第三十九話 ミタモノ
八夜君との付き合いはそうあったわけでもない。グループでの行動が授業にあった時、友達も少なくあぶれていた僕とたまたま同じグループになっただけだ。
その時の班は僕と八夜君と、あと強引に阿南君も入ってきた。そしてその阿南君に連れ添って山江さんと三浦さんも入ってきた。
彼らと組みたい人なんて沢山いただろうに、わざわざ余り物の僕たちのところまで来たんだ。
グループでの授業はたったの二回程だったため、そこまで班員と仲良くなったわけじゃない。それぞれの役割通りに調べてきた内容を一つにまとめるだけの授業だったから。まだ四月の頃の話で、互いに互いを探っていた、新学期特有のアレだ。
けれど、そんな僅かな時間だったけれど分かったこともある。
八夜千草という少年は周りをよく見ている。観察しているといった方が良いのかもしれない。どこか俯瞰的に物事を見ている様だった。
班員が会話をする様、誰がどのように動くかなどを逐一と目で追っていた。
気にならなかったと言えば嘘になる。けれどその授業はたった二回程しかなく、それ以来彼と話すタイミングはなくなってしまった。
いや、あるにはあったんだろう。けれど僕はあまり自分から話に行くことが得意ではなく、そのタイミングを悉く無駄に過ごしてきたんだ。
そうして初夏になった。その日もいつもの様に登校して、自分の机に座り、いつもの様に本を読んでいた。すると、山江さんと三浦さんが登校してきた。彼女たちはいつも一緒に居て、本当に仲が良い様子だった。そんな当たり前の日常が始まろうとした時、僕はその日常に違和感を覚えた。登校してきた三浦さんの背中に靄の様に不定形な何かがくっついていた。
初めは目にゴミでも入ったのかもなんて思って何度も目を凝らしてみたけれど、やはりその不定形な何かは、三浦さんの背中に居た。
そうしてそれが蠅の頭をした人の姿だと認知できたのは、彼女が僕の前の席に座った時だった。
爺さんにそのことを話すと、よくわからない単語を聞かされた。丕業、死蟲。爺さんは少し嬉しそうな顔を浮かべたけれど、それもすぐに渋い表情に変わった。
そんな爺さんに生徒会の人間にあてはあるか、と聞かれた。勿論心当たりなんてなかったけれど、最近八夜君が生徒会に入ったことを思い出した。
これはチャンスだと思った。話すきっかけにもなる、と。
タイミングを伺いつつ、三浦さんの背中を観察する日々が一週間ほど続いた。
ある日の放課後、たまたま訪れた高校近くの花屋さんが目に留まった。前日買った漫画の新刊に花を題材にしたものがあったから、目に留まったのかも知れない。
中に入ると、そこで注意深く花を観察している八夜君がいた。またもチャンスが訪れた。流石の僕もそれを見逃すわけにもいかず、何とか声をかけた。
この気を逃すと、僕はまた何もしない日常を繰り返す確信があった。彼を何とか家に呼び話を打ち明ける機会を作った。
世間話から徐々に話したいことを打ち明けようと思っていたけれど彼には見抜かれていたようで、早々に事の顛末を伝えた。その時に爺さんに聞かされた、よくわからない単語の意味を、知った。
* *
「八夜君の丕業......骨の鎧?」
その姿は、まさしく骨の鎧。彼の最も目立つ部分、髪と目。その色と全く同じ色をした鎧の騎士が目の前で風の様に素早く近づくと蠅頭を蹴り飛ばした。
八夜君の姿は全てその鎧に包まれて、今はもう見えなくなっていた。どんな表情をしているのかさえ、読み取れない。
けれど、僕たちを守っているのは見て取れる。
「って、早く三浦さんを!!」
言いつけ通り、蠅頭の隙をついて三浦さんに駆け寄ると僕の首に手を回し、足を引きずりながら山江さんたちの元に集まる。
「な、なんだよ!あれは!八夜の奴が、化け物みたいになって、え?八夜、だよなあれ?」
誰に対して言っているのか分からないが矢田君は酷く錯乱している様だった。僕も似たようなもんだけど。山江さんも、膝にかけられた彼の学生服を力強く握りしめ、公園というありふれた場所で行われている、奇奇怪怪な白昼夢に目を奪われていた。
僕はそんな彼らを意識の外に放り出す。今は、彼の為す事を見届けたいから。
八夜君が、八夜君だろうモノが吹き飛ばした蠅頭を踏みつける。ここからだと聞き取れないが、何かを囁いているように見える。
「このっ!半端者が!俺を足蹴にしやがって!誰の許可を得て見下している!」
踏みつけられた蠅頭が苦し気に吠える。半端者の意味は分からないが、それは八夜君の事を指した言葉なのだろう。
夕暮れとも夜ともつかない曖昧な時間は、影と陽が入り交じりこの公園を照らす。
「お前の許しが必要なのか?それは知らなかった」
踏みつける力を増し、体重をかける。骨の鎧は、ギシギシと揺らぐたびに蟲の鳴き声の様な音を立てる。
「尸高校の生徒会だなお前.......。三年ではないな、どちらとも特徴が合わない。なら二年か?いや、俺が取りついていた女は一年。なら最近入ったばかりだという一年二人のどちらかか?」
その言葉にゾッとした。なぜ蠅男が尸高校の事を知っているんだ。いや、三浦さんの背中にくっついていたのだから知っているのは不思議ではない。けれど、どうして生徒会の人たちの事をそんなに知っているんだ。
「そんなことはどうでもいい。何で三浦に取りついた?人を食うためか?ならなんでそんな効率の悪い方法を取るんだ」
八夜君の表情は相変わらず読み取れないが、その声音に少しばかり、怒りが混じっているように聞こえた。
「ハァ?寝ぼけてんのかお前?お前、食事する時何を食べようか、何が食べたいか考えてからものを食うよな?その辺に落ちている吐き捨てられたごみを食わないよな?一緒だよ俺も、必要だからそうした。お前らが近所のスーパーに食材買いに行くのと一緒だよ。後はここでその買って来た食材を調理する筈だったんだ」
淡々と然も当たり前だと言わんばかりにそう口にする蠅頭に僕は怒りや恐怖ではなく、吐き気を催した。
こんなすぐそばで、こんな身近な人にこの悪魔は取りついていた。その事実がどうしようもなく僕の胃袋を刺激した。
「ぐぶっぇ......」
我慢できなかった。もう自分でもどう感じているのか分からなかった。ただ目の前にあるあの人型の悪魔を見たくはなかった。
「通君!」
口を抑え地べたに蹲る僕を案じて、山江さんが立ち上がり僕の背中を摩った。けれど、その摩る彼女の手もまた僅かに震えていた。
「これからあの女の皮を剥くところだったのに......きっと程よく脂身が乗っているだろうなぁ。食う所もそこそこ有りそうだった」
地面に伏せられたまま蠅男は三浦さんに何をする気だったのかぺらぺらと喋り出した。
「顔は美しかったからなぁ......首から下の皮を全部剥ごうか。そしてゆっくりと、ゆっくりとつま先からしゃぶりつこう。首に縄をかけて宙に釣るんだよ。時間をかけて骨まで貪るんだ。足の肉が無くなったら股へ、腹部へ、乳房へ、肩へ、腕へ。首から下全部骨になったらゆっくりと眼球を味わう。あぁ!いい!いいぞ!興奮してきた!食材に愛着も沸いた!後はそれを実行に移すのみ!」
「それは困るな」
グチャッと何かがつぶれる音が僕の耳に届いた。
それは、鎧を纏った八夜君が蠅男を踏み潰して、その頭蓋を砕いた音だった。
「ひっ!ひぃあ!化け物が!」
矢田君はその刺激の強すぎる場面を一部始終見ていたようだ。
何かぬめ付く音を立てながら八夜君がこちらにやってきた。今もなお、その姿は変わらない。
「皆怪我はないか」
一番危険な役目を背負っていた本人が、そういうものだから僕は少しばかりため息をついた。
「な、なんでため息つくんだよ」
「それは、僕たちから君へ言うセリフだからだよ......」
「そうなの、か?」
彼の天然に少しばかり気がまぎれ先ほどの吐き気も少し収まった。そんな時、矢田君が口を開いた。
「ち、近づくんじゃねえ!」
皆一瞬あっけに取られ、口を開けた。
「な、なにを言ってるんだよ矢田君!もう蠅頭は八夜君がやっつけてくれたじゃないか!君も見ていただろう!」
半狂乱になりつつある矢田君は、近づくなと連呼して手を必死に振り回す。
「あぁ!確かに俺は見たよ!化け物が化け物に殺されるところをな!」
「なっ!?八夜君は僕たちの命の恩人じゃないか!聞いていただろうあの蠅男の言葉を!もう少しで三浦さんがそうなるところだったんだ!」
「うるせぇ!!知ったことかよ!確かにあの蠅みたいなやつはやばかったけどよぉ、八夜だって十分、いやそれ以上にやばいじゃねーか!何なんだよそれ!人間じゃない!あいつらと一緒じゃねぇか!それにためらいもなく殺しやがった!きっといつか俺も、俺らもそんな風に簡単に殺される!」
その、矢田君の言葉に全身の血が煮えたぎるのを感じた。心臓が肥大しているかのように脈打つ音が大きくなった。
八夜君からも何かいいなよ、と言おうと彼に目を向ける。
「そう、だな。矢田の思っていることは間違いじゃない。俺は人じゃないのかもしれない。何なんだろうな」
そう、飾り気のない言葉で彼は返した。その顔は、どこか諦めを含んだ色をしていた。
あまりにも報われない。彼がどんな思いで僕たちを助けたのか、僕の部屋で好きな漫画を共に語った彼は間違いなく人間だった。爺さんの手料理をおいしそうに平らげた彼は、人なんか食わない。
「八夜君は――」
そう言い切る前に、パシリと乾いた音が公園に響いた。
「大司、アンタ目が付いてるわけ?」
その音は、山江さんが矢田君の頬をひっぱたいた音。
彼女は、その場から立ち上がり、八夜君の前に背を向けて立つと腕を組み矢田君と対立するような構図を取った。
「彼が居なかったら錦も私もあんたも、皆あの蠅に食われるところだったのよ。まさに恩人よ恩人。
その恩人に向かってその言い草は何?先ずはお礼が先じゃないの?」
小さな体で矢田君を睨みあげるその姿は勇ましかった。栗色のツインテールが怒りのあまり逆立っている様にも見える。
「......くそが!」
吐き捨てる様にそう言うと、周りに目もくれず公園から矢田君は立ち去っていった。
風に押され、ブランコがキィ、と錆び付いた音を立てる。その音が、嫌に耳に残った。




