第八話 メンバーの想い
開場が始まって間もないのに、客席はあっという間に埋め尽くされた。
あちこちでライブグッズを手にした人や、仲間内で打ち合わせをしている人などで、すでに会場はオーバー・ザ・レインボウの雰囲気で満たされている。
男五人のバンドだが、ハードロック中心のため客層は男女がほぼ同率だ。ファンのほとんどが女性ならば、沙樹の存在を発表することは一時的ではあっても大きなダメージになるだろう。
だが五分五分なのでそこまで影響はないと見ている。
音楽性を好きになってもらえているという自信があるので、アイドルグループと異なりその点についてはあまり気にしていない。
だがこれからやろうとすることは、一か八かの大勝負だ。途中でステージを抜け出してまでやることなのか。
メンバーは冷静な判断ができてない。ワタルには充分すぎるほど解っているのに、止める方法が見つけられない。
(みんなを冷静にさせるために、おれはどうすればいい?)
ワタルは仲間と距離を取って解決方法を探るべく、廊下に出て壁にもたれかかり腕を組む。それから五分ほど経ったころだ。
「考え過ぎるなよ。ここまで来たら、なるようにしかならないんだ。余計なこと考えていたら、ギターの演奏でミスをしても知らないぞ」
顔を上げると、弘樹が紙コップを手にして立っている。
ほらよ、と差し出されたコーヒーを受け取ると、控室前の廊下においてあるベンチにふたりで腰掛けた。
「ワタルの心配も解るよ。常識から考えたら、おまえの方が正しいってことは、みんな理解してるんだ」
「だったらなぜあんな無謀な計画を立てるんだ? おれには理解できない」
「仲間はみんな、それだけ沙樹ちゃんのことが好きなんだよ。
あの子にはずっと世話になりっぱなしだろ。アマチュア時代は頼んだわけでもないのにマネージャーしてくれてさ、男ばかりのバンドには気がつかないような細やかなところを、たくさん助けてもらったじゃないか。プロになってからだって、沙樹ちゃんの推薦でゲストに呼ばれたこともある。
ラジオじゃ冠番組も持てたもんな。だいたいラジオ局に就職したのだって、おれたちの歌をリスナーに届ける手伝いがしたいからなんだろ。本当に頭が下がるよ」
一緒に演奏しないだけで、沙樹は六人目のメンバーだ。仲間は誰もがそう思っている。
「ワタルが心配するまでもなく、沙樹ちゃんは心変わりなんてしてないよ。ただひとつ問題があるとしたら、トミーさんに煽られた応援団に押されて、気持ちに関係なく流されてしまうことかな。とくに『トミーさんについて行け』なんて信じられないようなことをおまえに言われたし」
「そのことなら反省してる。これ以上責めないでくれ」
後悔してもしきれない一言が、このような事態を招いてしまった。
一晩経って詫びのメッセージを入れるべきだったのに、なぜかそれができない。自分の存在が沙樹を縛りつけているのではないか、という危惧から逃れられなかった。
ありもしない幻想に惑わされて、素直に伝えられなかった自分を後悔しても後の祭りだ。
「いや、ワタルでも焼きもち妬くんだな。今回は面白いものを見せてもらった」
「おい、弘樹。楽しんでいる場合か?」
けたけたと笑う弘樹を見て、ワタルは自然と仏頂面になる。
「みんなは沙樹ちゃんに幸せになって欲しいんだよ。それをワタル、おまえに託しているんだ。
それに、おまえには話したことがないけど、あの子を泣かせてまでバンドを続けたいなんて、誰も思ってないんだよ」
「……え?」
メンバーがそこまで沙樹のことを大切に思っていたとは。ワタルは想像すらしたことがなかった。
もし沙樹がいなかったら、ここまで成功できただろうか。彼女の手助けがあって、おれたちは雲に届く階段を登ることに成功した。
沙樹がいて初めて存在できるバンド――それがオーバー・ザ・レインボウだ。
みんなの想いを聞いた今、迷ってはいられない。ギリギリの時間までライブをこなし、そのあと沙樹のもとに駆けつける。トミーにさらわれるのはごめんだ。
沙樹の悲しい涙は見たくない。
「まあ、おまえらふたりは最初からいい雰囲気だったからな。うちのライブに初めて来たときから、ワタルにえらく懐いていたし。
実際につきあうようになるまで、どうしてあんなに時間がかかったのか不思議でならない。何を遠まわりしてたんだか」
はははっと豪快に笑って、弘樹は手にしたコーヒーを飲み干した。そして席を立ち、
「そういうことだから、何も心配するなって。これまで通りライブを楽しもうじゃないか」
ウインクすると控室に入った。
☆ ☆ ☆
最終日のライブが始まる。
バンドメンバーは真っ暗なステージの中、それぞれのパートにスタンバイした。
気持ちが高まったころを上手くキャッチして、弘樹がスティックを叩いてリズムを刻んだ。武彦のベースが二小節入ったあとで、全パートの演奏が始まる。同じタイミングで背後から照明が当てられ、メンバーのシルエットがステージに登場した。
会場をゆるがすような大歓声が響く。油断するとこちらの音がかき消されそうだ。
今日のこの瞬間を心待ちにしてくれたファンが、オープニングの数秒で受け入れてくれた。オーバー・ザ・レインボウとファンがひとつになって、ライブがスタートする。
勢いをリードするのは、哲哉のシャウトするようなボーカルだ。激しいビートは誰にも止められない。
ギターを手にしてステージに立った瞬間に、ワタルの迷いは消え去った。沙樹のことを伝えたときのファンの反応も、今は気にならない。
この瞬間、沙樹がトミーと一緒にいると解っていても、胸は痛まない。
自分たちが全力でライブをやっているのと同様、あのふたりもリスナーに音楽を届けるべくがんばっている。場所と手段が違うだけで、曲に乗せて夢を伝えようとしている。
それがオーバー・ザ・レインボウと沙樹の共通点だ。距離は関係ない。離れていても同じ目標に向かって進んでいる。それが解っていたから、信じあえた。
それなのに、小さな嫉妬が時間とともに大きくなり、すれ違いを生んだ。仲間の言うように、おれは莫迦だった。
なぜだろう。ステージに立った瞬間に不安や迷いは消えてしまう。忘れていた絆を実感する。今はなすべきことをやるだけだ。
オープニングから五曲を一気に演奏した。ライブは今までの集大成にふさわしく、最高の演奏と最高のノリで進んでいる。
みんながアップテンポに疲れたころ、スローなバラードに変える。アコースティックギター一本で、哲哉の魅力を最大限に引き出す。勢いのある曲だけでなく、繊細なバラードも難なく歌いこなす。哲哉が経験した苦悩の日々は、幅広い表現力に姿を変えた。
ワタルは天性のボーカリストに巡り会えた幸運に感謝している。
二時間あまりのステージで、最高のメンバーとともにライブができる幸運をかみしめていた。
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