後編 呪いか、運命か
ディアナとレスターは、そのまま夜更けにシノヴァ国を出た。
遅くまで走っている辻馬車で、ひとまず国の外に出る。それからまた隣の国で馬車を乗り換え、何日もかけてレスターの祖国へ向かうらしい。
出発した馬車の中で、レスターに寝ているように言われたが、とてもじゃないけど眠れるわけがなかった。
…と言いたいところだが、日中の仕事の疲れが出ていたのか、恥ずかしいくらいに爆睡してしまっていた。
差し込む朝日に、枕が固くて首が痛いと寝ぼけながら目を覚ますと、レスターの膝枕で寝ている事に気づき、ディアナは飛び起きた。
そんなディアナを見て、おかしそうに屈託なく笑うレスターを見ていたら、ディアナもなんだかおかしくなって笑ってしまった。
昨夜はレスターが恐ろしく感じて、共に過ごす未来に絶望さえ感じたが、朝日の中の彼はいつものように優しく、ディアナは悪夢から覚めたようにスッキリとした気持ちでレスターを受け入れる事ができた。
『昨夜の彼は彼の一部ではあるけど、彼の全てではない』そう思い直せたのだ。
曇りのない顔で笑うディアナを見て、レスターは少し目を見開いた後、とても嬉しそうに笑みを深めた。
そんなレスターを見てディアナも、やっぱり彼の事が好きだと思った。
もともとディアナも旅慣れしているので、長い旅路も苦ではなかったし、共に移動する長い時間の中でディアナの中のわだかまりもすっかり解けていった。
長い旅の間、甲斐甲斐しくディアナの世話を焼いてくれるレスターを嫌いになれるはずもない。
そうやってレスターの生まれの国、ロヒコ国へ到着した。
ロヒコ国は、山に囲まれた小さな国だった。
国…というより村のように見える。気候は温暖で気持ちがいいし、空気も美味しい。だけど人の姿を見かけない。広々とした広野に、ポツンポツンと家が点在している。
遠目でしか見えないが、それぞれが広い庭付きの大きめな家のようだ。
レスターの家も、その中のひとつだった。大きめな家が、広い庭で囲まれている。
ロヒコ国では、成人した者は皆、自分の家を持つらしい。その家に共に住む番を探しに、皆が旅に出るそうだ。
レスターの旅は、私と出会って終わりを告げた。
家の中に入り、とりあえず休もうとお茶を飲むことにする。
「レスター、ここは人があまりいないのね」
お茶を飲みながらディアナが尋ねると、レスターが応えた。
「わざわざ家の外に出なくても生活出来るからな。この国で出歩く人はあまりいないな」
ふうん?とディアナが不思議そうに頷く。
「それで生活出来るものなの?買い物はどうしてるの?」
「国から各家に色んな魔道具が支給されるから、欲しい物はなんでも取り寄せられる。食べ物から雑貨までな。まぁロヒコ国の男は器用な者が多いから、大概のものは作ってしまうが。番の物なら、髪飾りも服も靴とかもな」
「そ、それは凄いね」
服?…靴?
そんな物が作れるのだろうか。
少し遠い目になったディアナに、緊張した顔つきでレスターが説明する。
「あまり他国では知られてないが、紅眼の男は嫉妬深い者が多いんだ。番を他の奴の目に晒したがらない者が多い。国もそんな紅眼の男を守る為に、家から出なくても良いように便宜を図ってるんだろう。紅眼の男は、番を見つけるまでは国の為に働いて、番を見つけた者はその役割を終える。俺の役割は終わったってとこだな。
……嫉妬深さは個人差があるだろうが…おそらく俺はその傾向が強い方だ。ディアナに誰も近づかせたくないし、今後家から出てほしくない。俺だけの側にいてほしいと思ってる」
硬い表情で話すレスターの、組んだ指が震えている。
聞いた話はとんでもない内容だが、自分の反応を恐れる、体格の良い厳つい顔のレスターがなんだか可愛く思えてしまう。
「それは困ったわね」
そうディアナが切り出すと、レスターの肩が跳ねた。
「でもレスターが嫌なら、そうしましょうか。勿論レスターも家にいてくれるんでしょう?」
「――ああ」
そう短く応えたレスターの目が潤んでいるのを見て、やっぱりこの可愛い男の事が好きだわとディアナは微笑んだ。
そこからの生活は思った以上に順調だった。レスターはいつだって優しいし、甲斐甲斐しくディアナの世話をしてくれる。
このままでは何も出来ない人間になってしまうと言っても、何も出来なくなっても愛してると返してくれる。
レスターがディアナを愛してくれるように、ディアナもレスターに同じくらいの愛情を返したいと思っていた。
そんなある日。
ディアナは、ベットの下の奥に、隠すように置いてある小箱を見つけた。
落としたハンカチがベットの下に入り込んでしまったので、床に頭をつけて覗き込んで気づいたものだ。
レスターは今、夕食の準備を始めたところだ。
ディアナはその小箱が気になってしまい、手繰り寄せてそっと開いてみた。
中には手紙が一通入っていた。
『いつかむかえにきてね』
小さな子が書いたような字だが、これを大切に隠し持っていた事が、ディアナは少し面白くなく感じる。
あまりに毎日『愛してる』『好きになったのはディアナだけだ』と伝えてくれるから、少しレスターの愛に贅沢になってしまったようだ。
こんな事で暗い気持ちになるなんて、本当に馬鹿げていると頭を振って忘れる事にした。
「ディアナ、どうした?具合でも悪いのか?」
心配そうにディアナに尋ねてくるレスターに、少し苛立った気持ちで応えた。
「別に。なんでもないわ」
思った以上に冷たく響く自分の声に、ディアナ自身が驚いた。すぐに謝ろうとレスターの顔を見ると、彼の顔が青ざめていた。
「え…レスター?具合が悪いの?」
同じ言葉をレスターに尋ねる。
「…なあ、ディアナ。俺に飽きたのか?」
呟くように話す、レスターの瞳が暗く光る。
――怖い。
いきなり冷水をかけられたようにハッとしたディアナは、慌てて説明する。
「違うの!違うのよ。…あの、ベットの下で手紙を見つけてしまって…」
「手紙?」
思ってもみなかった言葉なのか、レスターの目が丸くなり、不穏な空気が霧散した。
「手紙に『いつか迎えに来てね』って書いてあったわ。そんな手紙を大事に持ってるなんて、よっぽど大事な子だったんでしょう?」
投げやりになって話すディアナの声は、レスターを責める口調になる。
「あ。…ああ、手紙か。…そうだな。大事な手紙だ。ずっと大切にしていた」
その言葉が重くディアナに響いた。
「それは初めてディアナにもらった手紙だからな」
「…………え?」
手紙?レスターに手紙なんて書いた事はない。そもそも手紙自体、人に渡した事なんて――
とそこまで考えた時、確かに昔―子供の頃に手紙を書いて渡した事があることを思い出した。
子供の頃。
その頃のディアナも国を転々としていた。その頃は親の都合によるものだ。
ディアナは母子家庭で、母は踊り子だった。様々な国の祭りを追いかけて、踊った金で生活を立てる暮らしをしていた。母は特別な美人ではなかったが、スタイルの良さと童顔がアンバランスな人で、それなりの人気があったのだ。
ディアナは踊り子の母を誇りに思っていたが、短い期間で転々と国を回る生活は孤独だった。友達が出来たとしても、すぐにお別れになる。
そんなお別れした子のうちの1人が、手紙を渡した子だった。顔は全く思い出せないが、人懐っこい子でいつも自分の後を付いて回っていた。あまりに懐かれて、お別れの日は号泣されて手を離してくれなかったので、「大きくなったら迎えにきてね。そうしたらずっと一緒にいられるから」と約束したのだ。その言葉を手紙に書いてほしいと頼まれて、手紙を書いたのだった。
本当は手紙を残すのは好きではない。短い期間で去っていく私を、手紙を残したところで覚えていてくれるはずがない。国々を転々と移動する私に、手紙を書いてくれる人もいない。
その男の子に手紙を書いたのは、自分との別れをあまりに悲しんでくれたからだ。彼なら私をそう簡単に忘れ去ることはないかも、と思ったからだった。
「レスター、今まで私が手紙を渡した子って、1人しかいないんだけど」
そのディアナの言葉に感激したようにレスターが応えた。
「ディアナ!俺がその唯一か?それに思い出してくれたんだな。あれから俺、ずっとディアナを探してたんだ。…ディアナ言ってくれただろ。俺の眼の色が綺麗だって。『紅って綺麗だから、結婚するなら紅眼の人がいいな、毎日見ていたい』って。俺はあの時ディアナに運命を感じたんだ」
そんな言葉は――
……言ったかも。すっかり忘れていたけど、子供の頃に紅い目の男の子に会っている。キラキラと光に当たって輝く紅い眼が綺麗で、宝石みたいだと思っていた。
ああ、私は紅い眼がずっと昔から好きだったんだ。だからあのワロアでの人混みの中で、一瞬だけ目が合った紅い眼が忘れられなかったんだ。
私はずっとこの目の前の男を待っていたのかもしれない。
―そこまで考えた時、ディアナは気がついた。
「あれ?レスター、私をワロアで初めて見かけたって言ってなかった?」
「…子供のころから好きで、ずっと追いかけてたなんて言えるわけないだろう?そんな事言ったら、あん時逃げてたんじゃないか?」
それはない、とは言い切れない。…多分逃げてた。
ふふふと誤魔化すように笑う私に、レスターは苦笑しながら話を続ける。
「ディアナ、俺は嫉妬深い。ずっと…本当に長い間ディアナを愛してたんだ。ずっと会いたかった。ディアナをワロアで見つけた時、もしも拒否されたらと思うと、怖くて声がかけられなかった。
ディアナの周りは不埒な野郎共ばかりで、怒りで頭が真っ白になった事が何度もあった。追いかけて行ったシノヴァでも、片付けても片付けても野郎共は沸いて出てくるし、たまらずディアナに声をかけたんだ」
「………」
思った以上に重い話だった。シノヴァ国で片付けたとは、どう片付けたのか。これは追及してはダメなやつだろう。
だけど結局ディアナはレスターを愛してしまった。
背も高く、体格も良く、その辺の男達より強い。顔は少し厳ついが自分の好みの顔だ。声もいい。優しいし、気も利く。それに私を深く愛してくれている。
レスターは私の可愛い、良い男なのだ。
不貞腐れたように顔をしかめているレスターに、ディアナはそっとキスをした。