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初めて泣いたツバサ


 俺はクリスを抱きかかえながらレオンさんの別荘へと戻った。

 クリスは顔を赤くしながら恥ずかしそうにしていたけど、俺とスフレの様子を見てただ事ではないと悟ったようであった。


 家に着くなりスフレは水晶通信でレオンさんと連絡を取ろうと試みる。

 俺はクリスをソファーに座らせた。


「え、本当にどうしたの? 緊急依頼を忘れてたとか?」


「……違う。クリス、本当にわからないんだな?」


「うん……、二人がいつもと様子が全然違うって事ぐらいしかわからないよ」


 俺は大きく深呼吸をした。

 なぜだ、心がひどく乱れる。胸がズキズキと痛む。経験したことのない耐えられない痛みであった。


 それでも無理やり冷静になって、俺はクリスに聞いてみた。


「クリス、教室で自分が喋った言葉を覚えているか?」


「へ? 私の故郷がわからない話?」


「……違う。……クリスがいきなり『召喚期限が近づいている』と言った事だ」


「ツバサ〜、なんかの冗談なの? ……あれ、違うの? え、わ、私そんな事言ってたの?」


 俺はクリスの横に座った。クリスはいつもみたいに距離を開けようとしたが、俺はその距離を詰めた。


「ツ、ツバサ!? ち、近いよ!」


 クリスの肩を抱きしめると、やはり体温が異様に低い。

 本人は至って健康そうである。


「クリス、よく聞くんだ。俺も何が起こったかわからん。冗談なら幸いだが、そんな状況ではなかった。……クリスの身体の中で何かが起こっている。いいか、今から教室で起こった事を話す。よく聞いてくれ」


 クリスは俺の真剣な表情を見て、おとなしく話を聞いてくれた。

 簡潔にしようが無いほどの短いクリスの一言。


 話を聞いたクリスは合点が言った顔をしていた――


「……えっと、そうなんだ。私……、ははっ、やっぱりこの世界の人間じゃなかったんだ。そっか……、だからこの世界に馴染めなかったんだ。……うん、感覚でわかってたよ、私、召喚されたんだね。それで、もうすぐこの世界からいなくなるんだ……」


 落ち着いた様子でソファーに深く座るクリス。

 俺はただ手を握る事しかできなかった。冷たい手を温めたかった。


 水晶で連絡を取っていたスフレがソファーにやってきた。


「――はい、スピーカーモードにします。ツバサ、マリさんです」


 水晶からマリさんの声が聞こえてきた。


『――もしもし、我じゃ。話はスフレから聞いたのじゃ。全く、異世界召喚を行える人物がまだいたとは驚きじゃ。……結論から言うと、我たちではどうしようも出来ないのじゃ。異世界召喚は女神との契約。契約をした本人でなければ書き換える事ができない』


 マリさんは挨拶もそこそこに俺たちの状況を教えてくれた。

 これがレオンさんだったら話が飛んで時間がかかっていただろう。


『はるか昔、本当の魔王と言われる邪悪な存在を倒すために、異世界から罪なき子らを拉致して勇者とまつり上げて……、ふんっ、帝国と王国の今はなき悪しき習慣じゃったな。今はそんな事はよい』


「マリさん、どうにかできないのか……」


『お主がそんな悲痛な声を出すとはな……。ふむ、言っただろ、契約者本人でなければどうしようもできない。――こやつを召喚した本人に話を聞くしかあるまい。……契約内容によっては人に力では不可能かもしれんがな』


「じゃあ、召喚者を捕まえて契約を変えれば――」


『まあ待つのじゃ。……のう、クリス、お主はこの世界に召喚されて幸せだったのか? 召喚で薄れたお主の記憶にある世界に戻りたくないのか? このまま時間が過ぎれば何事もなくお主は元に世界に帰れるのじゃ。……お主はこの世界にいたいのか?』


 俺は頭にガツンという衝撃が走った。

 そうだ、俺は自分の事しか考えていなかった。

 クリスが元の世界に戻れるんだ。

 なら、それは幸せな事じゃないのか? 


 俺の心の奥がかき乱される――


 クリスは恐る恐る声を出した。その声は震えていた。


「……記憶の中で――、私はずっと病院にいました。満足に歩けなくて、いつも頭が痛くて、何度も手術をしたから髪の毛もなくなって……、いつ死ぬかわからない恐怖を抱えていました。……もしあの世界に戻ったとしたら……、私はすぐに死んでしまいます」


『ふむ、そうじゃな。世界間で肉体は継承はできない。召喚前の状態で戻されるじゃろう』


 クリスが俺の手を離した。俺は「あっ」という声が漏れてしまった。

 だが、クリスは両手で再び俺の手を固く握りしめてくれた。


「……少し前までの私なら――、元の世界に戻って、緩やかに死んでも構わないと思っていました。――でも、私はツバサと、スフレと出会うことができました。……なら、私はこの世界で生きたいです。ツバサと、スフレと共に――」


 クリスは絞り出すような声で言いながら俺を見つめる。その瞳からは涙が流れていた。

 俺はクリスが手を握ってくれるだけで心が温かくなる。

 なぜだ? ……いや、本当はわかっているんだ。


 クリスを失いたくないんだ。

 こんな感情は初めてであった。自分には無いと思っていた感情。

 幼馴染たちが俺に向けていた感情を初めて理解できた。


 俺にとって――クリスは――大切な、大切な……大好きな女の子なんだ――



 俺はクリスを見つめて髪を撫でる。

 綺麗な髪は艶々とした輝きを放っていた。


「クリス、俺が――、必ず……必ず帰還を防ぐ。俺がクリスをこの世界で必ず幸せにする。だから、約束してくれ――、俺のそばからいなくならないって……」


 クリスは一瞬だけ驚いた顔をしたけど、優しく微笑んで――俺に顔を近づけた。

 俺の頬に口づけをした――

 ほんの一瞬だったのに、永遠の時間に感じられた。


 クリスは俺を抱きしめて俺に言った。


「――うん、私はツバサのそばから離れないよ。ずっと一緒にいる。――約束だよ」


「ああ、約束だ――」


 俺は生まれて初めて人に恋をした。

 消えるかもしれない大好きな人。

 こみ上げてくる嗚咽が止められない――

 勝手に流れてくる涙が止まらない――


 俺は全ての思いと魔力を――クリスへと捧げた。


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