第十七話 無辜の毒 二
「ほう、平凡を固めたような身なりをしている癖にその性根は随分と面白い」
男を殺すことに夢中になるあまり、誰かが傍に来ていることに気が付かなかった。
「随分と言いますね。あなたの身なりも相当ですが」
長身のわりにやせ細った体躯。灰色の髪を腰まで伸ばした男が、こちらを品定めするように見つめている。
「男よ、どうだ同族を殺す感触は?」
「?別に、特に何もないですが」
「あははは、愉快な男だ。生来のものなのか、変質したものなのかわからんが良いぞ、面白い。どうだもっと面白いものは見たくないか?」
「さっきから仰る意味が分かりませんが、面白いものというのはどういったものでしょうか?」
「まぁ見ていろ」
そういうと長身の男は、一匹の虫を掌に持って近づいてきた。幼少より図鑑を眺めていたからわかるが、あれは今までこの日本で見つかったことのない虫だ。見た目からして地球上に存在しないようなありえない形状をしていた。蠍に少し似てなくもないが、そもそも紫色に発光する生物を、聞いた覚えも見た覚えも無い。
「これは余自ら作り上げた死蟲でな。丁度宿主を探していたのだ。毒を持つ死蟲を掛け合わせて作ってみた試作。ぬしの口に合うといいが」
けらけらと楽しそうにそう言い、僕の口へ強引にその虫を押し込む。
異物が喉を通り、胃に落ちる音がする。入れられた虫も驚いているのだろう、胃の中を慌ただしく動いている。時折内臓を食い破らんと、胃の壁に食らいつく痛みがある。
「死蟲を入れて声一つ上げぬとはますます興味深い。男よ、ついてこい」
「なぜでしょう?」
突然虫を口に押し付けられ、挙句ついてこいと言われ流石の僕も腹が立った。なので背を向けた男に蹴りを放った。
身長差があるものの、吹けば飛ぶような細身であるこの男を簡単に殺せると思った。倒れた男の首を絞める。先ほどと何ら変わらない。むしろその首は細く簡単にへし折れそうだった。
見ると、握りしめていた男の首が青黒く変色していく。否、僕自身の掌も同様に青黒く変じていた。
「ほう!もう馴染んできたか!」
地に伏した男は何が楽しいのか、首を絞められながら顔を上げようとする。
流石に気味が悪くなってきたので首をねじって殺した。バキリ、と首の骨が音を立てて折れる。
「無駄なことはやめろ」
殺したはずの男が、その首を回しこちらに目を寄越す。地に伏す胴体と違い、その首はこちらをしっかりと向いていた。
「あなた、人じゃないんですか?」
「だとしたらどうする?殺すか?いや、まぁ殺すつもりではあったようだが」
「それよりもこの手、僕はどうなったんですか?」
「先ほども言ったが、馴染んできておるのだ。先ほど口に入れた死蟲がな」
「死蟲?馴染む?」
「人の皮を被った悪辣なるぬしに、それ相応の身体を与えてやったのだ。どれ、試しにいこうではないか」
何事もなかったかのように立ち上がり、首を元の位置に戻す長身の男。ついてこい、と背を向け歩き出すが、今度は蹴りつけることはしなかった。
「この辺りでよいか」
先ほどの高架下より少し離れた場所で足を止める。先ほどとは違い、民家が立ち並び、程よく人が跋扈していた。
そこを通る人々はみな幸福を担い、不幸や心配事とは無縁のように、暖かく、明日を迎える準備に勤しんでいた。見ているこちらが温かくなるような、そんな幸せの日常を謳歌している。
「先ほど言ったな、死蟲と馴染んできた、と。既にぬし自身もある一つの考えに至ったのではないか?」
「ええ、まぁ。さっきの蟲を飲み込んでから体の様子がおかしいんですよ。穏やかだった湖面に石を投げ入れた様、というか。もう僕は人ではなくなったのでは?」
「そうさな、間違いではあるまい。もうぬしは人では在らず。で、だ。人の皮を破り捨てた、ただの悪辣なるぬしはどうしたい?」
「さっきの興奮を、もう一度。いや、一度なんて足りない。もっともっともっともっともっと死に様を見てみたいです」
そうだ、先ほど殺した男。あの時の興奮はこれまで付き合いがあったからこそなのか、そうでないのか。誰でもよかったのか。あの死に際は彼だけなのか。もっと殺してみればその探求に解は出るのでは。
「よい拾いものをした。いいぞ。好きなことを好きなだけやれ。余が許そう。責任を持とう。術は先ほど授けた。後はぬしがどうしたいか、のみだ」
慈悲深い神のように、全てを許すと満足気にそう言い放った男。その言葉を待っていたかのように僕は歩を進めた。
先ずは近くにいたサラリーマンに向けて先ほどと同じように手を伸ばし、その首を絞めてみた。驚いたことにまたも手の先から青黒く変色してゆく。首を絞められた男は気が狂ったかのように暴れ出す。
たいして力を込めていないのに、まるで万力で締められているかのようにブクブクと血の混じった泡を吹くサラリーマン。面白い。
試していてわかったことが、あった。その答え合わせをするべく、男に声をかける。
「もしかして、毒か何かを分泌しているのですか?」
「先ほど与えた死蟲は、様々な毒を絶えず自身の体の中で生成しておってな。ぬしと掛け合わされてそれが表面に現れているのだろう」
「素晴らしい!僕自身がこんな強力な毒を持った生物になるだなんて!もっと試しても!?」
「許す、と先ほど言ったはずだが?」
「あはははははははははっ!皆見てよこれ!素晴らしい!」
この素晴らしさを知ってもらいたくて通行人に向け、手あたり次第に見せびらかした。
買い物帰りであろうOLの目に指を突っ込んでみた。「あ、え?」とわけもわからないまま、ぐじゅぐじゅと何かが溶ける音を放ち、両手を万歳の状態で広げ仰向けに倒れた。
ぴくぴくと痙攣を起こした姿はカエルに似て少し可愛かった。残念ながらそれでこと切れてしまい、もう楽しめそうになかったので次に移る。
杖を突く老人、家族で楽しそうに歩く親子。互いに手を握り合い今晩の献立を決めあぐねていた夫婦。皆最後は蟲みたいに死んでいった。
気が付くと辺りは既に死骸だらけで、生きているのは僕と男だけであった。
もっと別の楽しみ方はないのかと考えていると、妙案が浮かぶ。
「毒を扱うなら、それこそ蠍みたいに器官を作れるかもしれない......」
確信めいたものが胸にあった。この体なら出来るかもしれない、と。
毒を扱うに最適の身体をイメージする。どうすればより効率的に扱えるか。針、鋏、多腕、毒尾。
皮膚を引き裂く音がした。筋が千切れ、また紡がれる音。柔らかな人としての皮膚は、薄黒く硬く変質してゆく。あるはずのないところから、肉の芽が生えてくる。それはやがて腕のように伸びてゆき、しまいには僕自身の脇から新しい腕となって確立した。着ていたスーツは千々に破れ、布端が僅かに残るだけであった。
「すごい......こんなこともできるなんて!あなたは神なんでしょう!?きっとそうに違いない!」
人生において神というものを初めて垣間見た瞬間であった。人ならざる者。天上の者。
腕が計六本。三十二年間、僕の腕として機能していた物とは別に、新しく四本も増えた。尾骶骨の辺りから蠍の尾のようなものまで生えている。どうやら自由に動かせるのはもう少し練習が必要そうだ。
視界もなんだか広がった気がする。鏡が無いので自身の変容ぶりを見ることは叶わなかったが、これは良い。
「ふむ、ぬしそういえば名を聞いていなかったな?答えよ」
「僕は高山縁と言います」
「エニシ、か。ではエニシよ、ついてこい。その力の使い方というものを教えてやろう」
「えぇ、勿論」
道端に伏す数多の死骸を踏みつけながら、神と僕は宵闇に行路を見出す。
図鑑を読むことより、本を読むよりも好きなことを見つけた。まさか、三十二歳になってから人生を費やす程の趣味を見つけられるとは思わなかった。今までの人生に見出すことのできなかった光を垣間見た。
これは、僕が人ならざる者になった、半年ほど前の出来事である。