第一話 素直な気持ち
【第二部:キミに会えないクリスマスイブ】
クリスマスを直前に迎えたある日のこと。ワタルは恋人の沙樹に、仕事仲間であるDJトミーに高級レストランに連れていかれたと聞かされた。仕事の打ち合わせだと誘われたらしいが、どこまで信じていいのか解らない。
というのもワタルは、トミーが沙樹を好きになっていることに気づいているからだ。
仕事の関係で会いたくても会えないワタルと、近くにいられるトミー。沙樹は友情以上の感情を抱いていないというが、ワタルは気が気でない。
そんなときワタルは、トミーにある挑戦状をつきつけられる……。
ベッドに体を投げ出して目を閉じると、コンサートホールを満たしていた歓声が耳によみがえった。
ライブの余韻が体の隅々まで行き渡り、演奏が終わってから二時間以上たつのに、まだ軽い高揚感が残っている。
同じセットリストでも会場によって雰囲気は微妙に異なる。
今夜の観客は反応がすばらしく、それにあわせるように自分たちのテンションもいつも以上に高いものとなった。
ライブとは文字どおり生き物、観客たちとともに作り上げる夢のひとときだ。
ロックバンド、オーバー・ザ・レインボウのリーダーである北島ワタルは、この地で仲間とともに二日もコンサートができた幸運を噛み締めていた。
「ほらよ、照れ屋なギタリストさんの代わりに、親切なボーカルがメッセージを入れておいたぜ。ありがたく思うんだな」
耳になじんだ声とともに枕元が小さく揺れて、ワタルは目を開けた。
傍らにスマートフォンがぞんざいに置かれている。
「メッセージを入れたって?」
ベッドから上半身だけ起き上がりアプリをチェックした。送信時刻を見ると、送ったばかりのものが一通ある。
『今夜のライブも大成功だったよ。沙樹にも見せたかった。イヴのツアーファイナルに来てもらえないのが残念だ。距離が恨めしい。この腕で抱きしめられないのなら、せめて夢で会いたい』
送信先を確認したワタルは、目を見開いて立ち上がる。一瞬にしてライブの余韻から現実に引き戻された。
「哲哉。何考えてこんなのを送ったんだ。てかその前にどうやってスマホのロックを外したんだ?」
「ちっちっ。この哲哉様を甘く見るなよ。ってほどでもないか。まさかと思って西田さんの誕生日を入力したら、ビンゴだもんな。
もうちょっと推理されにくい番号に変えとけ」
哲哉はそう警告しながら、ライブでMCをするときのように右手の人差し指をふる。
ワタルは天を仰いだ勢いで、ベッドの上で仰向けになった。
「まさか哲哉が沙樹の誕生日を覚えていたとはなあ」
西田沙樹はワタルの恋人だ。
沙樹と高校時代にクラスメートだった得能哲哉は、いつまでも名字で呼ぶ癖が抜けない。
「毎年誕生日のたびにプレゼント選びを手伝わせてんのは誰だよ。もう今年で何年になるんだ? さすがのおれでも覚えちまったぜ」
哲哉はベッドサイドの椅子に座るとテーブルにおかれていた缶ビールを手に取り、残りを一気に飲み干した。ホテルに戻る前にも簡単な打ち上げで軽く飲んでいるから、見かけより酔っているのかもしれない。
「だからといって、よりによってあのメッセージを送るとは……。いつもは『おはよう』や『おやすみ』くらいしか送らないから、何かあったのかって沙樹が心配するじゃないか」
ワタルは再び起き上がり、ベッドを椅子代わりにして座る。
哲哉が送ったメッセージは、思い切って書いてみたが恥ずかしすぎて出せなかったものだ。
何気なく下書きフォルダーに残しておいた。それを見つけられるだけでなく送信までされるとは夢にも思わなかった。
「いいじゃないかワタル。これが本当の気持ちだろ。女子ってのは解っていても言葉にしてもらいたいんだよ。それなのに照れ隠しでクールを気取って、あたりさわりのないメッセージばかり送ってさ。
たまには素直な気持ちを伝えろよ。でないと西田さんが不安になって、取り返しのつかねえことになっちまうぜ」
「哲哉の言いたいことは解った。でも『あのメッセージはどういう意味なの?』って訊かれたら、どう答えればいいんだよ」
「『いつも考えていることだよ』って言えばいい。それだけで充分さ。だろ? あんな計画を立てたんだ。いいかげん素直になれ」
「いや、でも……」
突然手の中のスマートフォンから、メッセージ受信を知らせる曲が流れた。沙樹からのもので『今話せる?』と書かれている。
「西田さん、健気じゃねえか。電話をかける前に、おまえが出られる状態なのか確認してんだから。自分の存在が無関係の人たちに知られないように、注意深く行動してるんだろ。まわりには、彼氏はいないことにしているっていうし。
これだけ神経を使わせてるんだ。ぐずぐずしてないで早く誘っちまえよ。場所なんてあとから決めりゃいいんだぜ」
軽く酔った勢いで説教を始める哲哉に、ワタルはこくりと頷いた。
「ったく自分のことになると、意気地がないというか勢いをなくすというか。これまで数え切れないだけデートに誘ってきたくせに、今回だけはどうしてできないんだ?」
哲哉は肩をすくめて、軽くため息をついた。
「じゃあおれは部屋に戻るわ。カップルの会話を立ち聞きするような悪趣味はないんでね。お休みっ」
頑張れという代わりにVサインを残し、哲哉は軽い足取りで部屋を出た。それを見送ったワタルは
「たしかに哲哉の言う通りだな」
と、独り言ちた。
緊張をほぐすために軽く腕をまわし、深呼吸をする。それでも胸の高まりが治らない状態で、ワタルは迷いをふり切るように電話をかけた。
はい、と沙樹が出る。声を聞くのは何日ぶりだろう。たった数日聞かなかっただけなのに、ずいぶん話してなかったような気がする。
「遅い時間なのに、まだ起きてたんだね」
『いろいろあった一日だったの。そのせいで興奮して眠れそうもないのよ』
高校時代からの親友が出来婚することになったという。独身が少数になったと苦笑しながら沙樹は報告した。
『そうそう、友也とフランス料理店に行ったの。ル・ボン・マリアージュって聞いたことあるでしょ。
仕事の相談をしたいって言うから、てっきりファミレスか居酒屋だとばかり思ったのよ。だから店に着いたとき驚いちゃった』
また同じ男性の名前が出てきた。
友也こと仲谷友也、通称DJトミー。沙樹が担当するラジオ番組のパーソナリティーで、来週のクリスマス・イヴでは沙樹と一緒に特番を担当する。
「また豪華なところだな。仕事の打ち合わせには不釣り合いな店じゃないか。何かあったのか?」
『ううん、特別には何も……』
トミーは何か企んでいる。直感でそう気づいたワタルはそれとなく探りを入れてみた。
ところが予想に反して沙樹は言葉を濁したあとで、
『ワタルさん、今作詞してた?』
と不自然に話題を変えた。
沙樹の声から、無理に追求するのは得策ではないと感じる。ここは胸のざわめきに気づかれないように、ワタルは話をあわせることにした。
「そうだよ。よく解ったね」
『だってさっきのメール。詞を書いてるときでもなかったら、あんな文章出てこないでしょ』
「ごめん。驚かせちゃったかな」
いい具合に勘違いしてくれたので、そのままで通すことにした。
『驚いた。いつものメールと全然違うんだもん』
「たまには本音を伝えたくなるんだ」
トミーの件と哲哉の助言が勢いとなり、素直な気持ちが口から出た。
哲哉の言う通り、あの文言はワタルの気持ちを飾ることなく綴っている。幼なじみのバンド仲間にはすべて見透かされている。
――ぐずぐずしてないで早く誘っちまえよ。
哲哉は簡単に言うが、イヴ当日の沙樹には朝から十時間の生番組がある。準備と反省会をあわせるとほぼ一日半に相当する労働時間だ。
ハードな一日になることを考えると、気軽に誘ってもよいものかと躊躇ってしまう。だがそうは言っていられない状況が生まれつつあるようだ。
「ところで来週のライブあと、会わないか? ちょっと遅くなるけど」
『何時ごろ?』
「最終日だからアンコールが多めになるだろうし。早くて十一時かな」
『その時間なら特番も終わってるからOKだよ』
断られるかもしれないと思ったが、予想に反していい返事を貰えた。場所と時間は追って連絡すると伝えてワタルは電話を切り、備えつけの椅子に体をあずける。
「トミーさんと高級レストランでデートだって? 沙樹はどういうつもりなんだ」
胸の奥がざわざわと音を立て、どうにも落ちつかない。
仮にワタルに知られたくないようなやましいことがあるのなら、食事に行ったことを隠すはずだ。話してくれたのは、「何も心配するな」という暗黙のメッセージが込められている。
沙樹の性格からして、充分あり得る。
自分にそう言い聞かせて、気持ちを落ちつけようと努力する。だが頭では解っていても心がついて行かない。
ワタルは備えつけのミニバーから缶ビールを取り出した。
本当はタバコの一本でも吸いたかったが、この部屋は禁煙ルームだ。最近は喫煙できる場所が少なくなり、愛煙家は肩身が狭くなる一方だ。
プルタブを引っ張って缶を開け、のどに流し込む。今夜のビールはやけに苦い。
半分ほど飲んだところで、缶をテーブルに置く。そのままバスルームに入り、ワタルはシャワーの栓をひねった。
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