなぁぁぁぁぁぁ!! 今聞け!! っていうか、今わかれ!!」


 もう我慢ならんという風に連夜の席まで行って詰め寄るミナホだったが、そんなミナホの行動をいままで黙って見ていた姫子が押しとどめる。


「もうよい、ミナホ。連夜はわらわ達の様子はわかってて、気付かないふりをしてくれていたのじゃ」


「え!?」


 溜息交じりに苦笑する姫子の言葉に、ミナホは絶句し、連夜はバツの悪そうな顔をする。


「自分でも思うが、連休前にあんな立ち去り方をしてしまったのじゃ、誰が見たって何かあるとわかる。

それなのに、今日無神経にそれを聞きだすということは、ただでさえ友達想いの連夜には無理じゃろう。

で、あるとすれば、もうわらわ達が気を使わなくてすむように普段通りに振舞うしかなかったゆえの無関心の態度じゃ。のう、連夜」


 苦笑とも自嘲ともつかぬ姫子の表情をしばらく見つめていた連夜だったが、やがて深々と溜息を吐きだした。


「あのねえ、姫子ちゃん・・僕にとっては姫子ちゃんもなっちゃんも同じくらい大事な友達なんだよね。

友達として何かあったなら、僕も割って入りたいところだけど・・」


 そういいながら、まっすぐな視線で姫子を見つめる。


 姫子はその視線を最初真っ向から受け止めていたが、結局途中で受けきれずに自分から逸らした。


「わらわには、あやつの考えていることがわからん・・」


 そうして、ぽつりと・・しかし、明らかに連夜に聞こえるようにつぶやいた。


 その態度で姫子が助けを求めていることがわかった連夜は、ぽりぽりと頬をかきながら自信なさげに呟いた。


「あ〜・・わかった・・まあ、聞いてみるよ」


 連夜の言葉を聞いた姫子は、泣き笑いの表情で連夜のほうに振り向いた。


「ほ、本当か!?」


「いや、まあ努力はするけど・・あんまり期待しないでね・・なっちゃん次にいつ学校に来るかわからないし・・」


 しかし、感極まってしまった姫子に連夜の声は届いていないらしく、がばっと連夜の手を掴むと、泣きそうな顔で頼み込むのだった。


「連夜、頼む頼む!! 本当に頼む!!」


「あ〜、もう、姫子ちゃん、落ち着いてって・・」


 必死に頼み込んでくるその姫子の様子を見ていた連夜は、ふと思ったことを口にしてしまうのだった。


「姫子ちゃん・・ほんとになっちゃんのことが好きなんだねえ・・」


「!!」


 連夜の一言にびくっとした姫子はばっと連夜から手を離すと、真赤な顔を隠すようにぷいっと連夜から顔を背けるのだった。


「あ、あんなわからず屋のことなど、わらわは知らん・・知らん知らん!!」


「姫様無理してますね〜」


「はるか、うるさい!!」


「もうゴールデンウィーク中も、ず〜〜〜〜っと、自室にこもってナイトハルトさんの写真を眺め・・」


「うわぁぁぁぁぁぁぁあっぁぁぁぁぁぁ!!」


 自分のディープなプライベートをさらっとバラすとんでもない世話役の首を掴んで、涙目でがっくんがっくん揺らす姫子。


「な、なんで、おまえがそんなこと知っておるのじゃ!!忘れろ!! 今すぐその記憶を消去しろ!!」


「ふっふっふ・・無理です・・姫様のあのアンニュイな表情と『ナイトハルトの・・馬鹿・・』っていう乙女チックなセリフは絶対忘れません」


「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 その太った体のどこにそんな力と技があったのか、姫子のホールドをひょいとほどいて教室を逃走する邪悪な笑みを満面に浮かべたはるかと、それを必死に追いかけてなんとか黙らせようとする姫子の追いかけっこをしばらく眺めていた連夜とミナホだったが・・


「小テストの予習しよっと・・」


「うちもしとこ・・」


 と、やれやれと期せずして同時に首を横に振ると、二人はその騒ぎを見なかったことにして、今日の授業の小テスト対策に移ることにした。


 連夜は姫子達から目を離して机の上の教科書に目を移そうとする。


 そのとき、教室の中央にふと目がいった。


 そこには、いつも教室の真ん中で騒ぎの中心となっている、剣児と三人の少女達が妙におとなしく座っており、珍しくいつもとは逆に姫子達の起こしている騒ぎをぼんやりと見つめているのが見えた。


「姫子の奴、ゴールデンウィーク明けだというのに元気だなぁ・・」


「そうですねえ・・まあ、剣児くんのお姉さまですからねぇ、委員長は」


「そうだなぁ・・ってどういう意味だよ、フレイヤ!!」


 ぼんやりと異母妹の騒ぎを見てつぶやいた剣児に、剣児の右隣の席に座る亜麻色のウェーブのかかったロングヘアーを持つ美しい少女が朗らかに笑いながら剣児に話しかけ、その言葉の意味を悟った剣児がすかさずそれにツッコミをいれる。


 フレイヤ・クロムウェル


 透き通るような白い肌に、華奢な体、細く長い耳に、サファイアのような美しい瞳をもったハイエルフ族の少女。


 姫子には若干負けるものの、それでも十分ハイレベルな美少女と言える。


 特筆すべきは体型がわかりにくくなる制服の上からでもわかる豊かなバストで、おそらく教室の少女達のなかでぶっちぎりの豊満さ。


 普通大きすぎると垂れてしまったりということになりかねないが、どういう鍛え方をしているのか、形までもが抜群だった。


「ま、たしかに剣児はいつでも無駄に元気だけどな」


「ちょ、ジャンヌさん、無駄にって!?」


 珍しくフレイヤに賛同するような発言をするのは剣児の左隣に座る黒い光沢のある肌の少女。


 ジャンヌ・ボナパルト。


 ダークエルフ族特有の漆黒色の肌に、ベリーショートのメタリックな白銀の髪、そしてその性格を表すかのような炎のように赤い瞳。


 剣児と同じくらいの身長に、スレンダー気味のボディだが、その体は鍛えられており、鞭のようにしなやか。


 運動神経抜群で、剣児に匹敵する近接戦闘力を持つ。


 フレイヤと逆に胸の大きさが普通以下であることを非常に気にしている。


「元気があるのが一番ですよ!!・・ありすぎてこれ以上他の女の子を増やさないでほしいですけど・・」


「フォローしながら、きついツッコミいれないで、梅林(メイリン)。地味にへこむから・・」


 上げといて落とすという実に基本的な戦法を駆使してくる自分の後ろの席の少女にげんなりした表情を向ける剣児。


 (ホワァン) 梅林(メイリン)


 艶やかな黒髪を二つのお団子状にまとめ、大きな愛嬌のある黒い瞳に大きな口の風狸族(ふうりぞく)の天真爛漫な少女。


 美しいフレイヤ、凛々しいジャンヌとはまた違い、彼女はかわいらしいという感じの少女で、体は三人の中で一番小さい。


 しかし、そのバランスは一番いいと体思われる体型をしており、クラスの男子からの人気もそれなりに高い。


 聞こえてくる話の内容を聞いていると暴れてはいないだけで、あまりいつもと変わらないなあと思い、連夜はやれやれと今度こそ勉強に集中しようとした。


 ところが、最後に聞こえてきた会話の内容に再び意識が向けられてしまう。


「しかし・・この時期に転校生かあ・・」


「女の子らしいですよ・・朝、職員室にプリント取りに行った時に先生達が話していらっしゃるのをちらっとお聞きしたんですけど・・他の城塞都市からの転校生だとか」


「女の子かあ・・かわいいといいなあ・・」


「「「剣児くん!!」」」


「すいません、ごめんなさい。もういいません」


 正直すぎる感想を言ってしまった剣児に、三人の怒りの視線が突き刺さる。


(転校生かぁ・・でも女の子なんだよな・・)


 聞こえてきた話の内容にちょっと興味が沸いたが、相手が女の子らしいということですぐにその興味も薄れる。


 『転校生』という単語を聞いて最初に思い浮かんだのは、中学時代に別れた白い髪、黒ぶち眼鏡のがりがりの少年のこと。


 瞬間湯沸かし器のように喧嘩っ早くて、皮肉屋で、死にたがりで、そして、とてつもなく寂しがり屋だった親友。


 自分とも浅くない絆があるが、それよりももっと深い絆で結ばれていたもう一人の親友を、どうしようもない諸事情があったとはいえ半ば奪うような形で連れ去ることになってしまった自分を、中学最後の卒業式で恨めしそうな寂しそうな表情でみつめていた姿は、いまでも連夜の心に残って忘れられない。


 しかし、連夜は近いうちに彼と再会するだろうと確信していた。


 遠くない未来にあの親友はもう一人の親友ロスタムを追いかけて転校してくるだろうと。


 それほどにあの少年がもう一人の親友ロスタムに対する執着心は強いものがあった。


 だから、必ずここに来る。


(でも、今回は女の子だから、違うよねぇ・・絶対リンだと思ったんだけど・・)


 残念なようなほっとしたような複雑な表情で、一つ溜息をついたあと、連夜は頭を切り替えて教科書に集中する。


 そして、やがて姫子やはるかももどってきて席に座り、連夜同様小テスト前の確認を仕掛けたとき、始業時間のチャイムが鳴り響き、朝のホームルームのためにクラス担任のティターニア・アルフヘイム先生が扉を開けて入ってきた。


 ハイエルフ族の女性教諭であるティターニア先生が、その性格そのものといったいつもと同じ穏やかな表情で入ってきて教室の黒板前にある教壇の前に立つと、それを確認した委員長の姫子が号令をかける。


「起立!! 礼!!」


『先生おはようございま〜す。』


「はい、みなさん、おはようございます」


「着席!!」


 生徒全員が挨拶のあとに着席するのを確認すると、その様子に軽く頷きティターニア先生は口を開いた。


「もうみなさんの中にはご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、今日からこのクラスにみなさんの新しいお友達が増えます。シャーウッドさん、どうぞ入って来なさい」


 先生の声に促されて、一人の女子生徒が教室に入ってきた。


 他の女子生徒と同じこの学校の制服である、紺色のブレザーとスカートを身に着けたその少女は、雪のように美しい白い髪に頭から突き出た二本の角を持ち、遠目からでもきめ細やかとわかる髪同様の美しい白い肌、体格は160cm前後、ブレザーの上からでもわかる豊かな胸に、くびれた腰。


 姫子ほどではないが、間違いなくこの教室で上位にランキングされるほどの美少女だった。


 教壇の前に立って教室の生徒達のほうに透き通るような極上の笑みを浮かべたその少女に、教室の男子生徒の視線が釘付けになる。


 姫子がふと横を見ると、なんとあの連夜までもが転校生に見とれているではないか。


 その様子がおもしろくなかった姫子はあとで連夜に文句を言ってやろうと思ったが、よくよく連夜を見ると、他の男子生徒と明らかに視線の内容が違っていることに気がついた。


 かわいい女の子にデレデレしてるとか、ぽっと赤くなっているとかそういう感じではない。


 むしろ、何か見てはいけないものを見てしまったが如く、驚愕と恐怖で口をあんぐりとあけて固まっているようだった。


 そんな驚愕している連夜の様子を先生が察するはずもなく、先生はごく自然に自分の前に立つ女子生徒に挨拶をするように促す。


「シャーウッドさん、では簡単にご挨拶と自己紹介をお願いします」


「はい」


 後ろの先生を振り返り、可愛らしげに返事をした女子生徒は再び前を向いて口を開いた。


「みなさん、初めまして。城砦都市『通転核(つうてんかく)』の『私立芳本NGK学園わたくしりつよしもとえぬじーけーがくえん』から転校してきました、リン・シャーウッドと申します。『嶺斬泊(りょうざんぱく)』は初めてで、わからないことだらけなもので、いろいろと皆さんにご迷惑をお掛けすることになるかと思いますが、どうか仲良くしてやってください」


 と涼やかな声で自己紹介を終えたあと、ぺこりと見事な一礼をし、媚びるでもなく引きつるわけでもないごく自然な笑顔を浮かべた少女に、男子女子関係なくみな一様に好意を抱いたようだった。


 たった一人を除いては・・

「う・・うそだよね・・いや、きっとこれは夢だ・・」


 ガクガクと震えながら呟く連夜を心配そうに見つめる姫子。


 当然だが、そういった連夜の激しい動揺に気がつかない先生は、転校生をどこに座らせようか悩む。


「どこに座ってもらいましょうか?」


 すると、女子生徒が先生のほうを振り返ってにっこり笑いかけると、なんの迷いもなくある一点を指さした。


「先生、私あの方の横がいいですわ」


「・・なぁっ!!」


 にこやかに指さす転校生が指し示すのは、連夜の左隣の空き席。


 硬直する連夜に気がつくはずもなく、先生は無情にもこう言い放った。


「じゃあ、そこで」



〜〜〜第11話 転校生〜〜〜




 ホームルーム担任のティターニアと入れ替わるように入ってきたのは一時間目の都市歴史学の教諭であるダルマ・マーダル・ルダ・ムー先生。


 人間よりも弱冠低い身長に恰幅のいい体格、顔は全面ひげで覆われており、かろうじて眼と鼻が見える程度。


 一見太っているように見えるが、その実筋肉の塊であるドワーフ族の教諭は、強面ではあるが非常に生徒思いの先生であることで有名で、本来なら今日は小テストの予定であったが、事前に知らされていなかった転校生の為に延期して来週にするという気遣いで生徒達を喜ばせた。


 そういった理由で今日は普通に授業を行うことになったわけである。


 ダルマ先生は、今日の授業で行う教科書のページ数を申告し、内容を説明し始めた。


 連夜は横にいる転校生のことでかなりショックを受けていたが、それでもなんとか立ち直って教科書を開くとノートを取る準備を始める。


 ところが、そんな風に必死に立て直した連夜の心の平穏はあっさりと破られることになった。


「宿難くん、私教科書まだもらってないから、一緒に見せていただいてもいいかしら?」


「・・」


 左隣のほうから聞こえてきた少女の声に反応し、まるでできそこないのゴーレムのような動きでギギギっと首を横に向けた連夜だったが、にこやかにこちらを見る少女の顔を見ると、固まってしまいしばし無言でみつめあうことに。


「・・」


「・・」


「・・」


「(怒)」


 結構長い間、みつめあっていた二人だったが、次第に少女の眉間に青筋が見え始め、次の瞬間、目にも止まらぬスピードで少女の足が残像を生んで霞む。


『ガスッ!!』


「〜〜〜〜〜〜〜!!!」


 右足の弁慶の泣き所に激痛を感じて、涙目になりながら机に突っ伏すようにして自分の右足を抑える連夜。


 その様子にもう一度、にこやかな、しかし、やたら背後に怒りのオーラをにじませながら少女は口を開く。


「宿難くん、私教科書まだもらってないから、一緒に見せていただいてもいいかしら?」


「・・(こくこく)」


「ありがとう、助かるわ」


 涙目で頷いた連夜は、自分の机を少女の机のほうに移動させてその中心に教科書を広げる。


 そして、その行動に満面の笑みを浮かべて礼を述べる少女。


 しかし、そのあと、教科書を見ながらノートを書き写す作業をはじめたと傍から見たらそうとしか思えない行動を取っていた少女が、不意にそのノートを連夜の前に見せるように広げた。


 連夜がそのノートに視線を移すと。


(しょっぱなから、シカトしようとしてんじゃねぇよ!!)


 と、もう忘れようと思っても忘れられるものじゃないくらい汚くて独創的な絶対女性が書くような文字ではない文字が書き殴ってあった。


 その文字を見た連夜は、やっぱりという表情を浮かべて隣の少女を見ると、少女はにっこりと笑いかけてきた。


 それを見た連夜は溜息を大きく吐きだして、自分もノートに何やら書き始め、そして、それを少女に見せる。


(シカトじゃなくて、あまりにも吃驚して自分の目が信じられなかったんだよ・・やっぱり、早乙女 リンなの?)


 それを読んだ少女は、さらに笑みを深めてこっくりと頷き、それを皮切りに二人は筆談で話し始めた。


(なんで苗字変わってるの?)


(死んだ御袋の苗字なんだ。俺さ、知ってるかもしれないけど家を出たんだ)


(あ〜、なんか、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしているんだよね)


(うん・・でもまあ、ちょっと事情があって、俺こっちに出てきちゃったんだけどな)


(そうなんだ・・ところで・・なんで女の子なのさ!?・・って、ごめん、なんとなく理由わかるけど僕がそれを言うのは気分悪いよね?)


(いや、別にいいぜ、どうせ、すぐバレルし。おまえの考え通りかわからないけど・・俺、中学校卒業後に性別変化したんだ。俺の種族って思春期まで・・大体十六歳くらいまでなら自分がパートナーに選んだ異性にあわせて性別を変化させることができるからさ)


(うん、さっきまで忘れていたけど、言われていま思い出したよ。リンって、麒麟種(きりんしゅ)白澤族(はくたくぞく)だったよね。昔、お父さんからそういう種族がいるって話だけは聞いていたけど、大概は性別を変えることなく生まれた時の性のまま大人になるとも聞いていたから、まさか自分の知人でそれを実行に移す人がいるとは思いもよらなかったよ)


(まあなぁ・・俺も相当悩んだけどな・・やっぱりさ、自分に嘘はつけなかったよ。でも誤算だったのは、性別変化したからすぐ身体も頭も女に完全に切り替わるわけじゃなかったってことだな。性別変化の能力を実行して一晩で変化するのはさ、基本的な骨格と、性器が男性器がなくなって女性器に変化することと、精巣の代わりに卵巣ができるってこと。あとは一年以上かけて変化していくから、中学卒業後すぐ性別変化して、もう速効お前たちを追いかけて転校しようと思っていたのに、大幅に予定がずれちまった)


(そんなにかかるんだ・・でも、むしろ一年で変化できるのならむしろ早いのかな)


(わからん。でも、とりあえず、はっきりしてるのは、急激に体のあちこちに肉がついてきてさ。・・もう、わかってるだろうけど、特に胸。自分が男だったから、まあ、あるに越したことないって思っていたけど、実際大きくなってくると重くて重くて、肩はこるし、下着は買っても買ってもサイズ変わってくるから変えなきゃいけないし、ほんと、胸の大きい女の人って結構苦労してるってことがわかったよ。まあ、あいつは胸が大きいのが好きだったから、それはいいんだけど・・これだけ急激に見た目まで変わってきちゃうと、周囲にも俺が性別変化を実行したものだってバレてしまうしな。我慢して、あっちでこの身体の変化がある程度落ち着くのを待っていたんだよ)


(・・大変だったんだねぇ・・)


(うん・・それなりにな・・でもさ・・一番自分の中で戸惑ったのは精神的な変化かな・・俺さ、身体が女になったとしても、心まで女にはすぐなれないだろうって、心のどこかで思っていたんだよな。ところがさ身体が女になっていくに連れて、男の心が徐々に死んでいくのがわかるんだ。明らかに徐々に徐々に女の考え方になっていくのがわかるんだよ・・言ってもわからないだろうけど、結構恐ろしいぜ、これ・・だって、次第に自分じゃなくなっていくようでさ)


(の、割にはすっごい順応してるように見えるけど)


(そこはそれなりに苦労したんだって・・向こうには性別変化をした先輩が何人かいらっしゃったからな。相談にのってもらったのが、すっごい助かったんだよ。あとはまあ・・一番肝心な人間が、あっさり俺のこと受け入れてくれたことが、大きいかな・・)


 もじもじと顔を赤くする隣の少女の姿に、何かを察して連夜はぽかんと口を開いてしばし呆気にとられる。


(え、ちょっとまって・・ひょっとして、もうロムとは会ったの?)


(あ、まだ言ってなかったっけ・・俺いまロムと暮らしてるから)


(そうなんだ・・え!?)


 連夜はペンを走らせるのを止めると、真横の少女のほうに視線をあげて凝視する。


 その視線に気がついた少女は、顔を真っ赤にしてすぐに顔を下に向けてうつむいた。


(そんな顔で見るんじゃねえ!!)


『ガスッ!!ガスッ!!』


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!(涙)」


 急いでノートにそう書き殴った少女は、怒ったように再び連夜の足を蹴りつけ、蹴りつけられた連夜は涙目になって再び机に突っ伏す。


 そして、連夜は明らかに弱々しい雰囲気でノートにペンを走らせる。


(ぼ、暴力反対!!)


(お、おまえが変な顔でこっち見るのが悪い!!)


(だ、だってリンがすごいこと書くんだもん・・)


(うっさいうっさい!!とにかく、一緒に住んでいるだけだから、それだけだから!!)


 そう書かれたノートをしばらく見つめていた連夜は、再び無言で少女を見つめた。


 その表情は、『それはあきらかに無理があるよ〜』と雄弁に語っていたため、少女は今度は真っ赤な顔できっと連夜を睨みつけ、そしてさっきと違って明らかに殺意の籠った蹴りを放つ。


『ガスガスガスッ!!』


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!(悶絶)」


 机に突っ伏してぴくぴくと動かなくなった連夜を、わざとらしく本当に心配しているような表情でうろたえて見せるリン。


「大丈夫、宿難くん? 気分悪いの?」


「ちょ・・ほんとに死ぬから・・」


「あら、大丈夫そうね、よかったわ」


 激痛に震えがらも起き上がってくる連夜を安心したように見つめるリンだったが、その瞳は全然笑っていなかった。


 その眼を見た連夜は自分の命を守るためにノートに素早く降参の意味を持つ言葉を走らせる。


(わかったから! もう聞かないから! 照れ隠しのローキック禁止!!)


(ちっ・・最初っからそうしろっつ〜の)


(リンさ、ほんとに変わってないね・・ある意味すごい安心したよ)


(てっめぇ・・喧嘩売ってるなら買うぞ、コラッ!!)


(まあ、別にいいけど、そんな姿見てロムがどう思うか考えたほうがいいと思うよ・・割と真剣に)


「!!」


 連夜が苦笑交じりでノートに書いた言葉に明らかに過剰に反応するリン。


 しばらく忌々しそうに連夜を見つめていたが、やがて自分でも思うところがあるのか、がっくりと肩を落とす。


(やっぱり、まずいよな・・)


(まずいよ・・絶対。ロムのことだから、『そのままのおまえでいい』とかいいそうだけど、リンが本気でロムの恋人とか奥さんになるつもりなら、直さないとロムが恥かくよ。いいの、それでも?)


(・・よくない・・)


(・・だよねえ・・)


 二人は期せずしてお互いの顔を見つめあうと、視線を同時に下に落として溜息を同時に吐き出した。


(俺さ、中学卒業後に女の体に変異して、必死に女の体に慣れる訓練はしてきたけどさ・・女らしくする訓練は全くしてこなかったんだよなあ・・)


(うそでしょ!? 朝の挨拶の時とか十分女の子だったよ!?)


(いや、すっごい猫かぶってるもん。テレビのアイドルとか、周りの女の子の仕草とかしゃべり方とか真似してるだけだからさ、いつ化けの皮がはがれるかひやひやしてるんだぜ、これでも)


(前の高校のときはうまくいっていたんでしょ?)


(あのときは協力者がいっぱいいたんだよ。女の子の友達や、俺と同じように性別変化で性別を途中で変えた先輩とかがいてさ、フォローしてくれていたんだよな)


(ん〜〜〜〜)


 連夜はノートをしばらく見つめていたが、何やら腕組みをして真剣に考え始めた。


 その様子を怪訝そうにみつめていたリンだったが、そのリンの視線を気にすることもなく考え続けた連夜は、しばらくしてからまたノートに何か書き始めた。


(さっきもリンが自分で書いていたけど、やっぱ、内面的にはリンって女性になってると思うよ)


(そうかな?)


(うん、だってすっごいロムのこと気にしてるよね?しかも女として)


(・・あ〜〜・・そうかも・・)


(中身は女になってきているんだから、あとは外面だけでしょ? 猫かぶっているのも結構有効なんじゃないかな・・それ続けることによって自然とそれが中と一致してくるんじゃない?)


(うん・・まあ前の学校の事情を知る友達連中も同じこと言ってた。続けることでいつか中と外のギャップが埋まるからって)


(うんうん・・まあ僕もできるだけ協力するし。とりあえず、今のままがんばってみよう)


(頼むぜ、真友)


 最後の『真友』という言葉に、ようやく目の前の人物が自分の知る中学時代の真友の姿と合致させることができたような気がして、連夜は心から横にいる少女にほほ笑むことができた。


 リンも、そういう気持ちになってるのか、あの頃、連夜とロスタムの横でのみ見せていた笑みを浮かべて連夜を見返している。


 連夜の中で横にいる少女はようやく見ず知らずの『転校生』から、よく知る『真友』リンになった。


「・・と、いうことで、来週はここをそのままテストに出すからな。覚えとけよ、みんな」


 と、和やかな雰囲気になっていた連夜とリンに、授業終了させる先生の締めの言葉が聞こえてきて、一瞬その言葉を聞き流しかける二人。


 しかし、その言葉の意味に気がついた連夜が慌てて黒板に目を移す。


「そっか、テストにねえ・・え、ちょ、せ、先生!? し、しまった、会話に夢中で聞いてなかった! り、リン聞いていた!?」


「ぜ、全然・・」


「やばい!! 姫子ちゃんが黒板消してしまう前に、はやく、ノートに写して、写して!!」


「ひぃぃぃぃぃぃ!!」


 先ほどからの会話だらけのノートを消しゴムで消しつつ、二人はテストに出るであろう黒板の内容を必死に追いかけるのだった。



※ここより掲載しているのは本編のメインヒロインである霊狐族の女性 玉藻を主人公とした番外編で、本編の第1話から2年後のお話となります。

特に読み飛ばしてもらっても作品を読んで頂く上で支障は全くございません。

あくまでも『おまけ』ということで一つよろしくお願いいたします。



おまけ劇場


【恋する狐の華麗なる日常】



その12



 平日の一般道路、都心に向かう車線はいつもやや渋滞気味。


 当たり前だけど、会社に向かうサラリーマンの『人』達の車でごった返していて、止まってはいないし流れてはいるけど、その流れは決して早くはない。


 私が通っている都市立大学までの道はほとんど大通りなので、車線も3車線あってそれなりにスムーズなものなんだけど、まあ、やっぱり朝のこの時間はサラリーマンの方々の乗用車クラスだけじゃなくて、運送業のトラックやら、繁華街を巡っている都市交通のバスやら、近くの学校の生徒達を送り迎えしている保育園から高校までのスクールバスなんかで、それはまあ賑やかなもの。


 だからまあ、毎日のようにどこかで事故が発生していて、その都度道の途中途中にある念動掲示板に情報が流されているんだけど、幸い今日は私達が向かっている方面ではそれらしい事故による渋滞は発生していないみたい。


 みなさん、おはようございます、玉藻です。


 今日は久しぶりに旦那様に大学に送ってもらってます。


 いつもは自分で軽量型念動自動車を運転して大学に通っている私ですが、今日は旦那様の中型ワゴンタイプの念動自動車で通学中です。


 やっぱ大きい車は広くていいわよね、今度旦那様におねだりしてこっちのタイプに買い替えようかなあ・・でもなあ、お金の問題もあるけど、狭い道を通ることが多い私としては軽のほうが扱いやすいっちゃあ、扱いやすいのよねえ。


 な~んてことを考えながら東の果てから眩しい朝日が差し込んでくる助手席におとなしくちょこんと座り、いつもと若干違う街の光景を眺める私。


 高層ビルが乱立する谷間にある、いかにも都会、都心の情景が流れていく道を通って行くんだけど、運転席と助手席でこれだけ風景って違って見えるものなのねえ。


 いや、旦那様が高校を卒業した直後の2週間ほどの間だけ送り迎えしてもらっていたんだけど、そのときは何にも考えずに座っていたのよねえ。


 それから数カ月、1人車を運転して大学に通っていたけど・・やっぱり誰かに運転してもらって送ってもらうのっていいわよねえ。


 それが愛する『人』だったりするとなんか余計にくるものがあるというか・・


 私は旦那様も同じことを考えてくれていたりするといいなあ、なんて思いながら横で運転している旦那様のほうに視線を走らせる。


 当たり前だけど、私も旦那様も運転免許は持ってる、私は2年前まで持ってなかったんだけどある時期大学をお休みしてて、そのときに旦那様に勧められて取ったのよね。


 旦那様は去年、結婚式を挙げてすぐに取りに行かれたんだけど、取得年齢が低く設定されている他の城砦都市での免許は元々お持ちで、実は運転歴は私よりも長いの。


 そればかりか、『大型』から『特殊』から、『馬車』や『2輪車』まで持っているのよ。


 以前そのことを話題にすると、『生きていくためにはできるだけ持っていたほうがいいですからね、取れるものは全部取っておきたいんですよ』って仰っておられたわ・・すごいよね。


 で、その腕前も相当らしくて、旦那様の運転技術を知る古くからの知人友人にそのことを聞くと、みな一様に『巧い』って言葉が出る。


 でも、いつも安全運転、決してそれほどスピードを出さないのよね、旦那様。


 勿論、今日も安全運転、流れに合わせて自然なスピードで車を走らせていく、追い越したりしないかわりに、実にスムーズに流れを読んで車を止まらせないように進ませていくわ。


 私は旦那様の運転を邪魔しないように、その技術をしばしうっとりと眺めていたのだけど、あまりにも会話がなくて寂しくなってしまったので、ちょっと声をかけてみることにした。


「今日は思ったよりも渋滞してないですね」


「・・ええ」


「最近、この時間って走っていらっしゃらなかったから、久しぶりに走るととまどったりしませんか?」


「・・ええ」


「市営念車の通勤ラッシュにもまれながら通学するのも嫌だけど、渋滞に巻き込まれるのもいやですよねえ」


「・・ええ」


 ・・あ、あれ?


「ま、眩しくないですか? サングラスいります?」


「・・いいです」


 ・・あ、あれ・・あれれ!!


 な、なんか、なんかおかしい、いつもの旦那様じゃない!! い、いや厳密に言うなら、朝、私が車に乗り込むまでの旦那様じゃない!!


 おかしいわ、車内の空気がめっさ重い!! 重すぎる!!


 私は、私の勘違いか見間違いだろうかと思って運転席の旦那様の顔をよ~く観察してみる。


 普段どんな時でも柔らかい笑顔を絶やしたりしないはずの旦那様は、今、とてつもない無表情で運転をしている・・ってか目の光が横から見てもわかるくらい冷たい!!


 結論・・めっちゃくちゃに機嫌悪い。


 えええええええっ!? なんでぇっ!? どうしてぇっ!?


 うちの旦那様は私とは違って、気分次第で突然怒ったり不機嫌になったりはしない。


 必ず原因がある、何かはわからないけれど私が知らないうちに旦那様の機嫌をかなり損ねるような真似をしているはずなのだ。


 いったいなんだろう?


 朝食を終えて、いつもよりも念入りに化粧を済ませ、服装も整え、今日の講義で使う教科書や参考書やノートをカバンに詰め込んだ私は、先に車に乗って待っていてくれていた旦那様のところに急いだんだけど。


 そのとき家の戸締りや火の後始末の確認はしたし、玄関の戸締りもちゃんとした、特に玄関の鍵をかけていた私の姿は旦那様も目撃していたはずだから問題ないはずだ。


 じゃあ、なんだ? ついさっきまで声はかけなかったはずだから、何か私がまずいことを言ったとは思えないんだけど。


 助手席に乗り込んで顔を合わせてからすぐに発進して、それまで特に何かあったとは・・


 あれ?


 そういえば助手席に乗り込むときに私の顔を見た旦那様の顔。


 一瞬凄く嬉しそうな顔をしていらっしゃったから、気合いいれて化粧した甲斐があったぜっ!!って内心ガッツポーズしたものだったけど、よくよく考えてみるとその後の旦那様の表情に何か引っかかるものがあったのよ。


 確かにあのとき一瞬旦那様が嬉しそうな顔をしたのは間違いない、だけどその後すぐに顔を背けたような気がしたのよ。


 私は運転する為と。自分が赤い顔をしているのを見られないようにしたのかなと思ってあまり気にしなかったんだけど、でも、今になって思い返してみると、その横顔がかなり引きつっていたようにも思えるのよ。


 考えすぎかしら? でも、その他に旦那様が機嫌を損ねたらしき瞬間が記憶にないのよね。


 でも仮に私の推測が正しいとしてどうして私から顔を背けたのだろう?


 気合を入れて化粧をしたこの顔を見て一瞬でも嬉しそうな顔をされたということは失敗しているとは思えない、旦那様はこと私のことになると非常に正直に気持ちが態度に出る方だ、と、いうことはこの化粧はかなり成功しているといっても過言ではないはず。


 おかしいなあ、なんで一瞬でも喜んだあとに不機嫌になっちゃったんだろ、気合の入れ方が足りなかったのかなあ、ちょっとでも綺麗な私を旦那様に見てもらいたい私としてはかなり気になるところなんだけどなあ。


 ・・ン? 私今なんか変なこと言った気がする。


 私は今心の中で呟いていたことの中に、物凄く何か違和感のあるフレーズがあったような気がしてしきりに考えなおす。


 なんだ? なんだろう? そう思って考えなおすとどこかおかしいところがあるってことはわかるんだけどそれがなんなのか、どうしても特定できない、何か小骨が引っかかっているような物凄く歯痒い感じ、あ~、なんだろう!?


 そのとき、ふと視線の端にサイドミラーに映る自分の姿が。


 旦那様が久しぶりに送ってくださるというから、気合いを入れてできるだけ小奇麗にしたつもりの自分の姿、くっきり長いまつげに、目が少しでも大きくパッチリ見えるように、でもいやらしくケバクならない程度に気をつけてつけたアイシャドウ、お気に入りの淡いパールピンクの口紅。


 いつものやぼったいダークブラウンの眼鏡も外し、アップして地味にしている髪の毛もおろし、できるだけ旦那様に奇麗な自分をみてもらおうと頑張って化粧した姿。


 いつもの大学に行く姿とは違う、特別な姿。


 自分でも結構頑張って化粧したんだけどなあ・・なんて、思ってサイドミラーに映る自分の姿を見つめていた私、だけど・・


 って、あれ? 大学行くんだよね、私。


 そりゃそうよね、そのために旦那様に送ってもらってるんだもん、デートに行くわけじゃないわよ、送ってもらったら旦那様とはそこで別れて・・


 って、ぬううああああああああああ!!


 そ、そういうことかあああああああ!!


 唐突に全てを悟った私は、自分の大失敗を自覚し頭を両手で押さえて狭い車内をのたうちまわる。


 か、勘違いされてる!! 旦那様に絶対勘違いされてる!! マズイ、絶対不味い、このままにしておいたら私の身の破滅よ!!


 私はすぐさま決断すると、相変わらず物凄く不機嫌な様子のまま運転している旦那様にすがりつく。


 勿論、運転中にそんなことするのは危険だってわかっていたけど、このままには絶対しておけないもの、こっちのほうがずっとずっと最優先なんだもの!!


「お願いです、旦那様、今すぐそこの公園の路肩に止めてください!!」


「え!? え!? な、なんですか? もうすぐ大学ですよ!?」


「いいからお願いします!! ちょっとでも私のこと愛してくださっているなら、お願い、私のお願い聞いてください!!」


 突然すがりついて来た私を物凄く吃驚した表情を浮かべて見つめてきた旦那様だったけど、私の必死の様子に何かを感じたのか、急だったにも関わらず、危なげない運転で左側に車を寄せていくと、車の流れからすっとそれて行き、通り道にある公園のすぐ側にある路肩に車を停車させた。


 そして、完全に車を止めたところで、怪訝そうに私のほうを改めてみる。


「玉藻さん、いったい何が・・」


「ごめんなさい!!」


「え!?」


 こうなってしまってはとにかく先に誠心誠意謝ってしまうに限る。


 旦那様はわからず屋ではない、ちゃんとこちらが心から謝意を示し理由を述べさえすれば、あっさり許してくれる性格の持ち主である。


 むしろあ~だこ~だと言い訳するほうが逆効果であることを、私はよ~く知っているので、こういう場合、先手を打ってともかくまず謝ってしまうことにしてしまう。


 ぺこっと頭を下げたあと、ちらりと上目づかいで旦那様の様子を伺うと、たったこれだけのことですでに旦那様が私の聞く態勢に入ってくれていることが見えて、私はまず第一段階クリアしたことにほっと胸を撫で下ろす。


 しかし、ここで気を抜くわけにはいかない、旦那様の目から温かみが再び消えてしまわないうちに、誤解をといてしまわないと。


「違うんです、旦那様、聞いてください!!」


「は、はい!!」

 

「旦那様が久しぶりに送ってくださるって・・久しぶりに朝2人きりでドライブできるからって浮かれちゃって、それで・・そのまま大学に行くってことを忘れていたんです!! あの、決して誰かに会うとか、どこか別のところに行くためとか、そういうために化粧したんじゃないんです!! 旦那様に見てほしかっただけなんです!! 本当です!!」


 こういうとき嘘とか言い訳は混ぜちゃダメ、旦那様の・・宿難 連夜という『人』の信頼を得る最大の方法は、どれだけ格好悪くて気まずくても本当のこと、本心を言う、これに限る。


 私は旦那様の目を真っすぐに見つめて決してそらさなかった、旦那様はちょっとだけ探るような・・ううん、というよりも戸惑ってどう反応を返したらいいのだろうって感じで私を見つめていたけど、やがて、私の言ったことを理解したという表情で、どこかほっとしたように肩の力を抜きながら茫然と呟いたわ。   


「そ、そうだったんですね」


「そ、そうなんです」


「あ、頭に血が上っちゃって、そういう可能性について全く考えが及びませんでした・・ごめんなさい」


 本当にがっくりしたように頭を下げてくる旦那様を、私は慌てて止める。


 謝ってほしいわけじゃないのよ、悪いのは迂闊なことをしてしまった私だもん、それよりも、わかってくださって本当によかった~。


「ううん、私が勘違いして紛らわしいことしたからだから、どうか気にしないでくださいませ。あ~、それにしても本当に私ったら、もう~~。完全に大学じゃなくて、旦那様と一緒にどこかにデートに行くつもりで力一杯余所行きバージョンの化粧してたわ・・」


 私は自分の迂闊さに本気で腹を立てながらごしごしと化粧を落とし、大学にいつもしていっているできるだけ地味な化粧を施し直し始める。


 そんな私の姿を何とも表情で見詰めていた旦那様は、見つからに落ち込んだ様子で深い溜息を吐き出す。


「ほんとに僕って奴は・・小さいなあ・・身体が小さいのはしょうがないにしても、こういうとき自分の心の狭さと小ささが浮き彫りになっちゃって、ほんと嫌になります。化粧一つでこれだけ嫉妬しちゃうんだもんなあ・・」


 ハンドルに顔を埋めがっくりと項垂れてしまう旦那様。


 でも・・私は、その・・


「焼餅焼かれなくなったら、女は終わりです。だから、旦那様は嫌かもしれないですけど、私は、その、嬉しかった・・」


「・・僕は全然嬉しくないですよ」


 えへへと嬉しさを隠しきれない私と対照的に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる旦那様。


 これだけでも十分嬉しかったけど、私は化粧をし直す手を止めて、若干顔を俯かせて上目遣いになると更に旦那様に追及してみることにする。 


「心配しちゃいました?」


「当たり前じゃないですか!! 玉藻さんみたいに滅茶苦茶美人の奥さんを持つと、いつだって僕は心配で心配で・・って、ダメだ駄目だ、格好悪い、格好悪すぎる、言えば言うほどドツボだ・・」


 そういうと旦那様は今まで一体どこに隠して持っていたのか、一枚の仮面を出してくると、それを素早く被って完全に表情を見えなくしてしまう。


 その仮面はほとんど真っ白でのっぺりした無地の上に、達筆な東方文字で『家内安全』とでかでかと書かれているもの。


 私はしばしぽか~んとしてそのなんとも珍妙な仮面を見つめ続けていたけど、はっとあることに気がついて表情を引き締める。


 私の問いかけにまだ完全に答えていない状態だというのに、旦那様はその仮面を被ったあと、車のキーに手を伸ばそうとしていたのだ。


 そんなことさせるもんか!!

 

 すぐに我に返った私は素早く旦那様の懐に潜り込み、車のキーを回そうとするその腕を無理矢理押さえつける。


 そして、呆気に取られて咄嗟に反応できずにいる旦那様の目の前から車のキーを抜いて取り上げてしまうのだった。


「ちょっ、な、何をするんですか、玉藻さん!? 車動かせられないじゃないですか!!」


 私に車のキーを取り上げられて一瞬呆然としていた旦那様だったけど、すぐに我に返り私からキーを取り返そうとする。


 だけど、私はキーを持った両手を胸に抱えるようにして取り返されてたまるもんかって表情で旦那様を睨み返し、絶対にキーを離さないのだった。


 そして、どうしたものかとわたわたしている旦那様に自分の想いを伝える。


「きちんと・・きちんと私のさっきの問いに答えてくれたら御返しします・・心配しました? 私が余所行きの化粧して大学に行くことになっていたら・・心配でしたか?」


「き、きちんとって言われても・・その・・」


「きちんとはきちんとです!! 誤魔化すのはなしです、隠すのもなしです!! そういう有耶無耶なのはダメなんです!!」


「えええええええっ!!」


 私の要求を聞いて明らかに困りきっていると思われる声をあげ、仰け反る旦那様。


 その後一体どうしたらいいんだと両腕を組んでうんうん唸り始めるけど、私はその隙を見逃さない。


 さっと旦那様の顔に手を伸ばし、車のキーに続いてその顔につけていた奇妙な仮面も取り上げてしまう。


「あっ!!」


 仮面を取り上げられて小さく叫んだ旦那様は、一瞬私のほうを茫然と見詰めていたけど、すぐに慌てて顔を横にそらしてしまう。


 その顔は夕陽のように額から顎先まで全て真っ赤に染まっていて、横を向いたくらいで誤魔化せるような状態ではなかったんだけど、それでも旦那様は極力私のほうを見ないようにわざとらしく外を眺めていたりする。


 旦那様の今の気持ちがわからないでもない、わからないでもないしどう思っているかも大体わかってる。


 わかってるの、わかってはいるのよ・・でもそれを旦那様の口からはっきり聞きたいの、『女』として聞きたいのよ、どうしても!!


 だから・・


「聞きたいのです。旦那様がどう思っていらしたのか、はっきり聞きたいんです!!」


「いや、だから、その・・格好悪いし、女々しいし、情けないから、言いたくは・・」


「嫌だ、聞きたい!! 聞きたいの、どうしても聞きたい!! 旦那様の・・ううん、私のたった1人の『男』としての連夜くんの気持ちが聞きたいの!! お願い、教えて・・」


 もう完全に反則技だってわかっていたし、こういう手段は自分でも本当に嫌いなんだけど、手段とかポリシーとかよりもどうしても『女』の情念が勝ってしまったの。


 私は最終手段である『女の涙』をぽろぽろ流して見せる、勿論私に極限まで甘く優しい旦那様がこの手段に訴えた場合、絶対に断れないことを承知の上で使ったわ。


 ほんと都合のいいときだけ『女』を利用するのってズルイよね・・わかってるの、わかっているんだけど、でも、好きな『人』の気持ちを知りたいって思いを止められないのよ。


 いつだって旦那様は私を大事にしてくれてる、愛してくれているってわかっている、それは態度だって言葉だって十分過ぎるほど伝わっているの、でも、私は嫌になるほど貪欲なの、どこまでも旦那様の心を知りたいの、だから・・


 全然いいわけにならない、ひたすらに私の我がままでしかない問いかけ、でも、旦那様はやがて諦めたように溜息を一つついて、その気持ちをぽつりぽつりと口から零して始めてくれた。


「以前から言ってるように、玉藻さんを他の男の目に触れさせたくないんです。玉藻さんが他の男になびいたりしないってことはよくわかっているですけどね・・でも、いくら玉藻さんだって仲の良い男性の友達の1人や2人いるでしょう、別になんの気もないただの知り合いだともっといると思います、話をすることだってあるでしょう、成り行きで他の女性の友達と昼ごはんを食べているときに男性の友達が混じることだってあるでしょう、大学の授業で隣り合うことだってあるでしょう、当り前ですよね、当然のことです、『人』が生きていく上で僕以外の男性と全く関わらない生活をしていくなんて不可能なんです」


 そう言って、一度小さく息継ぎをして言葉を切った旦那様、だけどその表情はとても苦しそうで恥ずかしそうで、そして、とてもとても辛そうだったけど、それでも言葉を続けて自分の想いを口にし続けてくれた。


「でも、当り前だから、玉藻さんは絶対大丈夫だから、きっと今日も何もないからって・・思いこもうとしてもダメなんです。きっと、今日もいろいろな男性に囲まれているだろう、それはきっと僕よりも身長が高いかもしれない、体格ががっちりしてて頼もしい『人』かもしれない、顔だってこんな童顔じゃなくて男らしいハンサムな顔つきな『人』だっているかもしれないし、喧嘩とかも強くて、頭もよくて、財力もある『人』だっているだろう・・あ~、だめだ・・自分で言ってて落ち込んできたし、何言ってるのかわからなくなってきました・・いや、そのだから、僕は、玉藻さんの・・ことを信じてないのかなあ・・信じてると・・思うんですけど・・だけどやっぱり、他の男性にその奇麗な姿を見せていたくなくて・・も、もういいですか? これ以上話せと言われてももう無理です。自分で自分の気持ちが理解できません。玉藻さんのことが大好きで心から愛しているって断言できるのに、なんなんでしょうね、それなのにこれだけ嫉妬して、結局僕は玉藻さんを信じてないのかもしれない、玉藻さんのこと考えると自分でもわけがわからなくなるんです・・ダメな夫ですね、軽蔑してください」


 旦那様はそれっきり完全に私から顔をそらして何も話さなくなった。


 私もそのままずっと何も言えなかった。


 2人ともが黙ったまま、なんとも言えない時間がしばし流れた。


 だけど、私も旦那様もやがて時をはかったように同時に動きだしたわ。


 先に声を出したのは旦那様だった、旦那様はなんとも言えない悲しそうな表情で片手を私のほうに差し出してきたの。


「そろそろ行きましょう、玉藻さん。ぼちぼち出発しないと本当に大学に間に合わなくなってしまいます。さあ、キーを出してください・・って、なんですか!? なんで、いきなり僕のシートを倒しているんですか!?」


 悲しそうな、だけど、どこか穏やかな表情で差し出してきた旦那様の手の平をちょっとの間見つめていた私だったけど、私はその手を無視すると、旦那様のシートの横にあるレバーを操作して無言で横に倒す。


 そして、何事かと慌てている旦那様を尻目に旦那様のシートベルトを手際よく外し、旦那様の上にそのまま覆いかぶさる。


「ちょ、ちょっと、玉藻さん!? なんですか? なんなんですか? いったいなんの真似なんですか!?」


「・・する」


「え・・」


「ここでする。ここで愛し合う」


 何の迷いもなくきっぱりはっきり断言する私の言葉に、旦那様は表情をひきつらせて凍りつく。


 しかし、そんなバカなことがあるはずはない、きっと私が冗談か何かを言ってるのだろうと思った旦那様は、冷汗を大量に流しながらも笑いながら私の身体をどけようとする。


「や、やだなあ、玉藻さんたら・・もう、冗談ばっかり。十分驚きましたから、早くどいてください」


「・・やだ」


「や、嫌だって・・た、玉藻さん、も、もしも~し!!」


 旦那様は冗談で片付けたかったのかもしれないけど、生憎私は本気の本気の本気だった、マジだった、真剣だった、これ以上ないくらい完全に完璧に絶対に本気だったのだ。


 こんな本気の告白されて、このままでいられるわけがない、だって、裏を返せば普通じゃいられないくらい私のことを好きですって、愛していますっていってくれてるのよ!?


 どうしようもないくらい好きだからって、あのいつも冷静な旦那様が自分を抑えられないくらい私のことを考えると苦しいって。


 こんなの誘ってるとしか思えない、これだけ熱烈に求愛されているのに、それに応えないような『女』じゃないわ、自分で言うのもなんだけど私の情念は『人』一倍激しいのよ!? 


 もう無理、我慢できない、私だって旦那様のこと好きだもん、愛しているもん、普通じゃいられないくらいいつだって旦那様のことを考えているわ!!


 大学なんて行ってる場合じゃない、ここで私の愛を証明しないでいつするっていうのよ!?

   

「玉藻さんダメです!! やめてください、服を脱がさないで!! だ、大学どうするんですか!? そもそもこんなところでそんなことしていたら嫌でも『人』目につきます!!」


「・・気にしない」


「気にしてください!! お願いだからそこは思いっきり気にしてくださいってば!! ちょ、玉藻さん、目が怖い!! 目が据わってる!! お願いだからもどってきて~~!!」


「うるさい・・私だって・・私だって普通じゃいられないくらいあなたのこと愛してる」


「わかりました!! わかりましたから、だったら帰ってからにしてください!!」


「帰ってからだと遅い・・遅すぎる。そんなの本当の気持ちじゃない。今のこの気持が大事」


「玉藻さんの気持ちを疑ったことは一度たりともないですってば!! 玉藻さん、ちょっと深呼吸して冷静になってください!! ね! ね!」


 旦那様のシャツの前ボタンのほとんどすべてを器用に外して半裸の状態にして、すでにそこに雨あられとキスマークを降らしたり、甘噛みしたりしている私から生意気にも必死に逃れようとする旦那様。


 どうしても冗談か悪ふざけにして事を穏便に済ませようとしている旦那様に私はきっぱりと断言する。


「私は素面」


「嘘だ!! なんだかわからないけど、今の玉藻さん、完全に正気を失ってますよ!? あ・・そ、そんなとこ舐めちゃ・・あ・・う、うぅん・・」


「私は正気」


「あ・・あふぅん・・ぼ、暴走している『人』はみんなそういうんですってぶぁ!! ちょっと玉藻さん、本気でダメ!! これ以上はダメ!! 絶対ダメ!! みられちゃいます!! 覗かれちゃいます!! 下手したら登校途中の学生さん達に囲まれちゃいますって!! そんなのは嫌ですってば!! こんな明るいところでするのは絶対いやあああああっ!!」


「大丈夫」


「え? 何がですか?」


「私は明るくても暗くてもどっちでも大丈夫。ちゃんとあなたの身体の隅々まで見て端から端まで愛するから」


「だあああああっ!! だから、そういう問題じゃないんですってばああああああっ!! も、もう、それ以上はらめえええええええっ!!」


 あまりにも旦那様の往生際が悪いので、こうなったらさっさと繋がってしまうに限ると、私は旦那様のズボンに手をかける。


 いくら旦那様でも私と繋がってしまった段階までいってしまえば諦めてくれるに違いない、なんだかんだいって私の愛を拒んだりするような真似は絶対にしない『人』なのだ。


 が、最後の抵抗なのか、まだ旦那様はズボンのベルトを外させまいと必死に両手でガードしている、え~い、ほんとに諦めが悪いんだから!!


 私は旦那様の両手を力任せにひっぺがえし片手でがしっとまとめて捕まえると、自由なもう片方でベルトを外しにかかる。


 腕力だけなら私の方が強いんだから!!


 流石にもう観念したのか旦那様は、騒がなくなっていた。


 私はやれやれと思ってゆっくりとベルトを外しつつも、ちょっと強引すぎたかななんて思いながら旦那様のほうを横目で見ると、旦那様はなんだかやけに大きく目を見開いて窓の外のほうを凝視している。


 最初は力づくで私にどうこうされようとしているのがショックで放心状態なのかな、なんて思っていたんだけどなんだか様子がおかしい。


 私はちょっとの間手を止めて小首を傾げ旦那様のほうを見詰めていたけど、結局、『まあ、いいか、あとで考えよう』なんて思って自己完結して続きに移ろうとした。


 そのとき・・


『ゴンゴンッ!!』


 すっかり静かになった車内に、鈍い音が響き渡る。


 ほんのちょっとの間、それが何の音なのかわからなかった私だったけど、すぐに運転席の窓ガラスを誰かが叩いているのだと悟り慌ててそちらに視線を向ける。


 もう、いったい誰よ、この忙しいときに!!


 そう思って苛立たしさと怒りを隠そうともせず窓ガラスのほうに顔を向けた私は、紺色の制服と帽子にばっちり身を包み金色のバッヂを胸に着けた明らかに警察官とわかる姿の妙齢の鬼族の女性と目を合わせることになった。


 しばし見つめあう私と鬼族の婦人警官さん。


 やがてにっこりと笑って見せた婦人警官さんは妙に優しい声でガラス越しに私に話しかけてくるのだった。


『あのね、ここもうすぐスクールバス専用道路の時間帯に入るから移動してほしいんですけど・・あなた達朝から何やってるの?』


 婦人警官さんの問い掛けに咄嗟に答えることができず、しばらくあっちこっちに視線を泳がせていた私だったけど、さんざん迷って挙句に出た言い訳は


「え・・え~~っと・・す、『すとれっちたいそう』かなあ」


「「・・」」


 あまりにも苦しい・・苦しすぎる私の言い訳に車内にも車外にも冷たい空気と風が流れるのだった。




 結局このあと婦人警官さんに私達はこってりとお説教されてしまい、私は1時限目の授業に完全に間に合わなくなることが確定。


 しかもようやくお説教から解放されたと思ったら、今度は旦那様が私の所業に完全に呆れ果てて、目を合わしてはくれないし、口をきいてもくれなくなってて、私はそのご機嫌をなおしてもらうのに更に時間を費やす羽目になったのだった。


 いや、最終的に旦那様は機嫌をなおしてくれて、帰りもちゃんと迎えにきてくださるっていってくれたんだけど・・


「でも、車内ではしませんからね!! 絶対しませんから!! 暗くなってもダメですからね!!」


 大学の正門近くに車を止めて私を下ろした旦那様は、車の運転席の窓を開けて苦虫をかみつぶしたような表情で私にきっぱり断言する。


 ちぇ~~っ・・まあ、いいけどさ、お家に帰ってからにするから。


 なんて思っていた私だけど、そんな私に旦那様の無情な警告。


「お家に帰ってからもダメですよ、お風呂入ったり、ご飯食べたりしないといけないし、何よりも、そろそろ中間テストありますよね? ちゃんと勉強しないと知りませんよ」


「えええええええっ!! そ、そんなあああ・・」


 がっくりと項垂れてみせる私、しかし、そんな私を見て旦那様は心配そうな顔をするのではなく、微妙な表情で私の心中を的確に察して聞いてくるのだった。


「とかなんとか諦めたふりしてますけど、本当は心の中で、『でも、する!!』とか思ってますね?」


「うん!!」


 あったりまえじゃん!!


「本当にもう~~・・でもまあ、玉藻さんの『愛』に嘘はないもんなあ・・ともかく、また帰りに迎えに来ますから、帰る準備できたら携帯に念話ください」


「あいあいさ~!!」


 車の運転席から、なんだか物凄く疲れきった表情をしてみせる旦那様に、私は素早く近づいてちょっと長めに唇を押しつけて重ねる。


 そして、その後旦那様から身体を離した私は、他の車が来ないうちにと道路の左右を確認して、旦那様に車を発進させるように合図する。


 さて、私は大学行ってくるかな。


 私は車を発進させて去っていく旦那様を手を振って見送ったあと、大学生モードの私に表情と態度を変化させて大学へとはいっていくのだった。


 未遂に終わってしまったけど、朝から旦那様の『愛』を感じることはできたし、その『愛』に応えるためにもしっかり勉強しないとね。


 じゃあ、今日はここまでってことで。


 またね。   

 

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