第2話 歓迎されているようです
モーラは、2人の外見をこれ以上まじまじと見るのはさすがに失礼と感じ、その事について質問するのも控えた。これから入る王室で、その主人に悪い印象を与えたらどうなる事か。実家での暮らしはモーラを他人に怯えさせるのに十分だった。
夫婦になる、という実感など全く湧かない。モーラの父は娘をハバルナ王国に嫁がせる事に決めた張本人であるし、実の母は6歳の時に病死してしまった。
母との思い出は良いものばかりだが、思い出すと寂しくもなった。救いのない環境において、少しの希望は毒になりえるのだ。いつしか母の記憶を思い起こすのも避けていた。
「好きな食べ物はありますか?」
「……え?」
思いがけない質問にすっとんきょうな声を出してしまった。
(どういう意味だろう?…私の好物を聞いているの?)
「レガースの城に着いたら、まずは食事をしましょう。移動の間、お疲れでしょうから……親族などへの紹介は後日にして」
「あ、えっ、私へのそのような配慮は不要です…!国王陛下の決めた通りに予定を進めていただいて大丈夫です。」
長旅の疲れが顔に出ていたのだろうか。モーラは自身の顔を隠すように手で覆った。
「なぜですか?私の予定は妻であるあなたを優先して考えるのが当たり前です。」
…優しいな。私たちの代の国王がした事ではないとはいえ、獣人族を奴隷として扱い、虐げてきた過去は消えないというのに。そうまでして……。
……そうだ。ハバルナ王国は今でも、フォレガドルに対して深い恨みを持っていて、この国王も今回の政略結婚を通してフォレガドルの弱みを握ろうと考えたはずだ。
アルヴェル国王には申し訳ないが、優しくしてくれる分にはそれを利用させてもらおう。私を懐柔してフォレガドル王国の有力貴族と親しくなり、利益を得たいのだろう。ともすれば、王国の内政に影響を与える事も。
あなたたちは知らないでしょうが、私は離宮で冷遇されていた王女なのですよ。
この結婚はフォレガドル王国があなたたちを見下している証拠。
要らない娘を元奴隷の、異形の獣と卑下している敵国に厄介払いしたに過ぎない。
それでもいい。ほんの少しの間、ハバルナに益はないと知られるまで。
「……お心遣いありがとうございます。お言葉に甘えます。」
誰にも会わない実家では必要のなかった、余所行きの笑顔を顔面に張り付けた。
「よかった! 料理人に何を作らせましょうか?」
モーラの作り笑顔とは真逆の、輝くようなアルヴェル国王の笑顔に微かに心が痛んだ。屈託のない人間に嘘を吐いているようで。
何か答えなければとモーラは咄嗟に、「トマトのマリネが好物です」と答えた。離宮の少ない予算で食べていた食事のなかで一番気に入っていたメニューだった。
「……トマトのマリネですか……?」
しまった。王宮ではそんなものは食べないのだろうか?王宮で家族と食事をした事などなかったから、王族がどのような料理を食べているのか分からない。
「私も好きです! 普段の食事ではあまり出ないのですが、今日は特に多めに作らせます!」
ラドが伝令を呼んで、料理人にトマトのマリネを作るように伝えろ、と指示した。
え…?
なんだろう、この、目をそむけたくなるような素直で明るい性格は。
もしくは、そう演じているのか。どちらにせよ、眩しくて……怖い。
心の底では何か、とてつもない黒い事を考えているのだろう。フォレガドル王国で私を蔑ろにしていた実父や、継母のように。
◇◇◇
モーラは案内された部屋で着替え、オリーヴと共に食事の席に着いた。オリーヴは少し後ろに立ち控えている。
すぐにアルヴェルが来て、彼も席に着くと、使用人たちが食事を運んできた。
本当にトマトのマリネが出てきた。
「ここの城のマリネはどうですか?お口に合いますか?」
「ええ、大変美味しいです。ありがとうございます。」
本当は味など分からない程、モーラは疲れと緊張に支配されていた。ふと、モーラは気付いた。
この城、使用人まで全員、獣人がいない…?
私の知らないハバルナの事情があるのだろうか。ますます喉を通らなくなった食事を無理矢理に胃に詰め込んだ。
◇◇◇
食事を終え、慣れない豪華なベッドに横になる。
「はあー……」
と、この日やっと許された大きなため息を吐いた。
旅の疲れがあったのだろう、自身も気付かないうちに眠りに落ちていた。
「モーラ様、おはようございます。」
「……、……!! オリーヴ!?」
「扉をノックしても返事が無いので心配しましたよ。」
ぐっすり眠れたんですね、とオリーヴが安心したように微笑み、部屋のカーテンを開けた。
「モーラ様、ベッドの寝心地はどうでした?私の使用人室のベッド、フォレガドルにいた頃の何倍も豪華で…びっくりしました。」
「ああ…確かに、フッカフカだったかも…でも、昨日あの後横になったらすぐに寝ちゃって…。」
いつものオリーヴの調子にモーラも微笑みを見せる。こうしてオリーヴと朝から他愛もない会話をして、平和に穏やかに暮らしていきたい。……結婚して国王の妻になるなど、これから何が待ち受けているんだろう。
「私、ここでやっていけるかな…。」
「え、国王陛下、あんなに優しかったじゃないですか。」
優しい、か……。
「でもあれは、私に取り入って何か利益があると思ってやっているんでしょうし…」
「そうですか?私には陛下が本当にモーラ様を歓迎しているように見えましたよー?」
もう安心しきった様子のオリーヴの事が心配だ。私もオリーヴも、この馴染みのない土地で平穏に暮らして……いや、誰かに憎まれずに、恨みを買わずに、生きていけるのだろうか。