第9話 英雄の隣に立つ女性像②
「な、何を言う!?」
「えっ……レクィエス!?」
思わぬ発言に反対の手でレクィエスの腕を掴む。
レクィエスの表情は変化し、とてもキレイに微笑んでいる。
穏やかにウェリナに見つめた後、真逆の目で王を一瞥した。
「私はウェリナを手に入れるためだけに、この力を得ました。ですが今、この手で掴んだからこそ、私に英雄の意味はないのです」
震える私を抱き寄せ、髪を撫でられる。
そのやさしい温もりに涙が出そうになった。
「彼女は自分で縛り付けるものを断ち切り、ここに立っています」
「ば、バカなことを言うな! お前が戦わねば民が死に、国が滅ぶ!」
王の言葉にレクィエスは鼻で笑いとばす。
「それが何だというのですか? そんな脅しは私には通用致しません」
レクィエスの口角があがっていく。
ここにきてようやく王との関係性を目の当たりにする。
鋭く削られた氷のように痛かった。
「彼女がいなければ私は英雄でいられませんから」
「レクィエス……」
王は悔しそうに歯を食いしばり、レクィエスを見下ろす。
その隣で傍観者に務める王妃が扇で口元を隠している。
目を細めると、色素の薄い金色の髪がさらりと揺れていた。
「……悪に堕ちたか?」
「解釈は間違っていないでしょう。本を解読できぬ者には理解されないでしょうから」
笑っていた。
レクィエスが今まで見せたことのないあくどい笑みを浮かべている。
「私から彼女を奪うということは、国が滅ぶことと同義だとお考え下さい」
「……なんということだ」
わなわなと震え、椅子の取っ手に力を加える。
怒り狂った獣の目をして王は吠えだした。
「お前は王太子であり、国の未来であることを忘れるな! 大勢の人が一人のために犠牲になるとは、断じて許されてはならん! ましてや王族がそれでは」
「国を守りたいのならば、二度と彼女を辱めないでください。私は国に情がありません」
脳裏をよぎったのは大樹の下で傷だらけになった王子様。
この目はその時のレクィエスと何一つ変わっていない。
いや、怯えた目をしていたが今は鋭さだけが残っている。
誰にも助けてもらえずに生き延びた【呪われた王子】がそこにいた。
「英雄にならなければ彼女を救えない。私にとって身分も国もどうでもいいもの。……あなた方の正義を押し付けないでください」
拒絶する言葉がしんしんと降り積もる。
”私を呪いから助けるため”にレクィエスは戦う道を選んだ。
その道に至るまでどれほど傷を負ったのだろう。
凍える想いに、私は泣くことしか出来ない。
(こんなにも悲痛な愛を、私は無視し続けた……)
「……英雄風情が。その驕りは身を滅ぼすぞ」
「何でも構いません。彼女といられるなら何もいりませんから」
侮蔑のこもった言葉に何も動じない。
抉ることを目的とした言葉に何も感じなくなるまで、どれだけ痛みを耐えたのか。
(いまさらね。……ずっと、この手で抱きしめたかった)
今の私は手を握り返すのが精いっぱい。
かつての私は母に守られ、笑って生きていた。
同時期、レクィエスは常に命の終わりを見ていた。
愛を一番必要とする時期に抱きしめてもらえなかった寂しさがレクィエスを歪ませた。
(英雄になったことで歪みが見えるようになった)
時折、レクィエスの言動に違和感があった。
英雄になった核心部は語ろうとしない。
だがその根底は私が絡んでいることが言動に現れている。
罪人と呼ばれる私を守ろうとし、ずっと手を伸ばしてくれた。
その愛も優しさも疑いはない。
これほど愛してくれるのはこの先もレクィエス以外にいないだろう。
(だけどそれでは罪を償えない)
断頭台での処刑を回避したと同時に、私は犯した罪を償う道を選んだ。
しかし今の状況では、まるでレクィエスの人生を対価にして存在しているだけだ。
レクィエスの犠牲を前提に愛されることは望んでいない。
罪の意識は消えてくれない。
依存する形で愛を返したいわけではなかった。
愛しているからこそ、レクィエスと対等になりたい。
(そんな想いは、わがままなのかな? でも、足枷になりたくないの)
堂々とレクィエスを抱きしめたい。
隣に立てる人になりたい。
……今のままではお荷物だ。
「陛下」
だから一つ、覚悟をもって王と向き合うことを選択する。
「なんだ、悪女が」
王の返事を聞き、レクィエスの手をそっと離す。
そしてドレスの裾をもち、王に頭を垂れた。
「二つ、お願いがございます。この二つを許していただけるのならば、レクィエスが英雄でいることを望みます」
「……ウェリナ?」
強気だったレクィエスの瞳が不安に揺れる。
その眼を見つめ返すことは出来ない。
目があえば、気持ちがぐらついてしまうとわかっていた。
「申してみよ」
(あぁ……やっぱり怖い)
声が震えそうになる。
だが引けない。
この先、レクィエスの目を見れないままは嫌だった。
虚勢を張り、顔をあげると真っ直ぐに王の目を見る。
レクィエスと同じ色をしているはずなのに、温かみを感じない。
冷たさしか感じない黄金。
レクィエスが私を見るときの目は、包み込むようなやさしい色だった。
(色が好きなんじゃない。レクィエスの色だから好きなんだ)
焦がれるのは、愛を求めてやまない人の色。
唾を飲み込み、ぐっと拳を握りしめた。
「一つ、私とレクィエスの婚約関係ですが、こちらを破棄していただきたく存じます」
「ウェリナ!? 何を――!」
「二つ目。こちらもレクィエスとの婚約に関わることです」
間を置かずに次の要望を口にする。
衝撃的な発言にレクィエスが私の肩をつかむ。
それに揺らぐわけにはいかないと、私は押し返して王に視線を向け続けた。
これはきっと世界で最も残酷な我儘。
こんなにも愛されているのに、対等ではないから嫌だと拒絶する。
(きっと悪女たる所以ね。……どこまでも強欲で、愛する人さえ振り回して)
私たちの視線が交わらないのは彼が【英雄】で、私が【悪女】のため。
英雄の隣に立つために似つかわしくない女。
(欲張りなの。愛がほしかったのに、今度は隣に立ちたいだなんて)
悪女の烙印を払拭したかった。
「魔物を全て倒しましたら、レクィエスとの結婚を承認してくださいませ」
「ウェリナ、やめてくれ! オレから離れると言うのか!?」
「いいえ、レクィエス。その逆よ」
この手を握り返すには、罪深すぎる。
今のままでは誰にも祝福されないから……。
「あなたの隣に堂々と立ちたいの。……ちゃんと罪と向き合って、戦わないといけない」
自分に言い聞かせるように、目を閉じて伝える。
「国を……人を守らないとダメなの。後ろ指をさされても、笑われても、罪人のままであろうとも」
誰も悪女を許さない。
英雄を惑わす女のままではいられない。