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私たちはできるだけ丁寧にジロウちゃんの残骸を集めて箱に詰め大峰さんのところをあとにした。さすがにあの場所ではお焚き上げをすることができなかったので、お店に戻ってからということになったのだ。
私は無言のまま隣を歩く柘植さんの姿を盗み見る。足手まといだった私のことを怒っているのだろうか。もう不要だと思われていたらどうしよう。今度口を開くときは、クビを――。
「おい」
「ごめんなさい! 何でもするんで、クビだけは勘弁してください! もっとお人形やぬいぐるみに入ってる魂のこと勉強しますし、今日みたいなヘマはしないので……!」
「何を言ってるだ?」
「だ、だってクビにするんじゃあ……」
「誰がそんなこと言った。そうじゃなくて、怪我はどうだ」
「怪我、ですか?」
すっかり忘れていた腕の傷を確認する。まだ薄らと跡は残っていたもののよく見ないとわからないぐらいには引いていた。
忘れてました、明るくそう言おうと思ったのに、私を見つめる柘植さんの瞳があまりにも真剣で、私は言葉に詰まりながらも頷いた。
「もう、大丈夫です」
「そうか、ならよかった。店に戻ってからもう一度処置をするが、少しでも体調におかしなところがあれば言え」
「はい……」
本当にいったいどうしたと言うのだろう。
理由はわからないけれど、いつもと違う柘植さんの態度は、どこか私を不安にさせた。
お店に戻った柘植さんは、ジロウちゃんのお焚き上げの前に私を呼んだ。
「腕を見せろ」
「は、はい」
「……こっちに来い」
庭へと連れて行かれたと思うと、奥にあった井戸から柄杓で水をくむ。そしてそれを私の腕に直接かけた。
「つ、冷たい!」
この季節、水がかかっても気持ちいいと思うことはあっても冷たくてビックリすることなんてないはずだ。なのに柘植さんにかけられた水は、まるで真冬の冷水のようにひんやりとしていた。
「我慢しろ」
「あら、明日菜。どうしたの?」
「……腕に傷を負った」
「大丈夫なの?」
柘植さんの言葉に、詩さんの声のトーンが変わったのがわかった。
「わからん。一応、その場で応急処置もした。今も聖水で洗い流した」
「そう。……明日菜、あなた身体に変なところは? 重さやしんどさ、息苦しさを感じたりはしていない?」
「は、はい。……あの、かすり傷程度だと思うんですけど」
「……普通の傷なら、ね。あなたがつけられた傷は、この世のものではないモノにつけられた傷よ。私たちはそれを霊障と呼ぶわ。それは普通の傷とは違うの」
「霊障……」
そういえば、柘植さんもそんなことを言っていた。でも、普通の傷じゃないってどういうこと?
けれど、二人の真剣な様子に聞けずにいると詩さんがため息を吐いたのがわかった。
「わからないって顔をしてるわね」
「うっ」
「ああいうモノにつけられた傷はそこからよからぬ力が入り込むことがあるの」
「よからぬ、力」
「そうよ。酷いときには魂の欠片が入り込んで身体を乗っ取ってしまうことすらあるわ」
「身体を……そんなこと」
ありえないと、口走りそうになり、けれど詩さんの目を見てやめた。その目は痛いぐらいに真剣だったから。
口ごもる私に詩さんは柘植さんの方を向く。そして柘植さんは――着物の襟に手をかけると、上半身をあらわにした。
「きゃっ!」
思わず目をそらそうとした――その瞬間、私の目に飛び込んできたのは胸から腹に書けて斜めに入った切り傷のような跡だった。ううん、切り傷というよりこれは。
「引っ掻き傷……?」
「ああ。お前のそれと同じ、この世のモノではないものにつけられた跡だ」
「そんな……!」
「もう何年も前のものだが薄れることも、消えることもない」
「どうして……」
ショックで身体がガタガタと震える。こんな大きい傷跡、だってこんなの。
「怖いか。怖いなら悪いことは言わない。もうこの仕事は辞め――」
「柘植さんが、無事でよかった……」
「なっ」
「本当に、よかった」
その場にへたり込んだ私を、柘植さんが呆れたように、そして詩さんは笑いながら見つめていた。
「あんた、いい度胸してるじゃない。自分の怪我よりも過去の悠真を心配するなんて」
「だ、だってそんな大きな怪我、無事でよかったって思うに決まってるじゃないですか!」
「だって、悠真」
「……馬鹿なやつ」
「似たようなもんでしょ」
詩さんの言葉に、柘植さんはそっぽを向いてはだけた着物を直す。私はというと、二人が何の話をしているのかいまいちわからず、でもなんとなく二人の感情と場の空気が穏やかになったことを感じてホッと息を吐き出した。
その日から、私は仕事に行くたびに柘植さんに傷口のチェックと体調の確認、そしてあの冷水を傷口にかけられた。
でもそのおかげかどんどん傷跡は薄くなり、週末が来る頃にはすっかりわからなくなっていた。
「あのお水、本当に凄いですね! こんなに綺麗に治るなんて!」
「馬鹿。あれが効くってことは、お前の受けた傷が霊障によるものだっていう証明みたいなもんだ。本当はこんなもん効かない方がいいんだ」
柘植さんの言葉に、私は疑問に思っていたことを尋ねた。
「柘植さんの胸についた傷跡は、このお水でも消えないんですか?」
「消えない」
その一言があまりにも重くて、私はそれ以上何も言えなくなる。触れるなと、そう言われてる気がして。
黙り込んでしまった私に、柘植さんは咳払いを一つすると思い出したかのように言った。
「お前、土日の予定は」
「明日は祇園祭へ行こうかと思ってます。本当は今日、仕事帰りに行こうかと思ってたんですが、もう疲れ果てて。帰って寝たいです」
山鉾巡行も見たいのだけれど、その日は屋台が出ていないらしいので断念した。屋台のない祭りなんて。NO祭りNO屋台!
それにしても、今日の仕事はハードだった。特に、逃げ出したハムスターのぬいぐるみを追いかけて庭中を探し回ったから。なんとかお店の敷地から出る前に見つけられて本当によかった。
ハムスターとの格闘を思い出しながらため息を吐いた私に、柘植さんは淡々とした口調で言う。
「そうか。んじゃ、その前にここに寄れ」
「……え?」
一瞬、言われている意味がわからなかった。でも、すぐに理解して、そしてドキッとした。もしかして、と思ったから。
でも、そんな期待を打ち砕くように柘植さんは何でもないように言う。
「それの消毒、休み中もした方がいいからな」
「あー、はい。わかりました」
ガッカリした自分に笑いそうになる。何を期待してたんだか。
そうだ、せっかくここに来るなら、詩さんを誘って行こう。たくさんの人が来るらしいし、猫と喋る人間が一人ぐらいいたってそこまで目立つことはないだろう。うん、そうしよう。
私は濡れた腕を拭きながら休みに思いを馳せた。