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第0話 聖女は悪女に毒される

夫が愛していたのは私を殺そうとした悪女でした。


(レクィエス、どうして?)


荒廃した教会で女は絶望した。


光に照らされ美しかったステンドグラスの窓は割れ、天井は崩落している。


規則正しく並んでいた長椅子も、白く立派な柱も破壊され、倒壊寸前だ。


目の前には三体の魔物。


禍々しく恐ろしい人型の魔物だった。


振り下ろされた魔物の刃を身に受け、女の身体から血が噴き出す。


倒れた女は最後の力を振り絞り、背後にいる一人の男を見た。


〈レクィエス・ブリューゲル〉。


女が愛したただ一人の男であり、夫であった。


男は涙を流し、ただ虚ろな目をして立ち尽くしている。


今まで一度たりとも涙を見せたことのない男が、はじめて見せた姿。


その手に武器は握られていない。


女は霞ゆく視界で男だけを見つめていた。


(魔物はあなたにしか倒せないのに。なぜ武器を手放すの?)


戦わなくては死あるのみ。


この閉鎖された世界で、魔物を倒す力を持つのは男だけ。


共に戦い続け、ようやくたどり着いた場所でなぜか男は武器を手放してしまう。


そして女の意識がおちる直前、男の口から出た言葉にひどく動揺した。


「ごめん、愛してる。……《《ウェリナ》》」


心臓が大きく跳ね上げ、女の中に滑りを帯びた泥が溢れた。


(ウェリナ? だって、その名前は……)


そして女は生を終えた。


ーーーーーーーーーーー


【第-1話】


王都から少し離れた荒野。


そこは罪を犯した者が処刑されるための断頭台がある場所だった。


王国内は突如、現れた魔物により疲弊していた。


混乱のなか、一人の女が処刑される。


<ウェリナ・リガートゥル>


その女は《《悪女》》と呼ばれ、傾国のような女だった。


性欲が強く、公爵令嬢という身分がありながら淫らな生活を送っていた。


ウェリナは悪評を重ね、ついに聖女と呼ばれた女に対し毒殺未遂を犯す。


魔物に襲われ、飢えに苦しみ、荒んでいた王国。


聖女の存在は国にとって宝であり、民の救いだった。


聖女を殺そうとした悪女は国民の敵意を集める。


あっさりとウェリナの断罪は決まり、貴族の転落劇としてイベントのように盛り上がった。


しかしその盛り上がりも一瞬のこと。


急速に疲弊し崩壊していく国は悲劇に満ち溢れ、ウェリナがいたことはすぐに忘れ去られていく。


聖女として人々に寄り添った女もまた、悪役だった彼女のことを記憶の片隅にしていた。



聖女の名は、<ファルサ・ヒーリング>。


ウェリナの婚約者だった男と結婚し、魔物退治の果てに死んだ女だった。



<レクィエス・ブリューゲル>。


この王国の王子であったが、私生児として忌み嫌われていた。


母親の出自が曖昧なことから、呪われた王子と呼ばれ、冷遇されていた。


それも魔物が現れる前の話。


魔物が出没するようになり、兵たちが討伐をしようと試みるも誰一人決定打を下すことは出来なかった。


恐怖の中、攻撃しても魔物は倒れなかった。


そこに現れたのが、魔物を消滅させる力を持つ唯一の存在・レクィエスである。


救世主となったレクィエスは、呪われた称号を外し、《《英雄》》と呼ばれるようになった。


呪われた王子であった頃、レクィエスはウェリナと婚約していた。


二人の仲は険悪だったと言われている。


レクィエスが英雄となったことで、ウェリナは婚約者として相応しくないと声があがる。


やがて聖女の毒殺未遂がきっかけとなり、婚約は破談。


処刑に至ったのであった。


聖女・ファルサこと、私が彼と出会ったのは悪女・ウェリナの処刑後すぐのことであった。


花をつけた大きな木が草原の中に立っている。


建国時からずっと立っているといわれる国のシンボルと化した尊い樹木。


私はこの木の下にいた彼に恋をした。


私がレクィエスを意識したのは、木の下で幹に手をつき、静かに涙を流していた姿を見たからであった。


泣き方のわからない苦しそうな子どもだと思った。


胸が締め付けられ、私は無意識にレクィエスに手を伸ばす。


草を踏む音が鳴り、その音に気付いたレクィエスが勢いよく振り向いた。


「お前……」


見開かれた目を見て、私は指先で涙を拭う。


その手をレクィエスは拒まなかった。


黄金の瞳に映るのはぼやけた女の姿。


私を見ているのかわからないほどに、レクィエスの瞳に光はなかった。


「……ごめんなさい。覗き見するつもりでは」


手を引っ込める。


こんな風に誰かに手を伸ばしたくなってしまうのははじめてのことであった。


涙の拭い方も知らない姿に、声のかけ方に悩んでしまう。


いつもなら言葉はスラスラ出てくるはずだったのに、この時は不思議と口の動きがぎこちない。


「泣きたい時は泣いていいと思います。あなたにだって辛いこともあるでしょう」


風が吹き、花びらがひらひらと舞う。


ただそれだけの光景だった。


何も思わなかったはずの光景は、まるでレクィエスに寄り添っているかのように見えた。


「ここがあなたにとって唯一泣ける場所ならば 私が守ります。だからどうか、ご自分に優しくしてください」


「……ありがとう」


お礼を言われ、ほんの少し意外だと心臓が跳ねる。


だがレクィエスの孤独に泣く姿は変わらない。


木にすがるように、幹をそっと撫でて目を閉じていた。


今まで感じたことのない感情が、ふっと内側から溢れ出る。


心が、身体が、レクィエスを求めていた。


抱きしめてあげたいという想いが込み上げる。


傷だらけの子どものような人を守りたいと、どこからともなくそんな気持ちに翻弄された。


同時に悲観的な感情も湧いてくる。


今の私はレクィエスの何者でもない。


その涙を拭えるのは私ではない。


理由はわからないが、そんなことを思ってしまっていた。


私はこれ以上レクィエスの涙を止める行為をしたくないと思い、黙ってその場から去る。


背を向けて、足早に去ろうとすると大粒の涙が頬を滑った。


(あぁ……私はあなたを好きになってしまったみたい)


苦しくて、喉が焼けてしまいそうだ。


レクィエスという存在が私の胸に焼き付いた。


どうしようもない恋に落ち、あっという間に愛してしまった。


この手で抱きしめることが出来るならば、この心こそが祝福。


叶うのならば、レクィエスに寄り添いたい。


ともに幸福に笑える日々が来ることを願った。


その出会いのあとすぐ、私たちの婚約は決まった。


ーーーーーーーーーーーーー


出会いから少し時が進む。


まぶしい光に照らされ、美しく輝くステンドグラスの幻想的な教会。


その場所で一組の男女の結婚式が行われていた。


規則正しく並んでいた長椅子には多くの列席者、白く立派な柱の前には厳重な衛兵や聖職者が立っている。


純白のウェディングドレスは細かな刺繍が施され、透き通るレースを幾つも重ねた繊細で美しい淡さのあるものだった。


長い青髪を結い、やさしい化粧の施された姿はまるで女神のよう。


その美しい姿に人々は感嘆の息を吐いた。


白いヴェールが後ろへと流され、頬に触れたぬくもりに目を閉じる。


そっと唇に乾いた同じものが重ねられた。


目を開くと、急速に恋に落としてきた愛しい人・レクィエスの顔がある。


「今、この時をもって男と女は一つの夫婦となりました」


神父がその言葉を発すると同時に、大きな歓声が教会を突き抜ける。


弾ける拍手音と幸せを祝福する声に空間は満ちていた。


私はこれまでの人生でもっとも幸せなこの瞬間を噛みしめる。


多くの人に祝福され、喜びに涙を流しそうになった。


愛しい人が隣にいて、誰もが歓喜に笑う世界。


美しく整えられた姿を少しでも長く見てほしいと願い、唇を強く結んで涙を耐えていた。


(なんて幸せなのかしら)


幸福の光景に浸る私の手をレクィエスの手がそっと掬い上げる。


「行こう。 民が待っている」


「……っはい!」


これほど喜びで声が弾み、自然と笑顔を浮かべることが出来ると思っていなかった。


ただ一人、愛した人とともに歩んでいける未来に浸っていた。


教会の外に出ると、また割れんばかりの祝福の歓声があがる。


私は人々に手を振りながら、ずっと持っていた白いブーケを歓声の中へと投げた。


青い空を飛ぶ白いブーケが遠ざかるのを見て、まるで夢から覚めそうな少し切ない気持ちを味わった。


「これからよろしく頼む、聖女殿」


そんな私の心情を察したのかはわからないが、隣に立つレクィエスが淡々と言ってきた。


クールなその顔に私は口元に手をあててクスクスと笑う。


「もう夫婦なのですから。……名前でお呼びください」


「……わかった」


わずかに困惑しているようだった。


その姿につい笑ってしまう。


(不器用な方……。だけどそこがかわいい人ね)


私は夫となったレクィエスの腕に手を添える。


魔物を唯一討伐できる力をもつ英雄・レクィエスと、人々の傷を癒す力をもつ聖女・ファルサがこの日、夫婦となった。


ーーーーーーーーーーーーーー


夢のような時間は、再び現実に戻る。


魔物に襲撃され、荒廃した街があった。


砂煙が舞い、ところどころ小さな火があがっている。


レクィエスの剣が斬りつけると、魔物は消滅した。


残されたのは瓦礫の山。


人の暮らしていた街とは思えなかった。


「レクィエス! ご無事ですか!?」


被災した人々の救護にまわっていた私は、戦いを終えたレクィエスのもとへ駆け寄っていく。


レクィエスの戦闘服はボロボロで、腕や足にいくつもの傷が出来ていた。


「今、治しますね」


「これくらい問題ない」


「ダメですっ! ……いたいのいたいのとんでけ」


私はおまじないの言葉を口にする。


レクィエスの傷口に触れ、癒しの力を使った。


白い光が傷口を覆い、やがて傷を消していく。


力を使い続け疲労がたまっていたが、レクィエスの無事な姿を見て安堵の息をついた。


「その言葉は、どこで……」


「おまじないのことですか?」


頷いたレクィエスを見て、胸が高鳴る。


私に少しでも興味をもってくれる瞬間がたまらなく嬉しかった。


「幼いころに母に教わりました」


「……そうか」


「どうかもっとご自分を労わってください。あなたはとても大切な方です」


「英雄としてな」


「違いますっ! ……そういう意味ではありません」


レクィエスは英雄として人々から称賛される人物だ。


だがレクィエスはあまり民と接しようとしない。


常に暗い目をして、笑うことがなかった。


英雄となる前は、王族でありながら冷遇されていた。


呪われた王子と呼ばれていたことが糸を引いているのだろう。


どれだけ周りから称賛されようと、幼いころより蓄積された肯定感の低さは治せなかった。


自分を戒めるように扱うレクィエスを見ていると心がチクチクと痛む。


手を伸ばし、私はレクィエスに擦り寄るようにして抱きついていた。


「あなたは私の夫です。あなたを失いたくありません。……《《愛してます》》から」


何度、この言葉を口にしただろう。


その言葉にレクィエスが答えを返してくれることはなかった。


「宿舎へ戻ろう。君も、疲れているだろうから」


「……はい」


(不器用な心配の仕方。……優しい人)


答えがなくてもよかった。


この言葉を口にできるだけ幸せだったから。


いつか心から笑顔を浮かべてくれることを願うばかり。


欲を言えば、“愛してる”を伝えてくれる日が来てほしいと思うだけ。


夫婦となり、男女の営みもあった。


聖女であることを忘れる時間だった。


レクィエスのたくましい身体に触れる度、私は女になる。


その触れ方はとても優しく、まるで壊れ物を扱うかのようだった。


「愛しています、レクィエス。愛してます」


「……」


言葉を返してはくれることはなかったけれど、幸せだった。


少しずつ、絆は育めていると信じていた。


だから廃墟と化した教会で、魔物を前に剣を手放した理由がわからなかった。


攻撃を受け、死へと堕ちる中、レクィエスに心を向けるだけだった。


『ごめん、愛してる。……ウェリナ』



ずっと求めていた言葉を向けられたのは、私を毒殺しようとした悪女・ウェリナだった。


私は報われない悲しみに沈むように、命を落とした。


再び目を開くことになるとも知らず。


愛を得ることもなく……。

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