6-2
「わた、私……」
何か言わなくちゃ。そう思うのに上手く声が出てこない。
そんな私の頭上で聞き覚えのある声がした。
「これやな」
そこには律真さんの姿があった。手には私の鞄と――それからユーミーちゃん人形を持っていた。
そして私は思い出す。無幻堂でユーミーちゃん人形を拾ったことを。でも、どうしてそれがここに……?
「明日菜ちゃん、これな明日菜ちゃんの鞄の中に入ってたんや」
「私の、鞄の中?」
「せや。心当たりあるか?」
「……朝、無幻堂の廊下で拾いました。懐かしいと思って拾いましたけど、鞄になんて……」
いや、本当に入れてないと言えるのだろうか。ユーミーちゃん人形を拾い上げ、抱きしめたところまでは覚えている。けれど、そのあと柘植さんに声をかけられるまでの記憶が、ない。その間、私が何をしていたのか、私自身わからない。
考え込んでいる私のそばで、柘植さんは律真さんを睨みつけた。
「落ちてたってどういうことだ」
「わからん。もしかしたら、運んでたときに逃げたんかもしれん」
「ふざけるな! どう責任を取るつもりだ」
「……堪忍やで」
うなだれながら律真さんは私に謝罪する。でも、何がどうなっているのかわからなかった私は首を振ることしかできなかった。
そんな私と律真さんに、柘植さんは眉間に皺を寄せると言った。
「とにかく店に戻るぞ。ここじゃ、何もできん」
「せやな」
私は二人に連れられ、無幻堂へと戻った。その間、ユーミーちゃん人形は律真さんの手に握られたままだった。
そのまま私たちはいつもの玄関を入って右手の部屋へと向かうのかと思いきや、庭へと向かった。
「あの……?」
「どこか怪我をしていないか?」
「怪我、ですか? いえ、別に」
私の返答に柘植さんは考え込むように眉間に皺を寄せた。けれど、本当に心当たりはない。
「柘植さんが引っ張ってくれたおかげで電車と接触することも地面ですりむくこともなかったですし」
「ああ、そうじゃない。そうじゃなくて、もっと前だ。朝、ここに来てそいつに触れる前後で怪我をしなかったか」
そいつ、と言いながら柘植さんはユーミーちゃん人形を睨みつける。
朝、ユーミーちゃん人形と出会う前後……。必死に思い出そうとした私は、そういえばと右手の手のひらを広げた。
「ユーミーちゃんを持ち上げたとき、木くずでも刺さったのか痛みを感じて。でも、そこまで酷い怪我じゃあ――」
そう言って手のひらを見下ろした私は、血の気が引くのを感じた。私の手のひらには、紫色の痣があった。こんなところ打撲なんてしてないというのに。
「さ、さっき助けてもらったとき手をついたとかそういう……」
「違う、これは霊障だ」
柘植さんはそう言ったかと思うと、井戸まで歩いて行き、柄杓に水を汲んだ。それを手のひらにかけた瞬間、まるで熱湯をかけられたかのように痣が酷く痛んだ。
「っ……!」
「我慢しろ」
思わず声を上げそうになった私は、柘植さんの言葉に頷くと必死に声を堪え続けた。どれぐらいそうしていたか、随分と痛みがマシになったと思った頃には、手のひらの痣は少しだけ薄くなっていた。
それを見た瞬間、律真さんの手の中でユーミーちゃんが叫んだ。
「なんてことするのよ! その子は私が連れて行くのよ! 邪魔しないで!」
「うるさい、ちょっと黙り」
ユーミーちゃんの言葉は、私の胸に重くのしかかる。そうか、ユーミーちゃんは私を道づけにしようとしたんだ。そう思って改めてユーミーちゃんを見る。彼女は怒りと悲しみ、そして寂しさを抱えていた。
その悲しみは、いったいどこから来ているんだろう。知りたい。教えて欲しい。
「一人で逝くのが寂しいから、私を連れて行こうとしたの?」
「っ……そうよ! もう一人は嫌なの。私だけ誰にも愛されないのは嫌なの!」
私は想わず律真さんを見た。ユーミーちゃんをここに連れてきた律真さんなら、彼女の言葉の意味もわかるかもしれない。
私の視線に、律真さんは少し考えた後、口を開いた。
「この人形はな、最初の一体なんや」
「最初の?」
「ああ。試作品や。どこかに出荷されることもなく、会社にずっと飾られとった。みんな可愛がってくれても、誰かのための一体にはなれへんかったんや。その会社が今回潰れることになってな。あまりにも長いことおったこの人形をそのまま棄てるんは忍びない言うて――」
「うるさい! うるさい、うるさい!」
そう叫ぶとユーミーちゃんは律真さんの腕を振り払おうとめちゃくちゃに暴れた。律真さんは苦戦しながらも掴んだ手を離さない。
そんなユーミーちゃんの姿に、私は胸が痛むのを感じた。あの子はただ愛されたかっただけなのに。なのに、人の都合で誰にも愛されず、そしてまた人の都合でこの世から消されようとしてる。そんなの、辛すぎる。
「ユーミーちゃん」
「あ、あかんって」
「やめろ、明日菜」
「大丈夫です」
「大丈夫ちゃうって。今の明日菜ちゃんはこいつに呑み込まれやすいんやから」
柘植さんと律真さんは必死になって止める。でも、私はユーミーちゃんに手を伸ばした。この子を愛してあげられるのは、私だけだとそう思ったから。
「おいで」
「……どういうつもり」
「いいから、ほら」
両手を差し出すと、ユーミーちゃんは一瞬のためらいの後、私の胸に飛び込んだ。その小さな身体をギュッと抱きしめる。
「いいの? あんたのこと連れて行くわよ」
「それは困るなあ」
「またさっきみたいに飛び込ますわよ」
「大丈夫、そんなことになったら二人が止めてくれるから」
「あんた、いったいなんなのよ」
その声が震えていた。
「寂しかったよね。悲しかったよね。あなただって誰かに愛されるために作られたはずなのに、ずっと誰にも抱きしめてもらえなくて辛かったよね」
「そんな、こと……」
「大丈夫、もう一人じゃないよ。安心して、私はあなたのことが大好きだよ」
「っ……うっ……あ、あああっ!」
ユーミーちゃんは私の腕の中で泣き叫ぶ。私はその身体から涙が涸れるまでずっと抱きしめ続けた。
どれぐらいの時間が経ったか。ユーミーちゃんが私の腕の中で大人しくなった頃を見計らって、私は柘植さんに言った。
「この子、私が貰っちゃダメですか?」
「お前、正気か?」
「明日菜ちゃん、それはあかん。この人形の中には――」
「魂が入っているのはわかってます。でも、だからなんなんでしょう。魂が入ってる人形があっちゃダメなんですか? 私はこの子を愛してあげたい。大事にしてあげたい。そう思うんです」
「…………」
「ダメ、ですか?」
二人が私を心配してくれているのはわかってる。でも、それでも私はこの子のそばにいたかった。
たとえ、この仕事をクビになったとしても。
「これ以上止めたら、ここを辞めてでもその人形を連れていくって顔してるぞ」
「えっ」
「ったく」
柘植さんがため息を吐く。そんな柘植さんの腕を律真さんは慌てたように掴んだ。
「お、おい。お前、まさか」
「仕方ねえだろ。こんなやつでもうちの大事な従業員だ。それに、魂が入ったままの人形を野放しにできない。それなら目の届くところにいてくれる方がまだマシだ」
「それじゃあ!」
「その代わり、そいつも一緒に出勤すること。それから、お前もう少し俺の近くに引っ越してこい」
「は?」
柘植さんの提案に、私は間の抜けた声を出してしまう。だって、今なんて?
思わず柘植さんの隣にいた律真さんの方を見るけれど、同じように呆けた顔をしていた。
「あの、それはどういう」
「そいつが暴走したときに今みたく離れた場所にいられたら送魂しに行けないだろ」
「あ、そういう……」
「ビックリしたわ……」
引きつった笑いを浮かべる私たちに、柘植さんは怪訝そうな表情を向ける。そんな柘植さんに苦笑いしか出てこないけれど、それでも何かあれば助けてやると、そういう意味だと受け取って、私はムーミーちゃんに向き直った。
「ね、私と一緒にいよう? 今までの分も私がいっぱい愛してあげるから」
「……本当に? あなたは私のことを棄てない?」
「棄てないよ」
「絶対?」
「絶対! 約束する」
私の言葉に、ムーミーちゃんはふへっと恥ずかしそうにはにかんだ。その身体からはもうあの真っ青の悲しみに満ちた感情はなく、代わりに愛情と幸福で満ちたピンク色で覆われていた。




