第20話 トマトのマリネ
食堂の大きな扉を開き、磨き上げられた床に足を踏み入れる。
今から夕食を摂るのだが、モーラはいつもの団らんとは違う雰囲気に緊張を高まらせた。
食堂の奥の方にはアルヴェルが既に座っていて、モーラの姿を見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。
長いテーブルの出入り口に近い方にフォレガドル王国の国王夫妻が座っていて、モーラは緊張の原因であるその2人の横を恐る恐る通り過ぎ、アルヴェルの向かい側に座った。
(まずは、何もしてこなかった…)
モーラが席に着くと食事が運ばれてきて、4人の前にハバルナ随一の料理が並ぶ。
いつもの4人ではなく、娘を虐げていた親との食事に、美味しいはずの食事がうまく喉を通らない。
料理を口に運ぶモーラの手は今にも止まりそうだ。
今はすぐ斜め後ろに控えているオリーヴとラドが食卓にいる時は、こんな風に感じた事は無かったのに。
自分を惨めに感じて、モーラはぐっと唇を噛む。滲んでくる涙を人に見られたくなかった。
昔、フォレガドル王国に居た頃は、どんなにひどい仕打ちを受けても「こんなことはよくあること」と感情を殺せていたのに。今はただ、楽しくない夕食を摂っているだけで自分が不幸だと感じて涙まで出てきてしまう。
(なんてわがままになったんだろう……)
何年も耐えてきたのに。
幸せだと弱くなってしまうのだろうか。
ガチャン、と食器同士がぶつかり合う音がした。モーラが驚いて顔を上げると、継母が料理の乗った皿を床に落とした。
「…!?」
大きな音と共に皿が割れて、料理が床に飛び散った。
「私はトマトは嫌いなの。言ってなかったかしら。ねえ、モーラ。母親の好物も知らない薄情者なのかしら」
トマトが皿の破片の下でぐちゃぐちゃに潰れて、無残な姿で横たわっている。
(ど、どうしよう、どうしよう)
モーラは突然の事に何も発する事ができず、視線を滑らせる事しかできない。
「す、すみ、ません……」
無限にも感じる一瞬の後、やっと出た言葉は謝罪で、モーラは言葉と共にボロボロと涙を溢した。
「あ、う、」
謝った事が悔しくて、どうしようもできない自分が腹立たしくて、止めたいのに止まらない。施された化粧が崩れるのもかまわずゴシゴシと涙をぬぐおうと手を動かす。
本当は言い返したいのに。
今からでも「そんなひどい事は二度としないで」と言えばいいのに。
詰まって何も出てこない。
言ったら愛するハバルナの人々がどうなるのか…。
「モーラさん」
目の前に座っていた夫がいつの間にか隣にいた。
「こすったら赤くなってしまいますよ」
そっとモーラの手を止めて、柔らかいハンカチを差し出した。
モーラにハンカチを持たせると、モーラと継母の間に踏み込んで、立ち止まった。
「お気に召さないなら仕方ありません。今すぐにこのハバルナ王国から出て行けばいい。」
「なっ…なんて口の利き方なの!?失礼な人!!」
継母は血相を変えてアルヴェルに言い返す。
「失礼なのはどちらか?料理を蔑むならまだしも、私の妻を二度も愚弄してただで済むとお思いか?」
「なんですって!!?」
「一度目は城門前で出迎えた時。髪飾りに反射した光が眩しくて顔を逸らしたモーラに難癖をつけて罵った」
継母がぐ、と押し黙る。
「二度目は今。モーラと食事をした事なんて数える程しかないはずだ。あなたの好き嫌いなどモーラが知るはずもない。娘の好物も知らないあなたとどちらが薄情者か、教えてさし上げるまでもないでしょう」
ここまで言うと今まで黙っていた父、ロバートが立ち上がった。
「……立て、アンジェラ。」
「立てって…!あなた、このまま…」
「黙って立て。ここから出るんだ。」
「な、…!?」
凄い剣幕の国王2人に気おされてか、継母アンジェラは食堂からバタバタと逃げ去って行った。
「……アルヴェル国王、今後の国交は分かっているだろうな」
「ええ。そちらこそハバルナとの国交が無くなる事、重く捉えた方がよいかと思いますがね」
チッ、と舌打ちしたロバートも踵を返して食堂から去って行った。
あっけにとられたモーラはアルヴェルの背中をただただ見上げていた。




