第五話 邂逅
しばし幸福に揺蕩っていた。
淡い光に包まれた空間に、数人集っている。
その光によって輪郭はおぼろげであったが、それは間違いなく死んだ両親と、姉と祖母であると確信できた。その輪に、幼き頃の自分もいた。皮肉にも自分の姿形だけはしっかりと目に映っていた。
では今こうしてこの幸せな光景を目の当たりにしている俺は誰なんだ。やはり俺は先ほどの巨大な蚕に殺されたのか。自身の危機に駆け付けた、あのクラスの人気者は俺の都合のいい幻想であったのか。
そんな観測が頭を占領していると、ふと、その光景が黒く、黒く塗りつぶされ始めた。幸せな顔をしている自身と最愛の人たちはその顔を崩すことなく黒に飲み込まれようとしていた。
―-やめろ......やめてくれ!俺からそれだけは奪わないでくれ!それしか、もう持ってないんだ......
「本当に、そうなのか?貴様は本当にそう思っていたのか?だとすれば、つくづくどうしようもない奴だ」
頭蓋に響く快活な、けれどノイズ混じりの男の声が聞こえた。
「あの日から見続けていたが、お前はただ......そう、悲劇に酔いたいだけではないのか。度し難い。度し難いが......私も、とやかく言える立場ではないな」
その声の主と思われる人物は、塗りつぶされた黒から、姿を見せた。
この男の輪郭もどこかはっきりとしない、影のようなものであったが、痩せぎすの長身であることはわかった。
許せ、という割にはそんな殊勝な態度は全く見て取れない。むしろ、堂々と、さも舞台上でスポットライトを受ける主役のようであった。
「この邂逅で、お前はその身を変質せざるをえなくなった。あの日からこの数年間、何事もなく暮らしていたことのほうが驚きではあったが。さぁ、賽は投げられた!出る目は全て虚無だ!お前が記せ、自身の理念によって」
両手を大きく広げ、芝居がかったセリフを吐き、その男は黒に溶けた。
消えゆく最後に、少しだけ目線が合った。時間にして刹那、その男の左目は、灰色だった――
* *
目が覚めたとき、まず目に入ったのは姉の姿だった。意識を失ったまま来客用の椅子に腰をかけていたようだ。病室を後にしてからどれぐらいの時間が経ったのかわからないが、穏やかに呼吸を繰り返し寝入っている姉の姿に一先ずは安堵した。
「良かった。八夜、目が覚めたみたいだな。さっき目を抑えてうずくまっていたがもう平気なのか?」
「あ、あぁ。今のところは。それよりも、さっきは助かった......実際、俺は、死ぬものと思っていた。あの場で」
俺の返答に満足げにうなずき、自身の柔らかな髪をくしゃり、と掻く。
「まぁでも実際危なかった。もう少し遅かったら、八夜もあの人たちと同じ末路を辿っていた筈だ」
「そうだ、あの人たちは!あの蚕について教えてくれ!」
そういうと、一転し困ったような顔を浮かべる阿南。
「あぁ、そのことなんだが......」
言い淀む阿南の後ろから、阿南とは別の人物が声を発す。
「そこら辺の話は、俺がしてやる」
常闇の髪を伸ばし、くたくたの白シャツにジーパンという、出会った当初と全く変わらない姿で、クラスの担任である伊織は現れた。
「先生?なんでここに......」
「おう、そこそこ元気そうじゃねーか八夜。とりあえず場所を変えるぞ。煙草が吸えねぇ」
ものぐさそうに見えて、意外と生徒を見ているのか。
それだけ言うと伊織は病室を抜け出した。おそらく外の喫煙所に向かったのだろう。
「と、言うわけなんだ。先生についていこう」
そう言う阿南に渋々ついて、病院の外を目指して歩を進めた。




