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京都東山 送魂屋『無幻堂』 ~大切な人形の最期をお手伝いします~  作者: 望月くらげ
第二章:黒みつ団子と青い瞳のフランス人形
4/23

2-1

 その日は結局、契約条件やお給料、勤務時間などを確認して書類をもらって終わった。何か仕事はないですか、と尋ねたけれど純太君の後処理があるからと帰されてしまった。

 それならば、とお昼に近かったけれどきなこアイスのお店に行って噂のきなこのアイスを食べることにした。

 平日の、それもお昼時にもかかわらずお店の外には数人並んでいたけれど、それでも休日よりはマシだろう。三十分ほどで私の順番が来て、無事アイスクリームを食べることができた。

 ちなみに私はプレーンのきなこと黒ごまを頼んだのだけれどどちらも味が濃厚で、これを食べたらコンビニのアイスは食べられないかもしれない。や、食べるけど。あれはあれで美味しいんだけれど。


「すっごく美味しかったです! また来ます!」


 帰りに鼻息荒く言う私にお会計をしてくれたお姉さんはパンフレットを手渡してくれた。苦笑いを浮かべていた気がするのは気のせいだと思っていよう。

 何はともあれパンフレットを持って京都河原町駅まで戻る。

 そしてふと思いついて、駅直結の高島屋内にある本屋さんへと向かった。せっかく京都で仕事をするのだ。どうせならいろんな美味しいお店を巡りたい。お昼ご飯は今までお弁当だったけれど、これを機に外で食べるのもありかもしれない。

 京都の美味しいご飯が載っている雑誌と同じく京都の甘味処特集が載っている雑誌を買うと、私は茨木までの切符を買ってマンションへと戻った。


 翌日、就業時間は九時からということだったので、それよりも三十分ほど早く京都河原町駅へと着いた。そういえば、私が大学生の頃はたしかここの駅名はただの河原町駅だったはずだ。訪日観光客への配慮からかいくつかの駅名が変わったときに京都河原町駅と名前が変わったらしい。

 そんなことを考えながら改札を出て、昨日通った道を歩く。通勤時間というには少し遅く、観光客が来るには少し早い。そんな時間だからか、いつもは人で溢れている四条大橋も、今日はまばらに歩いている人がいるだけだった。

 それにしても、本当に大丈夫なのだろうか。

 私は昨日のことを思い出しながら、小さくため息を吐いた。

 鞄の中には、念のため昨日もらった書類が入っている。疑うわけではないけれど、冷静になってみると怪しさしかないあのお店に改めて行って『そんな契約していません』なんて言われたらたまらない。狸ならぬ猫に化かされないとも限らない。

 それでも今日あのお店に向かうのは、契約をした以上私はあの店の従業員で、社員で、雇われた人間だから。これでもし私が行かずに無断欠勤なんてことになったらと思うと、化かされてでも出勤した方がいいとそう思ってしまったのだ。

 古民家が並ぶ道のりを歩くと、当たり前だけれど昨日と同じ場所にお店はあった。昨日は気づかなかったけれど、お店には小さな看板が掲げてあった。

――送魂屋 夢幻堂むげんどう――

 なんて怪しい名前だろう。昨日の時点でこれを見てたら中に入らなかったかしれない。……いや、そんなことはないか。昨日のあの状態で仕事をくれると言われたらよほど危ないお店じゃない限り入っていっただろう。

 それに、目つきは悪いし口も悪かったけれど、柘植さんからは危険な雰囲気はしなかった。それどころか静謐な空気さえ漂って見えた。

 空気を読む、という言葉を今の時代よく使うけれど、私はこの『空気を読む』ことが得意だった。読む、というよりは感じる、と言った方が正しいけれど。

 目の前にいる人がどういう感情でいるのかが色でわかる。楽しければ橙色、悲しければ水色、不機嫌なら黒に近い赤、不安や恐怖に駆られていれば真っ黒と言った具合に、その人の気持ちが薄らと色づいているように感じるのだ。

 この色は直接見えなくても感じることができる。だから人の気持ちを察するのは得意なんだけれど、それが前職では仇となった形になった。でも仕方ないじゃない。電話の向こうから困ったな、このあと用事があるんだけどな、これじゃなくてよその商品の方がいい、なんて思われたら、それ以上進めることなんてできない。

 だから昨日、柘植さんを初めて見たときは驚いた。柘植さんの感情には色がなかった。正しくは透明に近い白。神聖で純粋で、でもどこか無を感じさせる色。あんな色に出会ったのは初めてだった。

 ああいう仕事を生業としていたらそんなものなのかもしれない。でも、今まで会ったことのあるお坊さんや巫女さんはピンク色だったり紫色だったりと俗世にまみれた色を感じたことも多かったから余計に驚いた。

 驚いたといえば、あの真っ白な髪の毛にも、だ。あれは地毛なのだろうか。それとも染めている? もしくは、白髪になるようなことが何か――。


「おい」

「ひゃうっ」


 お店の前で立ち止まったまま考え込んでいた私に、突然目の前に現れた柘植さんが声をかけた。柘植さんは今日も昨日と同じく、真っ黒の着物に昨日より少し薄い灰色の羽織を着ていた。


「お、おはようございます」

「おはようございます、じゃねえ。今何時だと思ってるんだ」

「え? 今って――あっ」


 考え込んでいるうちに思ったよりも時間が経っていたようだ。左腕につけた腕時計を見ると、九時を五分ほど過ぎてしまっていた。


「さっそく遅刻か」

「すみません!」

「働く気がないなら帰ってもらってもいいぞ。昨日の書類は置いてな」

「働きます、働かせてください。もう二度と遅刻なんてしませんから」

「……今日だけだからな」


 許してもらえたことにホッとして、お店の中に入っていく柘植さんのあとを慌てて追いかける。

 それにしても、口では厳しいことを言っているし怒っているはずなのに、やっぱり柘植さんから感じられる色は驚くほどに白い。どういう育ち方をしたら、こんなに心穏やかにいられるのか教えてほしいほどだ。


「あら、明日菜。やっと来たのね」

「詩さん、おはようございます」


 玄関で靴を脱いでいると、奥からあくびをしながら詩さんがやってくるのが見えた。今日も毛並みはつやつやで、真っ白な身体には汚れ一つなかった。


「おはよう。あんたね、さっさと来ないから悠真が心配してたのよお。どこかで事故にでもあったんじゃないかって」

「え?」

「おい、余計なことを言うな」


 奥の部屋から顔を出した柘植さんは詩さんを睨みつける。けれど、詩さんは何でもないようにふふんと笑った。


「何よ、本当のことでしょう? あたしが今の若い子だから面倒になったんじゃない? って言ったら『そういうやつには見えなかった』って言ってたじゃない」

「柘植さん!」

「そいつの聞き間違えだ」


 ぶっきらぼうに言うと、柘植さんは奥の部屋に引っ込んでしまう。

 でも、さっきまで真っ白だった柘植さんの感情に、ほんの少しだけピンク色が混じっているのを感じて嬉しくなる。


「ピンク。……もしかして照れてる?」

「あら、よくわかったわね」

「なんか感情が乱れたのを感じて」

「へえ? おもしろいこと言うじゃない。さっきのピンクっていうのは?」


 思わず呟いてしまったことを聞かれたらしい。今までこの話をして信じてくれた人はいないからどうせ、と思ったけれど喋る猫の詩さんならもしかして、そう思って上がり框に腰を下ろすと詩さんが隣にちょこんと座った。


「感情の色が見えるんです。柘植さんは昨日もさっき会ったときも真っ白だったのに、詩さんの話を聞いた瞬間に薄らとピンク色が混じって。だからもしかしてって思ったんです。ピンクは照れや恥じらいを表す色だから」

「へぇ、あんた面白いこと言うじゃない。感情が色で見える、ね。昨日の一件も、その能力のおかげ?」

「純太君ですか? おかげ、というかまあでもそんな感じです。不安がってるのとか怖がってるのがわかったんで、なるべく恐怖心を取り除いてあげたいってそう思って。私に対して不信感とか不安を抱いていると素直に話すこともできないと思ったんです」

「あんた凄いわね。悠真、いい拾いものをしたわね」


 振り返りながら言う詩さんにつられてそちらを向くと、腕組みをしたまま柱にもたれかかりこちらをジッと見つめる柘植さんの姿があった。

 先程見えたピンクが混じった感情はもうどこにもなく、どこかホッとした。柘植さんの発するこの真っ白な感情は心地いい。できれば他の色など混ぜずにずっとこのままでいてほしいとさえ思ってしまう。


「いい拾いものかどうかがわかるのはこれからだろ。詩、奥の部屋にいくつか人形を放り込んである。頼んだぞ。おい、明日菜」

「は、はい」

「お前は俺と来い」

「どこに行くんですか?」

「賀茂御祖神社近く」

「かもみ……なんですか?」

「賀茂御祖神社。通称、下鴨神社」


 聞き慣れない名前に首をかしげると、有名な神社の名前を柘植さんは口にした。

 下鴨神社なら知っている。パワースポットとしても有名だし、銀閣寺や平安神宮、それに京都市動物園も近かったはずだ。


「と、いうことは下京区の辺りですよね」

「よく知ってるな」

「これぐらい常識ですよ」


 得意げに言う私に、柘植さんは細めた目をこちらに向けた。


「どうせ昨日の帰りにでも京都の観光ブックを買って調べてたんだろ。仕事帰りに寄れるところはないかな、とか言って」

「どうしてわかったんですか!?」

「本当に単純なやつ」


 また顔に書いてあったとでも言うのだろうか。頬に手を当てると呆れたようにため息を吐いた。


「これ持て。行くぞ」

「あ、待ってください」


 リュックサックを押しつけ草履を履くと、柘植さんは私を置いてお店を出て行く。せっかく脱いだ靴をもう一度履くと、私は渡されたリュックサックを背負い、詩さんの方を振り返った。


「それじゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 フリフリと尻尾を振ると、詩さんは奥の部屋へと歩いて行く。

 戸締まりはいいのだろうか、と少し心配になったけれど気づけば柘植さんはどんどん先に歩いて行ってしまっていたのでそのあとを急いで追いかけた。

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