学園生活が始まった
ようやく本編始動……って感じで物語が動き出しました。
新キャラ登場です。
マイリーからのアドバイスに従って、殿下の様子を見る事……早十年。あたしは十五歳になっていた。一つ年上の殿下は十六歳。今日も王宮で恒例の殿下とのお茶会だ。美しい花柄模様が描かれたティーカップを片手に、あたしは殿下の自室にあるソファーに座っている。そして殿下はというと向かいのソファー……ではなく、あたしの身体にピッタリとくっ付いて真横に座っている。
「今日も可愛いよ、ティアナ」
いつもの様にアルスト殿下は、婚約者であるあたしを優しい瞳で見つめながら囁いて下さった。そしてあたしの髪を一房手に取り……クンカクンカと匂いを嗅いでいらっしゃる。そこは髪にキスを落すのが普通じゃないかと突っ込みたくもなるが、もはや恒例行事と化しているその行動にあたしは頬を赤らめる事も無く黙ってお茶をすする。
そう、あれから十年も経つと殿下のおかしな行動には随分と免疫が付いてしまっていた。最初はマイリーが言う様に浮かれていらっしゃるだけなのかと思ってみたが、相も変わらずおかしな行動はずっと続いている。それも、あたしにだけ。
十六歳となられた殿下の見目は相変わらず美しい。いや、むしろ美貌に更に磨きがかかっている様な気がする。背もぐんぐんと伸びて身体も程よい筋肉が付き始め、精悍さが増した。婚約が結ばれてから十年経過した今でも、美しい殿下に恋するご令嬢は沢山居る。十五歳から入学した王侯貴族が大勢通うこの学園では更にその人気は増し、中には猛烈アタックをされる勇気あるご令嬢もたまに居るが大半は憧れの眼差しであたし達二人を見ているだけだ。
そう、今でもアルスト殿下は憧れの存在なのだ。
公式の場では見事なエスコートとダンスを披露して下さるし、王子そのもののキラキラとまぶしい笑顔を見せ、王族ならではの威厳のある佇まいもとても素敵で……あたしも時々、そのお姿に見惚れてしまう事がある。
そんな殿下が実は皆の見ていない所では、婚約者の髪の匂いを嗅いだり、婚約者の使用済み食器類をそのまま大事に持ち帰ろうとして専属従者に止められたり、婚約者の指をしゃぶったり……している事なんて世間一般的には知られていない。
髪の匂いを嗅がれるのはもう慣れたけど……いや、慣れていいのか分からないけど。指をしゃぶられるのは未だに恥ずかしくて慣れない。だってあたしの顔をジッと見つめながらチュッチュッ、と口に咥えられるものだから……顔から火を噴きそうになる。それもその内慣れるのだろうか……むしろ慣れていいものなんだろうか。うむむ。
「王太子妃教育、上手く行っている様だね。今朝も母上がティアナの事を褒めていらしたよ」
満足する迄匂いを嗅ぎ終わったらしい殿下が今度はあたしの手に一つキスを落し、そしてそのまま手を繋がれる。あぁ、今日もまた片手が塞がれてしまった。スイーツ食べにくくなってるんですけど、殿下! と心の中で突っ込む。まぁ、今日のスイーツはサブレなので片手で十分食べれるのだけれど。……これも計算された上でメニューが決められているんじゃないのだろうか、と最近たまに思う。気のせいかしら。
「ありがとう御座います。それは光栄ですわ」
婚約者に決まってから始まった王太子妃教育は、学園で受けている勉強とは比べ物にならない位に非常に厳しいものであったが、なんとか落ちこぼれる事が無く進んでいる。幼い頃は家での家庭教師からの勉強、今は学園での授業……に加えて王宮に出向いての王太子妃教育のダブルワーク状態。休む日もなく行われる日々の勉強に時々泣きそうになるし、王太子の婚約者になんてなるもんじゃないな、とコッソリ思ってしまう事もある。
学園に入学してから、殿下とは毎日会う様になった。と言っても学年が違うのでお昼を一緒に頂くくらいしか一緒に居る時間は取れない。殿下は生徒会役員なので放課後は生徒会室で業務をこなす事が多い為、一緒に帰る事は滅多にない。それでも以前より一緒に過ごす時間が増えた事を大層喜んでおられた。この十年間、殿下からの愛情表現は絶えることなく注がれている。なのに……あたしの気持ちは未だによく分からないままだったりする。
嫌いじゃない。とても大事にして頂いているのは分かっている。だから厳しい王太子妃教育も逃げ出さずに、殿下の為だと頑張って来れている。それに元々、貴族や王族の結婚なんて政略的なものが多いのだ。好きだ惚れただの言うのは贅沢な話だと思う。けど、物語に出てくる様な『ラブロマンス』には純粋に憧れてしまう。それなら殿下と恋をすればいいじゃないか、とも思うのだけど……出会った時からの殿下からの好意が強烈すぎて自分の気持ちが行方不明なのだ。
繋がれている手に意識をやる。あたしより少し大きくなった殿下の手……昔に比べるとゴツゴツとした男の人の手にいつの間にか変化している。繋ぎ慣れたその手に違和感も嫌悪感も感じない。殿下はどうしてこんなに、ひたむきにあたしを好きでいてくれるのだろう。
「学園生活はどうだい? もうだいぶ慣れた頃だろう」
殿下に一年遅れで入学したあたしも、入学から既に三ヶ月が経過している。仲良しのご令嬢も何人か出来て学生生活はそれなりに満喫出来ている。勿論、殿下の婚約者があたしだという事を面白く思わない方々も中にはいらっしゃるが、表だって何かをされたり言われたりする事はない。……ん?そういえば、少し変わった方がクラスメイトにいらっしゃるわね。
「はい、大変充実した毎日を送っておりますわ」
「それは良かった。……そういや、君のクラスに確か男爵家のご令嬢が居なかったかい?」
「え……もしかしてパチェット男爵令嬢の事でしょうか?」
今しがた思い浮かべていた『少し変わった方』がそのパチェット男爵のご令嬢だった。ピンク色の髪をツインテールにして大きなゴールドの瞳をいつもキラキラと輝かせている、とても可愛らしいご令嬢なのだが……言動が少し変わっていらっしゃる。
誰にでも愛嬌たっぷりの笑顔でニコニコとして人懐っこいお方なのだが、時折……鋭い視線を感じる事がある。あたしに何か物言いたげなご様子なのだが、お話しする機会が特にないので今の所目立った接点は無い、ただのクラスメイトの一人だ。入学時の成績順でトップから順にA~Eまでクラス分けされていいて、我がAクラスは高位貴族の子息令嬢が殆どを占めている中唯一の男爵家のご令嬢だ。
「あぁ、そんな名前だった気がする」
「珍しいですわね、殿下がご令嬢の名前を話題に出すなんて」
「そりゃ、私はティアナ一筋だからね。ティアナ以外の女性には興味が無いのだよ」
それなら余計に何故急にパチェット男爵令嬢の事を話題にお出しになったのだろう。……ん、なんだろう。胸の辺りがなんかモヤっと気持ち悪い様な。まだサブレも食べてないのに食あたりかしら。
「で……そのパチェット男爵令嬢がどうかしたんですか?」
「うーん……なんというか、その……彼女とはあまり関わらない方が良い」
「はい?」
突拍子の無い話に一体どうしたのかと尋ねると、殿下は少し焦りを見せながら話す。何日か前の放課後。殿下がタクトお兄様、スクトお兄様と一緒に生徒会の仕事を終わらせて帰宅しようと廊下を歩いていた時に、曲がり角から猛ダッシュで出てきたパチェット男爵令嬢とぶつかりそうになったんだそうだ。何故かタックルかけるかの様に飛び出して来たご令嬢をすんでの所でかわし、そのせいでパチェット男爵令嬢は勢いそのままビタ――ンと廊下に顔から突っ込んでしまったのだと。
驚いたけど目の前で一人のご令嬢が転んでいるのに助けない訳にはいかず、タクトお兄様が仕方なく手を差し伸べたものの……断られ、何故か殿下に手を伸ばして来たらしい。結局は痺れを切らしたスクトお兄様に無理矢理立ち上がらされ、何故か殿下の方に『助けて頂いてありがとう御座いますぅ~アルスト殿下』とお礼を言った後、スキップしながら去って行ったんだそうな。
……て、なんだソレ。
「彼女には触れていないから、安心してくれ。私の純潔はちゃんと守られている」
「いえ、別にそこは気にしておりませんし……」
「気にしてくれっ、頼むから!」
何故か必死に自分の事を心配して欲しいとねだる殿下。ご令嬢とぶつかったくらいで気にする様な事でもないとあたしは思うのだけれど。というか、ぶつかってないし。
「だから、あの令嬢には気を付けた方が良い。おかしな奴には近寄らない方が良いからな」
「大丈夫ですよ、おかしな方は殿下で慣れておりますから」
「そうか、慣れて……て、私はちっともおかしくないぞ! 正常だ」
「ソウデスネ」
それにしても、あたしの周りには変わった方が多いなぁ……。まぁ、パチェット男爵令嬢とは別に仲が良い訳でも無いし、関わる事はないよね。多分。