第九話 アンコールでの告白
ラストナンバーを終えて、ワタルたちは一度ステージを降りた。客席からはアンコールの大合唱が聞こえる。それをBGMに、哲哉がリードして最終的な打ち合わせを始めた。
タイムリミットを気にして時間を計算する。
「今日はいつもより力が入り過ぎたな。予定より時間が押している。直貴にグランドピアノの音源でキーボードを弾いてもらい、タイミングを見てワタルの件から早速入るか。
一曲歌ってムードを作ってから始めたかったけど、時間がないからな」
「了解。みんながステージに上がり始めたらスタートするよ。哲哉とワタルが話し終えるまで、邪魔にならないような音量でメドレーで弾くからさ」
「まずはボーカルのおれが話し始めた方が、自然な流れになるだろ。適当なところでワタルにふる。それでいいか」
自信たっぷりの笑みを浮かべ、ワタルは力強くうなずく。
今から始まるアンコールは、ぶっつけ本番に近いし、内容が内容だけに失敗は許されない。だがこんな緊張感もライブの楽しみだ。
ワタルは軽く目を閉じ、会場の声に耳を傾けた。自分たちが姿を見せるのを待っている。一番の理解者たちを信じよう。
深呼吸をしてワタルは一番にステージにのぼった。
客席に向かって笑顔で手をふると、大きな声援が温かく迎えてくれる。続いて武彦と弘樹が顔を出し、ワタルの隣に並んだ。直貴は目立たないようにキーボードの前に立ち、最高の演奏ができるように指をほぐしている。
最後に哲哉がマイクスタンドの前に立つと、歓声と大拍手で会場が揺れた。
哲哉は笑顔で客席を見渡し、みんなの歓迎セレモニーがおさまるのを待っている。声が徐々に落ち着いてきたころを見計らって、直貴がキーボードを弾き始めた。静まりかけた歓声が再び会場を満たす。
その引き際を上手く捕まえて、哲哉がMCを始める。
「十年ほど前のことです。あるアマチュアバンドがありました。メンバーは男ばかりです。彼らは学生街にある小さなライブ喫茶で、定期的に演奏していました。難しいことは考えず、演奏してさえいたら満足でした。
そんな彼らなので、細やかな部分に気がまわらずよく失敗もしました。そんなとき、彼らの前にひとりの女子が現れました」
哲哉が一息ついた。ファンたちは何が始まるのか予想がつかないのだろう。今は静かに哲哉の話に耳を傾けている。
「彼女はあるメンバーのクラスメートでした。それがきっかけでバンドの活動をサポートするようになりました。彼女が手助けしてくれるようになってから、活動はスムーズになり、みんな感謝していました。
でも不思議なことに、メンバーの誰とも恋愛関係になることはありませんでした。彼らと彼女のそんな関係は、バンドがプロデビューするまで続きました」
あれは初めてのソロライブのときだった。通り雨に降られた沙樹がジャスティの前で雨宿りをしていた。それを見て声をかけたのが始まりだった。
「やがてバンドはプロデビューしました。雑務やサポート的な仕事は事務所がするようになり、彼女はバンド仲間から離れました。そのときになって、メンバーのひとりが彼女に恋していることに気づきました」
哲哉の話しているバンドがオーバー・ザ・レインボウことだと、観客たちも気づき始めた。恋しているという言葉に、一部の女性ファンが複雑な声を上げる。
「幸い彼女も、そのメンバーのことが好きになっていました。当然です。最初に声をかけてきた人物であり、みんなと合流するきっかけを作ったのがその彼だったから」
そこまで語ると、哲哉はマイクの前から一歩下がった。直貴の奏でるクリスマスのスタンダードナンバーが会場をしっとりと包む。
ファンの反応はふたつに別れていた。すてきなエピソードとして微笑みとともに耳を傾けている者と、嫉妬の混じった複雑な受け止め方をしている者だ。
ひいきのメンバーが哲哉の言う「彼」だったらどうしようと、ハラハラしながら聞いている。一部の女性ファンがそうだ。
直貴の演奏するクリスマスソングが終わり、別の曲に変わった。ボリュームが少し落とされたのを合図に、再び哲哉がマイクの前に立った。
「ふたりはつきあうようになったけど、彼女はそのことを決して他言しませんでした。世間に注目され始めたバンド活動に悪い影響を与えてはいけないと考え、自分の存在が知られないように最大の注意を払ってきました。
でもようやくそんな日々が終わろうとした矢先のこと。彼女を好きだという人物が現れ、直球でプロポーズしました。それだけでなくメンバーに挑戦状を叩きつけてきました。『本当に彼女を愛しているなら、仕事も何もかも放り出して迎えに来い。もし来なかったら、そのときは彼女をもらう』と挑発してきたんです。
そのメンバーは、今、ライブをやり遂げなくてはいけないというプロ精神と、彼女を手放したくない焦燥感に挟まれて、追い詰められています」
哲哉がふり返る。
「そうだよな、ワタル」
客席からざわめきが起きた。悲鳴にも似た声があちこちから上がる。予想通りの反応だ。それでもすべてを伝えなくてはならない。
ワタルは哲哉と視線で会話し、軽く頷いて中央のマイクスタンドの前に移動した。
「彼女のことはこのアンコールで発表する予定でした。事務所と話し合いを重ね、やっとオープンできることになったんです。
でもまさにこの瞬間、彼女を別の男性に奪われそうになりました」
「もしかして相手は、DJトミーですか」
会場の女性ファンから質問が飛んだ。ラジオでトミーが爆弾発言したのは開場前のことだったので、聴いていたファンがいてもおかしくない。
「おれも聴いていました。トミーさん無茶しすぎです。あんな状況に追い込まれたら、相手の人、連れて行かれるに決まっています。
だって番組のリスナーが押し掛けてトミーさんサイドにつくんだから……」
観客席からトミーに対する不満の声が聞こえ、会場がざわつきだした。
リスナー全員がトミー側ではない。ラジオで流されなかっただけで、やりすぎだと感じる人も大勢いるのが救いだ。
「ワタル、行ってあげてーっ。彼女きっと待ってるよー」
「早く行かないと、手遅れになりますよう」
「トミーに負けるなあっ。おれたちはワタルの応援団だっ」
客席からワタルを支持する声が次々と飛んでくる。やがてそれはワタルのコールへと変わった。
ここまで受け入れてもらえるとは、ワタル自身予想していなかった。ライブを途中で放棄することを責められても、まさか沙樹のもとに行けという声の方が大きくなるとは。
ファンたちの温かい声援が、沙樹への想いを後押ししてくれる。
哲哉が親指を立ててワタルにウインクした。コールが歓声に変わる。哲哉が拍手で激励すると、観客もそれに続き一斉に拍手を始めた。
「あ、ありがとう、みなさん」
ワタルにはそれ以上の言葉が出せなかった。頭を深々と下げて、会場からわき上がる声援に応える。
頼もしい仲間たちと、気持ちを理解して温かく包んでくれるファンたち。支えてくれる多くの人たちを思うと男泣きしそうで、しばらく顔が上げられない。
やっとのことで気持ちを落ちつけて顔を上げると、いつの間にかすぐそばに哲哉が立っていた。
「あとは任せて、早く行きな。タイムリミットまでそんなにないぜ」
文字どおり哲哉に背中を押される。拍手と歓声に見送られながら、ワタルはステージを降りた。
袖に立っていたのは、サポートメンバーを勤めるハヤトだ。わずかに青ざめた表情でギターを抱え、ステージを気にしている。
「武者震いか?」
と問いかけると、首を横にふった。
「大丈夫。そんなことより」
ハヤトは言葉を切って、ワタルをじっと見据える。
「沙樹さんをトミーさんにさらわれたら、ぼくは絶対に許さないからね!」
何かに挑むかのごとく宣言すると、ハヤトは勢いよくステージに飛び出した。それを苦笑いしながら見送り、ワタルは控室まで走る。
そこでは事務所の社長、世良が着席して待っていた。テーブルには一台のタブレットが置かれ、ステージの様子が映し出されている。
「北島さん。西田さんの件を発表するとは聞いていましたが、まさかこんな内容だとは知りませんでしたよ。上手くいったから良かったものの、見ているこっちはヒヤヒヤものでした」
世良はマグカップを手にして苦笑する。
「すみません、実は急に予定が変わって説明する暇が……」
いえ、とワタルを遮る。
「言い訳を聞きたいところですが、そんな時間はありませんね。ご心配なく。ラジオを聴いていたのは僕も同じですから、大体の事情はわかっています。早くFM局に行かないと、タイムリミットが来ますよ」
世良は自分の腕時計を指差した。
残された時間は十五分を切った。メイクを落としたり衣装を着替えたりする間はない。ワタルは駐車場まで走り、車を発進させた。
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