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命色ノ贄  作者: 卯ノ花 腐(くたし)
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第五十五話 虫のいい話

 死体の影から底抜けに明るい声が出てきた。自分でも可笑しなことを言っている事は理解している。


「いやぁ、今この人を君らに暴露ばらされるのは面白くないからさぁ!」

 

 ズルズルッと影が伸びて、そこから人が這い出てくる。真っ黒い液体を身体に纏わせた人の形をした何者かが、目の前で大きく伸びをした。


 影から出てきた人間の顔に、見覚えがあった。


「躯高校の土師ノ君......よね?」


 中肉中背、襟足は短く切り剃られているが、前髪が顎のあたりまで伸びきっている。いつかの朝礼で、舞台袖から見ていた顔と一致する。その時と違う所があるとすれば、躯の制服を身に着けておらず、白のカッターシャツを着ているというところぐらいかしら。けど、その白いシャツに夥しい血がこびり付いている。嫌な予感がする。


「あなた、そんな喋るタイプの人間だったのね。まぁそれは今置いておくとして、退いてくれないかしら?そのガスマスクは危険よ」


 土師ノ君はちらりと足元のガスマスクに目を向ける。息も絶え絶えであと数分もすれば死ぬだろう。けど、確実にこの手で殺さないと、不安だ。


 すると、ニコニコとお気に入りのおもちゃを手にしたような純粋無垢な赤子の様な笑顔で、彼は口を開いた。


「だーかーら。尸にこの子を取られるのは困るんだよね。巴さんってさ、今まで彼氏できた事ある?」


 突然意味の分からない質問を投げかけられた。


「......え?」


「いや、言わなくていいよ!うんうん!分かっている!!細くとも芯の通った身体、体幹がしっかりしているね、くびれもある。胸は......まぁ及第点だ。太ももが細いのは減点だが何より顔が良い......総合的に評価して、君は今まで出会った女性の中で一番理想に近い!だから、君にとっての理想も僕に違いない!この日の為に純潔のままでいてくれたんだろう?だから、何も言わなくていい」


 心の底から疑いもなく、完結している。奇人だ。まさかここまでぶっ飛んでいる人間だとは思いもよらなかった。


「気持ち悪いわね。ほぼほぼ初対面の相手にそんな事言ったって虚しいだけじゃない?」


「虚しい?ハハハ!運命の相手に何を言うんだ。いいかい?」

 見計らってガスマスクの息の根を止めようと、そっと右の掌を向けようとした途端、気が付けば彼にその手を握られていた。


 よく見ると、ガスマスクは地に飲み込まれるようにずぶずぶと黒の沼に沈んでいる。一手遅かった!


「地球は回る。地球が回ると、運命が回る。運命が回ると金が回る。この世は循環さ。永続的なループの中で如何にして自身を見つけられるか。理想の相手を見つけられるか。それが生ではないかと僕は常々思っているんだ。幸福と絶望は同数に収束する。マイナスはいつかはプラスになって、プラスは絶対にマイナスになる。どうしようもない世界の中で君と出会えたことは、かなりの幸福だ!僕は今幸福なんだ!それってつまり、誰かが不幸という事だ。嘆かわしいね」


 彼の触れている部分に丕業――芙拖口(ふたくち)――を発現させる。


「女の子をエスコートするつもりなら、残念ね。赤点よ」


 掴まれていた右手首が大仰に口を開く。触れていた彼の皮膚を食い破ると鮮血が飛び出し、赤い花が咲く。


「ぐッ!?」


 油断していたからか、自身を守ることをせずに食い取られた手を摩りながら後退する。



「ハハハ!いやぁ、運命の相手に食われるならそれも一興だなぁ、あはは」

 痛みをそっちのけで、食われた部分に頬ずりし、どこかうっとりした表情で息を荒げている。どうしようかしら、ものすごくこの場から離れたい。



「ガスマスク......いえ、錆び付きがあなたの手に渡った以上、あなたは敵になったわけだけれど、一つ質問良いかしら?」


「うんうん、勿論いいとも。君に対して閉ざすべき扉を僕は持っていない。なんでも聞いてくれ。知っている範囲で答えよう」


 尚も嬉しそうに首を縦に揺らし、私の次の言葉を待っている。


「......あなた、誰の味方なの?躯?それとも夜辺?いまいち、行動に整合性が見られない」



 黙することもなく、堂々たる態度で彼は、その細い口を開いた。


()()()()さ」


 金、金......。だとすれば、躯側ということ?分からない。そのままの意味で受け取るのもあやしい気がする。要領を得ないわね、この変人は。


「さっきから言っているが、()()()()()()()()()()。つまり、金の回るところには運命が回っているんだ。莫大な金は、数多の運命を握る。だから、僕は金の味方さ。現にこうして君と出会えたわけだしね。任務のせいでここに来てからすぐには君に会えなかったけれど、こうして出会えたわけだ。収束したね」


「抽象的すぎるのは、あまり好きじゃないのよ」

 まずは、行動不能にしてからじっくりと聞く。その方が早そうだと思い、再度体育館の床に丕業を放つ。




芙拖口(ふたくち)!」

 ぴたりと閉じられていた床に無数の穴が開く。獲物を前にお預けを食らった肉食獣の様に獰猛に口を開閉する。


「巴さんの丕業ってフタクチっていうんだ、なんだか可愛らしい響きだねぇ。君のその鋭利さすら感じる美の象徴、口からフタクチと放たれるそのギャップ。好きだ!」


「!?」

 

 一陣の風が髪を乱す。少しばかり視界が私の髪で遮られ、また開かれる。

 すると私の丕業に満ちていた床は遍く闇に覆われていた。黒一面の床下は、私の丕業を上塗りにし、照明で照らされている私の影をも飲み干した。


「さぁ、もういいかな?時間も押してきた。君を連れ帰るのは多分ダメなんだろうけど知ったことかよ。さぁ、巴さん、帰ったらゆっくり互いの秘密を解き明かそう」


 まるで、底なし沼に落とされたように沈む。ゆっくりと、だけど確実に身が沈んでいる。掴まるべきものはこの場のどこにもない。


 数秒でもう太もも辺りまで沈んでしまった。もがくほどにその速度は加速する。観念して静寂を保ち、ただ彼を睨み付ける。それだけしかできない自分を、酷く憐れに思った。


 それすらも虚しくなって、ただただ上を見上げる。いつかの時打ち上げられたバレーボールが天井と照明の間で挟まっていた。きっとあのボールはもう誰の手にも渡ることは無いのだろう。自然に落ちてくるのをただ待つばかり。まるで今の私だ。





* *





 今朝、私と、白間君、観月君、そして伊織先生が阿南君に呼ばれた。周防君も呼ばれていたそうだけれどこの場に姿を現さなかった。彼はそういった所がある。誰にも気付かれないように、陰で暗躍するのは一年の頃から変わらない。


 阿南君は生徒会室に私たちが集まると、何も言わずただ頭を下げた。


「俺、先輩たちに隠していた事があります」

 ゆっくりと顔を上げ、彼が最初に放った言葉。



 それから、彼のこれまでの事を聞かされた。勿論、六道校長についても。

 私はあの校長とあまり折り合いが良くなかった。けれど私は生徒会長で、この学校で模範的な生徒でなくちゃいけない。率先して死蟲を食べてきた。けれど、校長はそんな私を兵器か何かの様に扱っていた。いや、そう感じていた。


 そんな私と校長の間を取り持ってくれていたのはいつも教頭先生だった。彼はあまり生徒から好かれてはいない様に思える。口うるさいし、規律に厳しいからだ。けれどそれは彼なりに生徒たちを思っての事だろうと、私は確信していた。



 彼の話が終わった。時計を見ると八時三十分。丁度、各クラスでホームルームが始まる時間だ。




 すると、部屋の隅から隅まで一瞬、うねる様な光の波が走った。


「これ......周防先輩の。きてんすか?この部屋に」

 白間君が、辺りを見回して周防君の姿を探している。


「ちげぇな......。この範囲、恐らく学校中をあいつ覆ってやがる」

 一瞬だけであったが、そのわずかな時間で何かを理解したのか、苦々しい顔をして伊織先生が煙と共に口を開いた。「頼りになりすぎる生徒ばっかりで、俺のいる価値あるのかよ」と愚痴のようなものも、ついでにこぼしていた。





「今日、千草が攫われます」

 阿南君のその言葉で、皆、一様に黙る。さっきも話で出ていたから知っていた事だが、改めて、彼の口から言葉にされた。


 握りしめた手が汗ばんでいる。震えている。心中は様々な葛藤があるのだろう。もっと早くに知ればよかったと、どうして八夜君なのかと。

 その計画の立案者が自身の師であり、この学校の校長であるというのも彼には大きな問題なのだろう。少しでもその苦悩を私たちで分散できればどれほど良かったか。阿南君はあまりに大きな問題を抱え込んでいる。この話をするのだって辛かったはずだ。



「いつ攫われるのかを俺は知らなかった。けど、いつかは攫われるという事実は分かっていた。分かっていて俺は......俺は黙っていた。虫のいい話だとは思います。先輩たちに無茶を頼んでいるのも分かっています。けど、お願いです」



「千草を助けるために、手を貸してください!!」

 また、頭を下げた。





「生徒が困ってんだ、言われるまでもねーよ。それに俺だってあの校長が何か企んでいるのを分かっていたのにどうすることも出来なかった。生徒会のメンバーである八夜は助ける。俺らでな」

 煙草の火を消すと、胸ポケットにしまっていた吸い殻入れにしまう。


「無論、お前も生徒会のメンバーだ。お前も助ける」

 

 無邪気な、幼い子供の様な笑顔で、阿南君をも救うと言った。

 


「阿南一年、外に出ている残りのメンバーを呼んでいる。間に合うかどうかは分からないが多いに越したことはないだろう」

 そういうと観月君はスマートフォンを片手に部屋を飛び出していった。


 各々が動き出す中で、私は立ち呆けていた。


 私は、何を言ってあげたらいいのだろう。少し考えあぐねていると、目線があった。やるせなくて、不安で、怯えがそこにはあった。


「会長......すいません、勝手ばかりで」

 その顔をみて、私が何を言いたいか、言うべきかに確信が持てた。



「阿南君、私はね、今のこの生徒会を気に入っているの。白間君が馬鹿やって、周防君が辰巳君を茶化して、紫吹さんがそれをみて笑って。観月君は我関せずって感じだけどいつも傍に居てくれる。ダルそうにしている大御門君も。伊織先生もどれだけ忙しくてもここに顔を出してくれる。その中にね......」


 これまでの生徒会室でのやり取りが鮮明によみがえる。狭いこの部屋で隣の人と肩を寄せ合い冗談を言っている。死蟲との殺し合いの中で私たちが安息を、帰りたいと思える場所で。


「その中に、君たちはもう居るの。阿南君も八夜君もこの狭い部屋に。精神が摩耗してしまっても、誰かが癒してくれる。怪我を負っても渚ちゃんが助けてくれる。ここは、居ても良い場所なの。当たり前の様な顔をして、ここでまた集まりましょう」





 彼らの問題を、他人が解決してはならない。だから、私は解決した後でどうにか手を差し伸べてあげたい。私に出来るのは多分、それぐらいのちっぽけな事だけだから――


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