3-4
「なあ、なんの用事があるか聞いてもええ?」
「あ、えっと」
「あ、やっぱなし。当てたるわ。お祓いやろ? それも人形の」
「え、ええ!? どうしてわかったんですか?」
「ほなって、手に女雛持ってるやん。こんなところをそんなもん持って歩いとるなんて、訳ありにしか思えへんからな」
ケラケラと笑うその人の言葉に、そういうことかと納得する。それにしてもこの人はいったい誰なんだろう。藁にもすがる思いでついてきたけれど変な人ではないのだろうか。
私は急に不安になる。外見で人を判断するのはよくないと思う。思うのだけれど、さすがにこの格好は……。
「なあ、今俺のことめっちゃ不審がってるやろ」
「え、そ、そんなことは」
「ほんまに?」
「……少しだけ」
「素直やなぁ」
その人はおかしそうに笑うと一枚の名刺を差し出した。そこには『何でも屋 柘植律真』と書かれていた。
「もしかして、柘植さんのお兄さん……?」
「ん? なんや、悠真の知り合いか? ほな、そのお姫さんもしかして昨日、俺が送ったやつか?」
「え、あ、はい! たぶんそうです! 今日の朝、お店に届いて! あの! この子の他の人形たちってまだお寺にありますか!?」
「え、ちょ、ちょっと待ちいや。他の雛人形って……あー」
心当たりがあったようで私と女雛は顔を見合わせる。よかった、これで会わせてあげることができる。あとは二体をまとめてお焚き上げすれば――。
「もうないわ」
「えええ!? ど、どうして!?」
「雛人形やろ? 昨日、悠真とこにお姫さんを送ってからお焚き上げに出してしもた」
「そ、そんなぁ」
「嘘、でしょ……」
律真さんの言葉に、女雛は深い悲しみに包まれていく。爽やかな風が吹いていた森の中は気づけば寒々しい風が吹き、空には黒雲が立ち込める。これは、いったい。
「あかん。暴走しかけとる」
「暴走?」
「感情のコントロールができひんくなっとるんや」
律真さんの言う『感情』という単語にもう一度女雛に視線を向ける。彼女の感情は深い青から真っ黒へと移り変わっていく。まるで空に立ち込める雲のように、どんどんと黒い感情が彼女を包んでいく。
「このままやと悪霊化するわ。その人形、こっちに寄越し」
「ど、どうするんですか?」
「――強制的に送る」
その言葉の意味はわからなかったけれど、女雛にとって望ましいものではない、そんな気がした。もしかしたら本人の気持ちとは関係なく、無理やりあの世に魂を送られてしまうのかもしれない。そんなの……。
「ダメです!」
「なんやって!?」
慌てて女雛を掴んだ私に、律真さんは驚いたような怒ったような表情を向ける。でも、女雛は言っていたから。別にあの世に逝くのが嫌なわけじゃない。男雛と一緒に逝けないのが嫌なんだって。なのにそんな女雛を無理やり送魂してしまうなんてどうしても納得できない。
「私は、ちゃんとこの子を送魂したいです!」
「何考えてるんや。そんな悠長なこと言うてたら手遅れになるわ」
「手遅れ」
「そうや。完全に魂が悪霊化したらもうあの世に逝くこともできひん。最終的には消滅さすしかなくなる。そうしたらもう二度とお姫さんは男雛に会われへんくなるんや。その方がいい言うんか!?」
「それは……」
そんなのいい訳ない。いい訳がない、けど……!
どうしていいかわからないまま女雛を抱きしめる。腕の中の女雛は泣いていた。泣き叫んでいた。苦しそうに、辛そうに。そんな女雛を強制的に送魂することが正しいと思えない。でも、このまま悪霊と化してしまうのも絶対にダメ。どうしたらいいの。
「っ……」
「それ以上、こいつをいじめてやるな」
「悠真?」
「柘植さん……」
「お前ら声ですぎ。寺まで聞こえて来たぞ」
そう言って現れた柘植さんは私の手の中の女雛と、それから空を見比べてため息を吐いた。
先程までよりも随分と黒雲が濃くなっている。なんの知識もない私でも、もう時間がないとわかるほど。
「柘植さん、どうしたら……!」
「いいから、そいつのことちゃんと持っとけ」
「悠真。どないするつもりや」
「俺が抑える。その間に、明日菜。お前が話をするんだ」
「私が……?」
名指しされた私は、思わず柘植さんを見つめる。そんな私に柘植さんは頷いた。お前なら大丈夫と言わんばかりに。
けれど、そんな私たちの間に割って入ると、律真さんは柘植さんにつかみかかった。
「おい、正気か? お嬢ちゃんにそないなことさせていけるんか?」
「ダメだったら俺がなんとかするさ」
「お前……」
柘植さんの言葉に律真さんは首を振ると、諦めたように肩をすくめる。
「何を言っても無駄そうやな。くっそ、無茶はしなや。……お嬢ちゃんもや」
「はい!」
「わかってる。それから、明日菜。これ」
「これ、は」
差し出されたものを見て、思わず息をのむ。
けれど、そんな私に構うことなく柘植さんはそれを女雛を持っているのとは逆の手に握らせた。
「燃えかすの中に残っていたそうだ」
「それって……」
最近読んだ経と関連の本の中に、そういえば雛人形の話が載っていたのを思い出す。そうだ、たしか京都の雛人形は――。
「持ってろ。絶対に役に立つ」
そう言ったかと思うと、柘植さんは手に数珠をつけ読経を始める。薄い唇からお経が唱えられるごとに、女雛の周りに漂っていた黒い感情が薄く、そして小さくなっていくのがわかる。
今なら、声が届くかもしれない。
「女雛! 私の声、聞こえる!?」
「…………」
「ねえ、聞いて! 男雛が先に逝っちゃって凄く悲しいかもしれない。ずっと一緒に逝きたいってそう逝ってたもんね。なのにそれを叶えてあげられなくてごめん! 本当にごめん! でもね、きっと男雛は今でも女雛が来るのを待ってると思うの。女雛が男雛を思うように、男雛も女雛のことを思ってるよ!」
「そんなの……わからないじゃない……」
柘植さんの読経が効いたのか、それまで全く話すことがなかった女雛が、私の言葉に反応してポツリと口を開いた。辺りに立ち込める黒雲は相変わらずだけれど、辺りの木々を揺らす風がほんの少しだけ弱くなったような気がした。
「わかるよ! ね、さっきの答え私わかったよ! 女雛って京雛だよね? 京都の雛人形が他の地域とは違うって話の答え! あなたは私たちから向かって左側、そして男雛は向かって右側に座ってた。そうでしょ!?」
「お、おい。お嬢ちゃん。そんなん今、なんの関係が」
「これが、お焚き上げの場所に残ってたって柘植さんから渡されました。最初は意味がわかんなかったけど、でも京雛の並びが私の知ってる雛人形と反対なら、この腕はきっとあなたに差しのばされたものだと思うの!」
私の手の中には、先程柘植さんから渡された男雛の右手があった。女雛の右側に男雛の位置が来る京雛では、男雛の右手は女雛のすぐそばにある。ずっと差し伸べ続けたその手は、最期の最期まで女雛を探し続けていたのかもしれない。もしくは、女雛が一人であの世に逝かなければならないことを心配に思って、こっちだよと手を取るためにこの世に未練として残ったのかもしれない。
「女雛、男雛があの世で待ってるよ。ね、この手を握りしめて男雛の元に逝こう?」
「っ……うっ……ううっ」
私は女雛の手のひらに、男雛の右手をそっと握らせる。ずっとそばにあった手を。届くことのなかった手を、ギュッと大事そうに抱きしめると女雛は大きな声で泣いて泣いて泣き続けて、そして涙を拭うと――小さく微笑んだ。
「そう、ね。私が逝ってあげなきゃあの人、ずっと待ってるかもしれないものね」
「女雛……」
「心配性だからこんなのをこっちに置いて行っちゃうなんて。こんなの残されたら、届けにいかないわけにいかないじゃない」
涙に濡れた女雛はキラキラと輝いて見える。
「それにね、あの人のことだからあの世に逝くと中の道で、迷子になってるかもしれないわ。あなたに負けず劣らずの方向音痴なんですから」
そう言うと、女雛は空を見上げ、そして――そのまま二度と動くことはなかった。
「……逝ったんか? 嘘やろ」
「凄いだろ、こいつ」
「凄いなんてもんやない。なんの力もない素人が送魂してしまうなんて」
動かなくなった女雛と、それから男雛の右手を持つ私を律真さんはまるで化け物か何かでもみるかのように見つめている。そんなに変なことをしたのだろうか。私はただ女雛と話をして、気持ちを伝えただけだ。少し人と違うところがあるとするなら、感情が色で見えるだけで。
そういえば、律真さんは柘植さんのお兄さんとのことだけれどこの人もやっぱり感情の色が上手く見えない。柘植さんほど真っ白かというとそうではないのだけれど、どこかもやがかかっているというか、ひょうひょうとしてつかみ所がない。
「まあ、ええわ。それお焚き上げするやろ? 寺の方に行こか。兄貴も待ってるやろし」
「お兄さんって、律真さんが柘植さんのお兄さんなんじゃないんですか?」
「俺も兄貴やで。寺におるんはうちの長男。慧真言うんや。俺は次男坊。んで、悠真が三男な」
「三人兄弟だったんですね」
「せやで。よう似とるやろ?」
律真さんの言葉に、思わず柘植さんと律真さんの顔を見比べる。まるで静と動、陰と陽のような二人。似てるかと言われると――。
「おい、明日菜を困らせるなよ」
「そもそもお嬢ちゃん、悠真とどないな関係や? まさか、彼女――」
「従業員です!」
「従業員だ」
ハモる私たちを律真さんはニヤニヤしながら見ている。どうしたらいいのかと困っていると、律真さんに背を向けて柘植さんが歩き出す。
「行くぞ、明日菜」
「あ、はい」
「ちょ、二人とも待ってや」
「あの……」
「いいから、放っておけ」
「酷いわぁ」
追いかけてくる律真さんを無視すると、柘植さんは無言のまま歩いて行く。そんな柘植さんの後ろ姿を追いかけながら、どこからか笑い声が聞こえた気がした。ふと手の中の女雛を見ると、もう中身はないはずなのに、心なしか楽しげなオレンジ色の感情が見える気がした。