第六十話 降りろ
我孫子と合流した伊織。二人と二羽が向かった先は屋上への道。
「おい!本当に屋上でいいんだな!」
前方を飛翔する烏……ではなく、頭上で寛ぐもう一羽の烏に向けて声をかける伊織。
「ダカラソウイッテイルダロウ!」
パシパシと、羽で自身の足元を叩く烏は不思議なことに人と意思疎通ができるようだ。それどころか人の言葉を巧みに操っている。
その光景に未だ慣れない我孫子は、引き笑いを浮かべながら伊織の数歩後ろを付いて歩く。
「先生、彼は……千草はどうなってしまったんですか」
これから向かう先に待ち受けているであろう八夜千草の異変について尋ねる。
「俺だってよくわかってねーよ。むしろお前の方が詳しいんじゃないか......っと」
口にしてからその言葉が無神経だった事を悟る伊織。苦々しく無意味に口を動かす。
「六道校長によって参華咒にもたらされた情報は【史上初の貸与による丕業】という事と【彼の過去にまつわる事件】という事実だけ……全容を知っているのは参華咒の当主と六道校長だけです」
目を伏せながらか細い声で答える我孫子。その様子は前を向いている伊織に伺えることではない。
「過去の話は一旦置いておく。本人がいねー場で詮索するような事じゃない。もう一つの……貸与ってのは、文字通り与えられたって解釈で良いのか」
「えぇ、なぜ六道校長がその事を知っているのかは分かりませんが、強く確信をもっているようでした。でないと参華咒の当主が対面で交渉に応じる筈がありませんから」
「貸与……ねぇ……」
伊織には少し心当たりがあった。
六本腕と鬼と遭遇した夜、千草と対馬、伊織の三人で焼肉屋に足を運んだあの時、当の本人が「頭の中で響く声と取引をした」と言っていた。
その声の主こそが貸し与えた張本人だったのだろう、という結論に至ると同時に不穏な考えが頭を掠めた。
(夜辺亡と似ている……なんて、皮肉なもんだ)
空虚を体現した鼠色の頭髪、そしてその頭髪と同色の片眼。
疑問一つ一つに対して答えを用意できるわけがない。
垣間見える根の動きに千草の顔を思い出し、一刻も早く屋上へ向かうべきだと決意する。
「俺が言い出しといてなんだが……机上の空論で安堵を得るより、とっとと本人の口から聞きゃーいいか」
全力で駆けていた足が速度を落とす事なく階段を上る。我孫子も負けじと更に速度を上げる。
「モウスグダ!トビラノサキ!オクジョウニコンゲンガヒソンデイル!」
最後の段に足を着け、普段より大きな次歩で屋上と室内を分ける階段の前へ迫る。
「八夜!」
「千草!!」
錆がつき、年季の入った重い扉を開きながら求めた人物を口にする二人。
生ぬるいブヨブヨとした質感を伴った風が身を捉え、服を、髪を持ち上げる。
遂に屋上へとたどり着いた二人の眼前にあったのは、恐ろしい程に質量を伴った繭のようなもの。
硬質な骨が筋となり球形を形作る。一本の骨から幾重にも管のようなものが伸びており、近くにある骨と複雑に絡み合っている。
――蜘蛛の巣を太く頑丈にして手で丸め込んだよう。と形容できそうな繭は、確かに今尸高校を雁字搦めにしている根の根源と言えるだろう。
ここ以外には無いと視界に入れた二人には直感で理解できた。
「……コトバガミアタラネーヨ」
始めに声をあげたのは、伊織の頭から繭を凝視している烏であった。
「ヒトノリョウイキカラハズレテイル……カミノチカラダ」
見つめる三つの眼球が忙しなく動き懸命に情報を取り入れようと活動する。
「バカ言え……俺の生徒だ」
開いた口を塞ぐようにタバコを口にくわえる伊織。口から漏れる紫煙は繭よりも高い位置まで伸び、行方をくらます。
「そんな……こんな事が……だってさっきまでまだ人の型を保っていた筈……私が殺さなかった……から、だとでもいうのかい……千草」
虚ろな目で繭に近づく我孫子。
伊織はその行動に歯を食いしばりながら止めに入った。
「まて、迂闊に寄るな」
我孫子も伊織の表情を見て、瞑目しつつ足を止める。
「八夜!聞こえるか!怪我してるかどうかなんて分かんねーけどよ、お前は無事なのか!」
隣にいた我孫子が耳を塞ぐほどの音量で繭に問いかけるが、灰色をした繭はピクリとも動きを見せない。
すると、繭の上に潜んでいた何かが代わりのように声を返した。
「あれあれあれ……君は......我孫子さんじゃないですか!」
あぐらをかきながら、パシパシと繭を叩くのは、体育館で根によって押し潰されたはずの土師ノであった。
「お前……そこから降りろよ」
怒気を孕んだ低い声で伊織が、感情を押さえつける様に口にする。
「あれあれ!毎度毎度自分だけが生き残っちゃう可哀想な先生じゃないですか!いやぁお会い出来て光栄だなぁ」
心の底から嬉しく思っているのだろう。破顔した顔が紅潮しているのを我孫子は見逃さなかった。
「だから、【降りろ】って」
「オリロヨ!」
土師ノの後頭部に一羽のカラスが高速でぶつかる。
ぶつかった烏は落ちゆく土師ノをあざわらすようにその場で旋回する。
勢い余った土師ノは、前のめりになりながら屋上のコンクリートと熱い接吻を果たす。
「ばがぁ!!!!!!」
骨に響くような鈍い音と、彼の口から咄嗟に出た音が重なる。
「て、てめぇ!血が出たじゃねぇか……ぁぁぁあああああ!!」
突然人が変わったように、取り乱す土師ノ。
「降りろって意味が分かってねーようだからな。体に教え込んだんだよ」
「体罰肯定派かぁ!?今日日流行んねーんだよ!時代遅れのクソ教師が!」
「教え子と自分には甘い主義なんだよ」
愉快げに口の端を持ち上げ紫煙を吐く伊織と、止まらない鼻血を拭う土師ノが詰め寄る。
互いの鼻息が感じられる程距離を積めると、共に戦闘態勢に入る。
「お前の言う通り、やっぱ幸福と不幸は同数に収束するんだな。運命の人と出会えたと思ったらこれだ……まぁいいさ。こんな運命、僕ら自身の手でねじ切って見せよう。【吐故幽隠落】」
「ハッ......その運命、塗り潰してやるよ【八咫烏】」
黒と影が屋上に蔓延る様を、我孫子はただ眺めることしか出来なかった。




