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京都東山 送魂屋『無幻堂』 ~大切な人形の最期をお手伝いします~  作者: 望月くらげ
第六章:さよならと愛を知らないムーミーちゃん人形
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6-1

 マリオの一件から、私たちの距離はグッと縮まった――訳はなく、今まで通りの日々を過ごしていた。ただ少しだけ、柘植さんの態度が柔らかくなったような気がする。

 季節はいつの間にかすっかり秋めいて、街を歩くと金木犀のいい香りが漂う。無幻堂で働くようになってから、もうすぐ三ヶ月が経とうとしていた。

 この三ヶ月、楽しいことも辛いこともたくさんあった。でも、今ではこの送魂屋の仕事にも随分慣れたし、好きになった。このままここで働けたらと、そう思う。


「正社員になれるといいんだけど」


 ため息を吐きながら、いつものように京都河原町駅を降り、四条大橋を渡り私は無幻堂へと向かう。

 お店に着くと、入り口近くに見覚えのある車が止まっていた。このレクサスはたしか――。


「律真さん……?」

「当たりや」


 私の声に、お店の中から柘植さんのお兄さんである律真さんが顔を出した。いつもは荷物を宅配便で送ってくるから、こんなふうに直接律真さんがお店に来るのは私が働き出してからは初めてだ。何かあったのだろうか。


「どうかしたんですか?」

「うん? なんもあらへんよ。ただ、ちょっと用があったさかいに、ついでやと思って今日の分のを持ってきただけや」


 相変わらず着崩したスーツ姿にじゃらじゃらとしたネックレスをたくさんつけた律真さんが言うと、用事の内容を誤解しそうになる。

 そんな私に、律真さんはニッと笑った。


「今、なんや変なこと考えたやろ?」

「か、考えてないです」

「ほんまに? 明日菜ちゃん、意外とスケベやなぁ」

「ち、違いますって!」


 からかうように笑うと、律真さんは再びお店の中へと姿を消した。私もその後を慌てて追う。律真さんと話し込んでいる間にも時間は刻一刻と過ぎている。このままでは遅刻になってしまう。


「おはようございます」


 玄関で声をかけるけれど、いつもならすぐに出てきてくれる詩さんの姿もない。律真さんが持ってきたという荷物のせいで取り込んでいるのかもしれない。

 とにかく中に入らなくちゃ。

 靴を脱いで玄関を上がってすぐの部屋の襖を開ける。けれど、いつもならそこにいるはずの柘植さんの姿がなかった。律真さんもいないし、奥の部屋だろうか? それとも庭?

 ひとまず奥の部屋に行ってみよう。そう思い、奥の部屋へと続く廊下を歩く。途中、何かが落ちていることに気づいた。


「これって、ムーミーちゃん人形? 懐かしい!」


 それは、私が子どもの頃に流行ったムーミーちゃん人形だった。話しかけたら返事をし、夜が来たら眠る、お腹がすいたよおと甘えた声で訴えかけてくるムーミーちゃん人形はまるで本当の妹のようだと人気が爆発して一時は社会現象になったほどだった。

 ムーミーちゃん人形を見ると、買ってほしくて両親に頼み込んだけれどどうしても駄目だった幼少時代を思い出す。私が欲しいと言ったものを決して買ってくれることはなかった両親達、そんな苦い記憶を頭から必死に追い出す。


「それにしても、この子すっごく綺麗」


 普通、無幻堂に送られる人形やぬいぐるみは年季が入っていてどこか薄汚れていたり古びていることが多い。どれだけ大切に扱われていてたとしても、経年劣化には勝てないのだ。

 なのにこのムーミーちゃん人形は、まるでついさっきパッケージから出されたかのように綺麗だった。

 大事にされたのか、それとも誰にも手に取られなかったのか。後者だとしたら、悲しい。


「……ちょっとだけ」


 小さい頃の私が、心の中で声を上げる。一度でいいからムーミーちゃん人形を抱っこしたかった、と。友達が連れて遊びに来ているのを見てとっても羨ましかった。あの頃の私の悲しかった思い出を、上書きしてあげたい。

 手を伸ばして拾い上げると、木くずでも刺さったのか指先にチクッとした痛みを感じた。でも、そんな些細なことは気にならないぐらい、目の前のムーミーちゃん人形のことしか考えられなかった。


「ムーミーちゃん」


 ギュッと抱きしめると、ムーミーちゃんは――私の耳元で返事をした。


「はぁい」


 その声に引き込まれるように、私の視界は真っ暗になった。



「おい」

「……あれ?」


 気が付いたのは、いつの間にか目の前に立っていた柘植さんの声でだった。


「私、何を」

「突っ立ったまま寝てたぞ」

「嘘!? そんなことって」


 でも、たしかにこの数分の記憶がない。律真さんとお店の前で話して、柘植さんがへやにいなかったから探しに行こうとして、それで――。

 駄目だ、思い出せない。本当に寝てたのかもしれない。


「す、すみません」

「まあいい。ところで今日の仕事だが――」


 柘植さんが何かを話しているけれど、頭がボーッとして上手く理解できない。えっと、今日の仕事。そうだ、送魂。送魂。送魂――なんて、したくない。


「柘植さん、すみません」

「どうした?」

「私やっぱりこの仕事向いてないみたいです」

「明日菜?」


 頭の中に靄がかかったみたいで、自分が口にしていることの意味もよくわからない。でも、一秒でも早くこの場所から離れなければいけないと、誰かが囁いていた。でも、それが誰だか今の私にはわからない。


「今までお世話になりました」


 まるで勝手に口が動いているようだ。頭を下げると、私は無幻堂をあとにした。

 ああ、足下がふわふわしていて変な感じだ。そもそも私は何をやってるんだろう。無幻堂を辞めようなんて、一度も思ったことなかったのに。

 でもどうしてか足は私を無幻堂から引き離す。私の身体なのに、私じゃないみたいな感覚が気持ち悪い。

 駅から出てくる人の波に逆らって私は京都河原町駅の改札を通り抜ける。そして階段を降りて一号線へと向かった。

 たまたま先の電車が行ったあとだったのか、ホームに人の姿はなかった。私はこのあとくる特急大阪梅田行きに乗るためにホームの一番手前に立った。

 ホームに電車が入ってくるというアナウンスが聞こえ、私はふいに視線を落とした。そこには鞄の中から私を見上げるムーミーちゃん人形の姿があった。

 次の瞬間、辺りで悲鳴が聞こえる。でも、その悲鳴がどこか遠くで聞こえ、そして力が抜けた。視界が揺れたのがわかった。そして私の身体はホームから線路へ向かって投げ出された――。


「明日菜!」


 私を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、腕を誰かに引っ張られた感覚とそれから凄い勢いで目の前を電車が通過していくのが見えた。

 気づけば私の身体は、誰かに抱きしめられていた。


「な、に、が……」

「大丈夫か!? 怪我はないか!?」

「つ、げさ……ん?」


 こんなふうに慌てている柘植さんを見るのは初めてだ。――ううん、違う。一度だけ、私がジローちゃん人形のせいで怪我をしたときもこんなふうに声を荒らげていたっけ。

 自分のことには無関心なのに、人のことには親身になるなんて、不思議な人だ。


「お前、今自分が何をしようとしたかわかってるのか!?」

「何って、え……私……っ」


 ようやく頭の中と視界がクリアになった私は、先程の出来事を思い出して――頭から血の気が引いた。

 私は今、電車に飛び込もうとして。ううん、飛び込んでた。柘植さんが腕を引っ張ってくれなかったら今頃。

 ようやく理解した自分の現状に身体が震える。いったいどうして私はそんな馬鹿なことをしてしまったのだろう。自分で自分がわからない。


「わ、たし……どう、して……」

「とにかく場所を変えるぞ」


 はっと周りを見回すと、辺りには人垣ができていた。飛び込み自殺だと思われたのか、駅員さんを呼ぶ声も聞こえる。

 私は柘植さんに腕を引かれるようにしてホームの隅にあったベンチへと移動した。

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