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けれど、しばらく歩くとやはりと言うべきか分岐点がやってきた。そして困ったことにどちらにも立て札らしき物がない。
「案内の立て札ぐらい用意しておいてよお」
「こんなところで迷子になる人間なんていないからでしょ」
泣きそうになる私に女雛は冷たい一言をぶつける。
はぁとため息を吐いて辺りを見渡すけれど、目に入るのは生い茂る木ばかりで目的地のお寺は欠片も見えない。どうするべきか、このままここに止まってつげさんが見つけてくれるのを待つか、それとも勘で進むか。
「……進むか」
「馬鹿なの? ねえ、あなた馬鹿なの?」
「だって、このままここにいたっていつ見つけてもらえるかわからないし。それよりは少しでも進んでいれば、柘植さんに追いつくかもしれないし」
「進む方向が正解とは限らないじゃないの。私はここを動かないわよ」
「いいよ、なら私一人で行くから」
「あ、ちょっと待ちなさいよ。ねえ、待ちなさいってば!」
私は女雛の言葉を無視して、右手の道を歩き出した。別に何か確証があるわけじゃない。ただこっちの方がすこーしだけ道が整えられてて歩きやすそうだったから。決して左手の方に蜘蛛の巣があるのが見えたからではない。
「ねえ、待ちなさいって言ってるのが聞こえないの!?」
「なんでついてくるの? あそこで待ってるんじゃないの?」
「あなた一人で行くなんて心配だからついていってあげるだけよ」
「そんなこと言ってあそこで一人待ちたくなかったんでしょ」
憎まれ口を叩くけれど女雛は何も言わない。代わりに私の手の上に腰を下ろす。仕方なく私は女雛を手に持ったまま歩き続ける。途中、何度か分かれ道があったけれどそのたびに適当に進む。本当に適当に。
けれど十分歩いても十五分歩いても柘植さんの姿も、そしてお寺も見えてこない。
これはさすがに道を間違えたのではないか、女雛も私もお互いに思う。思うけれど、どちらも口に出さない。出したところで今更引き返せないのだ。引き返したとしてもどちらから来たのかわからないから。
「あっつい」
先程まで涼しかったはずなのに、今は嫌な汗が頬を伝う。さて、どうするべきか。このまま先に進み続けても柘植さんに出会える確証はない。どうにかして柘植さんに今いる場所を伝えられたら――。
「あっ!」
「な、なんですの?」
突然、声を上げた私に女雛が咎めるような声を出す。けれど、そんなことに構っていられなかった。私はリュックサックを下ろし、鞄の中を探る。たしかここに。
「あった!」
奥底の方に入っていたスマートフォンを私は取り出した。どこにいるかわからないとはいえ連絡を取ればすぐにわかる。どうして今までこれの存在を忘れていたのか。
意気揚々と取り出したスマートフォンの電源ボタンを押した。
けれど。
「つかない」
「だから、それはなんですと聞いてるんです!
「これはスマートフォンと言って遠く離れた人とも連絡を取ることができる機械なの。見たことない?」
「あるわけないでしょう。私たち雛人形は桃の節句の時期以外は箱の中にしまい込まれているのですから」
その口調にどこかもの悲しさを感じて女雛に視線を向ける。深い青色に囚われているかと思ったその感情は、以外にもピンク色で満ちていた。ピンクは幸福や愛情といった感情を表す色だ。人間の勝手で一年のうち長くても一ヶ月程度しか外に出られず、それ以外の期間は箱に閉じ込められ、押し入れにしまわれる。それなのにどうしてそんな色を出すことができるの?
「なに? 言いたいことがあるという表情を浮かべてますよ」
「あ、えっと。恨んでないの?」
「恨む? 何をです?」
「だから持ち主を。だって、他の人形やぬいぐるみは部屋に飾ってもらったり一緒に眠ったりしているのに、あなたたち雛人形は年に一度、一月足らずしか外に出してもらえないでしょ。なのにどうしてそんなに幸せそうなの?」
私の言葉に、女雛は馬鹿ねと言わんばかりに微笑んだ。
「当たり前でしょう。私たちはねお嬢さんの健やかなる成長を祈ってその家に呼ばれるの。そりゃあ出してもらえない期間は寂しいわ。それでも、年に一度、立派に成長したお嬢様と会えるのが何よりも楽しみなの。それにね、箱を開けて嬉しそうな顔を見たらそれまでの寂しさも全て吹き飛んでしまうわ」
「そっか」
「今だって別に逝くのが嫌なわけじゃないの。お嬢さんが嫁がれてもう何十年も経ったわ。私たちを飾ってくれる人もいなくなった。もう私の役目は終わったのよ。なら最期は長年一緒に連れ添った愛しいあの人と一緒に逝きたいと思うのが女心でしょう。あなたも女ならわかりますでしょう?」
「う、うん」
ここでわからないと言えば話が進まないと思い、頷いてごまかす。そんな私の返事に満足したのか、はたまたこれ以上言ったところで響かないと思われたのかは定かじゃないけれどそれ以上私に同意を求めてくることはなかった。
「と、いうことなので早く私をあの人の元に連れて行ってくださる?」
それができたら苦労はしない、と口走りそうになって慌てて堪える。とにかく、今は柘植さんと合流することが先決だ。きちんと戻れるか不安はあるけれど一度麓まで下りてコンビニでスマートフォンの充電器を買うか、地元の人に柘植寺の場所を聞くかしなければ。
「とりあえず、一度戻るね」
「そうしてくださいな」
ツンとした態度で言われ、私は苦笑いを浮かべながら元来た道を戻り始めた。シンとした森に響くのは鳥の鳴き声と木々のざわめきだけ。
神聖な、といえば聞こえはいいけれど人の声が聞こえない空間というのは妙に不気味だ。
「ねえ」
「なにかしら」
「何か話してよ」
「何かと言われましても」
少々無茶ぶりが過ぎたかとも思ったけれど、私の雑なお願いに女雛は少し考えるようなそぶりを見せたあと、何かを思いついたのかこちらを向いた。
「あなた、生まれは京ですの?」
「え、ううん。兵庫県だよ」
「そう。では、京都の雛人形とそれ以外の地域の雛人形で違うところがあるのをご存じ?」
「違うところ? 顔が違うとか人数が違うとか?」
「ふふ、不正解よ」
私の回答を女雛はおかしそうに笑う。いったい何が違うというのか。京都だろうが他の地方だろうが雛人形は雛人形だろうに。しばらく考えても答えがわからず、私は白旗を揚げることにした。
「降参。わからないから教えてくれる?」
「ふふ、それはね――」
「お、こないなところに可愛い子がおるなぁ」
「え?」
得意げに答えを言おうとする女雛に視線を向けていたせいで気づくのが遅れた。その声に慌てて顔をあげると私の目の前に、どこから現れたのか、金髪の男性が立ち塞がるかのように立っていた。その人は肩まで届きそうな金色の髪に、チェーンのネックレス、着崩したスーツと、山の中を歩くには似つかわしくない格好をしていた。
それにしてもさっきまで誰もいなかったはずなのに、どうして。ううん、そんなことよりも!
「あ、あの! 柘植寺ってご存じですか?」
背に腹はかえられない。私は目の前のその人の腕を掴むと、必死に尋ねた。
「柘植寺? あそこになんか用があるん?」
「私、柘植寺に行く途中で迷子になってしまって」
「おう、おう。可哀想に。ほな、俺が連れて行ったるわ」
ニッと笑うと、その人は反対に私の腕を掴み歩き出す。私は引きずられるようにしてあとを追いかけた。