第一話 諦めの果てに
仕方がない、と。誰かが悪いわけではない、と。必死に自分に言い聞かせてきた。無意識に右目に手を伸ばす。触ったところで何かが変わるわけではないが。
人と変わらずまつげも瞼もそこにはあった。そうやって人目に触れぬように隠す癖が、いつの頃からかついていた。
明らかに違うのはその色だった。日本人であれば人によって多少の色味の違いはあれど、まず黒と言って差しさわり無いだろう。だが自分の目を見ればその特異さに誰もが納得せざる負えない。
そこにあるのは黒々とした瞳孔ではなく、薄暗い雨雲を想起させる灰色だった。その目にかかるように伸びる前髪の一部もまた、変わらず灰色であった。これが生まれついたものであったのならば、俺自身にも幾許かの言い訳ができていたのかもしれない。
しかし、生まれついた時の目と髪は間違いなく黒色であった。なぜそのような色になったのか、理由には見当がついていた。
原因である髪を染色したこともあるし、眼帯を付けていたこともあった。けれど、無地のキャンパスに絵の具を垂らした時点でもう、取り返しはつかなかった。
ある事を機に、この灰色の目を持つことになった自分は周囲から大いに引き離された。当たり前のように放課後集まっていた友達は、次第にこの手を取ってくれなくなった。四人いた友が次第に三人になり、三人が次第に二人になり、ついには俺だけが、取り残されてしまった。
周りの大人も、先生も、これまで続いていた何かに線を引いたかのような違和感をその接し方に覚えた。もしかしたら自分からその線を引いてしまったのかもしれない。だとしても、だとしてもだ。
「ぼくのなかみはかわってないよ?」
子供心に、生意気にも世界を孤独に感じてしまった。そこからはもう、他人との間に透明で薄く、けれどしっかりと質量の感じる壁を作ってしまった。
いまさらどうしようもなかった。ただ誰かがこの壁を壊してくれるのを待つしかなかった。しかし、ついぞ俺の希望は叶えられることはなかった。
朝は始業のベルが鳴るぎりぎりに登校し、終礼のベルが鳴ると、風に背中を押されるように教室を出る。そんな毎日が当たり前のようになっていた中学生活が、曇天から降り注ぐ桜雨と共に去り、俺は私立 尸高校に入学した。
* *
私立尸高校は全校生徒千人前後の、至って特別なところのない進学校だ。人気が高かったり、校則が特別自由であったりするわけでもない。そんな高校になぜ進学したかというと、単純に家から近いからだ。
両親が他界し、今は祖母と二人で暮らしている。唯一の姉弟である姉はこの昨神市の病院に入院している。
だから、俺にはこの町から離れて高校に通うという選択肢は、はなからなかった。離れようとも思っていなかった。
入学式を終え、期待と不安が跋扈する体育館を出る。
そこかしこに、真新しい制服で身を包んだ生徒がすでに何人かでグループを作り、廊下で談笑していた。
すこしうつむき加減で廊下を足早に通り過ぎていく。何人かの生徒がこちらに一瞥くれているが、気が付いていないようなふりをして過ぎ去る。もちろんこの髪の毛と目についてだろう。この高校は染髪について、原則禁止にしているわけではないが、新入生で、それも目立つような灰色の髪をしている俺が珍しいのだろう。
「……ほっといてくれよ」
気が付けば、そんな呪詛にも似たセリフが閉じきっていた口の隙間から漏れ出した。
階段を上り三階にある自分の教室へ向かう。そう遠くない距離がなんだか果てしない、終わりのない道に見えてすこし辟易した。
俺が割り振られた教室は[1-A]であった。今年は丁度三百二十人入学しており、一クラス四十人で全八クラスだった。
教室の後ろに備え付けられているドアに手をかけたとき、不安にも怯えにも色を似せる、言い表せない感情が心臓を握った。
「繰り返しだ。これまでも、これからも」
小学校の頃を思い出せ。中学校の頃を思い出せ。いくら俺が言ったって、人というものは異物に対して排他的だ。高校デビューに失敗した痛い奴だと思われるほうが、幾分かマシかもしれない。
時間にしてわずか数秒であろうその葛藤ののち、力強く扉を引く気にもなれず、なるべく音をたてないように教室に入ろうとした時だった。
「うぉー、すげー髪!目!それ、自分で染めたのか?目はカラコン?」
開いたドアの目の前に、体格のいい男が立っていた。
自分より一回り大きな身長に制服の上でもわかる引き締まった体、パーマをかけているであろう柔らかな茶髪が、その人物を優しい印象にしていた。
そしてなによりも、見事に整ったその顔が、見る人万人に対して悪意を感じさせぬであろうことが見て取れた。
「……これは別に染めたりしてるわけじゃないし、カラコンを入れたわけでもない」
驚きと、咄嗟のことで、すこし声を低くさせるも何とか口を動かした。
いかにもクラスの中心って人物だな。
「そうなのか!変わってるな……っと、俺は阿南 対馬。お前は?」
「……八夜 千草」
「八夜かぁ。これから一年よろしくな」
言い終えるとすぐさま俺のわきを抜け、教室から出て行った。
教室に取り残された俺は、奇異な視線を寄越すクラスメイトを尻目に、自分の席を探した。
これからの高校生活に、華々しい期待など持ち合わせちゃあいないが、安寧ぐらいは願っても罰は当たらないはずだ。
――けれど、そんな蟲けら程の願いすら、俺の身に余るらしい。
初投稿になります。右も左もわからないような若輩者ですが、誠意をもって書きたいと思っております。
よろしくお願いします。




