第3話 悪女の悪夢②
城の大広間にはすでに多くの貴族たちが集まっていた。
色とりどりの華のような女性たちと、ビシッとした正装を身にまとう男性たちが歓談している。
「レクィエス・ブリューゲル王子殿下、ウェリナ・リガートゥル公爵令嬢のご入場です!」
ピタリと、一瞬だけ大広間は静かになった。
だがすぐにざわつきを取り戻す。
一歩進むたびに、嘲笑する視線と声が突き刺してくる。
これがウェリナという悪女の生きた世界だ。
評判の悪さからこのような雰囲気になるのはわかっていたが、想像以上だった。
こんなにも針で刺されるような痛みがあることを知る。
(痛い。だけど、それ以上に不愉快だわ)
もう一つ、ウェリナへの侮蔑の中に紛れて感情を刺激するものがあった。
レクィエスを呪われた王子と蔑むもの。
(レクィエスはずっとこんなに痛い想いをしていたの?)
英雄となる前のレクィエスは王族でありながら、私生児として冷遇されてきた。
その権力はないに等しい。
しかし王子という以上、傍目につく冷遇は見せなかった。
婚約者を与えることで、その視線を逸らす。
対象となったのが、評判が悪くなりつつあったウェリナだった。
ウェリナはレクィエスを嫌っていたと誰もが語る。
そのプライドの高さからレクィエスに見向きもせず、好き勝手に振舞っていたという。
ウェリナはここにいる人たちと何も変わらない。
レクィエスを見下す嫌味な貴族の一人だった。
(どうしてレクィエスはウェリナを愛していたの?)
報われない想いを抱き、周りからの中傷に耐えていた。
その一途な心に涙が込み上げてくる。
周りへの激しい怒りが込み上げてきた。
同時にウェリナの態度も許せないと拳を握りしめる。
(本当に、考えれば考えるほどわからない)
どうしたらレクィエスの想いを無下に出来るのか。
それだけ想われて何故、ウェリナは欲望に走っていたのか。
レクィエスの傷だらけな姿は、私を一瞬にして恋に落としてきた。
結婚をして、傍にいて、ますます気持ちは強くなった。
何度も愛を伝えた。
愛が返ってくることはなかったが、レクィエスは優しかった。
ぎこちなく触れてくるレクィエスを愛さずにはいられない。
憂いた表情を浮かべる人を抱きしめたかった。
(ただ、抱きしめたかった。それだけだったのに……)
「ウェリナ? どうしたの?」
「……別に」
あふれそうになる涙をこらえ、私はウェリナの面を被る。
「なんでもないわ、レクィエス」
この身はウェリナ。
中身が偽りであっても、ウェリナとしか認識されない。
ウェリナがレクィエスを愛すればすべてが解決する。
誰も悲しい顔をしなくて済む。
(これ以上、誰にもレクィエスをバカにさせない。その心は私が守ってみせるから)
その覚悟に対し、現実は残酷だった。
ゆっくりとした革靴の足音が近づいてくる。
それは私の前でピタリと止まった。
目の前の相手を見るために、顔をあげる。
「お会いしたかった、ウェリナ嬢」
絶望はやさしくない。
私は“悪女・ウェリナ”の生々しい行動を、思い知ることになる。
目の前の男を見て、言葉が出なかった。
黒髪に、緑色の貴族服を身にまとった若い男性。
「お久しぶりです、公爵令嬢」
何ら変哲もない普通の挨拶に、何故か動揺が走った。
(この人、たしかウェリナとよくいた……)
「ドルミーレ伯爵……?」
「あ、やっと覚えていただけました?」
「えっと……」
「今日のあなたもお美しい」
スクーザ・ドルミーレはまだ爵位を継いだばかりの伯爵だ。
公子の時に結婚はしており、子どももいるはず……。
スクーザは一歩前に出て、ウェリナへと顔を近づける。
耳元に息がかかると、途端に背筋に電撃が走った。
「その美しい身体を今すぐ抱いてしまいたくなる」
他の人には聞こえない囁き声にぞわりと鳥肌が立つ。
大胆な発言と無礼な接触に、私は膝を折りそうになっていた。
それを見てスクーザは口元に手を当て、喉を鳴らして笑い出す。
「今日の令嬢は随分と初々しい反応をなされる」
一見すると紳士らしい笑みだ。
だが瞳には狂気が宿っており、獣のようだった。
倒れそうになるウェリナの手を掴み、強引に引き寄せてまた耳元で囁く。
「私はそんなあなたに触れてみたい」
「い、いや……!」
手を振り払おうと後退るも、力は強く抵抗することが出来ない。
触れる箇所がやたらと熱い。
見下ろされる私はまるで怯えた小鹿。
吐き気が襲ってきて、私は声を出せなかった。
「やめろ。ドルミーレ伯爵」
「レクィエス……」
か細い声が名前を呼ぶ。
スクーザに掴まれていた手は離され、そのまま後ろに引き寄せられる。
氷のように冷たい気配がして振り向くと、そこには鋭い目つきをしたレクィエスがいた。
ウェリナの身体を支える姿に、スクーザは口角を引き上げて目を細める。
「これはこれは……王子殿下にご挨拶申し上げます」
今、レクィエスに気付いたと言わんばかりにゆっくりと丁寧にお辞儀をする。
チクチクと刺すような挨拶は実に貴族らしいものだった。