3-1
夢幻堂で働くようになってから二週間が経った。普段のお仕事としては、送られてくる人形やぬいぐるみの魂抜きをして、一日の終わりにそれらをお焚き上げして完了という流れだった。
比較的小さなぬいぐるみたちは詩さんが、人形やぬいぐるみの中でも純太君のように魂が具現化し人の形を模したものに関しては柘植さんが対応している。
私はというと人型を模したぬいぐるみたちの話を聞いたり、お焚き上げの準備をしたりする日々だ。柘植さん曰く、人形の中に宿った魂は危険な状態になっているのも多いから私が対応するには危ないらしい。そうは言われてもいまいちピンとこないのは、ロアンのことを思い出してしまうから。
ロアンはまさに柘植さんの言う人形に宿った魂だったけれど、私たちと会話することもできたし、最後には心を通わすこともできたと思う。それなら、と思ってしまうのだけれど。
そんなことを考えていると、大量のぬいぐるみに押しつぶされそうになっている詩さんが私に声をかけた。
「明日菜、手が空いてたらこっちの子をお願いしてもいい?」
「はーい」
今日は朝から大忙しだった。私の出社とほぼ同時にやってきた宅配便のお兄さんが「今日は多いですよー」と思わず言ってしまうほどの量の段ボールが送られて来たのだ。
送り元は京都嵯峨野にある『柘植寺』と書かれていた。
そういえば嵯峨野ってどの辺りだったっけ、と考えながら私は詩さんの上に乗っかっているぬいぐるみを持ち上げると、指定された箱の中に入れた。ここに入っているのはすでに魂があの世に送られたあとのぬいぐるみたちだ。さっきまで動いていたそれらはすでに動かないただのぬいぐるみとなっていた。
「詩さんって凄いですよね」
「まあね。でもあたしにできるのはこういう小さい子たちだけだから。悔しいことに今の力じゃあこれ以上大きいのは相手にできないわ」
十数体はあるぬいぐるみたちの魂を一人であの世に送っているだけでも十分凄いと思うけれど、詩さんは不服そうだった。『今の力じゃあ』と言っていたから、以前はもっと力が強かったのかもしれない。でも……。
「気になる?」
「え?」
「前のあたしがどんなだったか」
ニヤッと笑われて、私は思わず頬を両手で押さえた。また顔に出てしまっていたのだろうか。
そんな私に詩さんはくっくっと喉を鳴らして笑った。
「あんたは素直ね。でも、まだ教えてあげない」
ウインク一つすると、詩さんは残りのぬいぐるみたちに向き直った。
猫にウインクされただけだというのに、あの色気はなんなのだろう。と、いうか詩さんは猫なのだろうか。普通の猫はウインクなんてしないし、そもそも猫は喋らない。ぬいぐるみや人形が喋るから猫が喋ることに対してもそこまで不思議に思わなかったのだけれど。
そういう疑問も、もっと仲良くなれば教えてもらえるのだろうか。ううん、仲良くと言うよりは、信頼されれば。
「頑張らなくちゃ」
「頑張ると決意を固めるのはいいが、さっさと仕事もしてくれないか」
「す、すみません」
柘植さんの声に慌てて頭を下げる。恐る恐る視線だけ上げると、そこには――雛人形があった。
「お雛様?」
「正しくは女雛だ」
「女雛?」
聞き覚えのない単語に首をかしげた。
「お内裏様とお雛様ですよね? ほら、有名な歌詞にもあるじゃないですか」
「あの歌詞のせいで間違った名前が広まったんだ。正しくは女雛と男雛。お前の言うお雛様とは雛飾り全てを指すし、お内裏様というのは男雛と女雛、二体を指す。内裏雛とか聞いたことないか?」
「へー! 知らなかったです」
「有名な話だぞ」
呆れたように言われたって知らないものは知らないのだから仕方がないじゃない。
とはいえ、柘植さんの口ぶりから一般常識のようなので覚えておこう。お雛様ってどうも縁がなかったせいで、いまいちよくわからないんだよね。
「で、その女雛がどうしてここにあるんですか? 三月はまだずっと先ですよ?」
「送魂以外に何の用があって俺がこいつを持ってると思うんだ」
今度こそ呆れかえっているのが手に取るようにわかる。と、いうかそれまで真っ白だった柘植さんの感情に灰色がかった色が混じったのが見えた。
せっかくの清々しいまでに綺麗な白色を私が汚してしまったみたいで、少しだけ申し訳なくなる。
謝るべきか、一瞬悩んだけれど私が口を開くよりも早く目の前の女雛が喋り出した。
「ですから、私は一人では逝かないと言っています」
「いや、だから」
「それに軽々しく持ち上げないでください。私に触れていいのはお嬢様だけです」
「お嬢様?」
そう言うと、女雛は柘植さんの手を離れる。落ちちゃう! と、思ったときにはすでにひらりと床に着地していた。
「よかったぁ」
「あなた、私が落ちるとでも思ったんですか? そんな無様な真似、するわけがないでしょう」
「つ、柘植さん。なんなんですか、この女雛。すっごく偉そうなんですけど」
静かに柘植さんの隣に移動すると、その耳にこっそりと耳打ちする。柘植さんは小さくため息を吐くと、口を開こうとするけれど、それより早く再び女雛が文句を言い出した。
「偉そうって失礼ね。あなたこそ何様です? 失礼にも程があるわ。兎に角、私はあの方がいらっしゃらないのに一人で逝ったりしませんわ。それが妻たる私の……私の……」
「あ、ちょ、ちょっと」
そこまで言うと女雛はさめざめと泣き始めた。怒りをぶつけられても困るけれど、こんな風に泣かれるのも困る。非常に困る。どうしたらいいかオロオロとしていると、柘植さんは深くため息を吐いて、女雛の着物を持つとひょいっとつまみ上げた。
「あ、ちょっと! 何をするのですか!」
「うるさい。さっさとあの世に送ってやる」
「嫌ー! やめて! あ、あなた! 助けなさい! 助けて!! 女ならわかるでしょう。愛する人を置いて一人で逝けない私の気持ちが!」
「えっ、私? えー……。す、すみません。私に言われてもいまいちよくわかんないです」
「嘘でしょう!?」
女雛はあり得ないとばかりに叫ぶ。そ、そんなに驚かれなきゃいけないことなのか。そりゃあ人がそういう思考をしていることを否定はしないけれど、私自身がそういう想いを抱いているかというと明確にノーなわけで。だって私の人生なのにどうして誰かのために生きたり死んだりしなければいけないのか。
「おい、そんなに真剣に悩むな」
「だ、だって」
「お前とこいつでは価値観が違う。それでいいだろ」
柘植さんの言葉に、どこか気持ちが楽になるのを感じる。当たり前のことなんだけど、でも自分を否定されるとどこか不安な気持ちになるのはどうしてだろう。
そんな私とは裏腹に、女雛はツンとした表情のままそっぽを向いた。
「で、その子どうするんですか? 一人ではあの世に逝かないって言ってますが。ちなみに、今男雛はどこに?」
「……どうするかな」
珍しく歯切れ悪く柘植さんは言う。そういえば、今ふと気づいたけれどいつも荷物が送られてくる柘植寺は柘植さんと同じ名前だ。たまたま、にしては珍しい名字だ。どういう関係があるのか気になるけれど、聞いてもいいのかわからない。どこまで踏み込んでいいのか。逆に私だって家族のこととか聞かれてもきっと曖昧に誤魔化してしまうと思うから。
「しゃあねえ。行くか」
「え、逝くんですか?」
「違うわ、阿呆。男雛はここにはない。あるのはうちの実家だ」
「実家、ですか」
思わず唾を飲み込んでしまう。それは今まさに聞かないでいようと思っていたことで。どう話を続けたものか、と悩んでいると私より先に柘植さんが口を開いた。
「……お前も行くか?」
「行ってもいいんですか?」
「好きにしろ」
好きにしろ、と言うけれど突き放した雰囲気でも嫌がってる様子でもない。感情もいつもと同じ真っ白のままだ。
「そ、それじゃあ一緒に行きたいです」
「じゃあ準備をしろ。……ああ、いつものお焚き上げの準備はいらないぞ」
先日のロアンのときに持って行ったリュックサックを準備しよう隣の部屋に向かう私の背中に柘植さんは言う。その言葉の意味がわからなくて振り返ると、柘植さんは少し嫌そうに言った。
「あっちにはうちでするよりも立派なのがあるからな」
その言葉の意味がわかるのはそう遠くなかった。