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第1話 悪役令嬢の目覚め

「んんっ……」


「お嬢様、お目覚めですか?」


目を開いた先に知らない少女がいる。


長い黒髪を高いところで一つにくくったかわいらしい顔をしたメイドだ。


「誰?」


「また寝ぼけていらっしゃいますね。お嬢様の専属メイドの《イリア》ですよ!」


(イリア……。知らない名前)


あたりを見回すと赤い天蓋が見える。


華やかに装飾された見たこともない部屋だ。


「私、生きてたの?」


「まったく……。昨日はたくさんお酒でも飲まれたのですか?」


「なんのこと?」


「……本当に大丈夫ですか? ご入浴でもされますか?」


イリアが垂れた目をこちらに向け、心配そうに覗いてくる。


状況がいまいちよくわからないが、シャワーでも浴びればすっきりするだろう。


「そうするわ」


「なんだか今日のお嬢様はいつもと違いますね?」


(いつもって……なんのことを言ってるのかしら?)


言葉の意味がわからず、ベッドから降りるとイリアについていく。


立派なバスルームに設置された鏡を見るまで、ただボーっとしていた。


「……えっ?」


鏡をみて、目を見開く。


そこに映る見知った顔に驚きを隠せなかった。


「どうされましたか?」


「ウェリナ……様?」


「はい。お嬢様のお名前です」


「えっ!? だってウェリナ様はとっくに亡くなって……そもそも私は」


「二日酔いですか? 念のため、お医者様をお呼びしておきますね」


あきれた顔をしてイリアは入浴の準備に取り掛かる。


私は鏡に映った姿に囚われたかのように見つめていた。


映るはずの青髪の女性ではない。


「どういうこと?」


鏡に映っているのは処刑されたはずのウェリナ。


だが私はファルサ・ヒーリングのはずだ。


(夢でも見ているのかしら?)


「……違う」


思い出す。


愛した夫に愛されることなく、絶望の中死んでいったことを。


ならばこれは死後の世界で、走馬灯に近いものを見ているのかもしれない。


(あの人の愛したウェリナにでもなりたかったというの?)


もしそうだとしたらなんて惨めな夢だろう。


ファルサは愛されなかったのだから。


「悪夢ね。夢なら早く覚めて私を解放して」


だが夢から覚めることはなかった。


何日経っても私はウェリナのままだった。


ウェリナとして、困惑したまま生活をする。


この身体はやたらと熱い身体をしていると感じた。


(クラクラする。嫌な火照りだわ)


日に日に強くなる身体の違和感から目をそらす。


心のもやを晴らしたいと思い、屋敷の外へ出る。


イリアに手伝ってもらい、ウェリナの所有するドレスを身にまとった。


外に出るとからっとした太陽の光がまぶしい日中であった。


(派手なドレスしかない。持っている中でこれが一番控えめだなんて)


クローゼットの中は見事に赤いドレスしかなかった。


どれも肌の露出度が高く、過度な色気を出すものには抵抗を覚えた。


何着もあるドレスの中から、最も質素なドレスを選ぶ。


外に出ても心は晴れず、沈んだ気持ちのまま広い庭を歩く。


足取りは重かった。




「ウェリナ」



名を呼ぶ声に、身体が火照り、震え上がった。


(この声は……)


後ろから聞こえたその声に、感情をむき出しにして振り返る。


そこにはあれほど愛した夫、レクィエスがいた。


濃紺の艶っぽい髪。


王族のみが持つ金色の瞳。


切れ長の目元は色白の肌にスッと溶け込むように清廉だ。


兵力の低い国では珍しい剣だこの多い手。


すらりとしながらも、右腕だけアンバランスではあるがよく鍛えられた細身の筋肉質男がいた。


その美しさに思わず目を奪われる。


「久しぶり。……元気だった?」


甘くやさしい声がウェリナを呼ぶ。


心臓が握られるかのように痛くなり、唇を固く結んだ。


「どうした? 体調でも悪い?」


「あっ……!」


伸ばされた手を反射的に振り払ってしまう。


それを受け、レクィエスは罰の悪そうな顔をして手を引っ込めた。


「ごめん。触れようなんて、不躾なことを……」


「違っ……!」


拒絶したかったわけではない。


だがその瞳に映しているであろう別人の姿に、戸惑いを隠せなかった。


喉が焼けるように熱くなって、涙がこみ上げそうになる。


「そうではありません」


「……ウェリナ?」


優しい音色だが、少しだけ緊張ののった声。


不安に満ちた表情がそこにある。


私の向けられたことがない愛情に満ちた男性の姿。


(あ……、どうしよう)


勝手に涙が流れだす。


頬を濡らすたびに、肌がひりついて痛かった。


泣き出す私にレクィエスは息を飲み、行き場のない手を持ち上げる。


「……泣くほどにオレが嫌い?」


その問いかけに首を横に振る。


だが割り切れない気持ちが強く、声を出せない。


レクィエスが見ているのはウェリナだから。


「それでもオレの君への気持ちは変わらないよ」


ハッとして、顔を上げる。


悲しいまでの金色の瞳。


甘いのに苦しくなる声はウェリナに向けられたもの。


切ない情熱はウェリナだけを映していた。


「オレはウェリナを愛してるから」


ガラスにヒビが入る音が聞こえた。


レクィエスはウェリナに触れることなく、背を向ける。


狂おしそうに一度だけ振り返り、拳を握りしめて去っていった。


私は力なくその場に膝をつく。さめざめの流れる涙を止めることが出来なかった。


ウェリナを愛してる。


(そんなの、わかっていた。何をいまさら……)


レクィエスが愛しているのは、ウェリナ・リガートゥル。


私が一番欲しかったレクィエスの愛を手中におさめるただ一人の女性。


苦しい。


私はレクィエスに愛されたかった。


「どうして? よりによってあの……」


(ウェリナ・リガートゥルだというの?)


爪をたて、腕を握りしめる。


この身体はウェリナのもの。


その身体に入るのは愛されなかった女・ファルサだ。


この身が憎い。


レクィエスが愛したのは、はじめからウェリナであった。


しかしファルサにとっては毒殺しようとしてきた悪女でしかない。


加えてレクィエスの婚約者でありながら、性に奔放に生きた淫らな女。


こんな悪魔のような女が愛されていた。


なんて報われない。


心が真っ黒に飲み込まれていく。


身体が熱く、燃え上がるようだ。


まるでこの熱さは地獄の業火。


(私はただ、あの人に愛されたかっただけなのに)


幸せになりたかった。


そもそもあの人に恋をしなければこんな想いをしなかった?


(この身が憎い。だって、レクィエスに愛されながら……)


その心を傷つけるように、愛を無視し続けた。


焼けつく身体から、黒くねっとりとした涙が流れ出す。


口角が歪み、吊り上がる。


どろどろとした思いが私の身体を引きずりこんでいった。


「私、聖女失格ね。こんなの、キモチワルイ……」


レクィエスの想いさえ踏みにじった悪女。


幸せになるなんて許せない。


だがこの先に待つファルサの心を想うと、報われない現実に悲鳴が止まらない。


ウェリナとレクィエスの気持ちさえ通じ合えば、ファルサはこんな想いをすることもない。


(あぁ、やだなぁ。どうして私がウェリナ様なの?)


レクィエスはウェリナしか求めていない。


私はレクィエスの愛を求めていた。


だがそれ以上に、レクィエスに笑ってほしいと願っていた。


いつも憂いた表情をしたレクィエスを、この手で抱きしめたかった。


その願いは、ファルサでは叶えられない。


(私じゃ……レクィエスを幸せに出来ないんだ)


その資格を持っているのは、ウェリナだけ。


その身体を操ることが出来るのは私だけ。


レクィエスを幸せにするために私にできることは一つ。


ウェリナとしてレクィエスの愛にこたえること。


それが誰も傷つくことのない最善の道。


達成するにはこの先ウェリナに待つ死の回避。


そしてファルサがレクィエスに恋しないように、心を守ることだ。


(どうして……ウェリナが幸せを手にするの?)


矛盾した気持ちが身を引き裂いていく。


これを地獄と呼ばずして何と呼ぶのか。


(あぁ、でもいい気味)


聖女らしさのない感情が、口角を引き上げる。


この先にウェリナに待つ結末は“破滅”……のはずだった。


その末路から救ってあげる私はやさしい《聖女》だ。


ウェリナが得られなかったレクィエスとの幸せを、私がウェリナになって実現する。


聖女が聖女のままでいられるように。


清く美しいファルサの心を守るために。


汚れるのは私だけでいい。


心が粉々になる音が聞こえた気がした。


ウェリナへの憎しみを募らせながら、ファルサを守る道を選ぶ。


(これでいいじゃない。レクィエスを幸せに出来るのだから)


身体が熱い。


燃えるような心に私はすっかりウェリナの悪に飲まれていることを実感するのであった。


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