第五話 友達でいたいのに
沙樹の担当する特番は明日に迫った。
あの日以来友也と仕事で顔をあわせることもなければ、向こうからの連絡も一切ない。
DJトミーの担当するFMシーサイド・ステーションの番組は週に一回のみだ。
それ以外にも、他局の番組やライブ会場での仕事、そしてバラエティーのナレーションなどで忙しく走り回っているからだろう。
友也も名の知れた人物だ。声や名前を知っているという人は多い。
有名人ではあるが顔はあまり知られていないので、芸能レポーターに追いかけられる心配はない。
友也が恋人なら人目を気にしないで自然なつきあいができるだろう。ただそれは沙樹の望む形ではない。
今までのように、いい友達や信頼できる仕事仲間に戻りたかった。
「わがままだって解ってるんだけどね」
ロッカールームで帰り支度をしながら、沙樹は今日何度目かのため息をついた。
恋愛関係に発展させるつもりがないのなら、今までのように友達という気楽な関係は続けられない。
気軽に相談を持ちかけるだけでなく、軽い会話をすることすら躊躇ってしまう。
何をやっても、愛されているという立場を悪用しているような罪悪感につながる。
こんな気持ちを抱いたまま明日の特番に臨みたくはなかった。
沙樹は重い足取りで局を出た。
夜の空気が頬を刺す。手袋越しに息をかけて両手を温め、背中を丸めて駅まで歩く。
すると、黒い車が追い越し目の前で止まった。気に止めることなく通りすぎようとしたら、運転席のウインドウが開いた。
「沙樹、家まで送らせてくれ。話してぇことあるし」
友也だった。
視線を落としながら思い出したように沙樹の顔を見る。
神妙な顔をしているところを見ると、不倫発言を反省しているらしい。
「電車で帰るからいいよ」
沙樹は友也の顔を正面から見られず、あと少しでたどり着く駅の看板を見る。
ここで送らせたりしたら足代わりに使うようで、ますます自分が許せなくなる。それに告白してきた相手と、車という密室でふたりきりになることも抵抗があった。
「心配しなくても、途中でラブホ寄ったりしねえからさ」
「ラブホ?」
予想外の言葉に思わず友也の顔を見る。
目が合うと、友也は気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「いや本当は行きたいんだぜ。でも無理やり連れ込むのは、おれのポリシーじゃねえから……」
「そんなことするつもりだったの?」
「だから、しないって言ってるだろ。本当に話をしたいだけなんだ」
友也は車を降りてぎこちなく歩き、沙樹を誘導するように助手席の扉を開けた。
冗談で包んではいるが、普通にふるまうようにできるまでかなりの葛藤があったに違いない。
そんな様子を見ていると、先ほど脳裏をよぎった疑いを持った自分が悪人のような気がしてきた。
そう思うといつまでも拒否するのが申し訳なくなり、沙樹はしぶしぶ助手席に座る。
友也はほっと一息つき、車を発進させた。
「不倫って決めつけたことは悪かった。言い過ぎたよ。謝る」
沙樹は無言で流れる景色を見る。
「機嫌なおしてくれよ。おれ、沙樹に嫌われるのだけはイヤなんだ。頼む」
それでも返事をしないでいると、友也はだんだんと情けない声で、何度も何度もごめんなさいと繰り返す。
その姿がどこか滑稽で、沙樹はつい失笑してしまった。
「やっと笑ったな。よかった。いつもの沙樹になってくれて」
不意にいつもの距離感が戻って来た。
「で、この前の請求書は? ずっと待ってるんだけど」
「あれはいいよ」
「借りは作りたくないの。あたしは友也と対等でいたい」
「おれはずっとそのつもりでいる」
「そんなことない。あたしには彼氏がいるのに、友也におごらせたり家に送らせたりしてる。これじゃ弄んでいる悪女そのものだよ」
「悪女でもいいぜ、おれは。沙樹にならとことん貢いでやるさ」
そうやって男性をふりまわすのが平気な女性はいるが、沙樹にはそれができない。
気持ちの負担が大きくなり、やがて相手の要求を断れなくなる。
「友達なら車で送ってもらうのはありかもしれないけど、あんな高い料理をおごるのはないよ。払わせてくれきゃもう会えない」
気にしなくていいのに、と友也のつぶやきが聞こえた。理解してもらうのは難しいのかもしれない。
「しかたねぇな。あとで請求書をメールするよ」
「ありがとう。本当言うと友也が来てくれたの、ちょっぴり嬉しかったんだ。
ぎくしゃくしたままで明日の仕事に臨みたくなかったから」
沙樹が軽く微笑むと友也は急に、
「ああ。今の笑顔、最高にかわいいじゃないか。筋の通ったとこといい、その笑顔といい、惚れ直してしまうぜ」
本音か口説き文句か解らないようなことを、友也は平気で繰り返す。
そこまで直球を投げられると、沙樹は返す言葉が見つからない。
少しの間会話は途切れ、カーステレオが空間を埋める。フランス料理店でも流れていたナット・キング・コールのザ・クリスマス・ソングだ。
沙樹は彼の甘く囁くような声に魅了されている。
友也はそれを知って選曲したのだろうか。
「おれな、明日の特番が終わったらその足で実家に帰るんだよ」
音楽に耳を傾けていると、友也が口を開いた。
「クリスマスが終わったら、すぐお正月だもんね。ご両親も喜ぶよ」
「なあ、沙樹も一緒に来ないか?」
朝の挨拶をするように、友也はさらっと口にした。
沙樹はしばらく意味が理解できなかった。
「――それって、どういう意味なの?」
「田舎の両親に沙樹を紹介したいんだ。結婚したい人がいるって話したら、ぜひ連れて帰れって言われたんだよ」
「あのねえ……」
沙樹は額に手を当てる。
交際しているわけでもないのに、なんて勝手で気の早い行動だろう。元の友情関係を取り戻せたと思ったのは早とちりだった。
「そのことなら、はっきり断ったでしょ」
「沙樹を放ったままの彼氏より、おれの方がずっと幸せにする」
「放ったままじゃないよ。忙しくてあまり会えないだけ。毎日ちゃんと連絡を取ってるもの」
――ライブのあと、会わないか? ちょっと遅くなるけど。
ワタルは無理して時間を作ってくれた。
今年は特別なイブが待っている。長いつきあいの中、ふたりで過ごすのは初めてだ。
忙しい中でも、ワタルは何かにつけて気にかけてくれる。だから沙樹はすれ違いの日々が続いても我慢できた。
だが会えない時間が重なるにつれて、心にすきま風が吹いているのはたしかだ。友也に指摘され、ずっと目をそらしてきた寂しさに気づいてしまった。
だからといって、ワタルを悪く言うのは許せない。それとこれとは話が別だ。
沙樹はマンションまでの距離を友也とふたりきりの空間で過ごすことに耐えられなくなった。
「降ろして。あたしやっぱり電車で帰る」
「もうすぐそばじゃないか。駅に行くより家に帰った方が近いだろ」
何度か頼んだが聞き入れてもらえない。
不安に支配されながら助手席に座り、隙を見て逃げ出すタイミングを計る。
だが幸いにしてそれは取り越し苦労に終わった。
沙樹のマンション前で車は止まり、ドアのロックが解除された。
「ありがとう。明日の仕事にはプライベートを持ち込まないから安心して」
「沙樹は公私のけじめをつけられる人だからな。そこも魅力のひとつなんだよ」
ドアを開けようとしたときだ。突然友也は沙樹の手首をつかんだ。
「痛いっ。何す……」
逃げるすきも与えられず、沙樹は友也に引き寄せられる。そのまま腕に絡められ、力強く抱きしめられた。
「友也……やめてよ」
「すまない。少しの間だけ、こうさせてくれ」
友也はさらに腕に力を込めた。耳元で吐息が聞こえる。
「い、いやだ」
ふりほどけない。息が苦しい。
「お願い……だから、放して。でないと、大声を出す……」
なんとかして抱擁から逃げたかった。だが友也の力は強く身動きもできない。
信頼をこんな形で壊し、無理やり自分のものにしようというのか。
沙樹は力をふり絞って、友也の腕をほどこうとした。自分の判断ミスを後悔しながら、自由の利く左手でドアを開けるべくレバーを探る。
一刻も早くこの状況から逃げ出そうと足掻き続けた。
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