届いた通帳
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おっと、不在票がポストに入っているな。宛名からして、お得意さんに頼んでいた冊子類ってところか。つぶらやくん、悪いけど連絡して再配達の準備をお願いしてくれ。今日はもう、ずっとこちらにいるからってね。
いやあ、宅配便ていうのは便利だけど、怖いよねえ。だってさ、これを配って歩いている配達員の人って、私たちのいる場所をおおむね知っているってことだろ。たいていの人は仕事と割り切って、業務時間外になれば情報を頭からポイするとは思う。
それでも中には、これらをずっと覚えていて悪用する輩もいるんじゃなかろうかと、私は考えているんだ。
――何? さすがにもう、使い古されたネタだって。
ははは、参ったねえ。同じ人間が相手だ。自分に思いつくことなら、他の誰かが思いつくのも、また自然。だが口だけでなく、実際に形にすることは誰でもできることじゃない。
想い、鍛錬、辛抱が身を結んだ奇跡の姿。ベクトルに正邪の別さえあれど、注いだ熱量は並々ならぬものがあるだろう。それが評価されるかどうかは、世と時の運といったところか。
かくいう私も昔、宅配便を巡っておかしな体験をしたことがあるんだ。その時の話、聞いてみないかい?
まだ一人暮らしをしていた、大学生の頃だ。日曜日の午前中、自室でのんびりくつろいでいると、ここの敷地内へ車が入ってくる音がする。ひょいと窓から見ると、車体が横に長い。会社名はないものの、経験上ではこの手の車は宅配のもの
誰の荷物かなと思いつつも、ずっと見ているのも子供っぽい。窓から離れてごろりと横になっていると、ほどなく私の部屋のチャイムが鳴らされる音。荷物が届いた旨を伝える呼びかけも、ドア越しに響いてくる。
ここしばらくなかったことで、ボールペンがないかと辺りを漁りながら、差出人を想像してみる。応募したキャンペーンがいくつかあったし、それが当たったのなら儲けものだと、うきうきしていたっけね。
だが突き出されたのは、簡易書留でやってきた茶色い封筒。差出人に関しては、株式会社なんちゃらで、聞き覚えがあるようでないような……。
「こちらサインかハンコをお願いします」
宅配のお兄さんが、小さい紙を出してくる。私はそれを受け取り、開いたドアの背を下敷き代わりに、ささっと名字を書いて渡そうとした。
「ああ、いや。本名で書いてもらいたいです」
は? と簡易書留郵便の重要さを知らない当時の私は、宅配のお兄さんをにらみつけたね。これまでの宅配便では名字でサインすれば、ほいほいと受け取って終了のはず。
それがどうして今回はフルネームなんだ。署名集めじゃないんだぞ。明らかに名字と名前で筆跡が違うが、どうにか判別がつくような文字で記入。渡して封筒を受け取る。
宅配のお兄さんが去って行ったあと、私は封筒を手に取って振ってみる。手ごたえからして、銀行の預金通帳のようなものだと感じたね。
現代のように、インターネットで差出人の会社について手軽に調べる……なんてこともできない時期だ。中身を知らないまま捨て置くのも気味が悪く、私は指を封筒の閉じられた部分にあてがい、突っ込んでこじ開けていく。
予想していた通り、中身は通帳によく似た形状をした一冊だった。桃一色に染められた表紙、裏面、ともに文字の記載はなし。めくってみても最初から最後まで、自由帳と見まごうような白紙の中身が続いている。
開かない時よりも不気味な内容とは思わなかった。かといって下手に処分して、後から何か追及されても困る。どこかいい具合にしまえる場所はないものかと悩んだ結果、私は本棚の隅。棚と文庫本の間に挟み込んで、封筒の先っちょだけのぞかせる。
空き巣に入られたら一発アウトのずさんさだ。が、貧乏学生の一室を狙うくらいなら、もっと割のいいところを狙ってほしいものだ。
翌日。学校にいかねばならない休み明けは、なんとも気だるい。だが、そこは小心者な私。衝動に身を任せ、さぼろうなどという勇気は湧かない。だらだらと起き出して着替えを始める。
だが、今日は特に右足が痛い。筋肉痛のような張るような痛みというより、間隔のあいたピストン運動のようだ。極太のねじを太ももにゆっくりと差し込み、たっぷり沈んでから、またじわじわと引き抜いていく……。そんな感覚が、数分おきにやってくるんだ。
まったく歩けないわけじゃない。だがこの発作的な痛みがくると、ついどこかに寄りかかって休みたく思ってしまうほどだった。昨日の夜、休みだからといってめいっぱい晩酌をしたのが響いたのか、とその時は考えていた。講義中もこの痛みは待ってくれず、今ひとつ集中できない一日を過ごしてしまったよ。
それからというもの、何日かおきに身体のところどころに、同じような痛みが走るようになる。この発作、どうやら同じ日に二ヶ所以上が痛むことはないらしい。けれど、そこが私の身体であるならば、どこであっても例外はない。人前で押さえることがはばかられる、デリケートエリアに来た時は、もう色々と死にたい気分になったね。
そんな日々が一カ月以上経つと、もう私は朝に目を覚ますのが怖くなっていた。
起きてからの数十分間が、特に心臓に悪い。痛みが来るか来ないかで、天国と地獄。「今日は来ないかなあ」と安心しかけたところ、三十分後に脇の下へ激痛。それがまた数分おきにやってきて、ブルーな一日の幕開けという経験があったからだ。
あげて落とすのは、心を攻める常套手段。この痛みもそのあたりを十分にわきまえていたらしい。そして痛みのない日、というムチに対するアメを用意する点すらも。
だが、私には気にかかることがある。必修授業の一環で体育をする機会があった私だが、少しハッスルしすぎて転んでしまったんだ。その際、左ひじへ擦り傷を負ったんだが、そこから出る血に、違和感を覚えた。
皮膚から出たばかりこそ赤いものの、そこから拭った時にはもう、黄色く変色を初めている。それどころか、血というよりも食事に使う油に近い臭いが漂ったんだ。手当てを終えるまでのわずかな時間だったから、見間違いかもしれない。
だがそれは、数日後の異変に対する前触れだったのだろうね。
その日は痛みがなく、気持ちがとても楽だった。講義も早くに終わる日で、さっさと家に帰り、思う存分くつろごうと考えていたのさ。
荷物を置いて、ひとまずは読書からと本棚の一冊に指をかけたところで、茶色い封筒がはらりと落ちた。あの日から気味悪がって触っていなかったが、転がったそれを見て、私は顔が引きつるのが分かったよ。
血判、とでもいえばいいのかな。赤い指紋が、棚に挟まって見えなかった封筒の表面に、いくつも押されている。それはついたばかりと思わせるみずみずしさを持っていたが、本にも棚にも、この赤いものがこびりついている気配はない。しかも私が強引に破った部分から、例の桃色の通帳の端がのぞいていた。
私は通帳を開く。白紙だったそのページごとに、私の名前と身体の部位が示され、いずれも「お預かりしました」の文言が書いてある。字そのものも赤く、おそらくは封筒を汚したものと同じ。日付も添えられてあり、この通帳を受け取った翌日から点々と続いている。
何枚か見て、確信したよ。この日はいずれも、私が痛みを覚えた日だ。そして最近の日を見ると、痛んだ箇所こそが「お預かり」の対象になっている……。
そこまで考えて、また車がアパートの敷地内へ入ってきた。窓へ寄ると、またあの時の車だったが、今度は私が目を離す前に動きがある。
車が完全に止まらないうちから、アパート側に近い助手席のドアが開いた。出てきたのは、背中に大きい箱を背負った影。地面に四つん這いになって降り立つと、箱を乗せたまま、思いもかけない速さで、アパートの脇へ消えていく。
私の部屋のある棟、と思った時には、すでにチャイムを鳴らされていた。封筒を握ったまま出ると、あの日の宅配のお兄さんだ。両手に抱えるのは、見間違いでなければ、あの四つん這いの影が乗せていたもの。そういえば、あの影の格好も、どこかお兄さんに似ていたような。
「申し訳ございません、こちらで手違いがあったのに気づきましたので、返却いたします。中身のご確認を」
こちらの了承も待たず、真ん中でガムテープどめされた箱に、指を突き刺して開けていくお兄さん。私があの通帳の封筒を開けたのと同じだ。
あっという間にガムテープが切られ、おのずから開く箱の中身。そこには人の四肢と、梱包材と見まごうような形で詰められていた、臓器の姿があったんだ。いずれも保健の教科書で習った内容の形。
私が息を呑んだ、ほんのわずかな間でそれらはぱっと消え失せた。もうそこには、汚れひとつない大きな段ボールの箱が開いているのみ。
「あ、通帳をお持ちでしたら預かりますね。本来、お渡しするものじゃないんですよ」
お兄さんはその言葉半ばで、私の手からさっと封筒を取り上げる。もう一度、フルネームを書いてほしいといわれ、状況がよく呑み込めないままサイン。今回は何もいうことなくお兄さんも宅配の車も、帰っていってしまったよ。
それから、あの妙な痛みの発作はこなくなった。それから数十年をこうして暮らしたわけだが、このところ身体の節々が痛み出す。
そのたび、私は患部をマッサージしながら思うのさ。本当に私の身体を、「お預かり」する時が来たんじゃなかろうかとね。