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京都東山 送魂屋『無幻堂』 ~大切な人形の最期をお手伝いします~  作者: 望月くらげ
第四章:祇園祭と腹話術人形のジロウちゃん
15/23

4-1

 季節はすっかり夏となり、盆地である京都は夏日を通り越して真夏日となる日も少なくない。七月の半ばでこんな気温なら、八月になればどうなるのか、頬を流れる汗を拭いながら不安になる。

 夏休みを迎えた京都は連日たくさんの人で賑わっていた。平日も休日も関係なく、それこそ朝早くの電車で京都に向かう人の姿を尻目に、私は無幻堂むげんどうへと向かう。

 突然会社を首になり、なんとか再就職してからもうすぐ一ヶ月。随分と京都の街にも仕事にも慣れてきた。


「あら、明日菜。おはよう。今日は早いのね」

「詩さん、おはようございます」


 先輩従業員の詩さんは、私が到着したときにはもうすでに仕事に取りかかっていた。昨日、あまりの多さに今日に回したぬいぐるみが何体かあると言っていたのでそれだろう。


「あ、こら!」


 逃げようとするウサギのぬいぐるみを口に咥えると、そのままいつもの奥の部屋へと戻っていく。真っ白な毛並み、ピンと立った耳、そして長い尻尾をゆらゆらと揺らしながら歩く姿はどこからどう見ても猫なのだけれど、当たり前のように喋る詩さんが何者なのか、今も私は知らない。出会った頃は気になったけれど、今は気にならなくなった。と、いうか見た目が猫でも喋っても詩さんは詩さんだから。


「おはようございます」

「……おはよう」


 玄関を入って右手の襖を開けると、そこには真っ黒の着物に深緑色の羽織を着た柘植さんの姿があった。柘植さんはいつものように落ち着いた真っ白の感情を纏いながら――あれ?


「何かあったんですか?」

「……あった」


 やっぱり。

 いつもは真っ白な柘植さんの感情に、灰色が混ざっているのが見えた。いったい何があったのか。もしかして、私が昨日の終わりにした送魂、あれに何か問題があったのかもしれない。昨日は、柘植寺から送られてきた人形の数が多くて、私も何体か送魂をしたのだけれど、最後の子は自分が不要になったことを受け入れられなくて、どうしても送魂されるのを嫌がっていた。根気よく話をして、なんとかあの世に送ったのだけれど、もしかしてあの子が戻ってきてしまったとか……?

 あり得る……。


「あ、あの。昨日の仕事、私何か失敗してましたか?」

「ん? ああ、そういうことじゃない」

「そうですか、よかったぁ」


 ホッと息を吐く。でも、私が失敗したのが原因じゃなければいったいどうしてこんなに気が重そうなのだろう?


「じゃあ、なにがあったんですか?」

「今日は外での仕事なんだが」

「あ、またどこか行くんですか? 私も行っていいですか?」

「……お前はこの時期の京都がどんなか知ってるのか?」


 柘植さんの言葉の意味がわからず思わず首をかしげる。

 この時期の京都って、京都はいつだって素敵な場所だし、確かに夏は暑いけれどそれは京都以外の場所だって多かれ少なかれ似たようなものだ。そんなに嫌がるような要素はないと思うけれど。


「まあ、行ったらわかる。今日は近いから歩いて行くぞ」

「近くってことは四条のあたりですか?」

「いや、八坂神社の近くだ」

「八坂さん! 私、春の八坂さんに一度行ってみたいんですよね。しだれ桜が綺麗だって前にテレビで見たことがあって。あー、今が春ならよかったのに」

「春だったらもっと大変なことになってるぞ。いや、今の時期は春よりもっと酷いか」


 ポツリと呟いた柘植さんの言葉の意味がわかるまで、そう時間はかからなかった。



 準備を終え、私たちが店を出る頃には午前十時を過ぎていた。あまり早い時間に依頼主のところに行くわけにもいかないから仕方がないのだけれどこの時間の京都、それも夏休み期間中の京都は――人、人、人で溢れていた。

 祇園に向かう道も、私たちの進行方向とは反対の四条大橋方面に向かう道も、歩道から溢れるんじゃないかと思うぐらいの人数が歩いている。


「す、すごいですね」

「今日はまだマシだ。これが祇園祭の宵山の前祭や山鉾巡行と重なってみろ。人間で身動きが取れなくなるぞ」

「…………」


 想像しただけでゾッとする。でも、山鉾巡行は一度ぐらい見てみたい気も。たとえば――。


「ちなみに、宵山の前祭は金曜と土曜、山鉾巡行は日曜だからな。行くなら勝手に行けよ」

「ま、まだ何も言ってないじゃないですか!」

「顔に書いてる。寂しけりゃあ詩でも連れて行ってこい」

「あ、それもいいですね」


 外を歩く分には詩さんと一緒でも別におかしくはない。お店には入れないけれど、まあそれは後日一人でくればいいことだし。


「外で詩に話しかけて変な目で見られないようにな」

「う……」


 その様子があまりにも容易に想像できて、苦笑いを浮かべることしかできない。けれど、一緒に行く友人もいないし、これは一人寂しく行くか諦めるかのどちらかしかないかもしれない。もしくは変な目で見られることを覚悟で詩さんと一緒に行くか。

 それにしても、京都は祇園祭の時期だったのか。どうりで七月に入った頃から人手が増えたと思った。

 よし、宵山は今週末らしいし、もう少し悩んでおこう。

 祇園祭のことは少し頭の片隅に追いやって、私たちは八坂神社までの道のりを人を避けつつ歩く。あまりの多さと暑さにクラクラするほどだ。

 ようやく人が少し落ち着いたかな、と思えたのは四条通を抜け、八坂神社西楼門前の交差点を渡り、左折した頃だった。ちなみに直進すると八坂神社、右折すると清水寺まで歩いて行けるらしく、たくさんの人がそのどちらに向かうのが見えた。


「こっちだ」


 依頼主の家は、八坂神社から少し歩いた場所にある雑貨屋さんの二階にあった。急な階段を上がると、その部屋に彼はいた。崩れ落ちかけた身体、かろうじて服だとわかる布、なのに、目だけはギョロッと私たちを見つめていた。


「ああ、こんにちは。あなたたちは誰ですか?」

「……これは」

「腹話術人形のジロウちゃんです」


 そう言って説明してくれたのは、下で雑貨屋さんを営んでいる大峰さん。年齢は柘植さんと同じぐらいかもう少し若いぐらいだろうか。彼が今回の依頼主だそうだ。


「本当にお手数をかけて申し訳ないです」

「やけにボロボロですが」


 少し離れたところからジロウちゃんを観察しながら、柘植さんは大峰さんに尋ねる。たしかに、部屋の入り口からでもわかるほどジロウちゃんはボロボロで、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。


「そうなんです。ここに来る前は広島で、その前は高知で子ども向けの玩具や雑貨を扱うお店をしていまして。その頃、友人に譲ってもらったジロウちゃんを看板息子としてお店に置いていたんですが子ども達に大人気で」

「ああ、それで」


 きっと放り投げられたり、引っ張られたりと雑に扱われたのだろう。服は何度も縫い直された跡があるけれど、今では修復不可能なぐらいにボロボロだ。手足も取れかかっていて、動かしてしまえば崩れ落ちてしまいそう。


「本来ならそちらにお持ちしなければいけないということはわかっていたのですが、この状態なので動かしてしまえばきっともう元には戻せないと思い。かといって、喋り続けているジロウちゃんを捨てることもできず。それならせめて、形が残っているうちに送ってやってもらえればと思ったんです」

「わかりました」

「や、やめてください! 僕をどうする気なんですか! こ、こっちに来ないで!」


 一歩踏み出そうとした柘植さんに、ジロウちゃんは赤い感情を纏う。警戒し恐れているようだ。柘植さんはどうするつもりなんだろう。このまま無理やり送魂してお焚き上げをしてしまうのだろうか。

 私はジロウちゃんをジッと見つめる。警戒や恐れの向こうにあるのは――悲しみだ。


「ねえ、どうしてそんなに悲しそうなの?」

「おい」

「だって、ジロウちゃん凄く辛そうだから」

「僕が、辛い? 何を言ってるんだか。僕の中にあるのはね怒りだ。僕を置いていったあいつに対する怒り。それしかない!」

「きゃっ」


 増幅された感情が部屋の物を巻き込んで辺りを吹き飛ばす。油断していた私の腕にも、部屋のどこかに落ちていたのかペーパーナイフのようなものが吹き飛んできて腕をかすめていった。


「おい、大丈夫か!?」

「は、はい。ちょっと切っただけなので」


 けれど、柘植さんは私の腕を掴むと引き寄せて目の前のドアを閉めた。

 傷自体は深くなさそうだけれど、引っ張られるとピリリと痛い。紙で指先を切ったときのような痛みが腕に走る。

 そんな私の傷口を、柘植さんはリュックから取り出した水で濡らしたハンカチを当てた。


「そ、そこまでしなくても大丈夫ですよ。かすり傷ですし」

「馬鹿野郎! ああいう奴らから受けた傷は、普通の傷とは違うんだ! きちんと手当しないと――」

「柘植さん……?」

「ちっ。もういい。今回の仕事は俺一人でやる。お前は店に戻ってろ」

「ど、どうしてですか!?」

「足手まといなんだよ」

「あっ」


 そう言ったかと思うと、柘植さんは一人でジロウちゃんのいた部屋へと戻っていく。ドアは閉められ、あとには私と大峰さんだけが残された。

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