台風の目に出して。
暑中見舞いは明日まで、明日を過ぎたら夏は終わりの残暑見舞いになるから早く贈りに行け等と、暦にうるさく湧くマナーの虫に急かされて、返礼の品を贈りに街のデパートまで行ったが為に、遅きに喫した台風対策。
雨戸やベランダの物干し竿やを慌てて閉じたりしまったりで、浸水対策まではもう出来ない。
まったくもってマナーの虫には生活ある者の常識なんか通用しない。
そのマナーに通じた処で職場に通ずる道が塞がれば、仕事に影響する被害はどっちが上だ?
田舎の町は街のデパートに行くのだって旅行と変わらん。
マナーを言うにも少しは考えて物を言えっ!
雨音激しく雨戸に当たる雨粒も少し大きくなったか叩きつける風の力が増す最中、私の怒りが通じたかドカーンと一発近くに落ちた。
台風の前に荒れる空。
本番前の前座で揺れる稲妻に、何をされたか電気が消えた。
久しぶりの停電に、慌ててスマホで周りをかざすが懐中電灯なんて何処に置いたか記憶も怪しく、マナー馬鹿への文句が増すばかり。
そうだ! と、春に行ったキャンプで使おうとランタンを買っていた事を思い出し、しまった筈の戸棚に手を伸ばしていた。
まだ付くか?
そんな不安を吹き飛ばすように明るく灯るLEDランタンに安堵した。
この先いつまで停電するのか分からない。
スマホは今や命綱。
とりあえずライトを消して機内モードに切り替えた。
けれど情報の必要にテレビは付かない停電時、確か何かの景品で手巻きのライトにくっ付いたラジオを貰ったような……
あった、コレ!
中々に安物臭いこのシルエット!
使えるのか?
電源が入らない。
取説っぽい紙を見るが何処の言語かも判らないMADE IN……何処これ?
それすらも読めない謎の言語に読むのをやめて絵を見る事に、恐らくこの脇に付いたハンドルを回して充電をしないと何も出来ないのだろうと推測を立てた。
――GUZIZIZIZIZIZIZIZI――
堅い!
安くてモロそうな造りなのに物凄く堅くて重いハンドル。
暫く回すと、ようやくカキ氷製造機くらいには回せるようになってきた。
――JIIIJIIIJIIIJIIIJIII――
休み休みに5分程は巻いたか、もういいだろうと電源を入れてみた。
ライトは点く。
明るさはランタン程は無いが照らせる程度には十分だ。
ラジオを点ける。
その途端!
――JAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――
とんでもない音量のノイズ音にドキッとした。
どれを回せばいいのかも判らないツマミが3つ、とりあえず全部を回すと一番左が音量だと判った。
そのついでで回された周波数が何かのチャンネルに近付いたのか、ノイズ音に何かが乗っている。
話声にも聞こえるし、ただの雑音にも聞こえるそれは、ドライヤーをかけてる時に聞こえる話声にも似た何を言ってる訳でもない言葉の音階に似たノイズ。
そう思ってはいたが、時折聞こえる妙に高い音が女の声にも聞こえて来る。
その女の声が段々と大きくなるようで、会話しているようにも思えて来た。
近付けようと周波数ツマミを回そうとするが動かない。
ツマミの回転限界位置のようだった。
あと少し、もうちょっとだけ回れば入りそうなその周波数のこれが何メガヘルツなのかも、この安物ラジオには周波数目盛りすらなく判らない。
試しに逆へと回すとノイズが濃くなり何も無い事を分からせる。
別にそれが聞きたい訳じゃない。
ただ、目の前にあるように思える最初の答えを開きたいだけ。
きっと回せば他の局があるし本当に聞きたいのはそっちにあるのも解ってる。
でも、何故だか物凄く気になるその女の声が聞きたくて聞きたくて堪らなくなっていた。
可怪しいのは解ってる。
でも、止められない自分の衝動にラジオを持って部屋の中を移動し始めていた。
――ZAAAAZAZAKYUUNNZAZAZAAAA――
部屋の奥へと向かう程に何かが聴こえるようで廊下へと出て更に奥へと歩みを進める。
――DOOOONN!!GATAGATAGATA!――
強い風がぶつかり揺れる雨戸に、隙間から入った雨粒が窓に当たる音。
いつの間にか台風本体の激しい雨風に変わっていた。
私はどれ程このラジオと格闘していたのか、案外手巻き充電も保つ物だな。
それ位に考え、尚も探す声が入る場所へと奥へ奥へと。
……そして、壁に行き着いた。
この先には隣の家がある。
今は誰もいない空き家だが、行方不明の娘が居るとかで市も取り壊しも出来ずにあるアレだ。
ふと思い出したソレに何を重ねたのか、良からぬ思いが頭を巡る。
巡る思考に取り憑かれ、カッパとスコップを準備し手巻き充電を補充していた。
――ZAAAAZAZAZAZAKYUUNNZAAAA――
他の局に回すこともなく、ただひたすらにそれを聞いていた。
充電してはそれを聞き、いずれは来る筈のその時を待ち続け……
雨音と風音が消えた静寂に、意を決して外へ出た。
ある程度の物ならライトが無くても視認出来る程の明るさに上を見る。
丸くは無いが半分以上はあるだろう月の光が雲一つない夜空の星々と共に澄んだ空気の闇夜を照らす。
目だ。
どれ程の時間があるのかは判らない。
けれどやるなら今しかない。
辛うじて理解出来得る防塵防水を意味するIP67の文字を信じてラジオを持って、隣家の庭に向かい我が家との塀際に立ちすぐさまラジオの音を確認する。
クリアに声が聴こえる訳ではないが、心なしかノイズのトーンが落ち着いたようにも思えるのは、それまでの雨風の音が遠退いたからかもしれない。
――ZAAAAZAZAKYUUNNZAZAZAZAAAA――
ここ掘れわんわんじゃあるまいし。
それでも、ラジオのノイズは声に近付く。
――KYUUUUWUUUWUUUKYUUUU――
声に一番近い感じが庭の一部を示すようにノイズの音が場所を知らせた。
安物感を不安に持って来たビニール袋にラジオを入れ脇に置き、ライトを点けてその場を照らす。
やはり大した明かりはない。
それでも無いよりはマシ。
今は月明かりが勝るが、それもいつまで保つのか判らない。
急ぎ雑草防止シートをめくりスコップを持ち、私は月光に煌めくスコップの剣先に何を覚えたのか悍ましい感情を振り払うように示された地面へと突き刺した!
――ZAKKU!――
黙々と掘り進めるその音は何処か小気味よく、剣先で何かの根を切る感触と根の蔦を引き裂き持ち上げる感覚に、少しの快楽的なリズムを求めていた。
――BUTIBUTIBUTI――
――BOFUNN――
近所に居るのは二百㍍は離れた隣家の婆さんと四百㍍先の農家の家族。
ウチと隣がくっ付いてるのは昔同じ田畑を共有してたとか何とかで、単に仕事の面倒に効率化を計った結果のようだ。
故に、この町の者が台風の最中にココを通りがかる事など有り得ない。
この空き家も、爺さんが娘夫婦と車で事故死するまでは中々に賑やかだった。
葬儀も呼ばれず突然亡くなっていたと聞かされた訃報は、役所が呼んだ管財人の調査で聞かれて知らされ、聞かれたコッチが質問を浴びせていた。
まさか娘夫婦の子供が行方不明だっただなんて、あれだけ賑やかだったのにいつから。
こんな田舎で隣の家の住人同士が話をしない事などある訳がない。
ただ、私は転勤で家をあけていた。
去年の秋に、姉夫婦と一緒に親も都市部の方が何かと便利だからと出て行った。
そんな折の春先に、私の仕事が8年振りに地元になって売り払う筈だったこの家で売れるまでを過ごしていた今日までに
隣の爺さんは学生時以来で、娘夫婦とは始めましてで一月程のお付き合い。
帰省後スグに残業続きで休みも潰れ挨拶もろくに出来ずで、初めて帰省の挨拶が出来たのはそれから二週間後の夕方だった。
あの日、私が実家に帰っている事に酷く驚いた顔をしていたあの家族。
今に思えば賑やかだったのは最初の二週間だけで、挨拶後の二週間程は静かだった。
だから事故で亡くなっていた事にも気付かずにいた。
職場で貰った桃の山をお裾分けにと訪問するまで、居ない事すら気付かぬ程に……
そうだ、管財人が言っていた。
事故死にそもそも何処へ向かっていたのかすらも謎だったとか。
何故にスコップを三つもトランクに入れていたのか、山道で何を見たのか急ブレーキを踏んで滑ってぶつかり、それだけなら死ぬ事は無かったらしいが、衝撃でトランクから後部座席を突き破って飛び出たスコップが三人を……
そんな話を思い出しながらスコップを握る私の手には汗が滴り落ちるも、早く見付けなければと泥まみれになったその手を衝き動かす。
汗と共に滴り始めた雨粒が、濡れた土砂をまで崩して埋め戻す。
もう少し、もう少しなんだからやめてくれ!
そんな気持ちに取り憑かれていた。
けれど、雨粒が大きくなり出して、もう無理かと思わされたその時に、置いていたラジオが激しく鳴った。
――ZAAAAZAZA!――
――DASITE!!――
電源も何も触れてもいない。
驚く筈なのに驚かない自分に驚くが、驚く事なく掘り進める手をその女の声に衝き動かされていた。
不意に何かを感じて、深く挿し込むのを手が拒む。
……何か在る。
置いていたラジオを持ち上げ、ライトを掘った穴の中へと向けて見た。
幾重にも重ねられた厚みのある黒いゴミ袋がそこには在った。
――DASITE!!――
……間違いない。
スコップを置き、手を伸ばす。
重い袋は40㎏程か、子供一人の体重にも思えるそれ。
けれど、ここで開けて私はどうするのか。
目が過ぎたのか強い雨風に叩かれ、目を醒ますように正気を取り戻した私は玄関に置いたままのスマホを取りに家へと帰る。
――DASITE!!――
――DASITE!!――
――DASITE!!――
――DASITE!!――
離れて尚、ラジオから聴こえるその声を必死に無視して扉を開け、泥だらけの手も気にする事なくスマホを操作。
「はい、こちら警察です。事件ですか? 事故ですか?」
一瞬考えた。
これは事故死した家族の事件の痕跡……
「これで解決します。いえ、解決して下さい。多分行方不明の娘さんの入った袋を見付けたんです」
「はい? 解決したんですか? なら、警察は必要無いという事でよろしいですか?」
馬鹿なのか?
いや、こっちの説明も説明か……
「いえ、恐らく遺体の入った袋を見付けたんです。事件になっているのかもよく判らないんですけど行方不明の娘さんだと思うので刑事さんをお願いします。」
「あああ、えと、事件の番号は判りますか?」
「いえ、○○県○○郡○○町916に住んでた黒川家の件なのですが」
警察のお役所仕事対応のせいなのか妙なやりとりに気持ちも冷めて、自分のしていた事の説明に刑事に何と言えば良いのか今更になって気が付いた。
「では、担当の刑事が向かうと思うので現場を荒らさぬようにその場でお待ち下さい」
呆然とする中そう言われ、電話を切るが……
この台風の中で現場を荒らさずその場で待てとか、何を考えてるんだ?
お役所仕事も程々にしろ!
そうため息を漏らしたその時だった。
――DASITE!!――
強烈な叫び声が鳴り響き、その現実味にようやく恐怖を感じる事になった。
刑事が来るまでのその間を、ラジオの何処を弄っても止まぬその女の声が連呼する。
――DASITE!!――
――DASITE!!――
――DASITE!!――
――DASITE!!――
耳を塞いでも劈くようなその声に、自分がした事が正しかったのかも疑われる。
「待て! 待って! もうスグ刑事が来るから! 頼むから、落ち着いて! 待ってて! お願い!」
――DASITE!!――
――DASITE!!――
――DASITE!!――
――DASITE!!――
台風もあってかそれから一時間は経っただろうか、ようやく刑事が鑑識官を連れ立ってやって来た。
が、刑事は私を見るなり救急車を呼んだ。
私はラジオを刑事に渡し、こう告げた。
「見付けた娘の遺体は隣の家の庭に袋に入って置いたまま。けど、このラジオから聴こえた彼女の声。彼女の声は、娘じゃなかった……」