前編 偶然か、呪いか
『紅眼の者に捕まるな。呪いを持ってやってくる』
年間通して温暖な気候を持つシノヴァ国。
このシノヴァ国では、言うことを聞かない子供を怖がらせる時に使う言葉がある。紅眼の者に対する言葉だ。
元々この言葉を言われるようになったのは、昔から大量虐殺のような残酷な事件の犯人に、紅眼の者が多くいたからだ。感情の強さが眼に表れるのだろうと分析する学者もいる。
呪いなど迷信だと笑う者も多いが、子供の頃に言い聞かされる言葉というものは、後々までも強く心に残るものだ。紅眼を嫌い、怖がる者は多い。
「――ってわけで、紅眼の人間には気をつけろよ、ディアナ」
「ディアナちゃんを怖がらせるんじゃねぇよ」
「怖かったら、今夜は俺の部屋に来いよ」
ガハハハと酔っ払い達が笑う。
「もうヒューさん、飲み過ぎよ」
男達の言葉を気にする事なく、ディアナは手に持つ料理を男達の前に置いた。
ディアナは昼は食事屋、夜は居酒屋に変わるお店で働いている。
「国外から新しく来た者でも稼ぎがいい」と噂のシノヴァ国に来たのは、わりと最近だ。この国でお金を貯めて、また他の住みやすそうな国へ移り住むつもりだ。
生まれた国でも、他国とのハーフだったディアナは、純粋なその国の国民にはどこか距離を置かれがちだ。ずっとそんな環境の中にいたので、どこかの地に根付くつもりはなかった。
結局ハーフという立場は、どこへ行っても余所者扱いされるのだ。
以前いたワロア国は、このシノヴァ国とは海を挟んだ隣国である。南国と言っていいほど一年中気温が高い国なので、国の衣装は他国に比べると、薄手で身体を晒すようなデザインだ。なのでワロア国から来た者は、その衣服を身に付けているだけで、男を誘っているように見られてしまう。
男達の自分を見る目つきや、かけてくる言葉に反吐が出るが、これもまあ生きるためだ。自分の見た目で店に客を呼び、その客がお金を落としてくれるなら、自分の特別手当も増えていく。悪いことばかりではない。
ディアナは、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ、いわゆるグラマラスと呼ばれるスタイルだ。
ワロア国の胸元が大きく開いた衣服では、その大きな胸は隠しきれないし、スリットの入ったスカートからは綺麗な足が惜しげなく見えてしまう。
ワロア国では皆が着ている衣服なので、男女共に衣服に釣られて視線を寄こす者はいないが、ここシノヴァ国の男達は遠慮なく食い入るような視線を寄越してくる。
――自分を誘うための格好だと、大きな勘違いをしながら。
じゃあシノヴァ国に合わせて、シノヴァ国の衣服を着ればいいじゃないかということになるが、今のディアナには衣服を買うには手持ちのお金が寂しすぎた。
シノヴァ国の服は、例え古着でもワロア国の数倍以上するのだ。生地は上質だが、ディアナにはまだ手の届くものではない。
そんなディアナの見た目はというと、至って普通だとディアナ自身は思っている。
ワロア国の暑い日差しの中でも、あまり日焼けはしない肌質だったようで、肌はわりと白い。振り返るような美人ではないが、愛嬌のある顔立ちじゃないかと自分を慰めている。
左目の目元と唇の右横に、小さなホクロがあるところが気に入っていて、このホクロで童顔がカバーされて大人っぽく見える気がするし、これが自分のチャームポイントだろう。
「なんだよディアナちゃん。紅眼が怖くないのか?」
料理に手をつけながら、酔っ払いの男の1人に声をかけられた。
「紅い眼ってだけで怖がれないわよ。私は色んな国を旅してきたけど、そんな言い伝えは聞いた事がないわ。
紅眼は確かに珍しいけど、前に一度見たことはあるし、その時も特に何も無かったわよ。むしろその後良いことがあったくらいだから、どちらかというと呪いってより祝福かもね」
あはははとカラリと笑い飛ばしたディアナに、男達は少し気まずそうに誤魔化した。
「まあ俺たちだって、紅眼の呪いなんて信じちゃいねえけどよ」
「ディアナ、怖がる俺を慰めてよ」
「はいはい。また今度ね。もう今日は飲み過ぎだからそろそろ家に帰ったほうがいいわよ」
また適当に男達をあしらって、ディアナは他のテーブルの客のところへ向かった。
おおかたの客が引いた閉店近くのお店の中で、ディアナふうとため息をついた。
『今日もすごく忙しかったわ。流石に疲れちゃったけど、今日の臨時手当も期待できるわね』
そう思ってニンマリと笑うと、隅のカウンターに座っていた男と目があった。
深く帽子を被っているから顔はよく見えないが、その体格のよさと腰に下げた剣―おそらく彼は傭兵だろう。
「もうすぐ閉店だけど、おかわりは要るかしら?」
すぐに接客モードに入って、愛想よくディアナは男に声をかけた。
「いや。おかわりはいい。会計を頼む」
「ありがとうございます!」
お帰りらしい。また1人片付いた。
機嫌良くお会計に応じる。
「なあ、あんた。紅眼が怖くないのか?」
お釣りを受け取りながら、男に聞かれた。
「紅眼? …ああ。さっきの話、聞こえてたのね。さっきも言ったけど、別に怖くはないわよ。珍しいとは思うけど。紅眼って光に反射して光るから、綺麗でしょう?」
肩をすくめてディアナがなんでもない事のように話すと、目の前の男がおかしそうに笑った。
「それは光栄だな」
男はそう言って帽子を下ろすと、電灯の明かりで光る紅眼でディアナを見つめた。
「お客さん、紅眼だったのね。本当に綺麗な色してるわね。帽子を被ってたのは、この国の言い伝えのせい?」
「まあな。俺も他所の国から来たクチだが、シノヴァ国でこの眼を持つと、メシを食うにも宿を取るにも苦労してね。あんたみたいな紅眼を怖がらないやつがいるなら、ここに通わせてもらうよ」
「まいどあり!」
ディアナのゲンキンな返事に、男は声に出して笑った。
「俺の名はレスターだ。よろしくな」
レスターは言葉どおり、毎日ディアナの店に通った。
昼食も夕食もディアナの店で取ることにしたようで、しょっちゅう顔を合わせる。客が引いたタイミングなどで話をする事が多くなり、店の外でも会う機会も増えていった。
レスターは最初に見たときに感じた通り、傭兵だった。訪れた先の地で仕事を受け、国々を旅しているらしい。しばらくシノヴァ国に滞在していたようだが、また近いうちに他の国へ移ると話していた。
「そう。あと2週間でレスターはシノヴァ国を出るのね。寂しくなるわ」
国を出る期日が決まったという話を聞いたディアナが呟いた。
そんなディアナに、レスターは真剣な顔を向けた。
「ディアナ、一緒に来ないか? 俺は自国へ帰ろうと思うんだ。目的のものも見つけたしな。俺の国は、少しここから離れてるが良い国だ。ディアナも気にいると思うぞ。あっちの国には、不埒な野郎どももいないしな」
「不埒な野郎って、お客さんの事?」
ディアナは笑ったあと、レスターの言葉に考え込む。
レスターは良い男だ。
背も高く、体格も良く、その辺の男達より強い。顔は少し厳ついが自分の好みの顔だ。声もいい。優しいし、気も利く。
それに――それにディアナもレスターの事が気に入っている。いつかいなくなる者だと思っていたから、この先の関係など考えていなかったが、レスターが望んでくれるなら一緒にいたい。だけど。
「レスター。気持ちは嬉しいんだけど、レスターは私の事を誤解してるかも。この見た目で軽い女によく見られるんだけど、私は今まで誰とも付き合った事はないし、付き合うならちゃんと先を考えている人がいいの。だから、」
「考えている。ずっと一緒にいたいと思っている。流石に付き合う前からそんな事言ったら、ディアナが引くだろうと思って言えなかったんだ」
ディアナの言葉を遮り、勢いよく自分の気持ちを話したレスターの顔は真っ赤だ。赤い顔に、少し潤んで光る紅い眼――その瞳にディアナは魅入られる。
「ふふ、そうね。お付き合いしましょう。これからよろしくね」
レスターとずっと離れず共に過ごす未来に頷き、ディアナは恥ずかしそうに笑った。
「ディアナ」
お店の仕事の最終日、店を出たところで常連の男に声をかけられた。
「あら、ショーンさん。挨拶に来てくれたの?私、明日シノヴァ国を出るのよ」
「ディアナ、行くなよ。ディアナだって俺の事、本当は好きだったんだろう?あんな紅眼の男なんて選ぶなよ。ディアナが不幸になるだけだ」
「ショーンさん…」
ディアナは突然のショーンの告白に、驚いて声も出なかった。彼は常連客の1人で、挨拶程度の仲だ。
驚いて固まっていたら、ショーンに抱きすくめられた。
「え、ちょっと。ショーンさん!」
慌てて男の腕の中から抜け出そうとしたところで、急に身体が軽くなった。
自分を抱きしめていた男は後ろに吹き飛ばされ、目の前には怒りで目をギラつかせたレスターが立っている。
「レスター。ありが…」
「なあ、ディアナ。またかよ。また男を引き寄せてるのか。ワロアの茶髪と青髪を沈めただけじゃ駄目なのか?」
レスターの、自分の言葉を遮って発した言葉に引っかかる。
「ワロア国の茶髪と青髪…?ビルとニックの事?…沈めたって…?」
レスターの言葉の意味が分からない。戸惑うディアナに、レスターが冷たく笑う。
「知らないのか?ワロアでは無礼な奴は、簀巻きにして海に沈めんだよ。あの野郎共は、ディアナにしつこく付き纏ってただろ?それ相応の報いを受けただけだ」
「レスター、何故2人を知ってるの?」
悲鳴に近い声になったディアナに、レスターは優しく微笑む。
「俺はずっと近くにいたさ。昔、ディアナが言ってただろ?『紅って綺麗だから、結婚するなら紅眼の人がいいな、毎日見ていたい』って。俺、ワロアの居酒屋で初めて聞いた時、運命を感じたんだ。ずっと見守ってた。ワロアでも不埒な奴等は誰もいなかっただろう?
一度だけワロアで目が合ったことはあったがな。
そん時はディアナの周りに人が多くて話せなかったんだ」
一度。確かにワロア国で一度、紅眼の男を見たことがある。ほんの一瞬だったが。
あれはワロア国の貝祭りの日だ。お店の女将さんが、従業員の女の子達を祭りに連れて行ってくれた日だった。たくさんの人混みの中、一瞬だけ紅い眼と目が合ったのだ。あれだけたくさんの人がいる中、見かけた紅い眼が強く印象に残っていた。
あの祭りを境に、ビルとニックは姿を消している。毎日店で絡まれてたから、どこか他に気に入った店を見つけたのだろうとホッとしていた。
「祭りの日は、恒例の海のイベントの『海落とし』があるからな。その際沈んで浮かんでこない奴もいるだろう」
楽しそうに笑うレスターに、ディアナは返す言葉も見つからない。背中に寒いものが走る。
何か言わなくては。何かを―
焦るディアナにレスターが話す。
「なあ。やっぱり今夜俺の国へ向かおう。ここは余計な奴が多すぎる。俺の国は小さいが、紅眼が多くてな。紅眼を恐れない相手を探して帰るのが、国の決まりなんだ。やっと見つけた俺の番だ。俺の国では番に手を出す命知らずな奴はいないからな」
「え、待って。待ってレスター。私は、」
「なあ。今更嫌だなんて言うわけないよな。番の裏切りなんざ目も当てられないぞ。俺だってせっかく手に入れたディアナには五体満足で幸せに暮らしてほしいんだよ」
レスターの声が優しく語りかける。
「なあ。今更俺を拒絶するのか?他の男を選ぶのか?ディアナを狙う男がいるような国、みんな要らねえんじゃないか?」
『紅眼の者に捕まるな。呪いを持ってやってくる』
元々この言葉を言われるようになったのは、昔から大量虐殺のような残酷な事件の犯人に、紅眼の者が多くいたからだそうだ。
――その大量虐殺に至るまでに、何があったのだろう。
ディアナの身体が凍りついたように動かない。
レスターが静かに問う。
「なあ、ディアナ。俺と一緒に来るだろう?」
私は、優しいレスターが好きだった。勿論誰にでも優しくあってほしい訳ではないが、私の好きだったレスターは、本当のレスターだったのだろうか。
だけどもう遅い。もう戻れないという事は分かる。
これからはずっと離れず共に過ごす未来を進むのだ。応えるべき返事は、ひとつしかない。
――仄暗く光る紅い瞳が、顔を強張らせたディアナを見つめている。