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キミのいないクリスマス・イヴ  作者: 須賀マサキ
第一部 キミの来ないクリスマス・イヴ

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10/22

第十話 ライブじゃないの?

 車で地下駐車場から地上に出ると、友也に気づいたリスナーが一斉に駆け寄ってきた。祝福された嬉しさに加えて人混みの多さで、友也はスロープを上り切ったところで車をすぐ左側に停める。

 対する助手席の沙樹は、自分のことを知られるのに耐えられず、夜だというのにサングラスを取り出して急いで顔を隠した。


「トミーさん、そちらが例の彼女ですか」

「良かったですね、相手の人があらわれなくて」

「ラジオの向こうでずっと応援してました」

「予想通りの結果です。トミーさんに勝てる人なんて、いるはずないですから」


 友也が運転席の窓を開けると、リスナーが口々に祝いの言葉をかけてきた。真冬だというのに車中に人々の熱気が流れ込んでくる。

「ありがとう。このあと実家で何を話したとか、婚約や結婚に関しては番組で報告するから待っててくれよ。

 今日はもう遅いから帰宅してください。寒いから風邪をひかないように。みんな、気をつけてなっ」


 警備員の誘導でリスナー達は徐々に車から離れる。車道には人がいなくなった。

 沙樹は心(もと)なげに玄関先に顔を向ける。和泉たち仕事仲間が見送りのために出ていた。遠目のために表情までは解らない。

 果たしてみんなは喜んでいるのか、それとも単に特番の延長として見ているだけなのか。


 自分の意志ではどうにもならない方向に話が進む。

 ワタルは来ない。それどころか今日の約束の行方すら解らない。

 今一度スマートフォンを確認したが、ワタルからの連絡は届いていなかった。



 ライブの最中なので電話できなのは明白だ。待ち合わせの時刻と場所くらいは、始まる前に送っておけばいい。

 それが届いていないのは、やはり『トミーさんについて行きたければ行くといい』という言葉がワタルの本音なのだろう。


 スマートフォンに表示された約束の項目にワタルの後ろ姿が重なり、徐々にぼやけていく。

 サングラスのおかげで潤んだ瞳に気づかれないで済むのが幸いだ。沙樹はずっと下を向いたまま、自分の気持ちを整理するので精一杯だった。


 絶望的な気持ちが、時間の経過とともに自暴自棄に変わりそうで怖い。そんな沙樹の不安に気づこうともせず、友也は満面の笑みを浮かべて車を発進させようとした。

 ところがエンジンをかけたところで急に舌打ちをする。


「なんだよ。今から走り出すところなのに、邪魔な場所に停めやがって」

友也がギアをRに入れようとしたそのとき、

「あれ? なんでこんなところに。仕事なら駐車場に停めればいいのに。てか、このあとゲストの予定でもあるのかな」

と不思議そうに独り言ちる。


「ん?」

 その言葉につられるように、沙樹は顔を上げる。

 濃いサングラスをかけているため、近づいていてくる人物の顔がはっきり見えない。でもその見慣れたシルエットが誰のものかは、一目で理解できる。


(まさか。でもあたし、絶対に見間違えないもの……)

 心臓が大きくドクン、と鼓動を刻む。

 続いてそれは激しくなり、沙樹は自分の顔が熱っているのを自覚した。

「ワ……北島さん?」


 無意識のうちにサングラスを外し、歩み寄る人物を確認する。

 それはほかでもない、沙樹の彼氏、ワタルだ。ステージ衣装のまま駆けつけたようで、メイクも落としていない。


「ちょっ……ライブはどうしたのよ」

「ライブ? そういや、アンコールが終わるかどうかって時刻じゃないか。ファンが帰っている様子もないし。沙樹、どう思う?」

「さ、さあ、あたしには、な、なんのことやら」


 言葉を誤魔化したのではなく、沙樹自身も思考が停止している。

 運転席の窓ガラスがワタルにノックされ、友也は窓を開けた。


「こんばんは北島さん。こんな遅くにお疲れ様です。これから番組の収録ですか?」

「いや、今日の番組はありませんよ」

「じゃあ、なんでまた。衣装もコンサートのままじゃないですか」

「なんでって、自分で呼んでおいて、その返事はあんまりですよ。約束の時間には遅れたけど、なんとかアンコールを抜け出して来たんですよ。

 大目に見てもらえませんか」

 ワタルは苦笑しながら頭をかく。


「おれが北島さんを? そんな覚えはないんだけどな」

 友也は腕組みして首を傾げた。


 沙樹は、ふたりが会話を交わしているすきに、気づかれないように助手席のドアを開けて車を降りた。もう一度サングラスをかけ、そのままリスナー集団の中に紛れ込もうとする。

 が、そのタイミングで駆けつけた和泉に捕まった。


「西田、どうした。北島くん、なんだって?」

「さあ、さっぱり解りません。何がどうなっているんでしょうね」

 努めて冷静な顔をして無関係なふりをするが、いつまで嘘が通じるか自信がない。


 その場にいた多くのリスナーは、突然出現したロックスターに興奮し、スマートフォンで一斉に写真を撮っている。

 それは沙樹にとって見なれた光景だった。街中(まちなか)で気づかれたとき、ワタルに必ずカメラのレンズが向けられる。

 沙樹は瞬間的にその他大勢になり、群衆に紛れ込む。だが今日は和泉に見つかり、姿を隠すのに失敗した。そのままスタッフや裕美のいるロビーの前に移動する。


「北島くんが仕事もないのに来る理由って、西田はなんだと思う?」

 和泉は沙樹の横で腕組みをしてほんの数秒考えたかと思ったら、いきなり目を丸くし、周りに聞こえないように配慮して耳打ちする。

「も、もしかして西田、おま、おまえさんの、か、彼氏って……」


 自らDJを務める番組を持つだけあって、いつもは流暢(りゅうちょう)に話す和泉がどもるところを沙樹は初めて見た。友也と比べて察しがいい。

「まさか、恐れ多い勘違いしないでください」

 沙樹は笑顔を引きつらせながら答える。しかしその努力もすぐに無駄となった。



「ちょっと待て。沙樹の彼氏って、ワタルさんなのか?」



 友也が大声で叫び、リスナーたちのざわめきが静まった。

 冬の夜の冷気が張りつめる。その場に集まった全員が息を飲んでワタルを見つめた。

 少し離れた大通りを走る車の音が響くのみで、ロビー前の広場は誰もが身動きすらできない緊張感に包まれた。


「おい、沙樹。いつの間に車から出たんだ?」

 友也は転がるように車を降りた。

「沙樹、どこに行ったんだよ? おーい、沙樹っ」

 友也は群衆に飛び込み、沙樹の姿を探し始めた。リスナーに教えてもらおうにも、沙樹の顔を知る者はいない。


(友也、ごめん。ここでみんなの前に出るわけにはいかないのよ)

 沙樹は和泉たちの影に隠れたままやり過ごす。

 みんなが友也とワタルに気を取られているすきに、どさくさに紛れて駅まで逃げることを決めた。歩いて五分ほどならなんとかなる。


 ワタルと直接話をしたかったが、こんなに大勢の前でわがままは通せない。これが沙樹の選んだ境遇であり、今までもそうしてきた。

 寂しいとか悲しいとか考えている場合ではない。感情を押し殺し、唇を固く閉じて一歩踏み出したそのときだ。


「沙樹、もう隠れなくていいよ」


 聞き慣れた声に、歩みが止まる。

「え、今なんて言ったの……?」


 沙樹はワタルに視線を移す。ワタルは沙樹のいる場所をじっと見つめている。群衆の中に姿を隠しているはずなのに、どうして居場所が解るのだろう。沙樹はそれがいつも不思議でならなかった。

 考えてみればライブのときも、ワタルは必ず沙樹を見つけて微笑んでくれる。



 リスナーたちが移動して、沙樹とワタルの目前に道が開けた。

「ほら西田、行ってこいよ」

 和泉はふりかえり、沙樹のかけていたサングラスを外した。そして沙樹を目の前に立たせ、自分は一歩後ろに下がった。

 沙樹とワタルの間を(さえぎ)るものがなくなる。


 静寂の中で自分に集中する視線を感じ、沙樹の頬が熱くなった。呼吸が浅くなり、過呼吸を起こすのではないかと心配になる。

 沙樹は小刻みに震えながら、口を開いた。


「どうして来るの。ずっと誰にも見つからないようにしてきたのに、友也の挑発なんかに乗って。ここはTV局もあるのよ。いつ撮影されるか解らないのに」

 ワタルは沙樹の想いを解っていない。彼の存在は親友にさえ言えなかった。打ち明けられたのは両親とバンドの関係者だけだ。


 そうしてくれとワタルやメンバーに頼まれたことは一度もない。誰かに強制されたものではなく、自分で考え抜いて決めたことだ。

 人気商売(ゆえ)に邪魔になってはならないという、悲しいまでの想いがあったからだ。

 それを友也に踏みにじられ、ワタルが壊した。


「トミーさんは関係ない。おれの意志で、こうやってみんなの前に立っている」

「夕べはそう言わなかったでしょ。友也について行きたければそうしろって突き放して、今さら何よ。あたしがどれだけ思いつめたか解っているの?」

「あれはおれが一方的に悪い。謝るよ」

「今さら謝られたって……」


 群衆の見守る中ワタルは沙樹の前に立ち、握手をするように右手をさしだした。

 ジェットコースターを急上昇と急降下するような展開に、沙樹の考えがついて行かない。ギャラリーに見つめられて緊張が高まり、金(しば)りになってしまった。注目されることには慣れていない。


 ワタルは苦笑すると沙樹の傍らに歩み寄り、包むように後ろから肩を抱いた。

 いつもと同じ温もりと優しさが伝わってくる。さっきまでの震えが嘘のように止まった。



「沙樹、よかったね!」

 アナウンサーだけあって裕美の声が綺麗に響く。それを合図にギャラリーから称賛と驚愕の混じった声がとんだ。


「ワタル、おめでとう!」

「トミーさん、彼女を祝福してあげなよっ」

「やばすぎるぜっ」


 沙樹の身体は急にガチガチに凍りつき、ひとりでは動くこともままならない。歓声が遠い世界のものに聞こえる。

「……沙樹」

 名前を呼ばれやっとのことでふりかえると、友也がいつの間にか和泉の隣に立っていた。


 ワタルは沙樹を丁寧にエスコートし、友也の前に立った。

「大切な恋人をトミーさんに奪われるわけにはいかないから、こうやって迎えにきました。沙樹が秘密にしてたのは不倫だからじゃなくて、相手がおれだからなんです」

 ワタル申し訳なさそうに、友也に頭を下げた。


「信じられねぇよ……誰がこんなこと想像できるんだ?」

 友也は完全に勢いをなくし、力なくワタルと沙樹を見ている。

「沙樹はアマチュア時代からずっと、おれたちのバンドを支えてきてくれたんです。裏方に徹してバンド活動に協力してくれました。

 そんな健気(けなげ)な姿を見てたら、好きにならずにはいられませんでした」


「そうなんだよ、沙樹は健気で一生懸命なんだよ。だからおれも惚れちまったんだ。

 悔しいぜ。北島さんより早く出会っていたら、チャンスもあったかもしれないってのに」

「それは違うよ」

 沙樹はやっとの思いで口を開く。


「出会った順番は関係ない、先に友也と出会っていても、あたしはワタルさんのことが好きになる」

 沙樹の偽りない言葉に、裕美や和泉が歓声を上げた。


「なんだよおっ。完全に失恋。ダメだしされちまったじゃねえかっ」

 友也は力なくその場に胡座(あぐら)をかいて座り込んだ。和泉が(なぐさ)めるように、友也の肩に手を置く。


「北島くんが相手じゃトミーくんじゃなくても勝ち目はないよ。彼は一見軽そうだが、なかなかできた人物だ。西田にしたって、北島くんどころか彼氏の影すら見せなかったんだぞ。徹底したカップルじゃないか。

 今回は相手が悪かったと思って諦めるんだな」


 肩を落としてうつむく友也を見ると、沙樹は気持ちに応えられない自分を責めてしまう。でもこればかりはどうしようもない。

「西田は気に病むことないぞ。ここまで話を大きくしたのはトミーくんだからな。計画通りに行かなかったときのダメージは覚悟の上だろうて。

 彼のことはおれに任せてくれ。今夜一晩、愚痴を聞いてやるさ」

 沙樹の罪悪感を察し、和泉があとのことを引き受けてくれた。上司の思いやりに感謝して、沙樹は「よろしくお願いします」と頭を下げた。


 ワタルは集まったリスナーたちに視線を移す。誰もがお祝いムードで顔をほころばせている。

「年が明けたら、今のことは正式に発表します。詳しい内容は、明日事務所から報道機関に連絡を入れますので、今夜はおれたちのこと追いかけないでくださいね。久しぶりのデートですから。それじゃあみんな、メリー・クリスマス!」


 リスナーや局の人たちから暖かい拍手と歓声が上がった。ワタルはそれに応えるように手をふる。

 多くの祝福とわずかな羨望(せんぼう)のまなざしを受けながら、沙樹はみんなに向けて会釈した。

お読みいただきありがとうございました。

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